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汚染された地にある霊的なパラダイス世の苦難からの人間の救いは近い!
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49 イザヤ書 35章7節で予告されていた通り,エホバがその民を祝福する結果,ほかにどんな事が生ずることになりましたか。
49 霊的なイスラエルの回復された残りの者の上に神が祝福の雨を降り注がせた結果として,イザヤの預言の喜ばしい特色となる事柄がさらに彼らの眼前で比喩的な意味でよみがえりました。「暑さで干上がった地は葦の茂る池のように,渇いた地は水の泉のようになる。ジャッカルの住みか,彼らの休み場には,青草が葦やパピルスの水草と共にあるであろう」― イザヤ 35:7,新。
50 (イ)「ジャッカル」のことが指摘されると,何を連想しますか。(ロ)『青草が葦やパピルスの水草と共に』ある様子はどんな変化を示唆していますか。
50 ジャッカルのことが指摘されると,廃墟の光景が思い起こされます。ジャッカルは淋しい荒れ地や砂漠のような所にさえ住む,腐肉を食べる一種の野生の犬です。その存在は乾燥した不毛の地のような所を連想させます。そのような乾燥した状態のままであれば,ジャッカルの住みかや休み場は人間が生活するには望ましくない場所となり,人が住んでいれば,水を,泉を,雨を叫び求め,祈り求めるでしょう。その種の灌漑が施されれば,くぼ地は葦の茂る池となり,そこにはパピルスの水草さえ生え,かつての砂漠の平野も青草のじゅうたんで覆われることになるでしょう。人間も移って来るでしょうし,もはやジャッカルのもの悲しい鳴き声やほえる声が深まる夜の闇に無気味さを添えることはないでしょう。西暦前537年にこのような驚くべき変化が始まったのです。
51,52 (イ)預言のこの部分は,流刑に処されたユダヤ人の故国の場合,どのように成就しましたか。(ロ)同様に,西暦1919年以来,何が起きてきましたか。
51 北方の道から下って来たバビロニア人によりユダ王国の地が荒廃させられる前に,預言者エレミヤはその到来の結果もたらされる事態を予告して言いました。「聞けよ,うわさのあるのを。見よ,北の国から大いなる騒ぎが来る。これはユダの町々を荒らして〔ジャッカル〕の巣とする」。また,彼はエホバの代弁者としてこう言います。「わたしはエルサレムを荒塚とし,〔ジャッカル〕の巣とする。またユダの町々を荒して,住む人もない所とする」。―エレミヤ 10:22; 9:11,口語〔新〕。
52 従って,流刑に処されたユダヤ人がバビロンを去り,人の住まぬ荒れ地として七十年横たわっていた故国に帰って来た時,そこにあったジャッカルの巣,その住みかや休み場は,周囲に葦やパピルスの水草が茂り得る穏やかな池のある,草の茂る所に変えられねばなりませんでした。それで,復帰させられたユダヤ人は荒れ地を征服し,ジャッカルは出て行きました。同様に,比喩的に言って,西暦1919年以降,霊的なイスラエルの解放された残りの者の霊的状態の外観は変化を遂げ始めました。その時以来,彼らの霊的な状態の汚染の原因として発見されたものはみな,除かれて清められました。しかし,世の諸国民は,かつてなかったほどに地球を汚染させています。こうした世界的汚染にもかかわらず,ご覧なさい,霊的なパラダイスはエホバのクリスチャン証人によって,神の祝福のもとで,またそのみ名に誉れを帰すものとして世話されてきました。
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霊的なパラダイスへの「神聖さの道」世の苦難からの人間の救いは近い!
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9章
霊的なパラダイスへの「神聖さの道」
1 西暦前537年にバビロンを去ったユダヤ人の流刑囚たちの前にはどんな見込みがありましたか。
文字通りの意味でのパラダイスのような地! これこそ西暦前537年にバビロンを去ったユダヤ人の流刑囚たちが荒廃久しい自分たちの故国を変化させたいと望んだ姿でした。彼らの前には,自分たちの故国に関して預言者イザヤが次のように述べた輝かしい言葉の成就をはっきりと理解できる見込みがありました。「荒野と水のない地域は歓喜し,砂漠の平野は喜び,サフランのように花咲く。必ずそれは花咲き,本当に楽しみと喜ばしい叫びをもって喜ぶ。レバノンの栄光がそれに与えられねばならない。カルメルやシャロンの輝きも。そこにはエホバの栄光,わたしたちの神の輝きを見る者たちがいる」― イザヤ 35:1,2,新。
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