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集合者の見た無益な業と価値ある業ものみの塔 1958 | 3月15日
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なり。又それらよりも高き者あるなり。』(伝道之書 5:8)私たちは知つています,最高会議,最高裁判所あるいは人間が地で最高と呼ぶどんなものにしても,それらの上には無限に高い,最高至上者ヱホバ神と彼の右の手にあつて治められるヱホバ神の王イエス・キリストがおられます。ヱホバ神とイエス・キリストは上なる裁き主であられ,鉄のカーテンも竹のカーテンも上なる裁き主の眼をさえぎることはできません。ハルマゲドンのとき,彼らの裁きはしいたげる者すべての上に執行されるでしよう。宇宙の最高法廷の裁き主がとられる御処置こそ,しいたげられているヱホバの証者は確信と忍耐をもつて待ち望んでいるものです。神の御言葉と霊に支えられ,胸に神の愛を満たしている彼らがあわれむのは,この災な状態の中で希望もなく,助けもない気の毒な人々のことです。聞く耳を持つ人々に彼らは恐れることなく伝道し,人類の唯一の希望,唯一の助けである神の御国の良いたよりを宣べ伝えます。
いとわれた生活
23 将来について何が確かではないゆえに,ソロモンは災の生活をいとうと述べましたか。
23 神の御国の外にある人間すべての災を心に留めたうえ,当時の地上で最も賢い人であつた彼の王位をどんな者が継ぐかも知らなかつたソロモン王は,こう語りました。『ここにおいて我世にながらうることを厭えり。おおよそ日の下に為すところの業は我に悪しく見ゆればなり。即ち皆空にして風を捕うるが如し。我は日の下にわが労してもろもろの働きをなしたるを恨む。そは我の後を嗣ぐ人に之を遺さざるを得ざればなり。その人の智愚は誰かこれを知らん。しかるにその人の日の下に我が労して為し知恵をこめて為したるもろもろの業を管理るに至らん是また空なり。我身をめぐらし日の下にわが労して為したるもろもろの働きのために望みを失えり。今ここに人あり知恵と知識と才能をもて労して事をなさんに終には之がために労せざる人にすべてを遺してその所有となさしめざるを得ざるなり是また空にして大いに悪しし。』― 伝道之書 2:17-21。
24 ヒンヅー教徒はどのように生命を見ますか。生命にはソロモンの述べたような災しか無いとすれば,生命に対してどんな態度を採ることはもつともですか。
24 物質と肉体の世界における生命は苦しみの連続以外の何ものでもないという宗教の考えのために,ヒンズー教徒は生命をいとうと公言します。それで彼らは永遠の無,すなわち,最善至福の時と彼らが考える一種の涅槃に吸収されることによつて,無になることを求めます。この古い世の生命にはソロモンの描いたような災しかないとすれば,名利を追う物質的な生活をソロモンがいとつたのも当然でしよう。生活には何の目的もないことになります。生きることに,永続の価値あるものは一つもないことになるでしよう。あれこれの小さな災が絶えない地上の生活は,最後にはすべての人と,獣があう死という大きな災に終つて,誰でも体は墓に入ります。そして,誰でもが行く墓すなわちシヨールには,死人のために何がありますか。よく聞いて下さい。
25 生きている者と死人との相違は何であると,ソロモンは述べていますか。死人にとつてショールには何がありますか。
25 『生ける犬は死せる獅子にまさればなり。生ける者はその死なんことを知る。されど死ぬる者は何事をも知らず,また報いをうくることも重ねてあらず。その憶えらるる事も遂に忘れらるるに至る。またその愛も憎しみも,嫉も既に消えうせて彼らは日の下に行わるる事にもはや何時までも係わることあらざるなり。すべて汝の手に堪うることは力をつくして之を為せ。そは汝の行かんところの陰府には工作も計謀も知識も知恵もあることなければなり』― 伝道之書 9:4-6,10。
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空しく待つこと6年間ものみの塔 1958 | 3月15日
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空しく待つこと6年間
● マサチユーセッツ州,ボストンに住む,びつこで,寝たきりの83歳になる未亡人は,老人扶助金から毎週10セント貯めました。それは,もし彼女の教会の牧師が訪ねて来たら渡すためでした。6年待つた後,1人のヱホバの証者が訪問して聖書の研究をはじめました。8ヵ月余りたつてからこの未亡人は,それまで貯めていたお金を証者に差し出して是非「貧者の一灯」を受けて下さいと強く主張しました。証者はそれを外国に宣教者を送るための援助として「ものみの塔協会」に送りました。
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赤い宗教ものみの塔 1958 | 3月15日
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赤い宗教
● かつてのモスコーの宣伝機関の長官,カール・ラデクはあるとき語りました。『御存じのように,この共産主義は宗教である。わが国の若者はその福音を伝道しなければならない。彼らはそのために喜んで死ぬ。』
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