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    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • キリストの御国によってみ名がきよめられることは,全宇宙を益し,恒久の平和を地にもたらし,永遠の生命と共にみぞうの祝福を人に得させるからです。愛の創造主は従順な人間のためにそのことをされます。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • 読者からの質問

      ● 歴代志略上 28章9節に述べられていることを考慮するとき,ソロモンが復活するとどうしていえますか。

      ソロモンの復活の可能性に関し,聖書から正しく判断するために,キリスト以前の他の人が死んだときどうなったかについての聖書の記録とソロモンに関する記録とを比較するならよいでしょう。

      アブラハム,モーセ,ダビデはエホバを喜ばせました。それで彼らは復活を信じ,また復活を受ける信仰の人としてあげられています。(ヘブル 11:17-19,23-28,32-35,39,40)彼らは死んだ時に人類一般の地的な墓に行きました。死者はそこから復活します。(黙示 20:13)彼らのためにエホバが定めておられることを疑う理由はありません。興味深いことに,これらの人が死んだ時どうなったかを説明するのに聖書は同じ表現を用いています。アブラハムは死んだときに「安らかに彼の先祖のもとに行きま」した。(創世 15:15)モーセは死んだときに「眠って先祖たちと一緒にな」りました。(申命 31:16)ダビデは「その先祖と共に……ダビデの町に葬られ」ました。―列王上 2:10。使行 13:36。

      それでアブラハム,モーセ,ダビデの3人は神を喜ばせ,シェオールへ行き,先祖と共に葬られ,あるいは先祖の下に集められました。「先祖と共に葬られた」という同じ表現が用いられても,同じ墓地に葬られたという意味ではありません。彼らは同じ場所に葬られていないからです。事実,エホバはモーセを葬られましたが,「今日までその墓を知る人は」ありません。―申命 34:5,6。

      エホバはまた,ソロモンが死んだときに,「その先祖と共に……葬られ」たという言葉を霊感による記録にしるさせました。(列王上 11:43。歴代志下 9:31)それで聖書の類似の表現に従うなら,ソロモンは彼の先祖,アブラハム,モーセ,ダビデと共に,復活の希望のあるシェオールまたはヘーデースにいるという正しい結論に達します。ソロモンの偉大な知恵を考えるとき,偽りの崇拝を行なった彼には十分の責任があると感ずる人がいるかも知れませんが,完全な公正とあわれみの神エホバはすべての事実をご存知であり,神はソロモンの復活を定めておられるようです。

      ダビデは死ぬ前に,このような戒めをソロモンに与えました。「あなたがもし〔エホバ〕を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう」。(歴代志略上 28:9)前にのべた事実を考えるとき,ダビデのこの言葉をどう理解できますか。ここでダビデは現在の生命のことを語ったのであり,ソロモンが真の崇拝から離れても彼に復活があるかどうかを考慮してはいなかったようです。イスラエルの王としてのソロモンがエホバを捨てるなら,神は彼を拒絶され,捨てられます。そしてその通りになったのです。(列王上 11:9-13)しかし聖書はソロモンが復活することを明らかにしています。―ヨハネ 5:28,29。マタイ 6:29; 12:42。使行 7:47。

      もちろん聖書はその中に出てくるあらゆる人物一人一人の復活の可能性をはっきり述べてはいません。しかし私たちがいま神への忠実さを証明すれば,復活を目撃するか復活する人々の一人になる特権を受けることができます。そのときにはだれが神の恵みにより復活するかをはっきり理解できるでしょう。

  • 何が欠けているか
    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • 何が欠けているか

      ● キリスト教国の教会に少なくとも二つのものが欠けていることは明らかです。人々の霊的な福祉への関心と教会員に聖書の知識を与える努力です。1961年11月18日号のザ・サタデー・イブニング・ポスト紙が伝えたポール・ミューゼルマン牧師の言葉に注目して下さい。「教会が人々に援助の手をさしのべるかわりに,自分の組織の事柄だけに夢中になっているので郊外の住民の多くは,教会に行かなくても生活して行けると感じているようである。たしかに教会員が聖書に無知であることは非教会員の励ましとなっていない。教会の役員に関する調査の結果から一例をあげれば,指導者の多くは山上の垂訓が旧約と新約のどちらにあったかについて自信がない」。

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