脚注
j マクリントック,ストロング百科事典第2巻652頁bには,法王ダマサス1世に関する次の記述が見えます。
「法王ダマサス1世は西暦366年,リベリウスの後を継いでローマの司教となった。彼に反対したのは,選挙を主張したウルシシナスであり,両者のみにくい争いをめぐって多くの人が殺された……378年,グラチアン帝は,ローマから追放されていた反対派の教職者に判決を下す権利をダマサスに与えた。またその年開かれた宗教会議の要請をいれて,法王に必要な支持を与えることを政府に命じた……。
j マクリントック,ストロング百科事典第2巻652頁bには,法王ダマサス1世に関する次の記述が見えます。
「法王ダマサス1世は西暦366年,リベリウスの後を継いでローマの司教となった。彼に反対したのは,選挙を主張したウルシシナスであり,両者のみにくい争いをめぐって多くの人が殺された……378年,グラチアン帝は,ローマから追放されていた反対派の教職者に判決を下す権利をダマサスに与えた。またその年開かれた宗教会議の要請をいれて,法王に必要な支持を与えることを政府に命じた……。