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夫と妻 ― 話し方に違いがあるというのは本当ですか目ざめよ! 1994 | 1月22日
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が自分の考えを分かってくれると,自分は愛されていると感じます。理恵は決定を下さなければならない時には,夫に相談することを好みます。それは必ずしも夫の指示を仰ぐためではなく,夫への信頼と親密さとを示すためです。
理恵にとって,何かが必要な時にはっきりとそれを口にするのはとても難しいことです。裕二に向かって小言を言いたくありませんし,不満を持っていると思われたくもありません。むしろ,気づいてくれるまで待ったり,それとなく気づかせようとしたりするのです。
会話する時,理恵は細かい事柄に興味を引かれ,いろいろと質問します。人や人間関係に敏感で,強い関心を抱いているため,自然にそうなるのです。
話を聴いているとき,理恵は相づちを打ったり,うなずいたり,質問をしたりして,話についていっていること,また話に関心があることを示します。
理恵は,人々が何を必要としているかを直観的に知ろうと一生懸命に努力します。頼まれなくても助けを差し伸べるのは,愛情のすばらしい表現だと考えます。特に,夫が成長し,進歩するのを助けたいと願っています。
理恵は問題を抱えると圧倒されそうになることがあります。そんな時は,話さずにはいられません。解決策を求めるためというよりも,むしろ自分の気持ちを言い表わすためです。自分を理解し,気遣ってくれる人がいることを知っている必要があるのです。感情が高ぶると,理恵は大げさで強烈な言葉を口にします。「全然聴いてくれない!」と言う時も,本気でそう思っているわけではありません。
理恵の子供の時の親友は,物事を一緒に行なった友達ではなく,何でも一緒に語り合った友達でした。ですから結婚してからも,戸外での活動よりは,親身になって聴いてくれる人に自分の気持ちを打ち明けることのほうがずっと好きなのです。
理恵にとって家庭は,だれの批判も受けずに話ができる場所です。心配や問題を遠慮なく裕二に打ち明けます。助けが必要ならば,恥ずかしがらずにその必要を認めます。夫がそばにいてくれて,関心を持って耳を傾けてくれるものと思っているからです。
普段,理恵は愛されていると感じており,結婚生活に安心感を抱いています。しかし時々,これといった理由もなく,不安になったり,愛されていないと感じることがあります。そのような時には,すぐに自信を取り戻せる言葉や親しい交わりを必要とします。
このように,裕二と理恵は互いに補い合っているものの,非常に異なっているのです。たとえ二人が共に相手の最善を考えて愛情を示して支え合っても,二人の間の相違が深刻な誤解を生む可能性はあります。前述の状況をそれぞれがどのように見ていたのか,聞いてみることにしましょう。
二人の目にはこのように映った
裕二はこう言うことでしょう。「家に入った途端,理恵の機嫌が悪いのが分かりました。たぶん,そのうち自分から理由を話してくれるだろうと思いました。僕には,そんなに大きな問題とは思えませんでした。そんなにいらいらする必要はなく,簡単に解決できることを理解させてやるだけで,機嫌は直るだろう,と考えました。話を聴いてやったのに,『わたしの言うことなんか全然聴いてくれないんだから!』と言われた時には,ぐさりときました。妻は自分のいらいらを全部僕のせいにしているみたいでした」。
理恵はこう説明することでしょう。「その日は一日,何をやってもうまくゆかなかったんです。主人のせいじゃないことは分かっていたけど,あんなにうれしそうな顔をして入ってくるんだもの。わたしがいらいらしているのを無視しているんじゃないかと思いました。どうかしたのって尋ねてくれたっていいのに。わたしが事情を話しても,馬鹿なこと言うな,そんなのどうでもいいことじゃないか,みたいなことを言うんですもの。君の気持ちは分かるよ,なんて言ってくれるどころか,何でも解決したがり屋の主人は,どうすれば解決できるかを説明するんです。解決策なんてどうでもよかったの。同情してほしかったのよ!」
このように一時的に仲たがいをしているようですが,裕二と理恵は深く愛し合っています。どのように洞察力を働かせれば,その愛をはっきりと表現できるでしょうか。
相手の見方で物事を見る
裕二は,何があったのか理恵に尋ねるのは差し出がましいと思ったので,彼らしく,自分が他の人にしてほしいと思うことを妻のために行ないました。妻が切り出すまで待ったのです。ところが,理恵は余計にいらいらしてしまいました。問題があったからだけでなく,支えてほしいという自分の訴えを裕二が無視しているように思えたからです。理恵は,裕二が沈黙して優しく敬意を表わしているとは理解せず,むしろ,かまってくれていないと解釈しました。理恵がやっと口を開くと,裕二はさえぎることなく耳を傾けました。しかし理恵は,自分の気持ちを夫が本気で聞いてくれていないように思いました。それから裕二は,感情移入をするのではなく,解決策を教えました。つまりこう言ったのです。「君のその感情にはちゃんとした根拠がない。過敏に反応しているんだよ。このちっぽけな問題がどれほど簡単に解決できるか分かるかい?」
もしお互いが相手の見方で物事を見ていたら,状況は大きく異なっていたことでしょう。例えば,こんなふうにです。
裕二は帰宅すると,理恵の機嫌が悪いことに気づきます。「どうかしたの?」と裕二は優しく尋ねます。すると,涙がこぼれてきて,言葉が口を突いて出てきます。理恵は,「みんなあなたのせいよ!」と言ったり,夫の働きが足りないとほのめかしたりはしません。裕二は理恵を抱き寄せ,辛抱強く耳を傾けます。理恵が話し終えると,裕二は言います。「かわいそうに,がっかりしたんだね。君がどうしてそんなにいらいらしているのかよく分かったよ」。理恵は答えます。「聴いてくれてありがとう。あなたに分かってもらえて,ずいぶん楽になったわ」。
残念ながら,多くの夫婦は互いの相違点を解決する代わりに,すぐに離婚を選んで二人の結婚を終わらせます。多くの家庭を崩壊に追いやっている犯人は,コミュニケーションの欠如です。結婚生活の土台そのものを揺るがすほどの口論が爆発します。それはどのように起きるのでしょうか。次の記事は,それがどのように起きるのか,そしてどのように回避できるかを扱っています。
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口論を分析する目ざめよ! 1994 | 1月22日
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口論を分析する
妻は気持ちを言葉に表わす必要を感じます。夫は解決策を教えようとします。昔から夫婦の間の口論は数限りなく,いろんなことで口論しているように聞こえがちですが,実際には幾つかの基本的な問題に関する口論の変形である場合が少なくありません。配偶者の物の見方やコミュニケーションの方法が自分とは違うことを理解すれば,燃え盛る山火事も,幸福な家庭の暖炉に燃える炭火にまで弱めることができるかもしれません。
「何から何まで口を出さないでくれ!」
事あるごとにアドバイスをされ,頼み事をされ,批判される多くの夫は,妻はさい配を振り,小言を言うものという固定観念を持つようになっているかもしれません。聖書はそのような気持ちになることを認めて,「妻の口論は,人を追い立てる雨漏りのする屋根のようだ」と述べています。(箴言 19:13)妻が何かを頼んでも,夫には妻の知らない理由があって,黙ってそれに反対するかもしれません。妻は夫が聞いてくれなかったと考え,今度は夫に指図します。夫はますます反対します。これは,小言を言う妻と,妻の尻に敷かれた夫の組み合わせなのでしょうか。それとも,二人は明確なコミュニケーションを行なっていないだけなのでしょうか。
妻の目から見れば,役立つアドバイスをすることは,夫に対する愛の最上の表現です。しかし夫の目には,妻にとやかく言われ,自分は無能だと言われているように映ります。「あなた,カバン持った?」という言葉は,妻にしてみれば,夫が忘れ物をしないよう気遣う気持ちの表現です。しかし夫はそれを聞くと,出掛けに玄関から大声で,「手袋は持ったの?」と叫ぶ母親を思い出してしまうのです。
妻は疲れていると,「ねぇ,今夜はレストランで食事にしない?」と優しく言うかもしれませんが,実際は,「外食にしましょうよ。すごく疲れているから料理したくないの」という意味なのです。ところが,妻思いの夫は,この時とばかりに妻の料理を褒め,君の手料理に限ると言い張るかもしれません。あるいは夫は,「僕を操ろうとしている」と思うかもしれません。一方,妻は「こんなことなら聞かなければよかった」と腹立たしく思うかもしれません。
「わたしのことなんか愛してないんでしょ!」
夫は当惑し,やりきれない気持ちになって言います。「どうしてそんなふうに考えるんだろう! 僕は働いてるし,お金も稼いでる。時には花を贈ることだってあるのに」。
人はだれでも愛されていると感じる必要がありますが,特に女性は愛されていると何度も感じる必要があります。女性は口には出さないかもしれませんが,心の中では自分がお荷物になっているように感じることがあります。毎月の体のリズムの影響で落ち込んでいる場合には特にそうです。夫がそんな時に,独りになる時間が欲しいんだな,と考えて妻をそっとしておくと,妻は,夫が近づいてくれないのは自分が一番恐れていることが現実になった証拠,つまり,もう愛されていない証拠だと解釈するかもしれません。そして,きついことを言っては,何とかして愛し,支えてもらおうとするかもしれません。
「ねぇ,どうしたの?」
男性はストレスの多い問題を抱えると,静かな場所を見つけてじっくり考えようとするかもしれません。しかし女性は緊張を感じ取ると本能的に,自分の殻に閉じこもっている夫をそこから引きずり出そうとするかもしれません。妻がどれほど夫のためを思ってそうしても,夫はそれを差し出がましい,屈辱的なことと感じるかもしれません。独りになって問題を考えようとする夫が後ろを振り返ると,夫思いの妻が速足で追いかけて来ています。「ねぇ,大丈夫? どうしたの? 何があったか教えてよ」という愛情に満ちた声がしつこく聞こえてきます。
返事がないと,妻は感情を害されるかもしれません。妻は問題があれば夫に打ち明けたいと思います。しかし愛する人は自分の気持ちを分かち合おうとしません。「あの人,わたしのことなんかもう愛してないんだわ」と妻は結論するかもしれません。ですから,そんなことは思いもよらない夫が,ついに解決策を見いだして満足げに自分の世界から姿を現わすとき,そこにいるのは心配そうな様子の愛情深い配偶者ではなく,置き去りにされたことに抗議しようと待ち構えている,怒った妻なのです。
「わたしの言うことなんか,全然聴いてくれないんだから!」
そんな言いがかりはナンセンスに思えます。夫にしてみれば,自分はいつも聴き役に回ってばかりいるように思えます。ところが妻に言わせれば,話をしても自分の言葉はコンピューターが数学の問題を解く時のようにふるい分けられ,解析されているような気がしてなりません。夫に話をさえぎられ,「こうすればすむことじゃ……」と言われると,ああやっぱりと思ってしまいます。
妻が問題を抱えて夫に近づく時は,非常に多くの場合,夫を責めているのでも,夫に解決策を求めているのでもありません。妻が一番望んでいるのは,冷厳な事実を聞くだけではなく,それについての自分の気持ちも同情して聞いてくれる人なのです。妻はさらに,アドバイスではなく,むしろ自分の気持ちが間違っていないという確証を得ることを望みます。多くの夫が妻のためを思って,「おまえ,そんなふうに思うもんじゃないよ。そんなに大したことではないよ」と言っただけで爆発を引き起こしてしまった理由はそこにあります。
多くの場合,人々は,夫婦なんだから言わなくても気持ちは分かってくれるはずだと考えます。ある男性は,「一緒になって25年にもなるんだから,僕の思っていることがまだ分からないようなら,関心がないか,気にかけていないかだ」と言いました。ある著述家は結婚関係に関する本の中でこう述べています。「夫婦が思っている事柄を互いに話さず,相手の失敗を非難し合っていれば,愛と協力の精神が消えうせても当然。代わりに……自分の必要を無理やり相手に満たさせようとして権力闘争が始まる」。
「あなたって本当にいい加減な人ね!」
妻は夫に面と向かってそのようには言わないかもしれませんが,声の調子にはっきりと表われることがあります。「どうしてこんなに遅かったの?」という言葉は理由を尋ねているともとれますが,責めるような目で見ている妻の姿は,むしろこう語っているように見えます。「いい加減な人ね。まるで子供じゃないの。心配したのよ。どうして電話してくれなかったの? 本当に思いやりがないんだから。せっかくの夕飯が冷めちゃったじゃないの」。
もちろん,夕飯については妻の言うとおりです。しかし,もし口論になれば,二人の関係も冷める危険がありませんか。「口論はたいてい,二人の意見が合わないからではなく,男性が女性は自分の見方を認めてくれないと感じているか,女性が自分に対する男性の話し方を嫌っていることが原因である」と,ジョン・グレー博士は書いています。
家庭では好きなことを遠慮なく自由に言うべきだという意見の人もいます。しかし,コミュニケーションが上手な人は,聴き手の感情を考えに入れて,一致を生み出そう,平和な関係を築こうとします。このような話し方は,大まかに言って,配偶者に一杯の冷たい水を出すことに似ているかもしれません。その水を相手の顔にかけるのとは大違いです。それで,どのように話すかによって違いが生まれると言えるでしょう。
コロサイ 3章12節から14節の言葉を当てはめるなら,口論は消え,幸福な家庭が実現します。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。
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