非合法に戦うことなく,また世界的伝道をも止めず
1 伝道の自由のための戦で,私たちは何をなし,また何をしませんか?
ヱホバの証者は,全世界に亘る伝道の自由のための戦いに,決して非合法な手段や法律に沿わない手段に訴えません。ヱホバの証者である私たちは,法律を都合の良いように勝手に取り扱いますか? 否,私たちは群をつくつて,政府の役人たちに向つて反抗することはありません。鉄のカーテン内でも,暴力をふるつて,その主張を押し通すことはありません。役人に害を加えませんし,役人に反対するため武装するということはありません。人間または人間の群で,力づくや暴力で政府を顚覆するなどということを主唱しません。その政府が,御国の良いたよりを伝道するという神の与えた私たちの仕事を抑圧する時でも,このことは真のことであります。私たちは,それぞれの国の法律に従つて用いることのできる戦いの機関のみを利用し用いるのです。国の法律に訴訟手続きがなく,その手続きに従つて,合法的に戦えない場合を仮定してごらんなさい。その時に政府を顚覆しようとも,変えようとも,または反逆しようともいたしません。
2 ある国では,どのような行を採るべきですか? 誰がそのような政策を決定しますか?
2 ある国々では,政府は非常に不安定で,また真理に対する反対が非常に大きいために公やけに公然と伝道することは賢明でない場合があります。そのような国々では,法庭に訴えることもできず,また役人は私たちの権利を保護しません。動揺や面倒を起すならば,急速に禁止をうける結果になります。その理由は,カトリックが支配しているか,または全体主義の政府があるからです。ある国々で,家から家へとする伝道が許されているのは,役人の好意だけに依存しています。街頭伝道は禁ぜられています。そのような状況の下では,街道伝道の権利を主張いたしません。協会がこのことを決定し,地方の兄弟たちは,決してこの政策を定めません。そのような場所で街頭伝道する権利を要求するならば,禁止が必然的に急速に課せられるでしよう。そのために,役人は,家から家への良いたよりの伝道を中止するでしよう。そのような国々では,私たちは『王たち,また高い地位にいる者たちについて祈る。それは,全き敬虔と慎しみ深さをもつて,静かな平和な生活を送るためである。』― テモテ前 2:1,2,新世。
3,4 (イ)家から家の伝道が合法でないところでは,伝道の業はどのように行われますか?(ロ)そのような行をすることに対しては,どんな理由および聖書的な支持がありますか?
3 ある国々では,文書を持つて家から家へと公然に働くことは合法になつていません。官憲と争うのを避け,全く禁ぜられるのを避けるために,証言はただ聖書を用いてする口頭の伝道だけにするよう協会は指示します。善意者はこのようにして識別されます。そこには後日再訪問し,神の言葉を示している出版物をうけとる機会が与えられます。このことは,都合の良い時に,善意者の家庭の人目につかない所でされるのであつて,敵からは見えない所でなされます。特に公やけの配布を主張することは伝道の自由に急速な終りをもたらすという時に,ある国々で文書の公やけの配布を避けることは非常に賢明ではありませんか? その質問に対する答えは,全く肯定の答えであります!
4 違つた国々で,伝道の仕事の方法を変えるということについては,聖書から見ても正しい理由があります。私たちは,牢獄に行くために世に遣わされているのではなく,また,死んでしまう殉教者になりたいとは欲しません。私たちの目的は,音信を伝道することです。そのためには,私たちは自由であつて,生きていなければなりません。(伝道之書 9:10)世界に広く福音を伝道するために,私たちは,『狼の中の羊』であるとイエスの言つた言葉を記憶しなければなりません。スペインやアルゼンチンで,アメリカ合衆国で今しているような具合に伝道できないということは明白です。それで,私たちは非常な神権的な巧みさを用い,『蛇のごとくに慧く,鳩の如くに罪無き者』と証明しなければなりません。(マタイ 10:16,新世)健全な心の霊は,それと反対なことをするのは愚かなことであると示しています。諺は次のように言つています。『賢き者は,禍いを見てみずから避け,拙き者はすすみて罰をうく。』(シンゲン 27:12)良く一般に言われている言葉『盲人蛇に怖じず』は適当なものです。ある国々で,公然の伝道をするために,敗け戦をしても何の益があるでしょうか? その戦いの結果,証言の仕事が全然許されないと仮定してごらんなさい。すべてのものは禁ぜられます。それからどうなるでしようか? そのために,伝道の仕事は行われません。そのような国々では,福音伝道をする時,いますこし目立たないように行う方が良くはないでしようか?(テモテ後 1:7)そのように行うならば,それらの国々でも伝道の仕事は続きます。それこそ私たちの欲していることであります。つまり,伝道の仕事を続けて行い,兄弟たちや善意者たちが,協会本部からの霊的食物を支給され,養われることです。
5 国家が業を全く禁ずるとき,ヱホバの証者はどんな道をとりますか?
5 国家が私たちの業を全く禁止するとき,なにが起りますか? 地的本部から来る霊的食物の直接の供給線は切られてしまいます! しかし,― ヱホバの証者はまだその国におります。彼らは,伝道を止めることができません。(エレミヤ 26:14,15)禁止によつて,ただ公やけの,または公然の伝道が妨げられるだけです。地上で業をすることが合法的にできないだけです。その結果,圧迫の命令下にあつて,彼らは地下に潜り,伝道を続けます。彼らは,ローマのクリスチャンたちの取つた同じ路に従います。ローマで,クリスチャンたちや彼らの伝道は塚窟に潜つていたのです。
反対にかゝわらず恐れなく伝道する
6 伝道の業を禁ずる結果について,事実は何をしていますか? なぜそうなのですか?
6 記録の事実の示すところによると,禁止は伝道を止めません。むしろ,事実から見るとき,地下で行う伝道は時には,地上で行う伝道よりも良い成績を収めることがあります。迫害が暑くなればなる程に,『良い土』のあるところに真理の種子は早く生えて来ます。そのような暑い気候の下では真理の種子は早く生長し,広く拡がります。善意者が起ち上り,真理に来るのを禁ずるのは,草の葉に地から出て来てはならぬと命令するのが不可能と同じく,全く不可能なことです。禁ずることはできません。禁止されているそのような国々の兄弟は,忠実を守らずに逃げてしまつた予言者ウリヤとはちがい,去ることもせずまたは止めようとはいたしません。(エレミヤ 26:21)彼らはエレミヤのようです。彼は禁止の下にあつて,死の脅威に直面しても,(エレミヤ 26:8)国を逃げるのを拒絶し,牢獄に投げこまれました。(エレミヤ 38:6)ヱホバは彼を救助しました。(エレミヤ 38:10-13)エレミヤと同じく,真理はそのような国々にいる現代の証者たちの骨の中にあつて,火のようです。(エレミヤ 20:9)真理を止めることができますか? 否! 真理を抑え止めることはできません! それは,必ずやでてきます! 禁止の結果が何であろうと,ヱホバの証者は伝道を止めることができません。伝道はヱホバ神の命じているものです。伝道することは,生命を意味します。止めることは,死を意味します。
7 どんな約束を考えるときに,私たちは誰だけを恐れるべきですか?
7 私たちには,みなヱホバの約束があります。ヱホバはその約束を守ります! ヱホバは私たちのすべてをその御手と翼の陰の下に保護し続けます。(イザヤ 51:16。詩 17:8。)この約束は,民主主義の国だけでなく共産主義者の国でも真であります。彼はヱホバの御名を呼ぶすべての者を救われます。(ヨエル 2:32。シンゲン 18:10。)それで,共産主義者の独裁者や,国々の大政治家たちとか,また支配者たちを恐れる必要があるでしようか? 答えは,否! 決して!です。全能の神であるヱホバだけを恐れなさい。『この民のすべて叛逆ととなうるところのものを,なんじら叛逆ととなうるなかれ,彼らのおそるるところを汝らおそるるなかれ,おののくなかれ。なんじらはただ万軍のヱホバを聖として,これを畏み,これを恐るべし。』(イザヤ 8:12,13)その住んでいる国の政府が自由のものであろうと,または圧迫のものであろうと,そのようなことには係りなく,私たちは神のこの命令に従うときの安全さに依存することができます。
8 どんな保証のために,私たちの決意は何ですか?
8 たとえ死に直面しようと,伝道の自由のための戦いを決して断念しません。どんな時でもヱホバに依り頼みます。ヱホバにとつて,危険や困難が大きすぎて,私たちを守れないとか,または救えないなどということは全くありません。私たちは彼の記録を知つています。全能の神であり,私たちの父であるヱホバの次の言葉をおぼえています。『「恐れてはならない,私はあなた方を贖い出し,名ざしてあなた方を召したのである。―あなた方は私のものである! あなた方が大水を通るとき,私は共におり,河を通る時に,河は溢れることはない。火の中を歩くとき,火傷することなく,火の焔を通る時に,焔も燃えつくことはない。主(ヱホバ)である私は,あなた方の神であり,またイスラエルの聖者である私は,あなた方の救い主である。私はエジプトを贖代として与え,エチオピアとシバをあなた方の代りとする。あなた方は,私の見るところでは貴いものであり私の尊び愛する者にして,交換に土地を与え,あなた方の代りに民を与える。恐れてはならない,私はあなた方と共にいる。」……「そしてあなた方は私の証者である」は主の言われた御告げである。「私は昔しからも,またこれから先きにも神である。私の手から救い出せるものは他にいない。私が働くとき,誰が反対し得ようか?」』― イザヤ 43:1-5,12,13,ア訳。
9 私たちは何に確信を置きますか? それは,どんな予言的な劇で示されますか?
9 キリスト・イエスに従うクリスチャンとして私たちは,海車,陸車,または原子爆弾の貯蔵を持つていますか? いいえ! 私たちは,そのようなものを何一つ欲しません! 何一つ必要としません! 私たちの保護は,ゼパニヤによつて次のように述べられています。『なんじの神ヱホバなんじの中にいます。彼は救いを施す勇士なり,彼なんじのために喜び楽しみ,愛の余りに黙し,汝のために喜びて呼ばりたもう。』(ゼパニヤ 3:17)保護のための必要なものは,述べるに簡単なものです。それは,昔のイスラエル人たちが戦いの時にしたことを行うことです。彼らはただヱホバの讃美を歌い,戦いの武器を用いませんでした。モアブ,アンモン,およびセイル山の民の強力な連合軍隊がユダにむかつて攻めた時,ヱホバはヨシャパテに命じて歌い手を軍の前に置かせ,聖き美しきものをもて讃美を歌わせました。その結果を知りませんか? 必らずご存知でしよう! それは,歴史において最も大きな敗戦の一つでした!(歴代志略下 20章)ヱホバはまたアサ王のために戦いをいたしました。イスラエル人たちではなく,ヱホバは,100万人からなるエチオピアの軍隊を亡ぼしました。(歴代志略下 14:9-15)ミデアン人を敗退させたのは,ギデオンのすぐれた力によるのではなく,わずか300名の者たちに対して,その敵の数は圧倒的に多かつたのです。その300名の者たちは,ヱホバの指示の下に行い,ミデアンの大軍を恐怖に落し入れました。彼らのしたことは,ただ瓶を打ち砕いて光りを輝かせ,ラッパを鳴らして,「ヱホバのためぞ,ギデオンのためぞ」と叫ぶことでした。―シシ記 7章。
10 ヱホバの御言葉は力があるものと,なぜ言われますか?
10 私たちは,ヱホバの讃美を語ることにより歌を歌います。伝道することにより自由の門を広く開き,善意者たちが避難の都に逃げさせるようにいたします。(ヨシュア 21:13,21,32,38。イザヤ 26:2)ヱホバの言葉の中には,御自分を知る者たちに,自由と解放の希望が記されています。『すべてヱホバの名を呼ぶ者は救わるべし。それはヱホバの宣いし如く,シオンの山とエルサレムとに救われし者あるべければなり。その残れる者の中にヱホバの召し給えるものあらん。』(ヨエル 2:32)私たちの宣べ伝えるヱホバの言葉は,力あるものです。その言葉は,建て起すべきものを建て起し,うち砕かれるべきものをうち砕きます。パウロはこう言いました。『私たちの戦いの武器は,肉のものではなく,城砦を打ちこわすための神による力である。』(コリント後 10:4,新世)ノアの時代の洪水をもたらしたのは,ヱホバの言葉であつたことを記憶して下さい。ハルマゲドンの戦いの時に,現在の悪い世に亡びをもたらすのは同じ言葉です。また,『正義の宿る』新しい天と新しい地をつくるのも同じ言葉であります。(ペテロ後 3:5-7,13,新世)ノアの伝道がなされたのは,神の言葉によりました。ちようどハルマゲドンの大変動が,神の言葉によつてもたらされるように,戦いの始まる前に終らねばならぬ伝道も,神の言葉によつてなされます。(マタイ 24:14。ペテロ後 3:9,10)それで,ヱホバの証者である私たちは,神の言葉により,捕われ人に自由を宣明する仕事を忠実に保ち守ります。―イザヤ 61:1,2。
自由を宣明する
11,12 レビ記 25章10節は,昔の時代に,また1776年のアメリカ合衆国で,どのように適切なものでしたか? 現代ではどうですか?
11 1776年,アメリカが英領帝国からの独立を宣言した時,ペンシルバニヤ英国植民地のヒラデルフィア,州議事堂の塔の鐘は,自由を告げて打ち鳴らされました。その鐘の鐘声は,続いて起つた出来事を通して,地上隈なく聞えました。その鐘の上に,次のような言葉が彫まれていました。『全地に,全住民に自由を宣明せよ。』この歴史的な言葉は,自由の最大の書つまり神の言葉である聖書から引用されました。ヱホバ神は,ヨベルの年を準備された時,イスラエルのための律法の中にこの言葉を用いました。ヨベルの年とは,すべての人が家に帰り,借金から自由にされる年でした。それは,自由の聖なる年でした。国民は,『国中のすべての人民に自由を宣しめす』べきでした。―レビ 25:10。
12 ヒラデルフイアの『自由の鐘』から打ち鳴らされた自由の響きを聞いた人々の心には希望が生じ,その希望は,多くの人の心を打ち,大きな犠牲をはらわせ,自由と独立をつくりだした革命を戦わせました。1世紀半以上のちのいま,『自由の地』に住む人々は,自由が小さくなつているのを見ます。脅やかされている自由の将来は,ただアメリカだけではなく,全世界にわたり危いものです。この大危急の時にあつて,ヱホバ神は自由の大きな鐘すなわち神の言葉を強く打たれました。自由の大いなる音信が打ち出されています! ヱホバの証者である私たちは,その音を聞き,自由のために非常な犠牲をいたします。私たちは,『全地に亙つて自由』を宣明しています。自由のラッパを吹き鳴らすのは,ただ一つの国の中だけではなく,全世界に亙つているのです。その音信は,神の政府が人類の唯一つの希望であり,または自由の永久の保証で永遠の生命の祝福であるということです。ヱホバの証者である私たちは,劉喨の音色で全世界にわたり自由を伝道し,悪魔サタンの支配するこの世の宗教的間違いで縛られている囚人たちにむかつて,自由の音信を宣明いたします。ヱホバの証者である私たちは,国中のいたるところで自由を宣明しています。
13 サタンから離れるために,私たちはイエスのどんな模範に従わねばなりませんか?
13 私たちはヱホバへの讃美を歌うことにより,囚われ人の真の解放者ヱホバ神を宣明いたします。私たちは,囚われ人に『出でよ』と言います。(イザヤ 49:9)出でた者たちは,アダムが人類にもたらした悪魔の捕われに戻らないとヱホバは保証しています。(エゼキエル 39:28,29)大いなる解放者で戦士であるキリスト・イエスは,アダムの取つた途とは反対の途を取りました。アダムとは違い,彼は悪魔と交渉を持つことを拒み,サタンは『私に何の力をも持たない』と言明しました。(ヨハネ 14:30,新世)イエスの足跡に忠実に従うならば,サタンは私たちに何の力をも持たず,解放された忠実な囚われ人も,または善意者の一人をも決して得ることができません。
14 ヱホバのどんな裁きに一致して,私たちはどんな二重の業をしていますか?
14 私たちは,神に善意を持つ人々のところに,平和のたよりをもたらし,ヱホバを憎む者たちには,死と亡びの音信を述べます。(エレミヤ 49:14)私たちは大使としてイエスより遣わされ,羊を山羊から分けるように,人々を分けます。(マタイ 25:31)ヱホバは,羊のごとき性質を持つ人々にはつねに必らず報いを与え,山羊のごとく行う人々には,裁きを執行いたします。ヱホバの熱心の火は,このことをなしとげます。(ゼパニヤ 3:8)新しい世の社会にいる私たちは,その神としてヱホバを持つています。真に『ヱホバをおのが神とする国民はさいわいなり。ヱホバがその相談のために選ばれし民はさいわいなり。』(詩 33:12,ア標)しかし次の言葉は警告の言葉です。『なんじに仕えざる国と民とは亡び,そのくにぐには全くあれすたるべし。』― イザヤ 60:12。詩 145:20。
15 私たちの戦や武器の規模や性質は,エステルの時代にユダヤ人のしたものとは,どのように比較されますか?
15 いまエステル書に書かれてある記録に戻り,ペルシヤの古代帝国の下に囚われていたユダヤ人の戦について学んでみましよう。その世界勢力は,当時の知られていた世界の殆どすべてを支配していました。ヱホバの古代の僕たちは,真に全世界に亘つて戦つていました。当時と同じく,現在でも同じです。彼らの戦いは,今日伝道するヱホバの証者の世界的な戦いを予言的に表し示しています。(コリント前 10:11。ロマ 15:4)彼らの戦いと私たちの戦いと違うところは,ただ用いている武器にあるのです。彼らは肉の武器を用いましたが,私たちはそのような肉の武器で戦いません。私たちは,全世界的に亘る伝道の権利のために戦うクリスチャン戦士として,ただヱホバ神の御霊,および神の言葉である霊の剣で武装をつけております。(エペソ 6:17)ヱホバは,これに加えて私たちに防備の甲冑を与えられています。パウロはそのことを説明していますが,いま別々に分けて行くと(1)正義の胸当て,(2)信仰の盾,および(3)救いの冑です。パウロは,油断なく,その防備の武具を用いるよう警告しています。彼はまた教訓を与え伝道するのに,『恐れることない良いたよりの聖なる秘義を語りなさい。私はそのために鎖につながれた大使として働いているのである。それは,私が語るべきことを大胆に語り得るようにするためである。』― エペソ 6:14-17,19,20,新世。
16,17 (イ)昔のその当時に,ユダヤ人がその生命のために戦つた結果は何でしたか?(ロ)全世界に亙る伝道の自由のための私たちの戦の結果は何でしたか? 何の力によつて達成されましたか?
16 古代ペルシャにいたユダヤ人は,大勝利を得ました。何が起りましたか? 乗馬した特使が,ユダヤ人たちはその生命を救うために戦うべしとの王の命令を国中に急ぎひろめた後に,不思議なことが起りました。ユダヤ人についての記事は,次のように述べています。『一人として彼らの前に立つことができなかつた。すべての民はユダヤ人を恐れたからであつた。それに,その地方のすべての君たち牧伯,知事たち,および王の仕事をした者たちは,モルデカイを恐れたために,ユダヤ人を助けた。同様に,どの地方,どの町であつても,王の命令と布告が来たところでは,ユダヤ人は非常によろこび,祝いと休日を楽しみ,その地の民の多くの者はユダヤ人になつた。彼らはユダヤ人を恐れたからであつた。』― エステル 9:2,3; 8:17,アメリカ訳。
17 ヱホバの現代の僕である私たちは,全世界にわたる伝道の自由のための戦いで,類似の祝いと繁栄を経験していますか? その数の増加を見てごらんなさい。1934年,4万1000。1940年,9万。1944年,11万。1946年,15万。1948年,23万。1950年,32万8000。1953年,50万。20年のうちに12倍も増加しました! みてごらんなさい! しかも,このすべての増加は,世界的な迫害の中に行われたのです! このことは,これらの人々がヱホバのみを恐れて,人間を恐れてはいないということを証明していませんか? 真にゼカリヤの予言した通りです。『万軍のヱホバかく言いたもう。その日にはもろもろの国語の民十人にてユダヤ人一人の裾をとらえん。すなわち,これをとらえて言わん。われらなんじらと共に行くべし。そは,われら神のなんじらと共にいますを聞きたればなり。』(ゼカリヤ 8:23)今日,全世界に亘る伝道は,大きな仕事です。それは,人間の力,または人間の群の力では行われていません。伝道のこの大きな世界的な収穫をなしとげているのは,ヱホバの御霊であり,そしてヱホバの言葉の力です。(コリント前 3:7)ゼカリヤはこう書きました。『勢いによらず,力によらず,ただ私の霊によると,万軍のヱホバは言われる。』― ゼカリヤ 4:6,ア標。
妥協を拒絶することに対する報い
18 パウロの模範に一致して,全世界に亙る伝道の戦についてヱホバの民の決意は何ですか?
18 全世界に亘る伝道の自由のための戦いは止まりますか? 否! 続かねばなりません。多くの自由が許されている民主主義の国にいようと,あるいは伝道の禁ぜられている国にいようと,または自由を全然許さないどころか,すべての証者を拘束して牢獄に入れてしまう独裁者の支配する国にいようと,全世界に亘る伝道の自由のための戦いは続けて行われねばなりません。使徒パウロは,私たちの従うべき模範を残しました。彼は牢獄の中で伝道し,伝道の自由のための戦いを牢獄で行い続けました。(使行 28:30,31)それで今日,家から家へと行く自由がなく,鎖りにつながれた囚人であつても,伝道しなければなりません。独裁主義者の国であつても,止まることはありません。共産主義者の牢獄の中であろうと,他の国の牢獄の中であろうと,ヱホバの証者である私たちは沈黙しません。牢獄の外であろうと,中にいようと伝道し続けます。しかも大胆に伝道して行きます。パウロがピリピ人に書いたものを記憶しなさい。『私が熱望し,希望するものは,何ごとにも恥じることなく,いつものように今もなお,全く大胆に語ることにより,生きていようと死のおうと,私の体によつてキリストが崇められるようになることである。』― ピリピ 1:20,新世。
19,20 (イ)ヨセフ,3人のヘブル人,そしてダニエルが妥協したならば,何が続いて起きたことでしようか?(ロ)初期のクリスチヤンや今日の真のクリスチヤンがそうしたならば,どうでしようか?
19 忠実を保つために牢獄に入れられた者が妥協し,転向したと仮定してごらんなさい。何が起つたでしようか? 古代のヨセフは,エジプトにいた時にヱホバに用いられ,彼の父親とその大家族を飢餓から助けたという特権を失つたことでしよう。3人のヘブル人は,ヱホバの御使が彼らと共に歩き,火の炉の中で彼らを保護したということを見分けることができなかつたでしよう。エレミヤは,悪しき都に対するヱホバの裁きを宣明するという名誉を失つたことでしよう。そしてダニエルは,獅子の口を止めることはできなかつたでしよう。これら多くの証者たちは,決して転向せず,臆病者ではなかつたのです。パウロは,ヘブル書 11章の中で彼らの信仰と勇気を説明しています。
20 パウロやペテロ,および他の使徒たちが妥協し,転向したならば,初期クリスチャン会衆を拡大し,ギリシャ語聖書を書くという特権を失つたことでしょう。また,多くの国々で不正に投獄されている現代の証者たちは,仕事を開き,そして伝道の禁ぜられている多くの全体主義の国々で仕事を再建するという祝福された特権を失つたことでしよう。今日善意者の大群集の大きな集りを見るという楽しみを持たなかつたでしよう。『実に,神は私たちに臆病の霊を与えられたのではなく,力と愛と心の健全の霊を与えられたのである。』(テモテ後 1:7,新世)転向する者たちについて,黙示をうけた人は次のように言つています。『臆病者たちと信仰無き者たちについては,……その報いは,火と硫黄の燃える池である。これは第二の死を意味する。』(黙示 21:8,新世)ヱホバ神に感謝いたしましよう。以前に忠実であつた人々と,またいま私たちの中にいる忠実な人々は,臆病者ではなく,全世界に亘る伝道の自由のために戦う戦場を逃げてはいません。
21,22 (イ)伝道の自由のために,私たちが戦い,くるしみをうけるのをゆるすヱホバの主要な目的は何ですか?(ロ)エゼキエルの予言と一致して,さらにどんな目的を果しますか?
21 ヱホバは非常に良い目的のために,私たちがくるしみをうけ,又全世界にわたる伝道の自由のために戦うのを許されているということは明白です。主要な目的は,彼の大いにして聖なる御名と,ヱホバの言葉を立証することです。別の目的は,正しい種類の人々,つまり従順にして勇気ある人々を選ぶことです。ヱホバはこれらの人々でもつて地の人口を増し,新しい世で生活させたく欲しています。(マタイ 5:5,10。黙示 2:10)ヱホバは,その世の生活にふさわしくない者たちを亡しさります。
22 さらに,自由のための私たちの戦いの別の目的は,敵をハルマゲドンに導くことです。ヱホバはそれで,御自分の証者である私たちを用いており,私たちの全世界に亘る伝道の自由のための戦により,エゼキエル書にゴグと名づけられている悪魔の餌としています。予言のその本の中で,ゴグは導きだされて私たちヱホバの民を攻撃すると指摘されています。悪魔であるゴグは,見えると見えざるとを問わず,その勢力を用いてヱホバの証者に対し,地のあらゆるところから襲いますが,ヱホバはその予言の中でどのようにゴグがそうするかを示しています。ヱホバは,悪魔であるゴグをひきまわし,その顎に鉤をかけると述べ,ゴグの見える勢力,見えない勢力は,『イスラエルの山』,つまりヱホバの制度の上に襲いかかると示しています。(エゼキエル 39:1,2; 38:4)そのとき,サタンとその全制度,ならびに悪魔を支持しているすべての民は亡ぼされます。その死体は投げだされ,貪欲な鳥や,野獣は,それらの死体を食べるでしよう。(エゼキエル 39:4-7)ヱホバは終りにこう宣言されています。『われわが聖き名をわが民イスラエルの中に知しめ,重ねてわが聖き名を汚さしめじ。国々の民すなわち我がヱホバにしてイスラエルにありて聖き者なることを知るにいたらん。』(エゼキエル 39:7)戦いから身を退くことのないようにしましよう。あなた方が『全世界に亘る伝道の自由のための戦い』を行い続けて行くとき,ヱホバがつねに祝福されますように。『ヱホバを讃めまつれ。ヱホバを畏れる者はさいわいなり。……ヱホバをほめまつれ。』― 詩 112:1; 113:1。