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  • 聖書理解の助け ― むち打ち
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目ざめよ! 1980
目80 10/8 29–31ページ

聖書理解の助け ― むち打ち

「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。

むち打ち。モーセの律法には,むち打ちによる処罰の規定がありました。この処罰は棒あるいは杖によって行なわれました。裁き人は動機や状況その他を考慮して,犯された悪事に応じて加えられるべきむち打ちの回数を決めなければなりませんでした。姿勢も規定されていました。「裁き人はその者を平伏させ,そのよこしまな行為に応じた数だけ,自分の前で彼をむち打たせなければなりません」。この処罰ではむち打ちは40回までと限定されていました。(申命 25:2,3,新)このような制限が加えられたのは,これ以上のむち打ちが加えられると,その人は仲間の同国人の目に辱められることになるからでした。これは,モーセを通して与えられた律法が残忍な,もしくは異常な処罰を許すものではないことを示す一つの実例です。その処罰の目的は矯正することであって,諸国民の科した処罰のように,復しゅうを意図したひどいものではありませんでした。むち打ちの刑を執行する人が,もしむち打ちの法定回数を越えたなら,処罰されました。ですから,ユダヤ人はむち打ちの回数を39回に制限しました。誤って制限を越え,律法を犯すことがないようにするためでした。―コリント第二 11:24。

ヘブライ人の奴隷所有者は,男女いずれの奴隷でも,もし奴隷が不従順だったり,反抗したりすれば,棒で打つことができました。しかし,もし打たれているときに奴隷が死んだなら,その奴隷の所有者は罰されました。ところが,もし奴隷がその後一日か二日生きていたなら,それはその奴隷所有者に殺意がなかったことを示す証拠となりました。奴隷所有者には懲戒のための処罰を科す権利がありました。奴隷は「彼の金子」だったからです。人が自分の貴重な所有物を完全に破壊して損失を被るようなことをするとは到底考えられませんでした。また,もしその奴隷が,一日かそれ以上経過した後に死んだなら,打たれたためか,あるいは何か外の原因で死んだのかどうかは確かではありませんでした。それで,もし奴隷が一日か二日生きていたなら,その主人は処罰されませんでした。(出エジプト 21:20,21,新)ユダヤ人の注解者は,この律法は異国の奴隷に適用されたと述べています。そのような奴隷だけを所有物,つまり「彼の金子」とみなし得たのです。

もし,ある人が結婚したとき,偽って処女であると主張したとして妻を訴え,その訴えが偽りだったならば,裁き人であるその都市の年長者たちは,当人を懲戒し,罰金を課すべきでした。その人はイスラエルの処女に汚名を着せたからです。その懲戒のためには,ある回数のむち打ちが科されたようです。―申命 22:13-19。

聖書は懲戒手段としてのむち打ちの価値を再三強調しています。箴言 20章30節(新)は,懲らしめが非常に深い所に達し,当人の益になることを示しています。こう記されています。「打ち傷は悪を一掃するもの。むち打ちは,腹の奥深い所を」。このようにして懲らしめられる人は,自分が愚かなことをしたので,行ないを改めなければならないことを認めるでしょう。(箴 10:13; 19:29)本当に賢い人は言われただけで悪い点を直すことができるので,むち打たれずに済みます。

人間は皆,「とがと共に」生み出され,「罪のうちに」はらまれるので(詩 51:5,新),聖書は,親の権威の杖を厳重に,時には実際の杖の形で行使しなければならないことを諭しています。(箴 22:15)そうすることによって,子供は救われ,不興を買って死に陥ることがないでしょう。―箴 23:13,14。

ユダヤ人は杖だけに限らず,後代にはむちをも使用したようです。(ヘブライ 11:36)これは杖で打つよりももっと厳しい処罰方法です。これはイエスの時代には地上では合法的な処罰方法でしたが,モーセの律法に基づいたものではありませんでした。(マタイ 10:17; 23:34)口述による伝承が発展してできたものとされているミシュナは,むち打ちの仕方を次のように述べています。

「彼らは囚人の両手を各々の側の柱に縛り,会堂の奉仕者はその服をつかみ ― もしそれが引き裂かれるなら引き裂かれ,完全に引きちぎられるなら,完全に引きちぎられ ― その胸をあらわにさせる。囚人の後ろには石が一つ置かれ,その上に会堂の奉仕者が,子牛の皮でできた革ひもを,二つ折り,または四つ折りにして手に持って立つ。それには[別の]2本の革ひもがからませて[取り付けられていた]。

「革ひもの取っ手は長さが一手幅,幅が一手幅あり,ひもの端はへそまで届かねばならない。むち打ちの回数の三分の一は前から,三分の二は後ろから加える。立ったり座ったりしている者を打ってはならない。身を低くかがめた者だけを打つことができる。裁き人はその者を横たわらせる,と記されているからである。打つ者は一方の手で,力一杯打つ。

「……たとえ囚人がその手のもとで死んでも,むち打つ者の罪とはならない。しかし,もしむち打ちを1回余計に加えて,囚人が死んだなら,その囚人のゆえに追放の身となって逃亡しなければならない……。

「むち打ちを何回加えるのか。39回である。40回まで,と記されているからである。[すなわち]40回近くである」― ミシュナ,マコス 3:12-14,10。

ギデオンはスコテの7人の君たちと年長者たちにむち打ちを加える際,特別な方法を取りました。これらの人々は,ギデオンがミデアンの王たちを追跡したとき,その部下の者に食糧を与えようとしなかったのです。ギデオンは荒野のいばらやおどろでむちを作り,彼らを打ったようです。ギデオンは彼らに「思い知らせた」と言われています。―士師 8:7,14,16,新。

外の諸国民はもっと厳しいむち打ちの刑を行ない,むち打ちは40回に限定されませんでした。エジプトにいたイスラエル人がエジプト人の監督から非常に厳しく打たれたことは疑問の余地がありません。(出エジプト 5:14,16; 2:11,12)ギリシャ人は犯罪者をむち打って死なせることを許したと言われています。

ローマ人は,まず上着を脱がせて杖を使って打ちました。(使徒 16:22,23)彼らはむちも使いました。犠牲者は両手をひもで柱に縛られ,手足を伸ばさせられたようです。(使徒 22:25,29)ローマ人をむち打つことは違法でした。西暦前248年のポルキア法と西暦前123年のセンプロニアン法によりローマ市民はむち打ちの刑を免除されました。―使徒 22:25。

むち打ち用の最も恐ろしい道具はフラゲルムとして知られていました。それは柄に数本の綱あるいは革ひもを取り付けたもので,そのひもにはぎざぎざの骨や金属片を取り付けて重くし,一層痛くて効果的な打撲を加えられるようになっていました。

むち打ちの回数はそれを命ずる者に全く任されていました。むち打ちを執行する者の残忍さによっても異なりますが,背中,ときには腰や顔あるいは腹にさえむち打ちが加えられました。このようなむち打ちの最中に犠牲者が死ぬのは珍しいことではありませんでした。ローマ人は犠牲者を『尋問して』自白させたり,証言させたりするためにむちを用いる場合もありました。―使徒 22:24。

普通,刑柱に付ける前にむち打ちの処罰が行なわれました。イエスを刑柱に付けるようにとの執ようなユダヤ人の叫びに屈したピラトが,ユダヤ人のためにバラバを釈放した後,「こうしてその時,ピラトはイエスをとらえてむち打った」と記されています。(ヨハネ 19:1。マタイ 20:19; 27:26。マルコ 15:15)イエスはその弟子たちに,ご自分の名のために弟子たちが会堂で打ちたたかれるということを話しました。(マルコ 13:9)この預言は何度も成就しました。ある使徒たちは逮捕され,ユダヤ人のサンヘドリンの前に連れ出され,宣べ伝える業をやめるようにとの要求に応じなかったため,むち打たれました。(使徒 5:40)後に使徒パウロとなったサウロは,改宗する前はクリスチャンを激しく迫害した人の一人で,会堂を次々に回ってクリスチャンを投獄し,むち打ちました。(使徒 22:19)クリスチャンとなってからは,パウロもユダヤ人から何度も打ちたたかれました。―コリント第二 11:24。使徒 21:32。

パウロはフィリピの町で杖で打ちたたかれました。パウロはその出来事を迫害者にとって不利な状況に変え,その機会を活用して,その宣べ伝えていた良いたよりを擁護し,確立しました。それより前に,パウロは公に打ちたたかれ,投獄されていましたが,行政官はパウロがローマ市民であることに気づいたとき,非常に恐れました。というのは,ローマ市民を打ちたたいただけでなく,審理を受けて有罪と定められないうちに,そうしたからです。この場合でも,パウロとシラスは公に犯罪者のように扱われていたからです。そこで,行政官が牢番にパウロとシラスを釈放するよう命じたとき,パウロはこう返答しました。「彼らはローマ人であるわたしたちを,有罪の宣告もせずに公にむち打ち,しかも獄に入れました。それを今,ひそかに出そうというのですか。それはなりません! 彼らが自分で出向いて来て,わたしたちを連れ出すべきです」。行政官たちは個人的に自分たちの過ちを認めなければなりません。「そこで警吏はこのことばを行政官たちに報告した。彼らは,この人たちがローマ人だと聞いて怖くなった。そのため,自分たちのほうからやって来てふたりに懇願し,彼らを連れ出したのち,その都市から出てくれるようにと頼んだ」のです。(使徒 16:22-40)こうして,良いたよりを宣べ伝える業は法を犯す行為でないことが立証されました。というのは,行政官がこうした処置を取ることによって,パウロとシラスは何ら不当な事をしていなかったという公の記録を作ることになったからです。パウロがこのような行動を取ったのは,『良いたよりを法的に確立する』ことを望んでいたからです。―フィリピ 1:7。

比喩的な用法

レハベアム王は,むちと比べてもっと厳しいとげむちによる処罰を隠喩として用いて,自分の支配とその父ソロモンの支配とを比較しました。(ヘブライ語では,「とげむち」という言葉は「刺し通すもの,刺すもの」あるいは「さそり」という意味ですから,これは結び目のある,もしくは先端にさそりのようなとげのある一種のむちと思われます。あるいは,節の多い,もしくはとげのある小枝が付いていたのかもしれません。)― 列王上 12:11-14,新。

エホバは王国のための契約をダビデと結ぶ際,ダビデと話されました。そして,王座はその家系のうちに確立されますが,もしその王朝あるいはその家筋のものの誰かが不当なことをするなら,エホバは『人の杖と,アダムの子らのむち打ちをもって彼を責める』とダビデに言われました。(サムエル後 7:14,新。詩 89:32)異邦諸国民の王たちがユダの諸王を撃ち破るのをエホバが許されたとき,特にバビロンの王ネブカデネザルがゼデキヤをエルサレムの王座から除去したとき,そのことが起きました。―エレミヤ 52:1-11。

エホバは,イスラエル人が追い立て損なった諸国民が「あなた方の脇腹のとげむち」になると言われました。(ヨシュア 23:13,新)イザヤ書 10章24-26節(新)は,アッシリア人は不当にも杖を使ってシオンを打ちましたが,エホバはアッシリア人に対して「むち」を振るわれることを示しています。罰としてエホバから送り出された疫病や病気や災いは神罰(英語では「とげむち」と同じ綴りの語)と呼ばれました。(民数 16:43-50,新; 25:8,9。詩 106:29,30)エホバからの懲らしめも,むち打ちに例えられています。―ヘブライ 12:6。

イエスは,その再来の時に,「忠実で思慮深い奴隷」を任じてご自分のしもべたちの世話をさせることと,目ざめてその到来を真剣に見守ることをしない「よこしまな奴隷」がいることを予告されました。この「よこしまな奴隷」は,「わたしの主人は遅れている」と言います。その奴隷はのんだくれと一緒に飲み食いするだけでなく,仲間の奴隷たちを打ちたたき,時に応じて神の忠実な奴隷たちに霊的な食物を供える業にさえ反対する程になります。こうして,その奴隷は最も厳しい処罰を被り,偽善者とその分を共にすることになります。(マタイ 24:45-51。ルカ 12:42-46)次いでイエスはさらに,より大きな責任を持ちながら,それを果たさない人は,自分の務めをよく知らない,あるいはよく理解していない人よりも責められるべきことを示されました。そのような人の受ける処罰,つまり「打ちたたかれる」回数は,その人の責任に応じたものとなります。―ルカ 12:47,48。

イザヤはメシアについて預言し,メシアに信仰を働かせる人たちの病気や苦しみをメシアが負うことを示しました。イザヤは,「彼の傷のゆえにわたしたちのためのいやしがあった」と言いました。(イザヤ 53:3-5,新)ペテロはこの預言をイエス・キリストに適用して,「杭の上でわたしたちの罪をご自分の体に負い,わたしたちが罪を断ち,義に対して生きるようにしてくださったのです。そして,『彼の打ち傷によってあなたがたはいやされました』」と言いました。―ペテロ第一 2:24。

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