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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
塔63 2/1 67–68ページ

言葉を少なくしなさい

おしゃべりな人の口から流れ出る言葉は,ある人々にとっては,大きなパイプからはてしなくほとばしり出る水のようです。それには終りがないように思えます。そして礼儀正しい聞き手を水攻めにし,会話を生き生きしたものにしようとするどんな努力もおぼれさせてしまいます。会話というものは,表現の交換であって,聞くことも話すのと同じほどたいせつだということを,おしゃべりな人は気づいていないようです。

ギリシャの哲学者ソクラテスは,こう言ったことがあります,「自然はわれわれが話すよりもよく聞きよく見るようにと,二つの耳と,二つの目とを与え,舌は一つしか与えなかった」。もしあなたが,のべつ幕なしにまくしたてて,聞き手をおぼれさせるとすれば,あなたは彼らからどれだけのことを学ぶことができますか。また彼らも,実際にどれだけのことをあなたから学ぶでしょうか。

聞き手にとって建設的で利益になることを話すには,よく考える必要があります。それなのに,もしあなたがやすみなく弁じたてるなら,どうして示唆に富んだ話をすることができるでしょうか。恐らくそれはだれもほんきで聞こうとしないつまらない話になるでしょう。フランスの哲学者モンテスキューは,「考えない人間ほどよくしゃべる」と言いました。

個人的な問題や意見や経験について,必要もなくつまらないこまかなことまでべらべらしゃべるのは,他の人の興味と時間を無視した利己的な行いです。自分のことばかり話す代わりに,ほかの人が彼ら自身に興味のあることを話すように励ましてください。そして,ほかの人たちが話すときは,その話に耳を傾むけることです。ぼんやりほかのことを考えてたり,何かを読んでいるのは失礼にあたります。時々うなずいたり,そうですネと言ってごまかすことはできません。聞いていないなら,相手はすぐにわかるからです。礼儀正しく,相手の言うことを聞くなら,なにか得ることがあるでしょう。

ほかの人に,おもしろくもないおしゃべりをながながと聞かせておいて,相手がやっとふた言み言,言葉をはさむ機会をみつけたときにそれを聞かないのは,はなはだしい自己中心です。思いやりのある人は,つぎに友だちにあびせかける言葉を考えていたりしないで,相手の言うことをよく聞くでしょう。自分だけが話す価値のあるものをもっていると考えるのは間違いです。自分自身のことを,際限なく話すことは,話している当人には価値があると思えても,ほかの人にはそうではありません。人は言葉を多くして,自分の愚かさをあらわします。「愚者は言葉を多くする」。―伝道 10:14,新口。

おしゃべりな人のとりとめのない話は,徳を高める会話にはなりません。会話がおもしろくなるのは,会話をしている人々が,しばらくのあいだ一つの主題にとどまって,みんながそれぞれ何か話せるようにするときです。みんなが話しまた聞くなら,その会話は建設的で楽しいものとなります。それがちょっとぐらいとぎれても,座がしらけたと考えて,なにか言おうとする必要はありません。つまらないおしゃべりをするくせのある人はそういう風に考えるかもしれませんが,示唆に富んだ会話における,話のとぎれは,気持ちのよいものであってきまりの悪いものではありません。この話のとぎれで人は,いままで話されてきたこと,またこれから話そうと思うことがらをよく考えることができます。そのような深い考えから出てくる表現は刺激的なものであって,会話を価値のあるものにします。

おしゃべりな人の口からほとばしり出る言葉には,人を傷つけるうわさや中傷さえ混じって飛び出し勝ちです。そういう話は害のある結果だけを招き,ついには話した者に報いがかえることになるでしょう。またそういう話をすることは,友だちの信頼にそむき,神の戒めを破ることでもあります。聖書は私たちにこう教えています,「言葉が多ければ,とがを免れない,自分のくちびるを制する者は知恵がある」。「口と舌とを守る者はその魂を守って,悩みにあわせない」― 箴言 10:19; 21:23,新口。

言葉を少なくしておしゃべりをさけるのは賢明です。しかし無口で打ちとけないのは賢明ではありません。だまりこくって,ほかの者ばかりにしゃべらせておくかわりに,自分の考えを話しなさい。ほかの人たちが,あなたの意見によって益を受け,またあなたが何を考えているかを知ることができるように,会話に参加する努力をしなさい。会話が意味のないつまらないものになっていると感じたなら,一つの質問を起こして,会話をもっと益のある方向へ巧みに誘導することです。いつの時でも質問は,おもしろい会話を始めさせる良い刺激物です。

何も話すことがないと言う人は,もっと気をつけて新聞,雑誌,本などの記事を読む必要があります。また定期的に聖書を読むときに見つかる興味ある事柄には特に注意を注ぐ必要があります。それらは,話そうと思う事柄のよい資料になります。よく読んでおくと,生き生きした会話に参加するのに大いに役立ちます。会話が自分に興味のないものに変わっていっても,殻の中にはいり込んで口を閉じてしまうようなことをせずに,質問などをしてその事柄に対する興味をつちかうようにすることです。

話すまえに,話そうと思う事柄をよく考えるなら,それは口に出すだけの価値あるものとなります。といってこれは,あなたの言う言葉がみな深遠な知恵の言葉でなければならないという意味ではなく,建設的なものでなければならないということです。もし言おうとする事柄が,建設的というよりむしろ品位を落すようなもの,事実というよりもむしろ想像にもとづいたもの,徳をたてるよりもむしろ好色的なものであれば,言わないで置くほうがましです。思考力と良識は有益な会話を生み出すものであって,「知恵ある者のくちびるは知識をひろめる」と書かれています。(箴言 15:7,新口)そういう人々は,会話を独占することがなく,言葉を少なくしてほかの人に話す機会を与えます。しかし口を開くときには知識を語ります。そして教育的で,会話の価値を高めることを言うものです。

口から不愉快な奔流のように言葉を出すよりもむしろ,有益で歓迎される静かで断続的な雨のように言葉を出しましょう。またそれは建設的で教育的で有益でなければなりません。どんな会話においても,言葉を少なくして,聞き手に思いやりを示しましょう。

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「おりにかなひて語る言は銀の彫刻物に金の林檎をはめたるが如し」。―箴言 25:11。

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