読者からの質問
■ 会衆の長老の子供に重大な悪行の罪がある場合,父親はそのために長老としての資格を自動的に失いますか。
未成年の息子か娘に何らかの重大な問題があっても,兄弟は長老として奉仕する『資格を自動的に失う』わけではありません。その人に資格があるかどうかを定めるには,関係している要素すべてを考慮する必要があります。
テトス 1章6節によると,長老は「とがめのない人」で,「放とうの責めを受けたり無規律であったりすることのない,信者である子供を持つ人」でなければなりません。(テモテ第一 3:4と比較してください。)エホバの証人はその基準を固守します。
したがって,「ものみの塔」誌の1983年12月1日号には,長老たちが自分の家族,つまり妻と子供たちすべての感情的および霊的必要を満たすために平衡の取れた努力を払わなければならないことが指摘されていました。この点で怠慢であれば,妻子に有害な影響が及ぶことでしょう。子供の霊的必要および子供に対して懲らしめを与える必要が顧みられない場合,その子は霊的に進歩しなくなるかもしれず,重大な悪行に巻き込まれるかもしれません。そのような場合,その怠慢な父親は,任命された長老として会衆で奉仕する資格を失います。テモテ第一 3章5節はこう述べているからです。「実際,自分の家の者を治めることも知らない人であれば,どのようにして神の会衆を世話するのでしょうか」。
この点に関するさらに詳しい説明は,「ものみの塔」誌の1978年5月1日号の31,32ページにあります。その記事には,関係している要素すべてを検討しなければならない理由が示されています。例を挙げて説明しましょう。一人の長老は自分の5人の子供たちと定期的に聖書研究し,共にレクリエーションを楽しみ,子供たちをクリスチャンの集会に連れて行き,そのほか通常の仕方でクリスチャンの父親としての自分の責任を果たすよう努めました。子供たちのうち4人は大変よくやっていましたが,一人の息子だけは絶えず悩みの種で,やがて罪に屈しました。この場合,その父親が会衆の敬意を依然として受けているなら,必ずしも長老としての資格を失うことにはならないでしょう。
子供が一人であろうと大勢であろうと,家族を顧みる点で道理にかなった範囲でクリスチャンの父親に期待される事柄をすべてその兄弟が行なってきたことを会衆は知っているかもしれません。ですから,一人の子供が悪くなっても,会衆の成員はそれが父親の落ち度であるとは思わないかもしれません。彼らは,ユダ・イスカリオテやサタンとなったみ使いの逸脱行為の責めを,イエスやエホバに負わせるべきでないということを認識しているかもしれません。長老として奉仕しているその兄弟が引き続き会衆の深い敬意を受け,それゆえ聖書に基づくその長老の助言をすべての人が受け入れることができ,その人の全般的な行ないがどのような結果になるかを見てその信仰に倣えるということが肝要です。―ヘブライ 13:7。
■ 血液が骨髄で造られることからすると,クリスチャンは骨髄移植を受けることができますか。
医師は,提供者(大抵の場合は近親者)から幾らかの骨髄を採取し,それを患者に注射あるいは輸注することによって,大抵の骨髄移植を行ないます。移植用の骨髄が患者の骨髄腔に達し,その後正常な機能を果たすよう希望します。この処置は普通,(再生不良性貧血や急性白血病のような)生死にかかわるような症例の場合にのみ考慮されます。骨髄移植のための備えをする際,および移植後患者を治療する際に,危険のあることが認められているからです。
この質問の中でも言及されているとおり,赤血球は,肋骨・胸骨・骨盤などのような特定の骨の骨髄で造られます。ですから,血に対する聖書の禁令に照らして考えると,クリスチャンが人間の骨髄の移植を受け入れられるかどうかについての質問がなぜ生じるかは理解できます。
神の僕は,『血を避けて』いなければならない,と聖書ははっきり述べています。(使徒 15:28,29。申命記 12:15,16)では,赤血球が赤色骨髄でできるので,聖書は骨髄を血液と同列に分類しているでしょうか。そのようなことはありません。事実,動物の髄は,食べてもよいほかの肉と同じように言及されています。イザヤ 25章6節は,神がご自分の民のために準備される宴の中に,「髄と共に油を十分に用いた料理」が含まれていると述べています。通常の処理法で屠殺し,血を流し出しても,髄から血液細胞すべてを流し出すことは決してできません。それでも,屠殺した動物の胴体からひとたび血を流し出したなら,髄を含むその組織のどの部分を食べてもかまわないでしょう。
言うまでもなく,人間の骨髄移植に用いられる骨髄は生きた提供者からのもので,採取された骨髄には幾らか血が含まれているかもしれません。ですからクリスチャンは,移植用の骨髄が ― 自分にとって ― 単なる肉片に相当するか,あるいは血の抜かれていない組織に当たるかを自ら決定しなければならないでしょう。それに加えて,骨髄移植は移植の一形態なので,人間の臓器移植に関する聖書的な面も考慮しなければなりません。本誌の1980年6月15日号の「読者からの質問」をご覧ください。最後に,「ハリソンの内科原理」(最新版I,1981年,138ページ)の中で,D・E・トマス博士は,「骨髄移植を受けた人のほとんどすべてに,血小板輸血が必要とされ」,大勢の人に「分離赤血球」が投与されると述べています。ですからクリスチャンは,自分が骨髄移植を受けることにするなら,どんな付加的な問題に直面しなければならないかということをも考えるとよいでしょう。―箴言 22:3。
この問題については個人的な決定を下さなければなりませんが,血と髄について聖書の述べるところは個々の人が決定を下すのに役立つはずです。