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ガラテア 注釈 6章新世界訳聖書 (スタディー版)
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神の言葉を教えられている: ここの「神の言葉」には,神の言葉とイエス・キリストの教えが含まれる。パウロは幾つかの手紙の中で,クリスチャン会衆で教えることの大切さについて書いている。その際,指導し,説明し,論議を展開し,証拠を提出することを意味するギリシャ語ディダスコーをよく使っている。(ロマ 2:21; 12:7。コ一 4:17。コロ 3:16。テモ二 2:2。マタ 28:20の注釈を参照。)しかし,パウロはこの節で,神の言葉を「教えられている」人や「教える」人について述べる際に,より限定的な意味のカテーケオーという語を使っている。この表現は,字義的には「下に響かせる」という意味で,口頭で教えることを意味する場合もある。(使徒 18:25の注釈を参照。)「神の言葉」の真理を頭と心に響かされた人は,資格を得て,他の人を教えることができる。(テモ二 2:2)
教える人と,良いもの全てを分け合って: 「教えられている」人は生活面や信仰面でいろいろなものを,教える人と分け合うよう勧められている。この原則は聖書の他の箇所でも見られる。(マタ 10:9,10。ロマ 15:27と注釈。コ一 9:11,13,14。テモ一 5:17,18。ヘブ 13:16)「分け合う」という語は,学ぶ人が教えられる内容をよく聞いて当てはめることを意味する場合もある。信仰と確信を自分の言葉で表現することで,良い知らせを教える人になる。そのようにして,教える人と「良いもの」を分け合える。(テモ二 2:2)
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