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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
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法王に対する司祭の答え

● 近年においてローマ・カトリック教会の多くの司祭が,色々な国でいわゆる“テロリスト”あるいは“ゲリラ”グループを支援する政治活動にかかわってきました。これは“解放神学”と呼ばれているものです。法王ヨハネ・パウロ二世はメキシコ訪問の際に,司祭がこのような運動にかかわることを非難しました。同法王は貧しい人々を助ける必要を認めましたが,それでも暴力につながる政治活動に司祭がかかわってはならないと述べています。

この点について法王は次のように語りました。「キリストを政治家,革命家,ナザレ出身の破壊活動分子と見る考えは,カトリックの公教要理と一致しない。福音書が明白に示している通り,イエスにとって,ヤハウェのしもべとしての使命を変えることになるものは何であれ,誘惑の魔手であった」。

同様に教会上部の他の指導者たちも,殺害をひき起こす政治活動に司祭が同調すべきではないと述べています。しかしこれは歴史を通じて教会の方針でしたか。諸国家が再び戦争に巻き込まれる時,将来においても変わらないでしょうか。それともイエスが観察されたように「彼らは言いはしますが,実行しない」という事でしょうか。―マタイ 23:3。

ラテン・アメリカにおけるこのような“解放”運動の支持者の一人エルネスト・カルデナル司祭は,後者であると述べています。“殺害に携わった政府を何世紀にもわたって祝福してきた教会”が,司祭に対して政治的紛争にかかわらないように命ずるのは矛盾であると彼は語っています。この矛盾は,次のように述べたニューヨーク・タイムズ紙の記事の中でも注目されています。「過去において土地のカトリック階級組織はほとんどいつでも自国の戦争を支持し,軍隊を祝福し,戦勝を祈願した。一方,相手国の司祭の別のグループは正反対の結果になることを公に祈ったのである」。

ドイツは宣教師の活躍舞台

● 何世紀にもわたりキリスト教世界の諸教会はドイツの多くの人々の生活を支配してきました。しかしルーテル国教会は,多くの独立した宗教グループの支持を受けて1980年をドイツ連邦共和国における「宣教師の年」にする準備を進めています。なぜでしょうか。「スイス・福音プレス・サービス」に述べられているように,「ドイツは宣教師の活躍舞台となった」からです。

プレス・サービスの論評によれば,ルーテル教会は福音伝道を何世紀もの間“まま子”扱いにし,キリスト教の信仰が世代から世代へ自動的に受け継がれて当然と考えていました。しかしこの事は今日見られていません。報告は次のように述べています。「家庭,学校そして社会は,もはやキリスト教信仰の信頼できる仲介者あるいは従者では決してない。教会およびキリスト教からの内的また外的な離脱が,予想もできないほどの規模に達したのである」。

子供に体罰を与えるべきか

● 昔はそれが必要になる時,子供はたいていしりをたたかれました。こうした体罰が分別に欠けた親たちによって乱用されてきたのは事実です。現代の児童心理学者の大多数が体罰を与えることに反対しているのも,一つにはそうした点に原因があると言えます。今日この見方を疑問視する人も一部にいますが,今なお大多数の意見はニューヨークの寄稿家ブレンダ・ウッヅが書いているのと同様なものです。「子供のしりをたたくのを良い考えだと思っている専門家がいないことは確かである。しかし時たまそれをしたからといって悪い事をしたように感ずる必要はもはやないと彼らは考えている」。

しかし青少年犯罪の著しい増加は,“体罰を非とする”考え方が,問題の解決に役立っていない一つの証拠です。ではつり合いのとれた見方を最も良く知るのはだれですか。確かにそれは人類を創造した神です。神の霊感による言葉はこう述べています。「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの細棒はそれを彼から遠くに取り除くものである」。(箴 22:15,新)懲らしめには良い教えと手本の含まれることが聖書から見て明らかですが,子供のしりをたたくことはそれから除外されるでしょうか。そうではありません。箴言 23章13節(新)は次のように述べているからです。「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。細棒でたたいても,彼が死ぬことはない」。―箴言 13章24節もごらんください。

このような懲らしめは怒りと憎しみにかられて与えるべきではなく,愛に根ざした気遣いのゆえに,また理解できる年齢の子供ならば適切な説明をしてから与えるべきです。このようにつり合いのとれた,そして敬虔な見方を持つ親は,懲らしめの効き目が表われるにつれ,体罰の必要が次第に無くなることを体験します。

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