脚注 d この聖句の冒頭は,「彼は……思い出した」と読むこともできます。(イザヤ 63:11,脚注)しかし,だからといって,ここで昔を思い出しているのがエホバであるとは限りません。続く部分は,エホバご自身ではなく,神の民の気持ちを言い表わしているからです。それゆえ,ソンキノ版聖書はこの箇所を,「その時,彼[神]の民はいにしえの日を思い出した」と訳しています。