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フィリピものみの塔出版物索引 1951-1985
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2:6 聖 80; 塔75 57; 塔72 397; 塔71 547-548; 自 74-75; 目64 7/8 6; 目62 3/22 5; 神 31,33; 天 154
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フィリピ 注釈 2章新世界訳聖書 (スタディー版)
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キリストは神のような方でしたが: 「ような」という訳に含まれているギリシャ語(モルフェー)は基本的に,「性質」,「姿」,「形」,「似ていること」を指す。「神は目に見えない方」であるのと同じように,イエスも目に見えない方だった。(ヨハ 4:24と注釈)同じギリシャ語が,イエスが「人間となって」「奴隷のようにな」ったことについて使われている。(ヨハ 1:14。フィリ 2:7)
神と同等になろうなどと考えることさえしませんでした: または,「神と同等の立場を奪い取れる(つかめる)ものと見たりはしませんでした」。パウロはここでフィリピの人たちに,イエスのような素晴らしい考え方を身に付けるよう勧めている。フィリ 2:3で,「謙遜になり,自分より他の人の方が上だと考えてください」と言っている。続けて5節で,「キリスト・イエスと同じ考え方をしてください」と述べている。神の方が上だと考えていたイエスは,一度も「神と同等の立場をつかめるものと見たりはし」なかった。それどころか,「謙遜さを示し,死に至るまで従順」だった。(フィリ 2:8。ヨハ 5:30; 14:28。コ一 15:24-28)悪魔はエバに,神のようになること,神と同等になることを促したが,イエスの考え方はそれとは違っていた。(創 3:5)イエスは,ここでパウロが言いたかったこと,つまり創造者であるエホバ神に対する従順と謙遜さが重要であることを手本によって完全に示した。この節のなろうに関する注釈を参照。
なろう: ここで使われているギリシャ語名詞(ハルパグモス,直訳,「奪い取るもの」)は,基本的に「奪い取る」,「奪い去る」という意味の動詞ハルパゾーに由来する。この語は既に所有しているものを保持することを指すと考える人もいる。しかし,聖書はこのギリシャ語を,既に所有しているものを持ち続けるという意味で使ってはいない。多くの場合,「奪う」や「さらう」やそれに近い表現に訳されている。(マタ 11:12; 12:29; 13:19。ヨハ 6:15; 10:12,28,29。使徒 8:39; 23:10。コ二 12:2,4。テサ一 4:17。ユダ 23。啓 12:5)イエスは「神と同等になろうなどと考えることさえし」なかったのであれば,決して神と同等であったはずがない。
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