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目ざめよ! 1977
目77 6/8 3–5ページ

あなたは寿命を延ばせますか

命は貴重なものです。心身の健康に恵まれている多くの人の中に,自分の死ぬ年月日と時刻を決めておきたいと思う人がいるでしょうか。確かにそういう人は一人もいません。有意義な仕事をしており,人からも認められ愛されていると考えるなら,人々はいつまでも生きていたいと思います。しかし,どうすれば人は長くて有意義な人生を確保することができるのでしょうか。

心配してみたところで,それによっては人の寿命は確かに一分も長くはなりません。過度の心配は寿命を延ばすのに役立つどころか人を不愉快な気持ちにするだけです。寿命を縮めることさえあるでしょう。

むろん,親から受け継いだ身体的機能の弱点や欠陥については,人はほとんど何もすることができません。さらに,事故,洪水,地震,火山の爆発など,全く予期しない出来事が起きて,人の命をまたたくまに絶ってしまうかもしれません。しかしそのような状態の現在でさえ,命をより長く楽しむためにできることがあります。思慮のない冒険を避け,体に必要な食物と休養をとるように気をつけることができます。最も大切なこととしては,知恵を導きとして選ぶことができます。

聖書の箴言は,知恵を用いることが寿命に良い影響を及ぼすことを指摘して次のように述べています。「それは,それを捉える者たちにとって命の木であり,それをしっかり捕らえている者たちは幸いな者と呼ばれることになる」。(箴 3:18,新)知恵,すなわち知識をうまく応用する能力は,若死にを含め,言うに言われぬ苦悩から人を守ることができます。

例えば,聖書の箴言がアルコールの飲み過ぎについてなんと述べているか考えてみましょう。「災いに遭っているのはだれか。不安を感じているのはだれか。口論をしているのはだれか。思い煩っているのはだれか。理由もなく傷を負っているのはだれか。目が鈍くなっているのはだれか。ぶどう酒と共に長い間とどまる者たち,混ぜ合わせたぶどう酒を吟味するために入ってくる者たちではないか。ぶどう酒が赤みを帯びる時,杯の中できらめく時,なめらかに滑る時,それを見てはいけない。それは終わりにはまるで蛇のようにかみ,まるでまむしのように毒を分泌する」― 箴 23:29-32,新。

ここに描写されている通り,大酒にふける人は理由もないのにすぐけんか腰になり,つかみ合いを始めることが少なくありません。そういう人にとって酒はひどく魅力があり,きらめいて見えます。節度のない飲酒は,へびの毒と同様の影響をその人に及ぼします。身体を病気にし,例えば肝硬変などを起こさせることがあります。また振戦譫妄症などを引き起こして精神障害をもたらすこともあります。アルコール飲料の大量摂取は,へびの毒のように致命的なものになりかねません。

泥酔状態の人に起こる可能性のある事柄を箴言は続けて次のように描写します。「あなたの目は奇妙なものを見,あなたの心はゆがんだ事柄を話す。そしてあなたは必ず,海の真ん中で身を横たえている者のように[おぼれかけている者と同じように意識が混濁してついに無意識状態に陥るのを経験する],帆柱のてっぺんで身を横たえている者のようになる[そこは船の揺れが一番大きいところなので,泥酔者の命は,事故に遭うとか,打たれるとか,けんかをするとかで非常な危険にさらされるという意]。『彼らはわたしを打った。しかしわたしは病気にならなかった。彼らはわたしを殴った。しかしわたしはそれを知らなかった[と泥酔者は独り言のように言う。彼の感覚は全く鈍ってしまって,自分の身に何が起きているのか分からない」。いつわたしは目覚めることだろう。わたしはなお,もっと求めることだろう。[一眠りして酒気を払ったならまた酒に戻る]』」― 箴 23:33-35,新。

酒を飲み過ぎない人はまことに賢明といわねばなりません。その人の知恵は「命の木」であって,その人をさまざまな問題から,ことによったら早死にからもその人を守ります。

箴言の中で言われている他の助言も,もしそれに従うなら,やはり人の命を延ばすのに役立ちます。そこには,健全な助言に注意を払い,不法な者たちとかかわりを持たないようにし,性非行を避けなさい,という励ましが記されています。「賢い人は聴いて,さらに多くの教えを取り入れる」。(箴 1:5,新)「もし罪人があなたをたぶらかそうとしても,応じてはならない。もし彼らが,『ぜひ我々と一緒に行こう。……待ち伏せしよう……』と言い続けても,応じてはならない」。(箴 1:10-15,新)「なぜ,わが子よ,見知らぬ女と陶酔に浸ったり,異国の女の胸を抱擁したりしてよいだろうか。……自らの誤りが邪悪な者を捕らえ,自らの縄のうちに彼は捉えられるであろう。彼は懲らしめがないために死ぬ者であ(る)」― 箴 5:20-23,新。

聖書に一致した行動が,人の命を長く,しかも幸福なものにすることに役立つことは明白です。しかしながら,神を恐れる敬虔な行ないの益は,現在だけで終わるものではありません。クリスチャンであった使徒パウロは次のように書いています。「敬神の専念はすべての事に益があるからです。それは,今の命ときたるべき命との約束を保つのです」― テモテ第一 4:8。

至高者が人類のために意図しておられる将来の生活については,聖書に次のように説明されています。「見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神は自ら彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」― 啓示 21:3,4。

したがって,神の戒めに従って生きることは,今の命を長くし,またすばらしい将来にあずかる見込みを得させます。しかし,今日の人々が一人残らず,聖書に従って生きることに賛成しているわけではありません。自分自身の行き方を好む人々もいます。そのような人々の中には神のしもべを迫害する人たちもいます。

その迫害が敬虔な人の命を脅かすこともあるかもしれません。そのときにはどうしますか。迫害者の要求に屈して若死にを避けますか。そのような場合に妥協すれば寿命が延びるように思えるかもしれません。しかしそうではありません。イエス・キリストはこう言われました。「だれでも自分の魂[命]を救おうと思う者はそれを失うからです。しかし,だれでもわたしと良いたよりのために自分の魂を失う者はそれを救うのです」。(マルコ 8:35)「自分の魂を慈しむ者はそれを亡くしますが,この世において自分の魂を憎む[過度に命に執着しない]者は,それを永遠の命のために保護することになるのです」― ヨハネ 12:25。

迫害者たちの手にかかって早死にすることがどうして終わりのない寿命のためにそれを保護することになるのでしょうか。

なぜなら,神に忠実を保って死ぬ人は,永遠の命の見込みをもって死人の中からよみがえらされるという安心感を得ることができるからです。一方,妥協する人は地上でさらに幾年か生きるかもしれませんが,とこしえの命を得る見込みを危うくするのです。神のみ前における是認された立場を失うなら,それは,とこしえの幸福な将来を,不敬虔な世での幾年かの短い命と取り換えたことになります。なんと愚かな決定でしょう!

それで,寿命を延ばすことに本当に関心があるなら,聖書の健全な導きに従わねばなりません。そのためにどんな圧力を加えられようともそれを実行するのです。とこしえの命を与えることができるのは人間ではなくて神である事実を,決して見失わないようにしてください。

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