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  • エフェソスの使いへ
    『その時,神の秘義は終了する』
    • は,クシロンで,字義どおりには「木材」を意味します。ですから,それは果樹園の場合のように,「樹木」を意味するのかもしれません。その「命の木」から食べ続けるということは,その木のある場所,つまり,「神のパラダイス」で生き続けることを意味します。まさにエホバ神のおられるところで,エホバ神と交わりを共にしながら,パラダイスのような状態の下で生き,かつ住むという意味です。それはなんと壮大な考えではありませんか。それには,復活の時,彼らが死人から天の,霊の被造物によみがえらされることが必要です。(コリント第一 15:43-50)征服を遂げることに対するなんと壮大な報いでしょう。今日,霊的な事柄を取り入れることのできる耳を持つ霊的なイスラエル人にとって,み子イエス・キリストにある神の霊が,霊によって生み出される者たちから成る会衆に述べる約束を聞くことは,本当に価値あることなのです。

  • スミルナの使いへ
    『その時,神の秘義は終了する』
    • 第9章

      スミルナの使いへ

      1,2 (イ)スミルナはどこにありましたか。その都市はどんなことで有名でしたか。(ロ)スミルナの会衆に対するキリストの音信はどんな内容でしたか。

      栄光を受けたイエス・キリストが語りかける第二の会衆は,古代ローマのアジア州にあるスミルナの会衆です。この都市は,エフェソスの北方約50㌔の地点にある,エーゲ海沿いの湾に位置しており,使徒ヨハネが当時囚人として送られていたパトモス島からさらに離れた所にありました。スミルナにはティベリウス・カエサルの神殿があり,皇帝崇拝が盛んに行なわれていました。また,割礼を受けた生来のユダヤ人が相当の人口を占めており,彼らは使徒のキリスト教に反対していました。このスミルナ会衆に対して,ヨハネは何を書くように命じられたのでしょうか。それを読んでみることにしましょう。

      2 「また,スミルナにある会衆の使いにこう書き送りなさい。『最初であり,最後である者』,死んで,生き返った者がこう言う。『わたしはあなたの患難と貧しさを知っている ― しかしあなたは富んでいるのである ― また,自分がユダヤ人であると言いながら,実はそうではなく,むしろサタンの会堂に属する者たちによる冒とくを知っている。あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔はあなたがたのうちのある者たちを次々に投獄するであろう。それは,あなたがたが十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者は決して第二の死に損われることがない』」。

      3 (イ)スミルナ会衆の物質的および霊的な状態はどうでしたか。(ロ)クリスチャンが物質的に貧しいからといって,なにも非難される理由にはなりません。なぜですか。

      3 啓示 2章8-11節のこの言葉の中には,その「貧しさ」,つまり物質的な貧しさにもかかわらず,スミルナ会衆に対するとがめのことばは一言も出てきません。その物質的な貧しさは,霊的に富んだ状態によって相殺されていました。スミルナ会衆にとって,ラオデキア会衆のように,物質的には富んでいても霊的には貧しいという状態より,このほうが望ましいことだったのです。(啓示 3:17)人間として地上におられた時のイエスご自身,物質的には貧しい状態にありました。イエスの肉親であった異父兄弟のヤコブは,当時の霊的イスラエル人たちに次の矯正の助言を書き送りました。「わたしの愛する兄弟たち,よく聴きなさい。神は,世に関しては貧しい者を選んで信仰に富ませ,ご自分を愛する者たちに約束された王国の相続者としてくださったのではありませんか」。(ヤコブ 2:5)そのとおりです。そしてイエスの言葉によると,スミルナ会衆は,信仰と,神に対する良き業の面で富んでおり,それゆえに彼らは,引き続き神の天の王国の相続者だったのです。したがって,今日,キリスト教世界の僧職者たちが,エホバの証人の中にいる霊的イスラエルの残りの者たちが貧しいからといって非難するのは,当を得たことではありません。

      4 (イ)スミルナの生来のユダヤ人は,実際には「サタンの会堂」の者であることをどのように証明しましたか。(ロ)今日,スミルナのそれらユダヤ人の例に倣っているのはだれですか。

      4 スミルナにいた,割礼を受けた生来の,不信者のユダヤ人が,そこのクリスチャン会衆をどのように冒とくしたかは説明されていません。多分それは,ピシデアのアンティオキアやコリントで使徒パウロに浴びせかけられた冒とくと同じようなものだったのでしょう。(使徒 13:45; 18:6)それらの冒とく者は,生まれながらの,割礼によるユダヤ人であることを誇っていましたが,もはや真のユダヤ人ではありませんでした。なぜですか。なぜなら,内面のユダヤ人であること,心に割礼があることを証明しなかったからです。彼らは,スミルナ会衆のような霊的イスラエル人にはなりませんでした。そうした信じないユダヤ人は,地方の会堂に出席していましたが,エホバ神の会堂の者ではなく,「サタンの会堂」の者であり,彼らの冒とくがその事実を裏付けていました。彼らはエホバ神とそのメシア,イエスに逆らうことにより,サタンにくみする者となっていたのです。サタンという名は,「逆らう者」を意味するからです。彼らは,イエス・キリストがご自身の完全な人間の命を犠牲にすることにより仲介をされた,新しい契約には入っていませんでした。(エレミヤ 31:31-34。マタイ 26:27,28。ルカ 22:20。テモテ第一 2:5,6)同様に今日でも,霊的イスラエル人の残りの者は,単に霊的ユダヤ人と唱えるだけの僧職者たちから冒とくされても,意に介する必要はありません。

      5 (イ)スミルナ会衆はどんな事柄をすでに経験していましたか。それは彼らの物質的状態に疑いなくどんな影響を及ぼしましたか。(ロ)彼らはどのように,またどんな目的で,さらに苦しみを味わうことになっていましたか。(ハ)彼らが患難に遭う「十日のあいだ」とは,どんな意味があると考えられますか。

      5 1世紀の終わりまでに,古代スミルナの会衆は,疑いなく迫害の形を取った「患難」をひどく経験しており,そのため,物質的にいっそう貧しい状態に陥っていました。しかし,彼らはさらに患難を経ることになっていたのです。ですが,栄光を受けたイエスは,「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない」と言われました。どのようにいっそう苦しめられるのですか。「見よ,悪魔はあなたがたのうちのある者たちを次々に投獄するであろう」。こうして,彼らは十分に試されます。その目的が「十日のあいだ患難に遭う」ことなのですから,特にそう言えます。(啓示 2:10)文字どおりの十日間の患難また迫害は,集中的に襲うと非常に厳しいものとなり,明らかに,人の生涯においてそれで十分でしょう。しかし「十日」というのは,特に現代の適用においては,ひゆ的に理解すべきもののようです。「十」という数字は,啓示の他の七個所で,地的な総体性また完全性の象徴として用いられているので,「十日」というのは,地上における会衆の全日数を象徴していると考えられ,長くても,悪魔が縛られる時までの期間でしょう。

      投獄

      6 スミルナのクリスチャンはだれによって,またどんな理由で投獄されることになっていましたか。

      6 スミルナ会衆は,悪魔の手による投獄の苦しみを引き続き受けるが,それを恐れてはならない,という使徒ヨハネを通しての勧めの言葉を十分に受け入れることができました。彼自身パトモス島から,囚人としてその勧めを書いていたからです。悪魔は当然,人間の手先を使って彼らを投獄させます。投獄と看守の仕事に彼が使う人間は,悪魔のしもべです。クリスチャンが投獄されるのは,道徳上また政治上の違法行為のためではなく,偽りの告訴のためです。彼らが偽りの告発を受けていることは,悪魔によって投獄される,という言葉によって示されています。悪魔という名は,「そしる者」,「偽りの告発者」という意味であり,したがって,スミルナ会衆の成員たちは,クリスチャンとして無実の罪で投獄されるのです。それゆえ,いろいろな場合に投獄された時の使徒たちすべてと同じく,彼らは清い良心を保つことができます。

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