真の宗教の修繕者と回復者
『あなた方の者である彼らは長く荒廃した場所を建てるであろう。あなた方は多くの世代の基礎を立てるであろう。そして,あなた方は破れたものの修繕者,住めるようにするための道の回復者と呼ばれるであろう』― イザヤ 58:12,ア標。
1 真の宗教とは何ですか? 偽りの宗教とは何ですか?
真の宗教はヱホバの真正な崇拝であります。偽りの宗教はあらゆるものを用いてヱホバの崇拝に反対します。そのもつとも単純で共通な形において『宗教』という言葉は『崇拝の形式または制度』を意味します。それですから『宗教』と,いう言葉自身は『真実』を意味しません。異教も宗教であれば,キリスト教も宗教です,というのはその動機や目的がなんであれ,崇拝のいかなる形式または制度は宗教であると正しく言われるからです。何千という多くの違つた宗教が存在していますが,しかし唯一つの真の宗教だけがあります。その真の宗教は,ヱホバという御名を持つ最も高い神の崇拝です。この真の宗教は,現在人々に回復されています。
2 真の宗教にたいしてどんな企てがされていますか? しかしなぜそのような企ては失敗しますか?
2 真の宗教は永久のものであつて,滅ぼされることはありません。多くの世紀の間,敵は真の宗教を倒し,滅ぼそうとしてきています。しかし彼らの悪い行いは失敗であると証明されています。時に真の宗教がほとんどすつかりなくなりかけたように見えた時代もあります。人々は真の宗教に非難を浴せ,真の宗教をすることは叛逆の罪を犯すことであるようにしたこともあります。本当に,この地上で人間が存在し始めて約6000年の間,真の宗教が,そのうけた恐ろしい攻撃に屈服して,殆どなくなつてしまつたような時が多くありました。しかし,時には殆ど荒れ果ててしまつたような場合でも,ヱホバはいつも忠実な人々を起し,真の宗教を守らせられています。彼らは個人的な損失や死の危険にもかかわらず真の宗教のために戦いました。これらの人々は破れを直し,路を回復しましたので,人々は霊と真をもつてヱホバ神を再び崇拝することができました。丁度そのような危険な時に私たちは今日生活しているのです。
3 清い宗教は,どのような方法でエデンに存在しましたか? 何故清い宗教は続きませんでしたか?
3 アダムが不従順になる以前に,清い崇拝はエデンにありました。なぜならばその時に唯一人の神ヱホバの崇拝だけがあつたからです。人間がその清い状態にいた時,大きな祝福は彼に与えられました。そして,人間よりも低く造られたものについては,非常にたのしい奉仕が割り当てられました。というのは人間がそれらの低い動物を支配するということは神の目的であつたからです。そこには平和と静けさがあり,よろこびのその園の平静を汚すものは何もありませんでした。日の終り頃,おそらくは夕方の時にヱホバは人間に話されたのですから,その時には人間は神との仲介者を一人も必要としませんでした。しかし,楽園のこの状態は長く続きませんでした。アダムは真の宗教を捨てて,偽りの宗教をとり入れました。自分の意志で判断した後にしたこの不従順の行いのために,これらの祝福は失われました。アダムの楽しんだ幸福な,そして祝福に満ちた関係は,ただその力と権威を持つ者によつてのみ直され,アダムの子孫に与えられるでしよう。人類はこれらの素晴らしい祝福と生命そのものをも失いました。そして真の宗教からそんなにも遠く離れてしまいましたので,多くの人は真の宗教が何であるかを知らないほどです。そのような知らない者たちは,偶像崇拝の宗教は正しい宗教であると結論していますが,その偶像崇拝が結んだ恐ろしい実や,また創造者とその造られたものの間の類似をどれ程になくしたかということを全く無視しています。
4 真の宗教が失われる時に,何が起るかをかんたんに話しなさい。
4 人間が『神の像』に造られたことは,ヱホバの清い崇拝という意味も含まれているのです。人間は,その創造者のように,同じ原則と同じ行為の規則に従つて行わねばなりません。人間がヱホバの崇拝を止める時に,神にたいする人間の責任感はすぐになくなります。人間は理解をなくし,馬鹿げたことや,精神錯乱のことをするように落ちこんでしまいます。そして,木や,石や,金属を探しだして偶像を作り,顔をその上に画いて,その偶像に礼をして崇拝します。ある人間は,生きているものであれ,無生のものであれ他の造られたものを崇拝して満足を得ています。偽りの宗教は,無知,恐れ,迷信,憎しみ,狂信,そして狂気を産みだします。真の宗教は,善いこと,喜び,平和,愛,そして生命をもたらします。人間の希望と救いは,真の宗教の回復にあります。
5 偽りの宗教を造り出したものは誰ですか? 神と人間との間の破れをつくる時彼の計画は何でしたか?
5 偽りの宗教を造り出したものはサタンです。サタンは自分の意志で決定してからエデンにいた人間を叛逆させて,神と人間との間柄をたくみに破りました。それからサタンは彼の崇拝の方法に人間を組職し始めました。彼はいつもできるだけのことをして,人間を妨害しヱホバについての知識を得させまいとしています。このことをするために,サタンは人間に働きかけて,創造者の代りに神の造つたものを崇拝させ始めました。それですから,この多くの世紀の間に,人間は太陽から地上に匍うものにいたるまで,あらゆるものの宗教をつくりました。その結果として,全地球に及ぶような困乱が生じています。パウロはこう書いています『もしも今,私たちが発表する良いおとずれが実際に覆われてかくされるならば,それは亡んでゆく人々の中にあつて覆いかくされるのである。それらの人々の中にあつて,この組職制度の神は不信者の心をめくらにし,神の像であるキリストについての栄光ある良いおとずれの光りを輝かせまいとしている。』(コリント後 4:3,4,新世)偽りの宗教でもつてサタンが人類を欺くことができなくなる時がくるでしよう。イエスによつてそのことは予言されました『それから彼はその龍をとらえた。それは原の蛇であり悪魔であり,サタンである。彼はそれを一千年の間しばつた。それからそれを底のない坑に投げこみ,千年の終るまで,これ以上諸国民をだまし導くことのないようにその坑を閉じ,その上に封をした。』― 黙示 20:2,3,新世。
6 ノアとパウロの時代の状態を説明しなさい。そして偽りの宗教から結果として,これがどのように生じるかを説明しなさい。
6 真の宗教がなくなつた時には,結果として人類に腐敗した状態がもたらされますが,それはノアの時代の人々が落ちこんだ恐ろしい状態でよく示し表わされています。『それから神は地を見られた。みてごらんなさい,地は堕落しています,というのはすべての人は地にあつてその道を堕落させたからです。それから後に神はノアに言われました「すべての人の終りは近づいた。人間のために地は暴力でみちみちている。それで私は地とともに人間を滅ぼすであろう。」』(創世 6:12,13,新世)それから2000年後でも,状態は同じでした。パウロはこう書いています『彼らは神を知つていながらも,神として崇めず,感謝せず,かえつて彼らの思いにその頭は空しくなり,自分では賢いと主張しているが,彼らは愚か者となつて,朽ちることのない神の栄光をとりかえて,朽ちてしまう人間,鳥,四つ足のもの,そして匍うものの偶像のようなものにしてしまつている。彼らは正確な知識によつて神を認めようとしないので,彼らは堕落した精神の状態を持つようになつた。彼らはふさわしくないことをするようになつた。というのは彼らは不正,悪,貧欲,悪意に満ちており,またねたみ,殺意,争い,欺き,悪い気持で一杯であるからである。彼らはむだなことを話すものであり,人を悪く言い,神を憎む者たちである。』(ロマ 1:21-31,新世)また,この悪い組職制度の終りの時代に,同じような悪い状態が存在するであろうとパウロは語りました。―テモテ後 3:1-7。
7 多くの人々を救うために,いま何が必要ですか? そしてそのような仕事はいま行われていますか?
7 これら引用された聖句は,人間の荒れ果てた,堕落した低い状態を明白に書き表わしています。今こそ非常な修繕と回復の仕事がなされることは絶対的に必要なことです。そうすれば世界の死につつある人々の中である者は救い出され,完全な破滅から助けられるでしよう。そのような世界全体に及ぶ再建の仕事は進みつつあり,今日何十万という人々はその仕事から大きな利益を受けています。彼らは新しい宗教を見い出したのではなく,むしろ再び古い途に導かれ,使徒たちの宗教,そしてノア,アブラハムそして他の人たちのような昔しの忠実な人たちの持つていた宗教に連れもどされたのです。ヱホバの忠実な奉仕に回復される人たちには福祉が結果としてもたらされますが,その福祉は量ることができないほど多くあります。ヱホバは最も高い神であると彼らは知るようになり,そして彼らの心と生活の中に燃える神の愛のために,神の御意に従つております。真の宗教によつて,これらの誠実な,そして正直な心を持つ人々の中には尊敬,名誉,感謝,希望,そして敬虔が生じ発達しました。真の宗教は,それらの人々を全能者にしつかりと結びつけており,すべてのものをヱホバに喜んで捧げるようにさせています。
8 真の宗教からうける祝福を制限することができますか? なぜあなたはそう答えますか?
8 真の宗教は個人の関係を含みます。なぜならば,造られたものが自分自身を創造者に捧げて従うかどうかという決定をそれは含んでいるからです。創造者に身を捧げて従うというそのような行いは,非常に良いことです。当然に神のものである崇拝と尊敬を,人は絶えず神に捧げるということをそれは意味します。それで真の崇拝者たちは,愛の中に創造者と交るようになり,彼らの最高の主として創造者を知り名誉を捧げるようになります。彼らは父として神を愛し,彼の家族と聖なる奉仕の中にあつて完全なる休息と幸福とそして平和を見いだしています。それですから,真の宗教の祝福の中にはすべてのものが含まれているのです。その祝福には制限がありません。というのは希望が生まれ,永遠の生命に入るという見こみは私たちの生涯の一部となるからです。私たちが学んで,ヱホバと,また私たちの主であるキリスト,イエスの約束を信じ,信頼すればするほどに前述のことがらはますます確かであるということがわかります。
9 真の宗教は,どのように希望をあたえますか? そしてその結果は何ですか?
9 真の宗教によつて生ずる希望は生涯を変化させます。この悪い組職制度の下にあつては,希望がないので精神と心は痺麻しており,失望と苦みと,なやみがいまありますが,真の宗教はそのようなものを無くしてしまいます。永遠の生命の希望は,その子を通してただヱホバ神から与えられるものです。『唯一つで真の神であるあなたと,あなたが遣した者即ちイエス・キリストを知ること,これこそ永遠の生命を意味する。』(ヨハネ 17:3,新世)『私たちの主イエス・キリストを通して神の平和を楽しもう。イエスを通して,信仰によつて,私たちはいまうけているこの恵みある御親切に近づいているのであるから,神の栄光の希望に基いてよろこぼう。そして,それだけでなく,苦しみの中にあつてもよろこぼう,というのは苦しみは忍耐を生じ,忍耐は神より認められる状態を生じ,認められる状態は希望を生ずるということを知つているからである。そして希望は失望をもたらさない,なぜならば神の愛は,私たちに与えられた聖霊によつて私たちの心に注がれているからである。』(ロマ 5:1-5,新世)これは真の宗教です。
10 真の宗教を持つことを表わし示すしるしは何ですか?
10 それが真の宗教であると,どうして確かに言えるかとある人は尋ねるかもしれません。答えはこうです,真の宗教に関するすべてのものは,ヱホバのほまれと讃美になるように話さねばならぬことです。ヱホバにたいして,心と精神を広めなければなりません。その願いと希望はヱホバの御名が宇宙の他のいかなる名前よりも高くあがめられるのを見ることではなければなりません。そうです,彼の御名ヱホバが光り輝き,栄光の中に光り,その造られたすべてのものに偉大と雄大を堂々と示し表わされるのを見ることなのです。これらは真の宗教についてのいくらかの印です。真の宗教は形式主義ではなく,儀式ではなく,また社交的な祭典でもありません。それは,自分自身を立派そうに見せかけようとするものではなく,すべてのものを捧げる熱心をもつてヱホバを霊と真をもつて崇拝することです。創造者に固くつき従わねばなりません。そして,破れることのない絆で結ばれねばなりません。パウロは真の崇拝者でした。そしてこのように言いました『私は確信する,死も,生命も,み使たちも,また政府も,いまあるものも未来のものも,はたまたいろいろの力も,高いものも,深いものも,その他造られたどんなものも,私たちの主イエス・キリストの中にある神の愛から私たちを離すことができないことを。』ロマ 8:38,39,新世。
ヱホバの御名と真の宗教
11 神の言葉が真実であるかどうかについて,サタンが疑問を起させた方法を説明しなさい,そして何が結果として生じましたか?
11 真の宗教の代りに,サタンが偽りの宗教を始めたことは,ヱホバの御名の上に大きな非難をもたらしています。エデンでサタンは,神の言葉,神のなされる仕事そして神の御名が真実であるかどうか,またそうです一組の人間に対しての神の良い目的についてさえもその真実なることに疑問を発しました。次のように記録されています『さて,ヱホバ神の造られた野のすべての獣の中で,蛇はもつとも用心深いということが判つた。蛇は女に言い始めた「庭園にあるすべての木から喰べてはならないと神が言つたのは真であるか?」 これにたいして,女は蛇に言つた「庭園にある木の実を私たちは喰べることができる,しかし,庭園の中央にある木の実を喰べることについては,神はこう言われている『あなた方はその実を喰べてはならない。手を触れてもならない,というのはおそらくあなた方は死んでしまうからである。』」これにたいして,蛇は女に言つた「決して死なないであろう。その実を喰べたその日に,あなた方の目は必らず開き,また必らず神のようになつて,良いことと悪いことを知るようになると神は知つているからである。」』(創世 3:1-5,新世)これらの言葉は少いですが,多くのことを表わしています。ヱホバの命令が正しいかどうかについて,サタンは疑問しました。この罪が非常に悪いということは,約6000年の間,罪,悪,病気,悲しみ,悩みそして死が人類の上に及ぼされたということを考える時に理解されるでしよう。極端にも創造者の言葉に疑いをかけるというようなことは,いやしむべき程になんと利己的で,叛逆的なのでしよう!『神が言つたのは真であるか』という悪意のある言葉は,一面では質問の言葉ですが,また一面では見せかけの驚きの言葉であり,創造者にたいして疑いと不信を起させるように仕組まれたものです。そうです。サタンの悪の深さは,ここで表わし示されました。神の律法と命令にたいするサタンの叛逆は,最も高い方の御名に非難をもたらすことによつて表わされています。ここで,ヱホバの御名は初めて汚され,非難をあびせられました。サタンの行いの計画は,一組の人間とヱホバとの間の結びを切ることであり,修繕することも回復することも不可能であつて,その原の健全な状態にもどらない程の破れをつくることでした。
12 『その時に,ヱホバの名前を呼ぶことが始められた。』という聖句は,何を意味しますか?
12 人類の歴史で第3世紀に,まだセツの子エノスが生きていた時,人々はヱホバの御名を公然と汚し始めました。『その時に,ヱホバの名前を呼ぶことが始められた』と書かれています。(創世 4:26,新世)人々は後悔の気持を持たず,謙遜な心をもつてヱホバに奉仕しようとしませんでした。ヘブル語の学者たちは,ここの聖句は『汚し始めた』または『汚すことが始まつた』と読むべきであると主張しています。欽定訳(英文)では,レビ記 21章6節で同じヘブル語の動詞は『汚す』と翻訳されていますが,その動詞は違つた活用,形成,または種類のものです。しかし創世記 4章26節の場合,表面に表われた偶像崇拝の時でありました。これに関係して,次の適切な論評に注意してください『エノスの時代に,アダムの息子たちは大きな間違いをした。そして,その時代の賢明な人たちは獣のようになつて理性を失い,そしてエノス自身も間違いをしたもの(の一人)であつた。彼らの間違いはこうであつた。世界を支配するために,神はこれらの星や天体を創造し,それらを高いところに置いて名誉を与え,またそれらは神の前にあつて仕えるものであるから,人間はそれらを讃え,あがめ,ほまれを与えることは適当なことであると彼らは言つたのである。…人間は,星にたいして宮を建て始め,犠牲を捧げ始めた。…それは彼らが悪い考えを持ち,創造者から恵みを受けたいと思つたからであつた。そして,これは偶像崇拝の根元であつた。‥‥それで時がたつにつれて,栄光ある恐ろしい(神の)御名は,生きているすべての人の口から忘れられ,知られなくなつた。彼らは神を認めなかつたのである。』(マイモニード著「偶像崇拝についての論文」から引用)これは,サタンの狡猾な計画に関して,創世記 4章26節についてのユダヤ人の見解を示しています。
13 ニムロデはヱホバをどのように無視し,偽りの宗教のために働きましたか?
13 ノアとセムが,血をやたらに流してはいけないという禁止を含むヱホバの命令を人々に伝道したことは疑いない事です。それで叛逆者であるニムロデは,ヱホバを崇拝する者たちを軽べつしました。ニムロデはヱホバを無視し,自分自身を人々の支配者といたしました。『彼はヱホバに反対して,力ある猟夫であることを自ら表わした。それで,「ヱホバに反対した力ある猟夫ニムロデのようである」という諺があるのである。」』(創世 10:9,新世)エルサレムのタルグムはこう言つています『彼は力ある猟夫であつた。(または,掠奪するのに力があつた)彼は神の前で罪を犯した,というのは彼は人間の子供たちを狩り,「セムの宗教から離れよ,そしてニムロデの制度につき従え」と彼らに言つていたからである。』彼の目的は真の宗教を亡すことでした。彼の王国の始まりはバベルでした。(創世 10:10)バベルの町と大きな塔が建てられた時,ヱホバはそれで不快に感ぜられました。記録はこう述べています『その後ヱホバは言はれた「見よ! 彼らは一つの国民であつて,彼らは一つの言語を持つている。そして彼らはこのことをし始めようとしている…」それでヱホバは人々を地上の全表面に散らされたので,彼らは次第に町を建てることを止めた。』(創世 11:5-8,新世)ヱホバの御名を拭き消すためにこの町と塔は建てられました。そしてそれはヱホバに反対して自分自らの名前をつくるためでした。
14,15 (イ)パロはヱホバを無視しましたが,それはヱホバへのどんな讃美という結果をもたらしましたか?(ロ)モーセの時代とエリヤの時代にあつた危険な破れを説明しなさい。
14 モーセの時代に,パロはヱホバに反対し,ヱホバよりもパロの方が偉大なものであると世界の前に高ぶりました。ヱホバはこの勢力ある世界支配者の力を滅ぼし,パロの偶像を投げ倒し,御自分が最も高い方であるということを立証されました。パロにたいしての神の警告は次のようでした『しかし実際にこの理由のために,私はお前を存在させて来た,それはお前に私の力を見せ,そして私の名を全地に知らしめるためである。』(出埃 9:16)モーセと彼の後継者ヨシユアの生涯の間,真の宗教につき従うか,または偽りの宗教をとり上げて神の恵みを失うかを人々にはつきり選ばせることは必要になりました。イスラエルの国民は幾度も滅びから救われました。ある時に,ヱホバの御名の故に,イスラエルの国民を救うようにとモーセはヱホバに願い祈りました。神は聞かれ,そしてその破れは直されました『それで彼らを滅ぼそうとヱホバは言われた,しかしモーセはその破れにあつて,ヱホバの前に立ち,ヱホバの烈しい怒りをそらしたので,彼らは滅ぼされなかつた。』― 詩 106:23,ア標。
15 別の重大な破れは,エリヤの時代に直されました。アハブ王は異教の宗教へと背教しましたので,ヱホバは彼を強く憎まれ,その結果として破れが生じたのでした。アハブ王の妻イゼベルは,カナンの子孫が住んでいたフェニシヤ地方のシドン人で,以前にアミタロテとバアルの祭司であつた人の娘でした。清い宗教を憎むこの異端者イゼベルとアハブは結婚すべきではありませんでした。イゼベルは自分自身の祭司制度を組職し,450人の祭司たちが彼女によつて扶養されました。それは,もちろん国の費用でされたということは言うまでもありません。何年か前に,サムエルは偽りの宗教を廃止しました。しかしイゼベルは偽りの宗教を再び持ち入れました。イスラエルの国民が,ヱホバかまたはバアルかそのどちらに奉仕するかを決定する時がきました。
16 真の宗教と偽りの宗教の間のこの勝負で何が起つたかを話しなさい。
16 この時には真の宗教はうちこわされた状態でありました。しかし,エリヤはヱホバの御名を高くあがめましたので,ヱホバはエリヤを用いて,うちこわされたものを建ておこし真の宗教を回復させました。アハブ王はエリヤを非難して,イスラエルをなやましていると言いましたが,予言者エリヤは恐れを感ぜず,次のように答えました『我はイスラエルを悩まさず,ただ汝と汝の父の家これを悩ますなり。すなわち汝らはヱホバの命令を棄てて,かつ汝はバアルに従いたり。』エリヤは命令を出してイスラエル人たちをカルメル山に集めさせ,またバアルの450人の偽りの予言者たちをも集めさせました。それからエリヤは言いました『汝らいつまで二つのものの間にまようや? ヱホバもし神ならば,これに従え。されどバアルもし神ならば,これに従え。』続いて勝負が行われましたが,そのことは列王紀略上 18章17-40節に書かれています。狂信者たちが,異教の儀式にしたがつてだらしのない憎むべきことをし,彼らの神をなだめようと大声をあげて叫びましたが,バアルには助けることもできず,望みを与えることすらできなかつたことに注意してください。その記事を読んで,そのえらい興奮状態と,気のくるつたような逆上さわぎを想像してごらんなさい。でも,何の答えもありませんでしたので,彼らの宗教的な儀式はますます馬鹿げたものとなり,恥知らずのものとなりました。(バアルの崇拝は,非常に淫猥な崇拝の一つでした)これらの狂気じみた悪魔崇拝者たちは,自分自身の体をナイフで切り,血が多くほとばしりでました。一日中行われ,遂に彼らはすつかりつかれ果ててしまいました。傍に立つて見ていた人々は,清き美わしきものをもてヱホバを崇拝すべきでありましたが,そのような人々にとつてこれはなんという悪魔宗教の表われなのでしよう!
17 エリヤの態度は,バアルの予言者たちの態度とどのような対照をしめしましたか?
17 さて,エリヤをよく見てごらんなさい。静かに,尊敬の態度でまた取りみだして,感情を表わすということもなく,彼は威厳をもつておごそかに祈りを捧げます。それは偽りの予言者たちのみだらな狂気じみたこととは対照をなすものです『アブラハム・イサク・イスラエルの神ヱホバよ,汝のイスラエルにおいて神なること,および我が汝の僕にして,汝の言葉にしたがつてこれらの全てのことをなせることを今日知らしめたまえ。ヱホバよ,我にこたえたまえ,我にこたえたまえ。この民をして汝ヱホバは神なること,および汝は彼らの心をひるがえしたまうということを知らしめたまえ。』そのような祈りは,なんとはつきり理解できるのでしよう,そしてまたヱホバとイスラエル人に対してエリヤの持つていた深い愛をなんと良く表わしているのでしよう! エリヤはこの祈りの中でヱホバに彼の心を傾け注いだのでした。エリヤは強い信仰を持つていました。そして,ヱホバの呪いがこれらのイスラエル人の上に来るの欲しませんでした。この民の心が,安全な古い道にひき戻り,バアルの利己的な,感情を刺げきして引き起させ亡びをもたらす偽りの宗教を棄てさせるようにエリヤは祈りました。
18,19 (イ)エリヤは真の宗教をどのように修繕し回復しましたか?(ロ)どのようにヱホバは祈りに答えられましたか,そしてその結果を示しなさい。(ハ)エレミヤの時代に,なぜヱホバは破れをもたらしましたか?
18 エリヤはバアルの祭壇を用いるのを拒絶し,ヱホバを尊びあがめました。ヱホバの壇は,用いられずまた軽んぜられましたので地にくずれ落ちていましたが,エリヤはヱホバの壇を修繕しました。12の石でもつてエリヤは壇をふたたび建てました。前もつて何が起るかということを彼は発表しておきましたが,彼の信仰は完全でした。彼はヱホバの御名をまもり,イスラエル人に真の宗教を回復し,真の崇拝のやぶれたものを修繕しました。恐らく,彼の祈りはほんの数分であつたことでしよう。しかし,その祈りのすぐ後にヱホバから答えがありました。待つこともなく,天からの火が犠牲を焼きつくすのを見て,目撃者たちは誰が神であるかについてもはや全く疑いを持ちませんでした『民みな見て伏していいけるはヱホバは神なり,ヱホバは神なり。エリヤ彼らに言いけるは,バアルの予言者をとらえよ,その一人をものがれしむるなかれと。すなわち之をとらえたればエリヤ之をキション川にひき下りて,かしこに之を殺せり。』― 列王紀略上 18:39,40。
19 ヱホバはエリヤを用いて破れを修繕し,真の宗教を回復させ,エリヤはヱホバの御名をあがめました。それで,エリヤにとつてその日は勝利の日でありました。この神聖を瀆し,神にこの不敬を行い,獣のように理性のない偽りの宗教に反対して,エリヤの生命は危くなくなるところでした。しかし,彼は,神への敵対を許しませんでした。ヱホバ御自身も敵対を許さない神であります。それですから,如何なる反対者をも彼は耐え忍ぶことはできません。最も高い神についてのエリヤの考えはそんなにも高いものでしたので,他のすべての神々や崇拝物を全く排除しました。カルメル山でのこの勝負は,記録の中でももつともすばらしいものの一つです。しかし,その決定は勝負を永久に終らせませんでした。というのは目に見えないサタンは間もなく忙しく働き始め,エリヤの建てた仕事を再びこわし,イスラエルから真の宗教を取り離してしまいました。後に70年間続いた破れが来ましたが,その年月の間エルサレいとユダの町は荒れ果てていました。イスラエルの偽りの宗教について,エレミヤは幾度も幾度もイスラエルに警告しました。その警告の一つはこうでした『愚かにして,悟りなく,目あれども見えず,耳あれども聞えざる民よこれをきけ。ヱホバ言いたもう,汝らわれを畏れざるか,我が前におののかざるか‥‥しかるにこの民はそむき,かつもとれる心あり。すでにそむきて去れり。彼らはまた…我が神ヱホバを畏るべしと其心に言わざるなり。…この地に驚くべきことと憎むべきこと行わる。予言者は偽りて予言をなし,祭司は彼らの手によりて治め,我が民はかかることを愛す。されど汝らその終りに何をなさんとするや。』― エレミヤ 5:21-31。
20 偽りの宗教家たちは,なぜ『平康!』と叫びましたか? ヱホバはなぜよろこばれませんでしたか?
20 ヱホバは言われました『彼らは小さき者より大いなる者にいたるまで皆むさぼる者なり。又予言者より祭司にいたるまで皆いつわりをなす者なればなり。彼ら浅く我民の傷を医し,平康からざる時に平康平康といえり。』ヱホバの烈しい怒りは必らず来ることでしよう。偽りの予言者たちがどのように宥めようとも,その烈しい怒りを止めることはできないでしよう。彼らは,イスラエルの真の王であり,最も高い神ヱホバの命令に反対し,その命令を取り消しましたので,これらの偽りの宗教家たちは,ヱホバの前にあつて叛逆の行為をしていました。ヱホバの忠実な大使のもつ忠義な従順をこわそうと彼らは努めました。『ヱホバかくいいたもう,汝ら途に立ちて見古き道について,いづれが良き道なるをたづねて,国の道に歩め,さらば汝らの魂安きをえん。されど彼ら答えて我らはそれに歩まじと言う』また『わが目は夜も昼もたえず涙を流さん。そは我が民の童女大いなる破れと重き傷によりて亡ぼさるればなり。』この破れは,そんなにも広かつたので,神の民は70年間捕われていなければなりませんでした。唯一つの正しい崇拝しかないということを彼らは学ばねばなりませんでした。『神でないものを神に人間はするであろうか? であるから,この度私は彼らに私の手と私の力を知らせよう。そうすれば,私の名前がヱホバであることを彼らは知るであろう。』― エレミヤ 6:13-19; 14:17; 16:20,21,ア標。
21 この大きな破れがくるであろうと,イザヤはどのように予言しておりましたか?
21 エレミヤの時代よりもずつと昔しに予言者イザヤは,ヱホバとの将来の破れをイスラエルに警告しました。でも彼らは拒絶して聞きませんでした。『それは叛逆の民であり,偽りを言う子らであり,ヱホバの律法を聞かない子らである。見る者にむかつては,見てはならないと言い,予言者にむかつては,正しいことを予言するな,滑らかなことを語れ,偽りのことを語れと言う。また,道をはなれ,道をされ,そしてイスラエルの聖者を私たちの前からなくせと言う。しかし,イスラエルの聖者はこう言う「あなた方はこの言葉を軽べつし,圧制とよこしまなることを信頼し依存している。それであるから,あなた方にとつて,この不正はくずれ落ちようとする破れのようであろう。」』― イザヤ 30:9-14,ア標。
22 偽りの宗教家たちは,ヱホバの名前を隠しましたが,それはなんの理由のためでしたか?
22 イスラエル人は真理と清い宗教を欲しませんでした。予言者たちに願い出てただ『滑らかなこと』だけ語らせました。罪の意識を持ち,恐れを感じている彼らの心にとつて,曲ることのない正しい真理には耐えることができませんでした。これらのヱホバの裁きは,来ないということを予言者たちに保証してもらいたかつたのです。ヱホバの名前をイザヤは口にだしてはならないというようなことまでも彼らは要求し,『イスラエルの聖者を私たちの前からなくせ』と言いました。全く彼らは創造者に非常に反対しました。その心は固くなりましたので,いままで養つて下さつた手を咬もうとしました。彼らを導いた母親に怒りの気持をもつて,憎しみをむけました。なんという恐ろしい状態に彼らは落ち込んだのでしよう! そのことは,偽りの宗教を持つときに,人々がどのように狂気じみ,獣のようになるかということを再び強く示すものです。ヱホバの名前を記憶から取りのぞこうと欲しました。『ヱホバの名前を欲しない!』と彼らは言いました。しかし,忠実な予言者は,ヱホバの御名にあつて,語るのを止めるなどということを全然考えもしませんでした。忠実な僕はヱホバの御名を伝道するのに決してためらわず,またヱホバからの音信を発表するのに決してためらわないでしよう。世界のあらゆる地方の人々に,その言葉をより受けやすくするため,ヱホバという御名の代りに『主』とか『神』とかいう一般の称号が用いられていますが,真の崇拝者たちは,ヱホバという御名を隠すなどという罪を決して犯さないでしよう。ヱホバという御名を隠す者たちは,その御名を恥じており,その御名から来る裁きを恐れています。
23,24 禁ぜられている道を人が行く時,何が結果として生じますか? アモスの子言を何時ヱホバは成就せしめましたか?
23 エレミヤを通して,次のようにヱホバは告げました『私の民は私を忘れ,偽わりの神々に香をたく。彼らは,その古代の道につまずき,小道である,つくられていない道を行かねばならない。』(エレミア 18:15,ア標)ヱホバを見棄てることは,古代の道をすてさることを自動的に意味しました。イスラエル人は無限に栄光あるヱホバから離れ価値のない,感覚のない唖の偶像に向い,その民をつまずかせました。律法にそむいて,彼らは禁ぜられていた,未知の道を歩みました。彼らは誘惑者の思うがままとなり,王の正しい公道を離れ去つたために多くの苦しみで本当に悩まされました。彼らはヱホバの警告を軽べつし,ヱホバという畏るべき御名を聞くことすら耐えることができませんでした。全く,彼の無限の聖さの前にあつて,耐えることができなかつたのです。
24 70年の荒廃に続いて,恵みある御親切はイスラエル人に与えられました。彼らは自分の国に連れ戻され,ヱホバの清い崇拝にもどりました。それから,ゼルバベルの指導の下に,宮殿を再建し,後には城壁が建てられ,大きな再建の仕事が全地に行われました。予言者アモスはこれらのことを予言しました。こう書かれています『その日には,我ダビデの倒れたる幕屋を興し,その破れをつくろい,そのくづれたるを興し,古代の日のごとくにこれを建なおすべし‥‥われ我が民イスラエルの捕われを返さん。彼らは荒れたる町々を建なおして其処に生まん。』(アモス 9:11-15)この予言は文字通りに成就しましたが,そのことだけでなく,将来においてより大きな規模で成就する筈でありました。この予言のより大きな将来の成就について,次の記事は論じています。