エホバはどんな神ですか
1,2 (イ)エホバという名の神がおられることをどんな事実が証明していますか。(ロ)エホバのみことば聖書は,それに注目する人たちに強力な影響を及ぼします。このことを証明する事がらを述べなさい。
エホバという名の神は確かにおられます。150万余の人びとがその神に崇拝をささげていますし,少なくとも207の土地でそれらの人や他の人びとが語るエホバの名を,ほとんどすべての人が耳にしています。エホバの崇拝者は,そのみ名を宣明する本つまり聖書にしるされている律法につき従っています。
2 それら150万人もの崇拝者は自分たちの神エホバに忠節を尽くすがゆえに,ある国々ではそのみ名が世の注目の的になる場合があります。彼らは諸国民の政治に関しては厳正中立を守り,キリスト教世界の教会からは完全に離れ,たとえ苦しみをこうむろうとも,血の神聖さに関する神の命令を固守します。このすべては,エホバはご自分の崇拝者に強力な影響を及ぼすことばを語る神であることを示しています。
3,4 (イ)神のみ名に関して諸国家は何をすることに努めてきましたか。成功しましたか。(ロ)どうすれば,エホバがどんな神であるかを知ることができますか。
3 ある国々,特に共産主義諸国はこのみ名を聞けないようにしようとして,それを非とする法律を定め,み名をふれ告げるわざを禁じています。しかし,み名を口にすることをやめさせるのに失敗しています。人に好まれない名を持つこのかたは,どんな神ですか。その神には,それほど忠節で活発な信奉者を生み出す何かがあります。それはなんですか。
4 この神の特質については無知でいる必要はありません。その歴史的な記述は,神との交渉を個人的に経験した人たちの著わした霊感による神の記録としての聖書に収められています。また一般の歴史も,裏づけとなる詳細な事がらを少なからず提供しています。
5 イスラエルはエホバを知る機会にどのように恵まれましたか。
5 たとえば,エジプトへの隷従から救出されたイスラエル民族のことを考えてみましょう。およそ60万人の戦士は幾十万人もの婦女子や年寄りたちとともに家畜を伴って乾いた海底を横断し,追っ手のエジプト人が,元に戻った海の水の中に閉じ込められて滅びるのを見ました。それはエホバのご処置を目撃する経験をした一時期の最高潮を成すできごとでした。紅海でのこの事件に先立って十の災いがエジプトに下されましたが,それらはみなエホバの代表者モーセによって事前に告知され,おのおの時をたがえず,モーセが予告したとおりの仕方で臨みました。
6 エホバはどんな意味で出エジプト記 6章2,3節のことばを述べられましたか。
6 このすべてはそれらの事件の関係すべてにエホバが至上の神であることを確信させ,またエホバの特質を如実に知らしめたに違いありません。このできごとの生ずる以前,イスラエルの父祖は神の名を知っていました。彼らはエホバという名によって神に語りかけたこともありますし,その名が民に対して目的の制定者としての神をさし示すものであることも知っていました。しかし今や,かつてない仕方でみ名を正しく認識することができました。神が以前つぎのようにモーセに語って言及されたのは,このようにみ名の意義を十分に理解し認識することでした。「わたしは主である。わたしはアブラハム,イサク,ヤコブに全能の神として現われたが,エホバという名ではわたしを彼らに知らせなかった」― 出エジプト 6:2,3。1970年版,新英語聖書。
7 イスラエルはエホバによりエジプトから救出された結果,どんな義務を負うようになりましたか。
7 今や神は,ご自分の名がアブラハム,イサク,ヤコブに表示した事がらを成就することによって,そのみ名にいっそうの光輝を添えられました。今やその民族はこぞってみ名の栄光をあかしする証人となる義務を負いました。だれの前で証するのですか。第一に自分たちの子らに対してです。(出エジプト 10:1,2)彼らはまた,偽りの神々 ― エホバとは違って予言的な約束をしても,成就しえない神々を崇拝していた他の諸国民の前でエホバの証人の国民になろうとしていました。―イザヤ 43:1-12。
ご自分の民に対するエホバの世話
8 それで今どんな質問が生じますか。なぜ,はいと答えることができましたか。
8 しかしイスラエルはエホバの他の特質をも知るようになりましたか。そのとおりです。なぜなら,エジプトを去るや,「畏るべき曠野すなはち蛇 火の蛇 蝎などありて水あらざる乾ける地」を通る旅に直面したからです。(申命 8:15)エホバは彼らをそのような場所に導かれたのです。エホバは彼らの神としてその民を世話するほどの関心をいだいておられましたか。そのとおりです。というのは,今やご自分の民の福祉とご自身のみ名とが関係していたからです。
9 エホバはご自分が供給者で支え手であられることをどのように実証されましたか。
9 イスラエル国民が,きびしい境遇にもめげず,また神の律法を再三放棄したにもかかわらず,最初とほとんど同じ人口を保って,約束の地に生き長らえはいれたという事実は,エホバが彼らの憫れみ深い供給者で,支え手であられたことを証明しています。彼らはエジプトを去ってまもなく,はたして神は自分たちを世話できるのか,また進んでそうする意向かどうかを懸念したので,神はおびただしいうずらを供給し,また命を支える奇跡的なマナを生じさせて,彼らの不安を和らげられました。(出エジプト 16:1-18)後日,モーセが人びとに指摘したとおりです。「[神]汝らのために堅き磐の中より水を出し……曠野にて汝に食せたまへり」。衣服の必要を神が顧みられたことについては,彼らは次のように想起させられました。「この40年のあひだ汝の衣服は古びて朽ず汝の足は腫ざりし」― 申命 8:4,15,16。
10 エホバはその民の保護者であられることをどのように実証されましたか。
10 そのうえ,エホバは彼らの保護者であられることを実証されました。荒野の旅の初めごろ,イスラエルはエホバの奇跡的な支えを得て,アマレク人を打ち破りました。その時,モーセは一つの祭壇を築き,それを「エホバ吾旗」という意味のエホバニシと名付けました。エホバは,民が保護と助けを求めてそのまわりに集合できる神なのです。―出エジプト 17:8-16。
その憫れみ
11 シナイ山でエホバのどんな特質がモーセに明示されましたか。
11 ゆえに,40年にわたって個人的な経験を重ねたイスラエル人は,エホバを知るようになりました。イスラエルと律法契約の結ばれたシナイ山で,モーセは神の栄光を見たいと願い出ました。それから,その山でエホバはご自分の代理のみ使いを通して降りてこられました。こうしるされています。「〔主〕雲の中にありて降り彼とともに其処に立ちてエホバの名を宣たまふ〔主〕すなはち彼の前を過て宣たまはくエホバ,〔主〕,憐憫あり恩恵あり怒ることの遅く恩恵と真実の大なる神 恩恵を千代までも施し悪と過と罪とを赦す者又罰すべき者をば必ず赦すことをせず父の罪を子に報い子の子に報いて三,四代におよぼす者」― 出エジプト 33:18–34:7〔新英〕。
12 金の子牛の件でエホバはそうした特質をどのように立証されましたか。
12 イスラエルの人びとは紅海で救出された後,4か月もたたないうちに金の小牛を作って,「イスラエルよ是は汝をエジプトの国より導きのぼりし汝の神なり」といいましたが,その時にはエホバはすでにそのすぐれた特質を立証しておられました。(出エジプト 32:4)それにしてもなんという忘恩,また不忠節で不忠実な行為なのでしょう。それでもエホバは彼らを見捨てられませんでした。事実,その世代の人びとは,エホバの助けを得て約束の地にはいることもできたのです。
13,14 イスラエルが最初にカナンにはいろうとした時,エホバはどのように非常な憫れみを示されましたか。また,その後は?
13 しかしながら,カナンにはいろうとする直前,彼らは恐れと反抗の態度を表わし,自分たちをエジプトに連れ戻す頭を立てたいと語りました。(民数 14:1-4)その時にもエホバは彼らを許し,生き続けさせましたが,その世代の反抗的な者たちがみな死に絶えるまで約束の地に入れるのを延期されました。―民数 14:18-20,29,34。
14 そのうえ神は,荒野の旅の40年間,彼らのさまざまな不平や反抗を忍び,許し,保護し,必要物を供給して世話をされました。
15 エホバのその特質は,エホバが何を受けるにふさわしいかたであることを証明しますか。
15 エホバが示された特質は,エホバが人びとや諸国民の崇拝してきたいわゆる神々のすべてとは全く異なったかたであることを明らかにしています。物事を正しく評価する思慮分別のある人で,エホバのような神を崇拝したいと思わない人がいるでしょうか。エホバは崇拝されるにふさわしいかたであり,ご自分を崇拝するよう,天と地のあらゆる被造物に命ずる正当な独占権を持っておられます。
崇拝のための備え
16 (イ)エホバはイスラエルの人がだれでもご自分に近づける備えをどのように設けられましたか。(ロ)それらの犠牲は何をさし示していましたか。
16 イスラエルの場合,エホバはご自分に対する崇拝を行なわせるのに必要なものをすべて備えられました。彼らはエホバの律法を持っていました。それは霊的で神聖な良いものでした。(ロマ 7:12,14)律法を守ったとき,それは霊的また肉体的にイスラエルの福祉に寄与しました。エホバはイスラエルに仕える祭司職をモーセの兄アロンの家系に設け,特定の場合に,また特定の理由でご自分にささげさせる一連の犠牲を定められました。それによりイスラエルの人はみなその神に近づく喜びにあずかれました。それらの犠牲はまた,特別の意味を持っており,やがてエホバが人類の世全体の罪を取り除くために備えようとしておられた偉大な犠牲をさし示していました。
17,18 エホバの神殿を汚すのは,なぜ軽微な罪ではありませんでしたか。それを汚す者はエホバについて何を知るに至りましたか。
17 エホバは運搬可能な集会の天幕もしくは幕屋,および後にエルサレムに建てられた神殿の設計図を備えられました。エホバはエルサレムにご自分の名を付されました。したがって,そこで生じたことは,エホバの聖なるみ名に影響を及ぼすものでしたから,エホバにとって特に関心のある事がらでした。
18 その神殿を汚すことは軽微な罪ではありませんでした。その罪を犯した者は,罰されずにはすまないことを思い知らされました。そして,エホバは憫れみ深く,ご自分にたよる者たちを許す神ではあっても,同時に公平の神,正しい行ないを要求する宇宙主権者であられることを思い知らされました。こうしてエホバは真の神としてのご自身のみ名を大いなるものとするだけでなく,ご自分の被造物を保護しておられます。それは被造物が平和と安全と幸福のうちに生きるためです。
そのかたのことを思い知らされた十支族の王国
19,20 (イ)十支族のイスラエル王国はどのようにしてエホバを知る機会を持ちましたか。(ロ)その王国はついにはどうなりましたか。なぜですか。
19 約束の地にはいって何世紀かの後,十支族が,神によって立てられた,ダビデの家系の王朝を離れて独自の王国を建て,子牛の像を作って崇拝しました。サマリヤを首都としたこの王国は,エルサレムを首都としたユダと区別してイスラエルと呼ばれました。その時でさえ,神はイスラエルの敵シリヤを破って,偶像崇拝に陥ったイスラエルにご自分を知らしめる機会をお与えになりました。しかしイスラエルは,自分たちの神としてのエホバを以前知っていたのに,エホバが神であられることに対する認識を表わしませんでした。
20 依然偶像崇拝を続けたイスラエルは,救いの神がエホバであることを学びながらも,宗教面では益を受けそこない,257年存続したのち,西暦前740年,首都サマリヤはアッシリヤ人により破壊され,国民は捕囚として連れ去られてしまいました。預言者エレミヤはその理由をこう述べています。「是は彼等そのエホバの言に遵はずその契約を破りエホバの僕モーセが凡て命じたる事をやぶりこれを聴ことも行ふこともせざるによりてなり」― 列王下 18:11,12。
21 今日,これらの例にはどんな意味がありますか。
21 こうした例には今日なんらかの意味がありますか。確かにあります。それはいわゆる“キリスト教”の国々に対する重大な警告となっています。キリスト教国はエホバを知る十分の機会に恵まれてきました。そして,ご自分の記念の名はエホバであると述べておられる聖書の神に仕えていると主張するゆえに申し開きをしなければなりません。―出エジプト 3:13-15。
22-24 キリスト教世界以外の諸国民もエホバとはだれかを知るようになるとどうしていえますか。
22 しかし,聖書の神エホバに仕えているとは唱えない他の諸国民もやはり,エホバとはだれかを知らなければならなくなることを考えるべきではありませんか。神の古代のユダ王国周辺の諸国民に生じた事がらはこのことを予表しています。西暦前607年,神はご自分に不忠実になったユダがバビロンによってくつがえされるのを許しました。その時,バビロンはユダの敵とともに喜びました。
23 エホバはバビロンに捕囚となったユダヤ人に預言者エゼキエルをとおして語り,彼らを慰め,その復帰を預言してこう仰せられました。「『わたしは,諸国民の間で彼らの中で汚したわたしの大いなる名を必ず神聖にする。諸国民はわたしが彼らの目の前であなたがたの間で神聖にされるとき,わたしがエホバであることを知らなければならなくなるであろう』。―主権者なる主エホバのお告げである ―」。―エゼキエル 36:23,新。
24 西暦前539年,バビロンはメデヤ・ペルシアによってくつがえされ,西暦前537年には,70年間の捕囚ののち,ユダヤ人はエルサレムに帰国して神殿を再興することを許されました。エルサレムの敵は,神がそれらユダヤ人のために行なわれた事がらに注目せざるをえませんでした。
その神は今日知らされることになっている
25 今日,エホバに関する知識が大いに広められなければならないのは重要なことですか。
25 今日,その神がエホバであることを広く一般の人びとに知らさなければならないのは重要なことですか。そのとおりです。エゼキエルの預言の中だけで,主権者なる主エホバはそのことの重要性を示すものとして,諸国民・諸民族・個々の人間は「わたしがエホバであることを知ら」なければならない,と繰り返し宣言し,こうした宣言を62回行なっておられます。エゼキエルの預言の中では,「主権者なる主エホバ」という表現は215回出てきます。
26 エゼキエルの預言は,「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」ということばの成就する時が今や非常に近いことをどのように示していますか。
26 20世紀最後の30年間の時期の今,エゼキエルの預言の中でなされている「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」という神の目的の宣言にかんして見過ごしてはならないことが一つあります。それはなんですか。この預言は「末の年」つまり「終末の日」に適中しなければならないということです。(エゼキエル 39:7; 38:8,16。アメリカ標準訳,新世界訳)今から57年余の昔,西暦1914年に勃発した第一次世界大戦以来生じてきた事がらからすれば,予告された末の年また日,つまり終末の年また日は今やまもなく臨むはずです。今日の諸国民すべては,この生ける唯一の真の神エホバを,かつて一度も知ったことのない仕方で知るに至る瀬戸ぎわに立たされています。わたしたちはだれもそれを免れることができません。わたしたちはみな,それら諸国民の一部です。エホバに関するそのきわめて重大な知識が授けられる時,わたしたちは得をしますか,損害をこうむりますか。
27 エゼキエルの預言の書を研究することは今なぜ重要ですか。
27 エゼキエルの預言の中で神は,どんな国民や民族が必ず神を知るようになるかについて多くの宣言を行なわれました。したがって,今エホバとその名を好んでいようといまいと,その預言の書をつぶさに調べてみるのは確かに価値があります。そうすれば,その顕著な部分が現代においてどのように成就してきたかがわかるでしょう。今日,至上者なる全能の神に関する考えの依然混乱している正直な心の持ち主は少なくありません。それらの人びとはこの時代のための賢明で時宜を得た助言を見いだして,みずからを益する以外に道はありません。古代エジプトの支配者パロの場合のように,全能の神がエホバであることをどうしていやおうなく知らなければならないのでしょうか。命と幸福の愛好者としてわたしたちは,今穏やかで友好的な仕方で神を知るに至るようにとの,神の情深い招待を受け入れるほうがはるかにまさっています。