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塔62 8/15 483–484ページ

幸福の敵をさけますか

幸福になることを望みながら,その望みに反することをする場合があります。自分では幸福になるために努力している積りでも,その行いによって自分を不幸に追いやっている場合もあるのです。ですから,幸福の開拓者のように仮装した,幸福の敵を警戒する必要があるのです。

他人の持物に対するあこがれは,幸福を破壊する陰険な敵です。人は,他の者が持っている物を手に入れさえすれば幸福になれると思うかも知れませんが,この考えから生ずる不満が幸福をもみ消してしまうのです。

ある人が,自分のお金をその人流に使ったからといって,それがどうしたというのでしょうか。自分もその人と同じようにお金を使わねばなりませんか。余分の時間や精力をかけなくても,物の買える人はあるでしょう。しかし,人に買えるくらいなら,自分にだって買えてよいはずだという考えは,不幸を招くことになります。

幸福の敵の正体を,絶えず私たちに教えてくれるのは,神の御言葉である聖書です。幸福への道を,物質に求めすぎないように警告して,霊感によって書かれた聖書は次のように述べています,「わたしたちは,何ひとつ持たないでこの世にきた。また,何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。(テモテ前 6:7,8,新口)同じような意味のことが,ヘブル書 13章5節にも述べられています,「金銭を愛することをしないで,自分の持っているもので満足しなさい。主は,『わたしは,決してあなたを離れず,あなたを捨てない』と言われた」。

それで,「持っているもので満足している」クリスチャンは,近所の人や友人が,新しい物を買うたびに心を乱されることもなく,この世の人のように,毎日自分の買いたい物のことばかり話すようなこともありません。男の人は,新車や小道具,ほしいと思っている趣味の道具などのことをいつも話し,女性は買いたいと思っている衣装のことばかり話すでしょう。そうした会話は,幸福への伝導力を持っていません。かえって不満を生み出し,霊的なものではなく物質的なものを強調します。

多くの人が,幸福への道,と考えているこの持物の誇りとは何でしょうか。それは,世俗的名利を追うことです。霊感を受けた使徒ヨハネはこう言います,「すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇りは,父から出たものではなく,世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。(ヨハネ第一 2:16,17,新口)人は,幸福を求めて多くの持物を蓄積するかも知れません。そして,それらをながめて,自分がそれの所有者であることに誇りを感ずるかも知れません。しかし,そのような所有者としての誇りは,真の,永続的な満足をもたらしません。この世は過ぎ去りますから,それが永続するはずがありません。神の御言葉によってこの世は滅びに定められているのです。(ペテロ後 3:7)永続しない以上,「持物をほこる」必要がどこにあるでしょうか。

そればかりではありません。他の人が持っている物を,自分も持ちたいと思うと,そこにはしっと,ねたみなどが生まれます。それらはみな幸福の敵です。カインは弟のアベルがエホバの恵みを受けたのでねたみましたが,それによって彼は幸福にはなりませんでした。彼のねたみは憎しみに変わり,ついに殺人をするに至りました。イスラエルの王アハブは,ナボテのぶどう畑を非常にねたましく思っていました。そのねたみが次第に大きくなったとき,ナボテは殺害され,ナボテのぶどう畑を手に入れるまでは,自分の幸福は完全でないと考えていたアハブもついに死ぬことになりました。霊感による言葉が,「ねたみは骨のくさりなり」と言っているのも不思議ではありません。クリスチャンは,こうした幸福の敵をさけるように警告されています,「互にいどみ合い,互にねたみ合って,虚栄に生きてはならない」。―箴言 14:30。ガラテヤ 5:26。創世 4:2-8。列王上 21:1-24; 22:34-38。

自制心の欠乏も,幸福のもう一つの強力な敵です。人は,食欲や欲望を野放しにすれば,もっと幸福になれると思うかも知れませんが,自制心がないと,幸福をつかむよりもむしろ,大酒飲み,大食家,病気などになって,貧困と後悔にさいなまれるようになるかも知れません。

この幸福の敵をさけるように,神の御言葉はつぎのように私たちに警告しています,「愚かな者は霊をことごとく表わし,知恵ある者は静かにこれをおさえる」。(箴言 29:11,新世)愚かな者は「霊をことごとく」表わします。これは幸福に通ずる神の霊の表現ではなく,むしろ,腹を立てて怒りのはけ口を求める,その人自身の興奮した心の表われです。うっぷんを晴らせばすっとすると思って,それをことごとく表わします。それからどういう解放感が得られますか。一時的にはすっとするかも知れません。が,心はらくにはなりません。なぜなら,自制心が欠けていると,害を受けて後悔することになり,人を遠ざけてしまうからです。幸福を求める人は,それを「静かにおさえる人」です。腹立たしい時に,強制的に自分の心を押えます。それから,狂気じみた根拠ではなく,合理的な根拠にもとづいて,問題を解決し,幸福の敵をさけます。

取るに足らない欠点をとりあげて,口うるさく言うのも,自制心の欠けている証拠です。これも幸福の敵です。慢性の小言屋は,男にでも女にでも,またどんな年齢の者にでもいるものです。小言を言う者は,人を感激させたり,確信させたり,恐れを柔らげる努力はしないで,際限なく悩まされるという恐れを相手にもたせて影響力をもとうとします。かつてこういうことを言った詩人がいました,「私の妻は,いってきの灯油のはいったよいぶどう酒のようである。どんなに上等のぶどうが使われ,注意深く処理され,年代が経っており,かおりがよくても,にがみが風味をそこなってしまう」。彼の妻は小言屋だったのです。激しい表現にせよ,小言にせよ,自制心の不足は幸福の敵です。

神の御言葉を生活の導きにして,これらの敵をさけましょう。神のこの導きがなければ,だれも真の幸福を見出すことはできません。神の御言葉の霊的な事がらに,すなわち永遠の価値をもつ事がらに,愛情を傾けましょう。なぜなら,「神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」からです。その時,私たちは,幸福な永遠の神の新しい世で,永遠に神と共にいることでしょう。

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