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あなたにとって犯罪は現実の脅威となっていますか目ざめよ! 1985 | 8月8日
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あなたにとって犯罪は現実の脅威となっていますか
路上で強盗に遭ったことがありますか。あるいはそのような目に遭った人をご存じですか。
日が沈んでしまったあとは外に出るのが怖いですか。あるいは外に出るときには予防措置を講じますか。
1日のある時間帯には地下鉄や公共の乗り物に乗ることを避けますか。
幼い子供がいるなら,知らない人と話してはいけないと教えますか。
子供たちが学校で襲われはしないかと心配ですか。
お宅のドアには幾つもの鍵が付いていますか。あなたの車には盗難警報器や特殊な施錠装置が付いていますか。街路に自転車をとめておくときには鍵を掛けますか。
上記の質問のどれかに肯定の答えを出したなら,あなたは犯罪を現実の脅威として感じています。
近年人々は犯罪を強く意識するようになりました。なぜでしょうか。近所の人や友人,家族,自分自身がその影響を受けてきたからです。ニューヨーク・タイムズ紙の見出しの表現を借りれば,「犯罪への恐れは今や都会の生活の機構に織り込まれている」のです。その記事はさらにこう述べました。「貧しかろうと富んでいようと,ニューヨーク市の住民にとって犯罪はもはや人事ではなくなっている。犯罪は市内に浸透し,時にはひそかに,時には激しく,人々の生活の仕方をいやおうなく変化させてきた」。これはニューヨークだけではなく,世界中の他の多くの都市にも当てはまります。
犯罪 ― 世界の「成長産業」
インド: 犯罪は決してアメリカだけの問題ではありません。それは世界的な災いです。例えば,インディア・トゥデー誌はインド北部のビハール州を,「誘拐犯の王国」と評しました。誘拐に遭った人の兄弟は,「全く恐ろしい。我々は日没後は家から出ないようになった。恐怖が絶えず付きまとう中で我々は生活している」と言いました。他の新聞には,「組織犯罪はインドの成長産業」という見出しが載りました。
イタリア: イタリアにも犯罪の問題があり,それはマフィアだけにとどまりません。ワシントン・ポスト紙によれば,「シチリア島のマフィアの系統に属し,1世紀以上前に設立された犯罪帝国,国家内国家ともいうべきカモラ」があります。この犯罪社会は,「過去3年間にほぼ1,000件の殺人事件を起こしたものとみられている」と,その新聞は述べています。
日本: 日本の社会では犯罪が心配の種になっています。一新聞は最近,日本には警察に存在が知られている暴力団が2,330あり,暴力団員の数は10万人近くに上ると伝えました。
中国: 「極東経済レビュー」誌によれば,同国政府は国内の「山積する犯罪問題」を緩和する努力の一環として,思い切った措置を講じました。殺人犯と婦女暴行犯は公衆の面前で処刑されることがあり,他の犯罪者は,氏名と罪状を書いたプラカードを首に下げて通りを練り歩かされます。
ブラジル: サンパウロとリオデジャネイロで行なわれた調査が示すところによると,人口の65%は危険なことで有名な地域を故意に避けており,85%は家を出る時に宝石を身に着けたり貴重品を持って行ったりすることをやめています。調査の対象となった人々の90%以上は,いつ襲われても不思議ではないと考えています。
ナイジェリア: アフリカ諸国でも犯罪が生活の一要素となっています。ニュー・ナイジェリアン紙の通信員であるA・アダムーは同紙上でこう説明しました。「窃盗,武装強盗,放火,殺人,身体に加えられる危害,また今日それらがこの国で行なわれるときに見られる極度の残虐さゆえに,人は犯罪が一般の人々の心に植え付けてきた恐怖と狼狽を最も的確に言い表わそうにも,ただ唖然とし,当惑するだけである」。
事実を言えば,犯罪に対する恐れはほとんどの大都市に広がっています。犯罪に関するそうした感情が広がっているため,社会の中で法律を守る人々は身動きが取れなくなっています。しかも人々は脅かされたり,十分な保護を与えられなかったりすることにいや気がさしているので,一市民が犯罪者に反撃を試みたりすると,まず最初に同情の声が大きく高まって来ます。
では,これほど多くの人々が犯罪に走るのはなぜでしょうか。昔からの言い習わしとは逆に,犯罪は確かに引き合うと果たして言えるのでしょうか。
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犯罪は引き合うか目ざめよ! 1985 | 8月8日
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犯罪は引き合うか
「今日,ひもじいがゆえに犯罪に走る人は一人もいない。ではどうしてこれほど圧倒的な数の人々が犯罪に走るのだろうか」と,ニューヨーク市のコッチ市長は述べました。そしてこう言葉を続けました。「それは,レース場での確率より,逮捕されない確率のほうが高いからである。重罪を犯した人が50万ないしそれ以上いるとすれば,逮捕されるのはそのうちわずか10万人で,刑務所に送られるのはわずか2%である。これなら……勝ち目がある」。
もちろん,コッチ市長の意見は,犯罪の原因という極めて込み入った問題の一つの面を言い表わしているにすぎません。それでもそれは的を射ています。どこの国の犯罪者であれ,逮捕される可能性があまりないと考えていれば,金になるその仕事を続けてゆくことでしょう。
多くの場合,犯罪の基本的な動機となっているのは金銭に対する欲求です。盗んだ物はすぐさま換金されます。また,今日の世界において,単独で最も大規模に現金を動かしているものとして何を挙げることができるでしょうか。ここにそのかぎがあります。「米国内にコカインを扱う会社が一つだけあるとすれば,その年収は300億㌦(約7兆8,000億円)になり,フォーチュン誌に載る米国企業500社のランキングの第七位となる」。(ニューヨーク・タイムズ紙)しかもここに示されているのは一つの麻薬,コカインだけなのです! 世界中の麻薬の売買全体で動くお金を合計できたとしたら,その額は人々の度肝を抜くものとなるでしょう。世界各地の人々が犯罪と麻薬から多額の分け前を得ているのです。麻薬でもうけた百万長者は高価な別荘と豪しゃな家を建てています。彼らにとって犯罪は引き合うものです。しかし犯罪者はどうしてうまくやってゆけるのでしょうか。
犯罪が栄えるのはなぜか
犯罪が栄えるさまざまな理由の中で一つ根本的なものがあります。それは多くの国の司法制度の欠陥です。それはどんなことですか。聖書はこう述べています。「人々が実に大胆に悪を行なうのは,邪悪な行為に対する処罰が速やかに行なわれないからである」。(伝道の書 8:11,新英訳聖書)世界の多くの場所で法手続きが遅れ,犯罪者が有利になっている今日,この古代の格言は一層妥当なものと言えるかもしれません。米国カリフォルニア州の一弁護士は,「最善の防御策の一つは,遅らせることだ」と述べました。記憶は薄らぎ,被害者の身に降り懸かるありとあらゆる厄介な問題ゆえに,告訴しようという動機も時に弱まってしまうのです。―6ページの「犯罪に関する制度の不公正」という記事をご覧ください。
多くの人にとって犯罪は引き合います。それも非常に割がいいものです。代価を支払わされるのはだれですか。一般大衆,それも特に保護されることが最も少ない,社会の低所得層です。米国のダマート上院議員は仲間のニューヨーク市民に,「犯罪発生率はやや下降した」と手紙の中で述べましたが,こう補足しました。「我々は今なおドアに安全錠を掛けている。今なお夜間には食料雑貨品店や教会や礼拝堂に出かけることさえ恐れながら生活している。外へ出るときには,必ず人が大勢いる所を歩くようにし,“路上で強盗に遭った時のためのお金”を必ず幾らか持参するようになってきている。心配の種は現在たくさんあるが,それらはかつて恐ろしくも何ともなかったものである。刑務所に入るべき人間が自由に動き回っている一方で,我々は刑務所にいるような生活を送ることになるのではないかと時々非常に恐ろしくなる」。
しかし,一部の人々が生活の道として犯罪に走るのはなぜですか。貧困,飢え,失業などが根本的な理由なのでしょうか。
[6ページの囲み記事]
犯罪者を扱う制度の不公正
犯罪が加害者に及ぼす影響と被害者に及ぼす影響を比較した次の記事は,米国オクラホマ州の司法長官マイク・ターピンが作成し,デーリー・オクラホマン紙に掲載された表に基づいています。
加害者
犯罪を行なうか行なわないかを選択できる。
犯罪を行なった場合には,(1)捕まり,逮捕されるかもしれない(その可能性は
米国の場合約5人に一人)。(2)捕まらずに犯罪の生活を続けるかもしれない。
逮捕
1. 必ず当人の権利が知らされる。
2. 犯罪をおかしている時,あるいは逮捕された時にけがをしたなら,直ちに医療を
受ける。
3. 自分で雇うことができなければ,一人の弁護士があてがわれる。
4. 保釈金あるいは誓約保証金を出せば釈放されることがある。
裁判の前
1. 食物と住まいを与えられる。
2. 本,テレビ,レクリエーションを楽しめる。
3. 麻薬およびアルコールに関するカウンセリングを含め,医療施設が活用できる。
裁判
1. 国から任命された弁護人が与えられる。
2. 刑を軽くしてもらうために,有罪答弁取り引きを行なえる。
3. 裁判を遅らせ,裁判地を変更することができる。
4. 証拠をもみ消したり,無罪を獲得したりするためさまざまな手を用いることが
できる。
5. 有罪になった場合でも(有罪になるのは犯罪の3%にすぎない),上訴できる。
刑の宣告
1. 刑務所に行かずにすむ ― それに代わる多くの方法がある。
服役
1. 刑務所に送られる場合でも,食物と住まいが無料で与えられる。
2. 国の費用で,あらゆる種類の医療と心理学的な治療を受けられる。
3. 学力を向上させ,仕事の技術を高めることができる。
4. さまざまな“更生”計画を活用できる。
5. 行状と仕事ぶりがよければ,早く釈放される。
釈放後
1. 援助計画と援助のローンを活用できる。
最終的な結果
大部分の人々が元の犯罪者の生活に戻る。
被害者
選択の余地がない。いやおうなく犯罪の被害者となる。
逮捕
1. けがをした場合は医療費も救急車のお金も自分で支払う。心理的な問題を一生
抱え込むことになるかもしれない。
2. 失った自分の資産を自分で補わなければならない。
3. 犯罪によって生じた経済的な問題を自分で処理しなければならない。
4. 警察と協力するための時間が奪われる。
5. 一般に,事件の進展については知らされない。
裁判の前
1. 裁判所や警察署へ行くための交通機関を手配し,その費用を自分で払わなければ
ならない。労働時間が奪われ,恐らく賃金も失われる。
2. やはり事件の進展については無知の状態にある。
裁判
1. ここでもやはり,交通機関と駐車場を手配し,その費用を払わなければならない。
2. 子守りや他の家事の費用を払わなければならない。
3. その犯罪について詳しく話し,厳しい反対尋問を受けなければならない。被害者は
一つの証拠物件にすぎない。
4. 検察官は国家を代表するのであって,被害者を代表してはいない。普通の場合,
被害者のために損害賠償が請求されることはない。
5. 加害者が釈放された場合でも,被害者には上訴する権利がない。
刑の宣告
1. 決定,答弁,刑の宣告に関しては発言権がない。
2. 刑の宣告の際に,召喚されないこともしばしばある。
釈放後
1. 犯罪者を扱う“公正な”制度について不満の残ることが多い。
2. 釈放された加害者と仕返しとに対する恐れがある。
3. 当人のその後の生活には精神的外傷の残ることがある。
最終的な結果
加害者の権利を尊重し,被害者の必要を無視するという行き過ぎた制度に対して,
もはや敬意を持たなくなる。
[5ページの図版]
麻薬 ― 今日の世界において,単独で最も大規模に現金を動かしているものの一つ
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何が犯罪者を生み出すのか目ざめよ! 1985 | 8月8日
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何が犯罪者を生み出すのか
「犯罪行動とは,幼いころの精神的外傷や生活必需品の欠乏から生じた隠れたかっとうのしるしだと私は考えていた。……犯罪に走る人々は心の病,抑圧的な社会環境,もしくはその両方の被害者であると考えていた。……犯罪とは,生活にしみ込んでいた赤貧,不安定さ,絶望に対する普通の,いやむしろ許容できる反応であると見ていた」。(「犯罪者の内面」)(下線は本誌。)精神科医のスタントン・セイムナウは幾百人もの犯罪者にインタビューをし始める前,そのように考えていました。
人がなぜ犯罪者になるかという理由を説明するために,精神科医や他の専門家たちはさまざまな理由,例えば失業,教育程度の低さ,不快な家庭環境,栄養のアンバランス,心理的な圧迫などを挙げてきました。これらの要素は一つの影響力となり得ますが,もう一つの事実も無視することはできません。幾百万という人々は解決策として犯罪に走ることなく,そのような状況下で日々忍耐しているという事実です。
犯罪者 ― 犠牲者か,犠牲者を生み出す者か
セイムナウ博士は長期にわたる調査の末,異なった取り組み方をするようになりました。同博士はこう書いています。「この取り組み方の中心にあるのは,犯罪者は犯罪をおかすことを選ぶということである。犯罪の芽は本人の中にあり,本人の環境によってではなく,本人の考え方によって“引き起こされる”のである」。(下線は本誌。)「犯罪者が犯罪を引き起こすのであって,悪しき隣人,無力な両親,テレビ,学校,麻薬,失業などが犯罪を引き起こすのではない」。
同博士はこの取り組み方から,犯罪者の内面についての見解を変化させました。同博士は,「犯罪者を被害者とみなしていたのが,犯罪者はむしろ自分の生き方を自由意志で選んだ,犠牲者を生み出す者とみなすようになった」と続けています。ですから同博士は,犯罪者の行状について当人を甘やかす言いわけをするよりも,当人自身の責任を自覚させるべきであると述べています。―9ページの「常習的犯罪者に関する分析」という記事をご覧ください。
米国の服役制度の変革を唱道しているペンシルバニア州のロイス・フォーラー判事は,「私の結論は,人間はみな自分の行動に対して責任を負うという信念に基づいている」と書いています。―「犯罪者と犠牲者」,14ページ。
そもそも悪を選ぶのはなぜか
この質問についてセイムナウ博士は簡潔な結論に到達しています。「行動は概して思考の所産である。我々が行なうことはすべて,思考の後に続き,思考を伴い,思考を後に残す」というのです。そうなると,どうすれば犯罪者の行動を変えることができるでしょうか。同博士は,「犯罪者は多年にわたり自分の行動を導いてきた思考の型を見分け,それからそれを捨てなければならない」と答えています。(下線は本誌。)この簡潔な結論は聖書の助言と一致します。
例えば聖書筆者のヤコブはこう説明しました。「おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は,はらんだときに,罪を産みます」。(ヤコブ 1:14,15)言い換えれば,わたしたちの行動の仕方は,わたしたちの考え方に依存しているのです。悪い欲望はそうした思考過程の結果です。罪や犯罪は,不正な欲望や間違った選択の結果生じるものなのです。
パウロは「あなた方の思いを活動させる力」に言及し,思考過程が人格の変化にとって重要なものであることに注意を向けています。(エフェソス 4:23)エルサレム聖書はこの部分を,「あなた方の思いは霊的な改革によって新たにされなければなりません」と訳しています。同じように今日でも,「犯罪は当人の考え方によって生ずる」のですから,思考に大きな変化が生じなければなりません。―「犯罪者の内面」。
それでもなお質問が残ります。そもそも犯罪者はどのようにして反社会的な思考の型を身に着けたのでしょうか。
種がまかれるとき
「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」。(箴言 22:6)この聖書の格言は,問題の核心に触れています。かぎとなるのは,少年を訓練することです。若者になってからではなく,もっと早く,少年の時にそうするのです。それほど幼いころから始めることがどうして必要でしょうか。思考と行動の型は,乳児期と少年期に確立されるからです。
確かにわたしたちはみな生まれつき不完全なので,誕生の時にある程度のマイナスの特質が組み込まれています。(ローマ 5:12)聖書が述べているとおり,「愚かさが少年の心につながれている」のです。しかしその聖句は,「懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す」と付け加えています。―箴言 22:15。
多くの犯罪者は,少年期に受けた影響に話を引き戻し,親や教師や他の人を非難して自分の行動を正当化しようとします。セイムナウ博士は異なった結論を出しています。「犯罪者は自分たちが親や隣人や学校や雇用者から退けられていると主張するが,自分が退けられた理由はほとんど口にしない。幼い子供のころでさえ,卑劣で反抗的で,長じるにつれて親にますますうそをつき,親のものを盗んで壊し,親を脅すようになった。そして家庭での生活を耐え難いものにした。……両親を退けたのは犯罪者であって,その逆ではない」。―8ページの「犯罪で生きてゆく人の幼いころに見られる兆しの分析」という記事をご覧ください。
確かに,犯罪行動の種はしばしば少年期にまかれ,放任の度が過ぎた親によって無意識のうちに育まれることがあります。オレゴン州社会学習センターの心理学者であるパターソン博士は,「大半の非行は子供を育てる技術のまずさから生ずるのかもしれない」と考えています。同博士は,「明確な規則を持続させることも,追従を察知することも,体罰を与えずに小さな違反行為を扱うこともできない」親に言及しています。
セイムナウ博士は次のような結論を下します。「犯罪をおかす子供が親や社会の期待から離れて行くことには,個別の行為以上のことが関係している。犯罪者の生活様式の一部となる型は,早くも学齢期の前に始まって発展してゆく」。(下線は本誌。)その結果一部の心理学者たちは,問題を抱える親や,非行の問題に陥る可能性のある子供たちに助けを差し伸べて,少年期に犯罪を防ぐことに注意を向けるようになっています。
犯罪,その原因,および考え得る解決策。それらはいずれも複雑な問題です。失業が少なくなり,環境が改善されれば一部の人々の事情は変化するでしょうか。刑務所を増やし,大きくすることが答えになるでしょうか。警察官のパトロールを増やせば犯罪が減るでしょうか。実際のところ,現在の人間社会における犯罪を解決するための実際的で完全な方法が何かあるでしょうか。
[8ページの囲み記事/図版]
犯罪で生きてゆく人の幼いころに見られる兆しの分析
犯罪者は子供のころ,鉄のように頑固で,自分の気まぐれを何でも聞いてくれるよう他の人に期待する。危険なことをし,厄介な事柄に携わってから,責任を問わずに許してほしいと要求する。
被害者の長い系譜の最初に位置しているのは親である。
その子は意思の疎通を妨げる壁をますます固くする。親からは隠していたいような人生を送る。自分のすることは親の知ったことではないと考える。
あまりにも多く,あまりにも長期間にわたってうそをつくので,そのうそは強迫観念にとりつかれたもののように見える。それでもそのうそは本人の意志のままに操られている。
親の社会的・経済的境遇がどのようなものであろうと,親の助言や権威だけではなく親の生き方を軽べつする。その子にとっては楽しく時を過ごすことが人生のすべて。
家族の中にほかの子供たちがいると,彼らは非行を行なう兄弟の犠牲になる。その子は兄弟たちをいじめ,兄弟の持ち物を我が物にし,懲らしめを少しでも与えようとすると兄弟たちに責任を転嫁する。
してはいけないことを行なう,危険なことの好きな若者たちと交わることを好む。
だれかほかの人の権威に従おうとはしない。むしろ,何かもっと楽しいこと,しばしば不法な事柄に携わる。
こうした子供たちの親は,怠慢ゆえではなく,子供が自分の活動を上手に隠してしまうために,自分の子の居場所を知らないことが多い。
奪うことはしても,与えることはほとんどない。信頼,忠節,分け合うことなどは自分の生き方と合わないので,友情の何たるかを知らない。
非行に走る若者の社会的行動の一つはアルコールの使用であり,それは成年に達する前にも始まる。
学校からのけ者にされるずっと前に学校をやめる。学校を利用し,そこを犯罪の場として,あるいはそれを覆い隠すために用いる。
他の人なら,面倒を起こしてしまったと考える事柄を,自分の自我像の宣伝と考える。
(これらの要素のうち一つないし二つだけで,それをその子が犯罪で生きてゆく人となる兆しだと考えないでください。しかし,多くの事柄が当てはまる場合には,懸念すべき理由があると言えるかもしれません。)
[9ページの囲み記事]
常習的犯罪者に関する分析
犯罪者は本来仕事を嫌う。
犯罪者にとって最も緊急を要する仕事は犯罪であって,正規の仕事ではない。
専門的技術とまれに見る才能ゆえに自分は普通の人とは異なっているという自己過信に陥っている。
自分の言いなりになる限り,人々を高く評価する。自分の母親を評価するときでも,母親がどれほど速く自分の命令に従うかによって,聖人からサタンにまで評価が揺れ動く。
自分がだれかに対して義務を負っているとは考えない。また自分の行動の正当性を自分自身で考えることはほとんどない。
非常に誇り高いので,自分自身の誤りやすさを頑として認めようとしない。
家族の他の成員がその行状に疑いを差しはさむことを望まない。
犯罪者は正邪の違いを知っている。自分に都合の良いときには法律を守る。
他のあらゆる事柄と同じく,自分自身の目的に資するように宗教を利用する。
犯罪者は,自分の行なった事柄の理由を説得力ある仕方で説明するものとなるような話を念入りに作り上げる。
犠牲者を全く犠牲者とみなさない。自分のほうが,捕まってしまった犠牲者なのである。
(8ページと9ページの分析は,「犯罪者の内面」に基づいています。)
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犯罪 ― 解決策はありますか目ざめよ! 1985 | 8月8日
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犯罪 ― 解決策はありますか
犯罪は直接間接にわたしたちすべてに影響を与えるので,解決策はあるだろうかという質問が残ります。ウエストバージニア州最高裁判所のリチャード・ニーリー判事は,「犯罪の根本原因をつかむことは,喜んで引き受ける人のあまりいない仕事,つまり社会秩序を大々的に建て直すことを意味する」と示唆しています。(下線は本誌。)同判事は,「犯罪の根本原因を除くような科学的な知識も,政治的意欲も存在しない」と論じます。
なぜそうなるのでしょうか。同判事は犯罪から最も大きな影響を受ける人々,つまり「スラム街や,労働者階級の住む衰微の一途をたどる地区の」人々は,直接的な政治力の最も弱い人々であると論じ,「犯罪の犠牲者が,利害を同じくする組織されたグループではないことに注目すべきである」と述べています。ですから彼らは,ほとんど,あるいは全く政治的影響力を持ちません。政治力を持つ人々は主に普通の犯罪活動の範囲外で生活しており,公共の交通機関を使ったり,スラム街で生活したりすることはありません。またある場合には,警察力が強化されると政治力を持つ人々自身の不法なホワイトカラー犯罪の足元に火がつく,と同判事は論じます。これは基本的に世界の大部分に当てはまります。そのため低所得層の大勢の人々は,犯罪および政治的偽善の被害者となることが多いのです。
しかし別の重要な要素が犯罪との闘いの進展を阻んでいます。それは人間の本質そのものです。「肉欲,強欲,攻撃的な気質,自己権力の強化などは人間の造りに生得的に備わっている」とニーリー判事は述べています。その事実は,カインが弟アベルを殺した時から明らかに示されてきました。―創世記 4:3-11。
しかし,人間の本質における悪の要素は,現代の心理学が立ち向かおうとしない一つの問題です。セイムナウ博士は「目ざめよ!」誌のインタビューに答え,「概して精神衛生の分野の非常に多くの人は,事実上,悪の問題に取り組んでこなかった」と述べました。
しかし,多くの犯罪者たちは自分たちの「肉欲,強欲,攻撃的な気質」を捨て去りたいとは思いません。ですから,精神療法や更生計画にこたえ応じようとしません。例えばカリフォルニア州では受刑者たちがあらゆる精神療法を退ける闘いを行なっています。「受刑者たちの主張は,更生に関する科学的な知識は不十分なのだから,精神療法は幻想だというのである。……[犯罪者であることを]やめる理由が何であるにしても,それは刑務所でのいかなる精神療法の成果でもない,と主張が続く」。彼らの主張によれば,「刑務所の目的は,短期間の,かつ快適な処罰を与えることである。したがって,彼らは,すべての受刑者が,刑務所に入る時にどれほどの期間服役しなければならないかを正確に知ることを望んでいる。カフカ流の[不条理な]更生のゲームをしないでもすむようになるためである」。―R・ニーリー判事著,「裁判が役に立たない理由」。
犯罪者は変化することができるか
それでも一部の犯罪者たちは,更生計画に喜んで協力してきました。ヨケルソンとセイムナウ両博士の計画では斬新な取り組み方がなされました。二人はこう伝えています。「我々の観点からすると,犯罪者の生活の仕方は一切残すべきではないということを我々は明らかにしている。しみの付いた古い衣服の上に新しい衣服を着るだけでは十分ではない。古い衣服は汚れたもの,病んだものとみなし,放棄し,処分しなければならない。犯罪者は古い型を除き去り,あらゆる点において責任を取るようになるべきである」。
聖書の中で使徒パウロも同じことを諭しています。「古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造した方の像にしたがって新たにされてゆくのです」― コロサイ 3:9,10。
変化が可能であるということは,神の王国を受け継げない者として,淫行の者,盗む者,ゆすり取る者などを挙げたあとにパウロ自身が述べた言葉によって裏付けられています。パウロはこう述べています。「とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。……わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって」。(コリント第一 6:9-11)今日,300万近い活発なエホバの証人がいますが,そのほとんどは考え方を変えなければなりませんでした。一部の人々は,その変化を遂げるまで犯罪者の生活を送っていました。
一つの実例は,「目ざめよ!」誌の1984年1月8日号に経験が掲載された元ダイヤモンド強盗の例です。この人は英国のロンドンに住む,犯罪を職業とする人でした。最終的に聖書研究を受け入れ,「新しい人格」を身に着けた時,警察に自首し,自分の犯罪を告白しました。刑務所で5年間服役したあと出所して更生した生活を送りました。それは容易なことだったでしょうか。その人はこう答えています。
「人生観を変えるのは容易ではありません。けんかを別にすると,今まで行なった最も厳しい肉体労働は洗車でした。今では1日8時間きちんと働かなければな……りません。私はこれまで日課なるものに煩わされることはありませんでしたが,今では秩序正しい生活の仕方が重要なものとなっています。鍛練と名のつくものはすべていつも軽べつして得意になっていましたが,今では自分の方法がいつも正しいわけではないという事実を受け入れることが必要になりました」。―9ページの「常習的犯罪者に関する分析」と比較してください。
しかしこの人は変化を遂げました。それは努力するだけの価値のあることでしたか。「これが簡単にできたなどと言うつもりはありませんが,それは確かに価値のあることでした」と当人は答えています。
しかし,聖書の原則に合わせるために生活を変えたいと思うようになる人がいるのはなぜでしょうか。それは,地上の楽園で永遠の命を得る機会のあることが強い動機になっているからです。イエスがご自分の傍らにいた死にかけていた犯罪者に,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と述べて約束された事柄がそれに相当します。(ルカ 23:43)もちろんこの悪行者は犯罪者として地上のパラダイスにとどまることはできません。悔い改め,人格を変化させた者とならなければなりません。
しかし,更生計画がどれほどの成功を収めようと,「馬を水際へ連れて行くことはできても,水を飲ませることはできない」という古い格言は今なお真実です。犯罪で生きてゆく人の大部分は変化することに関心を持っていません。では,世界の犯罪問題に関する答えは全くないのでしょうか。解決策は確かにあります。しかもそれは思い切った解決策です。
犯罪はどのように終わるか
聖書の示すところによると,人類に対する災いの増し加わる時は到来することになっていました。その災いの中にイエスは『不法の増加』を含めておられます。(マタイ 24:12)使徒パウロは,「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者……親に不従順な者……忠節でない者,自然の情愛を持たない者……自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者……となるからです」と預言しました。―テモテ第二 3:1-5。
人類は多かれ少なかれ常に犯罪と悪に悩まされてきましたが,世の腐敗した事物の体制の終わりに関連した聖書預言は1914年という決定的な年以後,顕著な成就を見るようになりました。(マタイ 24章,ルカ 21章,マルコ 13章,啓示 6:1-8と比較してください。)ですから,神の義の王国政府が地上の敵に対して行動を取り始める時が近づいています。その敵の中には,生活の道として故意に犯罪を選ぶ犯罪者が含まれています。『不義な者は神の王国を受け継がない』からです。―コリント第一 6:9。
では,もし人が喜んで変化を遂げないなら,ほかにどんな道がありますか。聖書はこう答えています。「悪を行なう者たちは断ち滅ぼされる……ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる」。そうです,間もなく宗教・政治・社会のいずれに関係したものであろうと,犯罪分子は地上からすべて一掃されてしまいます。地を清める神のハルマゲドンの戦争の際地上に生き残るのは,「エホバを待ち望む者たち」,「地を所有する者」だけです。「そして[彼らは]……豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだす」のです。―詩編 37:9-11。啓示 16:14,16。
これが唯一の方法です。聖書は,「邪悪な者は恵みを示されることがあっても,全く義を学びません。彼は正直の地で不正の行ないをし(ます)」と述べているからです。(イザヤ 26:10)「義の宿る」,神の「新しい天と新しい地」は,犯罪と罪という人類の問題に対する唯一の実現可能な答えです。そしてその体制には,義を選ぶ人々だけが住むのです。―ペテロ第二 3:13。
[10ページの拡大文]
「犯罪の根本原因をつかむことは,喜んで引き受ける人のあまりいない仕事,つまり社会秩序を大々的に建て直すことを意味する」
[11ページの拡大文]
「精神衛生の分野の非常に多くの人は,事実上,悪の問題に取り組んでこなかった」
[11ページの拡大文]
『犯罪者の生活の仕方は一切残すべきではない。犯罪者は古い型を除き去り,あらゆる点において責任を取るようになるべきである』
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