脚注
c 著名なドイツの学者エルンスト・ヘングステンベルグ(1802-1869)は,ヘンリードッドウエル博士の唱えた紀元前445年のあやまりを歴史的事実によって証明しています。「旧約聖書のキリスト論」第2巻394頁にヘングステンベルグは次のことを述べています。「〔意見の〕相違はアルタシャスタの治世開始の年にのみかかわるものである。この年がキリスト前474年にあたることを知るとき,問題は全く解決される。そうすると普通の数え方によって」アルタシャスタの第20年はキリスト前455年となる……」
アルタシャスタの治世開始の年を紀元前474年とする根拠について,ヘングステンベルグは395頁に次のことを述べています。「クルーガーはクセルクセスの死を474年ないし473年としており,テミストクレスの逃走をその1年後としている」。399頁にヘングステンベルグは,「アルタクセルクセスの治世が51年にわたった『ことを述べていますが,紀元前5世紀のギリシャの歴史家クテシアスは,アルタシャスタの治世を42年としています。―ルノエル・ケイスによるドイツ語からの英訳。ニューヨーク(1836-1839年)第1版,全3巻。
ヘングステンベルグは,プトレミイのカフンがクセルクセスの治世を21年としている,明らかな間違いの原因を,プトレミーが昔の年代記から王の系譜をたどった時,ギリシャ語のiaをkaと読み間違えたことに帰しています。それはギリシャ語でそれぞれ11と21を意味します。
アイルランドの大司教ジェイムス・アッシャ(1581-1656)は年代学者としての見地から(1650年発刊アナルス・ベテリス・エ・ノビ・テストメントラム,「ペルシャ帝国」の項131頁),ペルシャ王アルタシャスタ・ロンジマナス即位の年を紀元前474年としています。しかしこの年代は引照付き聖書に記載されずに終わりました。有名な著述家ビトリンガ(1659-1722)およびクルーガー(1838)も,アルタシャスタの即位を紀元前474年とする点において,アッシャと一致しています。