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ガラテア 注釈 2章新世界訳聖書 (スタディー版)
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異国の人々と一緒に食事をし: 食事は交友の機会で,祈りを伴うことが習慣になっていたので,通常ユダヤ人が異国の人と食事をしなかったのも理解できる。実際,イスラエル人は約束の地に残っている国民に交ざって彼らの神々の名を唱えたりしてはならないと命じられていた。(ヨシ 23:6,7)西暦1世紀までにユダヤ人の宗教指導者たちは,異国の人の家に入るなら儀式上汚れることになると主張して,独自の制限を加えていた。(ヨハ 18:28)
そうするのをやめて離れていきました: 西暦36年,ユダヤ人のクリスチャンだったペテロは「王国の鍵」の3つ目を使い,コルネリオとその家の人たちがユダヤ人でもユダヤ教への改宗者でもない人として初めてクリスチャンになる機会を開いた。(マタ 16:19の注釈を参照。)ペテロはコルネリオの家に何日か滞在した。客として異国人と何度も食事をしたに違いない。(使徒 10:48; 11:1-17)その後も異国人のクリスチャンと食事をしていたのは正しいことだった。しかし約13年後,ペテロはシリアのアンティオキアにいた時,突然「そうするのをやめ」た。エルサレムから来たユダヤ人のクリスチャンたちの反応を恐れた。その人たちはヤコブの所から来ていた。エルサレムにいるヤコブと交友があったという意味だと思われる。(使徒 15:13の注釈を参照。)その人たちは変化をなかなか受け入れず,モーセの律法とユダヤ人の幾つかの慣習を固守すべきだと主張していた。(使徒 10:28の注釈を参照。)ペテロの行動は,同じ年(西暦49年ごろ)に統治体が下した決定を台無しにしかねなかった。その決定は,異国人のクリスチャンはモーセの律法に従う必要はないことをはっきりさせるものだった。(使徒 15:23-29)パウロがここでアンティオキアの出来事を述べているのは,ペテロに恥をかかせるためではなく,ガラテアの人たちの間に見られた間違った見方を正すためだった。
割礼を受けた人たち: 直訳,「割礼からの(人たち)」。エルサレムの会衆から来ていた割礼を受けたユダヤ人のクリスチャンたちのこと。ほかの箇所では同じギリシャ語表現が,「割礼を支持する人々」,「割礼を受けている人たち」,「割礼に固執する人」と訳されている。(使徒 11:2。コロ 4:11。テト 1:10)
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