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サルデスの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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24 (イ)人はどのようにして,自分の名が「命の書」に試験的に書かれるようにしますか。(ロ)その人はどのようにして,自分の名が「命の書」に確かにとどめられるようにしますか。それを達成することは何を意味しますか。
24 そうした征服者すべては,とこしえに保護されるでしょう。キリストの足跡に従い,狭い門を通って,命に至る狭められた道を歩んできたので,試験的にではありますが,すでに自分の名を「命の書」に書かれています。(マタイ 7:13,14)征服者は,その狭められた道を歩み続け,クリスチャンの信仰と忠実さを通してこの世を征服することにより,自分の名をその「命の書」に確かにとどめてもらうことになります。主イエス・キリストは次の保証を与えておられます。「わたしは彼の名を命の書から決して塗り消さない」。その者の天の相続財産である命は,不滅性ですから,彼は限りなくとこしえに,王イエス・キリストのふさわしい共同者として,「白い外衣を着て」歩くことができます。これは,霊が諸会衆に述べることとして,「耳のある者」が聞くに価する知らせです。
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フィラデルフィアの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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第13章
フィラデルフィアの使いへ
1 (イ)フィラデルフィア市はどこにありましたか。同市およびそこで信奉されていた宗教に関し,顕著な点を幾つか述べなさい。(ロ)同市のユダヤ人はクリスチャン会衆に対し,「フィラデルフィア」という名にふさわしい行動をしていましたか。
栄光を受けたイエス・キリストは今度は,サルデスの会衆からフィラデルフィアの会衆に注意を向けます。フィラデルフィアは,サルデスの南東50㌔,また,使徒ヨハネが同市の会衆に対する特別の音信を与えられたパトモス島から約200㌔離れた所にありました。今日,そこはアラセヒル(丘陵から後方部にかけて“赤味がかった都市”)と呼ばれています。その地方には何度か地震があり,ヨハネの時代のフィラデルフィアは,西暦17年の地震後,ローマ皇帝ティベリウス・カエサルが再建した都市で,ローマ硬貨に新カエサレアとして刻まれたこともあります。そこはぶどう酒の生産地にあったため,偽りの神バッカスつまりディオニュソスがその主神となっていました。それは,「エホバに逆らう強力な狩人」,後にタンムズとして崇拝者がそのために泣いたニムロデに相当します。(創世 10:8-10,新。エゼキエル 8:13,14)古代都市フィラデルフィア,つまり「兄弟の愛情」の都市には,クリスチャン会衆の外にユダヤ人が住んでいましたが,記録によると,割礼を受けた生来のユダヤ人は,クリスチャン会衆に対してほとんど兄弟の愛情を示しませんでした。
2,3 キリスト・イエスはフィラデルフィアの会衆に関しどんな見解を示されましたか。
2 西暦1世紀の終わり近く,フィラデルフィア会衆に対し,人間の観点からではなく,キリストの観点から,どんな見解が示されたでしょうか。それは,会衆の地的監督に送るよう使徒ヨハネに告げられた音信の中で,次のように述べられています。
3 「また,フィラデルフィアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。聖なる者,真実なる者,ダビデの鍵を持つ者,開けてだれも閉じぬように,閉じてだれも開けぬようにする者がこう言う。『わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたは少しの力があり,わたしのことばを守って,わたしの名に不実な者とはならなかった。見よ,わたしは,ユダヤ人であると言いながらそうでなく,偽りを語る,サタンの会堂の者たちを与える ― 見よ,わたしは彼らを来させてあなたの足もとに敬意をささげさせ,わたしがあなたを愛したことを悟らせる。あなたがわたしの忍耐に関することばを守ったので,わたしもあなたを,地に住む者たちを試すため人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る。わたしは速やかに来る。自分が持っているものをしっかり守りつづけ,あなたの冠をだれにも取られないようにしなさい。
4 フィラデルフィア会衆に対する最後の言葉で,キリストは征服する者に何を約束されましたか。
4 「『征服する者 ― わたしはその者をわたしの神の神殿の中の柱とし,彼はもはやそこから決して出ないであろう。そしてわたしは,わたしの神の名と,わたしの神の都市,すなわち天からわたしの神のもとから下る新しいエルサレムの名と,わたしの新しい名をその者の上に書く。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』」― 啓示 3:7-13。
5 (イ)キリストがご自分を「聖なる者,真実なる者」と言われることにはどんな意義がありますか。(ロ)神聖さを守り通したことにより,彼はご自分の父からどんな職務を与えられましたか。
5 この音信を油そそがれたクリスチャンに送る,栄光に輝く天の者は,信頼に値します。そのかたは「聖なる者,真実なる者」だからです。他のユダヤ人が,信仰の欠如のゆえに,その「聖なる」かたイエス・キリストから離れて行こうとした重大な時に,ユダヤ人の使徒ペテロは彼にこう言いました。『わたしたちは,あなたが神の聖なるかたであることを信じかつ知るようになりました』。(ヨハネ 6:69)後日,イエス・キリストが天で栄光を受けた後の迫害の期間,エルサレムのクリスチャン会衆全員は,宣べ伝える特権をさらに願い,エホバ神に祈りをささげましたが,そのとき彼のことを聖なる者として語りました。「また,いやしのためにみ手を伸ばしてくださり,あなたの聖なるしもべイエスの名によってしるしや異兆が起きますように」。(使徒 4:23-30)その神聖さゆえに,彼は神の大祭司つまり,『忠節で,偽りも汚れもなく,罪人から分けられ,もろもろの天よりも高くなられ……わたしたちの必要にかなった』者とされたのです。―ヘブライ 7:26。
6,7 (イ)キリストが「ダビデの鍵を持つ者」であるとはどういうことか説明しなさい。(ロ)王の家の鍵を持つ者にはどんな権威が与えられましたか。(ハ)ローマの司教,あるいは地上でキリストを代表すると自称する者のうち,「ダビデの鍵」を所有したり使ったりしたことのある人がいますか。
6 栄光を受けたイエス・キリストは,聖なる者でありながら同時に,悪魔のように不実かつ偽り者ではあり得ません。それで,彼はフィラデルフィア会衆にご自分を明らかにするさい,自分がだれか,また何かについて真実を語られます。ご自分を「ダビデの鍵を持つ者,開けてだれも閉じぬようにし,閉じてだれも開けぬようにする者」,と言い得る聖書的な根拠は十分にあります。(啓示 3:7)ヨハネへのこの啓示の中でここで初めて出て来るダビデとは,栄光を受けたイエスのことを「ダビデの根」,さらに「ダビデの根また子孫」と述べている聖句に記されている,そのダビデのことです。(啓示 5:5; 22:16)つまり,エホバ神が永遠の王国に関して契約を結ばれたエルサレムの王,昔のダビデのことです。(サムエル後 7:4-29)イエスは,ダビデ王家の処女マリアから人間として生まれることにより,ダビデの王統の子孫となりました。(マタイ 1:1-25。ルカ 1:26-38; 2:1-21; 3:21-31。ローマ 1:1-4)そして,殉教の死に至るまで神に忠実であることにより,イエス・キリストは永遠の王国に関してダビデの永久相続者となりました。それゆえに,ダビデ王が持っていた,またそのダビデが忠実なしもべに託す「鍵」を持っておられるのです。
7 したがって,イエス・キリストがイザヤ書 22章22節の言葉を引用されたのは当を得たことでした。その個所でエホバ神は,エルサレムの王の信任を得ていたしもべエリアキムに触れ,こう言われました。『我またダビデのいへの鍵をその肩におかん 彼あくればとづるものなく彼とづればあくるものなし』。つまり,鍵を持つこのしもべは,ダビデ王の家に対して大いなる権限と権威の備わった重大な責任を担っていたのです。王は彼に開ける権威と閉じる権威を与えました。ここで注意すべき点は,この啓示がヨハネに与えられた時,栄光を受けたイエス・キリストは,「ダビデの鍵」が,マタイ 16章18,19節の言葉の語られた,使徒シモン・ペテロの使徒職継承者としての,異教都市ローマの司教のだれかの手中にあるとは言われなかったことです。開けまたしっかりと閉じる「鍵」によって象徴される権威を備えた「ダビデの鍵」の所有者は,地上でキリストを代表すると自称する者たちではなく,天のイエス・キリストご自身なのです。
8 (イ)フィラデルフィア会衆の前に,『だれも閉じることのできない開かれた戸』を置いたのはだれですか。(ロ)1919年,だれが忠実な残りの者の前に「開かれた戸」を置きましたか。ローマの教皇はそれに関してどんなむなしい試みをしましたか。
8 フィラデルフィア会衆の前に,『だれも閉じることのできない開かれた戸』を置いたのは,使徒のシモン・ペテロでも,異教ローマのいわゆる,ペテロの使徒継承者でも,または使徒ヨハネでさえもありません。それは,「ダビデの根また子孫」である,栄光を受けたイエス・キリストであり,彼はフィラデルフィア会衆の監督に次のように語られました。「わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたには少しの力があり,わたしのことばを守って,わたしの名に不実な者とはならなかった」。(啓示 3:8)同様に,戦後の1919年,油そそがれたクリスチャンの忠実な残りの者たちの前に,『だれも閉じることのできない開かれた戸』を置いたのは,ローマの教皇ベネディクトゥス十五世(西暦1914-1922年)などではありません。事実,ローマとバチカン市の教皇は,その「開かれた戸」を閉じることができないでいます。なぜなら,その象徴的な「戸」は実際には,教皇や,他の単なる人間によってではなく,主イエス・キリストによって開かれたからです。
9 (イ)その「開かれた戸」は,フィラデルフィア会衆をどんな特権と機会に招き入れましたか。(ロ)『あなたには少しの力がある』というキリストの言葉は,どんな意味を持っていましたか。
9 1世紀当時,その「開かれた戸」がフィラデルフィア会衆をどんな特権と機会に招き入れたかは,今日正確には分かりません。しかし,それが象徴的な黄金の燭台としてのさらに多くのクリスチャン活動へ通ずるものであったことは明らかです。なぜなら,栄光を受けたイエス・キリストは,「戸」について話すに先立ち,会衆の監督に,「わたしはあなたの行ないを知っている」と言っておられるからです。彼は,会衆が「開かれた戸」を通り,新しく開かれた特権と機会を捕らえることができるのを知っておられました。なぜなら,フィラデルフィア会衆に語られたように,「あなたには少しの力」があるからです。政治的な力ですか。いいえ。恐らくそれは,フィラデルフィアの人びとに対する影響力のことでしょう。そして間違いなく,忠実なクリスチャンとしてすでに耐え忍んできたことに加え,なおも前進し続けようとするクリスチャンの献身と勇気また能力という力を指しているものと思われます。
10 終戦直後の1919年当時,この世に対する政治的な力に関し,忠実な油そそがれた残りの者はどんな立場にありましたか。
10 第一次世界大戦の終了した1918年,そして戦後の始まった1919年当時,イエス・キリストに追随する,油そそがれた忠実な残りの者は,政治的な力も,政治家,判事,軍人またキリスト教世界の僧職者との“手づる”もありませんでした。国際的な流血行為に直接加わる代わりに,キリストによる神の王国を宣べ伝えようと誠実な努力をするために迫害される,宗教的少数団体でした。「事物の体制の終結」に関するイエス・キリストの預言どおり,彼らはまさしく,「わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的」とされました。(マタイ 24:3,9)ものみの塔聖書冊子協会により出版された彼らの聖書文書は,いろいろな国で全部またはその一部が禁書にされ,彼らの多くは,軍の収容所や強制収容所また刑務所に拘禁されました。ものみの塔協会の会長,会計秘書それに他の六人の著名な代表者は,後に法廷で破棄されることになった,戦時の偽りの告訴に基づき,アメリカ,ジョージア州アトランタの連邦刑務所に,1919年3月25日に至るまで拘禁されました。
11 フィラデルフィア会衆の持っていた「少しの力」とは何ですか。彼らはどのようにそれを使いましたか。
11 古代フィラデルフィアの会衆とその「使い」が,「開かれた戸」を与えられた時に持っていた「少しの力」とは,イエス・キリストの次の言葉どおりに行動する力だったのです。あなたは「わたしのことばを守って,わたしの名に不実な者とはならなかった」。彼らは,キリストの言葉,またキリストによって与えられた教えと命令を守り,それに付き従いました。クリスチャンであることを,言葉によっても,生き方によっても否定しなかったのです。クリスチャンが話し,考え,行ない,また宣べ伝えるべき方法に反する行動を取って,キリストの名に不実な者とはなりませんでした。したがって,今や「開かれた戸」を通って入った後においても,彼らはそうした態度を保ち続けるものと期待されました。
「開かれた戸」
12 油そそがれた残りの者たちは,第一次世界大戦後の時期が始まったとき「少しの力」を持っていましたが,それは大戦の期間中およびその直後に彼らが何をしたためですか。
12 第一次世界大戦の迫害と困難な状況を生き残った,試練を受け試された,油そそがれたクリスチャンの残りの者に関しても同様なことが言えます。本になった「終了した秘義」(英文)とその雑誌版(1918年3月1日特別号の「ものみの塔」),および「聖書研究者月刊」として知られていた一連の小冊子の配布は,1918年3月以降中断されていましたが,油そそがれた残りの者たちは,月二回刊行される彼らの公式雑誌「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」を,一号も欠かさずに出版し続けました。1919年4月13日,日曜日の夜,彼らは主イエス・キリストの命令に従い,全人類に対する贖いの犠牲としての彼の死を記念して主の夕食を祝いました。彼らは,理解できる範囲においてキリストの言葉を守ろうと努めたのです。自分たちのことを人間の指導者に追随する一宗派であるとする敵の非難を否定はしても,キリストの名を否定したり,キリストを否認したり,その名に故意に不実な者となったりしたことは一度もありません。彼らは,天の王国においてキリストと早く結ばれたいという希望をしっかり抱き続けました。その結果,戦後の時期が始まったとき,「少しの力」を持っていたのです。
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