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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
塔66 8/1 474–477ページ

クリスチャンにふさわしい節約によって幸福を増す

神を愛する人はいつも,真の崇拝を押し進めることを喜びます。それで,イエス・キリストとその使徒が町から町,村から村を回って神の国の福音を宣明した時,その仕事を物質的に助けることを喜び,また特権と考えた人は多くいました。たとえばマグダラのマリヤ,ヨハンナ,スザンナその他の婦人は,喜んで「自分たちの持ち物をもって一行に奉仕し」ました。(ルカ 8:1-3)また,ピリピのクリスチャン会衆全体は持ち物を使徒パウロに分け与えました。パウロがピリピのクリスチャンにあてて,「テサロニケでも,一再ならず,物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた」と書いたのはそのためです。クリスチャンとして寛大であったこれらの人々は常に神の報いを受けました。(ピリピ 4:14-20)今日の多くの人も当時に生きていたとすれは,同じようにして真の崇拝を物質的に助ける機会に深く感謝したに違いありません。

まさしくそのとおりの機会があるのです。幸いにもエホバの証人は,ほかの心の正直な人々が神のみ心を学び,それに従って行動するのを助けるため,自分の時間と体力と金銭をささげています。(テモテ第一 4:16)今日,希望の実現を長いあいだ待つことはもはや必要ありません。御国の支配はすでに始まっています。設立された神の国の福音を宣べ伝え,各自の事情に応じて物質的にもこの仕事を助けることができるなら,それは大きな特権ではありませんか。

与えることに対する態度

エホバの証人の活動は商業的なものではありません。したがって集会その他の活動は自発的な寄付でまかなわれています。与えることは強制されません。この点でエホバの証人は初期のクリスチャンに似ています。ターツリアンはこう書きました。「そこに一種の寄付箱があっても,それは,宗教が請負によるものであるかのごとく,入場料を集めるためのものではない。各自が月に1度,あるいはいつでもすきな時に,いくらかの小銭を持って来る。これはできる時に,しかも望む時にするのである。だれも強制されない。これは自発的なささげ物である」。(「弁明」34:5)このような取り決めはコリントのクリスチャンにあてた使徒パウロのことばと一致しています。「各自は惜しむ心からでなく,また,しいられてでもなく,自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」― コリント第二 9:7。

エホバの証人は自分の貴重なものをもってエホバをあがめることを喜んでいます。(箴言 3:9)エホバの証人の与える時の態度はモーセ時代のイスラエル人に似ています。当時のイスラエル人には,崇拝用の墓屋を造るに必要な金,銀,銅,毛,麻などをささげることによってエホバをあがめる機会がありました。心から願う者たちは喜んで,この「エホバへの献納物」をしました。それは「自発的なささげ物」でした。(出エジプト 35:4-9,20-29,文語,新世)そして人々はどれぐらいささげたのですか。記録を読みましょう。モーセは,「民があまりに多く携えて来るので〔エホバ〕がせよと命じられた組立ての工事には余ります」との報告を受けました。記録はこう続いています。「モーセは命令を発し,宿営中にふれさせて言った,『男も女も,もはや聖所のために,ささげ物をするに及ばない』。それで民は携えて来ることをやめた。材料はすべての工事をするのにじゅうぶんでかつ余るからである」。―出エジプト 36:4-7。

何年ものち,ダビデ王は自分の子ソロモンが建てる宮のために多くの資材を献じました。神の家を喜んだダビデは,そのことのために自分の金銀の「財宝」をもささげたのです。(歴代上 29:3)そののち,愛されたイスラエルの王は集まった自分の民にこう尋ねました。「だれかきょう,〔エホバ〕にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」。(歴代上 29:5,〔文語〕)反応はまさに満足すべきものでした。イスラエルの長やつかさたちはささげ物をし,「宝石を持っている者はそれを……神の宮の倉に納めた」のです。人々は惜しむ心でそれをしたのですか。けっしてそうではありません。聖書はこうしるしています。「彼らがこのように真心からみずから進んで〔エホバ〕にささげたので,民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ」― 歴代上 29:6-9,〔文語〕。

与えるためにクリスチャンらしい節約をする

イエス・キリストは,「受けるよりは与える方が,さいわいである」と言われました。(使行 20:35)忠実なエホバ神のしもべは,適切な与え方をすることによって,このことばのとおり,自分の幸福を増したことが何度もあります。しかしその人々は莫大な資金や財産を持ち,計画なしにすきなだけ与えても,何の支障も感じない富裕な人であったわけではありません。イスラエル人も幕屋や宮のために物をささげ,そこで奉仕する人々をささえるため,聖書に従った節約をしなければならなかったに違いありません。また初期クリスチャンの多くも,必要があれば与えることができるよう,同じことをしなければならなかったでしょう。このことは今日でも同じです。御国伝道活動の拡大のために寄付することを心から願うクリスチャンの多くは,計画を立て,節約をしなければなりません。聖書の原則に従った倹約をしなければならないのです。

クリスチャンの中に富んだ人はほとんどいません。しかし,自分のささげる物がわずかであっても,それを取るに足りないものと見る必要はありません。ある時イエスは,富んだ人々が宮のさいせん箱に献金するのを見ていました。その時,ひとりの貧しいやもめが来て,小銭二つを入れました。イエスはやもめを軽べつしませんでした。むしろこう言われました。「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。これらの人たちはみな,ありあまる中から献金を投げ入れたが,あの婦人は,その乏しい中から,持っている生活費全部を入れたからである」。(ルカ 21:1-4)ささげ物は文字どおり小額でしたが,やもめの行ないは大いにほめられました。

このやもめのような人,またほかの人々も,もし浪費を避けるなら,クリスチャンらしい与え方によって幸福を増す機会のあることを知るでしょう。賢明に使うなら,多くの物は長持ちします。「知恵ある者の家には尊い宝があり,愚かな人はこれを,のみ尽す」と述べた箴言 21章20節は,物を賢く使うことと,自分の資産を大切にすることの必要さを示しています。

人が自分の勤労の結果を楽しむことは神のみむねにかなっています。(伝道 3:12,13)しかし,それを過度にするなら,気持ちよい生活を送ることさえむずかしくなるでしょう。エホバのしもべは,クリスチャンらしい生活をし,自制心など神の御霊の実をつちかうことによって,クリスチャン宣教の拡大にあてる資金をも使い尽くすという極端を避けます。(ガラテヤ 5:22,23)「快楽を好む者は貧しい人となり,酒と油とを好む者は富むことがない」という箴言 21章17節のことばは真実です。過度になるのを避けることによって,クリスチャンは敬虔な生活を送るだけでなく,ほかの人々よりじょうずな節約家になります。このような忠実な人々は余分の資金を娯楽やぜいたくのために使い尽くさず,むしろ貯えて,自分の好むことに使えるようにします。こうして,神の国の福音を全地に宣べ伝える仕事のために何らかの寄付をできるのです。

聖書の原則に従うクリスチャンは勤勉に,また正直に働き,それによってもクリスチャンとしての与えることの喜びを増し加えられます。「愚かなる者は手をつかねて,自分の肉を食う」という伝道の書 4章5節のことばはわたしたちを考えさせます。そして昔のレムエル王は,良く働く勤勉な妻をほめています。(箴言 31:10-31)また使徒パウロは,「貧しい人々に分け与えるようになるため」,正直に働くことを勧めています。―エペソ 4:28。

だれにその特権があるか

ユダヤにいた聖徒たちが金銭的に困っていた時,それを助けることを望んだコリントのクリスチャンに対し,使徒パウロは適切な提案をしました。パウロはこう書きました。「聖徒たちへの献金については,わたしはガラテヤの諸〔会衆〕に命じておいたが,あなたがたもそのとおりにしなさい。一週の初めの日ごとに,あなたがたはそれぞれ,いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき,わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい」。(コリント第一 16:1,2)このような提案は与えることを心から願っているクリスチャン家族に役だつでしょう。

クリスチャンらしく節約するとは合理的に節約することです。それは資産を聖書の原則に従って使うことです。しかし,節約のために一定の取り決めを設けることもできます。非常時に備えて資金のいくらかを貯える人がいるように,クリスチャンは真の宗拝を支持するための寄付として定期的にいくらかずつを別にすることができます。「一週の初めの日ごとに」手もとにいくらかたくわえておくことをコリント人にすすめた使徒パウロは,このようなことを考えていました。一家のかしらである父親は,望むなら,このような取り決めを自分の家庭に設けることができます。(エペソ 5:21–6:4)そうすれば家族の中の者たち,あるいはその全員が,それぞれの立場に応じてクリスチャンらしい与え方をすることができます。

使徒パウロが寄付に関する助言をコリントの会衆とガラテヤの諸会衆に与えたことにも注意すべきです。これらの会衆は喜んで寄付をしました。今日でも,御国の仕事を進めるため余分の資金を寄付する会衆が多くあります。これは会衆全体の決議というかたちで行なわれます。もとより,全地で行なわれるクリスチャンの伝道活動を助けるため,心から喜んで個人的な寄付をする人も多くいます。これは適切な与え方であり,それによって人は自分の幸福を増すことができます。ものみの塔協会は受け取った寄付に対していつも感謝の手紙を出します。このような寄付をすることを望む人また会衆は,東京都高輪局区内豊岡町1,ものみの塔聖書冊子協会に送ることができ,外国におられるかたならもよりの協会事務所に送ることができます。

クリスチャンは神の国の福音を伝道する仕事を拡大することに深い関心をもっています。それゆえクリスチャンの中には,自分が死ぬ時に遺産の一部または全部を協会の管理にゆだねることを計画する人もいます。これはそうした寄付を懇請するものではありませんが,この取り決めに関心のある人々に対しては,求めがあればさらに詳細をお知らせできます。

しかし,すでにある余分の資金を御国のためにすぐに活用したいと思うクリスチャンもいるでしょう。そうした場合「条件寄付」の取り決めを利用できます。この取り決めを利用する人は,不測の事態が起きた場合に,自分の寄付の申し込みを取り消すことができます。「条件寄付」についてさらに詳しくお知りになりたいかたは,先の住所あて手紙をお書き下さい。

協会は受け取る寄付のすべてを神の国の音信を広めるために用います。たとえば,そのような寄付によって,各国に派遣される宣教者の活動がまかなわれます。また,聖書文書の頒布にきわめて必要な印刷工場が運営されます。(マタイ 24:45-47)各地のクリスチャン会衆をたずね,霊的な援助を与える巡回のしもべや地域のしもべの活動もこうした寄付によってまかなわれています。パウロもピリピのクリスチャンから同じような助けを得ました。全時間宣教奉仕をしているほかの人々も同様な援助を受けています。そして,御国会館の寄付箱に入れられる自発的な献金によって,エホバの証人や証人の仕事に関心をもつ人は,人々が集まって神のことばを学ぶ集会の場所を維持しています。

キリストを信じた初期の人々は,エホバ神をたたえ,神の目的を宣べ伝えたイエスとその弟子たちの活動を惜しみなく助けました。それをすることは特権でした。そして,そうした人々は,寄付をするために,聖書の健全な原則にしたがった節約をしなければなりませんでした。しかし,真の崇拝を押し進めるためのこうした寄付には大きな喜びが伴ったのです。今日の事情は第1世紀当時と似ています。多くの人々が自分の資金と資産を賢明に使って,世界的な御国伝道の仕事を物質的に支持しています。そうした人々はクリスチャンらしい節約によって自分の幸福を増し加えているのです。

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