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塔69 7/15 436–442ページ

あなたの宣教が成功するのはなぜか

「エホバが…命じた規定と法の定めとを遵守すれば,あなたは成功するであろう」― 歴代上 22:13,新。

1 多くのクリスチャンにかんする聖書の説明とは対照的に,今日,人の成功はどのように判断されますか。

今日,人の成功は,その人が生涯の間にどの程度の教育をうけ,金をもうけ,人気を得,または技術を身につけたか,という点から判断されます。キリスト教の宣教において成功するために,神がこのうちのひとつも,多く要求されないということは,わたしたちにとってたいへん幸いなことです。使徒パウロ自身は,著名な教師ガマリエルに師事した学者でしたが,それでも彼は,キリス教信者の大部分が身分の低い人々であったことを認めています。「兄弟よ,召を蒙れる汝らを見よ,肉によれる智き者おほからず,能力ある者おほからず,貴きもの多からず。されど神は智き者を辱しめんとて世の愚なる者を選び,強き者を辱しめんとて弱き者を選び,有る者をほろぼさんとて世の卑しきもの,軽んぜらるる者,すなはちなきがごとき者を選び給へり。これ神の前に人の誇ることなからんためなり」。(コリント前 1:26-29)したがって,宣教における成功を判断するさいには,神の見地から物事を見ることが大切です。

2 あまり教育がなくても,宣教の資格に影響しないのはなぜですか。

2 基礎教育は宣教に役だちます。しかし,普通教育があまりないからといって落胆したり,自分には宣教にたずさわる資格がない,と考えるべきではありません。神が重視されるのは,あなたがどれほど多くの事を知っているかではなく,あなたが心に植えつけられた真理をどれほど愛し,養っているか,ということです。このことは今日でもパウロの時代とかわらず,「世は己の智慧をもて神を知らず」とあるとおりです。(コリント前 1:21)イエスの弟子たちは,名のよく知られた使徒ペテロやヨハネをも含めて,「無学の凡人」であったことを忘れないようにしましょう。(使行 4:13)イエスの,社会的に身分の低い弟子たちが,訓練され,つかわされたのち,イエスのところへもどってきたとき,イエスは,彼らが宣教においてよい成果を得たことを聞き,つぎのように答えられた,としるされています。「その時イエス聖霊により喜びて言いたまふ『天地の主なる父よ,われ感謝す,これらのことを智きものさとき者に隠して嬰児にあらはしたまへり。父よ,然り,かくのごときは御意に適へるなり』」― ルカ 10:21。

3 富や人気が宣教の成功を判断する正しい基準にならない理由を述べなさい。

3 富と人気にかんするかぎり,わたしたちは,それらがクリスチャンの宣教の成功をはかる基準でないことをすぐに認めねばなりません。財産や個人の威信などは,神の前には価値がありません。キリスト教国の牧師は両者を追い求めます。そうすることはイエスの時代の宗教指導者にならうことです。「ここに欲深きパリサイ人らこのすべての事を聞きてイエスを嘲笑ふ」。イエスは言われました。「すべてその所作は人に見られんためにするなり……饗宴の上席,会堂の上座,市場にての敬礼,また人にラビと呼ばるることを好む」。イエスは弟子たちに,生活に必要なものがあればそれで満足し,へりくだり,人を称号で呼ぶことを避け,互いにしもべとなって仕えよ,と教えられました。彼らがそうする動機は,『天に宝を積んで』神の恵みを得ることであって,人間の好意を得ることではありませんでした。貧しい者,名のない者をイエスは喜んで迎えられました。―ルカ 16:14; 15:1-7。マタイ 23:5-12; 6:19,20,31-34。

4 技術は宣教に成功するのにどんな役割を果たしますか。

4 つぎに技術について言えば,これは世間でたいへん重んじられるもので,たしかに多くの偉業が熟練した頭脳と手によって成し遂げられています。宣教において成功するにも技術がいります。しかし神のみことばの良い教師となるための技術は,それほどむずかしいものではなく,だれでも習得できます。熟練した外科医や技師になるには,勉強と実地訓練に多くの年月を要し,しかも資格を得る人はわずかです。しかし,熟練した奉仕者になることを望む人々にはこれはあてはまりません。と言ってもこれは,それほど勉強しなくても,学んだことを実地に行なわなくてもよいという意味ではありません。それは必要です。しかし宣教の特異な点は,少し勉強したなら参加できるということです。神のみことばから良い事柄を学んで,それを他の人々に教える大切さを悟ったなら,そうした良い事柄を隣人に語っていけない理由はありません。もちろん初心者ですから無意識にまちがいを教えることがないよう注意が必要です。そのためには,実地訓練をうけるときに,経験を積んだ人が教えてくれることをよく聞いていなければなりません。そうすればほどなく神に献身して浸礼をうけることができ,他の人を教える練達した,任命された奉仕者となれます。

5 (イ)宣教における成功を判断する正しい基準を知るにはどうすべきですか。(ロ)弟子をつくることのほかに,どんな要素が,イエスの宣教を完全に成功させましたか。

5 もし,教育も,富も,人気も,そして技術でさえ,宣教の成功を判断する最重要な要素でないとすれば,わたしたちは何を基準にして,自分が宣教に成功しているか否かを知りますか。それは改宗した人の数ですか,それとも,もっと大切なものがありますか。キリスト・イエスの宣教と,イエスの昇天後の宣教のためにイエスが与えた指示とを調べるならば,その答えが得られます。改宗者をつくることについて言えば,イエスの宣教が一見完全に失敗したかに見えた時期があったことは興味深い点です。これはイエスが予告していたことでしたが,イエスが逮捕されたとき,イエスの弟子はみな彼を捨てました。(ヨハネ 16:32)ところが西暦33年の五旬節に聖霊がそそがれたとき,120人の忠実な弟子たちが,エルサレムのある2階のへやで指示を待っていました。その日に使徒ペテロはユダヤ人の大群衆に話をしましたが,その中からさらに3000人がキリスト・イエスに信仰を置き,聖霊によって生み出されました。その日から多くの人がクリスチャン会衆に加えられました。イエスが,クリスチャン会衆の最初の成員を集めることにおいて大きな成功を収めておられたことは明らかでした。しかしながら,イエスをメシヤとして受け入れたのはごくわずかのユダヤ人にすぎなかったことをわたしたちは覚えていなければなりません。大集団の改宗はなかったのです。イエスの宣教における成功は,加えられた弟子の数以上のものによって評価されました。たしかにこれは二次的なものでした。イエスは天の父に栄光を帰すことに重点を置かれました。そのうえにイエスは,悪魔のもたらしたさまざまの試練や反対をも含め,あらゆることにおいて忠実に歩んで,天のみ父に対するゆるがない献身を実証し,その大敵に偽り者の烙印を押されました。エホバの定められた標準によれば,イエスの宣教は完全に成功でした。

成功か否かを判断する今日の基準

6 宣教の使命と目的は,この20世紀の現代になって変わりましたか。

6 初期クリスチャン会衆の存在した西暦1世紀から,長い時がたっているので,宣教の成功を判断する基準は変わっていると,ある人は考えるかもしれません。ところが少しも変わっていないのです。わたしたちの使命,また宣教の目的も同じですから,これは真実です。神のみことばにのせられているもの以外に,最後の証言のための新しい指示は出されていません。神のみことばを入念に調べれば,わたしたちは自分の宣教の成功の度合いを計ることができます。さらに,自分がもし証言活動であまり成功していないことがわかれば,主なる師キリスト・イエスおよびイエスの教えをうけた初期の弟子たちの模範に,いっそうの熱意をもって従うことができます。

7 (イ)この「終わりの時」にわたしたちが忠実に奉仕する理由は4つあります。そのひとつをあげなさい。(ロ)2番目の理由はなんですか。

7 イエスの時代と同じく今日でも,この「終わりの時」に伝道を継続しなければならない基本的な理由は4つあり,宣教に成功しているかどうかを知るには,そのひとつひとつを考慮してみる必要があります。あなたも,わたしたちがそれぞれの理由を考慮するとき,ご自分の宣教がその理由にかなっているかどうかを考えてください。審判者はエホバですから,忠実な宣教が行なわれていれば励みを得ることは確かです。そしてもしあなたの宣教に強化を必要とする点があれば,そこに注意を払うことができます。(1)イエスが救いの音信を伝道されたのと同じく,エホバの証人は,キリスト・イエスの命令どおり,「もろもろの国人を弟子とな」すことを重大な義務と考えています。(マタイ 28:19,20)心の正しい人々が,滅びに通ずる広い道を離れて,命に通ずる狭い道を歩むには,伝道されるおとずれを聞かねばなりません。(2)それと対照的に,わたしたちは,全地の住民の中で,悪人に対するきたるべき神のさばきの執行の日の警告も伝えます。―マタイ 7:13,14。エゼキエル 3:17-19。黙示 14:6,7。

8 神のことばを人々に伝える最初の二つの理由と関連して自分の宣教を調べるとき,それはどのようにわたしたちの励みとなりますか。

8 ゆえにわたしたちは,「貧きものに福音」と「エホバのめぐみの年」とを述べ伝えることのみならず,「われらの神の刑罰の日」をも告げ知らせる使命を与えられています。(イザヤ 61:1,2。ルカ 4:16-21)わたしたちは今日,神の忠実なしもべエゼキエルと同じく「彼ら(が)これを聴もこれを拒むも」人々に対する伝道をつづけ,反対に面してもこれを行なわねばなりません。(エゼキエル 2:5-7; 3:4,7-9)大多数の人は耳をかしませんが,なかには最初反対していてもやがて目を開く人があるということをあらかじめ心にとめておいて,わたしたちは大胆に,しかし巧みさと純粋の愛をもって,さばきの音信を伝えます。あなたは,福音を伝道し,それに応ずる人を良心的に教えることに,すべての機会を忠実に活用していますか。もしそうしていればあなたには励みを得る理由があり,エホバがあなたに成功と,たゆむことなく奉仕を続ける力を与えてくださることは確かです。多数の羊のような人々が救いの側,つまり王なる牧者キリスト・イエスの右側に来るように助け,他方,やぎのような反対者には,滅びの側であるキリスト・イエスの左側に置かれるに値するものであることを自ら明らかにさせるわざは,現代のエホバの証人に与えられている特権です。―マタイ 25:31-46。

9 忠実に伝道する第3の理由としては何があげられますか。なぜこれは成功を判断するのに重要ですか。

9 伝道を続けねばならない3番目の,そしてきわめて重要な理由は,(3)伝道が地上のエホバのしもべたちにとり,エホバに対する彼らの愛と忠実を実証する機会になるということです。わたしは神と隣人を愛します,と言うことと,それを証明することとは別問題です。また,改善すべきところ,愛と忠実を深め強めねばならないところを見つけることも,わたしたちが真の自分と思うものを証明するこの過程においてなされます。神に頼ることも学びます。(コリント後 12:9)巧みさ,忍耐,あわれみが必要なことも悟ります。定期的に伝道に出ることは,ある人にとり,なんらかの意味で試練かもしれません。しかし,試練が忍耐を生み,自分をいよいよ清めるのに役だつということを忘れてはなりません。「しかのみならず患難をも喜ぶ,そは患難は忍耐を生じ,忍耐は練達を生じ,練達は希望を生ずと知ればなり。希望は恥をきたらせず,我らに賜ひたる聖霊により,神の愛,われらの心に注げばなり」。(ロマ 5:3-5)認識を深め,従順さを身につけ,神と隣人への愛を培い,人間に対する恐れを除き,真の自分を示す機会として宣教にかわるものはないと,戸別伝道の経験を積んでいる人はちゅうちょすることなく言うでしょう。―テモテ後 4:2-5。

10 割り当てられた仕事を忠実に行なえば,どんな満足が味わえますか。

10 自分に割り当てられたことを成しとげたとき,そこには深い満足があります。イエスはみ父にささげた祈りの中で言われました。「我になさしめんとて汝の賜ひし業を成し遂げて,我は地上に汝の栄光をあらはせり」。(ヨハネ 17:4)布の衣を着た人は,救いの側にいる人すべてにしるしをつけたのち,「汝が我に命じたまひしごとくなしたり」と復命したとき,どんなに心がときめいたことでしょう。(エゼキエル 9:1-4,11)あなたは,家族に反対されても,内気な性質でも,健康に恵まれなくても,あるいはその他の妨害や障害が起きても,従順に,そして勇敢に,宣教に参加する機会を作っていますか。宣教においてさまざまな事態に遭遇するとき,それを,エホバとあなたの仲間そして敵に対してさえ愛を増し加える機会としていますか。その結果,困難や試練に,よりよく対処できるようになりましたか。もしそうであれば,あなたはこの点でも,個人の成果にかんするかぎり,宣教は成功していると言えます。

11 忠実に奉仕する第4の,そして最も重要な理由はなんですか。

11 そして最後は,伝道を続ける第4の,そして最も重要な理由です。それは,(4)神の御名と目的を告げ知らせることです。イエスはエホバの御名を弟子たちに知らせ,「御名の崇められんことを」と祈るようにと彼らに教えられました。(マタイ 6:9。ヨハネ 17:26)エゼキエルの預言の中だけでも,地上の人間は「我のエホバなるを知べし」,という神のことばが少なくとも60回は出てきます。出エジプト記 9章16節の現代の成就におけるエホバの目的は,エホバの御名を「全地に伝へ」ることにあります。エホバの御名にはエホバの名声が関係しています。そして他の人々は創造者について,つまり創造者が愛とあわれみのあるかたであるということを学ぶ機会を得なければなりません。しかし自ら創造者を無視し,その愛を拒む者は,創造者が建てる新しい事物の体制の中で生きる権利を与えられないでしょう。

12 エホバのみ名の立証のために働くことはなぜそれほど重要ですか。これをする人々はどんな励みを受けますか。

12 大敵サタン悪魔にまつわる大問題を知らずに,多くの人は悪の存在を神のせいにしています。理由もないのに神のお名前は非難されています。神にかんする偽りが語られ,神は誤り伝えられています。無数の神々は,当然エホバに帰すべき誉れと尊敬とを受けており,ある人々はこの現代においてすら悪魔そのものを崇拝しています。真の神とはだれですか。たしかに神は生きておられないのですか。エホバの証人としての役目を果たすにおいて,わたしたちは世界という法廷で,わたしたちの神エホバのためにひとりも口をつぐむことなく,エホバこそ真の神であり,生きておられるのみならず,ご自分の目的を必ず遂行されるかたであることを,すべての人に知らせましょう。あなたはエホバのみ名が清められることを祈るだけでなく,エホバの偉大さと,そのすべてのすばらしいみわざとを語ることにより,その祈りと一致した行ないをしていますか。もしそうであれば,この点においても,あなたの宣教は成功と言えます。それは神の目からみて正しい種類の奉仕であり,神に受けいれられるかぐわしい賛美の犠牲だからです。―イザヤ 43:10。ヘブル 13:15。

障害があっても成功を目ざす

13 (イ)大部分の人が音信を聞かなくても,わたしたちはどんな態度をとるべきですか。(ロ)それでも宣教がむなしくならないのはなぜですか。

13 しかし,個々のわたしたちには,がっかりさせられるような,そしてわたしの宣教は成功していないと感じさせられるような要素がいくつかあることも認めなければなりません。神のみことばの真理を学ぶと,わたしたちはそれを親族や友人に熱心に伝え,それから一般社会に出ていって戸別に伝えます。しかしこの新しく発見した真理に対し,多くの人はわたしたちと同じような熱意も愛も示さないということをわたしたちは知ります。実際のところある区域では,聖書の話と,エホバのみことばの勉強を助ける聖書の手引をかろうじて紹介できる程度話せる人に会うには,相当多くの家を伝道しなければならないといった状態です。それで「いったいどうしたのだろう」と考えるでしょう。しかし,しばらく立ち止り,神のみことばに照らして問題を検討してみると,反対はわたしたち個人に対するものではなく,わたしたちが携えていく音信に対するものであることがわかります。またよく考えてみれば,もっと確信をもって語り,音信に対するより大きな反応を得られるように,自分の話し方もみがかねばならないことに気づくかもしれません。しかし大切なことはやめないことです。こうしたことがあっても,宣教からの満足は,証言することに忠実に努力したと気づくときに得られます。聞こうとしない人々は,自分は聞く機会がなかったと言いわけすることはできません。しかし時々,聞く耳をもつ人に会うのはなんと大きな喜びでしょう。そういう時には,たびたび断わられたことも忘れてしまいます。

14 適当な目標は宣教で成功するのにどのように助けとなりますか,

14 奉仕のための適当な目標を定めることは,成功に寄与します。その目標は,もし達成できなければ落胆する理由になりますから,高すぎてはいけません。それと反対に,名ばかりの奉仕で満足するほど低すぎるのも望ましくありません。いうまでもなくこの目標は,健康,家族の状態その他の要素によって決定されるわたしたちの能力のおよぶ範囲内のものでなければなりません。あなたは良いたよりの全時間伝道者になる態勢を整えることができますか。もしできれば,これはあなたの適当な目標といえるでしょう。他方,あなたは病気で家にとじこもっているかもしれません。その場合,戸別訪問はかなり制限されるでしょう。しかし訪問客に証言する機会があり,また電話や手紙で,他の人に御国の音信を伝えることができます。よい計画と,それを実行しようという固い決意は,あなたが自分のためにたてた奉仕活動の目標の達成に役だつでしょう。またそういう状態のもとであなたが忠実に奉仕しているのを他の人々が見て励まされ,その人たちも自分の活動を高める,ということを忘れてはなりません。また宣教における成功は,あなたがキリスト教の原則をよく守ることにも反映します。その場合あなたは,未熟さからでてくる不愉快で,つきあいにくいところがなく,愉快で,忍耐強く,積極的な気持ちをもつようになります。

15 避けられない事情のために宣教の機会が限られていても,なぜ落胆する必要がありませんか。

15 無学とか,老齢,身体障害といった特殊の事情のために,ある人は,演壇で公開講演をするよう選ばれなかったり,他の人と聖書の勉強をはじめるのが困難だったり,定期的に勉強できなかったりするかもしれません。進歩するように努力し,他の人の助けも受け入れたでしょう。しかし,定期的に聖書を教えることは自分にとって困難であり,公開講演者になることもすこし無理なことがわかりました。これには多少落胆するかもしれませんが,自信をもってよい理由は十分あります。善は成し遂げられているのです。その人が忍耐して奉仕を行なえば,多くの人が少なくとも福音を聞く機会を得,聖書の手引書が配布されます。その人に会った人はその本を読んで益を得ます。進歩するためのこの努力と願いは,予期しなかった方法でエホバから豊かに祝福されるでしょう。その人の宣教が失敗であるとは決して言えません。この場合その人は,神が「強い者をはずかしめるために,この世の弱い者を選」ばれたことを示す実例であるかもしれません。

16 教育や生まれつきの能力があまりなければ,多くの場合何をすることができますか。

16 もしあなたが正式の教育を受けていないとか,生まれつきの能力に恵まれていない人であれば,あなたのなすべきことは,ある場合のように,それがたとえ最初から読み書きを習うことであっても,エホバが宣教のためにあなたを訓練する目的で備えられたすべてのご準備を活用することです。経験を積んだ奉仕者たちは喜んであなたを助けるでしょう。喜んでする精神があって,エホバのためにそのみこころを行なうことを望むならば,その人は宣教に成功します。エホバがご自分の霊によってそのことを保証しておられるからです。―ルカ 11:13。テモテ後 1:6-8。

17 年の若い人はどうすれば御国奉仕に成功しますか。

17 年の若い伝道者は,経験を積んだ伝道者のように聖書の話や聖書研究の司会ができないという理由で,自分の奉仕は成功しないと感ずるかもしれません。ところが反対に,福音を伝える若い伝道者たちは,他の人が真理を学ぶのを助けるために多くのことが行なえるのです。最初のうち彼らの聖書活動は,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌の配布と関係のある,言葉のよく整った証言や,機会を利用して教師や学友に聖書の話をする程度に限られるかもしれませんが,両親の助けによって,再訪問,聖書研究へと,徐々に活動を拡大することができます。多くの若いエホバのしもべたちは,学校やその他の場所で,その幼いときに創造主について勇敢に語る,ということを見事にやってのけました。少年や少女が,怠惰で問題ばかり起こす者に成長していくのではなく,このような誉れあるわざをしているのを見て,他の人たちがどんなに良い印象を受けるかを考えてごらんなさい。―伝道 12:1。マタイ 21:16。詩 148:12,13。

18 バプテスマを受けた弟子となるようにまだだれも助けたことがなくても,自分の宣教は失敗だと考える理由がありますか。

18 しかし経験を積んだ伝道者でも,自分の宣教をふりかえって見て,自分はまだだれも,献身してバプテスマを受けた弟子となるまでに人を助けていない,と考えることがあるかもしれません。聖書文書を配布し,再訪問を行ない,時には聖書研究もはじまってしばらく続きます。予期した結果はまだ現われていないかもしれませんが,まだだれも弟子となるように助けていないからといって,それはその人の宣教の失敗を意味することではありません。この点をおぼえておくのはよいことです。その人は現実に宣教を行なっており,福音の伝道と,エホバの偉大な御名を高く掲げることに依然活発に携わっています。そして忠実に宣教を行なってきました。それはエホバに対する忠実と愛とを示す助けになりました。これから教える方法をよく活用し,自分より多くの経験をもつ奉仕者の助けを得て,聖書研究をはじめるだけでなく,定期的に研究を司会し,『人を弟子とする』わざにあずかることができるでしょう。

19 わたしたちの宣教が成功している4つの理由を要約しなさい。

19 あなたの宣教が成功するのはなぜですか。それには多くの理由があることを忘れてはなりません。わたしたちは努力をつづけ,エホバが増加をもたらせてくださることを確信しています。しかし,終わりが近づくにつれ,世界のある場所では他の場所より増加が鈍るかもしれませんが,わたしたちは落胆しません。事実,わたしたちは,エホバのクリスチャン証人に耳をかす者がなくなる時の来ることを予告されています。それでもわたしたちはエホバの不断の助けを得て,悪人に対するきたるべきエホバのさばきの警告として最終的な証言を忠実に行ない,反対や逆境に面しても忠実を保ち,とりわけエホバの偉大な御名を高くかかげます。「なんぢ多くの果を結ばば,わが父は栄光を受け給ふべし」― ヨハネ 15:8。

[440ページの図版]

病弱で外出できない人たちも,手紙や電話で「良いたより」を広めることに成功している

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