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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
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死刑執行の意外な波紋

● 米国では,ここ10年来初めてという死刑の執行に際し,当の死刑囚が刑の執行を要求したにもかかわらず,各団体が猛烈な反対運動を展開しました。ある団体は,「残念ながら,我々を殺人者に仕立てるようなことをさせるわけにはゆかない」と言明しました。しかし,死刑囚ゲーリー・ギルモアは,彼らの手はすでに血に染まっているとして非難しました。ギルモアは,その団体のスポークスマンにあてた手紙の中で,死刑に反対するその同じ人々が,多くの場合,「死刑の執行にほかならない堕胎」を是認し,「それを大いに支持している」と書きました。「あなたがたの真の罪の意識はどこにあるのか」と,彼は詰問しています。

このように,有罪とされた殺人犯でさえ,彼らの道徳観が矛盾していることに気づきました。幾百万もの無実の生命を奪う堕胎という大量殺りくを支持していながら,わずか数人の殺人者の処刑に声を大にして反対することは,確かに矛盾しています。死刑に反対するこれらの人々は,生命は保護を受けるに値すると主張していますが,公正が守られているかどうかには関係なく,その生命体が子宮の中にあるかあるいは外にあるかということのみが考慮されているようです。

殺人者を処罰するという神の認めた権限を非とする一方で,堕胎という合法化された殺人を容認する人々の態度は,イエスの時代の独善的な宗教指導者を思い起こさせないでしょうか。イエスは,彼らのことを,「ぶよは濾し取りながら,らくだを飲み込む者たち」と言われました。―マタイ 23:24。創世 9:6。

スリランカのカトリック教徒と聖書

● 最近号のセイロン・カトリック・メッセンジャー誌に掲載された投書の中で,スリランカのカトリック教徒の間で行なわれているエホバの証人の業に対する苦情が述べられていました。その中で投書をした人は,「カトリック教徒の家庭の多数の子女が,今やこのいまわしい使者の訪問予定者リストに載せられている」と述べています。それはいったいなぜですか。投書者はこう語っています。エホバの証人は,「カトリック教徒が長い間聖書を読むのを許されてこなかったことに気づいている。そのため,彼らは,たいした抵抗も受けずに,これらのカトリック教徒をだますことができる」。

この投書をした人は続いて次のように提案しています。「こうした証人たちの存在は見せかけではあるがむしろ祝福として扱われるべきである。なぜなら,これ以上,カトリック教徒が迷い出ないようにするためには,聖職者はどのカトリック教徒の家庭においても聖書を読むよう勧めなければならないからである」。

しかし,こうした論議によって,幾つかの重要な質問が提起されます。スリランカの『カトリック教徒が長い間聖書を読んでいなかった』のはなぜですか。真のクリスチャンは,禁令下の土地においてさえ,聖書を手に入れ,神の言葉を読む道を常に見いだしてこなかったでしょうか。これまで,『僧職者が個々のカトリック教徒に家庭で聖書を読むよう勧め』てこなかったのはなぜですか。エホバの証人の聖書研究の業に対抗するだけの理由で,カトリック教徒に聖書を読むよう勧めるのですか。

事実,エホバの証人がスリランカのカトリック教徒の間で成功しているのは彼らが聖書に収められている真理を学んでいるからです。聖書を読むよう勧めるのは確かに正しいことです。なぜなら聖書を読めば読むほど,聖書に反する僧職者の束縛からより大きな自由が得られるからです。

柔和な答えの価値

● 米国のクリーブランド・プレス紙の一記事は,その冒頭で次のように述べています。「路上で,時には自分の家の中でさえ,突然だれかに脅されたり,ののしられたりすることがある」。最近,クリーブランド市で悲惨な死を招く暴力事件が多発しているため,「こうした危険な事態に対処する最善の策は何か」ということが問題となっています。

この問題で相談を受けたクリーブランドの一精神科医によると,自分の男らしさがいどまれているので,腕力で対抗しなければならない,と考えている人が少なくないようです。同精神科医はこう語りました。「中には,雄々しくあるのはりっぱなことだと考える人がいるようだが,よく考えてみると,それは無意味なことである。私の場合,強い敵意を抱いている人には,一般に丁重に接するよう心掛けている」。

クリーブランド警察学校の訓練課程の責任者は同記事に注目し,「対決を避けること,つまり精神的に混乱した人を挑発しないようにすること」を勧めています。

危険な人物と思われる人にこのように接することの知恵は,現代の精神科医や警察官が経験を通して学ぶよりも幾世紀も前に,すでに語られていました。聖書の箴言(15:1,口)はこう述べています。「柔らかい答は憤りをとどめ,激しい言葉は怒りをひき起こす」。―箴言 23:9と比較してください。

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