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目ざめよ! 1980
目80 7/8 6–8ページ

人間 ― 造られてからどうなったか

「神は人間を廉潔に造られたが,人は多くの計画を捜し出した」。「彼らは自分たちの方で滅びをもたらすことを行なった。彼らはその子供ではなく,欠陥は彼ら自身のもの」。―伝道 7:29; 申命 32:5,新。

遊園地には,湾曲した鏡を置いているところがあります。そうした鏡に映る物はゆがんで見えます。人々はその前に立ち,そこに映る姿を見て笑います。頭部は細長く見え,胴は短くずんぐりとし,両脚は実際の長さの三倍にも見えます。鏡に近づいたり,離れたりすると,ゆがみ方が変わります。それでも,映る像が実際の体つきと同じになることはありません。もしその恐ろしくゆがんだ姿が本当に自分を映し出したものであるとしたなら,わたしたちは望みを失って,泣き悲しむでしょう。しかし,それはすべて遊びであって,わたしたちはそこに立ち,ポーズを取り,鏡に映るこっけいな姿を見て笑います。その鏡には体全体が映っていますが,非常にゆがんでいます。

わたしたち自身の像で,釣り合いの取れていない像がほかにもあります。しかし,これは実像であり,決して笑い事ではありません。それは内奥の自己,自分の内面の人,「心の中の秘められた人」の像です。(ペテロ第一 3:4)この像はエホバ神の属性を表わすはずです。人間は当初,その方に似た様で創造されました。人間にはまだ神の属性が残っていますが,湾曲した鏡に映った体の像のように釣り合いが取れなくなっています。

エホバ神は最初の人間夫婦を造られた際,ご自分の属性,ないしはそれを培う能力を賦与してくださいました。目的を持ち,目標を目指して働くには,公正と愛,知識と知恵,そして力などの特質が必要とされました。最初の人間は人生に目的と意義を与える仕事を割り当てられていました。そして,その仕事を成し遂げるだけの能力を備えていました。(創世 1:28; 2:15,18)また,二人は自由意志を持っていたので,自分の好む道を選択できました。―ヨシュア 24:15。

アダムとエバは廉潔な者として創造され,命を意味する道を示されてはいましたが,『別の計画を捜し出し,自分たちの方で滅びをもたらすことを行ない,欠陥を持つようになった』のです。(伝道 7:29; 申命 32:5,新)二人は選択の自由を誤用しました。エバは利己的な仕方で知識を強奪しようとして,愚かにも神に不従順を示しました。この不従順は,命を与えてくださった方に対する愛の欠如の表われです。「そのおきてを守ること,これがすなわち神への愛……です」。(ヨハネ第一 5:3)エバの反逆を支持するために,アダムはエホバへの愛を脇へ押しやりました。二人が与えられた神の属性はもはや釣り合いの正しく取れたものではなくなり,二人は不備なところのある,不完全な者になってしまいました。そして,神の警告どおり,死の判決を受け,子孫に不完全さと死を伝えました。―詩 51:5。ローマ 5:12。

しかし,その子孫は今日でも,ある程度まで神のそうした属性を有しています。例えば知識欲があります。小さな子供でさえ,知識に飢えています。口がきけるようになるやいなや,その頭脳からは泉のように質問がわき出てきます。子供は答えを求め,思考の糧を切望します。この果てしなく続く質問に大人は目を見張り,時には途方に暮れ,いきり立ち,ついには疲れ果ててしまいます。しかし矢つぎ早の質問を浴びせるのは,自然に起きる好奇心や知識欲を満たすためです。これはどうしてなの。あれはどうしてなの。なぜ,どうして,なぜ。こうたたみかけられると,質問を浴びせられた方の親は,しまいに,やけを起こし,「お母さんに聞いておいで!」とか,「お父さんに聞いてきなさい!」と言って,悲鳴を上げるでしょう。しかし,幼い子供のこうした好奇心はいとうべきものではなく,年老いた人もこの好奇心を失うべきではありません。それは,知るというわたしたちの生来の必要を満たすためのものです。

「知識のある者は力を補強するもの」。(箴 24:5,新)今日までの知識の積み重ねの結果,人間には鳥よりも高く,速く飛ぶ力があり,どんな動物よりも早く陸路を走り,魚よりも早く水中を進む力があります。人間は地球の裏側で起きている出来事を見聞きできます。また,月まで行って,帰って来ました。わたしたちは力に魅せられます。クレーンが鋼鉄の玉を古いれんが造りの建物の横腹にぶつけて,その建物を跡形もなく取り壊してしまうのを見ると,心を奪われます。突進するサイ,ジャングルの中を一気に駆け抜けるゾウ,空を走る稲妻,轟く雷鳴,嵐にもまれる海 ― わたしたちはこのような力に畏怖の念を抱きます。

人間には公正の感覚があります。子供でさえ不公正には敏感で,自分たちが公平に扱われなかったと感じると,非常に気分を害します。大人も,不公正な仕打ちを被ると,正当なこととして憤りを覚えます。物語の中では,正義が勝利を収め,正義の味方が勝ち,悪者が公正に照らして当然の懲罰を受けてほしいと願います。自分のまいているものを刈り取るというのも全く公正なことです。わたしたちが自分にして欲しいと思うとおりに,他の人に行なうのは,公正で公平なことです。(ガラテア 6:7。マタイ 7:12)神の律法を持たない人々にさえ,生まれながらに正邪の感覚,および自らをとがめたり,釈明したりする良心が備わっているのです。悪いことをすると,わたしたちは罪悪感を抱きます。罪を犯したときに身を隠したアダムやエバと同じです。―創世 3:8-10。

多くの人は知恵を得たいと願い,研究と黙想を通してそれを得ようとします。人間の場合,他の多くの地上の生物と異なり,生まれつき知恵があるわけではありません。中には人間を驚かせるような知恵を持っている動物がいます。そうした動物は本能に従って,渡りをし,冬眠や夏眠をし,建設作業をし,知恵を反映する他の様々な活動に携わります。聖書は,「それらは生まれつき賢い」と述べています。(箴 30:24,新)しかし,人類には知識を習得し,それを賢明な仕方で用いる能力があります。人間は黙想によって,洞察と理解を得ます。こうした柔軟性に富む知恵を持っているのは,地球上の全被造物の中で人間だけです。

エホバは目的を持たれる神です。そして,人間は人生の目的を必要としています。もし目的がないと,また自分の人生に意味がないと,苦悩することになります。目的を成し遂げるには人間は働かなければなりません。働くと,自分が有用であると感じます。神は人間を働くものとして造り,「エデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせ」て,なすべき仕事をお与えになりました。人間が「自分のすべての勤労によって善を見る」ことは,エホバの賜物です。(創世 2:15; 伝道 3:13,新)仕事の出来栄えは働き手の反映であり,働き手の価値を証しします。仕事が立派に成し遂げられ,完了し,目的が成就するのを見ると,満ち足りた気持ちになるものです。エホバはご自分の創造の業を非常に良いと宣言され,その成し遂げられた事柄によってさわやかな気分になられました。―創世 1:31。出エジプト 31:17。

何よりも,人は愛を必要としています。愛し,愛される必要があるのです。さもないと,心の中が干上がってしまいます。身体面では十分の世話を受けた子供でも,愛されないと,成長が止まり,死んでしまうことさえあります。大人も愛されないと,孤独を感じ,意気消沈し,落胆しきってしまいます。「人の霊はその人の病状に耐えることができる。しかしひしがれた霊については,だれがそれを忍ぶことができようか」。(箴 18:14,新)愛はすべての事に耐え,すべての事を忍耐します。愛がないと,生活の大半は耐えられない,忍耐できないものになります。(コリント第一 13:7)この多事多難な時代にはよく物不足のことを耳にしますが,地球上で一番不足しているのは愛です。精神科医の話では,今日の精神病のほとんどの背後に愛の不足がある,とのことです。

このことが分かったので,人間は何に動かされて行動するのか,という質問の答えを見いだす次の段階に進めます。人間の生来の必要が満たされないと,必ず問題が起こります。自動車は特定の必要を持つものとして設計されています。その必要が満たされないと車は走りません。必要が満たされるとしても,それが十分でないと,車は走っても,きちんと走りません。人間も同じです。最初の人間夫婦は満たされねばならない特定の必要を持つものとして造られましたが,今日の人間もその同じ属性を有しています。そうした必要が満たされなかったり,部分的にしか満たされなかったりすると,人間という信用のおけない機械も正しくその機能を果たしません。時として逆上し,信じがたいほど冷酷なことをやってのけます。

湾曲した鏡が人体を異様な姿に映し出すのと同じく,ゆがんだ人格は人間の特質を,ねじ曲げられ歪曲された形で明らかにします。公正・愛・知恵・力などの神の属性はいまだに人間に備わっています。しかし,不完全であるため,それらの特質が働く際に釣り合いが取れなくなっているのです。これらの特質に関して,人間は平衡を保てない者になってしまいました。

[7ページの拡大文]

神の律法を持たない人々にさえ,生まれながらに正邪の感覚が備わっている

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