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  • 愛ある父の寬容な態度
    ものみの塔 1963 | 10月15日
    • の罪のゆえに心砕けたへりくだる者と共に住んだ,と言われています。「わたしは高く,聖なる所に住み,また心砕けて,へりくだる者と共に住み…」。―イザヤ 57:15,新口。

      父のゆるしを得る

      放蕩むすこは,本心に立ちかえったとき,「心砕けて,へりくだる」気持になりました。彼は自分の愚かな行いを心から後悔し,父のむすこと呼ばれる価値などないと感じました。そこで父のどれいになることを自発的に申し出るために,悔い改め,へりくだった心をもって父の所に帰りました。

      同様に第1世紀には,天の御父を捨てて悪い道を歩んでいた人々が,神の民イスラエルの中にたくさんいました。けれども,バプテスマのヨハネとイエスが伝道した御国の音信を聞いたとき,それから大きなショックを受けて本心に立ちかえり,自分の罪深い行いを後悔し,放蕩むすこと同じく,神のどれいとなることを自発的に申し出るために戻ってきました。イエスは,彼らがへりくだった心をもち,真実に悔い改めていたので,天の御父が霊的な方法で行なわれるのをたとえで示したとおりに,彼らを暖かく迎えいれられました。彼らはイエスの弟子となり,神の御国について伝道するために,イエスによって送り出されました。

      キリストの再臨されている現在も事情は同じです。とくに1931年以前,ある人々は神の御言葉の真理を知るようになって,キリストの兄弟の油そそがれた残れる者と密接な交わりをもちました。ところが彼らは,放蕩むすこと同様に,天の御父への奉仕をつづけるかわりに,この組織制度が提供する快楽を楽しむことを望みました。彼らは,御国の支配の祝福を与えられるまで待つのを望まずに,物質的祝福をすぐに得ることを望みました。

      しかし,これらの現代の放蕩むすこたちは,キリスト教国を襲った霊的ききんのために飢えました。彼らは心を変えました。そして自らへりくだり,帰ってきて,自分の罪を告白し,神のどれいになることを自発的に申し出ました。彼らは受け入れられたでしょうか。もちろんです! 愛の深い父親が,その放蕩むすこをやさしく迎え,宴を開いて彼を尊くしてやったように,悔い改めた主の「他の羊」たちは,肥えたものの霊的な宴と多くの奉仕の特権とによって尊くされました。彼らも活発な神の御国の伝道者になりました。ゆるしを得る必要を認めて父の所に戻る者たちに対し,父はなんと愛情深く,あわれみがあるのでしょう!

      すべての人が罪を犯したのですから,すべての人が,放蕩むすこのようにへりくだり,悔い改めることから益を得られます。放蕩むすこは自分の罪を後悔しただけでなく,自分の悪行を告白し,父に仕えることをゆるしてくださいと願うことによって自分が悔い改めたことを証明しました。もしあなたが天の御父のゆるしを願い求めるなら,それと同じことをしなければなりません。ためらう必要はありません。自分はそれに価しないという気持に妨げられて,神に頼り,神に奉仕することを思いとどまってはなりません。勇気を出してください。エホバは,「恵みふかく,寛容であって」彼に「呼ばわるすべての者にいつくしみを豊かに施されます」。―詩 86:5,新口。

  • エペソの町の悪鬼崇拝
    ものみの塔 1963 | 10月15日
    • エペソの町の悪鬼崇拝

      ◆ エペソで発見された昔の碑文の中には,小鳥の飛び方によって判断する吉凶うらないがあり,大理石の石材などにほり込まれています。「鳥が右から左の方に飛べば,飛び上がる時でも,どこかにとまるときでも,それはなにか悪いことのあるしるし」などとあります。―ハフ・J・スコンフィールド著,「聖書は正しい」,第37章『魔術のふるさと』。使徒行伝 19章18,19節をごらん下さい。それによるとエペソの町は「魔術」が盛んなことで知られていました。

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