-
コロサイ 注釈 3章新世界訳聖書 (スタディー版)
-
-
それらを全て捨て去らなければなりません: パウロはここで,古い服など「何かを捨てる」とか「何かを脇に置く」という意味のギリシャ語動詞を使っている。そのようにして,望ましくない服を脱ぎ捨ててふさわしい服を着るという隠喩を導入し,9,10,12,14節で繰り返している。パウロはコロサイのクリスチャンに,この節で挙げた5つを,クリスチャンが脱ぎ捨てたいと思うべき汚れた不快な服のように見てほしいと思っている。(この節の他の注釈を参照。)この部分(コロ 3:8-10,12,13)はエフ 4:20-25,31,32と似ている点が多い。そうした類似点は,パウロが両方の手紙を同じ頃に書いたという見方を裏付けている。(エフ 6:21。コロ 4:7-9)
憤り,怒り: パウロが使っている2つの言葉はとても意味が近い。1つ目のオルゲーはもともと内面の憤りに焦点を当てていて,2つ目のテュモスはその感情を爆発させることの方に重点があった,と考える学者もいる。パウロが手紙を書いた時には,そうした区別は曖昧になっていたかもしれない。パウロは両方の言葉を使うことにより,心の中で憤りを募らせてしまう傾向とそれが引き起こしかねない激怒について警告している。(エフ 4:31)エフ 4:26の注釈を参照。
悪い行い: ここで「悪い行い」と訳されているギリシャ語カキアは,悪意,恨み,人を傷つけようとする傾向という考えを含むかもしれない。エフ 4:31でも同様の事柄が挙げられていて,パウロは「一切の有害な事柄」というフレーズで同じギリシャ語を使っている。(ロマ 1:29,コ一 14:20も参照。)ある参考文献は,この文脈で使われている悪い行いを「友好的な関係を壊す邪悪な力」と表現している。
暴言: パウロはここで,ブラスフェーミアというギリシャ語を使っている。その語は,神に対する不敬な言葉を指す場合に「冒瀆」と訳されることが多い。(啓 13:6)しかし元々,神に向けられた侮辱だけを意味していたのではない。仲間の人間に対する悪い言葉や中傷も指すことができ,文脈からすると,パウロはその意味で使っていると思われる。(エフ 4:31も参照。)別の訳では,「ののしり」や「そしり」といった表現が使われている。ある参考文献はこの語について,「誰かを軽んじて,評判を落とさせたり悪い評判を得させたりしようとすること」と述べている。
下品な言葉: または,「みだらな言葉」。こう訳されているギリシャ語は,ギリシャ語聖書でここでしか使われていない。この語は,汚くて低俗で,時には暴言に当たる言葉を指す。下品な言葉は不道徳な内容の喜劇などの演劇でよく使われ,そうしたやり取りを面白がる人もいた。怒った時にこうした言葉が口から出ることもあり,パウロは怒りについても警告した。(この節の憤り,怒りに関する注釈を参照。)パウロがこの警告を与えたのは,クリスチャンが周りの人から悪い影響を受けないようにするためだったに違いない。(エフ 5:3の注釈を参照。)エフ 4:29(注釈を参照)に似た表現があり,パウロはクリスチャンに,「不快な言葉を口から出してはなりません」と言っている。
-