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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
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仕事は神の賜物

仕事は神の賜物ですか。そうです。正しい見方をすれば,そしてそれが重荷になりすぎないかぎり,仕事はありがたいものです。聖書からみても,事実をみても,それは真実です。そしてそれにはたくさんの理由があります。

聖書によると,神もイエス・キリストも働くかたであって,幸福なかたです。仕事が神の賜物であることを,昔の賢王ソロモンは次のように述べました。「見よ,わたしが見たところの善かつ美なる事は,神から賜わった短い一生の間,食い,飲み,かつ日の下で労するすべての労苦によって,楽しみを得ることである」。「これが神の賜物である」。―伝道 5:18,19; 3:13。

一つには,働くことにより,自分に必要な物を正直な方法で手に入れることができます。それに,自分で働いて物を買うほうが,他人から贈り物としてもらうよりも満足があります。まじめに仕事をさがしている失業者は,仕事のありがたさを知らないとはいえません。しかし働く機会があるのに働こうとしない者は,「食べることもしてはならない」と聖書は述べています。―テサロニケ後 3:10。

働くことの益は,食物とか衣服,住居,娯楽など,必要な物が得られることだけにあるのではありません。働くことは私たちのからだのためにも精神のためにも必要なことです。創造主は,肉体の面でも精神の面でも,働くという能力を人間に与えられました。ですから真の満足は,その与えられた素質を活用してはじめて得られるものです。肉体労働よりも,おもに精神労働によって生活する人が,運動をしなければ健康に悪いと感ずるのも,そういうところに理由があります。

「働くことは,食事や睡眠と同じく必要なことである」とはよく言ったものです。事実,働いてこそ,食事や睡眠を楽しめます。週末や休日,必要な休暇は楽しいものですが,それがいつまでもつづくなら,休みの楽しさはなくなります。月曜日の朝仕事に行くのがいやだな,とか,何週間でも欲しいだけ休暇がとれるといいなあ,と思うことがあります。数日,あるいは数週間は万事楽しくすごせるでしょう。しかしやがてなにか役立つことがしたくなります。

人間には,善かつ有益なことをすることから生ずる喜びと満足がどうしても必要です。この点私たちも創造主のもたれる喜びと満足をいくらか味わっているのです。創造の完了したときのことについて,聖書には次のようにしるされているからです。「神が造ったすべての物を見られたところ,それは,はなはだ良かった」。もちろんだれもが自分のいちばん好む仕事をできるわけではありません。いくら好きでも,その仕事はたいして必要のないものであったり,あまり利益にならない仕事かも知れません。また,第二バイオリン奏者が,オーケストラを指揮したくてもその資格がないのと同じく,ある仕事に対して資格がない場合もあるでしょう。―創世 1:31。

しかし,自分と,自分が養わねばならない者たちの生活のためには,働くことが必要ですから,仕事に対して関心をもつのは当然です。いちばん重要なことは,まじめな仕事,有用な仕事につくことです。そして専門職の人であろうと,労働者であろうと,事務員あるいは家政婦であろうと,自分の職業に取り組んで,常に仕事の質を改善し,能率をあげるように努めるべきです。商業用の手紙をタイプすることであろうと,機械の修理,料理,そうじをすることであろうと,良い仕事をすることから生れる満足感を楽しむようにしましょう。

ところが今日では,このような観点からみた仕事のありがたさというものを認識しない人があまりにも多いため,賃金,給料,給料以外の利益,勤務時間の長短のみを重視する傾向がますます強くなっています。これは人の幸福を助長するものではなく,むしろ自己敗北です。なぜそう言えますか。なぜなら,多くの労働組合が要求を常につりあげていくのをみてもわかるとおり,多く得れば得るほどさらに多くを望み,またアメリカ議会で,就労時間1週32時間の論議が行なわれていることからわかるとおり,働く時間が少なくなればなるほど,さらに少なくなることを望むからです。

前述のことが真実であることは,芸術家とか作家のような,創作を仕事とする人々が実証しています。また,教師,一般医などのような専門職をもつ人々のなかにも,そのことを証明している人が少なくありません。ほかの仕事につけばより多くの収入があります。にもかかわらず彼らが自分の職にとどまるのは,その職から金銭でははかれない報いを得るからです。

アメリカのある一流雑誌の発行者の経営方針は,この原則をよく強調しています。以前そこの記者であったある人の話によると,その雑誌社は,方針として,いちど記者を雇い入れたなら決して解雇しません。そのかわりに,もし彼が良い仕事しないなら,使うつもりのない非常にむずかしい記事を書かせます。そうするとその記者はついに失望し,自分の無能を感じて自ら辞職します。給料をもらうだけではもの足りなさを感じるのです。記者にとっては,価値あるものを書いている,という満足感も必要なのです。

しかしなんといっても,神のみわざを行なうクリスチャンの宣教ほど,仕事が神の恵みであることを証明するものはないでしょう。「受けるよりは与える方が,さいわいである」という原則がここにもあてはまらないでしょうか。それはいうまでもありません。イエスも言われました。「わたしの食物というのは,わたしをつかわされたかたのみこころを行ない,そのみわざをなし遂げることである」。神の御国の良いおとずれを,家から家に,あるいは街頭に立って伝道している人を見て,私にはとてもそんなことはできない,と多くの人は考えますが,その仕事に献身している人は,ほかのなにものにも比較できない喜びをその仕事に見出しているのです。―使行 20:35。ヨハネ 4:34。

仕事はしなければなりません。必要なものを得るため,また自分自身の福祉のために,仕事が必要です。ですから仕事に関心をもち,良い仕事をすることから生れる満足感を楽しんで下さい。そうすれば,仕事が神の恵みであるということに納得がいくでしょう。それこそ創造者が意図されたところです。

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