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だれが性について教えますか目ざめよ! 1992 | 2月22日
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だれが性について教えますか
生まれたばかりの赤ちゃんは大きな喜びをもたらします。親はうれしくて,赤ちゃんをおもちゃのようにしたり,赤ちゃんのすることを逐一友達に話したりします。しかしやがて,子供の存在によって新たな重い責任が生まれたことも悟るようになります。その中でも決して見過ごすべきでないのは,ますます不道徳になってゆく世の中で自分自身を守る方法を子供に教える必要です。
親はどうすれば,愛する子供が一人前の大人になって,温かく幸福な家庭生活を楽しみ,神を恐れる子供たちを自分で育て上げるよう助けてやれるでしょうか。親によっては,自分の手に余る仕事のように感じるかもしれません。ですから,幾らかの提案は感謝されることでしょう。
子供を教える時には,自分が親から教えてもらったとおりに教えるのが普通かもしれません。しかし性については,ほとんど何も教えられなかった親が少なくありません。たとえよく教えられていたとしても,世の中は変わりました。子供が必要としている事柄も変わりました。それに,本誌の読者の多くは,より高い規準を受け入れ,より良い生き方をするようになりました。ですから,『子供を教えるわたしの方法は,わたしの今の見方に合っているだろうか。子供がますます多くの事柄を必要としている現状に応じたものだろうか』と自問してみる必要があります。
子供たちが自分でそのような情報を得るのを許している親もいます。しかし,それを許す場合,子供たちは何を,いつ,だれから,どんな状況で学ぶか,というぎょっとするような疑問が生じます。
学校が教える事柄
「ああ,そのことなら学校で教わります」と言う親は少なくありません。確かに多くの学校は性教育を行ないますが,性道徳を教える学校はほとんどありません。米国の元教育長官ウィリアム・J・ベネットは1987年に,学校は「道徳上の区別を設けることを嫌い,意識的に避けている」と言いました。
二人のかわいらしい娘の父親であるトムは,子供たちの通っている学校の代表者に,「結婚関係外の性行為は間違っていると,どうして言わないのですか」と尋ねました。するとその代表者は,そのように言いたいけれども,学校としては子供たちの未婚の母親や,その母親たちと同せいしている男友達の感情を害するわけにはゆかないと答えました。ですから学校は生徒に幾つかの選択肢があることを教えますが,どの選択肢が正しいかについてはめったに口にしません。
『本を買います』
「子供には本を買って与えます」と言う親もいるかもしれません。良い本であれば役立つかもしれませんが,本の内容が自分の考えと一致しているかどうか,注意深く確かめるのは大切なことです。この問題に関する本のうち,道徳面を扱っている本はごくわずかで,正しいか間違いかさえ指摘していない本がほとんどです。中には,不道徳な行為を実際に奨励している本もあります。性行為は結婚関係内に限られるべきであると言っている本はめったにありません。
ですから,子供たちに道徳を教える責任は,神が最初にお定めになったとおり,子供を愛している親の肩にかかっています。聖書は父親に対し,「あなたは[神の律法]を自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」と述べています。―申命記 6:7。
実際に親は子供の最良の教師になることができます。本や学校が,親の信念や家族の健全な手本が持つ力に取って代わることは決してできません。ウィリアム・ベネットが述べているとおりです。「研究結果が示しているように,おもに親から性教育を受ける場合,子供が性行為を行なう恐れは少ない。……大切な役割を果たすのは,だれよりもまず親自身である」。
しかし,知識が入れば実際に試してみたくなるのではないかと心配する親もいます。この点は明らかに,何をどのように教えるかに大きく左右されます。現実に,子供たちはいつかは性について学びます。では,世間の人や学校の友達や好色な大人たちから学ぶよりも,子供を愛する道徳的な親から,威厳をもって正確に教えられるほうがはるかによいのではないでしょうか。
しかし,まだ次のような問題が残っています。この種の事柄を敬虔な,品位ある態度で教えるにはどうしたらよいでしょうか。「みんながしている」という言葉を子供たちが聞く時,最も健全で最も幸福な人々はそうではないということを子供たちに納得させるにはどうしたらよいでしょうか。「淫行を避ける」という聖書の規定にしたがった生き方は,最も健全で最も幸福な生活につながるばかりか,神に喜ばれる唯一の道でもあることを子供たちに理解させるにはどうしたらよいでしょうか。以下の記事は,これらの重要な質問に対する有益な答えを示しています。―テサロニケ第一 4:3。
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いつ始めるか どこまで言うか目ざめよ! 1992 | 2月22日
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いつ始めるか どこまで言うか
良心的な親の中にも,性教育は,子供が13歳になった時に,林の中を10分ほど一緒に歩き,やりにくい『おしべとめしべ』の話をすればそれですむと考えている人が少なくないようです。しかしそれでは,お粗末すぎるだけでなく,何年も遅すぎる場合があまりにも多いのです。子供を愛している親が,「大抵のことは教えようとしましたが,子供たちはもうすでに知っていたようです」と言うのは珍しいことではありません。
この重要な事柄を子供に教えるもっと良い方法があるでしょうか。もしあるとすれば,親はいつ始めるべきでしょうか。何を行ない,何を言えばよいのでしょうか。
賢明な方法は,子供が誕生するとほとんど同時に,この重要な教育の基礎づくりを始めることです。子供が幼い時に始めれば,子供の吸収力に応じて,子供が消化できる程度の量の情報を落ち着いて与えてゆくことができます。
子供をお風呂に入れる時に,親は,「ここは胸……ここはおなか……ここはひざ」というふうに,体の各部の名称を教えるかもしれません。では,どうしておなかからひざに飛ぶのでしょうか。その中間にあるのは恥ずかしいものですか。それとも,ごく個人的なものにすぎないでしょうか。もちろん,その局所を,ちまたの俗語で呼ぶようなことはしません。しかし,簡単に「陰茎」,「陰門」と言うのはどうですか。これらはいずれも,神が『非常に良い』と言われた創造物の一部なのです。―創世記 1:31。コリント第一 12:21-24。
その後,おむつを換えるところを子供が見ている時などに,男の子には陰茎があり,女の子には陰門があるということを品位ある態度で教えることができます。そして,これらはごく個人的なものであることをやさしく説明するとよいかもしれません。これは家族の中だけで話すべきことで,よその子供たちやよその人に話すべきことではありません。
このように,早くから始めて,子供の理解力の進歩に応じて徐々に話を進めてゆけば,話しづらくなる前に多くの事柄を教えることができます。
誕生を説明する
3歳から5歳になると,a 子供は人の誕生を不思議に思うようになり,「赤ちゃんはどこから来るの」と尋ねるかもしれません。そういう時には,「あなたは,お母さんのおなかの中の暖かい安全なところで大きくなったのよ」と,簡単に答えることができます。当面はそれで十分でしょう。しばらくすると子供は,「赤ちゃんはどうやって出て来るの」と尋ねるかもしれません。「神様は,赤ちゃんが出て来る特別な出口を作ってくださったのよ」と答えることができます。幼い子供の関心はすぐに移ってしまうので,簡単で直接的な答えが最善です。一度に少しずつ必要な情報を与え,そのほかのことは後のために取っておきます。
親がよく気を配っていれば,教える機会はたくさん見つかります。もし近い親せきに出産を控えている人がいれば,母親はこんなふうに言うことができます。「敏子おばさんにはもうすぐ赤ちゃんが生まれるけど,あなたが生まれる二,三週間前には,お母さんもあんなふうにおなかが大きかったのよ」。弟か妹が生まれる前の数か月間も,にぎやかで楽しい教育の期間になります。
しばらくすると子供は,「赤ちゃんはどうやってできたのだろう」と考えるかもしれません。「お父さんから出た種が,お母さんのおなかの中にある卵子と会うの。すると,土の中の種が大きくなって花や木になるように,赤ちゃんが大きくなり始めるのよ」と,簡単に答えることができます。別の時に子供は,「お父さんの種はどうやってお母さんのおなかに入るの」と尋ねるかもしれません。その時には,品位ある態度でこう言うことができます。「あなたは男の子の体がどんなふうになっているか知っているでしょう。男の子には陰茎があるわね。母親になる人の体には陰茎がうまく入るように開いた所があるの。種はそこから植えられるのよ。神様はわたしたちをそういうふうに造ってくださったから,赤ちゃんは暖かな良い場所で育って,最後には自分で生きてゆけるぐらいに大きくなるの。それから,かわいい赤ちゃんが生まれるわけ」。神がそのようなすばらしい仕組みを作ってくださったことに対する感嘆の気持ちを込めて話すとよいかもしれません。b
親は当惑して,「もっと大きくなったら話してあげる」などと言って,質問をはぐらかすことがないよう注意すべきです。そのようなことをすると,子供の好奇心はますます強くなって,別の不適当なところに答えを求めることにもなりかねません。子供がそのような質問をする年齢になったということは,簡潔な品位ある答えを得るべき年齢になったということです。答えを与えずにおくと,子供たちはがっかりして,親に聞くことをしなくなるかもしれません。
どれほど早く?
子供は,少なくとも学校に上がる前に,そういう事柄に関する基本的な理解を得ておくべきであると考えている親は少なくありません。学校では,ほかの子供たちから非常に不正確な情報を耳にするかもしれないからです。
孫のいるある男性はこのように語りました。「私は何も質問しませんでした。しかし私が6歳の時に父は,赤ちゃんがどこから来るかという問題を説明する時が来たと判断したようです。男性と女性の性的結合によって赤ちゃんが生まれるのは,食べるのと同じほど自然なことだけれども,それをしてよいのは結婚した人同士だけであると神様は言われたんだよ,と父は説明しました。だから,子供を愛し,子供の世話をする父親と母親が両方そろうことになるというわけです」。この人はさらに,「父はちょうどよい時に説明してくれました。私はすでに,6歳の子供たちが不道徳な絵をかいて笑っているのを見ていましたが,意味が分からなかったのです」と言いました。
もちろん,そのように説明する時には,恥ずかしいこととしてではなく,ごく個人的なこととして説明すべきです。これは家族の秘密なので,よその子供たちやよその人に話してはいけないということを,もう一度繰り返すとよいかもしれません。もし子供がこの点で口を滑らすなら,「シーッ! いいわね。これはわたしたちの秘密よ。家族の中だけで話すことなの」と,やさしく言い聞かせるとよいでしょう。
ショッキングなことではない
もしこういう問題を取り上げる必要があるということでショックを受ける読者がおられるなら,こうした事柄を子供にきちんと説明する品位ある方法を知りたいと思っている若い良心的な親がどれだけ多いかということを考えてみてください。多くの親が最初にこれらの事柄を学んだ方法,つまり家族以外の汚れたところから学ぶよりは,愛情豊かな家庭で率直な説明を聞くほうがはるかに良いのではないでしょうか。
もし親が本当に耳を傾け,質問に対しても簡潔な品位ある方法で答えを与えるようにするなら,子供たちは,何年かたってさらに多くの知識が必要になった時に,親のところに質問を持ってくるのがはるかに容易になります。
[脚注]
a 子供は一人一人みな違います。ですから,この記事の中では,この教育が徐々に行なわれるものであることを示すために,一般的な年齢を挙げているにすぎません。
b 「あなたの家族生活を幸福なものにする」という本は,この点や,道徳的な子育てと家族生活に関する他の様々な面を扱っています。
[6ページの図版]
出産を間近に控えた時期は貴重な教育の機会になる
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早く始めることが大切目ざめよ! 1992 | 2月22日
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早く始めることが大切
幼い子供たちには,自分の体の仕組みや,不道徳な人々から身を守る方法について十分な説明を受ける権利があります。しかし,その教育はいつ始めるべきでしょうか。多くの人が考えているよりは早く始めることが大切です。
青年期は思春期から始まります。その年ごろになると,第二次性徴が現われてきます。女の子が初潮を経験するのは,10歳から16歳ごろですが,それより早い人もいれば遅い人もいます。男の子は,早ければ11歳か12歳で最初の夢精を経験します。子供たちはそれよりも前に,例えば9歳ごろまでに,そのための準備教育を受けるでしょうか。a また,その年齢になるころには,純潔を守ることの大切さを知っているでしょうか。
体の変化についてよく理解させる
女の子には,自分の体に起きる,神が仕組まれた変化について知る権利があります。母親は自分の生理について教え,どんな生理用品を使っているか見せるとよいかもしれません。こういう変化は体の正常な営みであることを説明すべきです。少女の体は,何年か後に結婚して母親になる時に備えて準備を始めるということをはっきり説明することができます。また,体は子宮内に,血管がたくさん通っている,柔らかいスポンジ状の特別な内膜を赤ちゃんのために準備するということも説明できます。受胎しない時には,内膜がはがれて膣から排出されます。この過程が生理と呼ばれています。
同様に,男の子も夢精について事前に知っておくべきです。(申命記 23:10,11)夢を見ている最中に時々ねばねばした液体が放出されるのは,蓄積した精液を処理する体の仕組みにすぎないということを理解しておくのは大切です。男の子も女の子も,こういう体の変化は,別に心配なものではないということを知っておく必要があります。将来結婚して親になる時のために,体が準備を整えているにすぎないからです。b
親の皆さんは,これらの問題を真剣に考えるべきです。これは神が関係している問題だからです。それに親は,神から指名された教師なのです。
安全なセックスとは何か
歳月が矢のように過ぎ,子供たちが十代に入るころには,たとえ子供がどんな反対意見を耳にしようとも,結婚していない人同士の性関係は危険であることをしっかり教え込まなければなりません。エイズを含め,性行為感染症は世界的な疫病になっています。そういう病気は,不妊症,先天的欠損,ガンなどの原因になるばかりか,死を招くことさえあります。そのうえ,この種の病気は,自分が感染していることに気づいていない人々からもうつります。
子供たちは,妊娠を避ける面でも病気の感染を防ぐ面でも,完全な効果を上げている避妊法はないということを理解しておくべきです。事実,驚くほど多くの若者が,様々な避妊具を使っていながら妊娠しているのです。また,エイズに感染したセックスパートナーからの感染防止手段としてコンドームが盛んに宣伝されてはいますが,ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌の報告によると,コンドームを着けてもエイズウイルスの感染を防げなかったケースは17%にも上るということです。
ですから,ニューヨーク・ポスト紙のコラムニスト,レイ・ケリソンは,コンドームが『エイズ感染の危険を最小限にとどめる』という主張に反論し,こう書いています。「とんだ最小限である。銃に弾を一発込めて弾倉を回転させ,ロシアンルーレットをするとすれば,死ぬ確率は6分の1だ。コンドームの場合,エイズにかかる確率は5分の1弱である。であれば,コンドームがエイズを防ぐというでっち上げに,本当の名前を付けることができる。それはさしずめセックスルーレットといったところだ」。
子供たちは,性行為感染症という問題を解決するのは簡単なのだということを知るべきです。その方法は,生殖力という神の賜物の用い方に関する神の取り決めを受け入れることです。性的能力を安全に用いることができるのは結婚関係の中であり,ほかにセックスパートナーのいなかった最愛の人と生涯を共にするのが理想的です。
神の指示は保護になる
聖書はこう言っています。「男は……自分の妻に堅く付(く)」。「あなたは姦淫を犯してはならない」。「あなた方の間では,淫行……が口に上ることさえあってはなりません」。「淫行の者(は)キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません」。―創世記 2:24。マタイ 5:27。エフェソス 5:3,5。
こうした指示は過酷なものではありません。それに従うなら,むしろ幸福で仲むつまじい家族になれます。胎児には,二親,つまり母親と父親のそろっているところに生まれて来る権利があります。二親の特質はそれぞれ違います。互いに相手の持っていないもので子供の生活に貢献できるのです。
親の皆さんは教えと手本によって,聖書に基づく原則を子供の心と思いにしっかりと植えつけなければなりません。堅固な資材,それも耐火資材で建てなければなりません。聖書はこう述べています。「各人の業は明らかになります。その日がそれを示すのです。それは火によって表わし示されるからです。まさにその火が,各人の業がどんなものかを証明するのです」。もし堅固な建て方をするなら,その仕事は揺るがぬものとして残り,親は豊かな報いを受けます。―コリント第一 3:13。
しかしまだ大切な質問が残っています。子供が十代に入って,だんだん大人になってゆく時に,この指導をどのように進めていったらよいのでしょうか。
[脚注]
a 米国メリーランド州ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学のレオン・ローゼンバーグ博士はこう言いました。「子供が9歳になるころまでに,親は一緒に座り,性と道徳に関する詳細を十分に掘り下げて話し合えるようになっていなければならない。子供たちが親から得る情報は,多ければ多いほど良い」。
b 「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という本の「一人前の男性になる」また「女性として大人になる」という章にも多くの情報が載せられています。
[8ページの図版]
体の変化に備えて子供を教育することは大切
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揺れ動く十代の若者たち目ざめよ! 1992 | 2月22日
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揺れ動く十代の若者たち
十代の若者たちは性的なメッセージに囲まれています。靴からジーンズに至るまで,あらゆる商品の売り込みに性が使われています。現代の音楽には性を暗示するものがあふれています。テレビの番組では,魅惑的な大人たちが次から次に性的な出会いを求めます。しかし,これは正常なことでしょうか。
アメリカのある有力紙は,ゴールデンタイムのテレビ番組に「性的な内容が大量に入り込んでいる」のは,「番組制作における憂慮すべき極めて無責任な傾向」であると評しました。「アメリカ医師会ジャーナル」誌はそれを,「娯楽・宣伝メディアによる若者搾取」と呼んでいます。
親は,すべての人がそういう生き方をしているわけではないことを子供に知らせなければなりません。よく言われるように,たとえアメリカの17歳の少女の半数がすでに性関係を持っているとしても,それは,残りの半数は性関係を持っていないという意味なのです。米国のウィリアム・J・ベネット元教育長官が,「『みんな』がやっているわけではない。我々はその若者たち ― 17歳の若者たちの半数 ― を支え強めてゆくことを願っている」と述べたとおりです。
ベネット元長官は,米国ジョージア州アトランタのグレイディ記念病院が行なった調査で,16歳未満の少女の10人中9人までが,「『だめ』と言う方法を知りたいと答えた」ことを指摘しています。弱々しくあいまいな返事をするのではなく,き然とした態度ではっきり「だめ」と言うことこそ,不道徳な誘いを受けた場合の唯一の正しい反応であることを子供に納得させることができるでしょうか。そのような態度を取れば,心ある人からは敬意をもって見られるということを子供に理解させることができるでしょうか。エミリーという十代の少女は,米国カリフォルニア州のある新聞に,「一番尊敬されている人たちは,性関係を持ちません」と言いました。
親は,性には強い力,それも全人類を生み出すほどの強い力があることを子供たちに理解させるべきです。といってもその力は,制御できないという意味ではありません。むしろ,馬力の大きいスポーツカーと同じく,交通ルールに従って正しく用いなければならないという意味です。曲がりくねった山道でルールを無視すると,大事故を起こす恐れがあります。性行動に関して神がお定めになったルールを無視すると,同じような結果になるでしょう。どうすれば,愛する子供にこの事実を理解させることができるでしょうか。
純潔の価値を教える
聖書に出てくる美しいシュラムのおとめの立派な模範について十代の子供と話し合ってください。彼女は誇りをもって,「わたしは城壁です。わたしの乳房は塔のようです」と言うことができました。道徳面から見た彼女は,接近しがたい塔のある要塞の,難攻不落の城壁のようでした。そして未来の夫の目に映る彼女は,「平和を見いだしている」者のようでした。そうです,後悔に苦しむことのない平安な思いは,純潔がもたらす豊かな報いの一つです。―ソロモンの歌 8:10。
しかし,若者が城壁のように道徳的に堅実であり続けるにはどうしたらよいでしょうか。そういう問題が起きる前に,不道徳につながりやすい状況,実際にしばしば不道徳につながっている状況を避けることによって予防措置を講じる必要があることを,大人になりつつある若者にしっかり教え込まなければなりません。例えば,飲酒運転が大事故につながる危険があるのと同じように,アルコール飲料が持ち込まれる若者のパーティーや,信頼できる大人が参加しないパーティーは不祥事を招く恐れがあります。
同様に,家(やアパート)でほかの若い異性と二人きりになるのは,誘惑の扉を開くことになるという点も理解させなければなりません。自分と結婚してもいない人が,自分の胸や秘部に手を触れるのを許すことは道徳的に危険であることを,若者たちははっきり理解しておく必要があります。誘惑は,体のそういう部分に触れて性的に刺激することから始まる場合が多いことを説明してください。―コリント第一 7:1と比較してください。
純粋な愛は性関係をはるかに超えたものであること,結婚関係外の性関係は間違っていることを,親は愛する子供たちに悟らせなければなりません。中には,結婚の約束をする前に性関係を持つ若者もいます。そういう若者は,何人もの相手と性関係を持ちますが,決して結婚しようとしないかもしれません。そして何年かたち,結婚相手がどうしても必要なことを悟る時に,自分が独りぼっちで,だれからも相手にされないことに気づきます。確かに,そのような人たちに結婚の約束を求める人はいませんし,そのような人たちに結婚の約束をする人もいないからです。
男の子も女の子も,純潔は極めて貴重なものなので,決して廃水のように捨てたりしてはいけないということを知っておくべきです。性関係を十分に楽しめるのは,結婚という厳粛な取り決めの範囲内だけであることを子供が理解するよう助けてください。聖書は美しい詩的な言葉でこう述べています。「あなた自身の水溜めから水を,あなた自身の井戸から水の滴りを飲め。あなたの泉が戸外に,あなたの水の流れが公共広場に散らされてよいだろうか。あなたの水の源が祝福されるように。あなたの若い時の妻と共に歓べ」― 箴言 5:15,16,18。
子供を愛している親の皆さんは,これらの事実を教えるために特に努力しなければなりません。これは現代の特別な課題です。というのは,未婚女性の妊娠が一般に容認されている時代だからです。産科の看護婦であるリリアンは,15歳の未婚の父親が,自分で赤ちゃんを育てる用意も意志も能力もないのに,生まれたばかりの孫を抱いた得意げな祖父から赤ちゃんを手渡される時の恐怖におののく目つきを見てももう驚かないと言います。
テレビに出演するある解説者は,「子供がいて夫のいない未熟な独身女性」は,学校を卒業することも,働くことも,子供をきちんと育てることもできない場合が非常に多いと述べています。こうした十代の母親は,「自分個人の窮状にはまってしまう。……貧困はほとんど避けられないし,生まれた子供も貧しさから抜け出せないままになるという悲惨な傾向が見られる」と,この解説者は言いました。
親自身の手本
親自身の行動は子供に強い影響を及ぼします。時には,自分でも気づかないうちに微妙な方法で影響を与えることがあるかもしれません。例えば父親が,魅力的な女性のほうに絶えず目を向けるとすれば,どうなるでしょうか。あるいは母親が,魅力的な男性が通りかかった時に,「あら,いい男だわ」と言うとすれば,どうなるでしょうか。そのような親は,十代の若者に純潔を奨励していると言えるでしょうか。もし親に人の外見を特によくほめる傾向があるとすれば,子供が,道徳,親切,真の愛,神に対する献身などよりも肉体的な特徴を重視するとしても,親は驚くべきでしょうか。
ですから,性に関する必要な知識を子供に教えることには,思ったよりはるかに多くの事柄が関係しているかもしれません。それには親の態度,親が家庭内で醸し出す雰囲気,早い時期から子供を教えようとする親の意欲,さらには親の示す手本が含まれます。このようなことをすべて行なうには時間と努力が必要です。しかしそれには大きな報いがあります。
まだ教えていませんか
しかし,子供がかなり大きくなっているのに,まだこうした事柄を子供と話し合っていないという場合は,どうしたらよいでしょうか。その場合は簡単に,「こういう事柄を話すのを今まで延ばしてしまって,本当に悪かった。でも,わたしは子供にできるだけ良い人生を送ってもらいたいから,今どうしても話さなければいけないと思う」というふうに言えるかもしれません。
確かに,こういう事柄を子供と全く話し合わないよりは,少し大きくなってからでも話し合うほうがましです。子供に道徳教育を行なうのは,大切な責任であり,特権です。ニューヨーク大学のロン・モリアは,「性について子供に話す権利を放棄する親は,自分が経験できる最もすばらしい事柄の一つを手放している」と言いました。
神の道徳上のご要求を理解するようになったのが最近で,以前はそれに従った生き方をしてこなかったことを子供たちが知っている場合でも,今はそれを改めているということを子供たちに理解させてください。できればこの雑誌を読むように勧め,それから内容について話し合うことを計画するとよいかもしれません。子供が,「そんなことぐらい知ってる」と言うとしても,それで意気をくじかれてはなりません。校庭で聞くあいまいな情報や仲間の話,あるいは性の機能に関する体験でさえも,健全な道徳指導の代わりにはなりません。実際,無知は悲劇につながりかねないのです。
子供を指導するには多くの努力が必要です。しかし,その報いはたいへんすばらしいものです。聖書が簡潔かつ明快に述べているとおりです。「義なる者はその忠誠のうちに歩んでいる。彼の後の子らは幸いだ」― 箴言 20:7。
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