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ストレス ― 現代の流行病目ざめよ! 1981 | 1月8日
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ストレス ― 現代の流行病
あなたも感染していますか。
これは世界的な流行病なので,もしまだ感染したことがないとすれば,それは意外なことです。著名な心臓外科医デントン・A・クーリー博士は,この問題が「20世紀の男女すべてに影響を及ぼしている」と語りました。
しかしこの“病気”は,抗生物質でも治らず,手術をして切り取ればよいというものでもありません。また薬を飲んでも治りません。
ストレスは現代人を冒す危険なウイルスになぞらえられます。次のような症状を目にしたり直接に体験したりしたことがあるでしょう。緊張して胃が痛む。生活上の重圧のために頭が割れるように痛む。『爆発しそうだ』とか,『もう我慢ができない』というような気持ち。慢性的な疲労感。
南アフリカのニュース雑誌,トゥー・ザ・ポイント誌は次のように述べています。『14世紀半ばから始まったペストの流行は,ヨーロッパ全土で猛威を振るい,全人口の4分の1が病死した。しかし6世紀後の今日,ヨーロッパと西側諸国は,ペストほど大きな騒ぎにならないものの,同じほど破壊的で,潜行性のさらに強い流行病にさらされている。現代のこの病気は様々な形で現われるが,それらはいずれもただ一つの毒物,すなわちストレスに根ざしている。“20世紀の殺し屋”と呼ばれるストレスは,主に生活上の心理的な要求に根ざしている』。
死をもたらす流行病
しかし,ストレスは本当に,“殺し屋”と呼ばれるほどひどいものなのでしょうか。また,自分自身や自分の家族のために,個人として真剣に考えなければいけないほどの問題ですか。その通りです。
研究者たちは,現代のストレスの流行が多くの病気や死の一因,あるいは根本原因となっていることに気付きつつあります。トゥー・ザ・ポイント誌の同じ記事はさらにこう述べています。「[ストレスの]引き起こす身体的な病気が一因となって,毎年,数多くの人が入院したり死亡したりする。その数は少なくとも数千万件に上る」。
最近,ウォール・ストリート・ジャーナル紙は,「ストレスと病気の関係を指摘する研究結果」という記事を第一面に掲載しました。その報道は一部次の通りです。「ストレスが激しかったり長期間続いたりすると,体は病気にかかりやすくなることがある。そうした病気は,皮膚の発疹や風邪から心臓発作やガンにまで至る」。
少しぐらい発疹が出たり風邪を引いたりしても,大したことはないと思うかもしれません。しかし,心臓発作やガンを引き起こしかねないとなると,それがゆゆしい問題であることはだれにでも分かります。自分がそのような恐ろしい病気の魔手にかかったことがなくても,知人の中にはそうした病気に悩まされている人がいるのではないでしょうか。
ストレスという流行病とそれが引き起こす害に冒されるのは,重圧がのしかかる特定の仕事に就いている大人だけだと思っている人もいるかもしれません。しかしもしそうだとすれば,クーリー博士はなぜストレスがわたしたちすべてを冒していると述べたのでしょうか。むしろ今日,ストレスは,それに冒されてはいないと思っている大勢の人々を含め,老若を問わずあらゆる人を悩ませています。
英文読売は,「ストレスで子供が大人の病気になる」という記事の中で,ストレスのために多くの若者たちが潰瘍・心臓病・糖尿病などを患ったり,肥満・疲労などの症状を示したりしている,と伝えています。
また,今日の若い人々と渡り合ってゆかなければならない大人の多くは,ストレスからくる悪影響を被っています。カナダのオンタリオ州で実施された調査は,「教師の寿命が他の職業に就いている人の寿命より4年も短く,ストレスがその一因となっている」ことを示しています。母親の多くは何の抵抗もなくこの結果を受け入れることができるでしょう。今日の母親は,一人か二人の子供がいるだけでも,たいてい非常なストレスにさらされ,いつも綿のように疲れているからです。
子供たちは別の面でも,この問題に関係しています。ヨーロッパとカナダで長年にわたる研究を重ねた末,デニス・ストット博士は次のような結論を出しています。「妊産婦に加わるストレス,特に不幸な結婚生活から生じる緊張は,胎内の子供に身体的,精神的,情緒的な害を広範にもたらしている」― トロント・スター紙。
今日のストレスに十分気付いており,自分や自分の愛する人たちがすでにその流行病に冒されているように感じているとしましょう。では実際に“ストレス”とは何かを説明できますか。それは身体にどんな影響を及ぼすのでしょうか。また,読者にとっては最も関心をそそられる最重要な問題かもしれませんが,実際問題として,ストレスに対処するにはどうしたらよいのでしょうか。
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この“ストレス”と呼ばれるものは何か目ざめよ! 1981 | 1月8日
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この“ストレス”と呼ばれるものは何か
失敗をしたのはほかの人なのに,自分が上司からどなられます。
クラスの前で先生からばかにされます。
夕食の支度で忙しいさなかに,子供が花びんを倒し,電話が鳴りはじめます。
これで,ストレスとは何か,少なくともある程度はお分かりになるでしょう。
ストレスというと,上記のような生活上の圧迫,あるいは配偶者を失うことや請求書の山など,より深刻な問題を頭に浮かべる人は少なくないでしょう。しかし,ストレスに遭遇すると体の中でどんなことが起きるかを知っている人はどれほどいるでしょうか。体内のこうした変化は健康にどんな影響を及ぼしますか。害を及ぼすストレスにはどんな症状がありますか。また,わたしたちが直面するストレスに対処し,より大きな幸福と平安を得るための最善の方法は何ですか。
ストレスとは何か
“ストレス”という言葉が意味するところは,人によって異なります。この言葉を聞くと,多くの人は緊張や圧迫と結びつけます。しかし,それは問題の一面にすぎません。
飛行機の墜落事故について伝える新聞記事の中で,変形作用<ストレス>が金属疲労を引き起こし,一つの部品が折れて,飛行機が墜落したという話を読んだことがあるかもしれません。この場合の変形作用<ストレス>とは,一片の金属にかかる力のことで,その金属片を曲げたりゆがめたりする方向に働いたのです。そしてそれが折れ,飛行機が墜落したのです。
人間のストレスの場合もある意味で同じようなことが言えます。それはわたしたちの体に影響を及ぼす肉体的あるいは感情的な作用で,それに適応しないならば,害を被る恐れがあります。幾つかの例を挙げてみましょう。暑い日に炎天下に出ると,体温が上がります。それもストレスの一種です。あるいは一生懸命野球をしたり庭でくわを使ったりすると,筋肉が疲れます。筋肉の内部で化学上の不均衡が一時的に生じるからです。これもやはりストレスです。しかし,そのようなストレスを相殺し,健康な状態を取り戻す調整機能が人体には備わっています。その一つは体温を下げる発汗作用です。もう一つはひと晩の心地よい睡眠です。そうした睡眠によって,筋肉は自力でもとの状態に戻るようになります。そうするとストレスは消え去ります。
しかし今日ストレスというと,体に変化を生じさせることもある感情的な圧迫や緊張と関連づけて考えられるのが普通です。体内でどんな変化が起きているかを認識していないなら,適応しようと努める自分の体の働きに協力する方法が分からないことでしょう。
“闘争か逃走か”
読者に緊張感を味わわせるつもりはありませんが,自分が次のような状況に置かれたと考えてみてください。ある晩,薄暗い道を歩いていると,向こうから3人の若いならず者がこちらへやって来るのが見えます。その時,あなたの体内ではどんなことが起きていますか。
危険を感じとり,あたかも警報器が鳴っているかのような気持ちになります。体が固くなり,息づかいが荒くなります。アドレナリンというホルモンが血液の流れの中に沢山分泌されます。肝臓は蓄えていた糖を出します。血液中の糖と脂肪(コレステロール)の値は上昇し,死力を尽くす時のためのエネルギー源となります。心臓の鼓動は早くなり,筋肉により多くの血液を送り出します。油断することなく,素早く行動したり判断したりするための備えをしています。恐れや怒りなどの感情が引き金となって,この“闘争か逃走か”の反応が起こります。
しかしその反応そのものは悪いものでも有害なものでもありません。上記の例の場合,その反応のおかげで,思ったより速く走れる備えができるかもしれません。あるいは,自分を制し,侮辱されても柔和な答えをするのに役立つかもしれません。(箴 15:1。マタイ 5:39)しかし,この同じ反応は,生産的な働きや動きに人を備えさせるものでもあるのです。手に汗を握らせる野球の場合がそうです。ふいにボールが自分の方へ飛んできます。それを取ってすぐに投げ返さなければなりません。体が緊張して身構えます。
しかし,感情的な重圧が長引き,そのような緊張と興奮の状態が続いて,体が行動を起こそうとしているのに,そのはけ口が得られない場合にはどんな結果になりますか。
例えば,男の人なら,速い速度で組み立てラインに乗ってくる部品を検査したり,上司に嫌われているのではないかと考えたり,退屈な,あるいは挫折感に打ちひしがれるような仕事に耐えなければならなかったりします。また,配偶者に捨てられた女性であれば,孤独感を感じながらも,今や世俗の仕事の圧力と闘わなければならず,夜は夜で育児や家事に追われます。
人がそのような緊張した状態にいつも置かれ,それを緩和するものがほとんどなく,それに対処する方法もほとんど分からないなら,ストレスは慢性的になります。事実,その状態を“窮境<デイストレス>”と呼ぶ権威者もいます。それは有害で,長期にわたる深刻なストレスで,容易に体を損ないかねないからです。
この絶え間のない過度のストレスは,体の正常な平衡を脅かします。とりわけ,動脈にコレステロールがたまったり動脈硬化を引き起こしたりする原因にもなります。リンパ系と白血球も影響を受け,病気と闘ったり異物に反応したりする体の能力が損なわれることもあります。
自分で見分けのつく症状
自分がいつストレスにさらされるかについて,外の人に教えてもらう必要はないと思われるかもしれません。しかし本当にそうでしょうか。確かに緊張や圧迫を自分で感じることもあります。しかし多くの場合,人々は特定の症状をストレスと結び付けることはありません。ですから,精々,対症療法に終始し,決して本当の意味で根本原因に取り組むことがないのです。これはどんな人についても言えることかもしれません。
例えば,39歳のある男の人は特に要求の多い仕事の割当てを受け,幾月も神経を集中し,晩や週末に残業することを求められました。そのうちよく眠れなくなり,腰痛に悩まされるようになりました。特別な体操や療法もその痛みを和らげるものとはなりませんでした。腰痛のためによく眠れないのでしょうか,それともその逆ですか。ところが,その重労働の期間が過ぎてしまうと,どちらの症状も消えてしまったのです。なぜでしょうか。あなたはどう思われますか。
過度のストレスや緊張の引き起こす一般的な症状には次のようなものがあります。
異常なイライラ: 周りの人々にもそれが分かり,ささいな事で怒ったり悩んだりしやすくなったと言われることさえある。
睡眠が妨げられる: 寝つくまでに普通より時間がかかったり,ふと目が覚めて長い間眠れなかったりする。
息づかいの異常: はっきりした理由もないのに,短くて浅い息づかいをしている自分に気付く。
筋肉の凝り: 健全な活動や運動によるものではない。
胃の不調や痛み: 食欲減退や一度に少ししか食べられなくなることと結び付く場合もある。
興奮しやすくなる: 正常なパターンが変わり,とめどなくしゃべるようになり,小さな事でわなないたり震えたりしやすくなる。
言うまでもなく,そのような症状の一つが表われたからといって,必ずしも自分が健康を害するような極度のストレスにさらされているのだ,などと思い込むべきではありません。運動不足のために,また物を持ち上げる際に誤って筋肉を痛めたために,腰痛を患うことがあります。また,床に入る直前に物を食べたり,晩になってからコーヒーや紅茶を飲んだりしたためになかなか眠れない人もいるでしょう。しかし,これといった理由も見当たらないのに上記のような症状が見られる場合,自分が体に害になるストレスに冒されていないか考えてみるとよいでしょう。
原因を検討する
自分にのしかかってくる様々な圧力について考えたいと思う人はひとりもいません。いやなことは忘れたほうがいい,と大勢の人は考えます。しかし,ストレスが非常に有害な結果をもたらし得る以上,今日のストレスの一般的な原因の幾つかに目を向けるのは良いことです。それらの問題を知り,その幾つかが自分にも影響を及ぼしていることを認めるなら,ストレスを相殺したりストレスに対処したりする面でより良い備えができるでしょう。
ここに掲げた表には,研究者たちが,人生の中でも特にストレスの高じる問題や状況とみなしているものが挙げられています。こうした出来事に遭遇したことがありますか。そうであればきっとストレスを経験したことがあるはずです。
多くの人は自分たちの置かれた環境がストレスを引き起こしていると考えています。そうした人々は人の多い都会に住み,すし詰めにされたり押し込められたりして常に守勢に立たされているかもしれません。ひっきりなしに聞こえてくる大きな音や不快な雑音もストレスの原因になります。騒音のひどい環境の下で生活したり働いたりしなければならない人,またそれが終わって“くつろぐ”時にも甲高い,あるいは低音のきいた,がんがん鳴り響く音楽で耳を痛めつけているような人は,特にこの点に注意すべきです。空気が悪いことも,やはりストレスの重荷を増やす場合があります。
様々な仕事の中でストレスが高じる幾つかの場合についてはすでに言及しました。しかし,多くの人にとって問題をさらに大きくしているのは,“出世”,あるいは他の人の持っているぜいたく品を手に入れようとすることを中心にした競争の精神です。(伝道 2:22-24; 4:4と比較してください。)ドイツ連邦共和国の医師は,「同国のストレスの大半を“ライストゥングスゲゼルシャフト”,つまり“成績社会”のせいにしている。その社会の主な特徴となっているのは,依然として,ドイツの“経済の奇跡”が生んだ,物質面での成功と派手な消費の追求である」と言われています。
眠れないことがストレスの症状になる場合もありますが,ある人にとってそれはストレスの原因になっています。そうした人々は無理をして,一日に多くの事をやろうとし過ぎ,必要とされる睡眠を取りません。また,遅くまでテレビのニュースやテレビ番組,特に緊張を生じさせるようなものを見ていると,二つの面で害を受けることがあります。すなわち睡眠時間が減ることと,よく眠れなくなることです。
交通渋滞の中を,緊張して競い合うように運転すること,家庭内のあるいは親族との絶えざるいさかい,お金の購買力が低下していることやインフレについて心配すること,転校や引っ越し,たとえ気持ちを爆発させることはないとしても,生活上のささいな問題で絶えず腹を立てていること。これらは多くの人にとって,ストレスの問題を引き起こす付加的な理由となっています。
わたしたちには身体的にも感情的にもストレスから立ち直る機能が備わっていますが,ストレスの影響は積み重なってゆくきらいがあります。この問題をさらに複雑にするのは,年を取るに従って(ストレスそのものも老化を早める場合がある),ストレスに対応する能力が衰えることです。
しかし,ストレスもやはり逃れることのできない,あるいは克服することのできない重荷であるかのように考えて,がっかりする理由はありません。ナチの強制収容所での年月は,長期にわたるストレスという点では確かに極端なものですが,種々の研究の明らかにするところによると,その生存者の25%ほどは,その結果として,ストレスと関係した体の異常を訴えることはありませんでした。
ですからこの“ストレス”と呼ばれるものに対処する方法はあります。しかも,生活上のストレスの問題から永遠に解放されることを待ち望める理由さえあるのです。
[7ページの囲み記事]
人生の中でも特に“ストレスの高じる”状況
順位 人生の出来事
1 配偶者の死
2 離婚
3 別居
4 懲役刑
5 近親者の死
6 自分の身に及ぶけがや病気
7 結婚
8 解雇
9 破綻していた結婚関係の回復
10 退職
11 家族の成員の健康の変化
12 妊娠
13 性の悩み
14 家族の成員が新たに増えること
15 仕事の調整
T・ホームズ及びR・H・ラーン両博士の研究 ―「現代における成熟」― に基づく
[5ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
人体はストレスに反応する
恐れや怒りは“闘争か逃走か”の反応を生む
心臓
鼓動が速くなる
肺
呼吸が速くなる
肝臓
糖と脂肪を血液中に出す
胃
消化が悪くなる
目
ひとみが開く
筋肉
緊張し活動のための備えをする
副腎
強力なホルモンが分泌される
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ストレスに対処することは可能です ― でもどのようにして?目ざめよ! 1981 | 1月8日
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ストレスに対処することは可能です ― でもどのようにして?
ストレスが今や流行病と化し,そのストレスで重い病気にかかる場合もあることに,あなたは気付いておられるかもしれません。しかしそれに対処するためにどんなことができますか。
前の記事に指摘されていた通り,最も重要な段階の一つは,自分のストレスの原因または源を見分けることです。「人間の行動を理解する」という本の第一巻は,この点がなぜそれほど肝要であるかを次のように説明しています。「身体的あるいは心理的な問題が,必要もないのに,心身に高度の緊張を強いる場合,ストレスが生じることを忘れてはならない。多くの場合に,その身体的また心理的な諸問題を識別するだけで,それを除くことが可能であり,[その結果]ストレスは必然的に消え去ってしまう」。要は,自分にストレスをもたらしているのが何か,頭の中ではっきり識別できれば,たとえその原因を取り除くことが不可能でも,ストレスに対する反応は弱まるであろう,ということです。
とはいえ,直面するかもしれないストレスに確かに役立つ幾つかの実際的な提案に目を向けてみましょう。
適応するよう努める
ストレスを生むものの多くから逃避しようとする人は少なくありません。例えば,居住地や職場を変えて,騒音のひどい所や臭気の立ちこめる所で働いたり家の立て込んだ汚い都会で生活したりするというような,緊張を生じさせる環境から逃れようとするかもしれません。
それは役に立つかもしれませんが,ストレスを減らすために必ずしもそのような思い切った手段が必要なわけではありません。例えば,満員のバスや渋滞する道路を使って通勤することから来るストレスを減らすため,時差通勤をする人もいます。そうした人々は待つ時間を,読書や研究,あるいは手紙を書くことに充てて有効に用いています。しかし,もっと大切なこととして,このような仕方で適応することにより,自分の生活を管理しているのは自分であるという自信が得られます。専門家たちの話によると,この自信こそストレスに対処する秘訣の一つなのです。
適応することは子供を持つ人にとっても役に立ちます。中には,次から次へと訪れる危機の波に翻弄されているような親もいます。こうした源からのストレスを減らすのに必要とされているのは,子供たちのために揺らぐことのない一貫した指針を確立することでしょう。聖書は,子供たちと共に生活し,子供たちをしつけるための賢明な助言の優れた源となってきました。(エフェソス 6:1-4; 箴 29:15,17と比較してください。)神から与えられたその助言を当てはめた大勢のエホバの証人は,ストレスに直面することが少なくなり,益を受けてきました。
別の例として,騒音でストレスが高まっているような場合にはどのようにして適応できますか。家にいる場合なら,窓を閉めたり,音を吸収するカーテンを掛けたり,ラジオやテレビを使っている部屋のドアを閉めたりすることは役に立つかもしれません。職場でも同様の措置を取ることができるでしょう。あるいは騒音から来るイライラを減らすために,小さな耳栓を使うことも考えられます。同様に,自分の生活の場や職場をきちんと整とんし,きれいにしておくなら,自分の周囲が気持ちのよいものになるのでストレスは少なくなることでしょう。
この種の適応はいずれも,潜在的に有害なストレスを完全に除き去るものとはならないかもしれません。しかし,そうした措置がストレスを少なくするにすぎないとしても,あなたの生活はより健康的で,より幸福になります。
ストレスを吐き出す
心配事やストレスをすべて自分の内に秘めておいてはなりません。『胸中にあるものを吐き出してしまう』なら,ずっと楽になるのに気付くはずです。親身になってくれる友人で,自分が尊敬し,助けや助言を与えてくれるような人と話し合うのです。当然のことながら,実際の問題であれ,想像上の問題であれ,それについて不満や泣き言を言いたいとは思わないでしょうし,そうすべきでもありません。しかし,信頼の置ける友人に問題を打ち明けるからといって,そのような者になるわけではありません。
感情面で楽になるだけではなく,自分の問題について新たな見方ができるようになり,経験を積んだ人の実際的な提案から益を受けるかもしれません。(箴 18:24; 20:5。テトス 2:3-5)多くの人は,悩める者の嘆願の叫びや祈りを聞いてくださる神に,自分の気持ちを吐露することによってストレスの問題に関する助けを得てきました。―歴代下 6:19。
運動は役に立つ
人体がストレスに対して,大抵,“闘争か逃走か”の反応を示すことを思い出しましょう。体は激しい活動のために備えをします。体を動かす運動を定期的に行なえば,ストレスによって血液中に出た余分の糖や脂肪を使い果たすのに役立ち,ストレスの引き起こす生化学的な影響が相殺され,体は健康のバランスを取り戻します。
水泳やハイキングやテニスなどの運動がお好きですか。それでは運動をするようにしましょう。また,運動が嫌いでもストレスに悩まされているなら,やはり運動すべきです。そうすれば気分が良くなります。特に,毎日ストレスを感じるのであれば,それに応じて毎日何らかの精力的な運動をすることによって気分がそう快になるでしょう。
健康に良い運動として,食料品店への行き帰りに,車やバスを使わず,長距離を歩く方法があります。あるいは,エレベーターを使う代わりに,階段を歩いて上ることがその運動になることもあります。また,小さな庭園に鋤を入れたり,カーペットのほこりをたたいて落としたりするといった有用な仕事で,“ストレスを燃焼”させるのはどうですか。
仕事と娯楽のバランスを取る
仕事と娯楽は不倶戴天の敵であると見る人は少なくありません。そうした見方は当人がすでに感じているかもしれないストレスをさらに大きなものにするだけです。
仕事が災いではないということを認識するのは有益です。生計を立てるため,また娯楽を楽しむ元手を得るために働く点で活動的また生産的であるのは心身両面にとって良いことです。(伝道 3:12,13)ハンス・セリエ博士は「苦痛<デイストレス>のないストレス」の中で次のように述べています。「働く[あるいは忙しくする]ことを最小限にとどめようとすることが最重要の目的となってはいけない。……余暇を十分に楽しむためには,まず疲れていなければならない。それはちょうど,食物を十分に楽しむためには,腹を減らしているのが何よりであるのと同じである」。
働いている時にも,少しの時間を取って体を伸ばし,時々“一息入れる”ようにします。そうすれば,顔や首,肩や背中などの筋肉をほぐし,ストレスが少しでもたまっているなら,それを幾らかでも減らすことができます。
しかし,仕事をするために時間を取るのと同じように,くつろぐための時間も設けるようにします。何らかのレクリエーションを計画するのです。自分が熱中できるような趣味で,ストレスを引き起こす身体的あるいは感情的な原因を忘れさせてくれるものがよいでしょう。セリエ博士はさらにこう述べています。「ほとんどの場合,一つの活動をやめて別の活動に移るほうが,完全に休息を取るよりも気分が楽になるものである」。
十分の睡眠を取る
コーヒーを一杯つきあったりテレビ番組を見たりして遅くまで起きていることを習慣にしている人もいます。そうしたテレビ番組は喜劇や“スター・インタビュー”番組など,緊張をほぐすと言われているものかもしれません。くつろがせる点でどんな効能があるとされていても,絶えず積み重ねられてゆく睡眠不足の問題と比較考量してみなければなりません。睡眠不足そのものも心身にとってストレスとなり,さらには他のストレスに対処する能力を低下させます。
ストレスは体そのものに変化を生じさせるのですから,十分の休息と睡眠がなぜ大切なのかは理解しがたいことではないはずです。睡眠によって,体は自らをいやし,生化学的にバランスの取れた状態を取り戻します。シェークスピアはその点を次のように見事に言い表わしました。「睡眠はもつれにもつれた不幸の糸玉をきちんと編み上げる。一日の命が死に絶える時,つらい仕事の湯船,心の傷をいやすバルサム,偉大な活力の第二のコース,命の宴の主たる滋味」。
ですから,ストレスに悩まされているのであれば,もっと睡眠を取るようにしましょう。特に,一週間ごとの規則正しい睡眠のパターンを形造るようにします。
見方を調整する
ストレスに対処する上で最も大切な事柄は,どこでまたどのように生活し,働いているかということではありません。また,どれほど運動をし,どれほど睡眠を取るかということでもありません。最も重要なのは,人生とそれに伴う諸問題,つまりストレスをどう見るかということです。
航空管制官を対象にした3年に及ぶ調査は,緊張による高血圧症の発生する率が非常に高いことを示しています。しかし,すべての人がその仕事から悪い影響を被ったわけではありません。ロバート・M・ローズ博士は,『病気の発生率を大きくしていると思われるものは,人々が自分の仕事に対して抱いている態度である』ことを突き止めました。同様に,ハンス・セリエ博士はストレスの研究を幾十年も続けた後に,こう書いています。「薬剤やその他の療法に頼るよりも,ストレスを処理する別のもっと良い方法があると思う。それは生活上の様々な出来事に対して異なった見方を持つことである」。
生活の中で何を優先させるかを決定する方法について学ぶ必要があります。新しい職,社交的な行事,もう一人子供をもうけること,大きな買い物のための借金など,ストレスの付きまとう状況に直面することもあるでしょう。何をするか,またどのように反応するかを決める前に,『その結果生じるストレスをあえて身に受ける覚悟があるか。そうするだけの価値があるか。これは自分の生活にとって一体どれほど重要なのか』と,自問してみるとよいでしょう。そのような分別のある考量は,自分の限界や優先順位を理解するのに役立ち,その結果,より幸福になれます。
金銭に対する見方に関して聖書の述べる事柄の多くは,これと同じ考え方を示しています。例えば,使徒パウロはこう書いています。『富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥ります。……金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて……多くの苦痛で自分の全身を刺したのです』。(テモテ第一 6:9,10)イエスもまた,多くの富を蓄えようと躍起になりながら結局は急死してしまった男について話されました。キリストの結論はこうです。「自分のために宝をたくわえても,神に対して富んでいない者はこうなるのです」。(ルカ 12:16-21)イエスは衣食住について思い煩わないように,つまりストレスを感じたり心配したりしないように勧めておられます。『なかなかできないことだ』と言われるでしょう。確かにそうです。しかし要は,そうした見方を持つための努力を始めねばならないということです。千里の旅も最初の一歩から始まることを忘れてはなりません。
イエスはさらに山上の垂訓の中でこう言われました。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日ごとの悪はその日にとってじゅうぶんです」。(マタイ 6:25-34)この聖書の諭しは,ストレスに対処する最善の方法に関する最新の助言の核心に触れるものです。
ストレスからの永続的な解放?
今日,ストレスを完全に回避できると考えるのは非現実的なことです。どのような生き方をしても,どれほど立派な態度を保ったとしても,有害なストレスを引き起こす要素は必ずあります。犯罪は依然として巷にあふれ,偏見や不公正は深い悲しみをもたらします。ですから,ストレスに対処する方法を学ばなければなりません。
しかし,いつの日か,ストレスのもたらす害 ― 苦痛<デイストレス> ― に終止符の打たれることがあるでしょうか。証拠によれば,その答えは,然りです。いつ,またどのようにそれが起きるかを学べば,今ストレスに対処する自分の能力を向上させることができるでしょう。続く記事はこの重要な問題を検討するものです。
[12ページの図版]
都市銀行
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ストレスからの解放 ― 現在そして永遠に目ざめよ! 1981 | 1月8日
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ストレスからの解放 ― 現在そして永遠に
一般の人を対象に,「害をもたらすストレスが完全に除き去られる時が来ると思いますか」というアンケートを取ったとしたら,どんな答えが返ってくるでしょうか。
自分の体験や将来に関する専門家の予測に基づいて,ほとんどの人は,有害なストレスはいつまでも人間に付いて回る,と答えることでしょう。
しかし,物事がうまく運ぶようになり,人間が諸問題を解決し,有害なストレスを除き去るであろう,と明るい表情で言う人もわずかながらいるはずです。
しかし後者のような見解は,ストレスに抵抗するむだな努力の反映である場合もあります。この点に関して,アービング・ジャニス教授は次のように評しています。「もう一つ,対処法として欠陥があるの[は],“防御回避”である。それは希望的な観測をすることにより感情面の緊張を解消しようとすることである」― 1980年5月18日付,ニューヨーク・タイムズ紙,日曜版。
ストレスに対処しようとしている人々の多くが,対処するのに役立つ様々な現実を見過ごしているのは残念なことです。これらの現実は,ストレスからの解放を得るのに役立ち,将来の永続的な解放を待ち望む確かな根拠となるのです。
普遍的な現実
ストレスの研究の一大権威者であるハンス・セリエ博士はこう書いています。「感性の鋭い人なら,雲一つない夜空を見上げて,星がどこからきてどこへゆくのか,また何が宇宙の秩序を保たせているのかと考えざるを得まい。人体の内部にある内なる世界を見ても,やはり同じような質問が起きる」―「現代生活とストレス」。
人体の驚異について思い巡らしたり,星を見つめて物思いにふけったりする時間を取ったことがありますか。そうすることは,現在のストレスに対処するための重要な一歩となり得ます。セリエはさらにこう述べています。「自然の中に現われている調和のとれた麗しさ……について考える能力は,人間が味わい得る最も大きな満足をもたらす能力である。……意識ある自己をしのぐ,無限に大きな何かを見つめると,日常の煩い事すべてがそれと比べて小さなものに見えてくる。そこには,崇高なものとの接触を通してのみ得られる落ち着きと心の平安がある」。
幾世紀も昔に,詩人であった王ダビデは,このストレス問題の専門家が現在勧めている通りのことを行ないました。そしてダビデは,次のような基本的真理を語りました。「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げる」― 詩 19:1,新。
ダビデの認めていた事柄は,その時以来無数の考え深い人々の達した結論でもありました。すなわち,宇宙と人間の創造者なる神が存在すること,それが宇宙の基本的な現実だということです。その方やそのみ業と比べれば,わたしたち人間は取るに足りない存在です。ダビデは神について,『わたしが,あなたの指の業であるあなたの天を見るとき,死すべき人間が何者なので,あなたはこれを思いに留められるのですか』と,語りました。―詩 8:3,4,新。
ですから,ストレスが自分にとって問題になっている ― あるいはなるかもしれない ― ということに気付いたなら,神の存在について,そのみ業と関心の計り難い大きさについて,そして自分がそのみ前に立っていることについて一層深く思い巡らしてみるべきでしょう。そうすれば,“防御回避”に走るのではなく,事実,つまり普遍的な現実を前にした大局観を得ることになります。
今もまた将来も効果がある
神を認めることは,ストレスに対処するに当たり様々な面で役に立ちます。
一つの点として,神を認めれば,聖書に含まれるその諭しに,より一層の敬意を抱くようになります。ダビデは,自分自身の経験から,また他の人の経験を目にして,こう言うことができました。「エホバの律法は完全で,魂を引き戻す。エホバの諭しは信頼に値し,経験のない者を賢くする」― 詩 19:7,新。
神の諭しの中には,淫行や婚前交渉,酔酒,盗み,うそなどを避けるようにという助言も含まれます。そうした事柄に手を出す人は,大抵,楽しみのために,“生活を楽にするために”,あるいは気まずい思いをしないためにそうします。しかし,証拠の示すところによると,そうした人々はその直接あるいは間接的な結果として,より一層のストレスを味わうのが普通です。良心の痛み,他の人々に抱かせてしまった恨み,あるいは自分の歩みの結果として生じた健康上の問題さえ,そうしたストレスの原因になります。逆に,神の助言に従うなら,結果として生じるそのようなストレスすべてを避けられるだけでなく,心の平安と幸福を促進することにもなります。
世界中には,確かにその通りだった,と証言できるエホバの証人が何百万人もいます。もちろん,今日ストレスの全くない生活を送れる人は一人もいません。しかし真のキリスト教を実践することは,それらの人々にとって確かに助けとなりました。この点はイエス・キリストの言われた次の言葉と調和します。『すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなたがたをさわやかにしてあげましょう。……あなたがたは自分の魂にとって[ストレスではなく]さわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは[ストレスを引き起こすものではなく]ここちよいのです』― マタイ 11:28-30。
神に一層近づくにつれ,現在のストレスが少なくなる別の理由があります。生活は一層,方向付けを持つものとなります。神に喜ばれる者となることを心に定めているので,自分がどこへ向かっているか分かります。「苦痛<デイストレス>のないストレス」は次のように述べています。
「自分たちの神の絶対性あるいは自分たちの持つ特定の行動規準を信じている人は,比較的平衡が取れていて,幸福である[ことを歴史は再三証明してきた]。……信仰は人に方向付け,誓約の根拠,自己鍛練,仕事などを与えるものとなる。その仕事は,異常で混乱した行動を避けるのになくてはならないものである」― 2,3ページ。
さらに,創造者とその原則に対するこの健全な誓約により,幸福なクリスチャンたちの会衆の一員になります。エホバの証人のクリスチャン会衆に属する人々は,神に喜ばれたいと願う人々すべてを受け入れ,そうした人々と共に働くことを喜びとします。エホバの証人は,神の助言を当てはめることが今日いかに実際的で,有害なストレスを減らすのに役立つかを人々に喜んで示します。
そして,「あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」というイエスの意義深い言葉にそって,愛を実践するよう誠実に努力します。(ヨハネ 13:35)聖書を研究し,愛あるクリスチャンと共に交わり,愛の道と他の人々を助けることを学ぶなら,ストレスは少なくなります。他の人々はあなたが以前よりも好ましい人物になったと感じます。仲間の人間との争いは少なくなり,そうした人々の好意や尊敬を勝ち得ることになるでしょう。―マタイ 5:40-48。ルカ 6:38。
また,ストレスに対処するこの助けは現在に限られたものではありません。それは将来にも目を向けています。「現代アメリカの宗教運動」という本は次の点を指摘しています。「その独自の会衆生活において,エホバの証人は信頼と受容とからなる偽善のない社会を形造っている。……エホバの証人は,以前の生き方に代わる生き方を[人に]与えるが,それは信者が主体性と自尊心を得,受け入れられる社会と将来への希望を見いだす道を開く」。
ストレスからの永遠の解放
将来に希望を抱く確かな根拠となっておられるのは創造者です。信頼に値するそのみ言葉の中で,創造者はご自分が人間の問題に介入し,その結果として有害なストレスからの永遠の解放がもたらされることを約束しておられます。ここに神の約束の幾つかを挙げることにしましょう。
◆ 神は邪悪で利己的な人々を永久に除き去られます。そうした人々の行動は現在非常に多くのストレスを引き起こしています。―詩 37:28,29,34。
◆ 堕落した動物的な気質の人々がはびこる代わりに,地球は,豊かに満ちあふれる「エホバについての知識」に導かれる,平和愛好者によって満たされます。―イザヤ 11:6-9,新; 35:9。
◆ 現在非常に多くのストレスを引き起こしている病気や死に代わって,健康と長寿がゆきわたります。―啓示 21:4。
◆ 正直で健康的な仕事の結果として,人間は食物と生活必需品を十分に享受します。―詩 72:16。
◆ 戦争に終止符が打たれ,平和と安全がゆきわたります。―ミカ 4:3,4。
◆ 他の人に対する愛ある関心は真のキリスト教のしるしであり,全人類がそれを実践するようになります。―ヨハネ 13:35。
これは夢物語ではありません。それを待ち望むのは,ストレスに対する“防御回避”などではないのです。それは宇宙の創造者の約束しておられる事柄です。もしこの約束に引き付けられるなら,是非エホバの証人と一緒に聖書を研究し,それについてさらに多くを学んでください。
そのような状態の下での生活は単調でも退屈でもありません。時として心臓の鼓動が速まるのを感じることがあるでしょう。興奮したり,活動のために緊張したりすることがあるはずです。しかしそれは,胸を躍らせる,喜ばしい出来事や感情に対する正常で健康的な反応となるでしょう。今日わたしたちが対処しなければならない,長期に及ぶ有害な極度のストレスから見ると,何と喜ばしいのでしょう。
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