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  • 『大いなるバビロンは倒れた!』
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 30章

      『大いなるバビロンは倒れた!』

      1 第二のみ使いは何を発表しますか。大いなるバビロンとはだれのことですか。

      今や,神の裁きの時となりました! では,神からの音信に耳を傾けてください。「また,別の,二人目のみ使いがそのあとに従って,こう言った。『彼女は倒れた! 大いなるバビロン,あらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた者は倒れた!』」(啓示 14:8)啓示の書はここで初めて,ただしこれが最後ではありませんが,大いなるバビロンに注意を集中します。後に,17章は同バビロンのことを肉欲にふける娼婦として描写しています。それはだれのことでしょうか。これから見てゆきますが,それは宗教的な性格を持つ,地球的な規模の帝国で,サタンが神の女の胤と戦うのに用いる偽物の制度です。(啓示 12:17)大いなるバビロンとは,偽りの宗教の世界帝国です。このバビロンには,古代バビロンの宗教上の教えや慣行を保持し,その精神を表わす,すべての宗教が含まれています。

      2 (イ)バビロン的な宗教が地上のあらゆる場所に分散させられたのはどうしてですか。(ロ)大いなるバビロンの最も顕著な部分とは何ですか。それはいつ強力な組織として出現しましたか。

      2 エホバがバベルの塔の独り善がりな建築者たちの国語を混乱させたのは,4,000年以上の昔のバビロンでのことでした。人々は,今日に至るまで大抵の宗教の基盤となってきた背教した信仰や慣行を携えて,様々な言語群に分かれて地の果てに散らされました。(創世記 11:1-9)大いなるバビロンはサタンの組織の宗教的な部分です。(ヨハネ 8:43-47と比較してください。)今日,大いなるバビロンの最も顕著な部分は背教したキリスト教世界です。キリスト教世界は聖書ではなく,おもにバビロン的な宗教に由来する信条や形式を取り入れて,西暦4世紀に,強力な不法の組織として出現しました。―テサロニケ第二 2:3-12。

      3 どうして,大いなるバビロンは倒れたと言うことができますか。

      3 読者は,『宗教が地上で依然として大きな力を行使しているのに,み使いはどうして,大いなるバビロンは倒れたなどと発表するのだろうか』と問われるかもしれません。では,古代バビロンが西暦前539年に倒れた後,どんな結果が生じましたか。確かに,イスラエルは解放されて故国に戻り,その地で真の崇拝を回復させました! それで,1919年に回復された霊的なイスラエルの輝くばかりの霊的な繁栄は,大いなるバビロンがその年に倒れたことを示す証拠で,その繁栄は今日まで続いており,さらに広がっています。大いなるバビロンにはもはや神の民を束縛する力がありません。その上,同バビロンはそれ自体の一般大衆の間の深刻な問題で手を焼いてきました。1919年以来,同バビロンの腐敗や不正や不道徳が大いに暴露されてきました。ヨーロッパの大抵の場所では,教会に通う人はもはやほとんどいませんし,社会主義国では宗教は「人民のあへん」とみなされることがあります。神の真理のみ言葉を愛する人々すべての目に恥ずべきものとされている大いなるバビロンは,今や,エホバの義なる裁きが同バビロンに執行されようとしているゆえに,あたかも死刑囚独房で待っているようなものです。

      バビロンの不面目な倒壊

      4-6 『大いなるバビロンはあらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた』と言えるのは,どうしてでしょうか。

      4 大いなるバビロンの不面目な倒壊を巡る事情をさらに詳しく調べてみましょう。み使いはここでわたしたちに,『大いなるバビロンはあらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた』と告げています。これは何を意味していますか。それは征服と関係があります。例えば,エホバはエレミヤにこうお告げになりました。「あなたはこの激しい怒りのぶどう酒を満たした杯をわたしの手から取り,わたしがあなたを遣わすすべての国の民にそれを飲ませなければならない。そして,彼らは必ず飲んで,揺れ動き,狂人のように行動する。わたしが彼らの中に送ろうとしている剣のためである」。(エレミヤ 25:15,16)西暦前6,7世紀に,エホバは古代バビロンを用いて,背教したユダを含め,多くの国々に飲ませるため,象徴的な患難の杯の中身を注ぎ出させたので,ご自分の民さえ流刑に処せられました。その後,今度はバビロンが倒れました。なぜなら,その王が「天の主」エホバに逆らって自らを高めたからです。―ダニエル 5:23。

      5 大いなるバビロンもまた,何度も征服を遂げましたが,大抵,もっと巧妙な仕方でそうしてきました。大いなるバビロンは売春婦の策略を巡らし,諸国民と宗教的な淫行を犯して,『あらゆる国民に飲ませ』ました。そして,政治支配者たちを誘惑し,同バビロンと同盟および友好関係を結ばせました。また,宗教的な魅力を利用して,政治的,商業的,および経済的な圧制を企ててきました。そして,純粋に政治的,また商業的な理由で,宗教的な迫害や宗教戦争,国家間の戦争はもとより,十字軍などを助長しました。それに,そのような戦争は神のみ旨にかなうものであると言って,戦争を神聖視しました。

      6 二度の世界大戦の際,戦い合う双方の側の従軍牧師が若者たちに殺し合うよう勧めたことも見逃せませんが,神道の日本,ヒンズー教のインド,仏教のベトナム,“キリスト教”の北アイルランド,ラテンアメリカその他の国の場合のように,宗教が20世紀の戦争や政治に関係してきたことは周知の事柄です。大いなるバビロンが戯れの恋をした典型的な実例は,1936年から1939年に及んだスペイン内乱に荷担したことです。その戦いでは,少なくとも60万人もの人々が殺されました。この流血事件はカトリック教会の僧職者の支持者とその協力者たちにより引き起こされましたが,教会の富と地位がスペインの合法的な政府によって脅かされたことがその原因の一つでした。

      7 大いなるバビロンのおもな標的になったのはだれでしたか。同バビロンはその標的に対してどんな方法を講じましたか。

      7 大いなるバビロンはサタンの胤の宗教的な部分ですから,いつもエホバの「女」,つまり「上なるエルサレム」をおもな標的にしてきました。1世紀に,油そそがれたクリスチャンの会衆の実体は女の胤であることがまさしく明らかにされました。(創世記 3:15。ガラテア 3:29; 4:26)大いなるバビロンはあの貞潔な会衆を唆し,宗教的な淫行を犯させて,これを懸命に征服しようとしました。使徒のパウロやペテロは,多くの者がそれに屈して,重大な背教が起きることを警告しました。(使徒 20:29,30。ペテロ第二 2:1-3)七つの会衆に対するイエスの音信は,ヨハネの生涯の終わりごろ,大いなるバビロンが腐敗をもたらそうとする努力の点である程度前進したことを示唆しました。(啓示 2:6,14,15,20-23)しかしイエスは,同バビロンがどれほど先まで物事を進めて行くのを許されているかをすでに示しておられました。

      小麦と雑草

      8,9 (イ)小麦と雑草に関するイエスのたとえ話は何を示唆していましたか。(ロ)「人々が眠っている間に」,何が起きましたか。

      8 イエスは小麦と雑草のたとえ話の中で,立派な種を畑にまいた人について話されました。ところが,「人々が眠っている間に」,敵がやって来て,雑草の種をまき足して行きました。それで,小麦は雑草のために覆い隠されるようになりました。イエスはこのたとえ話を次のように説明されました。「りっぱな種をまく者は人の子です。畑は世界です。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであり,それをまいた敵は悪魔です」。それから,小麦と雑草は「事物の体制の終結」の時まで一緒に育つままにされ,その話,み使いたちが象徴的な雑草を『集め出す』ことを示されました。―マタイ 13:24-30,36-43。

      9 イエスや使徒のパウロやペテロが警告した事柄は,実際に起きました。「人々が眠っている間に」,つまり使徒たちが死の眠りに就いた後,あるいはクリスチャンの監督たちが神の羊の群れを守りながらうとうとするようになった時,バビロン的な背教がまさしく会衆内に急に出現するようになりました。(使徒 20:31)ほどなくして,雑草は小麦よりもはるかに数が多くなり,小麦は覆い隠されて見えなくなってしまいました。女の胤は何世紀にもわたって,大いなるバビロンのゆったりとしたすそに完全に包まれてしまったかに見えました。

      10 1870年代までに何が起きましたか。大いなるバビロンはそれに対してどのように反応しましたか。

      10 1870年代までに,油そそがれたクリスチャンは,大いなるバビロンのみだらな習わしとの関係を絶つ断固とした努力を払い始めました。彼らはキリスト教世界が異教から取り入れた偽りの教理を捨て,聖書を大胆に使って,異邦人の時が1914年に終わることを宣べ伝えました。大いなるバビロンの主な器であるキリスト教世界の僧職者は,真の崇拝の回復を図るこの活動に反対しました。彼らは第一次世界大戦中,戦時下の興奮状態を利用して,この少数の忠実なクリスチャンのグループを根絶しようとしました。その活動がほぼ完全に阻止された1918年に,大いなるバビロンはこの点で成功したかに見えました。彼らに対して勝利を得たように思えました。

      11 古代バビロンが倒壊した結果,何が起きましたか。

      11 以前に触れた通り,誇り高い都バビロンは西暦前539年に権力の座からの悲惨な倒壊を経験しました。その時,「彼女は倒れた! バビロンは倒れた」という叫びが聞かれました。その世界帝国の偉大な首都は,キュロス大王の支配するメディア-ペルシャの軍の手に落ちました。都それ自体は征服された後も残存しましたが,権力の座からは現実に倒壊したため,その都に捕らわれていたユダヤ人は解放されました。彼らはエルサレムで清い崇拝を回復するために戻りました。―イザヤ 21:9。歴代第二 36:22,23。エレミヤ 51:7,8。

      12 (イ)現代,大いなるバビロンは倒れたと言うことができますが,それはどうしてでしょうか。(ロ)キリスト教世界はエホバから完全に退けられましたが,何がそのことを証明していますか。

      12 現代も,『大いなるバビロンは倒れた!』という叫びが聞こえてきました。1918年当時のバビロン的なキリスト教世界の一時的な成功は,油そそがれた人たちの残りの者であるヨハネ級の人々が霊的な復活により回復させられた1919年に急に一変しました。大いなるバビロンは,神の民をとりこにして支配する何らかの力に関しては倒れてしまいました。キリストの油そそがれた兄弟たちは行動を起こす用意を整えて,いなごのように,底知れぬ深みから群がって出て来ました。(啓示 9:1-3; 11:11,12)彼らは現代の「忠実で思慮深い奴隷」で,主人は彼らを任命して,自分のすべての持ち物をつかさどらせました。(マタイ 24:45-47)彼らがこのようにして用いられていることは,キリスト教世界が地上でエホバを代表する者であると主張しているにもかかわらず,同世界はエホバにより完全に退けられたことを証明しています。清い崇拝は再び確立され,14万4,000人の残りの者,つまり大いなるバビロンの宿敵,女の胤の残っている者たちに証印を押す業を完了する道が開かれました。このすべては,あのサタン的な宗教組織に決定的な敗北をもたらす合図となりました。

      聖なる者たちの忍耐

      13 (イ)第三のみ使いはどんなことを発表しますか。(ロ)野獣の印を受ける者たちに関して,エホバはどんな裁きを行なわれますか。

      13 今や,第三のみ使いが語ります。お聴きください!「また,別のみ使い,三人目の者が彼らの後に従い,大声でこう言った。『野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける者がいれば,その者は,憤りの杯に薄めずに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲むことにな(る)』」。(啓示 14:9,10[前半])啓示 13章16節と17節では,主の日の期間中,野獣の像を崇拝しない人たちは苦しんだり,殺されたりする場合さえあることが明らかにされました。今度は,エホバが,「その印,つまり野獣の名もしくはその名の数字を持つ」人々を裁く決意をしておられることが分かります。それらの人々はエホバの怒りの苦い「憤りの杯」からいやおうなく飲まされることになります。それは彼らにとって何を意味するでしょうか。西暦前607年に,エホバがエルサレムに「憤りの杯」から強制的に飲ませた時,その都はバビロニア人の手により「奪略と崩壊,飢えと剣」に遭遇しました。(イザヤ 51:17,19)同様に,地の政治強国やその像,つまり国際連合を偶像として崇拝する人たちがエホバの憤りの杯から飲む時,その結果は彼らにとって災いとなります。(エレミヤ 25:17,32,33)彼らは完全に滅ぼされてしまいます。

      14 野獣とその像を崇拝する人々は滅ぼされる前でさえ,何を被らなければなりませんか。ヨハネはそのことをどのように描写していますか。

      14 しかし,その滅びが起きる前でさえ,野獣の印のある人々はエホバの不興という責め苦をもたらす影響を被らなければなりません。み使いは野獣とその像を崇拝する者たちについて語り,ヨハネにこう知らせます。「(その者は)聖なるみ使いたちの見るところで,また子羊の見るところで,火と硫黄による責め苦に遭わされるであろう。そして,彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない」― 啓示 14:10(後半),11。

      15,16 啓示 14章10節の「火と硫黄」という言葉にはどのような意味がありますか。

      15 中には,この句で言及されている火と硫黄は地獄の火が実在することを示す証拠であると考えた人もいます。しかし,同様の預言をちょっと調べてみると,その文脈の中のこれらの言葉の真の意味が分かります。昔のイザヤの時代に,エホバはエドムの国民がイスラエルに対して抱いた敵意のゆえに処罰されることを同国民に警告されました。エホバはこう言われました。「その奔流は歴青に,その塵は硫黄に必ず変えられ,その地は必ず燃える歴青のようになる。それは夜も昼も消されることがなく,その煙は定めのない時に至るまで立ち上る。彼女は代々乾き切ったままとなり,限りなく永久にだれもそこを通り過ぎる者はいない」― イザヤ 34:9,10。

      16 エドムは永遠に燃やされるため,ある神話上の地獄の火の中に投げ込まれましたか。もちろん,そうではありません。かえって,その国民はあたかも火と硫黄で完全に焼き尽くされたかのように,世の舞台から完全に姿を消しました。処罰の結末は永遠の責め苦ではなく,「空漠……荒漠……無」でした。(イザヤ 34:11,12)「定めのない時に至るまで立ち上る」煙は,そのことを生き生きと例証しています。家が全焼すると,火炎が消えた後でも,しばらくの間,灰の中から煙が出て来るので,壊滅的な大火災があったことを傍観者に示す証拠となります。今日でさえ,神の民はエドムの滅びから学べる教訓を覚えています。こうして,『彼女の燃える煙』は象徴的な仕方で依然として立ち上っています。

      17,18 (イ)野獣の印を受ける人々は結局どうなりますか。(ロ)野獣を崇拝する者たちはどのようにして責め苦に遭わされますか。(ハ)『彼らの責め苦の煙が限りなく永久に上る』というのは,どうしてでしょうか。

      17 野獣の印を持っている人々もまた,あたかも火によるかのように,完全に滅ぼされます。後の章の預言が明らかにしているように,彼らの死体は動物や鳥が食べることができるよう埋葬されずに放置されます。(啓示 19:17,18)ですから,文字通り永久に責めさいなまれるのでないことは明らかです! 彼らはどのようにして「火と硫黄による責め苦に遭わされる」のでしょうか。真理がふれ告げられて,彼らのことが暴露され,来たるべき神の裁きについて警告されるからです。したがって,彼らは神の民のことをあしざまに言い,できれば,ずる賢い仕方で政治的な野獣を説得して,エホバの証人に対して迫害をさせたり,証人たちを殺させたりさえします。それが最高潮に達すると,それら反対者たちは火や硫黄でなされるように滅ぼされてしまいます。その後,エホバの正当な主権に対して万一再び異議が申し立てられるような場合,彼らに関する神の裁きは試金石になるという意味で,「彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り」ます。例の問題は未来永劫にわたって解決されることになるでしょう。

      18 今日,だれが,責め苦をもたらす音信を伝えていますか。象徴的ないなごには,額に神の証印のない人々を責め苦に遭わせる権威があることを思い出してください。(啓示 9:5)み使いの導きを受ける,それらのいなごが,責め苦に遭わせる者たちであることは明らかです。その象徴的ないなごは大変執ようで,「彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない」ほどです。そして,最後に,彼らが滅ぼされた後,エホバの主権の正しさを立証する,あの記念碑的な証拠,つまり「彼らの責め苦の煙」は限りなく永久に上って行きます。その立証が完了するまで,ヨハネ級の人たちが忍耐できますように。み使いが,「ここが,聖なる者たち,すなわち神のおきてとイエスの信仰を守る者たちにとって,忍耐となるところである」と結んでいる通りです。―啓示 14:12。

      19 聖なる者たちにはどうして忍耐が要求されるのでしょうか。ヨハネは彼らを力づけるどんなことを伝えていますか。

      19 そうです,『聖なる者たちの忍耐』とは,彼らがイエス・キリストを通して全き専心をもってエホバを崇拝することを意味しています。彼らの音信は人気のあるものではありません。それは反対や迫害,殉教の死をさえ招く場合があります。しかし,彼らはヨハネが次のように伝えている事柄によって力づけられています。「またわたしは,天から出る声がこう言うのを聞いた。『こう書きなさい: 今からのち主と結ばれて死ぬ死人は幸いである。しかり,彼らはその労苦を休みなさい,彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行くからである,と霊は言う』」― 啓示 14:13。

      20 (イ)ヨハネが伝えている約束は,イエスの臨在に関するパウロの預言とどのように調和していますか。(ロ)サタンが天から放逐された後に亡くなる油そそがれた者たちには,どんな特異な特権が約束されていますか。

      20 この約束は,イエスの臨在に関するパウロの次のような預言とよく調和しています。「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえ(ります)。その後,生き残っているわたしたち生きている者[つまり,主の日まで生き残る,油そそがれた者たち]が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い(ます)」。(テサロニケ第一 4:15-17)サタンが天から放逐された後,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえりました。(啓示 6:9-11と比較してください。)その後,主の日の期間中に亡くなる,油そそがれた者たちには,特異な特権が約束されています。天で霊者としての命を受ける彼らの復活は,即座に,つまり「またたくまに」行なわれるのです。(コリント第一 15:52)それは何と驚くべき復活でしょう。しかも,彼らの義の業はそのまま天の領域で続いてゆくのです。

      地の収穫物

      21 ヨハネは「地の収穫物」についてどんなことをわたしたちに告げていますか。

      21 ヨハネがわたしたちにさらに次のように告げているように,ほかの人たちもまた,この裁きの日に益を受けます。「またわたしが見ると,見よ,白い雲があり,その雲の上には人の子のような者が座っており,その頭には黄金の冠があり,その手には鋭い鎌があった。また,別の[第四の]み使いが神殿の聖なる所から現われ出て,雲の上に座っている者に大声でこう叫んだ。『あなたの鎌を入れて刈り取ってください。刈り取る時が来たからです。地の収穫物はすっかり熟しているのです』。すると,雲の上に座っている者がその鎌を地に突き入れ,地は刈り取られた」― 啓示 14:14-16。

      22 (イ)黄金の冠を着けて,白い雲に座っている,その方はどなたですか。(ロ)その収穫の最高潮はいつ,またどのように訪れますか。

      22 白い雲に座っておられる方の実体については,不確かなところはありません。黄金の冠を着けて,白い雲に座っている,人の子に似たその方は,明らかにダニエルも幻の中で見たメシアなる王イエスです。(ダニエル 7:13,14。マルコ 14:61,62)しかし,ここで預言されている収穫物とは何ですか。イエスは地上にいた時,弟子を作る業を人類の世界という畑の収穫になぞらえられました。(マタイ 9:37,38。ヨハネ 4:35,36)この収穫の最高潮は,イエスが王位に就き,み父のために裁きを執行なさる,主の日に到来します。ですから,イエスが支配してこられた1914年以後の時代は,収穫物を取り入れる喜びの時代でもあります。―申命記 16:13-15と比較してください。

      23 (イ)刈り入れを始めるようにという命令はだれから出されますか。(ロ)1919年以来,今日まで,どんな収穫が行なわれてきましたか。

      23 イエスは王ならびに裁き主ですが,刈り入れを始める前に,ご自分の神エホバからの命令を待っておられます。その命令はみ使いにより,「神殿の聖なる所」から出され,イエスは直ちにその命令に従われます。まず最初に,1919年以来,14万4,000人の人たちの収穫をご自分のみ使いたちに完了させます。(マタイ 13:39,43。ヨハネ 15:1,5,16)次に,ほかの羊の大群衆を取り入れる収穫が行なわれます。(ヨハネ 10:16。啓示 7:9)歴史は,1931年から1935年にかけて,それらほかの羊のかなりの数の人々が出現し始めたことを示しています。1935年に,エホバは啓示 7章9節から17節の大群衆の真の実体をヨハネ級の人たちに理解させ始められました。それ以後,この大群衆を取り入れることがたいへん強調されました。2005年までに,その人数は600万人をはるかに超えて,なお増加しています。確かに,人の子のような方はこの終わりの時の間,豊かな収穫物を喜びにあふれて刈り取ってこられました。―出エジプト記 23:16; 34:22と比較してください。

      地のぶどうの木を踏む

      24 第五のみ使いの手には何がありますか。第六のみ使いは呼ばわって何と言いますか。

      24 救いの収穫が完了すると,別の収穫を行なう時が来ます。ヨハネはこう伝えています。「また,さらに別の[第五の]み使いが天にある神殿の聖なる所から現われ出たが,彼も鋭い鎌を持っていた。また,さらに別の[第六の]み使いが祭壇から現われ出たが,彼は火に対する権威を持っていた。そして,鋭い鎌を持つ者に大声で呼ばわって言った,『あなたの鋭い鎌を入れて,地のぶどうの木の房を集めなさい。そのぶどうは熟したからである』」。(啓示 14:17,18)み使いの大軍には,主の日の期間中,良いものを悪いものから分ける大きな収穫の業がゆだねられています!

      25 (イ)第五のみ使いが神殿の聖なる所から来たことは,何を示唆していますか。(ロ)刈り取ることを始めるようにという命令が,「祭壇から現われ出た」み使いから来るのは,どうしてふさわしいことですか。

      25 第五のみ使いは神殿の聖なる所のエホバのみ前から来ます。ですから,最後の収穫もまた,エホバのご意志にしたがって行なわれます。そのみ使いは,「祭壇から現われ出た」別のみ使いを通して伝えられた音信によって,自分の業を始めるよう命じられます。このことは大変重要な意味を持っています。というのは,祭壇の下にいる忠実な魂が,「聖にして真実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか」と尋ねていたからです。(啓示 6:9,10)地のぶどうの木の収穫が行なわれることにより,復しゅうを求めるこの叫びに対する十分の答えが出されます。

      26 「地のぶどうの木」とは何ですか。

      26 しかし,「地のぶどうの木」とは何ですか。ヘブライ語聖書の中で,ユダヤ国民はエホバのぶどうの木であると言われていました。(イザヤ 5:7。エレミヤ 2:21)同様に,イエス・キリストと,神の王国でキリストと共に仕える人たちは,ぶどうの木であると言われています。(ヨハネ 15:1-8)このような背景の中で,ぶどうの木の重要な特徴は,実を生み出すことです。ですから,ぶどうの木である真のクリスチャンは豊かに実を生み出して,エホバに賛美をもたらしてきました。(マタイ 21:43)ゆえに,「地のぶどうの木」とは,そのような本物のぶどうの木ではなく,サタンの偽のぶどうの木,つまり人間を支配する,サタンの政府の腐敗した見える体制であるに違いありません。その体制には,何世紀にもわたって生み出された悪霊的な実の様々な「房」が付いています。背教したキリスト教がたいへん顕著な部分となっている大いなるバビロンは,この毒のあるぶどうの木に対して大きな影響力を行使してきました。―申命記 32:32-35と比較してください。

      27 (イ)鎌を持ったみ使いが地のぶどうの木を集めると,何が起きますか。(ロ)ヘブライ語聖書のどんな預言は,その収穫の規模を示唆していますか。

      27 裁きは必ず執行されます!「すると,み使いは鎌を地に突き入れて,地のぶどうの木の取り入れを行ない,それを神の怒りの大きなぶどう搾り場に投げ込んだ。そして,その搾り場は都市の外で踏まれ,搾り場から血が出て馬のくつわに届くほどになり,千六百ファーロングの距離に及んだ」。(啓示 14:19,20)このぶどうの木に対するエホバの憤りについて知らされてから,すでに久しくなります。(ゼパニヤ 3:8)イザヤ書の預言によれば,ぶどう搾り場が踏まれる時,諸国民すべてが滅ぼされることには疑問の余地がありません。(イザヤ 63:3-6)ヨエルもまた,膨大な「群がる民」,つまり諸国民すべてが「決定の低地平原」の「ぶどうの搾り場」で踏まれて滅ぼされることを預言しました。(ヨエル 3:12-14)それは本当に,二度と行なわれないような驚異的な収穫です! ヨハネの幻によれば,単にぶどうが収穫されるだけでなく,象徴的なぶどうの木全体が切り倒され,ぶどう搾り場に投げ込まれて踏まれます。ですから,地のぶどうの木は根絶されてしまい,二度と再び生えることはありません。

      28 だれが地のぶどうの木を踏みますか。ぶどう搾り場が『都市の外で踏まれる』ことは,何を意味していますか。

      28 幻の中では,それは馬によって踏まれます。なぜなら,ぶどうの木が踏まれて出て来る血は「馬のくつわ」に届くからです。普通,「馬」という言葉は軍事行動を指していますから,これは戦いの時であるに違いありません。イエスに従って,サタンの事物の体制に対する最後の戦いに臨む,天の軍勢は,「全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場」を踏むと言われています。(啓示 19:11-16)この天の軍勢は明らかに,地のぶどうの木を踏む者たちです。ぶどう搾り場は「都市の外で踏まれ」ます。すなわち,天のシオンの外で踏まれます。実際,地のぶどうの木が地上で踏まれるのはふさわしいことです。しかしそれは,天のシオンを地上で代表している女の胤の残っている者たちが害を受けないという意味で,やはり,「都市の外で踏まれ」ます。それら残っている者たちは大群衆と共に,エホバの地上の組織の取り決めの中に安全に隠されることでしょう。―イザヤ 26:20,21。

      29 ぶどう搾り場から流れる血はどれほどの深さになり,どれほど遠くに達しますか。このすべては何を示唆していますか。

      29 この生き生きとした幻と,ダニエル 2章34節ならびに44節で述べられている王国の石で地の諸王国が打ち砕かれることには類似点があります。絶滅が起きるのです。ぶどう搾り場から流れる血の川は非常に深くて,血は馬のくつわに届き,川の距離は1,600ファーロングにも達します。a 4の4倍に10の10倍を掛けて得られる,この大きな数字(4×4×10×10)は,滅びを示す証拠が全地を包含するという音信を強調しています。(イザヤ 66:15,16)その滅びは徹底的なもので,取り消すことができません。サタンの地のぶどうの木は二度と再び根づきません!―詩編 83:17,18。

      30 サタンのぶどうの木の実にはどのようなものがありますか。わたしたちはどんな決意を抱いているべきでしょうか。

      30 今や,終わりの時も相当経過したので,これら二種類の収穫に関する幻にはたいへん重要な意味があります。サタンのぶどうの木の実を見るには,わたしたちの周囲を見回しさえすればよいのです。堕胎その他の殺人行為,同性愛,姦淫その他の不道徳,不正直,および自然の情愛の欠如 ― このような事柄すべてのために,この世はエホバの目には実に不快なものとなっています。サタンのぶどうの木は,「毒草や苦よもぎの実」を結んでいます。破壊的で,偶像を崇拝する,その歩みは,人間の偉大な創造者を辱めています。(申命記 29:18; 32:5。イザヤ 42:5,8)ヨハネ級の人たちと共に活発に交わって,イエスがエホバの賛美のために生み出しておられる健全な実の収穫にあずかるのは,何とすばらしい特権でしょう。(ルカ 10:2)わたしたちはすべて,この世のぶどうの木によって決して毒されないように決意し,そのようにして,エホバの不利な裁きが執行される時,地のぶどうの木と共に踏まれないようにすることができますように。

      [脚注]

      a 1,600ファーロングは約300㌔,または180㍄です。―啓示 14:20,「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

      [208ページの囲み記事]

      『彼女の淫行のぶどう酒』

      大いなるバビロンの顕著な部分はローマ・カトリック教会です。同教会はローマの教皇によって統治されており,教皇は各々使徒ペテロの後継者であると言われています。以下の事柄は,それらいわゆる後継者に関する公表された事実の一部です。

      フォルモスス(891-896年): 「死後9か月たって,フォルモススの遺体は教皇の埋葬室から掘り出され,ステファヌス[新教皇]が議長を務めた『死体』会議に出され,糾弾された。この死去した教皇は,教皇位に対する不当な野望を抱いたとして告発され,その行為はすべて無効と宣告された。……遺体からは教皇の法衣がはぎ取られ,右手の指は切除された」―「新カトリック百科事典」(英文)。

      ステファヌス6世(896-897年): 「[フォルモススの遺体に対する裁判が行なわれて]二,三か月後,激しい反動が生じて,教皇ステファヌスの任期は終わった。同教皇は教皇としてのしるしをはく奪され,投獄され,そして絞殺された」―「新カトリック百科事典」(英文)。

      セルギウス3世(904-911年): 「彼のすぐ前の二人の前任者は……刑務所で絞殺された。……同教皇はローマでテオフィラクトゥス一家の支持を受け,その娘の一人マロツィアによって息子(後の教皇ヨハネス11世)をもうけたと考えられている」―「新カトリック百科事典」(英文)。

      ステファヌス7世(928-931年): 「ヨハネス10世……は教皇在位期間の終わりの何年かの間,ローマの女性貴族マロツィアの憤りを招いて投獄され,暗殺された。次いで,マロツィアは教皇位を教皇レオ6世に授けたが,同教皇は6か月半在位した後に死去した。ステファヌス7世は多分,マロツィアの影響力を利用して,レオ6世の跡を継いだ。……ステファヌス7世は教皇として2年間在位したものの,マロツィアの支配下にあって無力であった」―「新カトリック百科事典」(英文)。

      ヨハネス11世(931-935年): 「ステファヌス7世が死去するや……テオフィラクトゥス家出身のマロツィアは,20代の初めごろの青年だった息子ヨハネスのために教皇位を得た。……教皇としてのヨハネスは,その母親に支配された」―「新カトリック百科事典」(英文)。

      ヨハネス12世(955-964年): 「彼は多分18歳にもなっておらず,同時代の種々の報告は,彼が霊的な事柄に関心がなく,粗野な道楽にふけり,放とうの生活をほしいままにした点で一致している」―「教皇に関するオックスフォード辞典」(英文)。

      ベネディクトゥス9世(1032-1044年; 1045年; 1047-1048年): 「彼は教皇位を代父に売り渡し,またその後,教皇位の返還を二度要求したことで悪名を馳せた」―「新ブリタニカ百科事典」(英文)。

      このように,これらの,また他の教皇は忠実なペテロの模範に従うどころか,悪い影響を与える人物でした。彼らは自分たちの支配した教会を腐敗させるイゼベルの影響だけでなく,流血の罪や霊的ならびに肉体的な淫行をも容認しました。(ヤコブ 4:4)1917年に,聖書研究者は,このような多くの事実を「終了した秘義」と題する本に,ありのまま詳しく列挙しました。これは,聖書研究者たちが当時,『あらゆる種類の災厄をもって地を撃った』一つの方法でした。―啓示 11:6; 14:8; 17:1,2,5。

      [206ページの図版]

      即位したキリストはみ使いの支持を得て,裁きを実施されます

      [207ページの図版]

      バビロンが西暦前539年に倒れた後,その捕らわれ人は解放されました

  • エホバの業 ― 偉大で,驚くべきもの
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 31章

      エホバの業 ― 偉大で,驚くべきもの

      第10の幻 ― 啓示 15:1–16:21

      主題: ご自分の聖なる所におられるエホバ。地に注がれる,その憤りの七つの鉢

      成就する期間: 1919年からハルマゲドンまで

      1,2 (イ)ヨハネはどんな第三のしるしについて伝えていますか。(ロ)エホバの僕たちはみ使いたちのどんな役割について長年にわたって知っていましたか。

      男の子を産もうとしている女! その子供をむさぼり食おうとしている大きな龍! 啓示 12章で実に生き生きと描写されている,これら二つの天のしるしは,神の女の胤と,サタンとその悪霊的な胤とにかかわる長年の論争が最高潮に達しようとしていることを,わたしたちにはっきり悟らせました。ヨハネはこれらの象徴を強調して,こう述べています。「また,大きなしるしが天に見えた。……また,別のしるしが天に見えた」。(啓示 12:1,3,7-12)さて,ヨハネは第三のしるしについてこう伝えています。「また,わたしは天に別のしるしを見た。大いなる不思議なしるしであり,七つの災厄を携えた七人のみ使いがいた。これは最後の者たちである。彼らによって神の怒りは終わりに至るからである」。(啓示 15:1)エホバの僕たちにとって,この第三のしるしにもやはり大変重要な意味があります。

      2 神のご意志を成し遂げる点で,み使いたちがさらに持っている重要な役割に注目してください。エホバの僕たちはこの事実を長年にわたって知っていました。霊感を受けた古代の詩編作者は,そのようなみ使いたちに語りかけて,こう促しました。「エホバをほめたたえよ,その使いたちよ。強大な力を持ち,神の言葉の声に聴き従うことによって,そのみ言葉を行なう者たちよ」。(詩編 103:20)ところで,この新しい場面では,み使いたちは最後の七つの災厄を注ぎ出す務めが割り当てられています。

      3 七つの災厄とは何ですか。それを注ぎ出すことは何を表わしていますか。

      3 それらの災厄とは何ですか。七つのラッパの音と同様,それらの災厄は,この世の様々な特色に関するエホバの見方を公に知らせて,その司法上の決定の最終結果を警告する,痛烈な裁きの発表です。(啓示 8:1–9:21)それらの災厄を注ぎ出すことは,エホバの憤りの対象となるものが神の燃える怒りの日に滅ぼされる時,その痛烈な裁きが執行されることを指し示しています。(イザヤ 13:9-13。啓示 6:16,17)こうして,それらのみ使いによって,「神の怒りは終わりに至る」のです。しかしヨハネは,災厄を注ぎ出す様子を描写する前に,それらの災厄によっても不利な影響を受けない,ある人々について,わたしたちに告げています。野獣の印を拒んできた,それら忠節な人たちは,神の復しゅうの日をふれ告げつつ,エホバをほめ歌います。―啓示 13:15-17。

      モーセの歌と子羊の歌

      4 ヨハネの前にどんな眺望が開けますか。

      4 今や,ヨハネの前に広々とした眺望が開けます。「そしてわたしは,火の混じった,ガラスのような海と思えるもの,また,野獣とその像とその名の数字から勝利を得る者たちが神のたて琴を持って,そのガラスのような海のそばに立っているのを見た」― 啓示 15:2。

      5 「火の混じった,ガラスのような海」は何を表わしていますか。

      5 「ガラスのような海」は,神のみ座の前にあるのをヨハネが以前に見たのと同じものです。(啓示 4:6)それは,祭司たちが身を清めるための水を入手する場所であった,ソロモンの神殿の「鋳物の海」(水を入れる容器)と同じようなものです。(列王第一 7:23)ですから,それは「水の洗い」,つまり神のみ言葉をよく表わしています。イエスはそのみ言葉によって,油そそがれたクリスチャンの祭司の会衆を清められるのです。(エフェソス 5:25,26。ヘブライ 10:22)このガラスのような海は『火が混じって』いるので,それら油そそがれた者たちは自分たちのために定められている高い規準に従う際,試され,清浄にされることを示唆しています。さらに,この海は神のみ言葉にはその敵に対する火のような裁きの表現も含まれていることを思い起こさせます。(申命記 9:3。ゼパニヤ 3:8)そのような火のような裁きの幾つかが,今や注ぎ出されようとしている最後の七つの災厄の中で明らかにされています。

      6 (イ)天のガラスのような海の前に立っている歌うたいたちとはだれですか。どうしてそれが分かりますか。(ロ)彼らはどのようにして『勝利を得ました』か。

      6 ソロモンの神殿の鋳物の海は祭司たちが使うためのものであったことは,天のガラスのような海の前に立っている歌うたいたちが祭司級の人たちであることを示唆しています。彼らは「神のたて琴」を持っていますから,わたしたちは彼らを24人の長老ならびに14万4,000人の人たちと結びつけます。というのは,これらのグループの人たちもやはり,たて琴の伴奏に合わせて歌うからです。(啓示 5:8; 14:2)ヨハネが見る歌うたいたちは,「野獣とその像とその名の数字から勝利」を得ます。ですから,彼らは,終わりの日の期間中地上で生活する14万4,000人の中から来る人たちであるに違いありません。それらの人たちは確かに一つの集団として勝利者となります。彼らは1919年以来,ほぼ90年間,野獣の印を受ける,もしくはその像に平和のための人間の唯一の希望として頼ることを拒んできました。彼らの多くはすでに死に至るまで忠実に忍耐したので,なお地上にいる仲間の兄弟たちの歌う歌声に,今や天で特別の喜びを抱いて従っています。―啓示 14:11-13。

      7 古代のイスラエルでは,たて琴はどのように用いられましたか。ヨハネの幻の中に神のたて琴があることは,わたしたちにどのように影響を及ぼすはずですか。

      7 困難を克服したそれら忠節な人たちは,神のたて琴を持っています。この点で,彼らは,たて琴の伴奏に合わせて歌を歌ってエホバを崇拝した,昔の神殿のレビ人に似ています。中には,たて琴の伴奏に合わせて預言した人たちもいました。(歴代第一 15:16; 25:1-3)たて琴の美しい調べは,イスラエルの喜びの歌やエホバに対する賛美や感謝の祈りの言葉を美しく飾りました。(歴代第一 13:8。詩編 33:2; 43:4; 57:7,8)抑圧されたり,捕囚にされたりした時代には,たて琴の調べは聞かれませんでした。(詩編 137:2)この幻の中に神のたて琴があることは,わたしたちの神への喜びにあふれた賛美と感謝の勝利の歌が歌われることに対する,わたしたちの期待感を高めるはずです。a

      8 どんな歌が歌われていますか。それはどんな歌詞の歌ですか。

      8 それこそヨハネが伝えている事柄です。「そして,彼らは神の奴隷モーセの歌と子羊の歌を歌ってこう言う。『全能者なるエホバ神,あなたのみ業は偉大で,驚くべきものです。とこしえの王よ,あなたの道は義にかない,真実です。エホバよ,本当にだれがあなたを恐れないでしょうか,あなたのみ名の栄光をたたえないでしょうか。ただあなただけが忠節な方だからです。あらゆる国民はみ前に来て崇拝するのです。あなたの義なる定めは明らかにされたからです』」― 啓示 15:3,4。

      9 その歌は一つには,「モーセの歌」と呼ばれていますが,それはどうしてでしょうか。

      9 それらの勝利者たちは「モーセの歌」,すなわち同様の状況のもとでモーセが歌ったのと同じような歌を歌います。イスラエル人がエジプトに臨んだ十の災厄と紅海でのエジプト軍の滅びを目撃した後,モーセはエホバへのそのような勝利の賛美の歌を彼らが歌うのを指揮して,「エホバは定めなく,まさに永久に王として支配される」とふれ告げました。(出エジプト記 15:1-19)野獣と戦って勝利を得,最後の七つの災厄をふれ告げることに関係している,ヨハネの幻の中の歌うたいたちがやはり「とこしえの王」のために歌うのは,何と適切なことでしょう。―テモテ第一 1:17。

      10 ほかのどんな歌がモーセによって作られましたか。その歌の最後の節は今日の大群衆とどのように関係していますか。

      10 イスラエルがカナンを征服する準備をした時分に作られた,もう一つの歌の中で,年老いたモーセはイスラエル国民に,『わたしはエホバの名をふれ告げる。わたしたちの神に偉大さを帰せよ!』と告げました。この歌の最後の節もまた,イスラエル人ではない人々に励みを与えました。「諸国民よ,神の民と共に喜べ」という,霊感を受けたモーセの言葉は,まさしく今日の大群衆の時代にまで及んでいます。では,諸国民はなぜ喜ぶべきでしょうか。なぜなら,今やエホバが『その僕たちの血の復しゅうをし,ご自分の敵対者たちに報復なさる』からです。こうして義の裁きが執行されると,エホバを待ち望む人はすべて歓喜することでしょう。―申命記 32:3,43。ローマ 15:10-13。啓示 7:9。

      11 ヨハネが聞いた歌は,どのように成就し続けていますか。

      11 モーセ自身,今,主の日にいたなら,どんなにか歓んで,『あらゆる国民はみ前に来て崇拝します』と歌う天の合唱に加わって歌ったことでしょう。このたぐいない歌は,今日,わたしたちが見ている通り,単に幻の中だけでなく,諸「国民」の中からエホバの地上の組織に喜びながら群がって入って来る何百万もの人々という現に存在する事実として,驚くべき仕方で成就し続けています。

      12 勝利を得る者たちの歌が「子羊の歌」とも呼ばれているのはどうしてですか。

      12 それにしても,これは単にモーセの歌だけでなく,「子羊」の歌でもあります。それはどうしてでしょうか。モーセはイスラエルに対するエホバの預言者でしたが,モーセ自身,エホバが彼のような一人の預言者を起こされると預言しました。その預言者とは子羊,つまりイエス・キリストでした。モーセは「神の奴隷」でしたが,イエスは神のみ子,つまり事実上,大いなるモーセでした。(申命記 18:15-19。使徒 3:22,23。ヘブライ 3:5,6)したがって,歌うたいたちは「子羊の歌」をも歌います。

      13 (イ)イエスはモーセよりも大いなる方なのに,モーセのような方であるというのは,どういう訳ですか。(ロ)わたしたちはどのようにして歌うたいたちと声を和することができるでしょうか。

      13 イエスはモーセのように,神を公に称賛し,すべての敵に対する神の勝利について預言なさいました。(マタイ 24:21,22; 26:30。ルカ 19:41-44)イエスはまた,諸国民がエホバを賛美するためにやって来る時代の到来を期待し,それを可能にするために自らを犠牲にする「神の子羊」として,ご自分の人間としての命をお捨てになりました。(ヨハネ 1:29。啓示 7:9。イザヤ 2:2-4; ゼカリヤ 8:23と比較してください。)また,モーセが神のみ名エホバを正しく認識して,そのみ名をほめたたえるようになったのと同様,イエスも神のみ名を明らかに示しました。(出エジプト記 6:2,3。詩編 90:1,17。ヨハネ 17:6)エホバは忠節な方ですから,その輝かしい約束は必ず成就します。ですから,わたしたちは確かに,それら忠節な歌うたいたちと,子羊やモーセと一致して,「本当にだれがあなたを恐れないでしょうか,あなたのみ名の栄光をたたえないでしょうか」という,その歌の言葉に賛同いたします。

      鉢を携えているみ使いたち

      14 ヨハネはだれが聖なる所から現われるのを見ますか。何が彼らに与えられますか。

      14 わたしたちがそれら油そそがれた征服者たちの歌を聞くのは,ふさわしいことです。なぜでしょうか。なぜなら,彼らは神の怒りを満たした鉢に含まれている裁きを地上で広く知らせてきたからです。しかし,それらの鉢から注ぐことは,ヨハネがさらに示しているように,単なる人間以上の事柄が関係しています。「また,これらのことの後にわたしが見ると,天において証しの天幕の聖なる所が開かれ,七つの災厄を携えた七人のみ使いが聖なる所から現われ出た。清い,輝く亜麻布をまとい,胸には黄金の帯を締めていた。そして,四つの生き物の一つが,それら七人のみ使いに,限りなく永久に生きておられる神の怒りを満たした七つの黄金の鉢を与えた」― 啓示 15:5-7。

      15 七人のみ使いが天の聖なる所から出て来ても,どうして驚くには及びませんか。

      15 天の事物を表わすものが入っていた,イスラエル人の神殿について言えば,ただ大祭司だけが,ここでは「聖なる所」と呼ばれている至聖所に入ることができました。(ヘブライ 9:3,7)それは天のエホバのおられる場所を表わしています。しかし,天そのものの中では,大祭司イエス・キリストだけでなく,み使いたちもエホバのみ前に入る特権を持っています。(マタイ 18:10。ヘブライ 9:24-26)ですから,七人のみ使いが天の聖なる所から出て来るのが見えても,驚くには及びません。彼らはエホバ神ご自身から受けた,神の怒りを満たした鉢から注ぎ出すように,という使命を帯びています。―啓示 16:1。

      16 (イ)七人のみ使いには自分たちの仕事をする十分の資格がありますが,何がそのことを示していますか。(ロ)象徴的な鉢から注ぎ出す,大きな仕事にほかの者たちも関係していることを何が示唆していますか。

      16 それらのみ使いには,この仕事をする十分の資格があります。み使いたちは清い,輝く亜麻布をまとっており,自分たちが霊的に清い聖なる者で,エホバの目の前で義にかなっていることを示しています。また,彼らは黄金の帯を締めています。帯は普通,人が成し遂げるべき仕事のために用意をする際に使います。(レビ記 8:7,13。サムエル第一 2:18。ルカ 12:37。ヨハネ 13:4,5)それで,み使いたちはある割り当てを遂行する用意ができています。その上,彼らの帯は黄金です。古代の幕屋では,金は天の神聖な事物を表わすために使われました。(ヘブライ 9:4,11,12)これは,それらのみ使いたちに神からの遂行すべき奉仕の貴重な使命があることを意味しています。この大きな仕事にはほかの者たちも関係しています。四つの生き物の一つが実際の鉢をみ使いたちに渡します。その生き物は多分,エホバの裁きをふれ告げるのに必要な大胆さと不屈の勇気を象徴する,ライオンに似た第一の生き物だったでしょう。―啓示 4:7。

      ご自分の聖なる所におられるエホバ

      17 ヨハネは聖なる所について,どんなことをわたしたちに告げますか。それはどのように古代イスラエルの聖なる所について思い起こさせますか。

      17 最後に,ヨハネは幻のこの部分を説明し終えるに当たって,わたしたちにこう告げています。「すると,神の栄光のゆえに,またその力のゆえに聖なる所は煙で満たされ,七人のみ使いの七つの災厄が終わるまでだれも聖なる所の中へ入ることはできなかった」。(啓示 15:8)イスラエルの歴史の中で,雲が文字通りの聖なる所を覆い,こうしてエホバの栄光が現われたため,祭司たちはそこに入れなくなったことが何度かありました。(列王第一 8:10,11。歴代第二 5:13,14。イザヤ 6:4,5と比較してください。)それらの時期に,エホバは地上の事態の進展に活発に関係をお持ちになりました。

      18 七人のみ使いはエホバに報告するため,いつ戻りますか。

      18 エホバは今も,地上で起きている事柄に深い関心を抱いておられます。そして,七人のみ使いに彼らの割り当てを完了させたいと思っておられます。今は,詩編 11編4節から6節で次のように述べられている通り,裁きが最高潮に達する時代です。「エホバはその聖なる神殿におられる。エホバは ― その王座は天にある。その目が見,その輝く目が人の子らを調べる。エホバは義なる者をも邪悪な者をも自ら調べ,その魂は暴虐を愛する者を必ず憎む。神は邪悪な者たちの上に,わな,火と硫黄,燃える風を,その杯の分として降らせる」。それら七つの災厄が邪悪な者たちの上に注がれるまで,七人のみ使いは,非常に高い所におられるエホバのみ前には戻りません。

      19 (イ)どんな命令が出されますか。どなたがそれを出しますか。(ロ)象徴的な鉢から注ぐことは,いつ始められたに違いありませんか。

      19 畏敬の念を起こさせる命令がごうごうと鳴り響きます。「そして,わたしは聖なる所から出る大きな声が七人のみ使いにこう言うのを聞いた。『行って,神の怒りの七つの鉢の中から地に注ぎ出しなさい』」。(啓示 16:1)どなたがこの命令を出すのでしょうか。それはエホバであられるに違いありません。というのは,その栄光と力の光輝のために,ほかの者はだれも聖なる所に入れなかったからです。エホバは1918年に裁きを行なうため,ご自分の霊的な神殿に来られました。(マラキ 3:1-5)ですから,エホバはその年の後,間もなく,神の怒りの鉢から注ぎ出すようにとの命令をお与えになったに違いありません。事実,その象徴的な鉢に含まれていた裁きの言葉は,1922年に激しい勢いでふれ告げられ始めました。そして,彼らのふれ告げる声は今日,しだいに高まり,増大しています。

      鉢とラッパの音

      20 エホバの怒りの鉢は何を明らかにし,何について警告しますか。それはどのように注ぎ出されますか。

      20 エホバの怒りの鉢は,世界の舞台の特徴をエホバがどのように見ておられるかを明らかにし,エホバが執行なさる裁きについて警告します。み使いたちは,モーセの歌と子羊の歌を歌っている,地上の油そそがれたクリスチャンの会衆によって,その鉢から注ぎ出します。ヨハネ級の人たちは王国を良いたよりとしてふれ告げる一方,それらの怒りの鉢の内容を大胆に明らかにしてきました。(マタイ 24:14。啓示 14:6,7)ですから,彼らの二重の目的のある音信は,人類に自由をふれ告げる点で穏やかなものですが,「わたしたちの神の側の復しゅうの日」について警告する点では戦闘的なものでした。―イザヤ 61:1,2。

      21 神の怒りの最初の四つの鉢の標的は,最初の四つのラッパの音のそれにどのように対応しますか。それはどの点で異なっていますか。

      21 神の怒りの最初の四つの鉢の標的は,最初の四つのラッパの音のそれに対応しています。それはすなわち,地,海,川と水のわき出るところ,および天の光の源です。(啓示 8:1-12)しかし,ラッパの音は「三分の一」に対する災厄を告げ知らせましたが,神の怒りの鉢から注ぎ出されるものは全体を悩ませます。ですから,「三分の一」であるキリスト教世界が主の日の期間中,まず最初に注目されてきたとはいえ,サタンの体制の一部分で,エホバの裁きの忌まわしい音信とそれがもたらす悲しみによる苦しみを免れてきたものは一つもありません。

      22 最後の三つのラッパの音はどのように異なっていましたか。それはエホバの怒りの最後の三つの鉢とどのように関係していますか。

      22 最後の三つのラッパの音は異なっていました。というのは,それらは災いと呼ばれたからです。(啓示 8:13; 9:12)その最初の二つは特にいなごと騎兵隊で構成されていましたが,第三のものはエホバの王国の誕生を紹介しました。(啓示 9:1-21; 11:15-19)これから分かりますが,神の憤りの最後の三つの鉢もまた,それらの面のある点を扱いますが,三つの災いとは多少異なっています。今度は,エホバの怒りの鉢から注ぎ出される結果,明らかにされる劇的な事柄によく注意してみましょう。

      [脚注]

      a 興味深いことに,ヨハネ級の人たちは1921年に,「神の立琴」と題する,聖書研究の手引きを発表しました。その手引きは20余りの言語で500万部以上頒布され,さらに多くの油そそがれた歌うたいたちを連れて来るのに役立ちました。

  • 終わりに至る神の怒り
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 32章

      終わりに至る神の怒り

      1 七つの鉢の中身が最終的に注ぎ出されると,何が起きますか。それらの鉢に関して,今,どんな質問が起きますか。

      ヨハネは,七つの鉢の中身を注ぐ使命を帯びたみ使いたちをすでに紹介しました。そして,わたしたちに,「これは最後の者たちである。彼らによって神の怒りは終わりに至るからである」と告げています。(啓示 15:1; 16:1)地上の邪悪な事柄に対するエホバの制裁行為を明らかにする,それらの災厄は,最終的に注ぎ出されなければなりません。それが終わる時,神の裁きは執行されていることでしょう。サタンの世はもはや存在しなくなります! それらの災厄は人類と現在の邪悪な体制の支配者たちにとって何を予示していますか。クリスチャンはどうすれば,滅びに定められたこの世と共に災難に遭わないようにすることができますか。これは大変重要な質問ですから,今その答えを得ておかなくてはなりません。義の勝利を待ち焦がれている人は皆,ヨハネが次に見る事柄に深い関心を抱くことでしょう。

      「地」に対するエホバの憤り

      2 第一のみ使いが鉢の中から地に注ぎ出す結果,何が生じますか。「地」は何を象徴していますか。

      2 第一のみ使いは行動を開始します!「そして,第一の者が出て行って,自分の鉢の中から地に注ぎ出した。すると,害をもたらす悪性のかいようが,野獣の印を持ち,その像を崇拝していた者たちに生じた」。(啓示 16:2)最初のラッパの音の場合と同様,ここで出てくる「地」は,4,000年余の昔,ニムロデの時代にサタンがこの地上で築き始めた,安定しているように見える政治体制を象徴しています。―啓示 8:7。

      3 (イ)多くの政府は崇拝に相当することをどのように臣民に要求してきましたか。(ロ)諸国家は神の王国に代わるものとして何を作り出しましたか。それを崇拝する人々はどんな影響を受けますか。

      3 終わりの日の今日,崇拝に相当することを臣民に要求し,国家を神,もしくは他のいかなる忠誠心よりも高められなければならないと主張する政府は少なくありません。(テモテ第二 3:1。ルカ 20:25; ヨハネ 19:15と比較してください。)1914年以来,現代の歴史の多くのページを血で染めた総力戦のような戦争で戦うよう,あるいは戦う用意をするよう国家が若い人々を徴兵するのは,普通の事柄となってきました。主の日の期間中,諸国家はまた,神の王国に代わるものとして獣の像,つまり国際連盟,ならびにその後身である国際連合を作り出しました。近年,法王たちがしてきたように,人間の作ったこの機関が平和のための諸国家の唯一の望みであると宣言するのは,何という冒とくでしょう。その機関は神の王国に頑強に反対しています。それを崇拝する人々は,モーセの時代にエホバに反対したエジプト人が文字通りのはれ物やかいようで苦しめられたのと全く同様,霊的に汚れて,かいようができるようになります。―出エジプト記 9:10,11。

      4 (イ)神の怒りの最初の鉢の中身は何を大いに強調していますか。(ロ)エホバは野獣の印を受ける人々をどのようにみなされますか。

      4 この鉢の中身は,人間の前に置かれている選択の機会を大いに強調しています。つまり,世の不興を買うか,エホバの義憤に遭うか,いずれかを選ばねばなりません。人間は野獣の印を受けるよう強制されてきました。それは,「その印,つまり野獣の名もしくはその名の数字を持つ者以外にはだれも売り買いできないようにする」ためです。(啓示 13:16,17)しかし,印を受けるなら,払わねばならない代償があります! エホバは,印を受ける人々を「害をもたらす悪性のかいよう」に冒された者とみなされます。1922年以来,そのような人々は生ける神を退けた者として公に印づけられてきました。彼らの政治的な企ては功を奏さないので,彼らは苦悩しており,霊的に汚れています。彼らが悔い改めない限り,「害をもたらす」この病は末期的なものとなります。というのは,今はエホバの裁きの日だからです。この世の事物の体制の一部になるのと,キリストの側に付いてエホバに仕えることとの間には中立的な立場はありません。―ルカ 11:23。ヤコブ 4:4と比較してください。

      海は血のようになる

      5 (イ)第二の鉢の中身が注ぎ出されると,何が起きますか。(ロ)エホバは,象徴的な海に住んでいる人たちをどのようにみなしておられますか。

      5 今や,神の怒りの第二の鉢の中身を注ぎ出さなければなりません。それは人類にとって何を意味しますか。ヨハネはわたしたちにこう告げます。「また,第二の者がその鉢の中から海に注ぎ出した。すると,それは死人の血のようになり,すべての生きた魂が,しかり,海にあるものが死んだ」。(啓示 16:3)第二のラッパの音と同様,この鉢は海に,つまりエホバから離反した人類の沸き立つ反抗的な集団に向けられています。(イザヤ 57:20,21。啓示 8:8,9)この「海」はエホバの目には血のようで,生き物が住むのに適していません。そのような訳で,クリスチャンは世のものであってはなりません。(ヨハネ 17:14)神の怒りの第二の鉢の中身を注ぎ出すことは,この海に住んでいる人間がすべてエホバの見地からすれば死んでいることを明らかにしています。人類には共同責任があるゆえに,無実の人間の血を流したゆゆしい罪があります。エホバの怒りの日が到来すると,それらの人々は神の刑執行隊の手にかかって文字通り死ぬでしょう。―啓示 19:17,18。エフェソス 2:1; コロサイ 2:13と比較してください。

      彼らに血を与えて飲ませる

      6 第三の鉢の中身が注ぎ出されると,何が起きますか。み使いや祭壇から出るどんな言葉が聞こえますか。

      6 神の怒りの第三の鉢は第三のラッパの音と同様,淡水の源に影響を及ぼします。「また,第三の者がその鉢の中から川と水のわき出るところとに注ぎ出した。すると,それらは血になった。そしてわたしは,水をつかさどるみ使いがこう言うのを聞いた。『今おられ,かつておられた方,忠節な方,あなたは義にかなっておられます。このような決定を下されたからです。彼らは聖なる者と預言者たちの血を注ぎ出しましたが,あなたは彼らに血を与えて飲ませました。彼らはそうされるに価するのです』。また,わたしは祭壇がこう言うのを聞いた。『そうです,全能者なるエホバ神,あなたの司法上の決定は真実で義にかなっています』」― 啓示 16:4-7。

      7 「川と水のわき出るところ」は何を表わしていますか。

      7 これらの「川と水のわき出るところ」は,人間の行動や決定を導く,政治的,経済的,科学的,教育的,社会的,ならびに宗教的哲学のような,この世に受け入れられる指針や知恵のいわゆる新しい源を表わしています。人々は命を与える真理を命の泉であられるエホバに仰ぐ代わりに,『自分たちのために壊れた水溜めを切り掘って』,『神にとっては愚かなもの[である]この世の知恵』をいわばいっぱい飲みました。―エレミヤ 2:13。コリント第一 1:19; 2:6; 3:19。詩編 36:9。

      8 人類はどのようにして血の罪を負ってきましたか。

      8 このような汚れた「水」は,例えば,種々の戦争で途方もない規模で行なわれてきた流血を助長して,人々に血の罪を負わせるものとなりました。20世紀には戦争で1億人以上の人命が奪われました。特に,世界大戦が二度起きたキリスト教世界の人々は,『罪のない血を流そうと急ぎ』ました。その血には神ご自身の証人たちの血も含まれています。(イザヤ 59:7。エレミヤ 2:34)人類はまた,エホバの義にかなった律法を破って輸血を行ない,膨大な量の血を誤用して血の罪を負ってきました。(創世記 9:3-5。レビ記 17:14。使徒 15:28,29)そのため,輸血によってエイズ,肝炎,その他の病気のまん延を招き,悲惨な結果をすでに刈り取ってきました。違反を犯す者たちが間もなく,「神の怒りの大きなぶどう搾り場」で踏まれて最高刑に処せられる時,すべての血の罪に対する報復が十分に行なわれるでしょう。―啓示 14:19,20。

      9 第三の鉢の中身を注ぎ出すことには何が関係していますか。

      9 モーセの時代にナイル川が血に変えられた時,エジプト人はほかの水の源を捜し求めて,生き続けることができました。(出エジプト記 7:24)しかし霊的な災厄が続いている期間の今日,人々が命を与える水を見いだせる場所はサタンの世にはありません。この第三の鉢の中身を注ぎ出すことには,この世の「川と水のわき出るところ」は血と化しており,その水を飲む人々すべてに霊的な死をもたらすという事実を告げ知らせることが関係しています。人々はエホバに頼らない限り,その不利な裁きを刈り取ります。―エゼキエル 33:11と比較してください。

      10 「水をつかさどるみ使い」は何を知らせますか。「祭壇」はどんな証言を付け加えますか。

      10 「水をつかさどるみ使い」,すなわちこの鉢の中身を水に注ぐみ使いは,エホバを宇宙的な裁き主としてあがめています。この方の義にかなった決定は絶対的なものです。ですから,その裁きについて,このみ使いは,「彼らはそうされるに価するのです」と述べています。恐らく,このみ使いは自らも現在の邪悪な世の偽りの教えや人生哲学によって何千年にもわたって助長されてきた流血行為や残虐行為の多くを目撃してきたことでしょう。したがって,エホバの司法上の決定が正しいことを知っています。神の「祭壇」さえも大声で語ります。啓示 6章9節と10節では,殉教の死を遂げた人たちの魂は,その祭壇の基のところにあると言われています。ですから,「祭壇」はエホバの決定の公正さと義に関する強力な証言を付け加えています。a 血をおびただしく流したり,誤用したりしてきた人々が,エホバにより死刑に処せられることを象徴するものとして,強制的に血を飲まされるのは,確かにふさわしいことです。

      人を火で焦がす

      11 神の怒りの第四の鉢の標的は何ですか。その鉢の中身が注ぎ出されると,何が起きますか。

      11 神の怒りの第四の鉢の標的は太陽です。ヨハネはわたしたちにこう告げます。「また,第四の者がその鉢の中から太陽の上に注ぎ出した。すると,太陽には,人を火で焦がすことが許された。そして,人々は激しい熱で焦がされたが,彼らは,これらの災厄に対して権威を持たれる神の名を冒とくし,悔い改めて神に栄光を帰するようにはならなかった」― 啓示 16:8,9。

      12 この世の「太陽」とは何ですか。この象徴的な太陽は何をすることが許されますか。

      12 事物の体制の終結の時である今日,イエスの霊的な兄弟たちは,『その父の王国で太陽のように明るく輝きます』。(マタイ 13:40,43)イエスご自身は「義の太陽」です。(マラキ 4:2)ところが,人間には自分自身の「太陽」があります。つまり,神の王国に反対して輝こうとする支配者たちがいます。第四のラッパの音は,キリスト教世界の天の『太陽や月や星』が実際には光ではなく,闇の源であることをふれ告げました。(啓示 8:12)神の怒りの第四の鉢は今や,世の「太陽」が耐えられないほど熱くなることを示しています。太陽のような指導者として仰がれた者たちは,人類を『焦がし』ます。そうすることが象徴的な太陽に許されるのです。言い換えれば,エホバは人類に対するご自分の火のような裁きの一環として,そうすることを許されるのです。そのように焦がすことは,どのようにして起きましたか。

      13 この世の太陽のような支配者たちは,どのような仕方で人類を『焦がして』きましたか。

      13 第一次世界大戦後,この世の支配者たちは世界の安全の問題を解決する試みの一環として国際連盟を結成しましたが,それは失敗しました。それで,ファシズムやナチズムのような他の実験的な支配形態が試みられました。共産主義は伸張し続けました。これら諸体制内の太陽のような支配者たちは,人類の宿命を改善するどころか,『人間を激しい熱で焦がし』始めました。スペイン,エチオピア,および満州における局地的な戦いが重なって第二次世界大戦となりました。現代の歴史の記録は,ムッソリーニ,ヒトラー,およびスターリンなどの独裁者が自分たちの多数の同胞を含め,何千万もの人々の死に対して直接または間接的に責任を負うようになったことを示しています。もっと近年では,国際的紛争もしくは内紛のために,ベトナム,カンボジア,イラン,レバノン,およびアイルランドも,またラテンアメリカやアフリカの諸国の人々も「焦がされ」てきました。それに加えて,全人類を焼き滅ぼし得る恐るべき核兵器を有する超大国間の闘争が続いています。終わりの日の今日,人類は確かに焼き焦がす「太陽」,つまり不義の支配者たちにさらされてきました。神の怒りの第四の鉢の中身を注ぎ出すことにより,これらの歴史的な事実が的確に指摘され,神の民はそれを地上の至る所でふれ告げてきました。

      14 エホバの証人は,何が人類の諸問題の唯一の解決策であることを一貫して教えてきましたか。人類は全体としてどんな反応を示していますか。

      14 エホバの証人は一貫して,神の王国こそ人類の厄介な諸問題の唯一の解決策であることを教えてきました。エホバはその王国を通してご自分のみ名を神聖なものにすることを意図しておられます。(詩編 83:4,17,18。マタイ 6:9,10)ところが,人類は全体として,この解決策に耳を傾けようとはしません。また,その王国を退ける多くの人々は,ちょうどエホバの主権を認めようとしなかったファラオがした通り,神の名を冒とくします。(出エジプト記 1:8-10; 5:2)それら反対者たちはメシアによる王国に少しも関心がないため,圧制的な人間による支配権という彼ら自身のしゃく熱の「太陽」のもとで苦しむことを好みます。

      野獣の座

      15 (イ)第五の鉢の中身は何の上に注ぎ出されますか。(ロ)「野獣の座」とは何ですか。鉢の中身をその上に注ぎ出すことには何が関係していますか。

      15 次のみ使いはその鉢の中身を何の上に注ぎ出しますか。「また,第五の者がその鉢の中から野獣の座の上に注ぎ出した」。(啓示 16:10[前半])「野獣」とはサタンの行政上の体制のことです。野獣それ自体文字通りの動物ではないのと同様,それは文字通りの王座を持っていません。しかし,この句が座に言及していることは,野獣が人類に対して王の権威を行使してきたことを示しています。このことは,獣の各々の角に堂々とした王冠が着けられている事実と調和しています。実際,「野獣の座」はそのような権威の基,もしくは源です。b 聖書は,「龍は自分の力と座と大きな権威をその野獣に与えた」と述べて,野獣の持つ王の権威に関する真相を明らかにしています。(啓示 13:1,2。ヨハネ第一 5:19)ですから,鉢の中身を野獣の座の上に注ぎ出すことには,野獣を支え,その働きを助長する点でサタンが演じてきた,また今なお演じている真の役割を明らかにして告げ知らせることが関係しています。

      16 (イ)諸国家は気づいていようがいまいが,だれに仕えていますか。説明してください。(ロ)この世はどのようにサタンの性格を反映していますか。(ハ)野獣の座はいつ覆されますか。

      16 サタンと諸国家とのこうした関係はどのようにして維持されていますか。サタンはイエスを誘惑した時,幻の中で世のすべての王国を示し,『その権威すべてとそれらの栄光』を提供しました。しかし,一つの条件がありました。つまり,イエスはまず最初に,サタンの前で一度だけでも崇拝行為をしなければなりませんでした。(ルカ 4:5-7)世の諸政府がそれ以下の代償を払って自分たちの権威を受けるなどと考えられますか。決して考えられません。聖書によれば,サタンはこの事物の体制の神ですから,諸国家は気づいていようがいまいが,サタンに仕えているのです。(コリント第二 4:3,4)c この事情は,狭量な国家主義,憎しみ,および利己心の上に築かれている現在の世の体制の構造のうちに示されています。その体制はサタンの望む仕方で ― 人類を自分の支配下に引き止めておくために組織されています。政府内部の腐敗,権力欲,うそを使う外交術,軍備競争などは,サタンの卑劣な性格を反映しています。この世はサタンの不義の規準に同意して,サタンを自分たちの神としています。あの獣が消滅し,神の女の胤が最終的にまさしくサタンを底知れぬ深みに陥れる時,野獣の座は覆されてしまいます。―創世記 3:15。啓示 19:20,21; 20:1-3。

      闇と責めさいなむような苦痛

      17 (イ)第五の鉢の中身を注ぎ出すことは,野獣の王国を常に包んできた霊的な闇とどのように関係していますか。(ロ)人々は神の怒りの第五の鉢の中身が注ぎ出されることに対してどのように反応しますか。

      17 この野獣の王国はその始まり以来,霊的な闇のうちにありました。(マタイ 8:12; エフェソス 6:11,12と比較してください。)第五の鉢は,この闇に関する強烈な公の発表を行なわせます。劇的な仕方で述べさせることさえします。この神の怒りの鉢の中身はまさしく象徴的な野獣の座の上に注ぎ出されるからです。「すると,その王国は暗くなり,彼らは苦痛のあまり自分の舌をかみはじめた。しかし,その苦痛とかいようのために天の神を冒とくし,自分の業を悔い改めなかった」― 啓示 16:10(後半),11。

      18 第五のラッパの音と神の怒りの第五の鉢との間には,どんな類似点がありますか。

      18 第五のラッパの音と神の怒りの第五の鉢は厳密には同じものではありません。というのは,ラッパの音はいなごの災厄の先触れとなったからです。しかし,あのいなごの災厄が下されると,太陽や空気が暗くなったことに注目してください。(啓示 9:2-5)それに,出エジプト記 10章14節と15節には,エホバがエジプトを悩ますのに用いられたいなごに関して,こう記されています。「それは極めて重苦しいものであった。以前にそれほどのいなごがこうして現われたことはなく,こうして現われることはその後にもないであろう。そして,それらはその全土の見える表面を覆ってゆき,地は暗くなった」。そうです,闇です! 今日,第五のラッパが鳴り響き,神の怒りの第五の鉢の中身が注ぎ出されてきた結果,世の霊的な闇はあまりにもはっきりと示されてきました。現代のいなごの大群のふれ告げる,刺すような痛みを与える音信は,『光よりむしろ闇を愛してきた』邪悪な者たちに責め苦と苦痛をもたらします。―ヨハネ 3:19。

      19 啓示 16章10節と11節に調和して,サタンはこの事物の体制の神であることが公に暴露されると,何が起きますか。

      19 世の支配者であるサタンは,多くの不幸や苦しみを引き起こしてきました。飢きん,戦争,暴力行為,犯罪,麻薬の乱用,不道徳,性行為感染症,不正,宗教的偽善その他,さらに多くの悪事は,サタンの事物の体制の特徴です。(ガラテア 5:19-21と比較してください。)それにしても,サタンはこの事物の体制の神であることが公に暴露されたため,サタンの規準にしたがって生活する人々は苦しめられ,当惑させられました。とりわけ,キリスト教世界では,「彼らは苦痛のあまり自分の舌をかみはじめ」ました。多くの人々は自分たちの生き方が真理によって暴露されるので憤慨します。中には,それを脅威とみなし,そのような真理を公に知らせる人たちを迫害する者もいます。そのような者たちは神の王国を退け,エホバの聖なるみ名をののしります。彼らは宗教的に病んで,かいようにかかっている状態があらわにされるので,天の神を冒とくします。いえ,彼らは『自分たちの業を悔い改め』ません。ですから,この事物の体制が終わる前に大がかりな改宗が行なわれるとは期待できません。―イザヤ 32:6。

      ユーフラテス川はかれた

      20 第六のラッパの音と第六の鉢の中身が注ぎ出されることは両方ともユーフラテス川とどのように関係していますか。

      20 第六のラッパの音は「大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使い」が放たれることを告げ知らせました。(啓示 9:14)歴史的に言って,バビロンはユーフラテス河畔に位置した大きな都市でした。それで,1919年に象徴的な四人のみ使いが放たれると共に,大いなるバビロンの重大な倒壊が生じました。(啓示 14:8)ですから,神の怒りの第六の鉢がユーフラテス川とも関係していることは,注目に値します。「また,第六の者がその鉢の中から大川ユーフラテスの上に注ぎ出した。すると,その水はかれてしまった。日の昇る方角から来る王たちのために道が備えられるためであった」。(啓示 16:12)これもまた,大いなるバビロンにとっては悪い知らせです!

      21,22 (イ)西暦前539年に,保護の役目をするユーフラテス川の水はバビロンにとってどのようにかれましたか。(ロ)大いなるバビロンは「水」の上に座っていますが,その「水」とは何ですか。その象徴的な水は今でさえどのようにかれかかっていますか。

      21 古代バビロンが最盛期を迎えたころ,水量豊かなユーフラテス川の流れはこの都の防衛体制の要の一つでした。西暦前539年にペルシャ人の指導者キュロスがその水を別の水路へ引いた時,川の水はかれました。こうして,「日の昇る方角」(すなわち,東)から来る王たち,ペルシャ人キュロスとメディア人ダリウスがバビロンに入って,これを征服する道が開かれました。その危急の時に臨んで,ユーフラテス川はこの大いなる都を防衛するのに役立ちませんでした。(イザヤ 44:27–45:7。エレミヤ 51:36)同様のことが,偽りの宗教の世界的な制度である現代のバビロンにもまさに起きようとしています。

      22 大いなるバビロンは『多くの水の上に座っています』。啓示 17章1節と15節によれば,その水は「もろもろの民と群衆と国民と国語」,つまり同バビロンにより保護者とみなされてきた信奉者の大群を象徴しています。しかし,その「水」はかれようとしています! 以前,大いなるバビロンが大きな影響力を持っていた西欧諸国では,幾千幾百万もの人々が宗教を公然と無視しています。ある国々では,宗教の影響力を一掃しようとする政策が長年にわたって公然と行なわれましたが,それらの国々の一般大衆は宗教のために立ち上がりませんでした。同様に,大いなるバビロンの滅ぼされる時が来る際,しだいに減少しているその信奉者たちは決して保護者とはならないでしょう。(啓示 17:16)大いなるバビロンは何億人もの成員を有していると主張しますが,「日の昇る方角から来る王たち」の前には無防備な状態にあります。

      23 (イ)西暦前539年当時の「日の昇る方角」から来る王たちとはだれでしたか。(ロ)主の日の期間中の「日の昇る方角から来る王たち」とはどなたのことですか。そのお二方はどのように大いなるバビロンを滅ぼされますか。

      23 それら王たちとはだれのことですか。西暦前539年当時,それらの王は古代の都バビロンを征服するためにエホバにより用いられたメディア人ダリウスとペルシャ人キュロスでした。現代の主の日にも,大いなるバビロンの偽りの宗教制度はやはり人間の支配者たちによって滅ぼされます。しかし,この度もまた,その滅びは神からの裁きによるものです。「日の昇る方角から来る王たち」であられるエホバ神とイエス・キリストは,大いなるバビロンを攻撃して完全に滅ぼすという「考え」を人間の支配者たちの心の中に入れます。(啓示 17:16,17)第六の鉢の中身が注ぎ出されることにより,その裁きはまさに執行されようとしていることが公に告げ知らされます!

      24 (イ)最初の六つのエホバの怒りの鉢の中身は,どのようにして公に知らされてきましたか。その結果,どうなりましたか。(ロ)啓示の書は,残っている神の怒りの鉢についてわたしたちに述べる前に,何を明らかにしていますか。

      24 これら最初の六つのエホバの怒りの鉢には,人々に物事を真剣に考えさせる音信が収められています。み使いたちに支えられている,神の地上の僕たちは,それらの鉢の中身を世界的な規模で公に知らせる業に忙しく従事してきました。このようにして,十分な警告がサタンの世の体制の様々な区分に属する人々に伝えられており,エホバは個々の人々が義に心を向けて生きつづけるための機会を持てるようにしてこられました。(エゼキエル 33:14-16)それでもなお,もう一つの神の怒りの鉢が残っています。しかし,啓示の書はその鉢についてわたしたちに述べる前に,サタンとその地上の代理人たちがエホバの裁きを公に知らせる業を妨害しようとしていることを明らかにしています。

      ハルマゲドンに集められる

      25 (イ)ヨハネはかえるのような汚れた「霊感の表現」について,どんなことをわたしたちに告げますか。(ロ)主の日に,かえるのような嫌悪すべき様々な「汚れた霊感の表現」の霊がどのように現われてきましたか。その結果,どうなりましたか。

      25 ヨハネはわたしたちにこう告げます。「そしてわたしは,かえるのように見える三つの汚れた霊感の表現が,龍の口から,野獣の口から,偽預言者の口から出るのを見た。それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである」。(啓示 16:13,14)エホバはモーセの時代に,胸の悪くなるような,かえるの災厄をファラオの治めるエジプトにもたらされました。(出エジプト記 8:5-15)主の日の期間にも,別の源からですが,かえるのような嫌悪すべき霊がやはり現われました。それはサタンの様々な「汚れた霊感の表現」から成っており,明らかに人間の支配者たち,つまり「王たち」すべてをエホバ神に反対させるよう操るために考案された宣伝を象徴しています。サタンはこうして,神の怒りの鉢の中身が注ぎ出されることによって彼らが揺さぶられないようにし,「全能者なる神の大いなる日の戦争」が始まる時,間違いなくサタンの側にしっかりとどまらせるのです。

      26 (イ)サタンの宣伝はどんな三つの源から出て来ますか。(ロ)「偽預言者」とは何ですか。どうしてそれが分かりますか。

      26 その宣伝は,わたしたちがすでに啓示の書の中で対面してきた,「龍」(サタン)と「野獣」(サタンの地上の政治機構)から出て来ます。それにしても,「偽預言者」とは何でしょうか。これは名ばかりの新参者です。わたしたちは以前,七つの頭のある野獣の前で大いなるしるしを行なった,子羊のような二本の角のある野獣を見ました。人を欺くようなこの生き物は,あの野獣のための預言者のように行動しました。それは野獣の崇拝を助長し,その野獣のために像を立てさせることさえしました。(啓示 13:11-14)子羊のような二本の角のあるこの野獣は,ここで言及されている偽預言者と同じものであるに違いありません。この点を確証するものとして,後の箇所で,「偽預言者」は二本の角のある象徴的な野獣のように,「[七つの頭のある野獣]の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした」と記されています。―啓示 19:20。

      27 (イ)イエス・キリストご自身も,時宜を得たどんな警告をお与えになりますか。(ロ)イエスは地上にいた時,どんな警告をお与えになりましたか。(ハ)使徒パウロはイエスの警告をどのように繰り返しましたか。

      27 身の回りにはサタンの宣伝があまりにも多いので,ヨハネの記している次のような言葉は,本当に時宜を得たものです。「見よ,わたしは盗人のように来る。目ざめていて自分の外衣を守り,裸で歩いて自分の恥を人に見られることがないようにする者は幸いである」。(啓示 16:15)だれが「盗人のように」来ようとしていますか。それは,発表されていない時に,エホバの刑執行者として来られるイエスご自身です。(啓示 3:3。ペテロ第二 3:10)イエスも,まだ地上におられた時,ご自分の到来を盗人のそれになぞらえて,こう言われました。「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです」。(マタイ 24:42,44。ルカ 12:37,40)使徒パウロもこの警告を繰り返して,こう述べました。「エホバの日がまさに夜の盗人のように来(ま)す。人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが……彼らに突如として臨みます」。そのような「平和だ,安全だ」という偽りの宣言の背後には必ずサタンがいます。―テサロニケ第一 5:2,3。

      28 世の圧力に抵抗することに関して,イエスはどんな警告をお与えになりましたか。クリスチャンが,自分たちの上に「わなのように」臨むことがないようにと願っている「その日」とは何ですか。

      28 イエスは,宣伝で満たされているこの世がクリスチャンに及ぼす圧力についても警告し,こう言われました。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなた方の心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなた方に臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。……それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」。(ルカ 21:34-36)「その日」とは,「全能者なる神の大いなる日」のことです。(啓示 16:14)エホバの主権の正しさが立証される「その日」が近づくにつれて,生活上の思い煩いに対処することは,いよいよ難しくなってきます。クリスチャンは油断することなく,用心深くし,その日が到来する時まで,目ざめていなければなりません。

      29,30 (イ)眠っているところを見つけられる者たちが外衣を失って辱められるというイエスの警告は何を意味していますか。(ロ)外衣はその着用者がどんな身分の人であることを証明しますか。(ハ)人はどのようにして自分の象徴的な外衣を失う場合がありますか。その結果,どうなりますか。

      29 それにしても,眠っているところを見つけられる者たちが「外衣」を失って辱められるという警告は何を意味していますか。古代イスラエルでは,だれであれ,神殿で見張りの当番をする祭司あるいはレビ人には重い責任がありました。ユダヤ人の注解者たちによれば,だれでもそのような当番をしながら,もし眠っているところを見つけられると,衣をはぎ取られ,それを焼かれて,公に辱められたと言われています。

      30 イエスはここで,今日,同様の事柄が起こり得ることを警告しておられます。祭司やレビ人はイエスの油そそがれた兄弟たちを予表していました。(ペテロ第一 2:9)しかし,イエスの警告は,拡大して解釈すれば,大群衆にも当てはまります。ここで言及されている外衣は,その着用者がエホバのクリスチャン証人であることを証明します。(啓示 3:18; 7:14と比較してください。)だれでも,もしサタンの世の圧力に屈して眠り込んだり,無活動状態に陥ったりするならば,多分自分の外衣を失う ― 言い換えれば,クリスチャンとしての身分を明らかに証明するものを失うでしょう。それは恥ずべき状況でしょう。そうなれば,そのような人は完全に失敗する恐れがあります。

      31 (イ)啓示 16章16節は,クリスチャンが目ざめていなければならないことをどのように強調していますか。(ロ)中には,ハルマゲドンに関して,どのように推測する宗教指導者たちもいますか。

      31 啓示の書の次の節の成就が一層近づくにつれて,クリスチャンが目ざめていることは,いよいよ急を要する事柄となります。「そして,それら[悪霊の霊感による表現]は王たち[地上の王たち,もしくは支配者たち]を,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた」。(啓示 16:16)ハルマゲドンというこの名称は,聖書中にただ1回しか出てきません。しかし,この名称は人間の想像力をかき立ててきました。世界の指導者たちは核戦争で起こり得るハルマゲドンについて警告してきました。ハルマゲドンはまた,聖書時代の多くの決定的な戦いが行なわれた古代の都市メギドと結び付けられてきました。そのため,中には,地上の最後の決戦がその限定された地域で起きると推測している宗教指導者たちもいます。この点で,それらの人々の考えは真実から遠く外れています。

      32,33 (イ)ハルマゲドンという名称は文字通りの場所というよりは,むしろ何を表わしていますか。(ロ)聖書のほかのどんな言葉が「ハルマゲドン」に似ていますか。あるいは,それと関係がありますか。(ハ)第七のみ使いが最後の神の怒りの鉢の中身を注ぎ出すようになるのはいつですか。

      32 ハルマゲドンという名称には,「メギドの山」という意味があります。しかし,それは文字通りの場所というよりは,諸国民すべてがエホバ神に反対して集められ,最終的に神により滅ぼされる際の世界情勢を表わしています。それは全地球的な規模に達します。(エレミヤ 25:31-33。ダニエル 2:44)それは「神の怒りの大きなぶどう搾り場」や「決定の低地平原」,もしくは「エホシャファトの低地平原」と同様で,諸国民はそこに集められ,エホバにより処刑されます。(啓示 14:19。ヨエル 3:12,14)それはまた,マゴグのゴグの残忍な軍勢が滅ぼされる「イスラエルの土地」や,北の王が大いなる君ミカエルの手に掛かって「終わりに至る」,「壮大な海と聖なる飾りの山との間」のあの場所とも関係があります。―エゼキエル 38:16-18,22,23。ダニエル 11:45–12:1。

      33 諸国民がサタンとその地上の代理人たちの考案する不吉な宣伝により巧みに操られて,そのような情勢のもとに置かれると,第七のみ使いが最後の神の怒りの鉢の中身を注ぎ出す時となります。

      「事は成った!」

      34 第七のみ使いはその鉢の中身を何の上に注ぎ出しますか。どんな宣言が「聖なる所の中から」出されますか。

      34 「また,第七の者がその鉢の中から空気の上に注ぎ出した。すると,大きな声が聖なる所の中から,み座から出て,『事は成った!』と言った」― 啓示 16:17。

      35 (イ)啓示 16章17節の「空気」とは何ですか。(ロ)第七のみ使いはその鉢の中身を空気の上に注ぎ出すことにより,何を表明しますか。

      35 「空気」は,災厄を被る最後の生命維持手段です。しかし,これは文字通りの空気ではありません。文字通りの地や海,淡水の源,あるいは太陽がエホバのみ手から裁きを受けるいわれがないのと同様,文字通りの空気にもエホバからの不利な裁きを受けるべき理由は何もありません。むしろ,これはパウロがサタンを「空中[文字通りには,空気]の権威の支配者」と呼んで論じたのと同じ『空気』のことです。(エフェソス 2:2)それは,今日,世の人々が吸っているサタン的な「空気」,つまりサタンの邪悪な事物の体制全体を特徴づけている霊,または一般的な精神的傾向,もしくはエホバの組織外の人々の生活のあらゆる面に浸透しているサタン的な考え方です。ですから,第七のみ使いはその鉢の中身を空気の上に注ぎ出すことにより,サタンとその組織と,エホバの主権を侮ってサタンを支持する人間を動かしているものすべてとに対する神の憤りを表明します。

      36 (イ)七つの災厄は何に相当しますか。(ロ)「事は成った!」というエホバの宣言は何を示唆していますか。

      36 この災厄とこれ以前の六つの災厄によって,サタンとその体制に対するエホバの裁きがことごとく伝えられます。それらの災厄はサタンとその胤の破滅に関する一種の宣言です。この最後の鉢の中身が注ぎ出される時,エホバご自身が,「事は成った!」とふれ告げられます。それ以上言うべきことは何もありません。神の怒りの鉢の中身がエホバにとって満足と思えるほど公に知らされたなら,それらの音信によってふれ告げられた裁きは猶予されずに執行されます。

      37 ヨハネは,神の怒りの第七の鉢の中身が注ぎ出された後に起きる事柄をどのように描写していますか。

      37 ヨハネはさらにこう続けます。「また,稲妻と声と雷が生じ,人が地上に現われて以来起きたことのないような大地震が起きた。非常に大規模な地震で,甚だ大きかった。そして,大いなる都市は三つの部分に裂け,諸国民の数々の都市が倒れた。そして,大いなるバビロンは神のみ前で思い出された。それは,神の憤りの怒りのぶどう酒の杯を彼女に与えるためである。また,すべての島は逃げ,山々は見えなくなった。そして,それぞれの重さが一タラントほどもある大きな雹が天から人々の上に降り,人々は雹の災厄のために神を冒とくした。その災厄が異常に大きかったからである」― 啓示 16:18-21。

      38 (イ)「大地震」,(ロ)「大いなる都市」,つまり大いなるバビロンが「三つの部分」に裂けること,(ハ)「すべての島は逃げ,山々は見えなくなった」こと,そして(ニ)「雹の災厄」は,それぞれ何を象徴していますか。

      38 エホバはもう一度,紛れもなく人間に対して行動を起こされますが,このことは「稲妻と声と雷」の合図で知らされます。(啓示 4:5; 8:5と比較してください。)人間はまるで壊滅的な地震によるかのように,かつて一度もなかったような仕方で揺り動かされます。(イザヤ 13:13; ヨエル 3:16と比較してください。)超大型爆弾のような震動で「大いなる都市」,つまり大いなるバビロンは「三つの部分」に裂けます。それは,その崩壊が救いようのない破滅に終わることを象徴しています。同時に,「諸国民の数々の都市」も倒壊します。「すべての島」や「山々」,つまりこの体制の中で極めて恒久的なものと思われる制度や組織もなくなってしまいます。第七の災厄の際,かつてエジプトを苦しめたものよりももっと大きくて,それぞれの重さが一タラントほどもある「大きな雹」が,無残にも人間をしたたか打つことでしょう。d (出エジプト記 9:22-26)水の凝固したものが罰としてこのように降るのは,この事物の体制の終わりがついに来たことを示す合図として,異常なまでに激しい口頭の言葉でエホバの裁きを表明することを表わしているようです! エホバは破壊をもたらす業を行なう際,当然文字通りの雹もお用いになることができます。―ヨブ 38:22,23。

      39 七つの災厄が注ぎ出されるにもかかわらず,人類の大半はどんな歩みを取りますか。

      39 こうして,サタンの世はエホバの義にかなった裁きを受けます。人類の大半は最後まで神を侮り,冒とくします。昔のファラオの場合のように,繰り返し臨む災厄によっても,またそれらの災厄が最後に致命的な最高潮に達しても,彼らの心は和らげられることはありません。(出エジプト記 11:9,10)土壇場になって,心が大規模な変化を遂げることはありません。それらの人々は息を引き取る際,「彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」と言明なさる神をののしるでしょう。(エゼキエル 38:23)それにもかかわらず,全能者なるエホバ神の主権の正しさは立証されるのです。

      [脚注]

      a 無生物が証人となる,もしくは証言をする例としては,創世記 4:10; 31:44-53; ヘブライ 12:24と比較してください。

      b 「座」もしくは「王座」という語の同様の用法は,預言的な意味でイエスに語りかけられた次のような言葉の中にも見られます。「神は定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたの王座」。(詩編 45:6)エホバはイエスの王としての権威の源,もしくは基です。

      c ヨブ 1:6,12; 2:1,2; マタイ 4:8-10; 13:19; ルカ 8:12; ヨハネ 8:44; 12:31; 14:30; ヘブライ 2:14; ペテロ第一 5:8もご覧ください。

      d もし,ヨハネがギリシャ語のタラントを念頭に置いていたなら,雹の重さはそれぞれ20㌔ほどですから,それは壊滅的な雹のあらしだったでしょう。

      [221ページの囲み記事]

      「地に」

      ヨハネ級の人たちは次のような声明を出して,「地」に対するエホバの憤りを公に知らせてきました:

      「何世紀にもわたって努力した後,様々な政党は,現在の状態に対処して,悲惨な諸問題を解決する力がないことを示してきた。問題を懸命に研究してきた経済学者や政治家たちは,自分たちが何も行なえないことに気づいている」―「現存する万民は決して死することなし」,1920年,61ページ(英文)。

      「今日,地上には,世界の人々のうち,どれほどであれ,適当な割合の人々をさえ満足させる政府は一つもない。諸国家の多くは独裁者によって支配されている。世界全体は事実上,破産している」―「望ましい政府」,1924年,5ページ(英文)。

      「この事物の体制を終わらせることは……この世から悪を除き,平和と義が栄えるよう道を開く唯一つの方法です」―「御国のこの良いたより」(英文),1955年,25ページ。

      「現在の世を特徴づけているのは,神とそのご意志に対する罪や不義や反抗の増加です。……それを改革するすべはありません。ですから,この体制は消え去らなければならないのです」―「ものみの塔」誌,1982年2月15日号,6ページ。

      [223ページの囲み記事]

      「海に」

      エホバから離反した不敬虔な人類の動いてやまない反抗的な「海」に対する神の憤りをふれ告げるヨハネ級の人たちが,長年にわたって発表してきた声明のほんの二,三の例を次に掲げます:

      「どんな国家の歴史でも,それは様々な階級間の闘争の歴史であることを示している。それは多勢に対する少数者の闘争の歴史である。……そのような闘争は,多くの革命,多大の苦渋,ならびに大量の流血を招いた」―「政府」,1928年,244ページ(英文)。

      新しい世では,「悪魔に使われた象徴的な野獣は昔,象徴的な『海』から上ってきましたが,その『海』,つまり動いてやまない反抗的で不敬虔な人々から成る『海』は消滅します」―「ものみの塔」誌,1967年12月1日号,727ページ。

      「現在の人間社会は霊的に病んで病気になっています。わたしたちはだれもそれを救うことはできません。神のことばが示すとおり,その病気は死に至るものだからです」―「真の平和と安全 ― どこから得られるか」,1973年,128ページ。

      [224ページの囲み記事]

      「川と水のわき出るところとに」

      第三の災厄は次のような声明によって,「川と水のわき出るところ」を暴露しました:

      「[キリストの]教理を説く教師であると称する僧職者は,戦争を正当化し,聖なるものとした。彼らは自分たちの肖像や彫像が血まみれの戦士のそれと並べて飾られるのを好んでいる」―「ものみの塔」誌,1924年9月15日号,275ページ(英文)。

      「心霊論[心霊術]は重大な虚偽,つまり死後の生存および人間の魂の不滅といううそに基づいています」―「聖書は『死後の生存』について何と述べていますか」,1955年,51ページ(英文)。

      「人間の哲学,政治理論家,労働組合組織者,経済問題顧問,および宗教上の伝統の唱道者たちは,人々に生気を与えて,真にさわやかにするものとはなりませんでした。……そのような水を飲む人々は,血の神聖さに関する創造者の律法を破り,宗教上の迫害をさえ行なうようになりました」― 1963年に開かれた「永遠の福音」国際大会で採択された決議文より。

      「人間自身に期待できるのは,科学による救いではなく,人類の滅亡のみです。……世の心理学者や精神病医すべてをもってしても,人間の考え方を変化させることができるなどと期待すべくもありません。……わたしたちは,この地球を安全な住みかにするために……組織される何らかの国際警察軍に頼るわけにもゆきません」―「王国という方法による人類の救い」,1970年,5ページ(英文)。

      [225ページの囲み記事]

      「太陽の上に」

      人間の支配権という「太陽」が主の日の期間中,人間を『焦がして』きましたが,ヨハネ級の人たちは次のような声明を出して,現に起きている事柄に注意を引いてきました:

      「今日,ヒトラーとムッソリーニは専制的な独裁者として,全世界の平和を脅かしており,彼らはローマ・カトリック教階制から全面的な支持を得て,自由を破壊しようとしています」―「全体主義か自由か」,1939年,12ページ(英文)。

      「歴史全体を通して,人間の独裁者は,『支配せよ,さもなければ破滅させよ!』という政策を取ってきました。しかし今や,神により任じられた王イエス・キリストは,『支配を受けなさい,さもなければ破滅を被りなさい』という規定を全地に適用されます」―「すべての国の民が神の王国のもとで結ばれる時」,1961年,23ページ(英文)。

      「1945年以来,世界中で約150の戦争が行なわれ,2,500万を超える人々の命が奪われてきました」―「ものみの塔」誌,1980年4月15日号,7ページ。

      「世界中の国々は……国際的責任や行動の規則をほとんど意に介しません。目的を達成するためには,虐殺,暗殺,ハイジャック,爆破その他,自分たちが必要だと思えばどんな手段を用いようとそれは全く正しいことだと考える国々もあります。……国々はいつまで互いのそうした無分別で無責任な行為を我慢するでしょうか」―「ものみの塔」誌,1985年2月15日号,4ページ。

      [227ページの囲み記事]

      「野獣の座の上に」

      エホバの証人は野獣の座の正体をあばき,次のような声明を出して,その座がエホバにより非とされていることを一般に知らせてきました:

      「諸国家の支配者や政治指導者たちは,悪意のある超人間的な勢力の影響を受けており,その勢力はハルマゲドンにおける決定的な戦闘に向かう自殺的な行進に彼らをいやおうなく駆り立てています」―「ハルマゲドンの後 ― 神の新しい世」,1953年,8ページ(英文)。

      「非神権的な人間の政府という『野獣』は,その力と権威と座を龍から得ました。ですから,『野獣』はその政治路線,つまり龍の政策に従わなければなりません」―「ハルマゲドンの後 ― 神の新しい世」,1953年,15ページ(英文)。

      「異邦諸国民は,自らを……神の主要な敵対者である悪魔サタンの側に置くよりほかはありません」― 1973年に開かれた「神の勝利」国際大会で採択された決議文より。

      [229ページの囲み記事]

      「その水はかれてしまった」

      今でさえ,バビロン的な宗教に対する支持は多くの場所で,いわばかれようとしています。このことは,「日の昇る方角から来る王たち」が攻撃を行なう際に起きる事柄を示唆しています。

      「ある全国調査によれば,[タイ]の首都圏に住む人々で,全然,仏教寺院に行かず,説教を聴こうともしない人が75%に達する一方,寺院を訪れる田舎の人々は着実に減少して,約50%になった」― バンコク・ポスト紙,1987年9月7日付,4ページ。

      「2,000年ほど前に,[中国]大陸で興された道教は魔力を失ってきた。……彼らとその前任者たちが大勢の崇拝者たちを得るために利用した魔術的な仕掛けが失われたため,祭司たちには後継者がおらず,本土の組織化された宗教としての道教は,事実上絶滅の危機に直面している」― アトランタ・ジャーナル・アンド・コンスティテューション誌,1982年9月12日号,36ページ-A。

      「日本は……世界でも外人宣教師が最も多く集中している国の一つで,宣教師は5,200人近くいるが……クリスチャンは人口の1%にも満たない。……1950年代以来,この国で働いているフランシスコ会の一司祭は……『日本における外人宣教師の時代は終わった』と考えている」― ウォールストリート・ジャーナル紙,1986年7月9日付,1ページ。

      英国では,過去30年間に,「英国国教会の1万6,000の教会堂のうち,ほぼ2,000の教会が使われなくなったため閉鎖された。出席者数は低下し,キリスト教を奉ずると称する国の中で出席者の最も少ない国の一つになった。……『今や,英国はキリスト教国とは言えない』と,[ダーラムの主教]は語った」。―ニューヨーク・タイムズ紙,1987年5月11日付,A4ページ。

      「本日,何時間にもわたる激論の末,ギリシャ正教会の所有する莫大な財産を社会主義政府が引き継ぐことを可能にする法律が[ギリシャの]議会で可決された。……加えて,その法律によれば,ホテル,大理石採掘場,事務所用ビルを含め,高く評価されている教会の投資物件を管理する責任のある教会の評議会や委員会は聖職者以外の役員により監督されることになった」― ニューヨーク・タイムズ紙,1987年4月4日付,3ページ。

      [222ページの図版]

      最初の四つの神の怒りの鉢は,最初の四つのラッパの音が引き起こすのと同様の災厄をもたらします

      [226ページの図版]

      第五の鉢は,野獣の座とはサタンが野獣に与えた権威であることを暴露します

      [231ページの図版]

      地の支配者たちは悪霊の宣伝に動かされて,エホバの裁きが彼らの上に注がれる,焦点となる情勢,つまりハルマゲドンに集められます

      [233ページの図版]

      サタンにより汚染された「空気」に動かされる人々には,エホバの義にかなった裁きが必ず執行されます

  • 悪名高い娼婦を裁く
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 33章

      悪名高い娼婦を裁く

      第11の幻 ― 啓示 17:1-18

      主題: 大いなるバビロンは緋色の野獣に乗るものの,その獣は最後に彼女を襲って荒廃させます

      成就する期間: 1919年から大患難の時まで

      1 七人のみ使いの一人はヨハネに何を明らかにしますか。

      エホバの義にかなった怒りは完全に,つまりその怒りの七つの鉢の中身は皆,注ぎ出されなければなりません! 第六のみ使いがその鉢を古代バビロンの所在地で空にした時,それは適切にも,種々の出来事がハルマゲドンの最後の戦争に向かって急速に進展するにつれ,大いなるバビロンが災厄で苦しめられることを象徴しました。(啓示 16:1,12,16)エホバがなぜ,またどのようにご自分の義にかなった裁きを執行されるのかを今や明らかにするのは,多分この同じみ使いでしょう。ヨハネは次に聞いたり,見たりする事柄により驚嘆の念に打たれます。「また,七つの鉢を持つ七人のみ使いの一人が来て,わたしと話してこう言った。『さあ,多くの水の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう。地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた』」― 啓示 17:1,2。

      2 「大娼婦」が,(イ)古代ローマではないこと,(ロ)大企業でもないこと,(ハ)宗教的な実在物であることを示す,どんな証拠がありますか。

      2 「大娼婦」! どうしてこんな衝撃的な名称が使われているのでしょう。この女はだれのことですか。中には,この象徴的な娼婦の正体は古代ローマだと考えた人々もいます。しかし,ローマは政治強国でした。この娼婦は地の王たちと淫行を犯しますが,その王たちには明らかにローマの王たちも含まれます。その上,この女が滅ぼされた後,「地の王たち」は彼女が滅びたことを嘆き悲しむと言われています。ですから,この娼婦は政治強国ではあり得ません。(啓示 18:9,10)さらに,世の商人たちも彼女のために嘆くのですから,この娼婦は大企業を表わすこともできないでしょう。(啓示 18:15,16)しかし,『彼女の心霊術的な行ないによってあらゆる国民が惑わされた』と記されています。(啓示 18:23)このことから分かるように,大娼婦は全世界にまたがる宗教的な実在物であるに違いありません。

      3 (イ)その大娼婦はどうしてローマ・カトリック教会以上の,もしくはキリスト教世界全体以上のものをさえ象徴しているに違いありませんか。(ロ)バビロン的などんな教理が,キリスト教世界の諸宗派はもとより,東洋の大抵の宗教にも見られますか。(ハ)ローマ・カトリックの枢機卿ジョン・ヘンリー・ニューマンは,キリスト教世界の教理や儀式や慣行について何を認めましたか。(脚注をご覧ください。)

      3 どの宗教的な実在物でしょうか。ある人々が主張してきたように,この娼婦はローマ・カトリック教会ですか。それとも,キリスト教世界全体ですか。そうではありません。この女は,あらゆる国民を惑わすというのであれば,それらのものよりもさらに大きな存在でなければなりません。この娼婦は事実,偽りの宗教の世界帝国全体なのです。この女の起源はバビロンの秘教にありますが,それは多くのバビロン的な教理や慣行が地上の至る所にある種々の宗教に共通に見られることから分かります。例えば,人間の魂には本来不滅性が備わっているという信仰や,地獄の責め苦,三位一体の神などの信仰は,キリスト教世界の諸宗派はもとより,東洋の大抵の宗教にも見られます。4,000年以上の昔,古代バビロンの都で生まれた偽りの宗教が発展して,現代の怪物のような巨大なもの,すなわち適切にも大いなるバビロンと呼ばれるものになりました。a しかし,この女はどうして「大娼婦」という不快な言葉で描写されているのでしょうか。

      4 (イ)古代のイスラエルはどのような仕方で淫行を犯しましたか。(ロ)大いなるバビロンはどんな著しい仕方で淫行を犯してきましたか。

      4 バビロン(あるいはバベル,「混乱」の意)はネブカドネザルの時代に偉大さの面で頂点に達しました。バビロンは一千以上の神殿や礼拝堂を有する,宗教と政治の結びついた国家で,その祭司団が大きな力を行使しました。世界強国としてのバビロンが存在しなくなってから久しくなりますが,宗教上の大いなるバビロンは生き続けており,その古代の型にしたがって依然として影響を及ぼし,政治上の物事を形作ろうとしています。しかし,神は宗教が政治に関与することを是認されるでしょうか。ヘブライ語聖書の中で,イスラエルは偽りの宗教に関係した時,またエホバを信頼する代わりに,諸国家と同盟を結んだ時,売春を行なったと言われています。(エレミヤ 3:6,8,9。エゼキエル 16:28-30)大いなるバビロンもまた,淫行を犯しています。特筆すべきこととして,この女は統治する地上の王たちに及ぼす影響力や彼らを支配する力を得るのに好都合と思えることなら何でもしてきました。―テモテ第一 4:1。

      5 (イ)教会の僧職者は何をして人目を引くことを楽しみにしていますか。(ロ)この世で著名な者になりたいと考えるのは,どうしてイエス・キリストの言葉とは正反対なことなのでしょうか。

      5 今日,宗教指導者たちはしばしば政府の要職に就こうとして運動を起こしており,ある国々では閣僚の地位をさえ得て,政治に参与しています。1988年に,米国のプロテスタント教会の著名な二人の牧師は大統領に立候補しました。大いなるバビロンの指導者たちは人目を引くことが大好きで,著名な政治家と付き合っては,しばしばその写真が新聞に載せられます。これとは対照的に,イエスは政治に関係することを避けて,ご自分の弟子たちに関し,「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」と言われました。―ヨハネ 6:15; 17:16。マタイ 4:8-10。ヤコブ 4:4もご覧ください。

      “売春行為”の現代版

      6,7 (イ)ヒトラーのナチ党はどのようにしてドイツで政権を握るようになりましたか。(ロ)バチカンがナチ・ドイツと結んだ政教条約は,世界支配を目指すヒトラーの大攻勢にどのように役立ちましたか。

      6 大娼婦は政治に介入して,人類に大変な悲しみをもたらしました。例えば,ヒトラーがドイツで政権を得た当時の背後の事実 ― 一部の人々が歴史の本から削除したいと思うような醜悪な事実 ― を考えてみてください。1924年5月当時,ナチ党はドイツ帝国で32の議席を持っていましたが,1928年5月までにその数は12議席に減りました。ところが,1930年に世界が大恐慌に見舞われると,その後の状況をうまく切り抜けたナチ党は,目覚ましい回復を遂げ,1932年7月のドイツの選挙で608議席中230議席を獲得しました。その後まもなく,教皇の勲爵士,前首相フランツ・フォン・パーペンはナチス党を助けるようになりました。歴史家によれば,フォン・パーペンは新しい神聖ローマ帝国をもくろんでいました。パーペンは首相として短期間在職したものの失敗したため,今度はナチス党を通して権力を得たいと考えました。1933年1月までに,彼はヒトラーに対する企業家の男爵たちの支持勢力を集めて陰険な策略を弄し,1933年1月30日,ヒトラーが確実にドイツの首相となれるようにしました。彼自身は副首相にされ,ドイツのカトリック階層の支持を得ようとするヒトラーに用いられました。ヒトラーは政権を獲得した後,2か月足らずの間に議会を廃止し,反対派の何千人もの指導者たちを強制収容所に送り込み,ユダヤ人を虐げる公然たる運動を開始しました。

      7 1933年7月20日,パーチェリ枢機卿(後の法王ピウス12世)がローマでナチ・ドイツとバチカンの政教条約に署名した時,台頭するナチ強国に対するバチカンの関心が明らかに示されました。フォン・パーペンはヒトラーの代表として同文書に署名し,パーチェリはその場でピウス最上級十字勲功章という教皇の上級勲章をフォン・パーペンに授与しました。b タイバ・ケイベスはこのことについて,自著,「シルクハットをかぶったサタン」(英文)の中で次のように述べています。「この政教条約はヒトラーにとって大きな勝利であった。それはヒトラーに外の世界から初めて精神的援助を与えるものとなり,しかもそれは極めて高い源からの援助であった」。その政教条約により,バチカンはドイツのカトリック中央党を支持することをやめるよう要求され,こうしてヒトラーの一党“全体主義国家”が認められることになりました。c さらに,その第14条には,「大司教,司教その他の任命は,ドイツ帝国により任ぜられた総督が,政治上考慮すべき全般的な事柄に関して何ら疑問がないことを正式に確認した上で初めて出されるものとする」とありました。(法王ピウス11世により“聖年”と宣言された)1933年の暮れまでには,バチカンの支持はヒトラーが世界支配を目指す大攻勢に出る主要な要素となりました。

      8,9 (イ)カトリック教会やその僧職者はもとより,バチカン当局は,ナチの圧制に対してどのように反応しましたか。(ロ)第二次世界大戦が始まった時,ドイツのカトリック司教団はどんな声明を出しましたか。(ハ)宗教と政治の結合した関係は,どんな結果をもたらしましたか。

      8 少数の司祭や修道女がヒトラーの残虐行為に抗議し,そのために苦しんだとはいえ,カトリック教会やその僧職者の大群はもとより,バチカン当局はナチの圧制を積極的に,もしくは暗黙のうちに支持し,その圧制を世界共産主義運動の進展を食い止める防壁とみなしました。バチカンの有利な立場にあった法王ピウス12世は,ユダヤ人の大虐殺およびエホバの証人や他の人々に対する残忍な迫害が批判されずに続くままにさせました。1987年5月に西ドイツを訪問した法王ヨハネ・パウロ2世が,ナチに抵抗した誠実な一司祭に栄誉を与えたのは,皮肉な話です。他の何千人ものドイツの僧職者は,ヒトラーが恐怖政治を行なっていた間,何をしていましたか。第二次世界大戦が勃発した1939年9月にドイツのカトリック司教団が出した司牧書簡はこのことに関して,ある事柄を明らかにしています。その書簡は一部こう述べています。「この極めて重大な時に臨んで,我々はわがカトリック将兵に対し,総統に従順に従って本分を尽くし,各々進んで自分自身をことごとく犠牲にするよう勧めたい。我々は,神慮によってこの戦いが祝福された結果になるように願う熱烈な祈りに加わるよう,忠信な信者に訴える」。

      9 このようなカトリック教会の駆け引きは,宗教が権力と利益を得るために政治国家に求愛して,過去4,000年余り営んできた売春行為の性格を例証しています。このように宗教と政治が結合した関係は,戦争や迫害や人間の苦悩を途方もない規模で助長してきました。大娼婦に対するエホバの裁きは近づいているので,人類は何と幸いなのでしょう。その裁きが早く執行されますように!

      多くの水の上に座る

      10 大いなるバビロンは「多くの水」に保護してもらうことを当てにしていますが,その「多くの水」とは何ですか。その「水」はどうなっていますか。

      10 古代バビロンは多くの水の上,つまりユーフラテス川と数多くの運河の上にいわば座っていました。それらの流れは,一夜にしてかれてしまうまでは,富をもたらす商業のよりどころであると共に,都を保護するものでした。(エレミヤ 50:38; 51:9,12,13)大いなるバビロンもまた,「多くの水」に保護され,富ませてもらうことを当てにしています。この象徴的な水は「もろもろの民と群衆と国民と国語」,つまり大いなるバビロンが支配してきた何十億もの人間すべてのことで,同バビロンは彼らから物質上の支持を得てきました。しかし,その水もやはりかれかかっています。つまり,支持を取りやめようとしています。―啓示 17:15。詩編 18:4; イザヤ 8:7と比較してください。

      11 (イ)古代バビロンはどのようにして,「全地を酔わせ」ましたか。(ロ)大いなるバビロンはどのようにして「全地を酔わせ」ましたか。

      11 さらに,昔のバビロンは,「エホバのみ手にある黄金の杯で……彼女は全地を酔わせるのであった」と描写されています。(エレミヤ 51:7)古代バビロンは近隣の諸国民を軍事的に征服した時,エホバの怒りの表現をそれら諸国民に強制的に呑み込ませ,諸国民を酔った人のように弱らせました。その点で,彼女はエホバの器でした。大いなるバビロンもまた,世界的な帝国になるほどにまで征服を行なってきました。しかし,彼女は確かに神の器ではありません。むしろ,彼女は「地の王たち」と宗教的な淫行を犯して,それら王たちに仕えてきました。彼女は「地に住む者たち」である人々の大半を酔った人のように弱くならせて,支配者たちに屈従させるため,うその教理を用いたり,人を隷従させる習慣を用いたりして,それらの王たちを喜ばせてきました。

      12 (イ)大いなるバビロンの一部である日本の宗教は,第二次世界大戦中の大変な流血行為にどのように責任を負うようになりましたか。(ロ)日本で大いなるバビロンを支えていた「水」は,どのように引きましたか。その結果,どうなりましたか。

      12 神道を奉じた日本は,そのことを示す,注目すべき実例となりました。教化された日本の将兵は,天皇,つまり神道の最高の神のために自分の命をささげることを最高の栄誉とみなしました。第二次世界大戦中,およそ150万人の日本の将兵が戦場で死にました。彼らはほとんど最後の一人に至るまで,投降を恥ずべきことと考えていました。しかし,日本が敗れた結果,天皇裕仁は現人神であるとの主張を放棄せざるを得なくなりました。その結果,大いなるバビロンの一部である神道を支持していた「水」は著しく引きました。悲しいことに,それは神道が,太平洋戦争の舞台における大量の流血を容認した後のことでした! また,神道の影響力がこうして弱くなったために,20万人以上の日本人が大半は以前,神道や仏教を信じていましたが,近年,主権者なる主エホバの献身してバプテスマを受けた奉仕者となる道が開かれたのです。

      娼婦は獣に乗る

      13 ヨハネはみ使いにより霊の力で荒野に運ばれて行き,どんな驚くべき光景を見ますか。

      13 大娼婦とその運命に関して,預言はさらにどんなことを明らかにしていますか。今や,ヨハネが話すにつれて,生き生きとした情景がさらに見えてきます。「そして彼[み使い]は,霊の力のうちにわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは,冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に,ひとりの女が座っているのを目にした」― 啓示 17:3。

      14 ヨハネが荒野に運ばれて行くのは,どうしてふさわしいことですか。

      14 ヨハネはなぜ荒野に運ばれて行くのでしょうか。以前,古代バビロンに下された滅びの宣告は,「海の荒野に対する」宣告と称されました。(イザヤ 21:1,9)その宣告により,古代バビロンは水の流れを利用した防衛手段をすべて持っていたにもかかわらず,生き物のいない廃虚になる相応の警告を受けました。ですから,ヨハネが幻の中で荒野に運ばれて,大いなるバビロンの運命を見るのは,ふさわしいことです。(啓示 18:19,22,23)それでも,ヨハネはそこに連れて行かれて見る事柄に驚嘆します。大娼婦は一人だけでいるのではありません! 彼女は奇怪な野獣の上に座っているのです!

      15 啓示 13章1節の野獣と啓示 17章3節のそれとの間には,どんな相違点がありますか。

      15 この野獣には七つの頭と十本の角があります。では,この野獣は,ヨハネが以前に見た,やはり七つの頭と十本の角のある野獣と同じですか。(啓示 13:1)いいえ,相違点があります。この野獣は緋色の野獣で,以前の野獣とは異なり,王冠があるとは言われていません。この野獣は,その七つの頭にだけ冒とく的な名があるのではなく,『冒とく的な名で満ちて』いるのです。それにしても,この新しい野獣と以前のものとは関係があるに違いありません。この両者には偶然の一致とは言えないほどの類似点があります。

      16 緋色の野獣の実体は何ですか。その目的については何と述べられていますか。

      16 では,この新しい緋色の野獣とは何ですか。それは,子羊のような二本の角のある英米の野獣に促されて産み出された,野獣の像であるに違いありません。その像が作られた後,二本の角のある,あの野獣は,その野獣の像に息を与えることを許されました。(啓示 13:14,15)ヨハネは今や,呼吸する,生きた像を見ます。それは,1920年に二本の角のある野獣によって命を与えられた国際連盟機構を表わしています。米国のウィルソン大統領は,連盟は「すべての人のために公正を図り,戦争の脅威を永遠にぬぐい去るための討論の場となるであろう」と考えていました。第二次世界大戦後,同連盟が国際連合として復活した際,その憲章に示された目的は,「国際の平和と安全を維持すること」でした。

      17 (イ)象徴的な緋色の野獣は,どんな点で冒とく的な名で満ちていますか。(ロ)だれが緋色の野獣に乗っていますか。(ハ)バビロン的な宗教は,どのように最初から国際連盟,およびその後身と結合してきましたか。

      17 この象徴的な野獣はどんな点で冒とく的な名で満ちていますか。神の王国だけが成し遂げられると神の言われる事柄を成し遂げるために,人間が多国籍から成るこの偶像を神の王国に代わるものとして立てたという点で,そう言えます。(ダニエル 2:44。マタイ 12:18,21)けれども,ヨハネの幻に関して注目に値するのは,大いなるバビロンが緋色の野獣に乗っていることです。預言にたがわず,特にキリスト教世界のバビロン的な宗教は国際連盟,およびその後身と結合してきました。早くも,1918年12月18日,今日アメリカ・キリスト教会全国協議会として知られる団体は,一部次のように述べる宣言を採択しました。「このような連盟は単なる政治的方便ではなく,むしろ地上における神の王国の政治的表現である。……教会は善意の精神を付与することができ,それなくしてはいかなる国際連盟も存続し得ない。……国際連盟は福音に根ざしており,福音と同じく,『地に平和,人々に善意』を目的としている」。

      18 キリスト教世界の僧職者は国際連盟を支持する態度をどのように示しましたか。

      18 1919年1月2日,サンフランシスコ・クロニクル紙は,「法王はウィルソンの提唱する国際連盟を採択するよう嘆願する」という見出しを第一面に掲げました。1919年10月16日,主要な教派の僧職者1万4,450人の署名を付した嘆願書が米上院に提出され,同上院は「国際連盟規約を具体化したパリ平和条約を批准するよう」促されました。米上院はその条約を批准しませんでしたが,キリスト教世界の僧職者は連盟を支持する運動を続けました。さて,連盟はどのようにして発足しましたか。1920年11月15日付,スイス至急報はこう伝えています。「今朝,11時,ジュネーブのすべての教会の鐘が鳴り響く中で,国際連盟の第1回会議の開会が宣せられた」。

      19 緋色の野獣が現われた時,ヨハネ級の人たちはどんな行動を取りましたか。

      19 来たるべきメシアの王国を熱意を抱いて受け入れた,地上の唯一のグループであるヨハネ級の人たちは,キリスト教世界と一緒になって,「緋色の野獣」に敬意を表しましたか。とんでもありません! 1919年9月7日,日曜日,米国オハイオ州シーダー・ポイントで開かれたエホバの民の大会で,「苦悩する人類のための希望」と題する特筆すべき公開講演が行なわれました。翌日,サンダスキーのスター・ジャーナル紙は,7,000人ほどの聴衆に対する講演の中で,J・F・ラザフォードが,「主の不興は必ずや連盟に臨む。……なぜなら,神の代表者であると主張するカトリックおよびプロテスタントの僧職者たちは,神の計画を捨てて国際連盟を是認し,それを地上におけるキリストの王国の政治的表現として歓迎したからである,と断言した」と報じました。

      20 国際連盟を「地上における神の王国の政治的表現」として歓呼して迎えた僧職者は,どうして神を冒とくすることになりましたか。

      20 国際連盟が惨めにも失敗に終わったので,人間の作った機構は決して地上における神の王国の一部などではないことを僧職者は思い知らされたはずです。そのような主張は何と神を冒とくするものでしょう。それでは,神があたかも,とてつもない出来損ないに終わった連盟に対して責任のある一当事者にされてしまいそうですが,神について言えば,「そのみ業は完全」です。多くは無神論者である,口論し合う政治家たちの連合体ではなく,キリストの治めるエホバの王国こそ,神が平和をもたらし,ご自分の意志を天のように地上でも行なわせるための手段なのです。―申命記 32:4。マタイ 6:10。

      21 大娼婦は連盟の後身である国際連合を支持し,賞賛していますが,何がこのことを示していますか。

      21 連盟の後身である国際連合についてはどうですか。この機構もまた,最初からその背に大娼婦を乗せており,その娼婦は明らかに同機構と交渉を持ち,その運命を左右しようとしています。例えば,1965年6月の国連20周年記念日に,ローマ・カトリック教会,東方正教会,ならびにプロテスタント,ユダヤ教徒,ヒンズー教徒,仏教徒,およびイスラム教徒の ― 地上の人口のうち20億人を代表すると言われる ― 代表者たちが,国連を支持し,賞賛してきたことを祝うためサンフランシスコに集まりました。1965年10月に国連を訪れた法王パウロ6世は,国連のことを「すべての国際組織の中で最も偉大なもの」と評し,「世界の人々は友好と平和の最後の希望として国連を頼みにしている」と付け加えました。もう一人の訪問者である法王ヨハネ・パウロ2世は,1979年10月,国連で演説し,「私は国際連合が常に平和と正義のための最高の討論の場……であることを希望する」と語りました。同法王が1987年9月に米国を訪問した際,ニューヨーク・タイムズ紙は「法王ヨハネ・パウロが“新たな世界的団結”を……促進する点での国際連合の積極的な役割について詳しく語った」と伝えました。

      名,秘義

      22 (イ)大娼婦はどんな獣に乗ることにしましたか。(ロ)ヨハネは,象徴的な娼婦である大いなるバビロンをどのように描写していますか。

      22 使徒ヨハネは,大娼婦が危険な獣を乗り物として選んだことにすぐ気づくようになりますが,まず最初に大いなるバビロンそのものに注意を向けます。この女は豪華に身を装っていますが,ああ,何と不快な存在なのでしょう。「また,その女は紫と緋で装い,金と宝石と真珠で身を飾り,手には,嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯を持っていた。そして,額にはひとつの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった。またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」― 啓示 17:4-6(前半)。

      23 大いなるバビロンの正式な名とは何ですか。それにはどんな重要な意味がありますか。

      23 古代ローマの習慣がそうであったように,この売春婦は額にある名によって正体が明らかにされています。d それは,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」という長い名です。その名は「秘義」です。つまり,隠された意味があります。しかし,その秘義は神のご予定の時に解明されることになっています。実際,み使いは,エホバの僕たちが今日,この記述的な名の重要な意味をことごとく認識できるようにする十分の情報をヨハネに与えます。わたしたちは大いなるバビロンが偽りの宗教すべてを指していることを認識しています。この女は,『娼婦たちの母』です。なぜなら,キリスト教世界の数多くの分派を含め,世界のそれぞれの偽りの宗教は皆,その娘のようなもので,彼女に見倣って霊的な売春行為を犯しているからです。彼女はまた,偶像崇拝,心霊術,占い,占星術,手相術,人身御供,神殿売春,偽りの神々のために酩酊すること,その他の卑わいな習慣などの不快な“子孫”を生み出してきたので,「嫌悪すべきもの」の母です。

      24 大いなるバビロンが「紫と緋」で身を装い,『金と宝石と真珠で身を飾って』いるところが見られるのは,どうしてふさわしいことですか。

      24 大いなるバビロンが,王の身分を表わす色である「紫と緋」で身を装い,『金と宝石と真珠で身を飾って』いるのは何とふさわしいことなのでしょう。壮麗な建造物,珍しい彫像や絵画,貴重な聖像,その他の宗教上の備品,ならびにこの世の諸宗教が蓄積してきた,天文学的な金額に達する財産や現金などのすべてについて,ちょっと考えてみてください。大いなるバビロンはバチカンや,米国を中心とする福音伝道のテレビ帝国でも,あるいは東洋の異国風な僧院や寺院でも驚くべき富を ― 時には失いましたが ― 蓄積してきました。

      25 (イ)『嫌悪すべきもので満ちた黄金の杯』の中身は何を象徴していますか。(ロ)象徴的な娼婦はどのような意味で酔っていますか。

      25 今度は,娼婦が手に持っているものを見てください。ヨハネはそれを,つまり「嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯」を見て,息が止まりそうになったに違いありません! それは,その女があらゆる国民に飲ませてきた『彼女の淫行の怒りのぶどう酒』の入っている杯なのです。(啓示 14:8; 17:4)その杯は外側は貴重なものに見えますが,中身は嫌悪すべき汚れたものです。(マタイ 23:25,26と比較してください。)その中には,大娼婦が諸国民をそそのかして彼女の勢力下に引き入れるのに用いてきた汚れた慣行やうそなどがすべて入っています。さらに吐き気を催させるものとして,ヨハネは,娼婦自身が酔い,神の僕たちの血で酔いしれているのを見ます! 実際,後の箇所では,「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」と書かれています。(啓示 18:24)何という重い血の罪でしょう。

      26 大いなるバビロンが血の罪を負っていることを示す,どんな証拠がありますか。

      26 偽りの宗教の世界帝国は何世紀にもわたって,おびただしい量の血を流してきました。例えば,中世の日本の京都の寺院はとりでと化し,僧兵が「仏陀の聖なる名」を唱えて戦い合い,ついに街路は血で赤く染められました。20世紀には,キリスト教世界の僧職者がそれぞれ自国の軍隊と共に進軍し,軍隊は互いに殺し合い,少なくとも1億人もの人々が命を失いました。1987年10月,米国のニクソン元大統領は,「20世紀は歴史上最も血生臭い世紀となった。今世紀が始まる前までに行なわれたすべての戦争による死者よりも多くの人々が今世紀の戦争で殺された」と述べました。そのすべてにあずかってきたゆえに,世界の諸宗教は神により不利な裁きを受けています。エホバは,「罪のない血を流している手」を憎まれます。(箴言 6:16,17)ヨハネは以前に,祭壇から出る次のような叫び声を聞きました。「聖にして真実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか」。(啓示 6:10)この質問に答える時が来ると,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母である大いなるバビロンは,非常な窮境に陥るでしょう。

      [脚注]

      a 19世紀のローマ・カトリックの枢機卿ジョン・ヘンリー・ニューマンは背教したキリスト教世界の教理や儀式や慣行の多くはキリスト教に由来するものではないことを示唆して,自著,「キリスト教の教理の発達に関する論文」の中で,こう述べています。「神殿の使用,特定の聖人に献納されたもので,時々木の枝で飾られるこれらの神殿,香,燭台,ろうそく,病気から回復した時にささげる奉納物,聖水,保護施設,聖日や聖なる時節,暦の使用,礼拝行進,土地に対する祝福,聖職者の祭服,剃髪,結婚指輪,東を向くこと,後代の像,たぶん教会の聖歌,ならびにキリエ・エレイソン[「主よ,憐れみたまえ」という意味の歌]は,すべて異教に由来しており,教会に採用されることにより聖化されているのである」。

      「全能者エホバ」はそのような偶像崇拝を神聖なものにするどころか,「彼らの中から出て,離れよ……そして汚れた物に触れるのをやめよ」と,クリスチャンに勧めておられます。―コリント第二 6:14-18。

      b ウイリアム・L・シャイラは自著,「第三帝国の興亡」という歴史研究書の中で,フォン・パーペンは「ヒトラーが政権を握る上でドイツの他のだれよりも責任があった」と述べています。1933年1月,元ドイツ首相シュライヒャーはフォン・パーペンについて,「彼はユダ・イスカリオテのことを聖人と言えるほどの裏切り者だった」と言いました。

      c 1929年5月14日,法王ピウス11世はモンドラゴネの大学で演説し,もし多くの魂のために必要とあらば,彼は悪魔自身とさえ交渉するであろう,と語りました。

      d ローマの著述家セネカが,常軌を逸した,ある女祭司に語った次のような(スウィートの引用した)言葉と比較してください。「娘よ,君はいかがわしい家の中に立った……君の名は君の額に垂れ下がった。君は自分の恥辱に対する金を受け取った」―「論争」,1章2節(英文)。

      [237ページの囲み記事]

      チャーチルは“売春行為”を暴露する

      ウィンストン・チャーチルは自著,「募るあらし」(1948年,英文)の中で,ヒトラーが,「オーストリア政界の重要人物の立場を弱める,もしくは重要人物を味方に引き入れる」ため,フランツ・フォン・パーペンをドイツ公使に任命してウィーンへ派遣したことを報告しています。チャーチルは,フォン・パーペンについて語った,ウィーン駐在米国公使の言葉を次のように引用しています。「パーペンは極めて大胆で,しかも大変冷笑的な態度で……こう語りだした……彼は立派なカトリック教徒としての評判を利用して,イニツァ枢機卿のように,オーストリア人に対する影響力を得たいと考えていた」。

      オーストリアが降伏して,ヒトラーの突撃隊員がウィーンに進駐した後,カトリックのイニツァ枢機卿はオーストリア全土の教会に対し,アドルフ・ヒトラーの誕生日を祝して鉤十字章のドイツ国旗を掲げ,鐘を鳴らし,ヒトラーのために祈るよう命じました。

      [238ページの囲み記事]

      ドイツのための“戦勝祈願”

      1941年12月7日付,ニューヨーク・タイムズ紙の最初の版には,このような見出しを付した,次のような記事が載せられました。

      「カトリックの司教たちはフルダで祝福と勝利を祈り求める。……フルダで開かれたドイツのカトリック司教会議は,すべての礼拝式の始めと終わりに唱えられるべき特別の“戦勝祈願”をささげるよう勧告した。それは,ドイツ軍を勝利をもって祝福し,全将兵の命と健康を守ってくださるよう嘆願する祈りである。それら司教たちはさらに,カトリックの聖職者に対して,ドイツの“陸,海,空”軍の将兵のために毎月,少なくとも一回,特別の日曜説教を行ない,彼らのことを思い起こすよう命じた」。

      この記事はその新聞の後の版からは削除されました。1941年12月7日は,ナチ・ドイツの同盟国だった日本が真珠湾の米艦隊を攻撃した日でした。

      [244ページの囲み記事]

      「冒とく的な名」

      第一次世界大戦後,二本の角のある野獣が国際連盟を提唱した時,その野獣の宗教上の多くの情婦たちは直ちにその行動に対する宗教上の是認を表わそうとしました。その結果,この新しい平和機構は『冒とく的な名で満ちる』ようになりました。

      「キリスト教は[諸国家の]連盟の背後で善意を,原動力を供給することができ,したがって紙片にすぎないその協定書を神の王国の一手段に変えることができる」― 1919年6月19日号,クリスチャン・センチュリー誌,米国,15ページ。

      「国際連盟の構想は,善意という一つの世界秩序としての神の王国という構想を国際的な関係に敷えんしたものである。……それは,すべてのクリスチャンが,『御国の来らんことを』と祈る際に願い求めているものである」― 1919年9月25日号,クリスチャン・センチュリー誌,米国,7ページ。

      「国際連盟の絆はキリストの血である」― プロテスタント牧師フランク・クレーン博士,米国。

      「[組合教会全国]協議会は,イエス・キリストの精神を諸国家の事柄に実際的な仕方で一層広く適用するのに今日用い得る唯一の政治的な手段として[国際連盟]規約を支持する」― 1919年11月6日号,コングリゲーショナリスト・アンド・アドバンス誌,米国,642ページ。

      「本会議は,[国際連盟という]理念を父なる神と神の地上の子らとの考えにより表現されたものとして是認し,大いに推進するよう,全メソジスト教徒に要請する」― ウェスレー系メソジスト教会,英国。

      「この協約の願望,可能性,および決意を考えれば,イエス・キリストの教えの神髄である,神の国とその義が含まれていることが分かる。……それ以外の何ものでもない」― 1922年12月3日,ジュネーブにおける国際連盟総会の開会式のカンタベリー大主教の説教。

      「我が国の国際連盟協会は,何らかの人道主義的な伝道協会と同様の神聖な権利を有している。なぜなら,連盟は現在,諸国民の間で平和の君としてのキリストの支配を代行する最も有効な機関だからである」― 組合教会牧師ガービ博士,英国。

      [236ページの地図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      世界の至る所で信じられている偽りの教理はバビロンに由来します

      バビロン

      三位一体,もしくは三つ組の神々

      人間の魂は死後も生存する

      心霊術 ―“死者”と話すこと

      崇拝における像の使用

      悪霊をなだめるための呪文の使用

      強力な祭司団による支配

      [239ページの図版]

      古代バビロンは多くの水の上に座っていました

      [239ページの図版]

      大娼婦は今日でもやはり「多くの水」の上に座っています

      [241ページの図版]

      危険な野獣の上に座っている大いなるバビロン

      [242ページの図版]

      宗教上の娼婦は地の王たちと淫行を犯してきました

      [245ページの図版]

      女は『聖なる者たちの血に酔って』います。

  • 畏敬の念を起こさせる秘義が解かれる
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 34章

      畏敬の念を起こさせる秘義が解かれる

      1 (イ)大娼婦と彼女が獣に乗っている恐るべき様子を見ると,ヨハネはどのように反応しますか。それはなぜですか。(ロ)預言的な幻を成就する種々の出来事が現われるにつれて,ヨハネ級の人たちは今日,どのように反応しますか。

      大娼婦と彼女が獣に乗っている恐るべき様子を見たヨハネは,どんな反応を示しますか。ヨハネ自身こう答えています。「さて,彼女を目にした時,わたしは非常に不思議に思った」。(啓示 17:6[後半])単なる人間の想像力だけでは,このような光景はとても思い浮かぶものではありません。ところが,それが見えるのです。しかも,遠い荒野の中で,身を持ちくずした娼婦が身の毛のよだつような緋色の野獣の上に乗っかっています!(啓示 17:3)預言的な幻を成就する種々の出来事が現われるにつれて,ヨハネ級の人たちも今日,非常に不思議に思っています。もしも,世の人々がそれを見ることができたなら,“信じられないことだ!”と叫ぶでしょうし,世の支配者たちなら同様に,“考えられないことだ!”と言うでしょう。しかし,その幻は現代の驚くべき事実となっているのです。神の民はその幻の成就にすでに著しい仕方であずかってきました。これは,預言がまさしくその驚嘆すべき最高潮に向かって進んで行くことを神の民に保証しています。

      2 (イ)驚嘆するヨハネにこたえ応じて,み使いは彼に何を告げますか。(ロ)ヨハネ級の人たちはその級に対して何を明らかにしてきましたか。このことはどのように行なわれてきましたか。

      2 み使いはヨハネが驚嘆していることに気づきます。それで,ヨハネはさらにこう続けます。「すると,み使いがわたしに言った,『なぜ不思議に思ったのか。わたしは,女と,その女を運んでいる,七つの頭と十本の角を持つ野獣の秘義をあなたに告げよう』」。(啓示 17:7)ああ,み使いは今や,その秘義を解明します! み使いは,目を大きく見開いたヨハネに,その幻の様々な面と今や起ころうとしている劇的な出来事を説明します。同様に,注意深いヨハネ級の人たちは今日,み使いの指導のもとに奉仕して,その級に対して預言に関する理解を明らかにしてきました。「解き明かしは神によるのではありませんか」。忠実なヨセフ同様,わたしたちも,その通りだと思います。(創世記 40:8。ダニエル 2:29,30と比較してください。)エホバが幻の意味とその幻が神の民の生活に及ぼす影響について彼らに解き明かしてくださる時,神の民はあたかも舞台の中央に置かれているかのようになります。(詩編 25:14)神はまさしく時をたがえず,女と野獣に関する秘義を解いて,ご自分の民に理解させてくださいました。―詩編 32:8。

      3,4 (イ)1942年にN・H・ノアはどんな公開講演を行ないましたか。その講演の中で,緋色の野獣の実体はどのように明らかにされましたか。(ロ)N・H・ノアは,み使いがヨハネに語ったどんな言葉について論じましたか。

      3 第二次世界大戦がたけなわだった,1942年9月18日から20日まで,米国のエホバの証人は「新しい世神権大会」を開きました。主要な大会開催都市となったオハイオ州クリーブランド市は,50余りの他の都市と電話回線で結ばれ,出席者最高数は12万9,699人に達しました。世界の各地で戦時下でも事情の許すところでは,同じプログラムの大会が行なわれました。当時,エホバの民の多くは,その戦争が神のハルマゲドンの戦争に発展するものと考えていました。ですから,「平和 ― それは永続するか」と題する公開講演は,かなりの好奇心を呼び起こしました。平和とは正反対の情勢が諸国民を待ち受けているように思えた当時,ものみの塔協会のN・H・ノア新会長は,どうして平和について大胆に語ることができたのでしょうか。a それは,ヨハネ級の人たちが神の預言的なみ言葉に「普通以上の注意」を払っていたからです。―ヘブライ 2:1。ペテロ第二 1:19。

      4 「平和 ― それは永続するか」と題する講演により,預言にどんな光が当てられましたか。N・H・ノアは啓示 17章3節の緋色の野獣の実体が国際連盟であることをはっきりと述べてから,ヨハネに対するみ使いの次のような言葉に基づいて,連盟の波乱に富んだ経過についてさらに論じました。こう記されています。「あなたの見た野獣はかつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている」― 啓示 17:8(前半)。

      5 (イ)「野獣はかつていた」のに,どうして「今はいない」と言えましたか。(ロ)N・H・ノアは,「連盟はその坑の中にとどまるでしょうか」という問いに,どう答えましたか。

      5 「野獣はかつていた」。そうです,それは国際連盟として1920年1月10日以降存在し,63か国がそれぞれの時期に連盟に加わっていました。しかし,日本,ドイツ,およびイタリアが順に脱退し,旧ソ連は連盟から除名されました。1939年9月にはドイツのナチ独裁者が第二次世界大戦を引き起こしました。b 国際連盟は世界の平和を保つことに失敗したため,事実上,無活動の底知れぬ深みに陥り,1942年には過去のものとなっていました。この年以前でも,それ以後のある年でもなく ― まさしく危機的なその時期に ― エホバは確かにご自分の民に幻の深い意味を十分解き明かされました! その「新しい世神権大会」で,N・H・ノアは預言と調和して,「野獣は……今はいない」と言明することができました。次いで,「連盟はその坑の中にとどまるでしょうか」と問い,啓示 17章8節を引用して,「世の諸国家のその共同体は再び起き上がります」と答えました。確かにその通りになり,エホバの預言的なみ言葉の正しさは立証されました!

      底知れぬ深みから上る

      6 (イ)緋色の野獣はいつ底知れぬ深みからはい上がって来ましたか。どんな名称が付けられていますか。(ロ)国際連合は実際,生き返った緋色の野獣と言えますが,それはどうしてですか。

      6 緋色の野獣は確かに底知れぬ深みからはい上がって来ました。1945年6月26日,米国のサンフランシスコ市で騒々しいファンファーレの響く中,50か国が国際連合機構の憲章を受け入れる賛成投票を行ないました。この機構は「国際の平和及び安全を維持する」はずでした。連盟と国連との間には多くの類似点がありました。ワールドブック百科事典(英文)はこう述べています。「国連は幾つかの点で,第一次世界大戦後に組織された国際連盟と類似している。……国連の設立に加わった国々の多くは,やはり連盟の設立にも加わっていた。連盟と同様,国連は諸国家間の平和維持を助けるために樹立された。国連の主要機関は連盟のそれと大体同様である」。ですから,国連は実際,生き返った緋色の野獣にほかなりません。190か国ほどで成る国連の加盟国数は,63か国を有した連盟のそれをはるかにしのいでいます。国連はまた,その前身よりも一層広範な分野で責任を担ってきました。

      7 (イ)地に住む人々は,生き返った緋色の野獣を見て,どのように驚いて感心しましたか。(ロ)国連はどんな目標を達成しかねていますか。国連の事務総長はこのことについて何と言いましたか。

      7 当初,国連に対して大きな希望が表明されました。それはみ使いの次のような言葉を成就するものでした。「こうして,その野獣がかつてはいたが,今はおらず,後に現われるようになるのを見る時,地に住む者たちは驚いて感心するであろう。しかし彼らの名は世の基が置かれて以来命の巻き物に書かれていない」。(啓示 17:8[後半])地に住む人々は,ニューヨーク市のイースト川の河畔にある堂々たる本部により運営される,この新しい巨像に感心しました。しかし,国連は真の平和と安全をもたらしかねています。20世紀のかなりの期間,世界の平和は,“MAD<マッド>”と略して書かれる“相互確実破壊”(英語,“mutual assured destruction”)の脅威によって維持されたにすぎず,軍備競争は激化の一途をたどり,その支出は天文学的な数字に達しています。ほとんど40年間にわたって国際連合による努力が払われた後,当時のペレス・デクエヤル国連事務総長は1985年に,「我々は別の狂信的な時代に生活しているのに,この時代に関して何をすべきかが分からない」と言って嘆きました。

      8,9 (イ)国連はどうして世界の諸問題に対する打開策を持っていませんか。神の布告によれば,国連は間もなくどうなりますか。(ロ)国連の設立者たちや国連に感心する者たちの名は,どうして神の「命の巻き物」に記されませんか。(ハ)エホバの王国は何を首尾よく成し遂げますか。

      8 国連もその答えを持っていません。それはなぜでしょうか。なぜなら,全人類の命の授与者は,国連に命を与えた者ではないからです。国連は短命です。というのは,神の布告によれば,国連は「去って滅びに至ることになっている」からです。国連の設立者たちや国連に感心する者たちの名は,神の命の巻き物に記されることはありません。エホバ神が,人間の方法ではなく,ご自分のキリストの王国を通して間もなく成し遂げようとしていると言明された事柄を,一体どうして罪深い死すべき人間がやり遂げられるでしょうか。しかも,そのような人間の多くは神のみ名を侮っているのです。―ダニエル 7:27。啓示 11:15。

      9 国連は実際,神の平和の君であるイエス・キリストによるメシアの王国の不敬な偽物です。このキリストの君としての支配こそ,終わりのないものなのです。(イザヤ 9:6,7)たとえ国連がある程度の一時的な平和を間に合わせに作ろうとも,やがて再び戦争が勃発するでしょう。それは罪深い人間の性質上避けられません。「彼らの名は世の基が置かれて以来命の巻き物に書かれて(いません)」。キリストによるエホバの王国は,地上にとこしえの平和を確立するだけでなく,イエスの贖いの犠牲に基づいて,死者を,つまり神の記憶にとどめられている義者と不義者をよみがえらせます。(ヨハネ 5:28,29。使徒 24:15)その中には,サタンとその胤からの攻撃にもかかわらず,確固とした立場を保った人々すべてと,これから従順であることを示すべき他の人たちが含まれます。だれであれ,大いなるバビロンの頑固な信奉者や,野獣を崇拝しつづけている者の名は明らかに,神の命の巻き物には決して記されません。―出エジプト記 32:33。詩編 86:8-10。ヨハネ 17:3。啓示 16:2; 17:5。

      平和と安全 ― むなしい希望

      10,11 (イ)1986年に国連は何を宣言しましたか。どんな反応がありましたか。(ロ)平和を祈り求めるため,幾つの“宗教上の家族”がイタリアのアッシジに集まりましたか。神はそのような祈りにお答えになりますか。説明してください。

      10 国際連合は人類の希望を強化する努力の一環として,「平和と人類の将来を守る」という主題のもとに1986年を「国際平和年」と宣言し,交戦中の国々に少なくとも1年間武器を捨てるよう要請しました。それらの国々はどのようにこたえ応じましたか。国際平和研究協会の一報告によれば,1986年だけで何と500万人もの人々が戦争で殺されました。同年中,特別の硬貨や記念切手が発行されたものの,大抵の国は平和の理想を追求する点でほとんど何もしませんでした。それにしても,国連と親密な関係を持つことにいつも腐心している世界の諸宗教は,その年について様々な方法で宣伝することに取りかかりました。1986年1月1日,法王ヨハネ・パウロ2世は国連の働きをたたえ,元日を平和のためにささげました。そして,10月27日,同法王は平和を求める祈りをささげるため,世界の多くの宗教の指導者たちをイタリアのアッシジに召集しました。

      11 神は平和を求めるそのような祈りにお答えになりますか。では,それら宗教指導者たちはどの神に祈ったのでしょうか。もし彼らに尋ねるとしたら,それぞれのグループが違った答えを述べたことでしょう。多くの異なった仕方で行なわれる請願を聞いて,答えられる何百万もの神々のいる万神殿でもあるのでしょうか。参加者の多くはキリスト教世界の三位一体の神を崇拝しました。c 仏教徒,ヒンズー教徒,その他の人々は無数の神々に向かって祈りを唱えました。英国国教会のカンタベリー大主教,仏教のダライラマ,ロシア正教会の府主教,東京の神道神社協会の会長,アフリカの精霊崇拝者たち,および羽毛を付けた頭飾りで着飾った二人のアメリカ・インディアンなどの著名人で代表される,全部で12の“宗教上の家族”が集まりました。それは,少なくとも,見事なテレビ報道をするのには多彩なグループでした。あるグループは一度に12時間も休まずに祈り続けました。(ルカ 20:45-47と比較してください。)しかし,そのような祈りのどれかが,その集まりの場所の上空にかかった雨雲のさらに上方に達したでしょうか。いいえ,達しませんでした。その理由は次の通りです。

      12 神はどんな理由で,世界の宗教指導者たちの,平和を求める祈りにお答えになりませんでしたか。

      12 「エホバの名によって歩む」人たちとは対照的に,それらの宗教家はだれ一人,生ける神エホバに祈っていませんでした。この方のみ名は聖書の元の本文に7,000回ほど出ています。(ミカ 4:5。イザヤ 42:8,12)d 彼らは集団としてはイエスの名によって神に近づきませんでしたし,その大多数はイエス・キリストをさえ信じていませんでした。(ヨハネ 14:13; 15:16)彼らはだれ一人として現代に対する神のご意志を行なっていません。そのご意志とは,国連ではなく,来たるべき神の王国を人類のための真の希望として全世界でふれ告げることです。(マタイ 7:21-23; 24:14。マルコ 13:10)彼らの宗教組織は大抵,20世紀の二度の世界大戦を含め,歴史上の数々の血生臭い戦争に関係してきました。神はそのような宗教組織に対して,こう言われます。「たとえあなた方が多くの祈りをしようとも,わたしは聴いてはいない。あなた方のその手は流血で満ちている」― イザヤ 1:15; 59:1-3。

      13 (イ)世界の宗教指導者たちが国連と提携して平和を叫び求めるのは,なぜ重大な事柄ですか。(ロ)平和を求める叫びはついに,神により予告されたどんな最高潮に達しますか。

      13 その上,この時期に世界の宗教指導者たちが国際連合と提携して平和を叫び求めるのは,極めて重大な事柄です。宗教指導者たちは自分たちの益のために国連に影響を及ぼしたいと考えているようですが,彼らの教区民が余りにも多く宗教を放棄している現代では特にそうです。古代イスラエルの不忠実な指導者たちと同様,彼らは「平和がないのに,『平和だ! 平和だ!』」と叫びます。(エレミヤ 6:14)平和を求める彼らの叫び声は続き,使徒パウロが次のように預言した最高潮を支えるものとして高まってゆきます。「エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなた方自身がよく知っているからです。人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」― テサロニケ第一 5:2,3。

      14 「平和だ,安全だ」という叫び声は,どんな形を取るかもしれませんか。どうすれば,その叫び声に惑わされずにすみますか。

      14 近年,政治家たちは人間の様々な企てを描写するのに,『平和と安全』という表現を用いています。世界の指導者たちによるそうした努力が,テサロニケ第一 5章3節の成就の始まりとなるのでしょうか。それともパウロが言及していたのは,世界の注目を集めるほど劇的な特定の出来事だけでしょうか。聖書の預言は多くの場合,成就してからか,成就の途上でなければ完全には理解できないので,わたしたちは事態の進展を見守らなければなりません。またクリスチャンは,諸国家がいかなる平和や安全を達成したように見えるとしても基本的には何も変わらない,ということを知っています。利己心,憎しみ,犯罪,家族の崩壊,不道徳,病気,悲しみ,および死は依然として存続します。ですからあなたは,世界の出来事の意味に目覚め,神のみ言葉の預言的な警告に留意しているなら,「平和だ,安全だ」というどんな叫びにも惑わされることはないでしょう。―マルコ 13:32-37。ルカ 21:34-36。

      [脚注]

      a J・F・ラザフォードは1942年1月8日に亡くなり,N・H・ノアがその跡を継いでものみの塔協会の会長になりました。

      b 1940年11月20日,ドイツ,イタリア,日本,およびハンガリーは“新国際連盟”設立のための文書に署名し,その4日後,バチカン当局はミサを行ない,そのミサと,宗教的な平和と物事の新しい秩序を求める祈りとを放送しました。その“新連盟”はついに実現しませんでした。

      c 三位一体の概念は,太陽神シャマシュ,月の神シン,星の神イシュタルが三つ組の神として崇拝されていた古代バビロンに源を発しています。エジプトも同じ型に倣い,オシリス,イシス,およびホルスを崇拝しました。アッシリアの主神アッシュールは三つの頭のある神として描かれています。同じ型に従うものとして,カトリック教会には神を三つの頭のある者として表わした像があります。

      d 1993年版,ウェブスター新国際辞典第三版は,エホバ神のことを「エホバの証人により認められ,崇拝されている唯一最高の神」と定義しています。

      [250ページの囲み記事]

      「平和」という逆説

      国連は1986年を国際平和年と宣言したにもかかわらず,自殺的な軍備競争は激化しました。「世界の軍事および社会支出 1986年版」と題する報告書は,酔いを覚まさせるような下記の詳細な事柄を挙げています:

      1986年の全世界の軍事支出は9,000億㌦(約117兆円)に達した。

      全世界の1時間の軍事支出は,予防可能な病気で1年間に死亡した350万もの人々に予防ワクチンを投与する費用をまかなうに足るものであった。

      世界の人々のうち,5人につき一人が貧困にあえいでいた。世界が軍備に二日間費やすお金で,それら飢えている人々すべてを1年間養うことも可能であった。

      世界が保有する核兵器の爆発力は,チェルノブイリでの爆発力の1億6,000万倍に達した。

      運搬できる1発の核爆弾の爆発力は,1945年に広島に投下された原爆の500倍以上の威力があった。

      核保有量は広島型原爆の100万個以上に相当し,その爆発力は3,800万もの人々を死に追いやった第二次世界大戦で使用された爆発力の2,700倍に当たるものだった。

      戦争は一層頻度を増し,一層凶悪になった。戦争による死者の合計は18世紀には440万人,19世紀には830万人,20世紀の最初の86年間では9,880万人であった。18世紀以来,戦争による死者の数は世界人口の6倍以上の速さで増加してきた。20世紀では1回の戦争の度に生ずる死者の数は,19世紀の場合より10倍も多かった。

      [247ページの図版]

      緋色の野獣について預言されているように,国際連盟は第二次世界大戦中,底知れぬ深みに陥りましたが,国際連合として生き返りました

      [249ページの図版]

      世界の諸宗教の代表者たちは国連の「平和年」を支持し,イタリアのアッシジで訳の分からない祈りをささげましたが,それらの代表者はだれ一人として生ける神エホバに祈りませんでした

  • 大いなるバビロンを処刑する
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 35章

      大いなるバビロンを処刑する

      1 み使いは緋色の野獣をどのように描写しますか。啓示の書の象徴的な言葉を理解するには,どんな知恵が必要ですか。

      み使いは啓示 17章3節の緋色の野獣についてさらに描写し,ヨハネにこう告げます。「ここが知恵の伴うそう明さの関係してくるところである。七つの頭は七つの山を表わしており,その上にこの女が座っている。そして七人の王がいる。五人はすでに倒れ,一人は今おり,他の一人はまだ到来していない。しかし到来したなら,少しの間とどまらなければならない」。(啓示 17:9,10)み使いはここで上からの知恵,つまり啓示の書の象徴的な言葉に関する理解を与え得る唯一の知恵を伝えます。(ヤコブ 3:17)その知恵が,わたしたちの生きているこの時代の重大さについてヨハネ級の人たちとその仲間を啓発します。それは,今やまさに執行されようとしているエホバの裁きに対する認識を専心の念の厚い心の内に築き,エホバに対する健全な恐れを教え込みます。箴言 9章10節が,「エホバへの恐れは知恵の始めであり,最も聖なる方についての知識が理解なのである」と述べている通りです。神からの知恵は野獣に関するどんなことをわたしたちに明らかにしますか。

      2 緋色の野獣の七つの頭は何を意味していますか。どうして,「五人はすでに倒れ,一人は今おり」と言えますか。

      2 あのどう猛な獣の七つの頭は七つの「山」,つまり七人の「王」を表わしています。聖書では,これらの言葉はいずれも政治権力を指して使われています。(エレミヤ 51:24,25。ダニエル 2:34,35,44,45)聖書は神の民の事柄に影響を及ぼす次のような六つの世界強国に言及しています。それはエジプト,アッシリア,バビロン,メディア-ペルシャ,ギリシャ,およびローマです。そのうち,ヨハネが啓示の書の内容を与えられた時までに,五つはすでに来て,去って行きましたが,ローマがなお世界強国として栄えていました。この状況は,「五人はすでに倒れ,一人は今おり」という言葉とよく合致します。しかし,到来することになっている「他の一人」についてはどうですか。

      3 (イ)ローマ帝国はどのように分裂しましたか。(ロ)西ローマ帝国ではどんな出来事が起きましたか。(ハ)神聖ローマ帝国はどのようにみなされるべきですか。

      3 ローマ帝国はヨハネの時代以後,何百年間も持ちこたえ,拡張さえしました。西暦330年,コンスタンティヌス皇帝は首都をローマからビザンティウムに移し,その名称をコンスタンティノープルと改めました。西暦395年,ローマ帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂しました。西暦410年,ローマそれ自体は西ゴート族(アリウス派の“キリスト教”に改宗していたゲルマンの一族)の王アラリックの手に落ちました。(これまた“クリスチャン”であった)ゲルマン民族は,スペインや北アフリカのローマ領の大半を征服しました。ヨーロッパでは何世紀にもわたって動乱や不穏な状態や再調整が続きました。西ローマ帝国では,9世紀に教皇レオ3世と同盟を結んだシャルルマーニュや13世紀に君臨したフリードリヒ2世などの著名な皇帝が現われました。しかし,彼らの領土は神聖ローマ帝国と呼ばれたものの,以前の最盛期当時のローマ帝国の領土よりもずっと小さなものでした。それは新しい帝国というよりも,その昔の強国を復興した,もしくは存続させたものでした。

      4 東ローマ帝国はどんな成功を収めましたか。しかし,北アフリカ,スペイン,およびシリアにあった古代ローマの以前の領土の大半はどうなりましたか。

      4 コンスタンティノープルを中心にした東ローマ帝国は,西ローマ帝国と多少不穏な関係にありましたが,持ちこたえました。6世紀には,東の皇帝ユスティニアヌス1世が再び北アフリカの大半を征服することができ,またスペインやイタリアにも干渉しました。7世紀には,ユスティニアヌス2世が,スラブ民族によって征服されていたマケドニア地方を東ローマ帝国のために取り戻しました。しかし,8世紀までには,北アフリカ,スペイン,およびシリアにあった古代ローマの以前の領土の大半は,新しいイスラム教帝国の勢力下に入り,コンスタンティノープルとローマの両方の支配下から離れました。

      5 ローマの都は西暦410年に陥落しましたが,世界の舞台から政治上のローマ帝国のこん跡がすべて過ぎ去るまでには,どうしてさらに何世紀もかかりましたか。

      5 コンスタンティノープルの都そのものは幾らか長く持ちこたえ,ペルシャ人,アラブ人,ブルガリア人,およびロシア人からしばしば攻撃されたにもかかわらず生き残りましたが,ついに1203年にイスラム教徒ではなく,西方からの十字軍の手に落ちました。しかし1453年には,イスラム教徒オスマントルコ族の支配者メフメト2世の支配下に入り,間もなくオスマン,もしくはトルコ帝国の首都となりました。こうして,ローマの都は西暦410年に陥落しましたが,世界の舞台から政治上のローマ帝国のこん跡がすべて過ぎ去るまでには,さらに何世紀もかかりました。しかも,そうなってからでさえ,同帝国の影響は,ローマの教皇制度や東方正教会に基づく宗教帝国の中になおも認められました。

      6 どんな真新しい帝国が現われましたか。最大の成功を収めたのはどの帝国でしたか。

      6 しかし15世紀までには,幾つかの国々が真新しい帝国を築いていました。それら新たな帝国の幾つかはローマのかつての植民地の領土にありましたが,それらの帝国は単にローマ帝国を存続させたものではありませんでした。ポルトガル,スペイン,フランス,およびオランダなどは皆,広範囲にわたる領土の中心地になりました。しかし,最大の成功を収めた英国は,“太陽の没することのない”巨大な帝国を支配するようになりました。この帝国は様々な時期に,南太平洋の広大な地域はもとより,北アメリカ,アフリカ,インド,および東南アジアの大半に勢力を広げました。

      7 どのようにして一種の二重世界強国が存在するようになりましたか。ヨハネは,第七の「頭」,つまり第七世界強国がどれほどの期間存続すると言いましたか。

      7 19世紀までには,北アメリカの幾つかの植民地がすでに英国から分離して,独立したアメリカ合衆国が創設されました。政治的には,この新しい国とかつての母国との間に多少の不和が生じました。とはいえ,第一次世界大戦が始まると,両国は共通の権益を認めざるを得なくなり,特別の関係で固く結ばれるようになりました。こうして,今や世界で最も裕福な国家であるアメリカ合衆国と世界最大の帝国の中心地である英国とで成る,一種の二重世界強国が存在するようになりました。ですから,第七の「頭」,つまり第七世界強国が現に存在しています。この世界強国は終わりの時に入ってなお存続しており,現代のエホバの証人はこの世界強国の中で最初に地歩を固めました。第六の頭の長い統治期間に比べれば,第七の頭は,神の王国が実在する国家すべてを滅ぼす時まで,ほんの「少しの間」とどまるにすぎません。

      八人目の王と呼ばれたのはなぜか

      8,9 み使いは象徴的な緋色の野獣のことを何と呼んでいますか。それはどのようにして,その七つから出ますか。

      8 み使いはヨハネにさらにこう説明します。「そして,かつていたが今はいない野獣,それ自身は八人目の王でもあるが,その七つから出,去って滅びに至る」。(啓示 17:11)象徴的な緋色の野獣は七つの頭「から出」ます。すなわち,最初の『海から上った野獣』のそれらの頭から生まれます。もしくは,その助けで存在するようになります。緋色の野獣はその『海から上った野獣』の像なのです。では,どのようにして生まれますか。1919年当時,英米世界強国が優勢な頭でした。以前の六つの頭はすでに倒れており,最も有力な世界強国の地位はこの二重の頭に移り,今やその頭が中心的な世界強国の地位を占めました。一連の世界強国の現在の代表であるこの第七の頭は,国際連盟を樹立する際の主動勢力でしたし,今なお国際連合の主要な推進者ならびに財政上の支持者です。ですから,象徴的に言って,その緋色の野獣 ― 八人目の王 ― は最初の七つの頭「から出」ます。このように考えると,それがその七つから出たという表現は,子羊のような二本の角のある野獣(あの最初の野獣の第七の頭である英米世界強国)が像を作るように勧め,それに命を与えたことを述べる,以前に啓示された事柄とよく調和しています。―啓示 13:1,11,14,15。

      9 その上,国際連盟の最初の加盟国には,英国と共に,以前の幾つかの頭,すなわちギリシャ,イラン(ペルシャ),イタリア(ローマ)が存在していた場所で支配した諸政府が含まれていました。以前の六つの世界強国が支配した領土で統治する諸政府は,やがて野獣の像を支持する加盟国となりました。このような意味でも,この緋色の野獣はやはり七つの世界強国から出たと言うことができました。

      10 (イ)その緋色の野獣はどうして,「それ自身は八人目の王でもある」と言えますか。(ロ)旧ソ連の一指導者は国連を支持する態度をどのように表明しましたか。

      10 緋色の野獣が「それ自身は八人目の王でもある」と言われていることに注目してください。したがって,今日,国際連合は一つの世界政府として目に映るようにもくろまれています。また,朝鮮半島,シナイ半島,アフリカの幾つかの国,およびレバノンの場合のように,国際紛争を解決するため,時々軍隊を戦場に派遣して,一つの世界政府のように行動することさえしてきました。しかし,それは一人の王の単なる像にすぎません。それを存在させた者たちや,それを崇拝する者たちにより付与されているものを別にすれば,それは宗教的な像のように,現実の影響力あるいは力を何も持っていません。この象徴的な野獣は時々弱そうに見えますが,国際連盟をよろめかせて底知れぬ深みに陥れた,独裁者を重視する加盟国により一斉に見捨てられるような経験はまだ一度もしていません。(啓示 17:8)他の分野では根本的に違った意見を持っている,旧ソ連の著名な一指導者は,1987年に国連を支持する態度を表明して,ローマの法王たちと行動を共にしました。また,国連を土台にした「国際的な安全のための総合的な制度」が必要であるとさえ唱えました。ヨハネが間もなく理解するように,国連が相当の権威を持って行動するようになる時が来ます。それから,今度は,国連が『去って滅んで』しまいます。

      一時のあいだ支配する十人の王

      11 エホバのみ使いは象徴的な緋色の野獣の十本の角についてどんなことを告げますか。

      11 啓示の書の以前の章では,第六と第七のみ使いがそれぞれ神の怒りの鉢の中身を注ぎ出しました。こうして,地の王たちがハルマゲドンでの神の戦いに集められ,『大いなるバビロンが神のみ前で思い出されようとしている』ことをわたしたちは知らされました。(啓示 16:1,14,19)今度は,それらの者たちに対する神の裁きがどのように執行されるかを大変詳しく学べます。ヨハネに次のように語るエホバのみ使いの言葉をお聴きください。「また,あなたが見た十本の角は十人の王を表わしている。彼らはまだ王国を受けていないが,一時のあいだ野獣と共に王としての権威を受けるのである。これらの者は一つの考えを抱き,それゆえに自分たちの力と権威を野獣に与える。これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼と共に征服する」― 啓示 17:12-14。

      12 (イ)十本の角は何を表わしていますか。(ロ)象徴的な十本の角は,どうして『まだ王国を受けていませんでした』か。(ハ)象徴的な十本の角は,どうして今,「王国」を持っていると言えますか。それはどれほどの期間ですか。

      12 十本の角は,現在,世界の舞台で力を握り,野獣の像を支持している政治強国すべてを表わしています。現存する国々で,ヨハネの時代に知られていた国はごく少数でした。また,エジプトやペルシャ(イラン)などの名称で知られていた国々は,今日,全く異なった政治機構を持っています。したがって,1世紀当時,『十本の角はまだ王国を受けていませんでした』。しかし,主の日の今,「王国」,つまり政治上の権威を持っています。大植民地帝国が崩壊すると共に,とりわけ第二次世界大戦以後,多くの新しい国家が誕生しました。長年にわたって確立された強国はもとより,それらの新しい国々は,野獣と共に短期間,つまりエホバがハルマゲドンでこの世の政治権威すべてを終わらせる前のほんの「一時」のあいだ支配しなければなりません。

      13 十本の角はどのような仕方で「一つの考え」を抱いていますか。そのために,子羊に対して確かにどんな態度を取るようになりますか。

      13 今日,これらの十本の角を動かしている最も強い力の一つは国家主義です。彼らは神の王国を受け入れるどころか,自分たちの国家主権を保持したいと願う点で「一つの考え」を抱いています。これこそ彼らが国際連盟や国際連合機構に賛同する第一の目的です。つまり,世界平和を維持し,自分自身を保護して存続させることです。それらの角はこのような態度を取っていますから,「主の主,王の王」なる子羊に確かに反対するようになります。なぜなら,エホバはイエス・キリストの治める王国が間もなくそれらすべての王国に取って代わることを意図しておられるからです。―ダニエル 7:13,14。マタイ 24:30; 25:31-33,46。

      14 世の支配者たちはどうして子羊と戦うことができるのでしょうか。その結果,どうなりますか。

      14 もちろん,この世の支配者たちがイエスご自身に対して行なえるようなことは何もありません。イエスは彼らの手の全然届かない天におられます。しかし,女の胤の残っている者たちである,イエスの兄弟たちはなお地上におり,攻撃を受けやすいように見えます。(啓示 12:17)それらの角の多くはすでに彼らに対して激しい敵意を表わしており,こうして子羊と戦ってきました。(マタイ 25:40,45)しかし,間もなく,神の王国が『これらのすべての王国を打ち砕いて終わらせる』時が来ます。(ダニエル 2:44)わたしたちは間もなく見るのですが,その時,地の王たちは子羊と最後まで戦うことになります。(啓示 19:11-21)しかし,わたしたちはここで,諸国家が成功を収めるのではないことを十分理解するように学べます。それら諸国家や国連の緋色の野獣は「一つの考え」を抱きますが,彼らは偉大な「主の主,王の王」なる方を打ち負かすことはできませんし,なお地上にいる,キリストの油そそがれた追随者たちを含め,『彼と共にいる,召され,選ばれた忠実な者たち』を打ち負かすこともできません。それら忠実な人たちもまた,サタンの卑劣な告発にこたえて忠誠を保つことにより征服してゆきます。―ローマ 8:37-39。啓示 12:10,11。

      娼婦を荒れ廃れさせる

      15 み使いは娼婦について,また十本の角と野獣が彼女に対して取る態度や行動について何と述べますか。

      15 神の民だけが十本の角の敵意の対象となるのではありません。み使いは今や,ヨハネの注意を再び娼婦に向けさせます。「また彼はわたしに言う,『あなたの見た水,娼婦が座っているところは,もろもろの民と群衆と国民と国語を表わしている。そして,あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼き尽くすであろう』」― 啓示 17:15,16。

      16 政治上の諸政府が大いなるバビロンを激しく攻撃する時,彼女は保護と支えを与えるその水に,どうして頼ることができなくなりますか。

      16 古代バビロンが水を利用した防御手段に頼ったのと同様,大いなるバビロンは今日,「もろもろの民と群衆と国民と国語」で成る,膨大な人数の会員に頼っています。み使いは,この地の政治上の諸政府が大いなるバビロンを激しく攻撃する衝撃的な出来事について告げる前に,適切にもそれらの人々にわたしたちの注意を引いています。それらの「もろもろの民と群衆と国民と国語」すべてはその時,何をするのでしょうか。神の民はすでに,ユーフラテス川の水がかれることを大いなるバビロンに警告しています。(啓示 16:12)その水はついには完全に引いてしまいます。それは,最悪の危急の時に,嫌悪すべき年取った娼婦に何ら有効な支えを与えることができないでしょう。―イザヤ 44:27。エレミヤ 50:38; 51:36,37。

      17 (イ)大いなるバビロンの富はどうして彼女を救うものとはなりませんか。(ロ)大いなるバビロンの終わりはどうして品位のあるものとはとても言えませんか。(ハ)十本の角,つまり個々の国家のほかに,何がこの凶暴な行為に加わりますか。

      17 大いなるバビロンの物質上の膨大な富も確かに彼女を救うものとはなりません。それは彼女の滅びを早めさえするでしょう。というのは,幻は,野獣と十本の角が彼女に憎しみをぶちまける時,その王衣や宝石類をすべて奪い取ることを示しているからです。彼女の富を略奪するのです。彼らは彼女を「裸にし」,恥ずべきことに,その実際の性格を暴露します。何という荒廃でしょう。彼女の終わりもまた,品位のあるものとはとても言えません。彼らは彼女を滅ぼし,「その肉を食いつくし」,命のない骸骨にして,最後に『彼女を火で焼き尽くし』ます。彼女は疫病の保菌者のように,まともに埋葬されることもなく焼き尽くされます! この大娼婦を滅ぼすのは,十本の角で表わされている諸国家だけではありません。国連そのものを意味する「野獣」もそれらの国家と共にこの凶暴な行為に加わります。国連は偽りの宗教を滅ぼすことを認めるようになります。国連内の190余りの国々の多くはすでにその投票の傾向で,宗教,特にキリスト教世界の宗教に対する敵意を表わしてきました。

      18 (イ)わたしたちは諸国家がバビロン的な宗教に敵対する可能性を示すどんな事柄を見てきましたか。(ロ)大娼婦に対して全面的な攻撃が行なわれる根本的な理由は何ですか。

      18 諸国家はどうしてそのようなひどい仕方でかつての情婦を扱うのでしょうか。バビロン的な宗教にそのように敵対する可能性を示す事柄を,わたしたちは近年の歴史の中で見てきました。旧ソ連や中国のような国では,政府による公の反対のために宗教の影響力は驚くほど減少しました。ヨーロッパのプロテスタントの世界では無関心や懐疑の念がはびこって,多くの教会が空っぽになったため,宗教は事実上死んでいます。広大なカトリック帝国は,指導者たちが静められない反抗や不和のために分裂しています。とはいえ,大いなるバビロンに対するこの最後の全面的な攻撃は,大娼婦に対する神の変更できない裁きの表明としてもたらされるということを見失わないようにすべきです。

      神の考えを遂行する

      19 (イ)西暦前607年に背教したエルサレムに執行された裁きは,エホバが大娼婦に執行される裁きをどのように例証するものとなりますか。(ロ)西暦前607年以後,エルサレムが陥った,荒廃した,人の住まない状態は,今日のどんな事柄を予示しましたか。

      19 エホバはこの裁きをどのように執行されますか。エホバが昔,背教したご自分の民に対して取られた処置は,そのことを例証していると言えるでしょう。その民についてこう言われました。「エルサレムの預言者たちの中にわたしは恐るべきことを見た。姦淫をすることと偽りによって歩むこととを。彼らは悪を行なう者たちの手を強め,その者たちがそれぞれ自分の悪から引き返すことのないようにした。わたしにとって,彼らは皆ソドムのようになり,その住民はゴモラのようになった」。(エレミヤ 23:14)西暦前607年にエホバは,霊的な姦淫を犯した,その都市の『衣をはぎ取り,美しい品々を取り去り,裸にし,何も身に着けないままにさせて捨て』させるため,ネブカドネザルをお用いになりました。(エゼキエル 23:4,26,29)当時のエルサレムは今日のキリスト教世界のひな型でしたから,ヨハネが以前の幻で見た通り,エホバはキリスト教世界と他の偽りの宗教に対して同様の処罰を加えられます。西暦前607年以後,エルサレムが陥った,荒廃した,人の住まない状態は,キリスト教世界がその富を奪われ,恥ずべきことに真相が暴露された後,どのように見えるかを示しています。また,大いなるバビロンの残りの部分も同様のひどい目に遭います。

      20 (イ)ヨハネは,エホバが裁きを執行する際,もう一度人間の支配者たちをお用いになることをどのように示していますか。(ロ)神の「考え」とは何ですか。(ハ)諸国家はどのように自分たちの「一つの考え」を遂行しようとしますか。しかし,実際にはだれの考えが遂行されますか。

      20 エホバは裁きを執行する際,再び人間の支配者たちをお用いになります。こう記されています。「神は,ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れたからである。すなわち,彼らの王国を野獣に与えて彼らの一つの考えを遂行し,神の言葉の成し遂げられるに至ることである」。(啓示 17:17)神の「考え」とは何ですか。大いなるバビロンを完全に滅ぼすため,その刑執行者たちを団結するように取り計らうことです。もちろん,彼女を攻撃する支配者たちの動機は,自分たちの「一つの考え」を遂行することです。大娼婦に敵対することは自分たちの国家主義的な益になると思うようになるのです。そして,自分たちの境界内に引き続き存在する組織化された宗教は,自分たちの主権にとって脅威だと考えるようになるかもしれません。しかし,実際にはエホバが物事を動かしておられるので,彼らは姦淫を犯した長年の敵を一撃のもとに滅ぼすことにより,エホバの考えを遂行します!―エレミヤ 7:8-11,34と比較してください。

      21 大いなるバビロンを滅ぼすのに緋色の野獣が用いられるのですから,諸国家は明らかに国際連合に関して何をするようになりますか。

      21 そうです,諸国家は緋色の野獣,つまり国際連合を用いて,大いなるバビロンを滅ぼしますが,全く自発的に行動する訳ではありません。というのは,エホバが『彼らの王国を野獣に与えて彼らの一つの考えを遂行する』企てを彼らの心に入れられるからです。時が来ると,諸国家は明らかに国際連合を強化する必要を認めるようになります。いわば歯を与えて,つまり何であれ,自分たちの持っている権威や力を国連に貸して,国連が偽りの宗教に敵対して首尾よく戦えるようにし,ついに『神の言葉が成し遂げられる』ようになるのです。こうして,古来の娼婦は完全に終わりを告げます。これでいい厄介払いができます!

      22 (イ)啓示 17章18節で,み使いがその証言を結んでいる仕方は何を示していますか。(ロ)エホバの証人は秘義の解明にどのようにこたえ応じますか。

      22 み使いは,あたかも偽りの宗教の世界帝国に対するエホバの裁きの執行が確実であることを強調するかのように,自分の証言を次のように結んでいます。「そして,あなたの見た女は,地の王たちの上に王国を持つ大いなる都市を表わしている」。(啓示 17:18)ベルシャザルの時代のバビロンのように,大いなるバビロンは,「天びんで量られて,不足のあることが知られ」ました。(ダニエル 5:27)彼女は速やかに,また最終的に処刑されます。それで,エホバの証人は大娼婦の秘義と緋色の野獣の秘義の解明にどのようにこたえ応じますか。エホバの裁きの日をふれ告げる業で熱意を示し,誠実な真理探究者には「慈しみのある」仕方で答えることによって,こたえ応じます。(コロサイ 4:5,6。啓示 17:3,7)次の章が示すように,大娼婦が処刑される際に生き残りたいと願う人々はすべて,行動しなければ,しかも素早く行動しなければなりません!

      [252ページの図版]

      一連の七つの世界強国

      エジプト

      アッシリア

      バビロン

      メディア-ペルシャ

      ギリシャ

      ローマ

      英米世界強国

      [254ページの図版]

      『それ自身は八人目の王である』

      [255ページの図版]

      彼らは子羊に背を向けて,「自分たちの力と権威を野獣に与え」ます

      [257ページの図版]

      大いなるバビロンの主要な部分であるキリスト教世界は,完全な破滅を被る点で,古代エルサレムに似るものとなります

  • 荒廃させられる大いなる都市
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 36章

      荒廃させられる大いなる都市

      第12の幻 ― 啓示 18:1–19:10

      主題: 大いなるバビロンの倒壊と滅び; 子羊の結婚が発表される

      成就する期間: 1919年から大患難の後まで

      1 何が大患難の始まりをしるし付けるものとなりますか。

      突然の恐ろしい荒廃 ― 大いなるバビロンはこうして消滅します! それは,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」の始まりをしるし付ける,歴史上極めて破局的な出来事の一つとなるでしょう。―マタイ 24:21。

      2 政治上の様々な帝国が興っては滅びましたが,どんな帝国は持ちこたえてきましたか。

      2 偽りの宗教は長い時間を経てきました。それは,エホバに反対して人々にバベルの塔を建てさせた,血に飢えたニムロデの時代以来,連綿と存在してきました。エホバがそれら反逆者たちの国語を混乱させ,人々を全地に散らされた時,バビロンの偽りの宗教も人々と共に各地に伝わってゆきました。(創世記 10:8-10; 11:4-9)その時以来,政治上の様々な帝国が興っては滅びましたが,バビロン的な宗教は持ちこたえてきました。それは数多くの形式や形態を取りながら,偽りの宗教の一つの世界帝国,つまり預言された大いなるバビロンとなりました。その最も顕著な部分は,初期のバビロン的な教理と背教した“キリスト教”の教理を融合したものから生じたキリスト教世界です。大いなるバビロンは余りにも長い歴史を持っているため,大いなるバビロンが滅ぼされるなどということは,多くの人々にとって信じ難い事柄です。

      3 啓示の書は偽りの宗教の宿命をどのように確証していますか。

      3 ですから,啓示の書が,大いなるバビロンの倒壊とその完全な荒廃に至るまでのその後の出来事を二通りの仕方で詳細に描写して,偽りの宗教の宿命を確証しているのは,適切なことです。わたしたちはすでに,「大娼婦」である大いなるバビロンについて調べてきました。彼女は政治上の領域のかつての愛人たちによって最後には荒廃させられます。(啓示 17:1,15,16)今度は,さらにもう一つの幻の中で,古代バビロンの宗教上の対型である,一つの都市としての大いなるバビロンを見ようとしています。

      大いなるバビロンは転倒する

      4 (イ)ヨハネは次にどんな幻を見ますか。(ロ)そのみ使いがだれであるかはどうして分かりますか。大いなるバビロンが倒れたことをその方が発表するのは,どうしてふさわしいことですか。

      4 ヨハネはさらにその記述を続け,わたしたちにこう告げます。「これらのことの後,わたしは,別のみ使いが天から下って来るのを見た。彼は大いなる権威を持っており,地は彼の栄光によって明るく照らされた。そして,彼は強い声で叫んで言った,『彼女は倒れた! 大いなるバビロンは倒れた』」。(啓示 18:1,2[前半])ヨハネがみ使いによるこのような発表を聞くのは,これで二度目です。(啓示 14:8をご覧ください。)しかし,この度は,その発表の重要性は天のみ使いの荘厳さによって強調されています。というのは,そのみ使いの栄光が全地を照らしているからです! このみ使いは果たしてだれでしょうか。何世紀も前に,エゼキエルは天の幻について報告し,「地はその[エホバの]栄光のゆえに輝いた」と述べました。(エゼキエル 43:2)エホバの栄光と比べられるような栄光で輝く唯一のみ使いは,「神の栄光の反映,またその存在そのものの厳密な描出」であられる主イエスでしょう。(ヘブライ 1:3)1914年にイエスは天の王となられ,その時以来,エホバの仲間の王,ならびに裁き主として地を治める権威を行使してこられました。ですから,大いなるバビロンが倒れたことをこの方が発表するのはふさわしいことです。

      5 (イ)そのみ使いは,大いなるバビロンが倒れたことをふれ告げるのに,だれを用いますか。(ロ)「神の家」の者であると唱える人々に関する裁きが始まった時,キリスト教世界はどうなりましたか。

      5 大いなる権威を持っているそのみ使いは,このような驚くべき知らせを人類の前でふれ告げるのに,だれをお用いになりますか。むろん,それは,大いなるバビロンが倒れた結果解放された人々,つまりヨハネ級の人たちである,地上に残っている油そそがれた者たちです。1914年から1918年にかけて,これらの人たちは大いなるバビロンの手に掛かって大変苦しめられましたが,1918年には主エホバとその「[アブラハム]契約の使者」イエス・キリストが,クリスチャンと称する人々,つまり「神の家」に対して裁きを始められました。こうして,背教したキリスト教世界は裁きを受けました。(マラキ 3:1。ペテロ第一 4:17)キリスト教世界は第一次世界大戦中に恐るべき流血の罪を負い,エホバの忠実な証人たちに対する迫害の共犯者となったので,バビロン的な信条を奉じていても,それは裁きの時に同世界を助けるものとはなりませんでした。また,大いなるバビロンのほかのどんな部分も神の是認を受けるには値しませんでした。―イザヤ 13:1-9と比較してください。

      6 大いなるバビロンはどうして1919年までに倒れたと言えますか。

      6 それで,大いなるバビロンは1919年までに倒れたので,神の民は解放され,あたかも一日のうちに,霊的な繁栄の見られる彼らの地に回復される道が開かれました。(イザヤ 66:8)その年までに,大いなるダリウスであられるエホバ神と,大いなるキュロスであられるイエス・キリストは,物事を巧みに操られたので,娼婦のような大いなるバビロンはもはやエホバの民を捕らえておくことはできなくなりました。彼らがエホバに仕えるのを妨げたり,また偽りの宗教が滅びに定められていることや,エホバの主権の正しさの立証される時が近いことについて,すべての人々が聞けるように知らせるのを妨げたりすることは,もはやできなくなりました。―イザヤ 45:1-4。ダニエル 5:30,31。

      7 (イ)大いなるバビロンは1919年には滅ぼされなかったものの,エホバは彼女をどうみなされましたか。(ロ)大いなるバビロンが1919年に倒れた時,その結果としてエホバの民はどうなりましたか。

      7 なるほど,大いなるバビロンは1919年に滅ぼされた訳ではありません。それは,古代の都市バビロンが西暦前539年にペルシャ人キュロスの軍隊の手に落ちた時に滅ぼされなかったのと同様です。しかし,エホバの見地からすれば,大いなるバビロンの組織は倒れてしまいました。同バビロンは司法上有罪の判決を下されて,処刑を待つことになりました。ですから,偽りの宗教はもはや神の民を捕らえておくことはできなくなりました。(ルカ 9:59,60と比較してください。)その民は,時に応じて食物を備える,主人の忠実で思慮深い奴隷として仕えるために解放されました。彼らは「よくやった」というお褒めの裁きを受け,エホバの業に再び忙しく携わる任務を与えられました。―マタイ 24:45-47; 25:21,23。使徒 1:8。

      8 イザヤ 21章8節と9節の見張りの者はどんな出来事をふれ告げますか。その見張りの者は今日のだれを予表していますか。

      8 何千年も前に,エホバはこの画期的な出来事を予告するため,ほかの預言者たちをもお用いになりました。イザヤは見張りの者について語っていますが,その見張りの者は,「ライオンのように呼ばわりはじめた,『エホバよ,わたしは昼間ずっと物見の塔の上に立っております。わたしは夜ごとに自分の見張り所に就いております』」と記されています。それで,その見張りの者はどんな出来事を察知して,ライオンのように大胆にふれ告げますか。「彼女は倒れた! バビロンは倒れた。その神々の彫像を[エホバ]はことごとく地に砕かれた!」と告げます。(イザヤ 21:8,9)この見張りの者は,いみじくも十分目覚めた今日のヨハネ級の人たちを予表しています。その級の人たちは「ものみの塔」誌その他の神権的な出版物を用いて,バビロンは倒れたという知らせを広く伝えているからです。

      大いなるバビロンの衰退

      9,10 (イ)バビロン的な宗教の影響力は第一次世界大戦以来,どのように衰退してきましたか。(ロ)その力あるみ使いは,大いなるバビロンの倒れた状態をどのように描写していますか。

      9 古代バビロンは西暦前539年に倒れた時,やがて荒廃して終わりを告げる,長い衰退の過程をたどり始めました。同様に,第一次世界大戦以来,バビロン的な宗教の影響力は世界的な規模で著しく衰退してきました。日本では,第二次世界大戦後,神道に基づく天皇崇拝は禁じられました。中国では,共産主義政府が宗教上の任命や活動をすべて支配しています。プロテスタント圏の北欧の人々はほとんど宗教に対して無関心になりました。それに,ローマ・カトリック教会は近年,同教会の世界的な領域に見られる分裂や内部からの反対のために弱体化してきました。―マルコ 3:24-26と比較してください。

      10 確かに,このような傾向はすべて,大いなるバビロンに対する来たるべき軍国主義的攻撃の準備として『ユーフラテス川を干上がらせる』処置の一環です。また,1986年10月に法王が述べた,教会は ― 膨大な赤字のゆえに ―「再び托鉢を行なうようになる」に違いないという発表も,その水が『かれる』ことを表わしています。(啓示 16:12)特に1919年以来,大いなるバビロンは霊的な不毛の地として衆目にさらされてきました。それは,力のあるみ使いがここで次のように発表している通りです。「そして,[彼女は]悪霊たちの住みか,あらゆる汚れた呼気のこもる場所,またあらゆる汚れた憎まれる鳥の潜む場所となった!」(啓示 18:2[後半])彼女は間もなく,現代のイラクにあるバビロンの廃虚のように荒れ廃れた,文字通りの不毛の地となるでしょう。―エレミヤ 50:25-28もご覧ください。

      11 大いなるバビロンはどのような意味で「悪霊たちの住みか」,ならびに『汚れた呼気のこもる場所,また汚れた鳥の潜む場所』となりましたか。

      11 この句の「悪霊たち」という言葉は,倒れたバビロンを次のように描写したイザヤの言葉の中に出てくる,「やぎの形をした悪霊たち」(セイーリーム)という表現を反映しているようです。「そして,水のない地域にせい息するものが必ずそこに伏し,彼らの家々には必ずわしみみずくが満ちる。また,そこには必ずだちょうが住み,やぎの形をした悪霊たちもそこで跳ね回ることであろう」。(イザヤ 13:21)それは文字通りの悪霊ではなく,砂漠にせい息する毛深い動物を指しているようです。その動物の姿を見た人々は,悪霊のことを想像したのかもしれません。大いなるバビロンの廃虚に,比喩的な意味でそのような動物や汚れた鳥がおり,よどんだ有害な空気(「汚れた呼気」)があることは,彼女が霊的に死んだ状態にあることを示唆しています。彼女は人類に対して命を得られる見込みを何も差し伸べていません。―エフェソス 2:1,2と比較してください。

      12 大いなるバビロンの状況は,エレミヤ 50章にあるエレミヤの預言とどのように合致しますか。

      12 彼女の状況はまた,エレミヤの次のような預言とも合致します。「『カルデア人を攻める剣がある』と,エホバはお告げになる,『それはバビロンの住民と,その君たちと,その賢い者たちとを攻める。……彼女の水の上には荒廃があり,それは必ず干上がる。それは彫像の地であり,彼らは自分たちの怖ろしい幻のために,気違いのような行動をしつづけるからである。それゆえ,水のない地域にせい息するものたちは,泣きわめく動物と共に住み,そこには必ずだちょうが住む。彼女はもはや決して住まわれることも,代々にわたって宿ることもない』」。偶像崇拝も,繰り返し唱えられる祈りも,神がソドムとゴモラを打ち倒された時のような応報を受けないよう,大いなるバビロンを救うものとはなりません。―エレミヤ 50:35-40。

      情欲をかき立てるぶどう酒

      13 (イ)力のあるみ使いは大いなるバビロンの売春行為の及ぶ範囲の広さに,どのように注意を引いていますか。(ロ)古代バビロンで広まっていた,どんな不道徳な行為が,大いなるバビロンの中でも見られますか。

      13 次に,力のあるみ使いは大いなるバビロンの売春行為の及ぶ範囲の広さに注意を引いて,こうふれ告げます。「彼女の淫行の情欲をかき立てるぶどう酒のためにa あらゆる国民がいけにえにされ,地の王たちは彼女と淫行を犯し,地の旅商人たちは彼女の恥知らずのおごりの力で富を得たからである」。(啓示 18:3)彼女は宗教的な汚れた方法で人類の中のあらゆる国民を教化してきました。ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば,古代バビロンの乙女は各々神殿での崇拝の際,処女の身を売ることを要求されました。カンボジアのアンコールワット寺院やインドのカジュラーホの神殿にある,戦争で傷つけられた彫刻には,胸が悪くなるような堕落した性行為の描写が今日でも見られます。それらの宗教彫刻のヒンズー教の神ビシュヌは,嫌悪すべき好色的な光景と共に描かれています。米国では1987年に,また1988年にも,テレビ福音伝道師の世界を揺るがす不道徳な行為が発覚すると共に,教会の牧師の間に広まっている同性愛行為が明らかにされた事件は,キリスト教世界さえ,衝撃的なまでに甚だしい文字通りの淫行を容認していることを示す良い例です。ところが,あらゆる国民がそれよりもさらにゆゆしい淫行の犠牲者となってきました。

      14-16 (イ)ファシストのイタリアでは,宗教と政治の癒着した,霊的に言ってどんな不倫な関係が発展しましたか。(ロ)イタリアがアビシニアに侵入した時,ローマ・カトリック教会の司教たちはどんな声明を出しましたか。

      14 ナチ・ドイツのヒトラーが急速に台頭して政権を獲得するのを可能にした,宗教と政治の癒着した不倫な関係については,すでに回顧しました。宗教が世俗の事柄に干渉したために,ほかの国々もやはり苦しめられました。例えば,1929年2月11日,ファシストのイタリアで,ムッソリーニとガスパリ枢機卿はラテラノ条約に署名し,バチカン市が主権国となりました。法王ピウス11世は,「イタリアを神に返し,神をイタリアに返した」と唱えましたが,それは真実でしたか。6年後に起きたことを考えてみてください。1935年10月3日,イタリアはアビシニア(エチオピア)に侵入し,その国は「依然,奴隷制度を守る野蛮な国」だと主張しました。本当に野蛮な国だったのはどちらの国でしたか。カトリック教会はムッソリーニの野蛮な行為を責めましたか。法王はあいまいな声明を出しましたが,司教たちは自分たちの“祖国”イタリアの軍隊をかなり声高に祝福しました。アンソニー・ロードは,「独裁者たちの時代のバチカン」という本の中で次のように伝えています。

      15 「[イタリアの]ウディネの司教は,[1935年]10月19日付の司牧書簡にこう記した。『この事件の正邪について意見を述べるのは,時宜を得たことでも,ふさわしいことでもない。イタリア人としての,またそれ以上にクリスチャンとしての我々の務めは,我が軍の成功に寄与することである』。パドゥアの司教は10月21日,『我々が遭遇している,困難な時期の今,我が国の政治家や軍隊に信仰を抱くよう諸君に要請する』と書いた。10月24日,クレモナの司教は何本かの連隊旗を聖別して,こう述べた。『これら将兵の上に神の祝福がとどまり,彼らがアフリカの地で,イタリアの守護神のために,新たな肥沃な土地を征服し,それらの土地にローマの,そしてキリスト教の文明をもたらせるように。イタリアが全世界に対してクリスチャンの良き指導者として再び立てるように』」。

      16 アビシニアはローマ・カトリックの聖職者による祝福をもって略奪されました。果たしてこれら僧職者のうちのだれが,使徒パウロのように,「すべての人の血について潔白である」と言えるでしょうか。―使徒 20:26。

      17 スペインは,その僧職者たちが『剣をすきの刃に打ち変える』ことに失敗したため,どのように苦しめられましたか。

      17 ドイツ,イタリア,およびアビシニアに加えて,大いなるバビロンの淫行の犠牲になったもう一つの国があります。それはスペインです。1936年から1939年に及んだこの国の内乱を引き起こした一因は,民主主義政府がローマ・カトリック教会の巨大な権力を縮小させる処置を講じたことでした。その内戦が始まると,革命勢力のファシストのカトリックの指導者フランコは,自らを“聖十字軍のクリスチャンの統領”と称しましたが,後にこの称号を放棄しました。その戦いでは数十万のスペイン人が死にました。それとは別に,ある控え目な推定によれば,フランコの国粋主義者たちは人民戦線の団員4万人を殺害しましたし,後者は修道士,司祭,修道女,見習い僧など8,000人の僧職者を殺害していました。内乱のそのような惨事と悲劇は,「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」と言われたイエスの言葉に留意するのが知恵の道であることを良く示す例です。(マタイ 26:52)キリスト教世界がこうした大規模な流血行為に関係してきたのは,何と嫌悪すべきことでしょう。同世界の僧職者たちは『剣をすきの刃に打ち変える』ことに,まさしく完全に失敗しました!―イザヤ 2:4。

      旅商人たち

      18 「地の旅商人たち」とはだれのことですか。

      18 「地の旅商人たち」とはだれのことですか。今日では多分,彼らのことを貿易業者,商業界の要人,大企業の敏腕な事業家などと呼べるでしょう。これは,合法的な事業に携わることが間違っているという意味ではありません。聖書は事業に携わる人々のために賢明な助言を与えており,不正,貪欲その他,同様の悪いことを戒めています。(箴言 11:1。ゼカリヤ 7:9,10。ヤコブ 5:1-5)「自ら足りて敬虔な専心を守ること」は,より大きな利得をもたらす道です。(テモテ第一 6:6,17-19)しかし,サタンの世は義にかなった原則に従わないので,腐敗がはびこっています。それは宗教,政治,そして大企業の世界にも見られます。報道機関は政府の高官による横領や兵器の不正取り引きなどの汚職事件を時々暴露します。

      19 世界の経済に関するどんな事実は,啓示の書の中で地の商人たちが好ましくない者として言及されているわけを説明するのに役立ちますか。

      19 国際的な兵器貿易総額は毎年,1兆㌦(約130兆円)以上に急騰している一方,何億もの人々が生活の必需品に事欠いています。これは実にひどい話です。ところが,軍備を整えることが,世界の経済を維持する基本的な支柱の一つとなっているようです。ロンドンのスペクテイター紙の1987年4月11日号の記事はこう報じました。「直接関係のある産業だけを数えても,米国ではおよそ40万件,ヨーロッパでは75万件の職種が関係している。ところが,実に奇妙なことに,武器製造の社会的,経済的役割は増大したものの,製作者たちが十分守られているかどうかという現実の問題は,背後に押しやられている」。爆弾その他の武器は世界中で,また潜在的な敵国とさえ取り引きされ,膨大な利益をもたらしています。いつの日か,それらの爆弾は戻って来て,その売買をする者たちを滅ぼす火のような大破壊をもたらすでしょう。何という矛盾でしょう。その上,兵器産業を取り巻く汚職があります。スペクテイター紙によれば,米国だけで,「奇妙なことに,毎年,国防総省は9億㌦(約1,170億円)相当の兵器や装備を失って」います。啓示の書の中で地の商人たちが好ましくない者として言及されているのも,確かに少しも不思議ではありません!

      20 宗教が商取り引きの不正な慣行に関係していることを示す,どんな実例がありますか。

      20 輝かしいみ使いが予告した通り,宗教は商取り引きのこのような不正な慣行に関係してきました。例えば,1982年に起きたイタリアのアンブロシアノ銀行の倒産にバチカンが関係していた事件があります。この事件は1980年代のこれまでずっと尾を引いており,同銀行のお金はどこへ行ったのかという疑問はまだ解決されていません。1987年2月にイタリア,ミラノ市の治安判事は,米国のある大司教を含め,バチカンの3人の僧職者に対して,不正倒産を起こさせた共犯者としての容疑で逮捕令状を出しましたが,バチカン側は本国送還要請を拒否しました。1987年7月,騒然とした抗議が行なわれたさなかに,その令状はバチカンとイタリア政府との古い条約に基づき,イタリアの最高裁判所により無効とされました。

      21 イエスは当時の商取り引きのいかがわしい慣行に少しもかかわりをお持ちになりませんでしたが,それはどうして分かりますか。しかし,今日のバビロン的な宗教に関しては,どんなことが分かりますか。

      21 イエスは当時の商取り引きのいかがわしい慣行とかかわりを持たれましたか。いいえ。イエスは地所を持ってさえおられませんでした。というのは,『頭を横たえる所がなかった』からです。イエスは金持ちの若い支配者にこう忠告なさいました。「あなたの持っている物をみな売って,貧しい人々に配りなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。それから,来て,わたしの追随者になりなさい」。これは優れた訓戒でした。というのは,その訓戒に従えば,商売上の事柄にかかわる心配事をすべて除去することができたはずだからです。(ルカ 9:58; 18:22)それとは対照的に,バビロン的な宗教は多くの場合,大企業との芳しくない結びつきを持っています。例えば,1987年に,オールバニ・タイムズ・ユニオン紙の報告によれば,米国フロリダ州マイアミ市のカトリック大司教管区の財政管理者は,同教会が核兵器を製造する会社,準成人映画の製作会社,たばこ製造会社などの株を所有していることを認めました。

      『わたしの民よ,彼女から出なさい』

      22 (イ)天から出る声は何と言いますか。(ロ)神の民はどうして西暦前537年と西暦1919年に喜びを得ましたか。

      22 ヨハネが次に述べる言葉は,預言的な型の一層の成就を指し示しています。「また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。『わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい』」。(啓示 18:4)ヘブライ語聖書中の古代バビロンの倒壊に関する預言にも,やはりご自分の民に対する,『バビロンから逃げ去れ』というエホバの命令が含まれています。(エレミヤ 50:8,13)同様に,大いなるバビロンの来たるべき荒廃を考えて,神の民は逃れるよう,いま促されています。西暦前537年に,忠実なイスラエル人はバビロンから逃れる機会を得たので,大いに喜びました。同様に,1919年,神の民はバビロンへの捕らわれから解放されたので,喜びを得ました。(啓示 11:11,12)そして,その時以来,何百万ものほかの人々が,逃げるようにとの命令に従ってきました。

      23 天から出る声は,大いなるバビロンから逃げるのが急を要することをどのように強調していますか。

      23 大いなるバビロンから逃げて,世の宗教の会員としての資格を取り消してもらい,完全に離れるのは,実際,それほど急を要することでしょうか。その通りです。というのは,わたしたちは年経たこの宗教上の怪物である大いなるバビロンに関する神の見方を持たなければならないからです。神はこのバビロンを大娼婦と呼んで,本当のことをずばりと言われました。それで今度は,天から出る声はこの売春婦に関してヨハネにさらにこう知らせます。「彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである。彼女自身が返したとおりに彼女に返し,二倍を,つまり,彼女が行なったことの二倍を彼女に行ないなさい。彼女が混ぜ物を入れた杯に,二倍の混ぜ物を彼女のために入れなさい。彼女が自分に栄光を帰し,恥知らずのおごりのうちに暮らしたその分だけ,彼女に責め苦と嘆きを与えなさい。彼女は心の中で,『わたしは女王として座す。やもめなどではない。嘆きを見ることは決してない』と言いつづけているからである。そのために,彼女の災厄は一日のうちに来る。それは死と嘆きと飢きんであって,彼女は火で焼き尽くされるであろう。彼女を裁いたエホバ神は強い方だからである」― 啓示 18:5-8。

      24 (イ)神の民は何を避けるために,大いなるバビロンから逃げなければなりませんか。(ロ)大いなるバビロンから逃げ損なう人々は,彼女と共にどんな罪にあずかることになりますか。

      24 確かにこれは強烈な言葉です! ですから,行動が求められています。エレミヤは当時のイスラエル人に行動するよう促して,こう言いました。「バビロンの中から出て逃げよ。……これはエホバの復しゅうの時だからである。神がこれに返す仕打ちがある。わたしの民よ,彼女の中から出て,各々その魂をエホバの燃える怒りから逃れさせよ」。(エレミヤ 51:6,45)同様に,天から出る声は今日,大いなるバビロンから逃げて,彼女の災厄にあずからないようにするよう,神の民に警告しています。大いなるバビロンを含め,この世に対する災厄のようなエホバの裁きは,今やふれ告げられています。(啓示 8:1–9:21; 16:1-21)もし神の民がそのような災厄に遭って,結局,彼女と共に死ぬようなことを望まないなら,偽りの宗教から離れる必要があります。それに,そのような組織の中にとどまっているなら,彼女の罪にあずかることになります。そうなれば,彼女のように,霊的な姦淫の罪と「地上でほふられたすべての者」の血を流した罪を負うことになるでしょう。―啓示 18:24。エフェソス 5:11; テモテ第一 5:22と比較してください。

      25 神の民はどんな仕方で古代バビロンから出ましたか。

      25 しかし,神の民はどのようにして大いなるバビロンから出るのでしょうか。古代バビロンの場合,ユダヤ人はバビロンの都を物理的に旅立って,はるばる約束の地に戻らなければなりませんでした。ですが,それ以上のことが関係していました。イザヤはイスラエル人に預言的にこう告げました。「立ち去れ。立ち去れ。そこから出よ。汚れたものには何にも触れるな。エホバの器具を運んでいる者たちよ,彼女の中から出て,身を清く保て」。(イザヤ 52:11)そうです,彼らは,自分たちの奉じているエホバの崇拝を汚す恐れのあるバビロン的な宗教の汚れた慣行をすべて捨てなければなりませんでした。

      26 コリントのクリスチャンは,『彼らの中から出て,汚れた物に触れるのをやめよ』という言葉に,どのように従いましたか。

      26 使徒パウロはコリント人にあてた手紙の中でイザヤの言葉を引用し,こう言っています。「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。……『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』と,エホバは言われ[ます]。『そして汚れた物に触れるのをやめよ』」。コリントのクリスチャンはこの命令に従うため,コリントを去らなければならなかった訳ではありません。しかし,彼らは確かに,偶像崇拝者の汚れた行為から霊的に離れると共に,偽りの宗教の汚れた神殿を物理的にも避けなければなりませんでした。1919年に神の民はそのような仕方で大いなるバビロンから逃げ始め,何であれ残っていた汚れた教えや慣行から自らを清めました。こうして,彼らは神の清められた民として神に仕えることができました。―コリント第二 6:14-17。ヨハネ第一 3:3。

      27 古代バビロンに対する裁きと大いなるバビロンに対する裁きとの間には,どんな類似点がありますか。

      27 古代バビロンが倒れて,ついに荒廃したことは,彼女の罪に対する罰でした。『その裁きは天にまでも達したから』です。(エレミヤ 51:9)同様に,大いなるバビロンの罪は,「重なり加わって天に達し」て,エホバご自身の注意を引くほどになりました。彼女は不正,偶像崇拝,不道徳,圧制,盗み,および殺人の罪を負っています。古代バビロンが倒れたことは,一つには彼女がエホバの神殿とその真の崇拝者たちに行なった事柄に対する復しゅうでした。(エレミヤ 50:8,14; 51:11,35,36)同様に,大いなるバビロンが倒れて,最後に滅びることは,彼女が何世紀にもわたって真の崇拝者たちに行なってきた事柄に対する復しゅうの表明となります。実際,彼女の最終的な滅びは,「わたしたちの神の側の復しゅうの日」の始まりとなります。―イザヤ 34:8-10; 61:2。エレミヤ 50:28。

      28 エホバはどんな公正の規準を大いなるバビロンに適用されますか。それはなぜですか。

      28 モーセの律法のもとでは,もしイスラエル人が仲間の同国人から物を盗んだなら,償いとして最後には二倍にして返さなければなりませんでした。(出エジプト記 22:1,4,7,9)大いなるバビロンの来たるべき滅びの際に,エホバはそれに匹敵する公正の規準を適用されます。彼女は自分の発したものの二倍を受けるはずです。憐れみが示されることはありません。なぜなら,大いなるバビロンは彼女の犠牲者たちに憐れみを少しも示さなかったからです。彼女は『恥知らずのおごった』生活を保つため,地の諸民族に寄生して生きてきました。今や彼女は苦しみと嘆きを経験します。古代バビロンは,絶対に安全な位置にあったと感じて,「わたしはやもめとして座ることはない。子供を失うことを知ることもない」と豪語しました。(イザヤ 47:8,9,11)大いなるバビロンもまた,安全だと感じています。しかし,「強い方」であられるエホバの定めた,彼女の滅びは,あたかも「一日のうちに」,素早く起きるでしょう!

      [脚注]

      a 「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

      [263ページの囲み記事]

      『王たちは彼女と淫行を犯した』

      1800年代の初めごろ,ヨーロッパの商人たちは大量のアヘンを中国に密輸していました。1839年3月に中国の役人が英国の商人から送られた大箱2万個分の麻薬を差し押さえて,不法貿易をやめさせようとしました。その結果,英国と中国との関係は緊張しました。この二国の関係が悪化した時,プロテスタントのある宣教師たちは次のような声明を出して,戦争を行なうよう英国を促しました。

      「わたしはこの困難な事態を心から喜んでいます。なぜなら,英国政府は憤っているかもしれませんが,キリストの福音が中国に入るのを妨げている障壁を神がみ力をもって打ち砕いてくださるかもしれないと思うからです」― 南部バプテスト派宣教師ヘンリエッタ・シュック。

      ついに戦争が勃発しました。それは今日,アヘン戦争として知られています。宣教師たちは次のように述べて,心を込めて英国政府を激励しました。

      「わたしは現在の事態をアヘンや英国の問題というよりもむしろ,中国の排他主義の障壁を打ち破るという,この国に対する神の憐れみ深い目的を達成するのに人間の邪悪さを役立たせようとする,神の摂理による偉大な計画として顧みない訳にはいきません」― 組合教会派宣教師ピーター・パーカー。

      別の組合教会派の宣教師サミュエル・W・ウィリアムズは,こう付け加えました。「驚くべき仕方で起きた事柄すべてに神のみ手の働きがはっきりと認められるので,地上に剣を投ずるために来たと言われた方がここに来ておられること,またそれはご自分の敵を速やかに滅ぼし,ご自身の王国を樹立なさるためであることをわたしたちは疑うものではありません。この方は平和の君をしっかりと立たせる時まで,覆し,また覆してゆかれます」。

      中国人の恐るべき虐殺事件に関して,宣教師J・ルーイス・シュックはこう書きました。「わたしはこのような光景を……神からの真理の促進を妨げるがらくたを一掃するために主が直接お用いになる道具と考えます」。

      組合教会派の宣教師エリヤ・C・ブリジマンはこう付け加えました。「神はご自分の王国のための道を備えるために国家権力という強力な武力をしばしば用いてこられました。……この重大な時期における機関は人間的なものですが,それを導く力は神からのものです。すべての国を治める,位の高い統治者は,中国を懲らしめ,辱めるために英国をお用いになりました」。―以上は,「中国と米国における宣教事業」(ジョン・K・フェアバンク編,ハーバード研究論文)に掲載された,スチュアート・クライトン・ミラーの小論文,「目的と手段」(1974年,英文)からの引用文です。

      [264ページの囲み記事]

      『旅商人たちは……富を得た』

      「1929年から第二次世界大戦勃発の時まで,[ベルナディノ]ノガラ[バチカンの財政管理者]はイタリアの経済の様々な分野,特に電力,電話通信,信用取り引きや銀行業,小規模な鉄道,農機具・セメント・織物の製造などの分野に,バチカンの資本とバチカンの代理者たちを投入して働かせた。それら投機的な事業の多くは功を奏した。

      「ノガラは,ソキエタ・イタリアナ・デラ・ビスコサ,スペルテシレ,ソキエタ・メリディオナレ・インダストリエ・テシリ,およびキサライオンを含め,幾つかの会社を掌握した。それらを合併して一つの会社とし,キサ(CISA)-ビスコサと命名し,バチカンの極めて信任の厚い信徒の一人であるフランケスコ・マリア・オダッソ男爵の指揮下に置いたノガラは,次いでその新会社をイタリア最大の織物製造会社であるシニア(SNIA)-ビスコサに併合させるよう物事を巧みに操った。結局,バチカンの所有するシニア-ビスコサ社の株はますます増大し,やがてバチカンは同社を支配した。その証拠として,オダッソ男爵が後に副会長になったという事実がある。

      「こうして,ノガラはまさしく繊維業界に影響力を浸透させた。彼はほかの方法で他の業界にも影響力を浸透させた。というのは,ノガラは多くの策略をひそかに用意していたからである。この無私の人物は……イタリア経済に命を吹き込むため,恐らくイタリア史上ほかのどんな実業家よりも多くの事を行なったであろう。……ベニト・ムッソリーニは自分の夢見た帝国の建設を成し遂げることは決してできなかったが,バチカンとベルナディノ・ノガラに別の種類の支配力を作り出させることができた」―「バチカン帝国」,ニノ・ロ・ベロ著,71-73ページ(英文)。

      これは地の商人たちと大いなるバビロンとの密接な協力関係を示す一つの実例にすぎません。自分たちの事業上の提携者がもはやいなくなる時,それら商人たちが嘆き悲しむのも少しも不思議ではありません!

      [259ページの図版]

      人間が全地に広がって行った時,バビロン的な宗教をも携えて行きました

      [261ページの図版]

      ヨハネ級の人たちは見張りの者のように,バビロンが倒れたことをふれ告げています

      [266ページの図版]

      古代バビロンの廃虚は,大いなるバビロンの来たるべき破滅の前兆となりました

  • バビロンの終わりの際の悲嘆と歓び
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 37章

      バビロンの終わりの際の悲嘆と歓び

      1 「地の王たち」は大いなるバビロンの突然の滅びにどのように反応しますか。

      バビロンの終わりはエホバの民にとっては良い知らせですが,諸国民はそれをどう見るでしょうか。ヨハネはわたしたちにこう語ります。「そして,彼女の焼かれる煙を見る時,彼女と淫行を犯し,恥知らずのおごりのうちに暮らした地の王たちは,彼女のことで泣き,悲嘆して身を打ちたたくであろう。また,彼女の受ける責め苦を恐れるあまり,遠く離れたところに立って,こう言うであろう。『気の毒だ,気の毒なことだ,大いなる都市よ,強力な都市ともあろうバビロンよ,あなたの裁きが一時のうちに到来したとは!』」― 啓示 18:9,10。

      2 (イ)緋色の野獣の象徴的な十本の角が大いなるバビロンを滅ぼすというのに,「地の王たち」はどうして彼女の終わりを嘆き悲しむのでしょうか。(ロ)悲嘆に暮れた王たちは,どうして滅びに定められた都から遠く離れたところに立つのでしょうか。

      2 バビロンが十本の角のある緋色の野獣によって滅ぼされたことを考えると,諸国民の反応は驚くべきものと思えるかもしれません。(啓示 17:16)しかし,バビロンがなくなった時,「地の王たち」は,人々をなだめて従わせておくのに,自分たちにとって彼女がいかに有用だったかを,多分悟るでしょう。僧職者たちは戦争を神聖なものと宣言し,徴兵事務代理人を務め,また戦線に赴くよう若者たちに説教しました。宗教によって神聖な装いを施してもらった堕落した支配者たちは,その装いの陰で一般民衆を虐げる行動を取りました。(エレミヤ 5:30,31; マタイ 23:27,28と比較してください。)しかし,悲嘆に暮れたそれらの王たちは今や,滅びに定められたその都から遠く離れたところに立っている点に注目してください。王たちは彼女を助けに行けるほど近づこうとはしません。彼女がなくなるのを見て悲しみはしますが,彼女のために危険を冒すほどに悲しんだりはしません。

      商人たちは泣いたり,嘆いたりする

      3 大いなるバビロンが消え去るのをほかにだれが残念に思いますか。ヨハネはそのことを示すどんな理由を述べていますか。

      3 大いなるバビロンが消え去るのを残念に思うのは,地の王たちだけではありません。「また,地の旅商人たちは彼女のことで泣いたり嘆いたりする。自分たちが十分に仕入れた品を買ってくれる者がもうだれもいないからである。それは,十分に仕入れた金・銀・宝石・真珠・上等の亜麻布・紫布・絹・緋の布などの品,そして,香木類のすべてのもの,あらゆる種類の象牙細工,きわめて高価な木材や銅・鉄・大理石などでできたあらゆる種類の品物,また,肉桂・インド産の香料・香・香油・乳香・ぶどう酒・オリーブ油・上等の麦粉・小麦・牛・羊,そして馬・車・奴隷・人間の魂である。さらに,あなたの魂が欲したりっぱな果物はあなた[大いなるバビロン]から去り,すべての優美なものと華麗なものはあなたから滅び去った。そして人々は二度と再びそれらを見いださないであろう」― 啓示 18:11-14。

      4 「旅商人たち」はどうして大いなるバビロンの終わりを悲しんで泣いたり,嘆いたりするのでしょうか。

      4 そうです,大いなるバビロンは裕福な商人たちの親しい友,ならびに良い顧客でした。例えば,修道院,女子修道院,およびキリスト教世界の諸教会は何世紀にもわたって大量の金・銀・宝石・貴重な木材その他の種々の物質上の富を取得してきました。さらに,キリストを辱めるクリスマスや他のいわゆる聖日の祝いに付き物の,ふんだんに物を買って楽しんだり,飲んでばか騒ぎをしたりすることが,宗教によって祝福されてきました。キリスト教世界の宣教師たちは遠い国々に入って行き,この世の「旅商人たち」のために新しい市場を開きました。貿易商を伴って17世紀の日本に到来したカトリック主義は,封建時代の戦争にさえ関係しました。ブリタニカ百科事典は大阪城の城壁のもとで行なわれた決戦について報告し,「徳川軍は十字架や,救い主およびスペインの守護聖人である聖ヤコブの像などを描いた旗を持った敵と戦っていた」と述べています。勝利を収めた分子は迫害を加えて,日本のカトリック主義を事実上一掃しました。同様に今日,世の事柄に関係する教会は自らに何ら祝福をもたらしません。

      5 (イ)天からの声は,「旅商人たち」が嘆く様をさらにどのように描写していますか。(ロ)商人たちも,なぜ『遠く離れたところに立ち』ますか。

      5 天からの声はさらにこう言います。「これらの物の旅商人たちは,彼女によって富を得たのであるが,彼女の受ける責め苦を恐れるあまり遠く離れたところに立って泣き,また嘆きながらこう言うであろう。『気の毒だ,気の毒なことだ ― 上等の亜麻布と紫と緋をまとい,金の装飾と宝石と真珠で着飾った大いなる都市よ,これほど大きな富が一時のうちに荒れ廃れてしまうとは!』」(啓示 18:15-17[前半])大いなるバビロンが滅びると,「商人たち」はあの商業上の提携者を失うので嘆きます。それは彼らにとって本当に「気の毒だ,気の毒なことだ」と言えます。しかし,彼らが嘆くのは,全く利己的な理由からであること,また彼らは王たちのように,『遠く離れたところに立つ』ことに注目してください。彼らは大いなるバビロンを少しでも助けられるほど近づこうとはしません。

      6 天からの声は,船長や水夫たちが嘆く様をどのように描写していますか。彼らはなぜ泣くのでしょうか。

      6 記述はさらにこう続いています。「そして,すべての船長,またどこであろうと航海をする者は皆,また,水夫たちや海で暮らしを立てる者は皆,遠く離れたところに立って彼女の焼かれる煙を見ながら叫んで言った,『どの都市がこの大いなる都市のようだろうか』。そして,自分の頭に塵を掛け,泣いたり嘆いたりしながら叫んで言った,『気の毒だ,気の毒なことだ ― 大いなる都市よ,海に船を持つすべての者が,彼女のぜいたくのおかげでその中で富を得たのに。それが一時のうちに荒れ廃れてしまうとは!』」(啓示 18:17[後半]-19)古代のバビロンは商業都市で,大船団がありました。同様に,大いなるバビロンは,彼女の民である「多くの水」によって相当の商売をしているので,彼女の臣民の多くが職を得ています。この大いなるバビロンが滅びるのですから,それらの人々は何と大きな経済的打撃を被るのでしょう。生計のもととなる彼女のようなものは,ほかには決してないでしょう。

      彼女が滅ぼし絶やされるのを見て歓ぶ

      7,8 天からの声は,大いなるバビロンに関するその音信をどのように最高潮にもっていきますか。だれがその言葉にこたえ応じますか。

      7 メディア人とペルシャ人によって古代のバビロンが覆された時,エレミヤは預言的にこう述べました。「そして,バビロンのことで,天と地とその中のすべてのものは必ず喜び叫ぶであろう」。(エレミヤ 51:48)大いなるバビロンが滅ぼされる時,天からの声はその音信を最高潮にもっていって,大いなるバビロンについてこう言います。「天よ,また聖なる者と使徒と預言者たちよ,彼女のことで喜べ。神はあなた方のため,彼女に司法上の処罰を科したからである」。(啓示 18:20)今では復活させられて,24人の長老の取り決めのもとで地位を得ている,使徒たちや初期のクリスチャンの預言者たちが,神の古来の敵が滅ぼし絶やされるのを見て喜ぶ時,エホバとみ使いたちもそれを見て喜びます。―詩編 97:8-12と比較してください。

      8 確かに,「聖なる者」たちはすべて ― 天で復活させられていようと,なお地上で生き長らえていようと ― 喜びのために叫び,また共に交わっている,ほかの羊の大群衆もそうします。やがて,昔の忠実な人たちもすべて新しい事物の体制のもとで復活させられ,彼らもまた,その歓びに加わります。神の民は偽りの宗教を奉ずる迫害者たちに対してあだを討とうとはしませんでした。神の民は,「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」というエホバの言葉を思い起こしてきました。(ローマ 12:19。申命記 32:35,41-43)実際,エホバは今や,返報してくださいました。大いなるバビロンによって流された血すべてに対する復しゅうが行なわれてゆきます。

      大きな臼石を投げ込む

      9,10 (イ)ひとりの強いみ使いは今や何をしますか。また,何と言いますか。(ロ)啓示 18章21節の強いみ使いが行なったのと同様のどんなことがエレミヤの時代にも起きましたか。それは何を保証するものでしたか。(ハ)ヨハネの見た,強いみ使いの取った行動は,何を保証していますか。

      9 ヨハネが次に見る事柄は,大いなるバビロンに対するエホバの裁きが最終的なものであることを確証しています。「また,ひとりの強いみ使いが,大きな臼石のような石を持ち上げ,それを海に投げ込んで,こう言った。『大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない』」。(啓示 18:21)エレミヤの時代にも,強力で預言的な意味を持つ,同様のことが行なわれました。エレミヤは霊感を受けて,一つの書に「バビロンに臨むすべての災い」を書き記しました。そして,その書をセラヤに渡し,旅をしてバビロンへ行くように命じました。エレミヤの指図に従ったセラヤは,その地でその都に対する次のような宣言を読みました。「エホバよ,あなたご自身がこの場所に対して語られました。それはこれを断ち滅ぼし,その中に住む者が,人も家畜さえもいなくなり,これが定めのない時に至るまでただの荒れ果てた所となるためです」。次いで,セラヤはその書に一つの石を結び付けて,それをユーフラテス川に投げ込んで,こう言いました。「このようにバビロンは沈んで行き,わたしがこれにもたらす災いのために,それは決して起き上がることはない」。―エレミヤ 51:59-64。

      10 石を縛り付けられたその書が川に投げ込まれたことは,バビロンが忘却のかなたに投じられ,決して回復しないことの保証となりました。使徒ヨハネは,ひとりの強いみ使いが同様のことを行なうのを見ましたが,それも同様に,大いなるバビロンにかかわるエホバの目的が成就することの強力な保証となっています。古代バビロンの今日の完全な廃虚の状態は,近い将来,偽りの宗教に何が降り懸かるかに関する強力な証言となっています。

      11,12 (イ)強いみ使いは今や,大いなるバビロンに対してどのように語りかけますか。(ロ)エレミヤは背教したエルサレムに関して,どのように預言しましたか。それは現代に関して何を示唆していますか。

      11 その強いみ使いは今や,大いなるバビロンに対して語りかけ,こう言います。「そして,自分のたて琴に合わせて歌う歌い手や楽人や笛吹きやラッパ吹きの音は,二度とあなたのうちで聞かれない。どんな仕事の職人も二度とあなたのうちに見いだされない。ひき臼の音は二度とあなたのうちで聞かれず,ともしびの光は二度とあなたのうちに輝くことなく,花婿と花嫁の声も二度とあなたのうちで聞かれないであろう。あなたの旅商人たちは地の高位の者だったからであり,あなたの心霊術的な行ないによってあらゆる国民が惑わされたのである」― 啓示 18:22,23。

      12 エレミヤはこれに匹敵する言葉で,背教したエルサレムに関して次のように預言しました。「わたしは彼らの中から歓喜の音と歓びの音,花婿の声と花嫁の声,手臼の音とともしびの光を滅ぼす。そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的とな(ら)なければならない」。(エレミヤ 25:10,11)大いなるバビロンの主要な部分であるキリスト教世界は,西暦前607年以後のエルサレムの荒廃した状態によって,ありありと描写されているような,生気のない廃虚と化してゆきます。かつて気楽に繁栄を楽しみ,日常生活の物音で活気にあふれていたキリスト教世界は征服され,捨てられてしまいます。

      13 大いなるバビロンにはどんな突然の変化が起きますか。彼女の「旅商人たち」はどんな影響を受けますか。

      13 み使いがここでヨハネに告げているように,大いなるバビロン全体は確かに,国際的な強力な帝国から砂漠のような荒廃した不毛の地となるでしょう。最高位を占める億万長者たちを含め,彼女の「旅商人たち」は個人的な益のため,あるいは隠ぺい手段として彼女の宗教を利用してきましたし,僧職者たちは彼らと一緒に人目につくようにするのが有利であることに気づいてきました。しかし,それらの商人たちにとって,自分たちの共犯者である大いなるバビロンはもはやいなくなってしまいます。彼女の秘教的な宗教上の慣行で地上の諸国民をだますことは,もはやなくなります。

      恐ろしい流血の罪

      14 強いみ使いは,エホバの裁きが厳しいものとなる,どんな理由を述べていますか。同様に,イエスは地上にいた時,何と言われましたか。

      14 結論として,強いみ使いは,エホバが大いなるバビロンをなぜそれほど厳しく裁かれるかについて告げ,こう述べます。「しかも彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」。(啓示 18:24)イエスは地上にいた時,エルサレムの宗教指導者たちに向かって,『義なるアベルの血から,地上で流された義の血すべて』に関して彼らに責任があるとお告げになりました。それゆえ,当時の心の曲がった世代は,西暦70年に滅ぼされました。(マタイ 23:35-38)今日,別の世代の宗教家たちが,神の僕たちを迫害してきたため,流血の罪を負っています。

      15 ナチ・ドイツのカトリック教会は二つの訴因の点で,どのように流血の罪を負いましたか。

      15 ギュンター・リューイは自著,「カトリック教会とナチ・ドイツ」(英文)の中で,こう記しています。「[1933年]4月13日,ババリアでエホバの証人の活動が禁止された時,教会は同派の禁じられた宗教活動に依然携わる会員がいたら,だれでも報告するようにとの文部・宗教省からの任務をさえ受け入れた」。ですから,教会は何千人もの証人たちを強制収容所に送り込んだ責任を負っており,その手は処刑された何百人もの証人たちの生き血で汚れています。ウィルヘルム・クセロウのような若い証人たちは,銃殺隊による果敢な死を遂げられることを示したので,ヒトラーは良心的兵役拒否者に対しては銃殺隊による処刑は上等すぎると判断しました。それで,ウィルヘルムの弟ウォルフガングは20歳の若さで,断頭台で死を遂げました。その同じ時に,カトリック教会はドイツの若いカトリック教徒に祖国の軍隊に入って死ぬよう励ましていました。教会が流血の罪を負っていることは一目りょう然です!

      16,17 (イ)大いなるバビロンは,どんな流血の罪を問われなければなりませんか。バチカンはナチの虐殺計画で死んだユダヤ人に関する流血の罪をどのように負うことになりましたか。(ロ)現代の何百もの戦争で殺された何千万もの人々に関して,偽りの宗教が責められるべき一つの点とは何ですか。

      16 しかし預言は,「地上でほふられたすべての者」の血について大いなるバビロンの罪を問わなければならないと述べています。現代でも確かにその通りです。例えば,カトリックの陰謀はヒトラーがドイツで政権を握るのを助ける働きをしたのですから,バチカンはナチの虐殺計画で死んだ600万のユダヤ人に関する恐るべき流血の罪にあずかっています。さらに,今の時代の何百もの戦争で優に1億人以上の人々が殺されました。偽りの宗教はこの点で責められるべきでしょうか。そうです,二つの点で責められるべきです。

      17 一つの点は,多くの戦争が宗教上の紛争に関係していることです。例えば,1946年から1948年にかけてインドのイスラム教徒とヒンズー教徒との間で生じた暴力行為は,宗教上の問題のために引き起こされ,何十万人もの人々の命が失われました。1980年代のイラン・イラク紛争も宗派間の不和が関係しており,何十万もの人々が殺されました。北アイルランドではカトリック教徒とプロテスタント間の暴力事件のために何千人もの人々の命が奪われました。この分野の調査を行なったコラムニスト,C・L・サルズバーガーは1976年にこう述べました。「世界の至る所で現に行なわれている戦争の恐らく半分,もしくはそれ以上が,紛れもない宗教紛争か,宗教上の論争に関係があるということは,不気味な事実である」。確かに,大いなるバビロンの不穏な歴史を通じて,これまでずっとその通りでした。

      18 世界の諸宗教が流血の罪を負っている二つ目の点とは何ですか。

      18 二つ目の点とは何ですか。エホバの見地からすれば,世界の諸宗教は流血の罪を負っています。なぜなら,エホバの僕たちに対するご要求に関する真理を追随者たちに納得できるように教えなかったからです。神の真の崇拝者はイエス・キリストに見倣い,どの国の出身かにかかわりなく他の人々に愛を示すべきであることを納得のゆくように教えてきませんでした。(ミカ 4:3,5。ヨハネ 13:34,35。使徒 10:34,35。ヨハネ第一 3:10-12)大いなるバビロンを構成している諸宗教は,そのような事柄を教えなかったため,信奉者たちは国際的な戦争の渦に巻き込まれてきました。20世紀前半に起きた二度の世界大戦はこのことを何とはっきり示しているのでしょう。その世界大戦は二回ともキリスト教世界で始まり,仲間の宗教家同士が何と互いに虐殺し合う結果になりました。もし,クリスチャンと称する人々すべてが聖書の原則を固守したなら,それらの戦争は決して起きなかったでしょう。

      19 大いなるバビロンはどんな恐ろしい流血の罪を負っていますか。

      19 エホバはこのすべての流血の責めを大いなるバビロンの足元に突きつけておられます。宗教指導者たち,とりわけキリスト教世界の宗教指導者たちが人々に聖書の真理を教えていたなら,これほど大量の流血は起きなかったことでしょう。ですから,確かに,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国である大娼婦は,迫害を行なって殺した「預言者と聖なる者たちの血」のみならず,「地上でほふられたすべての者の」血に関してもエホバに対して責任を負わなければなりません。大いなるバビロンは恐ろしい流血の罪を確かに負っています。彼女がついに滅ぼされる時,何といい厄介払いができるのでしょう。

      [270ページの囲み記事]

      妥協の代償

      ギュンター・リューイは自著,「カトリック教会とナチ・ドイツ」の中で,こう書いています。「もし,ドイツのカトリック主義が最初からナチ政権に断固として反対する政策を固守していたなら,世界史は多分,違った進路を取っていたであろう。たとえ,この戦いが結局はヒトラーを打ち負かすことができず,その数多くの犯罪を阻止できなかったにしても,そういう政策を固守したという点で,教会の倫理的威信を計り知れないほど高めたであろう。このような抵抗をすれば,多数の人間が犠牲になったであろうことは否定すべくもないが,そのような犠牲はあらゆる大義の中の最大の大義のために払われたものとなったであろう。国内戦線が当てにならなければ,ヒトラーはあえて戦争を始めなかったかもしれず,文字通り何百万人もの命が救われたかもしれない。……ナチに反対する何千人ものドイツ人がヒトラーの強制収容所で拷問を受けて死に,ポーランドの知識人が殺害され,何十万ものロシア人が標準的な人間以下のスラブ民族として扱われたために死に,600万人もの人間が“非アーリア人”であるとして殺害された時,ドイツのローマ・カトリック教会の当局者はこうした犯罪を行なう政権を支持した。ローマ・カトリック教会の宗教上の頭で,最高の精神的教師であるローマ法王は沈黙を守っていた」― 320,341ページ。

      [268ページの図版]

      支配者たちは,「気の毒だ,気の毒なことだ」と言います

      [268ページの図版]

      商人たちも,「気の毒だ,気の毒なことだ」と言います

  • その裁きのゆえにヤハを賛美しなさい!
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 38章

      その裁きのゆえにヤハを賛美しなさい!

      1 ヨハネは天で,「大群衆の大きな声のような」どんな言葉を聞きますか。

      大いなるバビロンはもはや存在しません! これは本当にうれしい知らせです。ヨハネが天で次のような喜ばしい賛美の叫びを聞くのも少しも不思議ではありません。「これらのことの後,わたしは大群衆の大きな声のようなものを天に聞いた。彼らは言った,『ハレルヤ!a 救いと栄光と力はわたしたちの神のものである。その裁きは真実で義にかなっているからである。神は,その淫行によって地を腐敗させた大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血の復しゅうを彼女の手に対して行なわれた』。そしてすぐ,彼らは再びこう言った。『ハレルヤ!b そして,彼女から出る煙は限りなく永久に上りつづけるのである』」― 啓示 19:1-3。

      2 (イ)「ハレルヤ」という言葉にはどんな意味がありますか。ヨハネはこの箇所でその言葉を二度聞きますが,これは明らかに何を示していますか。(ロ)大いなるバビロンを滅ぼしたことで,だれが栄光を受けますか。説明してください。

      2 まさに,ハレルヤ! この言葉には,「あなた方はヤハを賛美せよ」という意味があり,「ヤハ」は神のみ名エホバの短縮形です。ここで,「すべて息あるもの ― それはヤハを賛美せよ。あなた方はヤハを賛美せよ!」と述べた詩編作者の勧めの言葉を思い起こさせられます。(詩編 150:6)ヨハネは啓示の書のこの箇所で,歓喜して「ハレルヤ!」と二度歌う天の合唱を聞きますが,これは明らかに神からの真理の啓示が続いていることを示しています。クリスチャン・ギリシャ語聖書の神は,それ以前のヘブライ語聖書の神と同じ方で,そのみ名はエホバです。古代バビロンの倒壊を生じさせた神は,今や大いなるバビロンを裁いて,彼女を滅ぼされました。その偉業のゆえに,すべての栄光を神に帰してください! 巧みに事を運んで彼女の没落を生じさせた力は,彼女を荒廃させる器として神により用いられた諸国民のものではなく,神のものです。わたしたちは救いをエホバにのみ帰さなければなりません。―イザヤ 12:2。啓示 4:11; 7:10,12。

      3 大娼婦はどうしてそれほどの裁きを受けるのに値しているのでしょうか。

      3 その大娼婦はどうしてそれほどの裁きを受けるのに値しているのでしょうか。エホバがノアにお与えになり,ノアを通して全人類に与えられた律法によれば,不当に血を流す者には死刑を課す必要があります。イスラエルに対する神の律法の中でもこのことが再び述べられました。(創世記 9:6。民数記 35:20,21)その上,モーセの律法のもとでは,肉体的ならびに霊的な姦淫がいずれも死罪に当たる行為とみなされました。(レビ記 20:10。申命記 13:1-5)大いなるバビロンは何千年にもわたって流血の罪を負っている上,彼女は私通をする,みだらな女です。一例として,ローマ・カトリック教会は司祭の結婚を禁ずる方針を取ってきたため,司祭の多くがゆゆしい不道徳な行為を犯す結果になり,今日,エイズにかかっている司祭は少なくありません。(コリント第一 6:9,10。テモテ第一 4:1-3)しかし,大いなるバビロンの『重なり加わって天に達している』主要な罪は,彼女の犯してきた,ひどい霊的な淫行,つまり偽りを教えたり,不正な政治家と提携したりしてきた罪です。(啓示 18:5)彼女はついに処罰を被ったので,天の大軍は今や二度目のハレルヤという叫び声を響き渡らせます。

      4 大いなるバビロンから出る煙が「限りなく永久に上りつづける」という事実は,何を象徴していますか。

      4 大いなるバビロンは征服された都市のように火を放たれたので,彼女から出る煙は「限りなく永久に上りつづけ」ます。征服する軍隊が文字通りの都市を燃やす場合,灰が熱い間,煙が立ち上ります。依然として煙が出ているのに,その都市を再建しようとする人は,くすぶる焼け跡でやけどをするようになるだけです。大いなるバビロンの煙は,彼女の受けた裁きが最終的なものであることを示す印として「限りなく永久に」立ち上るので,その邪悪な都市を回復させることは,だれにも決してできません。偽りの宗教は永久に消えうせます。まさしく,ハレルヤ!―イザヤ 34:5,9,10と比較してください。

      5 (イ)24人の長老と四つの生き物は何をし,また何と言いますか。(ロ)ハレルヤという反復句の歌声は,どうしてキリスト教世界の教会で行なわれる,ハレルヤ聖歌の合唱よりもはるかに美しい調べで響き渡りますか。

      5 ヨハネは以前の幻の中で,四つの生き物が,天の輝かしい地位に就いている王国の相続人たちを表わしている24人の長老と一緒に王座の周りにいるのを見ました。(啓示 4:8-11)今や,ヨハネは再び,大いなるバビロンが滅びたことで三回目のハレルヤという大きな叫び声を上げる,それらの生き物と長老たちを見ます。「すると,二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し,み座に座っておられる神を崇拝して言った,『アーメン! ハレルヤ!』」c (啓示 19:4)ですから,ハレルヤと歌う,この壮大な合唱は,子羊に対する賛美の「新しい歌」に付け加えられています。(啓示 5:8,9)彼らは今や,堂々たる勝利の反復句を歌い,大娼婦,大いなるバビロンに対して収めた決定的な勝利のゆえに,主権者なる主エホバにすべての栄光を帰します。そのハレルヤという歌声は,エホバもしくはヤハを辱め,軽べつしてきたキリスト教世界の教会で行なわれる,ハレルヤ聖歌のどんな合唱よりもはるかに美しい調べで響き渡ります。エホバのみ名を傷つける,そのような偽善的な歌声は,今やまさしく永久に沈黙させられます!

      6 だれの「声」が聞こえますか。それは何を促しますか。それにこたえ応じて,だれが共に加わりますか。

      6 エホバが,『そのみ名を恐れる者たちに,小なる者にも大なる者にも』報いを与え始められたのは,1918年のことでした。その最初の人たちは,忠実を保って死んで復活させられ,24人の長老の天的な位に就けられた,油そそがれたクリスチャンです。(啓示 11:18)ほかの人々も彼らと共に,ハレルヤと歌う歌声に加わります。というのは,ヨハネはこう報告しているからです。「また,声がみ座から出てこう言った。『神を恐れるそのすべての奴隷たちよ,小なる者も大なる者も,わたしたちの神を賛美せよ』」。(啓示 19:5)この「声」は,『み座の真ん中に』立っておられる,エホバの代弁者である,そのみ子イエス・キリストの声です。(啓示 5:6)天のみならず,この地上でも,「そのすべての奴隷たち」は,地上で率先して物事を行なっている油そそがれたヨハネ級の人たちと共に,その歌に加わります。そして,「わたしたちの神を賛美せよ」という命令に,どんなにか歓喜して共に従っていることでしょう。

      7 大いなるバビロンが滅ぼされた後,だれがエホバを賛美しますか。

      7 そうです,大群衆の人たちもやはり,それらの奴隷たちの一部として数えられています。1935年以来,これらの人たちも大いなるバビロンから出て来て,「エホバを恐れる者たちを,小なる者も大なる者をも祝福してくださる」という神の約束の成就を経験してきました。(詩編 115:13)娼婦のようなバビロンが滅ぼされる時,それら何百万もの人々は,ヨハネ級の人たちと天軍のすべてと共に,『わたしたちの神を賛美する』ことに加わります。その後さらに,地上で復活させられる人々は,以前,著名であっても,あるいはそうでなくても,大いなるバビロンが永久に消滅したことを知って,恐らくハレルヤと歌うことでしょう。(啓示 20:12,15)昔からのその娼婦に対して大勝利を収められるエホバに,すべての賛美が帰せられますように!

      8 ヨハネが目の当たりに見聞きした,天の賛美の合唱は,大いなるバビロンが滅ぼされる前の今,わたしたちにどんな動機づけを与えるはずですか。

      8 このすべては,現代のための神の業に十分あずかるように促す,何と優れた動機づけをわたしたちに与えるのでしょう。大いなるバビロンがその座から引きずり降ろされて滅ぼされる前の今,ヤハの僕たちすべてが,すばらしい王国の希望と共に神の裁きを宣明する業に自ら心と魂を打ち込めますように。―イザヤ 61:1-3。コリント第一 15:58。

      『ハレルヤ ― エホバは王であられる!』

      9 最後のハレルヤという叫びは,どうしてそのように朗々とした豊かな声量の叫びなのでしょうか。

      9 ヨハネがさらに告げているように,歓ぶべき理由がまだあります。「またわたしは,大群衆の声のような,多くの水の音のような,そして激しい雷の音のようなものを聞いた。彼らはこう言った。『ハレルヤ。d 全能者なるわたしたちの神エホバは,王として支配を始められたからである』」。(啓示 19:6)この最後のハレルヤという叫びは,この箇所の宣言を断固とした,もしくは釣り合いの取れたものにしています。その声は天界の力ある音,つまりどんな人間の合唱よりも荘厳で,地上のどんな滝よりも壮大で,地に降り注ぐどんな激しい雷雨よりも畏怖の念を起こさせるものです。天の無数の歌声は,『全能者なるわたしたちの神エホバが王として支配を始められた』ことをたたえます。

      10 大いなるバビロンが荒廃させられた後,どんな意味で,『エホバは王として支配を始められる』と言えますか。

      10 それにしても,エホバが支配を始められる,とはどういう訳でしょうか。詩編作者が,『神は昔からわたしの王です』と宣言して以来,何千年もたちました。(詩編 74:12)当時でさえ,エホバの王位は古来からのものだった以上,どうして全宇宙的な合唱で,『エホバが王として支配を始められた』と歌えるのでしょうか。それは,大いなるバビロンが滅ぼされる時,エホバには,宇宙の主権者としてのご自分に対する従順の価値を低下させてきた,あの厚かましい対抗者がもはやいないからです。偽りの宗教が地上の支配者たちを扇動してエホバに反対させることは,もはやありません。古代バビロンが世界を支配する地位から倒れた時,シオンは,「あなたの神は王となった!」という勝利の宣言を聞きました。(イザヤ 52:7)1914年に王国が誕生した後,24人の長老は,「エホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです」とふれ告げました。(啓示 11:17)大いなるバビロンが荒廃させられた後,今や再び,『エホバは王として支配を始められた』という叫びが上がります。人間の作った神で,まことの神エホバの主権に今後反対して争えるような者は一人もいません!

      子羊の結婚は間近です!

      11,12 (イ)古代のエルサレムは古代バビロンに何と語りかけて,新しいエルサレムと大いなるバビロンに関し,どんな型を示しましたか。(ロ)大いなるバビロンに対する勝利が収められると,天の群衆は何と言って歌い,何を発表しますか。

      11 『わたしに敵する女よ!』これは,崇拝のためのエホバの神殿の所在地であったエルサレムが,偶像崇拝の盛んなバビロンに語りかけた言葉です。(ミカ 7:8)同様に,花嫁である14万4,000人の成員で構成される「聖なる都市,新しいエルサレム」には,大いなるバビロンのことを彼女の敵として語りかける十分の理由があります。(啓示 21:2)そして,大娼婦はついに災難,災厄,および破滅を被りました。彼女の心霊術的な行ないも占星術者たちも彼女を救うことはできませんでした。(イザヤ 47:1,11-13と比較してください。)確かに,真の崇拝の大勝利となりました!

      12 嫌悪すべき娼婦,大いなるバビロンが永久に消え去ったので,今や処女のように清い子羊の花嫁に注意を集中できます! ですから,天の群衆は歓喜して,エホバを賛美してこう歌います。「歓び,そして喜びにあふれよう。また,神に栄光をささげよう。子羊の結婚が到来し,その妻は支度を整えたからである。まさに彼女は,輝く,清い,上等の亜麻布で身を装うことを許された。上等の亜麻布は聖なる者たちの義の行為を表わすのである」― 啓示 19:7,8。

      13 子羊の結婚のためのどんな準備が,これまで何世紀もの間ずっと行なわれてきましたか。

      13 イエスはこれまで何世紀もの間ずっと,天界のこの結婚のために愛ある準備をしてこられました。(マタイ 28:20。コリント第二 11:2)イエスは霊的なイスラエルの14万4,000人の人たちを清めてこられました。それは,「輝かしいばかりの会衆をご自身のもとに立たせ,こうしてそれが,汚点やしわ,またそうしたものの何もない,神聖できずのないものとなるためでした」。(エフェソス 5:25-27)油そそがれたクリスチャンは各々,「神からの賞である上への召し」を受けるために,古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,新しいクリスチャンの人格を着け,「エホバに対するように魂をこめて」,義にかなった行為をしなければなりませんでした。―フィリピ 3:8,13,14。コロサイ 3:9,10,23。

      14 サタンはどのようにして,子羊の妻の成員となる見込みのある人たちを汚そうとしてきましたか。

      14 西暦33年のペンテコステ以来,サタンは大いなるバビロンを道具として用いて,子羊の妻の成員となる見込みのある人たちを汚そうとしてきました。そして,1世紀の終わりまでに,バビロン的な宗教の種を会衆の中にまきました。(コリント第一 15:12。テモテ第二 2:18。啓示 2:6,14,20)使徒パウロは,信仰を覆していた者たちのことを次のような言葉で描写しています。「そのような人たちは偽使徒,欺まんに満ちた働き人で,自分をキリストの使徒に変様させているのです。それも不思議ではありません。サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです」。(コリント第二 11:13,14)その後,何世紀かにわたって,背教したキリスト教世界は大いなるバビロンの残りの部分と同様,富や特権の衣服で,つまり「紫と緋……金と宝石と真珠」で身を装いました。(啓示 17:4)彼女の僧職者や教皇は,コンスタンティヌスやシャルルマーニュのような血に飢えた皇帝たちと付き合ってきました。彼女が「聖なる者たちの義の行為」で身を装ったことは決してありませんでした。偽の花嫁である彼女は確かに,サタン的な欺まんの最高傑作でした。彼女はついに永久に消え去りました!

      子羊の妻は支度を整えた

      15 証印を押すことは,どのようにして行なわれますか。油そそがれたクリスチャンには何が要求されますか。

      15 それで,ほとんど2,000年たった今,花嫁級の14万4,000人の人々は用意が整っています。しかし,どの時点で,『子羊の妻は支度を整えた』と言えるのでしょうか。信仰の厚い,油そそがれた者たちは,西暦33年のペンテコステ以来,来たるべき「贖いによる釈放の日」のために,漸進的に『約束の聖霊をもって証印を押されて』きました。使徒パウロが表現しているように,神は「またわたしたちにご自分の証印を押し,来たるべきものの印,つまり霊をわたしたちの心の中に与えてくださったのです」。(エフェソス 1:13; 4:30。コリント第二 1:22)油そそがれたクリスチャンは各々,『召され,選ばれている』だけでなく,「忠実な者」であることを実証してきました。―啓示 17:14。

      16 (イ)使徒パウロはいつ完全に証印を押されましたか。どうしてそれが分かりますか。(ロ)子羊の妻はいつ十分に『支度を整えて』いるでしょうか。

      16 パウロ自身,多年にわたって試みられた後,次のように断言できました。「わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました。今から後,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるものです。しかし,わたしだけにではなく,その顕現を愛してきたすべての人に与えてくださるのです」。(テモテ第二 4:7,8)この使徒は依然肉体でとどまっていて,なお前途に殉教の死を控えていたのに,完全に証印を押されていたようです。同様に,14万4,000人のうちの地上に残っている人たちすべてがエホバに属する者として個人個人証印を押される時が必ず来ます。(テモテ第二 2:19)その時,子羊の妻は十分に支度を整えていることでしょう。つまり,14万4,000人の人々の大多数はすでに天で報いを受けており,なお地上にいる人たちは最終的に是認され,忠実な者として証印を押されていることでしょう。

      17 子羊の結婚はいつ執り行なうことができますか。

      17 14万4,000人の人たちに証印を押すことが完了する,エホバの時間表のその時点で,み使いたちは大患難をもたらす四方の風を放ちます。(啓示 7:1-3)まず,娼婦のような大いなるバビロンに裁きが執行されます。勝利を収めたキリストは,次にサタンの地上の組織の残りの部分を滅ぼすため,速やかにハルマゲドンに進んで行き,最後にサタンとその悪霊たちを底知れぬ深みに投げ込みます。(啓示 19:11–20:3)その時に地上で生き残っている油そそがれた者がいれば,おそらくキリストが征服を完了したすぐ後に天での報いに入り,花嫁級の仲間の成員に加わることでしょう。その後,神のご予定の時に,まさしく子羊の結婚を執り行なうことができます!

      18 詩編 45編は,子羊の結婚にかかわる出来事の順序をどのように確証していますか。

      18 詩編 45編の預言的な記述は,物事の順序を述べています。まず,即位した王が敵を征服するために乗り進みます。(1-7節)それから,結婚が執り行なわれ,天的な花嫁は地上で彼女の処女なる友たち,つまり大群衆に付き添われます。(8-15節)次いで,その結婚は実を結び,復活させられる人類は,「全地に君」として立てられる人たちの監督のもとで,完全な状態に引き上げられます。(16,17節)子羊の結婚は何という輝かしい祝福を伴うのでしょう。

      招かれた者たちは幸いです

      19 啓示の書の中の七つの幸いのうちの四番目の幸いとは何ですか。だれがこの特別の幸いにあずかりますか。

      19 今や,ヨハネは啓示の書の中の七つの幸いのうちの四番目の幸いについて,こう記します。「そして彼[これらの事柄をヨハネに明らかにしてきたみ使い]はわたしに言う,『こう書きなさい。子羊の結婚の晩さんに招かれた者たちは幸いである』。彼はまたわたしに言う,『これらは神の真実のことばである』」。(啓示 19:9)e 「子羊の結婚の晩さん」に招かれた人たちとは,花嫁級の成員のことです。(マタイ 22:1-14と比較してください。)油そそがれた花嫁である仲間はすべて,この招きを受ける幸いにあずかります。それら招かれた人たちの大半は,すでに婚礼の晩さんの行なわれる場所である天に行きました。なお地上にいる人たちも,やはり招かれているので,幸いです。婚礼の晩さんに連なる彼らの場所は確保されています。(ヨハネ 14:1-3。ペテロ第一 1:3-9)彼らが復活させられて天に行く時,一緒になった花嫁は全員,子羊と共になって,この上ない幸福な結婚生活を共にすることになります。

      20 (イ)「これらは神の真実のことばである」という句にはどんな意味がありますか。(ロ)ヨハネはみ使いの言葉からどのような影響を受けましたか。み使いはどのようにこたえ応じましたか。

      20 み使いは,「これらは神の真実のことばである」と付け加えています。この「真実」という言葉は,「アレーティノス」というギリシャ語を訳したもので,「純粋の」,または「頼りになる」という意味があります。それらのことばは実際,エホバから出るので,信頼でき,信用の置けるものです。(ヨハネ第一 4:1-3; 啓示 21:5; 22:6と比較してください。)その婚宴に招かれた人だったヨハネはこのことを聞き,花嫁級の人たちの前途の祝福について思い巡らした時,喜びで満たされたに違いありません。ヨハネは余りにも深く感動したため,み使いは彼に助言を与えなければなりませんでした。ヨハネがこう述べている通りです。「そこでわたしは,彼の足もとにひれ伏して彼を崇拝しようとした。しかし彼はわたしに言う,『気をつけなさい! そうしてはなりません! わたしは,あなた,また,イエスについての証しの業を持つあなたの兄弟たちの仲間の奴隷にすぎません。神を崇拝しなさい』」― 啓示 19:10(前半)。

      21 (イ)啓示の書はみ使いたちに関して何を明らかにしていますか。(ロ)クリスチャンはみ使いたちに対してどんな態度を取るべきですか。

      21 啓示の書は全体を通して,み使いたちの忠実さや勤勉さについて注目すべき証しをしています。彼らは啓示される真理の経路と関係しています。(啓示 1:1)み使いたちは良いたよりを宣べ伝えたり,災厄を注ぎ出したりして,人間と共に働きます。(啓示 14:6,7; 16:1)彼らはサタンとその使いたちを天から投げ落とすためにイエスと並んで戦いましたし,ハルマゲドンでは再びイエスと並んで戦います。(啓示 12:7; 19:11-14)実際,エホバご自身にさえ自由に会えるのです。(マタイ 18:10。啓示 15:6)それでも,彼らは神の謙遜な奴隷にほかなりません。純粋の崇拝には,み使いを崇拝したり,あるいはある“聖人”やみ使いを通して神を崇拝する,相対的な崇拝をさえ行なったりする余地はありません。(コロサイ 2:18)クリスチャンはただエホバだけを崇拝し,イエスの名によって神に請願を行ないます。―ヨハネ 14:12,13。

      預言の点でのイエスの役割

      22 み使いはヨハネに何と言いますか。その言葉は何を意味していますか。

      22 次いで,み使いはこう言います。「イエスについて証しすることが預言に霊感を与えるものなのです」。(啓示 19:10[後半])どうしてそう言えるのでしょうか。それは,霊感を受けた預言はすべて,イエスのゆえに,またエホバの目的の中でイエスが果たされる役割のゆえに語り出されるという意味です。聖書の最初の預言では,胤の来ることが約束されました。(創世記 3:15)イエスはその胤となられました。この基本的な約束に基づき,またそれ以後の啓示によって,預言的な真理の膨大な体系が築かれました。使徒ペテロは信仰の厚いコルネリオに,『この方[イエス]についてはすべての預言者が証しをしています』と語りました。(使徒 10:43)20年ほど後,使徒パウロはこう述べました。「神の約束がどんなに多くても,それは彼[イエス]によって,はい,とな(りました)」。(コリント第二 1:20)さらに,それから43年後,ヨハネ自身わたしたちに,『真理はイエス・キリストを通して存するようになった』ことを思い起こさせています。―ヨハネ 1:17。

      23 イエスの高い地位や権威のゆえに,エホバに対するわたしたちの崇拝の質が低下する訳ではありません。それはどうしてですか。

      23 そのために,エホバに対するわたしたちの崇拝の質が何らかの点で低下しますか。いいえ,低下しません。「神を崇拝しなさい」という,み使いの忠告を思い出してください。イエスは決してエホバと張り合おうとはされません。(フィリピ 2:6)確かに,み使いはすべて,「[イエス]に敬意をささげよ」と命じられていますし,創造物は皆,イエスの高い地位を認めて,「すべてのひざがイエスの名によってかが(まなければ)」なりません。しかし,そうするのは,「父なる神に栄光を帰するため」ですし,神のご命令によることなのです。(ヘブライ 1:6。フィリピ 2:9-11)エホバはご自分の高い権威をイエスにお与えになったので,わたしたちはその権威を認めることにより,神に栄光を帰します。もし,イエスの支配に服そうとしないなら,エホバ神ご自身を退けることになります。―詩編 2:11,12。

      24 わたしたちはどんな二つの驚嘆すべき出来事について熟考しますか。ですから,わたしたちはどんな言葉を声を出して語り告げるべきでしょうか。

      24 それでは,わたしたちは一致して,詩編 146編から150編の「あなた方はヤハを賛美せよ!」という冒頭の言葉を声を出して語り告げましょう。バビロン的な偽りの宗教の世界帝国に対するエホバの勝利を見越して,ハレルヤと歌う合唱がとどろき渡りますように! そして,子羊の結婚の時が近づくにつれ,喜びがあふれますように!

      [脚注]

      a 「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

      b 「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

      c 「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

      d 「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

      e 啓示 1:3; 14:13; 16:15もご覧ください。

      [273ページの囲み記事]

      「ソドムとゴモラあての使徒書簡」

      この特筆すべき見出しのもとに,1987年11月12日付,ロンドンのデーリー・テレグラフ紙は,英国国教会の全国教会会議で提出された動議について報告しました。それは,同性愛者の“クリスチャン”を教会から追放することを求める動議でした。コラムニストのゴドフリ・バーカーはこう述べました。「カンタベリーの大主教は昨日,沈んだ表情で次のような意見を述べた。『もしも,聖パウロが英国国教会に使徒書簡を書き送るとしたなら,それがどのような手紙かを尋ねるのはもっともなことであろう』」。バーカー氏自身,「“ソドムとゴモラあての使徒書簡”というのがその答えである」と述べ,「ランシー博士[大主教]は,それがローマ 1章のようなものになるだろうと考えた」と付け加えました。

      この筆者はローマ 1章26節から32節のパウロの次のような言葉を引用しました。「神は彼らをその心の色情のままに汚れた行為に渡された。……男が男と恥ずべき行為をし……彼らはそういうことをする人たちが死に値するという神の定めを知っていながら,自らそれをするだけでなく,それを習わしにする人たちをもよしとするのである」。そして,こう結論しました。「聖パウロは単に信徒席の男たちのことを心配しただけであったが,ランシー博士の問題は説教壇の男たちのことであった」。

      大主教はどうしてこのような問題を抱えているのでしょうか。1987年10月22日付,ロンドンのデーリー・メール紙は大見出しを掲げて,次のように言明しました。「『同性愛者3人のうち一人は教区司祭』……同性愛者を締め出そうとする運動は,『英国国教会を閉鎖させるものとなろう』」。この報告には,“男性および女性同性愛者クリスチャン運動”の“聖職者”書記長の言葉が次のように引用されていました。「もしこの動議が採択されるなら,教会は破壊されるであろう。カンタベリーの大主教はそれを承知している。概数ではあるが,英国国教会の牧師のうち30ないし40%は同性愛者であると思う。しかも,彼らは教会での奉仕に貢献している最も活発な人々である」。教会に通う人々が減少しているのは,一つには同性愛の聖職者の急増振りに嫌気がさしていることの表われでしょう。

      教会会議はどんな決定を下しましたか。圧倒的大多数の388人(僧職者の95%)の会員が,手心の加えられた動議に対する賛成投票を行ないました。このことに関して,英国の1987年11月14日号,エコノミスト誌はこう伝えました。「英国国教会は同性愛行為に反対しているが,さほど強く反対しているわけではない。教会の議会に当たる全国会議は,今週,同性愛の聖職者を考慮して,同性愛行為は淫行や姦淫とは異なり,罪ではないという決定を下した。その行為は単に,『性交とは永続する結婚関係の枠内に当然属する全面的な義務行為である』という『理想に達していない』だけである」。カンタベリーの大主教の立場とローマ 1章26節と27節の使徒パウロの率直な言葉を対比させたエコノミスト誌は,「聖パウロは自分の考えていることを知っていた」という見出しの上部に,使徒パウロの言葉を引用して掲載しました。

      イエス・キリストもやはり,ご自分の考えていることを知っていたので,それを明確な言葉で話されました。イエスは,ご自分の音信をはねつけた宗教家たちよりも『裁きの日にはソドムの地のほうが耐えやすい』と言われました。(マタイ 11:23,24)イエスはここで,神のみ子を退けた当時の宗教指導者たちとその教えは一層責められるべきであることを示すために誇張法を用いられました。ユダ 7節は,それらソドム人が「永遠の火による司法上の処罰」を被ったと述べていますが,その処罰はとこしえの滅びを意味しています。(マタイ 25:41,46)では,盲目にされた羊の群れを神の王国の高い道徳規準から盲目的に引き離し,何でも許容するこの世の堕落した道に引き入れる,いわゆるクリスチャンの指導者たちは,どんなにか厳しい裁きを被ることでしょう。(マタイ 15:14)天からの声は偽りの宗教,つまり大いなるバビロンに関して,しきりにこう招いています。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。―啓示 18:2,4。

      [275ページの図版]

      大いなるバビロンに対する最終的な勝利を収められたヤハをたたえて,天ではハレルヤという歌声が4回響き渡ります

  • 王なる戦士はハルマゲドンで勝ち誇る
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 39章

      王なる戦士はハルマゲドンで勝ち誇る

      第13の幻 ― 啓示 19:11-21

      主題: イエスは天の軍勢を率いて,サタンの事物の体制を滅ぼされます

      成就する期間: 大いなるバビロンが滅ぼされた後

      1 ハルマゲドンとは何ですか。どんなことがハルマゲドンにつながってゆきますか。

      ハルマゲドン ― 多くの人にとって何と恐ろしい言葉でしょう。しかし,これは義を愛する人たちにとって,エホバが諸国民に最終的な裁きを執行なさる,待望久しい日を表わす言葉です。それは人間の戦いではなく,「全能者なる神の大いなる日の戦争」,つまり地上の支配者たちに対する全能者の復しゅうの日です。(啓示 16:14,16。エゼキエル 25:17)大いなるバビロンが荒廃させられる時,大患難はすでに始まっていることでしょう。次いで,緋色の野獣とその十本の角はサタンにせき立てられて,エホバの民に攻撃を集中します。神の女のような組織に対して,かつてないほど大きな憤りを抱いている悪魔は,手先を使って,彼女の胤のうちの残っている者たちとの戦いを最後まで続ける決意を抱いています。(啓示 12:17)これこそサタンの最後の機会なのです!

      2 マゴグのゴグとはだれのことですか。エホバはどのようにゴグを操って,ご自身の民を攻撃させるのでしょうか。

      2 エゼキエル 38章に悪魔の猛烈な攻撃が鮮やかに描かれています。その箇所で,卑しめられたサタンは「マゴグの地のゴグ」と呼ばれています。エホバは比喩的な鉤をゴグのあごに掛け,ゴグとその多数の軍勢を引き出されます。どのようにしてそうなさるのでしょうか。ご自分の証人たちを「諸国民の中から集められた民,すなわち富や財産をためている民,地の中心に住んでいる者たち」として,無防備な民であるかのようにゴグに見させることによって,そうなさいます。これらの人々は,野獣とその像を崇拝するのを拒む唯一の民として,地上の舞台で注目の的となります。その霊的な強さと繁栄のゆえにゴグは激怒させられます。それで,ゴグと,海から上って来た十本の角のある野獣を含め,その多数の軍勢は,獲物を求めて群がって来ます。しかし,神の清い民は大いなるバビロンとは異なり,神からの保護を享受します。―エゼキエル 38:1,4,11,12,15。啓示 13:1。

      3 エホバはどのようにして軍備を整えたゴグの軍勢を一掃なさるのでしょうか。

      3 エホバはどのようにしてゴグとそのすべての群衆を一掃なさるのでしょうか。お聴きください!「『そしてわたしは,わたしのすべての山地の至る所で剣を呼び起こして彼を攻めさせる』と,主権者なる主エホバはお告げになる。『各人の剣は自分の兄弟に向かうことになる』」。しかし,その衝突の際には,核兵器も通常兵器も役に立ちません。エホバがこう断言しておられるからです。「わたしは疫病と血とをもって彼に対して裁きを行なう。わたしはみなぎりあふれる大雨と雹,火と硫黄を彼とその隊,および彼と共にいる多くの民の上に降らせるであろう。そしてわたしは必ずわたしを大いなるものとし,わたしを神聖なものとし,多くの国々の民の目の前でわたしを知らせるであろう。そして彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる』」。―エゼキエル 38:21-23; 39:11。ヨシュア 10:8-14; 裁き人 7:19-22; 歴代第二 20:15,22-24; ヨブ 38:22,23と比較してください。

      「忠実また真実」と唱えられる方

      4 ヨハネはイエス・キリストが戦闘隊形を整えておられる様子をどのように描写していますか。

      4 エホバは剣を呼び出されます。その剣を振るうのはだれですか。啓示の書に戻れば,さらに別の幻の中で,その答えを見いだせます。ヨハネの眼前で天が開かれ,確かに畏敬の念を起こさせる事柄が明らかにされます。イエス・キリストご自身が戦闘隊形を整えておられるのです! ヨハネはわたしたちにこう告げます。「また,わたしは天が開かれているのを見た。すると,見よ,白い馬がいた。そして,それに乗っている者は忠実また真実ととなえられ,その者は義をもって裁き,また戦う。彼の目は火の炎であり,頭には多くの王冠がある」― 啓示 19:11,12(前半)。

      5,6 (イ)「白い馬」,(ロ)「忠実また真実」という名,(ハ)「火の炎」のような目,および(ニ)「多くの王冠」は,何を表わしていますか。

      5 四人の騎手に関する以前の幻の場合のように,この「白い馬」は義にかなった戦いのふさわしい象徴です。(啓示 6:2)それに,神の子らのうちの一体だれが,この力ある戦士よりも義にかなった方であり得るでしょうか。この方は「忠実また真実ととなえられ」ていますから,「忠実で真実な証人」,つまりイエス・キリストであるに違いありません。(啓示 3:14)この方はエホバの義にかなった裁きを執行するために戦われます。ですから,イエスはエホバの任命された裁き主,「力ある神」としての資格で行動しておられます。(イザヤ 9:6)その目は「火の炎」のように畏怖の念を起こさせるもので,ご自分の敵の来たるべき火のような滅びを見つめています。

      6 この王なる戦士は頭に王冠を着けています。海から上って来るのをヨハネが見た野獣には十の王冠がありましたが,それらの王冠は野獣が地上の舞台で一時的に行使している支配権を表わしています。(啓示 13:1)しかし,イエスは「多くの王冠」を持っておられます。イエスの輝かしい王権は比類のないものです。というのは,この方は「王として支配する者たちの王,主として支配する者たちの主」であられるからです。―テモテ第一 6:15。

      7 イエスが持っておられる記された名とは何ですか。

      7 ヨハネの描写はさらに続きます。「彼には記された名があるが,彼自身のほかはだれもそれを知らない」。(啓示 19:12[後半])聖書はすでに神のみ子について,イエス,インマヌエル,およびミカエルなどの「名」で語っています。しかし,この明示されていない「名」は,主の日の期間にイエスが享受しておられる地位や特権を表わしているようです。(啓示 2:17と比較してください。)イザヤは,1914年以後のイエスのことを描写して,「彼の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう」と述べています。(イザヤ 9:6)使徒パウロは次のように書き記して,イエスの名をその非常に高度な奉仕の特権と結びつけました。「神は彼[イエス]をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名に勝る名を進んでお与えに(なりました)。それは……すべてのひざがイエスの名によってかが(むためでした)」― フィリピ 2:9,10。

      8 記された名を知ることができるのは,どうしてイエスだけなのでしょうか。イエスはご自分の高度な特権の一部をだれと共になさいますか。

      8 イエスの特権は特異なものです。そのような高い地位を持つことがどういう意味かを理解できるのは,エホバご自身を別にすれば,イエスだけです。(マタイ 11:27と比較してください。)ですから,神の全被造物の中で,その名の意味を十分に認識できるのは,イエスだけです。それにもかかわらず,イエスはそのような特権のうちのあるものにご自分の花嫁をまさしく含めておられます。それでイエスは,「征服する者 ― わたしは……わたしの新しい名……をその者の上に書く」と約束しておられるのです。―啓示 3:12。

      9 (イ)イエスが『血の振り掛かった外衣で身を装っておられる』こと,(ロ)イエスが「神の言葉」と呼ばれていることは,何を示唆していますか。

      9 ヨハネはさらにこう付け加えています。「そして,彼は血の振り掛かった外衣で身を装っており,そのとなえられる名は神の言葉である」。(啓示 19:13)それはだれの「血」ですか。それは人類のために流されたイエスの生き血だと考えることもできるでしょう。(啓示 1:5)しかしそれよりも,この文脈では,イエスの敵に対してエホバの裁きが執行される時に流される敵の血を指しているようです。わたしたちは,地のぶどうの木が刈り取られて,神の怒りの大きなぶどう搾り場で踏まれ,ついにその血が「馬のくつわに届くほど」の高さに達して,神の敵に対する偉大な勝利を表わした,以前の幻を思い起こさせられます。(啓示 14:18-20)同様に,イエスの外衣に振り掛かった血は,その勝利が決定的で,完全であることを確証しています。(イザヤ 63:1-6と比較してください。)ここでヨハネは再び,イエスが名をもって呼ばれていることに言及しています。今度は,それは広く知られた「神の言葉」という名で,この王なる戦士の実体が,エホバの主要な代弁者,ならびに真理の擁護者であることを明らかにしています。―ヨハネ 1:1。啓示 1:1。

      イエスの仲間の戦士たち

      10,11 (イ)ヨハネは,イエスがただ一人で戦いをなさるのでないことをどのように示していますか。(ロ)それらの馬が白いこと,また騎手たちが「白くて清い上等の亜麻布」をまとっていることは何を表わしていますか。(ハ)だれがその天の「軍勢」を構成していますか。

      10 イエスはただ一人でこの戦いをなさるのではありません。ヨハネはわたしたちにこう告げます。「また,天にある軍勢が白い馬に乗って彼の後に従っていたが,彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた」。(啓示 19:14)それらの馬が「白い」ということは,義にかなった戦いを表わしています。「上等の亜麻布」は王の騎手たちにとってふさわしい生地で,そのきらめくような清い白さは,エホバのみ前における義にかなった清い立場を示唆しています。では,だれがこの「軍勢」を構成していますか。確かに,聖なるみ使いたちが含まれています。ミカエルとそのみ使いたちが,サタンとその悪霊たちを天から投げ落としたのは,主の日の初めごろのことでした。(啓示 12:7-9)さらに,イエスが輝かしい王座に座して,地の諸国民や民族を裁き始められる際,「すべてのみ使い」がイエスに仕えます。(マタイ 25:31,32)確かに,神の裁きが最終的に執行される決定的な戦いで,イエスは再びみ使いたちを伴われます。

      11 ほかの人たちもやはり関係することになります。イエスはご自分の音信をテアテラの会衆に送る際,「征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたのと同様であ(る)」と約束なさいました。(啓示 2:26,27)その時が来ると,すでに天にいる,それらイエスの兄弟たちは,確かにその鉄の杖で民や諸国民を牧する業の一端にあずかります。

      12 (イ)地上の神の僕たちはハルマゲドンにおける戦闘に加わりますか。(ロ)エホバの地上の民はハルマゲドンとどのようにかかわっていますか。

      12 しかし,この地上の神の僕たちについてはどうですか。ヨハネ級の人たちがハルマゲドンにおける戦闘に活発に加わったりすることはありません。その忠節な仲間たち,つまりあらゆる国々からエホバの霊的な崇拝の家に流れのようにやって来た,それらの民も,やはり加わりません。平和を好む,これらの人々は,すでに剣をすきの刃に打ち変えました。(イザヤ 2:2-4)しかし,彼らは大変深くかかわっています! すでに注目した通り,ゴグとそのすべての群衆から激しく攻撃されるのは,無防備に見えるエホバの民なのです。その攻撃は,天の軍勢の支持を受ける,エホバの王なる戦士が,それら諸国民を絶滅させる戦いを開始する合図となります。(エゼキエル 39:6,7,11。ダニエル 11:44–12:1と比較してください。)参観者である地上の神の民は,深い関心を抱いています。ハルマゲドンはそれら参観者にとって救いを意味し,彼らはエホバの正しさが立証される偉大な戦いの目撃証人として,とこしえに生きてゆくでしょう。

      13 エホバの証人がすべての政府に反対しているのでないことは,どうして分かりますか。

      13 これは,エホバの証人がすべての政府に反対しているという意味ですか。とんでもありません! 彼らは,「すべての魂は上位の権威に服しなさい」という使徒パウロの助言に従います。彼らは,現行の体制が存続する限り,それら「上位の権威」は神の許しにより,人間社会のある程度の秩序を保つために存在することを認識しています。ですから,エホバの証人は税金を支払い,法律に従い,交通法規を尊重し,登録義務その他を守ります。(ローマ 13:1,6,7)その上,真実を語り,正直に振る舞い,隣人愛を示し,道徳を守る強固な個々の家族を築き,模範的な市民になるよう子供たちを訓練するなどの点で聖書の原則に従います。こうして証人たちは,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に」返します。(ルカ 20:25。ペテロ第一 2:13-17)聖書はこの世の政治権力が一時的なものであることを示しているので,エホバの証人はキリストの王国の支配下で間もなく享受できる,より充実した生活をするため,つまり真の命を得るために今,準備しています。(テモテ第一 6:17-19)証人たちはこの世の強国を覆すことに少しも関与しませんが,エホバがハルマゲドンで執行しようとしておられる裁きに関して,霊感を受けた神のみ言葉,聖書が述べる事柄に畏敬の念を感じています。―イザヤ 26:20,21。ヘブライ 12:28,29。

      最後の戦いへ!

      14 イエスの口から突き出ている「鋭くて長い剣」は,何を象徴していますか。

      14 イエスはどんな権威によって征服を完了されるのでしょうか。ヨハネはわたしたちにこう教えています。「そして,彼の口からは鋭くて長い剣が突き出ている。それによって諸国民を討つためである。また彼は,鉄の杖で彼らを牧する」。(啓示 19:15[前半])その「鋭くて長い剣」は,神の王国を支持しようとしない人々の処刑を命ずる,神から与えられた,イエスの権威を表わしています。(啓示 1:16; 2:16)この生き生きとした象徴的な表現は,次のようなイザヤの言葉と似ています。「[エホバは]わたしの口を鋭い剣のようにされた。そのみ手の陰にわたしを隠された。そして,徐々にわたしを磨かれた矢とされた」。(イザヤ 49:2)イザヤはここで,神の裁きをふれ告げ,的をはずすことのない矢のように,その裁きを執行なさるイエスを予表しています。

      15 この時点で,だれの実体がすでに暴露され,裁かれており,何の始まりがしるし付けられていますか。

      15 この時点で,イエスはすでにパウロの次のような言葉を成就して,行動しておられることでしょう。「まさにその時になると,不法の者が表わし示されますが,主イエスはその者を,ご自分の口の霊によって除き去り,その臨在の顕現によってこれを無に至らせるのです」。そうです,イエスの臨在(ギリシャ語,パルーシア)は1914年以降,不法の人,つまりキリスト教世界の僧職者の実体を暴露して裁くことにより明らかに示されてきました。緋色の野獣の十本の角がその裁きを執行し,キリスト教世界と共に,大いなるバビロンの残っているものを荒廃させる時,その臨在は顕著な仕方で明らかにされます。(テサロニケ第二 2:1-3,8)その時こそ,大患難の始まりとなります! その後,イエスは,「必ずその口のむち棒をもって地を打ち,その唇の霊をもって邪悪な者を死に至らせるであろう」という預言と調和して,サタンの組織の残っている部分に注目されます。―イザヤ 11:4。

      16 詩編とエレミヤ書は,エホバの任命された王なる戦士の役割をどのように描写していますか。

      16 エホバの任命された方である,その王なる戦士は,生き残る人たちと死ぬ人々とを区別されます。エホバは神のこのみ子に預言的な意味を込めて語りかけ,こう言われます。「あなたは鉄の笏をもって彼ら[地の支配者たち]を砕き,彼らを陶器師の器であるかのように粉々にする」。そして,エレミヤはそれら不正な政府の指導者たちとその従僕たちに語りかけて,こう言います。「牧者よ,泣き叫べ。声を張り上げよ! そして,群れの威光ある者よ,転げ回れ。あなた方がほふられ,散らされるための日数が満ちたからである。あなた方は望ましい器のように必ず落ちる!」それら支配者たちは邪悪な世にとってどれほど望ましく見えようとも,この王の鉄の笏の一撃で,彼らはあたかも砕かれる魅力的な器のように打ち砕かれてしまうでしょう。それは,ちょうどダビデが主イエスに関して預言した通りになるでしょう。「あなたの力の杖を,エホバはシオンから送り出して,こう言われます。『あなたの敵のただ中で従えてゆけ』。エホバ自らあなたの右にあって,その怒りの日に必ず王たちを打ち砕かれます。神は諸国民の中で裁きを執行し,死体を満ちあふれさせます」。―詩編 2:9,12; 83:17,18; 110:1,2,5,6。エレミヤ 25:34。

      17 (イ)ヨハネは,王なる戦士が行動して処刑を行なう様子をどのように描写していますか。(ロ)神の怒りの日が諸国民すべてにとってどんなに悲惨な時となるかを示す預言の幾つかについて述べなさい。

      17 この力ある王なる戦士は,幻の次の情景の中でも再び現われます。「また,[彼は]全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場も踏む」。(啓示 19:15[後半])ヨハネは以前の幻の中で,『神の怒りのぶどう搾り場』を踏む様子をすでに見ました。(啓示 14:18-20)イザヤもまた,処刑用のぶどう搾り場を描写していますし,他の預言者たちも,神の怒りの日が諸国民すべてにとってどんなに悲惨な時となるかについて告げています。―イザヤ 24:1-6; 63:1-4。エレミヤ 25:30-33。ダニエル 2:44。ゼパニヤ 3:8。ゼカリヤ 14:3,12,13。啓示 6:15-17。

      18 預言者ヨエルは,エホバが諸国民すべてを裁くことに関して何を明らかにしていますか。

      18 預言者ヨエルは,ぶどう搾り場と,エホバが「周囲のすべての国民を裁く」ために来られることとを結びつけています。それに,ご自分の仲間の裁き主であるイエスとその天の軍勢に次のように命令を出されるのは,確かにエホバです。「鎌を突き入れよ。収穫物は熟したからである。来たれ,下り行け。ぶどうの搾り場は満ちたからである。搾りおけはまさにあふれる。彼らの悪がみなぎったからである。群がる民,群がる民が決定の低地平原にいる。エホバの日が近く,決定の低地平原に臨んでいるからである。太陽や月も必ず暗くなり,星さえその輝きをとどめる。そして,シオンからエホバはとどろき,エルサレムからその声を放つ。そして,天と地は必ず激動する。しかしエホバはその民のための避け所となり,イスラエルの子らのための要害となる。こうしてあなた方は,わたしがあなた方の神エホバであ(る)ことを知ることになる」。―ヨエル 3:12-17。

      19 (イ)ペテロ第一 4章17節で述べられている疑問は,どのように答えられますか。(ロ)イエスの外衣にはどんな名が記されていますか。それはどうしてふさわしい名であることが分かりますか。

      19 それは不従順な諸国家や人間にとっては破滅の日ですが,エホバとその王なる戦士を避け所としてきた人たちすべてにとっては救済の日となります!(テサロニケ第二 1:6-9)1918年に神の家から始まった裁きは,ずっと続いて最高潮に達して,ペテロ第一 4章17節の「神の良いたよりに従順でない者たちの終わりはどうなるでしょうか」という疑問に対する答えが出されます。その輝かしい勝利者は,ぶどう搾り場を最後まで踏んで,ご自分がヨハネから,「そして,彼の外衣に,実にその股のところに,王の王また主の主と書かれた名がある」と言われている,高められた方であることを実証なさるでしょう。(啓示 19:16)この方は地上のどんな支配者,どんな人間の王,もしくは主よりもはるかに力のある方であられることを証明してこられました。その威厳と威光は比類のないものです。この方は「真理と謙遜と義のために」乗り進み,常に勝利を収めてこられました!(詩編 45:4)血の振り掛かったその外衣には,主権者なる主エホバから授けられた名が記されています。実際,その方はこのエホバの正しさを立証する方であられます!

      神の大きな晩さん

      20 ヨハネは「神の大きな晩さん」をどのように描写して,以前のどんな同様の預言を思い起こさせますか。

      20 エゼキエルの幻では,ゴグの群衆が滅ぼされた後,鳥や野生動物が宴に招かれます! それらの生き物はエホバの敵の死体を食べて,景色を損なう死がいを除去します。(エゼキエル 39:11,17-20)ヨハネが次のように述べる言葉は,その以前の預言をまざまざと思い起こさせます。「わたしはまた,ひとりのみ使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び,中天を飛ぶすべての鳥に言った,『さあ,来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである』」― 啓示 19:17,18。

      21 (イ)み使いが「太陽の中に立っている」こと,(ロ)死体が地面に放置されたままにされること,(ハ)遺体が横たわったまま放置される者たちの中に様々な人々が列挙されていること,(ニ)「神の大きな晩さん」という表現は,何を示唆していますか。

      21 み使いは鳥の注意を引くために,見晴らしのきく「太陽の中に立って」います。そして,王なる戦士とその天の軍勢によって打ち殺されようとしている者たちの肉を存分に食べる用意をするように鳥を招きます。死体が地面に放置されたままにされようとしていることは,それらの者が死んで公に恥をさらすことを示唆しています。昔のイゼベルのように,彼らのために誉れある葬式が行なわれることはありません。(列王第二 9:36,37)遺体が横たわったまま放置される者たちの中に,王,軍司令官,強い者たち,自由人,および奴隷が列挙されていることは,その滅びの規模を示しています。例外はありません。エホバに反対する反抗的な世のこん跡は,ことごとく除き去られます。その後,混乱した人間の動いてやまない海はもはやなくなります。(啓示 21:1)これが「神の大きな晩さん」です。というのは,その晩さんにあずかるよう鳥を招かれるのは,エホバだからです。

      22 ヨハネは最後の戦いの経過をどのように要約していますか。

      22 ヨハネは最後の戦いの経過を次のように要約しています。「そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っている方とその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た。そして,野獣は捕らえられ,それと共に,野獣の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も捕らえられた。彼らは両方とも生きたまま,硫黄で燃える火の湖に投げ込まれた。しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その剣は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」― 啓示 19:19-21。

      23 (イ)「全能の神のかの大いなる日の戦い」は,どのような意味で「ハルマゲドン」で行なわれますか。(ロ)「地の王たち」はどんな警告に留意しませんでしたか。その結果,どうなりますか。

      23 エホバの憤りの第六の鉢の中身が注ぎ出された後,ヨハネは,「地と全世界の王たち」が悪霊の宣伝によって「全能の神のかの大いなる日の戦い」に集められたと報告しました。その戦いは,文字通りの場所ではなく,エホバの裁きを必要とする世界情勢であるハルマゲドンで行なわれます。(啓示 16:12,14,16,ジェームズ王欽定訳)今や,ヨハネはその戦列を見ます。神に反対する者の側に立っているのは,「地の王たちとその軍勢」全員です。彼らはエホバの王に服することを頑強に拒んできました。この王は霊感を受けた次のような音信の中で,適正な警告を彼らにお与えになりました。「子に口づけせよ。[エホバ]がいきり立ち,あなた方が道から滅びうせないためである」。彼らはキリストの支配に服さなかったのですから,死ななければなりません。―詩編 2:12。

      24 (イ)野獣と偽預言者に対してどんな裁きが執行されますか。これらのものはどういう意味で「生きたまま」処置されますか。(ロ)「火の湖」はどうして比喩的なものであるに違いありませんか。

      24 サタンの政治組織を表わしている,七つの頭と十本の角のある,海から出て来た野獣は倒され,忘れられてしまいます。それと共に,第七世界強国である偽預言者も滅びます。(啓示 13:1,11-13; 16:13)これらのものは,なお「生きたまま」,つまり結束して地上の神の民に反対しながら依然機能している間に,「火の湖」に投げ込まれます。これは文字通りの火の湖でしょうか。いいえ,そうではありません。それは野獣や偽預言者が文字通りの生き物でないのと同様です。むしろ,それは最終的な完全な滅びの象徴,つまり戻って来ることができない場所です。そこは,後に悪魔自身はもとより,死とハデスが投げ込まれる所です。(啓示 20:10,14)それは確かに,邪悪な者のための永遠の責め苦の場所ではありません。というのは,そのような場所について考えることさえ,エホバにとっては忌むべきことだからです。―エレミヤ 19:5; 32:35。ヨハネ第一 4:8,16。

      25 (イ)『馬に乗っている者の長い剣で殺される』者たちとは,だれのことですか。(ロ)それらの「殺された」者たちがだれか復活させられると期待すべきでしょうか。

      25 直接政府の一部となっていなくても,やはり人類のこの腐敗した世の矯正不能な一部となっている,ほかの人々すべても同様に,「馬に乗っている者の長い剣で殺され」ます。イエスは,それらの人々を死に値する者と宣告されます。これらの人々の場合,火の湖に言及されていないので,彼らは復活させられると考えるべきでしょうか。エホバの裁き主によって,その時,処刑される者たちが復活させられることになると言われている箇所は,どこにもありません。イエスご自身が言われたように,「羊」でない者たちは皆,去って,「悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に」入ります。つまり,「永遠の切断に」遭います。(マタイ 25:33,41,46)こうして,「不敬虔な人々の裁きと滅びの日」は最高潮に達します。―ペテロ第二 3:7。ナホム 1:2,7-9。マラキ 4:1。

      26 ハルマゲドンの結果について簡単に述べてください。

      26 このようにして,サタンの地上の組織はすべて終わります。政治上の支配権を意味する「以前の天」は過ぎ去ります。サタンが何世紀にもわたって築き上げてきた,永久に存続するように思える体制である「地」は,今や完全に滅ぼされます。エホバに反対する邪悪な人類の一般大衆である「海」ももはやありません。(啓示 21:1。ペテロ第二 3:10)サタンの見える世全体は終わってしまいます。しかし,エホバはサタン自身のために何を用意しておられますか。ヨハネはわたしたちにさらに語ります。

  • 蛇の頭を打ち砕く
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 40章

      蛇の頭を打ち砕く

      第14の幻 ― 啓示 20:1-10

      主題: サタンが底知れぬ深みに入れられること,千年統治,人類の最後の試み,およびサタンの滅び

      成就する期間: 大患難の終わりからサタンの滅亡の時まで

      1 聖書の最初の預言はどのように成就してきましたか。

      聖書の最初の預言を思い出されますか。それは,エホバ神が蛇に次のように話された預言でした。「わたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。(創世記 3:15)今や,この預言の成就が最高潮を迎える時となりました! わたしたちは,エホバの女のような天の組織に対してサタンが行なってきた戦いの歴史をたどってきました。(啓示 12:1,9)蛇の地的な胤はその宗教や政治,および大企業を用いて,この地上で,イエス・キリストとその油そそがれた14万4,000人の追随者で成る女の胤に残忍な迫害を加えてきました。(ヨハネ 8:37,44。ガラテア 3:16,29)サタンはイエスを苦悶の死に遭わせました。しかし,それは単にかかとの傷のようなものでした。というのは,神がご自分の忠実なみ子を三日目に復活させられたからです。―使徒 10:38-40。

      2 蛇はどのように砕かれますか。蛇の地上の胤はどうなりますか。

      2 蛇とその胤についてはどうですか。西暦56年ごろ,使徒パウロはローマのクリスチャンにあてて長い手紙を書き記し,その手紙を結ぶに際して,「平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれるでしょう」と述べて,それらのクリスチャンを励ましました。(ローマ 16:20)これは外面的に砕く以上のことを意味しています。サタンは打ち砕かれるのです! パウロはここで「シュントリボー」というギリシャ語を使いました。この語は,砕いてゼリー状にする,踏みにじる,または打ち砕いて完全に滅ぼすことを意味しています。蛇の胤となっている人間について言えば,彼らは主の日に実際に災厄に遭うことになっており,その災厄は大患難で最高潮に達し,大いなるバビロンや世の政治体制はその財政および軍事上の支持者たちと共に完全に打ち砕かれてしまいます。(啓示 18章と19章)こうして,エホバは二つの胤の間の敵意を最高潮に持って行かれます。神の女の胤は蛇の地上の胤に対して勝利を収めるので,蛇のその胤はもはや存在しなくなります!

      サタンは底知れぬ深みに入れられる

      3 ヨハネがわたしたちに告げるところによれば,何がサタンに起ころうとしていますか。

      3 では,何がサタン自身とその悪霊たちを待ち受けていますか。ヨハネはわたしたちにこう告げます。「それからわたしは,ひとりのみ使いが底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った。そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,それを閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことができないようにした。これらのことの後,彼はしばらくのあいだ解き放されるはずである」― 啓示 20:1-3。

      4 底知れぬ深みのかぎを持っているみ使いとは,だれのことですか。どうしてそれが分かりますか。

      4 そのみ使いはだれのことですか。そのみ使いはエホバの大敵対者を一掃できる大変大きな力を持っているに違いありません。その方は「底知れぬ深みのかぎと大きな鎖」を持っています。このことから,以前の幻を思い起こさせられるのではありませんか。そうです,あのいなごの王は,「底知れぬ深みの使い」と呼ばれています!(啓示 9:11)ですから,ここで,わたしたちは再び,エホバの主要な立証者,栄光を受けたイエス・キリストが活動しておられるのを見守っているのです。サタンを天から投げ落とし,大いなるバビロンを裁き,ハルマゲドンで「地の王たちとその軍勢」を一掃された,このみ使いの頭が身を引いて,サタンを底知れぬ深みに入れる絶妙な処置をより劣ったみ使いに講じさせるなどとは,確かに考えられません!―啓示 12:7-9; 18:1,2; 19:11-21。

      5 底知れぬ深みの使いは,悪魔サタンをどのように扱いますか。それはどうしてですか。

      5 火のような色の大きな龍は天から投げ落とされた時,「初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者」と呼ばれました。(啓示 12:3,9)今度は,捕らえられ,底知れぬ深みに入れられる時点で,彼は再び全部の名称をもって,「悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇」として描写されています。この悪名高い,呑み込む者,欺く者,中傷する者,ならびに反対する者は鎖を掛けられ,「底知れぬ深みに」投げ込まれて,そこは閉じられ,固く封印されて,「もはや諸国民を惑わすことができないように」されます。こうして,サタンが底知れぬ深みに入れられた状態は千年間続き,その間,深い地下牢の囚人の場合のように,人類に対するサタンの影響はなくなってしまいます。底知れぬ深みの使いは,サタンを義の王国と少しも接触しないよう完全に除去します。それは人類にとって何とすばらしい救済となるのでしょう。

      6 (イ)悪霊たちも底知れぬ深みに入れられることを示すどんな証拠がありますか。(ロ)今や,何を開始することができますか。それはなぜですか。

      6 悪霊たちはどうなりますか。彼らもやはり『裁きのために留め置かれて』きました。(ペテロ第二 2:4)サタンは「悪霊どもの支配者ベエルゼブブ」と呼ばれています。(ルカ 11:15,18。マタイ 10:25)彼らは長年サタンと共同して働いてきたのですから,同じ裁きを受けるべきではないでしょうか。それら悪霊たちにとって,底知れぬ深みは長い間恐怖の的となってきました。ある時,イエスが悪霊たちに直面されたところ,彼らは,「去って底知れぬ深みに行けとはお命じにならないようにと,しきりに彼に懇願(し)」ました。(ルカ 8:31)しかし,サタンが底知れぬ深みに入れられる時,その使いたちも確かにサタンと共に底知れぬ深みに投げ入れられます。(イザヤ 24:21,22と比較してください。)サタンとその悪霊たちが底知れぬ深みに入れられた後,イエス・キリストの千年統治を開始することができます。

      7 (イ)サタンとその悪霊たちは底知れぬ深みの中にいる間,どんな状態になっていますか。どうしてそれが分かりますか。(ロ)ハデスと底知れぬ深みとは同一ですか。(脚注をご覧ください。)

      7 サタンとその悪霊たちは底知れぬ深みの中にいる間も活動しますか。では,「かつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとして(いる)」,七つの頭のある,緋色の野獣のことを思い出してください。(啓示 17:8)その獣は底知れぬ深みにいる間,「今はいない」と言えました。それは機能しておらず,行動不能の状態にあり,事実上死んでいました。同様に,使徒パウロはイエスについて語り,「『だれが底知れぬ深みへ下るだろうか』と言っては,つまりキリストを死人の中から引き上げようとしてはならない」と言いました。(ローマ 10:7)イエスはその底知れぬ深みの中にいた間,死んでおられました。a ですから,サタンとその悪霊たちは,底知れぬ深みの中に千年間入れられている間,死のような無活動状態にあると結論するのは,道理にかなっています。それは義を愛する人たちにとって何と良い訪れなのでしょう。

      千年間仕える裁き主たち

      8,9 今や,ヨハネは,王座に座している者たちについて,どんなことをわたしたちに告げますか。それらの者はだれですか。

      8 千年の後,サタンは底知れぬ深みから,しばらくの間,解き放たれます。なぜでしょうか。ヨハネはその答えを述べる前に,わたしたちの注意をその期間の始まりに引き戻します。こう記されています。「またわたしは,数々の座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた」。(啓示 20:4[前半])王座に座して,栄光を受けられたイエスと共に天で支配している者たちとは,だれのことでしょうか。

      9 それは,「人の子のような」方と共に王国で支配している様子がダニエルにより描写されている「聖なる者たち」です。(ダニエル 7:13,14,18)彼らはエホバのみ前の天の王座に座している24人の長老と同一です。(啓示 4:4)その中には,イエスから次のような約束を受けた12人の使徒も含まれています。「再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族を裁くでしょう」。(マタイ 19:28)また,忠実を保ったコリントのクリスチャンだけでなく,パウロも含まれています。(コリント第一 4:8; 6:2,3)さらに,征服を遂げた,ラオデキアの会衆の成員も含まれています。―啓示 3:21。

      10 (イ)ヨハネは今や,14万4,000人の王たちのことをどのように描写していますか。(ロ)ヨハネが以前わたしたちに語った事柄からすると,14万4,000人の王たちにはだれが含まれていますか。

      10 『神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られる』,それら油そそがれた征服者たちのために,王座が,つまり14万4,000人分の王座が用意されています。(啓示 14:1,4)ヨハネはさらにこう続けます。「実に,[わたしは]イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである」。(啓示 20:4[中間])ですから,それらの王たちの中には,以前,第五の封印が開かれた時,自分たちの血の復しゅうをするのをいつまで待っておられるのですかとエホバに尋ねた,油そそがれたクリスチャンの殉教者たちがいます。その時,彼らには白くて長い衣が与えられ,もうしばらく待つようにと言われました。しかし,今や大いなるバビロンが荒廃させられ,また王の王,主の主なる方により諸国民が滅ぼされ,さらにサタンが底知れぬ深みに入れられることにより,彼らのために復しゅうが行なわれてきました。―啓示 6:9-11; 17:16; 19:15,16。

      11 (イ)「斧で処刑された」という表現はどのように理解すべきですか。(ロ)どうして14万4,000人の人たちは皆,犠牲の死を遂げたと言えるのでしょうか。

      11 14万4,000人のそれら王なる裁き主たちは皆,実際に「斧で処刑され」ましたか。文字通りの意味でそうされたのは,比較的少数だったようです。とはいえ,この表現は確かに,色々な仕方で殉教の死を遂げる,油そそがれた,それらのクリスチャンすべてを包含することを意図しています。b (マタイ 10:22,28)サタンは確かにそれらのクリスチャンすべてを斧で処刑させたいと思っているかもしれませんが,実際,イエスの油そそがれた兄弟たちが皆,殉教者として死ぬわけではありません。その多くは病気や老齢のために死にます。しかし,そのような人たちもやはり,ヨハネが今見ている人々のグループに属しています。そのすべての死は,ある意味で犠牲の死なのです。(ローマ 6:3-5)その上,彼らはだれも世のものではありませんでした。したがって,彼らは皆,世から憎まれてきましたし,事実上,世の人々の目には死んでいます。(ヨハネ 15:19。コリント第一 4:13)彼らはだれも野獣やその像を崇拝しませんでしたし,また死んだ時も,獣の印を身に付けていませんでした。彼らは皆,征服者として死にました。―ヨハネ第一 5:4。啓示 2:7; 3:12; 12:11。

      12 ヨハネは14万4,000人の王たちについて何を報告しますか。彼らはいつ生き返りますか。

      12 今や,これらの征服者たちは再び生きています! ヨハネはこう報告します。「そして彼らは生き返り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した」。(啓示 20:4[後半])これは,諸国民が滅ぼされ,サタンとその悪霊たちが底知れぬ深みに入れられてしまうまで,それらの裁き主たちが復活させられないことを意味していますか。いいえ,そうではありません。そのほとんどはすでにまさしく生きています。というのは,彼らはイエスと共にハルマゲドンで諸国民と戦うために乗り進んできたからです。(啓示 2:26,27; 19:14)実際,パウロは,1914年にイエスの臨在が始まって間もなく,彼らの復活が始まり,ある人たちは他の人たちよりも先に復活させられることを示唆しました。(コリント第一 15:51-54。テサロニケ第一 4:15-17)ですから,彼らはある期間に個人個人天で不滅の命を受けて,生き返ることになります。―テサロニケ第二 1:7。ペテロ第二 3:11-14。

      13 (イ)14万4,000人の人たちが支配する期間である千年をどう見るべきでしょうか。それはどうしてですか。(ロ)ヒエラポリスのパピアスは,その千年をどう見ましたか。(脚注をご覧ください。)

      13 彼らは千年間統治し,裁きを行ないます。それは文字通りの千年ですか。それとも,不確定な長い期間で,象徴的な年数と考えるべきでしょうか。サムエル第一 21章11節のように,「千」(字義通りには,「幾千」)は,大きな不定の数を意味する場合があります。しかし,ここでは,「千」は文字通りの数です。それは,啓示 20章5節から7節に3回も「千年」(英文では,“the thousand years”)として出て来るからです。パウロは,「[神は]人の住む地を義をもって裁くために日を定め(られた)」と述べて,この裁きの時のことを「日」と呼びました。(使徒 17:31)ペテロはエホバの一日は千年のようであると語っていますから,この裁きの日を文字通りの千年と考えるのは適切なことです。c ―ペテロ第二 3:8。

      残りの死人

      14 (イ)ヨハネは「残りの死人」について,どんな言葉を挿入していますか。(ロ)使徒パウロが用いた表現は,『生き返る』という用語の意味を解明する光をどのように投げかけていますか。

      14 しかし,使徒ヨハネがここで挿入しているように,もし,「(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった)」としたなら,それらの王たちはだれを裁くのでしょうか。(啓示 20:5[前半])ここでもまた,『生き返る』という表現は,文脈にしたがって理解されなければなりません。状況が変われば,この表現の意味は変わる場合があります。例えば,パウロは油そそがれた仲間のクリスチャンについて,こう述べました。「あなた方は自分の罪過と罪にあって死んでいましたが,そのあなた方を神は生かしてくださいました」。(エフェソス 2:1)そうです,霊によって油そそがれたクリスチャンは,1世紀当時でさえ,イエスの犠牲に対する信仰に基づいて義と宣せられることにより,『生かされ』ました。―ローマ 3:23,24。

      15 (イ)キリスト教以前の時代のエホバの証人たちは,神とのどんな立場を享受しましたか。(ロ)ほかの羊はどのようにして『生き返り』ますか。彼らはいつ完全な意味で地を所有しますか。

      15 同様に,キリスト教以前の時代のエホバの証人たちは,神との友好関係に関して義と宣せられました。それで,アブラハム,イサク,およびヤコブは,たとえ肉体的には死んでいても,彼らのことは「生きている」者として語られています。(マタイ 22:31,32。ヤコブ 2:21,23)しかし彼らも,また復活させられる他の人たちも,それにハルマゲドンを生き残る忠実なほかの羊の大群衆と新しい世で彼らに生まれるかもしれない子供たちも皆,なお人間としての完全な状態に引き上げられなければなりません。これは千年の裁きの日の期間に,イエスの贖いの犠牲に基づいて,キリストとその仲間の王なる祭司たちにより成し遂げられます。「残りの死人」は,その日の終わりまでに,完全な人間になるという意味で『生き返って』いることでしょう。これから調べますが,彼らはそれから最後の試みを経なければなりません。そして,完全な人間としてその試みに直面します。その試みを通過する時,神はそれらの人々を永遠に生きるのにふさわしい,全き意味で義にかなった者として宣せられます。彼らは,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住む」という約束の完全な成就を経験します。(詩編 37:29)何という喜ばしい将来が従順な人類を待ち受けているのでしょう。

      第一の復活

      16 ヨハネは,キリストと共に王として支配する人たちの経験する復活についてどのように述べていますか。それはどうしてですか。

      16 さて,ヨハネは,『生き返り,キリストと共に王として支配した』人たちのことに話を戻し,こう書いています。「これは第一の復活である」。(啓示 20:5[後半])それはどうして第一なのですか。それは時間の点で「第一の復活」です。というのは,その復活を経験する人たちは,「神と子羊とに対する初穂」だからです。(啓示 14:4)それはまた,重要性の点でも第一です。その復活にあずかる人たちは,天の王国でイエスと共に共同支配者となり,人類の残りの人々を裁くからです。最後に,それは質の点でも第一です。イエス・キリストご自身を別にすれば,第一の復活でよみがえらされる人たちは,聖書では不滅性を受ける唯一の被造物であると言われています。―コリント第一 15:53。テモテ第一 6:16。

      17 (イ)ヨハネは油そそがれたクリスチャンの祝福された見込みについて何と述べていますか。(ロ)「第二の死」とは何ですか。それはどうして14万4,000人の征服者たちに対して「何の権威」も持っていないのですか。

      17 それら油そそがれた人たちにとって何と祝福された見込みなのでしょう。ヨハネが言明している通りです。「第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持た(ない)」。(啓示 20:6[前半])イエスがスミルナのクリスチャンに約束なさった通り,「第一の復活」にあずかる,それらの征服者たちには,絶滅,つまり復活の希望のない滅びを意味する「第二の死」によって損なわれる危険は少しもありません。(啓示 2:11; 20:14)第二の死はそれら征服者たちに対して「何の権威」も持っていません。というのは,それらの人々は不朽と不滅性を着けるようになるからです。―コリント第一 15:53。

      18 今や,ヨハネは地の新しい支配者たちについて何と述べますか。彼らは何を成し遂げますか。

      18 サタンが権威を保有してきた期間の地上の王たちとは何と異なっているのでしょう。それらの支配者たちはせいぜい五,六十年間支配し,大多数の支配者はほんの数年間支配したにすぎません。その多くは人間を虐げました。いずれにしても,支配者は絶えず代わり,政策も絶えず変わる以上,諸国民はどうして恒常的な益を受けることができたでしょう。それとは対照的に,ヨハネは地の新しい支配者たちについてこう述べます。「彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」。(啓示 20:6[後半])彼らはイエスと共になって,千年間治める唯一の政府を構成します。イエスの完全な人間としての犠牲の価値を適用する,祭司としての彼らの奉仕により,従順な人類は霊的,道徳的,および肉体的に完全な状態に引き上げられます。彼らが王として行なう奉仕の結果,エホバの義と神聖さを反映する全地球的な人間社会が築かれます。千年間裁き主を務める彼らはイエスと共に,快くこたえ応ずる人間を永遠の命の目標に向かって進むよう優しく導きます。―ヨハネ 3:16。

      最後の試み

      19 千年統治の終わりまでに,地球や人間の状態はどうなりますか。今や,イエスは何を行なわれますか。

      19 千年統治の終わりまでに,全地は最初のエデンに似た所となるでしょう。それは正真正銘の楽園<パラダイス>となります。完全な人類は自分たちと神との間で執り成しをする大祭司をもはや必要としなくなります。アダムに起因する罪の痕跡はことごとく除き去られ,最後の敵である死が無に帰せしめられるからです。ただ一つの政府を持つ,ただ一つの世界を造るという神の目的は,キリストの王国により成し遂げられます。この時点で,イエスは「王国を自分の神また父に渡します」。―コリント第一 15:22-26。ローマ 15:12。

      20 ヨハネは,最後の試みの時に何が起きることをわたしたちに告げていますか。

      20 今や,最後の試みの時となります。エデンの最初の人間とは対照的に,完全になった,その人類の世は忠誠を保って,しっかりと立ちますか。ヨハネは何が起きるかをこう告げています。「さて,千年が終わると,サタンはすぐにその獄から解き放される。彼は出て行って,地の四隅の諸国民,ゴグとマゴグを惑わし,彼らを戦争のために集めるであろう。それらの者の数は海の砂のようである。そして,彼らは地いっぱいに広がって進み,聖なる者たちの宿営と愛されている都市を取り囲んだ」― 啓示 20:7-9(前半)。

      21 サタンはどのように最後の努力を傾けるようになりますか。千年統治の後でさえ,一部の者がサタンに従うからといって,どうして驚くには当たりませんか。

      21 サタンの最後の努力はどうなりますか。サタンは「地の四隅の諸国民,ゴグとマゴグ」を欺いて,その「戦争」に導きます。人を築き上げる,喜ばしい神権的な支配が千年間続いた後に,一体だれがサタンに組することができるのでしょうか。でも,サタンがエデンの楽園<パラダイス>で楽しく生活していた完全なアダムとエバを惑わし得たことを忘れないでください。それにサタンは,最初の反逆の悪い結果を見てきた天のみ使いたちをも迷わせることができました。(ペテロ第二 2:4。ユダ 6)ですから,神の王国による快い支配が千年間行なわれた後でさえ,一部の完全な人間がサタンに従うよう誘惑されるからといって,驚くには当たりません。

      22 (イ)「地の四隅の諸国民」という表現は何を示唆していますか。(ロ)反逆者たちはどうして「ゴグとマゴグ」と呼ばれていますか。

      22 聖書はそれらの反逆者たちのことを「地の四隅の諸国民」と呼んでいます。これは,人類がまたもや互いに排他的な態度を取る諸国家に分裂してしまうことを意味してはいません。それは単に,それらの者が,エホバに仕える義にかなった忠節な人々から別れて,諸国民が今日示しているのと同じ悪い精神を表わすことを示唆しているにすぎません。彼らはエゼキエルの預言のマゴグのゴグのように,地上の神権的な政府を滅ぼすことを目指して,『有害な企てを考え出し』ます。(エゼキエル 38:3,10-12)ですから,彼らは「ゴグとマゴグ」と呼ばれています。

      23 反逆者の人数が「海の砂のようである」ことは,何を示唆していますか。

      23 サタンの謀反に荷担する者たちの数は『海の砂のように』なります。それは何人でしょうか。その数はあらかじめ定められていません。(ヨシュア 11:4; 裁き人 7:12と比較してください。)反逆者の最終的な人数は,その各々がサタンの欺まん的な策略にどのように応ずるかによって決まります。しかし,恐らく相当の人数になるでしょう。彼らは「聖なる者たちの宿営と愛されている都市」を打ち負かすことができるほど強力だと感ずるからです。

      24 (イ)「愛されている都市」とは何ですか。どうしてそれを取り囲むことができますか。(ロ)「聖なる者たちの宿営」は何を表わしていますか。

      24 その「愛されている都市」は,栄光を受けたイエス・キリストが,啓示 3章12節でご自分の追随者たちに話された都市に違いありません。イエスはその都市を「わたしの神の都市,すなわち天のわたしの神のもとから下る新しいエルサレム」と呼んでおられます。これは天の都市なので,地上のそれらの軍勢はどうしてそれを『取り囲む』ことができるのでしょうか。「聖なる者たちの宿営」を取り囲むことによって,そうするのです。宿営は都市の外にあります。ですから,「聖なる者たちの宿営」は,新しいエルサレムの天の所在地の外の地上で,エホバの政府の取り決めを忠節に支持している人々を表わしているに違いありません。サタンの配下の反逆者たちがそれら忠節な人々を攻撃する時,主イエスはそれをご自身に対する集中攻撃とみなされます。(マタイ 25:40,45)「諸国民」は,天の新しいエルサレムが地を楽園<パラダイス>にするために成し遂げた事柄すべてを一掃しようとします。ですから,彼らは「聖なる者たちの宿営」を攻撃する時,「愛されている都市」をも攻撃することになります。

      火と硫黄の湖

      25 ヨハネは,「聖なる者たちの宿営」に対する反逆者たちの攻撃の結果をどのように描写していますか。それはサタンにとって何を意味することになりますか。

      25 サタンのこの最後の努力は功を奏しますか。決して功を奏しません。それはマゴグのゴグが現代の霊的なイスラエルに対して行なおうとしている攻撃が功を奏さないのと同様です!(エゼキエル 38:18-23)ヨハネはその結果を鮮やかに描写しています。「しかし,天から火が下って彼らをむさぼり食った。そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方がすでにいるところであった」。(啓示 20:9[後半],10[前半])初めからの蛇であるサタンは今度は,単に底知れぬ深みに入れられるのではなく,実際に打ち砕かれてなくなる,粉砕される,あたかも火によってなされるかのように,完全に滅ぼし絶やされるのです。

      26 「火と硫黄との湖」は,どうして文字通りの責め苦の場所ではあり得ませんか。

      26 わたしたちは,「火と硫黄との湖」が文字通りの責め苦の場所ではあり得ないことについてすでに述べました。(啓示 19:20)もしサタンがそのような所で未来永劫この上ない苦痛にさいなまれることになっているとしたら,エホバはサタンを生き長らえさせておかなければならないでしょう。ところが,命は賜物で,罰ではありません。死は罪に対する罰で,聖書によれば,死んだ生き物は少しも苦痛を感じません。(ローマ 6:23。伝道の書 9:5,10)その上,後の箇所で,死そのものがハデスと共に,この同じ火と硫黄の湖に投げ込まれると記されています。確かに,死とハデスは苦痛を受けることができません!―啓示 20:14。

      27 ソドムとゴモラに起きたことは,火と硫黄の湖という言葉を理解するのに,どのように役立ちますか。

      27 このすべては,火と硫黄の湖は明らかに象徴的なものであるという見方をより強力に支持しています。それに,火と硫黄のことが述べられているので,甚だしい悪のゆえに神により滅ぼされた,古代のソドムとゴモラの悲運が思い出されます。それらの都市の最期が来た時,「エホバは,硫黄と火の雨をエホバのもとすなわち天からソドムとゴモラの上に降らせられ(まし)た」。(創世記 19:24)これら二つの都市が被ったのは,「永遠の火による司法上の処罰」でした。(ユダ 7)しかし,これら二つの都市は永遠の責め苦に遭ったのではありません。そうではなく,破壊され,その堕落した住民もろとも永遠に消滅させられたので,今日,存在してはいません。それらの都市がどこにあったかをはっきりと言える人は一人もいません。

      28 火と硫黄の湖とは何ですか。それは死,ハデス,および底知れぬ深みとどのように異なっていますか。

      28 このことと一致して,聖書そのものが火と硫黄の湖の意味をこう説明しています。「火の湖,これは第二の死を表わしている」。(啓示 20:14)それは明らかに,邪悪な者が責めさいなまれるのではなく,滅ぼされたままにされる場所,つまりイエスが話されたゲヘナと同じ所です。(マタイ 10:28)それは復活の希望のない,完全な徹底的な滅びを表わしています。したがって,死,ハデス,および底知れぬ深みのかぎはありますが,火と硫黄の湖を開けるかぎについては何も述べられていません。(啓示 1:18; 20:1)そこに捕らえられる者は決して解放されません。―マルコ 9:43-47と比較してください。

      昼も夜も永久に責め苦に遭う

      29,30 ヨハネは野獣や偽預言者はもとより悪魔について何と述べていますか。それをどのように理解すべきですか。

      29 ヨハネは今や,悪魔のほかに野獣や偽預言者にも言及して,わたしたちにこう告げます。「そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである」。(啓示 20:10[後半])これは果たして何を意味しているのでしょうか。すでに述べたように,死やハデスはもとより,野獣や偽預言者などの象徴が文字通りの仕方で責めさいなまれることがあるというのは不合理な話です。したがって,サタンが未来永劫苦しめられるということを信ずべき理由はありません。サタンは滅ぼし絶やされることになっています。

      30 ここで使われている,「責め苦に遭わせる」という意味のギリシャ語「バサニゾー」には,第一に「(金属を)試金石で試す」という意味があります。二番目の意味は,「拷問を加えて尋問すること」です。(「セアの新約聖書新希英辞典」)文脈からすれば,このギリシャ語が使われていることは,サタンに起きる事柄が,エホバの支配は正しくて義にかなっているかどうかに関する論争で未来永劫試金石になるということを示唆しています。最高の支配権にかかわるあの論争は,今度限りで解決されることになります。エホバの主権に対する挑戦が間違っていることを証明するために,長期間にわたって試されることは二度と再び必要ではなくなります。―詩編 92:1,15と比較してください。

      31 「責め苦に遭わせる」という意味の言葉に関係のある,二つのギリシャ語は,悪魔サタンが被る処罰を理解するのに,どのように役立ちますか。

      31 さらに聖書では,これと関係のある,「責め苦に遭わせる者」と訳される「バサニステース」という語が,「牢番」という意味で使われています。(マタイ 18:34,「王国行間逐語訳」,英文)このことと調和して,サタンは火の湖に永久に幽閉され,決して解放されることはありません。最後に,ヨハネのよく知っていたギリシャ語セプトゥアギンタ訳では,これと関係のある,「バサノス」という言葉が,死に至る恥辱を指して使われています。(エゼキエル 32:24,30)以上の事柄は,サタンが被る処罰が火と硫黄の湖における恥辱的な永遠の死であることを理解するのに役立ちます。サタンの業は彼と共に消滅します。―ヨハネ第一 3:8。

      32 悪霊たちはどんな処罰を受けますか。それはどうして分かりますか。

      32 また,この節では悪霊たちのことは述べられていません。彼らは千年の終わりに解き放たれて,それからサタンと一緒に永遠の死の処罰を受けるのでしょうか。証拠は,そうなることを示しています。イエスは羊とやぎのたとえ話の中で,やぎは「悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に」入れられると言われました。(マタイ 25:41)「永遠の火」という表現は,サタンが投げ込まれようとしている,火と硫黄の湖を指しているに違いありません。悪魔の使いたちは悪魔と共に天から放逐されました。彼らは明らかに千年統治の初めごろ,悪魔と共に底知れぬ深みに入れられました。では,このことと一致して,彼らもまた,火と硫黄の湖で悪魔と共に滅ぼされることになります。―マタイ 8:29。

      33 創世記 3章15節の最後のどんな詳細な点が成就しますか。今や,エホバの霊はどんな事柄にヨハネの注意を引きますか。

      33 こうして,創世記 3章15節に記されている預言の最後の詳細な点が成就します。サタンは火の湖に投げ込まれる時,鉄のかかとで頭をすり砕かれるへびのように,死んだも同然になります。サタンとその悪霊たちは永久にいなくなります。彼らのことはこれ以上啓示の書の中では言及されていません。今や,これらの者たちが預言的な仕方で取り除かれたので,エホバの霊は地的な希望を心に抱く人々の切なる関心事に注意を引きます。「王の王」,ならびに『彼と共なる,召され,選ばれた忠実な者たち』が天から行なう統治は,人類にどんな結果をもたらしますか。(啓示 17:14)ヨハネはこれに答えるため,わたしたちをもう一度,千年統治の初めの時期に連れ戻します。

      [脚注]

      a 他の聖句によれば,イエスは死んでいた間,ハデスにいました。(使徒 2:31)とは言え,ハデスと底知れぬ深みとはいつも同一だと結論すべきではありません。野獣やサタンは底知れぬ深みに行きますが,人間だけがハデスに行くと言われています。そこでは,復活させられる時まで,死んで眠っています。―ヨブ 14:13。啓示 20:13。

      b 斧(ギリシャ語,ペレクス)はローマの伝統的な処刑用具だったようですが,ヨハネの時代には剣のほうがもっと一般的に使われていました。(使徒 12:2)ですから,ここで使われているギリシャ語,「ペペレキスメノーン」(「斧で処刑された」の意)は,単に「処刑された」という意味です。

      c 興味深いことに,啓示の書の筆者であるヨハネの弟子たちから聖書の知識をある程度得ていたと考えられている,ヒエラポリスのパピアスは,キリストの文字通りの千年統治を信じていたと,4世紀の歴史家エウセビウスは伝えています。(しかし,エウセビウス自身はパピアスと大いに意見を異にしていました。)―「教会史」,エウセビウス著,第三巻,39節。

      [293ページの図版]

      死海。ソドムとゴモラがあったと考えられる場所

      [294ページの図版]

      「わたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」

  • 神の裁きの日 ― その喜ばしい成果!
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 41章

      神の裁きの日 ― その喜ばしい成果!

      第15の幻 ― 啓示 20:11–21:8

      主題: 一般的な復活,裁きの日,および新しい天と新しい地の祝福

      成就する期間: 千年統治の期間

      1 (イ)アダムとエバが罪を犯した時,人類は何を失いましたか。(ロ)神のどんな目的は変わりませんでしたか。それはどうして分かりますか。

      わたしたち人間は,永久に生きるように創造されました。もし,アダムとエバが神のご命令に従っていたなら,二人は決して死ななかったでしょう。(創世記 1:28; 2:8,16,17。伝道の書 3:10,11)しかし,二人は罪を犯した時,自分自身と自分たちの子孫の双方の完全性と命とを失い,死が冷酷な敵として人類に君臨するようになりました。(ローマ 5:12,14。コリント第一 15:26)とはいえ,完全な人間を楽園<パラダイス>の地上で永久に生きるようにさせる神の目的は,変わりませんでした。神は人類に対するご自分の大きな愛ゆえに,ご自身の独り子であるイエスを地に遣わされましたし,イエスはご自分の完全な人間としての命をアダムの子孫の「多くの人」のために贖いとしてお与えになりました。(マタイ 20:28。ヨハネ 3:16)イエスは今や,信仰を抱く人間を回復させて楽園の地上で完全な命を得させるために,ご自分の犠牲の法的な価値を用いることがおできになります。(ペテロ第一 3:18。ヨハネ第一 2:2)人類には,『喜びに満ちて,歓ぶ』べき何とすばらしい理由があるのでしょう。―イザヤ 25:8,9。

      2 ヨハネは啓示 20章11節で何について報告しますか。「大きな白い座」とは何ですか。

      2 サタンが底知れぬ深みに閉じ込められると,イエスの輝かしい千年統治が始まります。今や,神が『ご自分の任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁かれる』,その「日」となります。(使徒 17:31。ペテロ第二 3:8)ヨハネはこう言明します。「またわたしは,大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から地と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされなかった」。(啓示 20:11)この「大きな白い座」とは何ですか。それは,「すべてのものの裁き主なる神」の裁きの座にほかなりません。(ヘブライ 12:23)今や神は,だれがイエスの贖いの犠牲の益を受けるかに関して人類を裁かれます。―マルコ 10:45。

      3 (イ)神の王座が『大きい』こと,また「白い」ことは,何を示唆していますか。(ロ)裁きの日には,だれが,またどんな根拠に基づいて裁きを行ないますか。

      3 神の王座が『大きい』ことは,主権者なる主としてのエホバの偉大さを強調しており,王座が「白い」ことは,神の完ぺきな義に注意を引いています。エホバは人類の最高の裁き主です。(詩編 19:7-11。イザヤ 33:22; 51:5,8)しかし,神は裁きの業をイエス・キリストに委任されました。「父はだれひとり裁かず,裁くことをすべて子にゆだねておられ(ま)す」。(ヨハネ 5:22)そのイエスのもとには14万4,000人の仲間がおり,これらの人たちに『千年のあいだ裁きをする力が与えられ』ました。(啓示 20:4)それにしても,裁きの日の期間中,人々が各々どうなるかはエホバの規準によって決められます。

      4 『地と天が逃げ去った』ということは,何を意味していますか。

      4 『地と天が逃げ去った』のは,どうしてでしょうか。これは,第六の封印が開かれた時に巻き物のように去ったのと同じ天,つまり,『火のために蓄え置かれて,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれている』,人間の支配する政権です。(啓示 6:14。ペテロ第二 3:7)地とは,この支配権のもとに存在する,組織された事物の体制です。(啓示 8:7)野獣と地の王たちとその軍勢が,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者と共に滅びることは,この天と地が逃げ去ることを表わしています。(啓示 19:19-21)サタンの地と天に対する裁きが執行されると,偉大な裁き主は別の裁きの日をふれ告げられます。

      千年の裁きの日

      5 古い地と古い天が逃げ去った後,だれが裁きを受けるために残っていますか。

      5 古い地と古い天が逃げ去った後,だれが裁きを受けるために残っていますか。それは,14万4,000人のうちの油そそがれた残りの者ではありません。というのは,それらの人たちはすでに裁かれ,証印を押されているからです。ハルマゲドン後になお地上で生きている油そそがれた者がいれば,その後まもなく死んで復活させられ,天で報いを受けるに違いありません。(ペテロ第一 4:17。啓示 7:2-4)しかし,今や大患難を切り抜けて出て来る何百万もの大群衆が,際立った存在として『み座の前に』立ちます。これらの人々は,イエスの流された血に対する信仰のゆえに,生き残る者として,すでに義とみなされていますが,イエスが彼らを「命の水の泉」に導き続けられるにつれ,彼らを裁くことは,千年間続けられなければなりません。次いで,彼らは人間としての完全な状態に回復させられ,その後,試されてから,完全な意味で義と宣せられることになります。(啓示 7:9,10,14,17)大患難を生き残る子供たちや,千年統治の期間中,大群衆に生まれる子供たちは皆,同様に千年のあいだ裁かれる必要があります。―創世記 1:28; 9:7; コリント第一 7:14と比較してください。

      6 (イ)ヨハネはどんな群衆を見ますか。『大なる者や小なる者』という言葉は何を示唆していますか。(ロ)神に記憶されている幾千幾百万もの数え切れない人々は多分,どのようにして連れ出されて来るのでしょうか。

      6 しかし,ヨハネは生き残る大群衆よりもはるかに大勢の群衆を見ます。それは何十億もの人々です!「そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた」。(啓示 20:12[前半])この『大なる者や小なる者』には,過去6,000年間にこの地上で生活して死んでいった人間のうち著名な人々のほか,それほど著名でなかった人々も含まれます。使徒ヨハネが啓示の書を記した後,まもなく書いた福音書の中で,イエスはみ父についてこう言われました。「[父は]裁きを行なう権威を彼[イエス]にお与えになりました。彼が,人の子であるからです。このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」。(ヨハネ 5:27-29)何という驚嘆すべき計画でしょう。歴史を通じて死んだ人々や埋葬された人々を元に戻すことなのです! 神に記憶されている,それら幾千幾百万もの数え切れない人々は,多分,徐々に連れ出されて来るので,それらの人々に比べればごく少ない大群衆の人たちでも,復活させられる人々が,最初は肉的な弱さや肉的な態度のゆえに自分たちの以前の生活の仕方に従う傾向があるために生じるかもしれない問題を取り扱うことができるでしょう。

      だれがよみがえらされて,裁かれるか

      7,8 (イ)どんな巻き物が開かれますか。その後,何が起きますか。(ロ)どんな人々には復活がありませんか。

      7 ヨハネはこう付け加えます。「しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた」。(啓示 20:12[後半],13)これはまさに,あっと言わせるような光景です!『海や死やハデス』はそれぞれの役割を演じていますが,これらの語は意味上互いに相いれないものではないことに注目してください。a ヨナは魚の腹の中に,それゆえ海のただ中にいた時,自分のことをシェオルもしくはハデスにいる者として語りました。(ヨナ 2:2)アダムに起因する死にしっかり捕らえられている人は,やはりハデスにいると言えるでしょう。これらの預言的な言葉は,だれ一人見過ごされる者がいないことを示す強力な保証を与えています。

      8 もちろん,復活させられることのない人々は数え切れないほどいます。そのような人々の中には,イエスや使徒たちを退けた,悔い改めなかった書士やパリサイ人,宗教上の「不法の人」,ならびに「離れ落ちた」油そそがれたクリスチャンがいることでしょう。(テサロニケ第二 2:3。ヘブライ 6:4-6。マタイ 23:29-33)イエスはまた,「悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火」,すなわち「永遠の切断」に陥る,世の終わりの際のやぎのような人々についても話されました。(マタイ 25:41,46)それらの人々には復活がありません!

      9 使徒パウロは,ある人々が復活の点で特に恵まれていることをどのように示唆していますか。それらの人々にはだれが含まれますか。

      9 一方,ある人々は復活の点で特に恵まれていることでしょう。使徒パウロは,「わたしは神に対して希望を持っております……義者と不義者との復活がある(の)です」と述べて,そのことを示唆しました。(使徒 24:15)地的な復活について言えば,「義者」の中には,神との友好関係の点で義と宣せられたアブラハム,ラハブ,その他の多くの昔の忠実な男女が含まれています。(ヤコブ 2:21,23,25)この同じグループに入る人々には,エホバに対して忠実を保って死んだ,義にかなった,現代のほかの羊の人たちも含まれます。忠誠を保った,それらの人々は皆,多分,イエスの千年統治の初めごろに復活させられるでしょう。(ヨブ 14:13-15; 27:5。ダニエル 12:13。ヘブライ 11:35,39,40)それら復活させられる,義にかなった人々の多くは,恐らく,楽園<パラダイス>を回復する膨大な業を監督する格別の特権を与えられるでしょう。―詩編 45:16。イザヤ 32:1,16-18; 61:5; 65:21-23と比較してください。

      10 それら復活させられる人々の中の「不義者」とは,だれのことでしょうか。

      10 しかし,使徒 24章15節で言及されている「不義者」とは,だれのことでしょうか。その中には,歴史を通じて死んでいった人類の中の大部分の人々,とりわけ「無知の時代」に生活した人々が含まれるでしょう。(使徒 17:30)それらの人々は,生まれた場所や生活した時代のゆえに,エホバのご意志に従順に従うことを学ぶ機会に恵まれませんでした。さらに,救いの音信を聞いたものの,その時に十分こたえ応じなかった,あるいは献身とバプテスマの段階まで進歩しないうちに亡くなった一部の人々もいるでしょう。復活の際,そのような人々は,永遠の命を得るためのこの機会の恩恵にあずかるには,自分たちの考え方や生き方をさらに調整しなければなりません。

      命の巻き物

      11 (イ)「命の巻き物」とは何ですか。だれの名がその巻き物に記されていますか。(ロ)命の巻き物はどうして千年統治の期間中に開かれますか。

      11 ヨハネは「命の巻き物」について語っています。これは,エホバから永遠の命を受ける見込みのある人たちの記録です。この巻き物には,イエスの油そそがれた兄弟たちや大群衆の人たち,ならびにモーセなどの昔の忠実な人たちの名が記されています。(出エジプト記 32:32,33。ダニエル 12:1。啓示 3:5)復活させられる「不義」者で,命の巻き物に名を記された人は,まだ一人もいません。それで,命の巻き物は千年統治の期間中に開かれて,資格を得るほかの人々の名を記すことが許されます。命の巻き物,もしくは命の書に名を記されない者たちは,「火の湖に投げ込まれ」ます。―啓示 20:15。ヘブライ 3:19と比較してください。

      12 開かれた命の巻き物に,ある人の名が記されるかどうかは,何によって決まりますか。エホバの任命された審判者はどのように手本を示されましたか。

      12 では,その時,開かれた命の巻き物に,ある人の名が記されるかどうかは,何によって決まりますか。その主な要素はアダムとエバの時代と同様,エホバへの従順です。使徒ヨハネが愛する仲間のクリスチャンにあてて書き送ったように,「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。(ヨハネ第一 2:4-7,17)従順に関しては,エホバの任命された審判者は手本を示されました。「[イエス]はみ子であったにもかかわらず,苦しんだ事柄から従順を学ばれました。そして,完全にされた後,自分に従う者すべてに対し,永遠の救いに責任を持つ者となられました」― ヘブライ 5:8,9。

      別の種々の巻き物を開く

      13 復活させられる人たちは,従順であることをどのように立証しなければなりませんか。また,どんな原則に従わなければなりませんか。

      13 復活させられる人たちは,従順であることをどのように立証しなければなりませんか。イエスご自身,二つの大きな戒めに言及して,こう言われました。「第一は,『聞け,イスラエルよ,わたしたちの神エホバはただひとりのエホバであり,あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』。第二はこうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』」。(マルコ 12:29-31)さらに,盗み,うそをつくこと,殺人,および不道徳な行ないを退けるというような,自ら従わなければならない,確立されたエホバの原則もあります。―テモテ第一 1:8-11。啓示 21:8。

      14 どんな別の種々の巻き物が開かれますか。それらの巻き物には何が収められていますか。

      14 しかし,ヨハネは千年統治の期間中に開かれる,別の種々の巻き物にも言及しました。(啓示 20:12)それらの巻き物とは何でしょうか。エホバは時々,特定の状況のための明確な指示をお与えになりました。例えば,エホバはモーセの時代に,もしイスラエル人が従ったなら,彼らにとって命を意味するものとなった,一連の詳細な律法を備えられました。(申命記 4:40; 32:45-47)1世紀には,忠実な人たちがキリスト教の事物の体制のもとでエホバの原則に従うのを助けるため,新しい指示が与えられました。(マタイ 28:19,20。ヨハネ 13:34; 15:9,10)さて,死人は,『それらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれる』と,ヨハネは報告しています。ですから,明らかに,それらの巻き物が開かれると,千年の期間中,人類に対するエホバの詳細なご要求が発表されることでしょう。従順な人々はそれらの巻き物に記されている規定や戒めを生活に当てはめて,自分たちの日を長くし,最終的には永遠の命を得ることができるようになります。

      15 復活が行なわれる際,どんな教育運動が必要になりますか。復活は多分,どのような仕方で行なわれるでしょうか。

      15 神権的な教育の何と大規模な運動が必要となるのでしょう。2005年中,世界中のエホバの証人は,平均606万1,534件の聖書研究を様々な場所で司会しました。しかし,復活が行なわれる際,聖書や新しい種々の巻き物に基づく幾千幾百万件もの数え切れないほどの研究が司会されるに違いありません! 神の民は皆,教える者となって努力する必要があります。復活させられる人々も進歩するにつれて,この膨大な教育計画に参加することでしょう。復活は多分,生きている人々が以前の家族の成員や知り合いを迎えて教える喜びにあずかり,次いでそれらの人たちがほかの人々を迎えて教えるという仕方で行なわれるでしょう。(コリント第一 15:19-28,58と比較してください。)今日,真理を活発に広めている600万人以上のエホバの証人は,復活が行なわれる際にあずかりたいと望んでいる特権を受けるための良い土台を据えています。―イザヤ 50:4; 54:13。

      16 (イ)だれの名は命の巻き物,もしくは命の書に書き記されませんか。(ロ)だれの復活は,「命の」復活となりますか。

      16 イエスは地的な復活に関して,『良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来ます』と言われました。ここでは,「命」と「裁き」とが互いに対比させられて,霊感を受けて記された聖書や種々の巻き物に基づいて教えられた後に,「いとうべきことを習わしにした」,復活させられた人々は命を受けるに値しない者として裁かれることが示されています。そのような人々の名は命の巻き物,もしくは命の書には書き記されません。(ヨハネ 5:29)これは,だれであれ,以前,忠実な歩み方をしていたのに,千年統治の期間に何かの理由でわきにそれる人々にも当てはまります。(出エジプト記 32:32,33)一方,それらの巻き物に書き記されている事柄に従順に従う人たちの名は,記録文書,つまり命の巻き物に記されて保存され,それらの人々は生き続けます。それらの人たちの復活は,「命の」復活となります。

      死とハデスの終わり

      17 (イ)ヨハネはどんなすばらしい処置を描写していますか。(ロ)ハデスはいつ空になりますか。(ハ)アダムに起因する死はいつ「火の湖に投げ込まれ」ますか。

      17 次いでヨハネは,実にすばらしい事柄を描写しています!「そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた」。(啓示 20:14,15)千年の裁きの日の終わりまでに,「死とハデス」は完全に除き去られます。そのためにどうして千年を必要とするのでしょうか。神の記憶にある最後の人が復活させられると,全人類の共通の墓であるハデスは空になります。しかし,人間のだれかが受け継いだ罪で汚されている限り,アダムに起因する死はなお人間に付きまとっています。ハルマゲドンを生き残る大群衆はもとより,地上で復活させられる人々は皆,イエスの贖いの価値が適用されて,病気,老齢,その他の受け継いだ身体障害が完全に除去されるまで,種々の巻き物に書き記されている事柄に従順に従う必要があります。その後,アダムに起因する死はハデスと共に「火の湖に投げ込まれ」ます。それらは永久になくなってしまいます!

      18 (イ)使徒パウロは,王としてのイエスの支配が功を奏することをどのように描いていますか。(ロ)イエスは完全にされた人類をどうなさいますか。(ハ)千年の終わりに,ほかのどんなことが起きますか。

      18 こうして,使徒パウロがコリント人にあてた手紙の中で次のように描いている計画が完了することになります。「神がすべての敵を彼の足の下に置くまで,[イエス]は王として支配しなければならないのです。最後の敵として,[アダムに起因する]死が無に帰せしめられます」。次に,どうなりますか。「すべてのものが彼に服させられたその時には,み子自身も,すべてのものを自分に服させた方に自ら服し(ます)」。言い換えれば,イエスは『王国をご自分の神また父に渡されます』。(コリント第一 15:24-28)そうです,イエスはご自分の贖いの犠牲の価値により,アダムに起因する死をすでに征服したので,完全にされた人類をみ父エホバに渡されます。明らかに,この時点で,つまり千年の終わりに,サタンは解き放たれ,だれの名が命の巻き物に永久に記録されて保存されるかを決めるため,最後の試みが行なわれます。あなたの名がそのような名に含められるよう,『精力的に励んで』ください。―ルカ 13:24。啓示 20:5。

      [脚注]

      a 海から復活させられる人々には,ノアの時代の大洪水の際に滅びうせた,当時の地上の腐敗した住民は含まれないでしょう。その滅びは大患難の際のエホバの裁きの執行がそうであるように,最終的な滅びでした。―マタイ 25:41,46。ペテロ第二 3:5-7。

      [298ページの図版]

      千年統治の期間中に開かれる巻き物の内容に従う,復活させられる「不義」者たちの名もやはり命の巻き物に記されるかもしれません

  • 新しい天と新しい地
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 42章

      新しい天と新しい地

      1 ヨハネはみ使いにより千年統治の初めの時期に連れ戻される時,何を描写しますか。

      み使いがヨハネを千年統治の初めの時期に連れ戻すにつれて,この輝かしい幻は引き続き展開してゆきます。ヨハネは何を描写しますか。「それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない」。(啓示 21:1)魅惑的なパノラマのような光景が見えてきます!

      2 (イ)新しい天と新しい地に関するイザヤの預言は,西暦前537年に,回復させられたユダヤ人にどのように成就しましたか。(ロ)イザヤの預言はさらに将来適用されるものであることは,どうして分かりますか。この約束はどのように成就されますか。

      2 ヨハネの時代より何百年も前に,エホバはイザヤにこう言われました。「いまわたしは新しい天と新しい地を創造しているからである。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない」。(イザヤ 65:17; 66:22)忠実なユダヤ人がバビロンにおける70年間の捕囚の後,西暦前537年にエルサレムに帰還した時,この預言は最初の成就を見ました。その回復の際,それらのユダヤ人は新しい政府の体制,つまり「新しい天」のもとで,清められた社会,つまり「新しい地」を形成しました。しかし,使徒ペテロはその預言がさらに将来適用されることを指摘して,こう述べました。「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)ヨハネは今や,この約束が主の日の期間に成就することを示しています。「以前の天と以前の地」,つまりサタンの組織された事物の体制とサタンとその悪霊の影響を受けている政府の組織は,過ぎ去ってしまいます。邪悪で反抗的な人類の不穏な「海」も存在しなくなります。その代わりに,「新しい天と新しい地」,つまり新しい政府である神の王国の治める,新しい地上の社会が出現します。―啓示 20:11と比較してください。

      3 (イ)ヨハネは何を描写しますか。新しいエルサレムとは何ですか。(ロ)新しいエルサレムはどのように『天から下って来ます』か。

      3 ヨハネはさらにこう続けます。「また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た」。(啓示 21:2)新しいエルサレムとはキリストの花嫁のことで,この花嫁は,栄光を受けられたキリストと共に王ならびに祭司となるため,死に至るまで忠実を保ってよみがえらされる,油そそがれたクリスチャンで構成されています。(啓示 3:12; 20:6)地上のエルサレムが古代イスラエルの政府の所在地となったように,壮大な新しいエルサレムと彼女の花婿は,新しい事物の体制の政府を構成します。これが新しい天です。この花嫁は文字通り『天から下って来る』のではなく,地に注意を向けるという意味でそうします。子羊の花嫁は,全人類を治める義にかなった政府を運営するための忠節な協力者となります。これは新しい地にとってまさしく祝福となります!

      4 神は,新たに組織されたイスラエル国民のために行なったのと同様のどんな約束をされますか。

      4 ヨハネはさらにわたしたちにこう語ります。「それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ! 神の天幕が人と共にあり,神は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう』」。(啓示 21:3)エホバは律法契約を当時の新しいイスラエル国民と結んだ時,こう約束されました。「わたしは必ず自分の幕屋をあなた方の中に置き,わたしの魂があなた方をいとい憎むことはない。そしてわたしはまさにあなた方の中を歩み,あなた方の神となる。あなた方もまたわたしの民となるであろう」。(レビ記 26:11,12)今や,エホバは忠実な人たちのために同様な約束をしておられます。千年の裁きの日の期間中,それらの人々はエホバにとって極めて特異な民となります。

      5 (イ)千年統治の期間中,神はどのようにして人類と共にお住みになりますか。(ロ)千年統治の後,神はどのようにして人類の中にお住みになりますか。

      5 千年統治の期間中,エホバは一時的な取り決めとして人類の中に『住まれ』,ご自分の忠節なみ子イエス・キリストによって代表されることになります。しかし,イエスが王国をみ父に渡される千年統治の終わりには,忠節な代表者,もしくは仲介者は必要でなくなります。エホバは霊的な仕方で永久に,また直接「その民」と共に『お住み』になります。(ヨハネ 4:23,24と比較してください。)それは回復された人類にとって何と高貴な特権でしょう。

      6,7 (イ)ヨハネはどんなすばらしい約束を明らかにしますか。だれがその祝福を享受しますか。(ロ)イザヤは霊的ならびに物理的なパラダイスの両方をどのように描写していますか。

      6 ヨハネはさらにこう続けます。「また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。(啓示 21:4)わたしたちは霊感を受けて記された,以前の約束をもう一度思い起こさせられます。イザヤもやはり,死や嘆きがもはやなくなり,悲しみが歓喜に取って代わられる時代を期待していました。(イザヤ 25:8; 35:10; 51:11; 65:19)ヨハネは今や,それらの約束が千年の裁きの日の期間中にすばらしい仕方で成就することを確証しています。まず最初に,大群衆がその祝福を享受します。「み座の真ん中におられる子羊」が彼らを牧し続け,『命の水の泉に彼らを導き……そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去って』くださいます。(啓示 7:9,17)しかし,やがて,復活させられて,エホバの備えに信仰を働かせる人たちはすべて,それら大群衆と一緒になり,霊的ならびに物理的なパラダイスの両方を享受するようになります。

      7 イザヤはこう言います。「その時,盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる」。そうです,「足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げ」ます。(イザヤ 35:5,6)また,その時には,「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。わたしの民の日数は木の日数のようになり,わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである」と言われています。(イザヤ 65:21,22)それで,彼らは地から根絶されることはありません。

      8 これらのすばらしい約束が信頼できることについて,エホバご自身は何と言っておられますか。

      8 これらの約束について思い巡らすと,わたしたちの思いは何と崇高な予想で満たされるのでしょう。驚嘆すべき備えが,天の愛ある政府のもとで生活する忠実な人類を待ち構えています。その約束はあまり良すぎて信じられませんか。それは,パトモス島に流刑にされた一老人の単なる夢ですか。エホバご自身はこう答えておられます。「そして,み座に座っておられる方がこう言われた。『見よ! わたしはすべてのものを新しくする』。また,こう言われる。『書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである』。そして,その方はわたしに言われた,『事は成った! わたしはアルファでありオメガであり,初めであり終わりである』」― 啓示 21:5,6(前半)。

      9 将来,それらの祝福が実現するのは,どうして絶対確かなことであるとみなせますか。

      9 それは,あたかもエホバご自身が忠実な人類のために将来のそれらの祝福を記した保証書,もしくは権利証書に署名しておられるようなものです。果たしてだれがこのような保証人をあえて疑うでしょうか。実際,エホバのそれらの約束は余りにも確かなものですから,それがすでに成就しているかのように,「事は成った!」と言っておられます。エホバこそ,「アルファであり,オメガである。今おり,かつており,これから来る者,全能者」であられるのではありませんか。(啓示 1:8)確かに,その通りです!「わたしは最初であり,わたしは最後であり,わたしのほかに神はいない」と,自ら言明しておられます。(イザヤ 44:6)そのような方ですから,霊感を与えて預言を行なわせ,詳細な点に至るまでことごとく成就させることがおできになります。これは信仰を何と強める事柄でしょう。ですから,「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」と約束しておられます! わたしたちはそれらの驚くべきことが本当に起こるだろうかと疑うよりも,むしろ,『そのような祝福を受け継ぐには,わたし個人は何をすべきだろうか』と考えてみるべきでしょう。

      渇いている人たちのための「水」

      10 エホバはどんな「水」を提供しておられますか。それは何を表わしていますか。

      10 エホバご自身はこう言明しておられます。「だれでも渇いている者に,わたしは命の水の泉から価なしに与える」。(啓示 21:6[後半])その渇きをいやすには,人は自分の霊的な必要を自覚し,エホバが備えてくださる「水」を喜んで受け入れなければなりません。(イザヤ 55:1。マタイ 5:3)それはどんな「水」でしょうか。サマリアのとある井戸の傍らで,ある女の人に証言したイエスご自身が,この問いに答えておられます。彼女にこうお告げになりました。「だれでもわたしが与える水を飲む人は,決して渇くことがなく,わたしが与える水は,その人の中で,永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」。その「命の水の泉」の水は,人間を完全な命を持つ状態に回復させるための備えとしてのキリストを通して神のもとから流れ出ます。サマリア人の女の人のように,わたしたちもその泉から十分に飲むことを切望すべきでしょう! そして,その女の人のように,わたしたちも良いたよりを他の人々に告げるため,世俗的な関心事を確かに進んであとにすべきでしょう!―ヨハネ 4:14,15,28,29。

      征服する人たち

      11 エホバはどんな約束をしておられますか。その言葉はまず第一に,だれに適用されますか。

      11 エホバがさらに次のように語っておられる通り,人をさわやかにする,その「水」を飲む人たちもまた,征服しなければなりません。「だれでも征服する者はこれらのものを受け継ぎ,わたしはその神となり,彼はわたしの子となるであろう」。(啓示 21:7)この約束は,七つの会衆に対する音信の中にある約束と似ています。したがって,この言葉はまず第一に,油そそがれた弟子たちに適用されなければなりません。(啓示 2:7,11,17,26-28; 3:5,12,21)キリストの霊的な兄弟たちは昔から今まで,新しいエルサレムの一部となる特権を切に待ち望んできました。イエスがなさったように,もしそれらの兄弟たちが征服するなら,彼らの希望は実現します。―ヨハネ 16:33。

      12 啓示 21章7節のエホバの約束は,大群衆に対して,どのように成就しますか。

      12 すべての国の民の中から来る大群衆もまた,この約束に望みをかけています。彼らもやはり,大患難を切り抜けて出て来るまで神に忠節に仕えて,征服しなければなりません。そうすれば,『世の基が置かれて以来,彼らのために備えられている王国』という彼らの地的な相続財産を受けることになります。(マタイ 25:34)千年の終わりの試みを通過する,これらの人たちと主の地的な羊の他の人々とは,「聖なる者たち」と呼ばれています。(啓示 20:9)それらの人々は神の宇宙的な組織の成員として,自分たちの創造者エホバ神との神聖な,子としての関係を享受します。―イザヤ 66:22。ヨハネ 20:31。ローマ 8:21。

      13,14 神のすばらしい約束を受け継ぐには,わたしたちはどんな慣行を断固として退けなければなりませんか。なぜでしょうか。

      13 このすばらしい見込みを考えると,エホバの証人が今,人を汚すサタンの世の物事から自らを清く保つのは,何と重要なことでしょう。わたしたちは意志の堅い,しっかりした,強い人でなければなりません。そうすれば,悪魔がわたしたちをエホバご自身次のように述べておられる一群の人々の中に引きずり込むことは決してありません。「しかし,憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべての偽り者については,その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。(啓示 21:8)そうです,相続人になりたいと願う人は,この古い事物の体制を汚してきた慣行を退けなければなりません。そして,すべての圧力や誘惑をものともせずに忠実を保つことにより,征服しなければなりません。―ローマ 8:35-39。

      14 キリスト教世界はキリストの花嫁であると主張しているにもかかわらず,ヨハネがここで述べている嫌悪すべき慣行で特徴づけられています。ですから,彼女は大いなるバビロンの残りの部分と共に倒されて,永遠に滅んでしまいます。(啓示 18:8,21)同様に,油そそがれた者,あるいは大群衆の中のだれでも,そういう悪行を再び習わしにしたり,そうすることを勧めるようになったりするなら,永遠の滅びに直面します。もし,そういう行動をやめないなら,約束を受け継ぐことはありません。また,新しい地では,そのような慣行を取り入れようとする人はだれでも速やかに滅ぼされて,復活の希望のない第二の死に陥ります。―イザヤ 65:20。

      15 征服者として際立っているのはだれですか。啓示の書はどんな幻をもって,この上ない最高潮を迎えますか。

      15 征服者として際立っているのは子羊イエス・キリストと,14万4,000人から成るその花嫁である新しいエルサレムです。では,啓示の書が新しいエルサレムの最後のたぐいない光景をもって,この上ない最高潮を迎えるのは,何とふさわしいことなのでしょう。ヨハネは今やもう一つの最後の幻について述べます。

      [302ページの図版]

      新しい地の社会にはすべての人々のための楽しい仕事があり,親しい交わりがあります

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