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脚注

a ここに,カール・アール・エー・ウィチィグにより1947年11月12日,署名された誓文の全文をかかげます。彼は1934年には,ドイツの政府側の役人で,フリック博士がヱホバの証者の抗議電文をヒットラーの許にもつてきたとき,その場に居合せていた。誓文は次の通りです。

『声明 ― 前に呼び出しをうけていたので,1934年10月7日,私はベルリン内のライヒの事務所にウイルヘルム・フリックを訪問した。彼はライヒとプロシヤの内務大臣であり,私はルーデンドルフの全権大使であつた。ルーデンドルフのナチ軍に対する反対を思いとどまらせる内容をもつ郵便物を私はうけとる筈であつた。私がフリック博士と話をかわしていたとき,ヒットラーは突然にあらわれて,私たちの会話に加わつた。私たちの話題がやむなく,ドイツの万国聖書研究団(ヱホバの証者)に対する今までの処置に移つて行つたとき,フイリック博士はヒットラーに数々の電文を示した。それは聖書研究者に対するライヒからの第3回目の迫害を責めた抗議文であつた。博士は,『もし聖書研究者がただちに従わないならば,我らは最強硬の策を用いて対抗する』と語つた。その後,ヒットラーはさつと立ち上り,拳をにぎりしめて,『この生意気な者共をドイツから根こそぎにして見せるぞ!』とヒステリックに呼んだ。後,私も,サチュセエンハウセン,フロセンバーク,マウサウセンにあるナチの地獄のような収容所に7ケ年も監禁され,連合軍がきて解放するまで監獄にいた。ヒットラー,フリックとの会話から4年後に,ヒットラーのあの時の怒りの爆発は決して単なる空おどかしではなかつたことを,私の直接の観察から悟ることがきた。前記の収容所で,聖書研究者ほどに,ナチス親衛隊からむごい扱いをうけた群はない。この世の如何なる言語でもつてしても表現できないような,心身への拷問の連続で,残虐そのものであつた。

1947年11月12日

カール・アール・エー・ウィチィグ(署名)

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