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フィラデルフィアの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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33 (イ)イエス・キリストの「新しい名」の創始者また与え主はだれですか。(ロ)キリストの「新しい名」を書かれることは,14万4,000人にとって何を意味しますか。(ハ)彼らは征服者となるがゆえに,どんな三重の方法で報われますか。
33 当然,神エホバは,キリストの天的な「新しい名」をご存じです。それを彼に与えたのは神だからです。イエス・キリストは定めの時に,この「新しい名」を14万4,000人の共同相続者の上にいわば書くことにより,彼らとそれを分け合います。その「新しい名」を自分の上に書かれることは,彼の共同者とみなされ,神との新しい天的関係におけるイエス・キリストに属する者である,という意味です。天と地の他のいかなる被造物も,イエス・キリストが神エホバと持たれる極めて個人的かつ親密なこの新しい関係を分け合う特権にはあずかりません。このように名を記される14万4,000人のクリスチャン征服者は,天的な父である神の名,み子イエス・キリストの名,天の都である新しいエルサレムの名を帯びます。このようにして彼らは,霊が諸会衆に述べたことに注意を払う征服者となった報いとして,三重の仕方で,この上ない誉れを与えられるのです。
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ラオデキアの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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第14章
ラオデキアの使いへ
1 ラオデキア市はいつ創建されましたか。その名は何に由来していますか。
ラオデキア市は,セレウコス・ニカトル将軍の孫で,セオスつまり「神」と呼ばれるようになった,セレウコス王朝の支配者アンティオコス二世の妻の名を取って命名されました。彼は西暦前3世紀に同市を創建し,その名をラオデキアと呼びました。a
2 (イ)ラオデキアはどこに位置していましたか。そこは何で有名でしたか。(ロ)いつごろからラオデキアには会衆がありましたか。
2 ラオデキア市は小アジアの西方に位置しており,地の利を得ていたので,富んでいました。製造都市,また金融の中心地でもあり,同市で金融業に携わる人びとは,全ローマ帝国と取り引きをしていました。医術の神アスクレピオスの崇拝でも有名で,それにふさわしく医術の学校があり,さらに,フリギア粉として知られる有名な目薬の製造が行なわれていました。しかし同市には永久的な水の供給源がなく,かなり遠くにある温泉から管で水を送らねばならず,そのため市の境界に届くころには,水は生ぬるくなっていたことと思われます。ラオデキアは道路によって,「アジア地区にある七つの会衆」の二つの所在地であるエフェソスとペルガモンに通じていました。(啓示 1:4,11,20; 2:1,12)使徒パウロがコロサイのクリスチャンに手紙を書き送った西暦60-61年ごろには,ラオデキアに会衆が存在していました。―コロサイ 2:1; 4:13-16。
3-5 (イ)ラオデキアの会衆はその存在中に使徒の手紙を受け取ったことがありますか。(ロ)ラオデキアの「使い」に対するキリストの音信は,ラオデキア会衆の状態について何を明らかにしていますか。
3 創設以来数十年を経る間に,物質的に繁栄していたラオデキア市の会衆は,霊的にはなはだしい衰退を経験しました。使徒ヨハネがその会衆の「使い」つまり監督に送るよう指示された手紙は,「ラオデキアの人たちの会衆」が使徒パウロから受け取った手紙とは,大変異なったものであったに違いありません。(コロサイ 4:16)西暦96年ごろに「アジア地区にある七つの会衆」に口述筆記された手紙の七番目にあたる,この最後の手紙には,ラオデキアの「使い」をほめることばは少しも見当たりません。使徒ヨハネは次のように告げられました。
4 「また,ラオデキアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこう言う。『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。このように,あなたがなまぬるく,熱くも冷たくもないので,わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは,「わたしは富んでおり,富を作ったのだから,何一つ必要なものはない」と言いながら,自分が惨めで,衰れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない。だから,わたしはあなたが,富んだ者となるために火で精錬された金を,また,身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を,そして見えるようになるため自分の目に塗る目薬をわたしから買うように勧める。
5 「『すべてわたしが愛情をいだく者を,わたしは戒め,また懲らしめる。それゆえ,熱心になり,そして悔い改めなさい。見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら,わたしはその者の家にはいって彼と,そして彼はわたしと晩さんを共にするであろう。征服する者には,わたしとともにわたしの座にすわることを許そう。わたしが征服して,わたしの父とともにその座にすわったようにである。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』」― 啓示 3:14-22。
6 (イ)スミルナの会衆と比較して,ラオデキア会衆は物質的にどんな状態にありましたか。(ロ)ラオデキア会衆は何を必要としていましたか。
6 物質的には貧しくても,霊的に富んでいたスミルナ(北西約180㌔)の会衆とは極めて対照的に,ラオデキア会衆は物質的には富んでいたものの,霊的には貧しい状態にありました。ラオデキアの金融業者の扱う文字どおりの金,土地の衣服商の製造する光沢のある黒い羊毛の衣,土地の医者が作る肉眼のための錠剤また粉薬,近くにあるヒエラポリスの温泉から出る薬効のある熱湯,といったものの代わりに,ラオデキア会衆はそれらに類したものを霊的な意味で必要としていたのです。人格を富ませる真のクリスチャンの金,非の打ちどころのないクリスチャンとしての外見を与える白い外衣,つまり,裸のように恥ずべき点,クリスチャンとして不適当な点の全くない外衣を必要としていました。また,聖書の真理とクリスチャンの責任に対する盲目状態を取り去るため,霊的な目薬を塗ってもらう必要がありました。会衆はそうしたものを,戸をたたいておられるかたを暖かく迎え入れてもてなすなら,そのかたから買うことができるのです。会衆は,快い刺激を与えるように熱いか,気分をさわやかにさせるように冷たいかのどちらかであるべきであり,生ぬるい状態にとどまっていてはなりませんでした。
7 (イ)第一次世界大戦後,キリスト教世界は物質的にどんな状態にありましたか。(ロ)キリストに属しているとの主張ゆえに,キリスト教世界はどんな問いに直面しましたか。
7 戦後の西暦1919年における,キリストの会衆の油そそがれた残りの者たちの場合も同様でした。当時,献身し,バプテスマを受けたクリスチャンの油そそがれた残りの者たちと,分派主義的キリスト教世界の単なる自称クリスチャンとが,真のキリスト教に関係ある事柄を正しく評価することは緊急に必要でした。四年以上に及んだ第一次世界大戦にもかかわらず,キリスト教世界は物質的に依然富んでおり,戦後も引き続き金銭,土地,財産,政治権力の面で富を増やそうとしていました。しかし,真のクリスチャンの霊的な富に関して富んでいたでしょうか。今度はそうした富を求めるでしょうか。キリスト教世界は,血なまぐさい第一次世界大戦に対して責任を負っており,それを支持することにより宗教上の外見を著しく汚していました。使徒的な聖書の教え,規準また原則に合うよう,宗教上の外見を清めるでしょうか。この世的なやり方を悔い改めるでしょうか。人間の作り出した伝統と聖書の真理との相違が見えるよう,また,今成就している聖書預言とその意味,そして神がクリスチャンに地上で何をすることを望んでおられるかが分かるよう,霊的な「目薬」を塗ってもらおうとするでしょうか。
8 (イ)真の油そそがれた残りの者たちは,この時どんな立場にありましたか。(ロ)彼らは何を望み,何を必要としていましたか。
8 キリスト教世界から離れており,別の存在であるとはいえ,油そそがれた残りの者も,この「終わりの時」における同じ問題に直面しなければなりませんでした。(ダニエル 12:1-4,新)第一次世界大戦当時の迫害や試練また危険な事態のために生じたかもしれない霊的な生ぬるさを,彼らは即刻取り除かねばなりません。キリストは,キリスト教世界を我慢できないものとして,口から吐き出されるかもしれません。が,それはそれとして,油そそがれた残りの者たち自身は,神のご意志と業,また,この「終わりの時」に神が啓示される真理に対して生ぬるくなり,それゆえにキリストから吐き出されることがないようにと望みました。彼らは,第一次世界大戦によってひどく傷めつけられた現在の事物の体制の再建に世界が取り掛かったさい,時を同じくして始まった物質主義的な時代に,決して屈するようなことはありませんでした。油そそがれた残りの者の成員がその時までに持っていたかもしれない,いくばくかの物質的な富は,立派なクリスチャンに必要とされるすべてであるかのように頼みとすべきものではありません。彼らは霊的に貧しかったでしょうか。キリストの忠告を聞き入れ,彼から真の富すなわち,前途の火のような厳しい時にも耐え得る「火で精錬された」,クリスチャンの「金」を買うことを必要としていたでしょうか。そうするのは安全なことでした。
9 (イ)その時キリストの霊的兄弟たちは,どのように「裸の恥」を幾らか現わしていましたか。(ロ)彼らはどのような方法で白い外衣を「買う」べきでしたか。
9 さらに,クリスチャンの主張と実体に関する,残りの者の外面の衣はどうでしたか。それは第一次世界大戦中の妥協や失敗により幾分汚れていました。古代ラオデキア会衆またその「使い」と同じく,「裸の恥」が幾らか現われており,彼らは神の前でそれを悔い改めねばなりませんでした。そうした裸の状態を除くために,残りの者は栄光を受けたイエス・キリストから,とがめられるところのないクリスチャンであることを表示し,明らかにする霊的な「白い外衣」を買う必要がありました。どのようにしてそうした白い外衣を「買う」ことができますか。物質の金によってではなく,キリストの模範に対する献身を再び燃え立たせることにより,また,世の政治および軍事上の闘争のさなかにあって,真のクリスチャンの中立を守り通す決意をすることによってです。歴史が示すとおり,彼らはそうした行動を取りました。20年後に始まった第二次世界大戦の期間中,またその後の闘争においても,彼らは「白い外衣」を汚しませんでした。
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