ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔79 3/1 3–4ページ
  • 神はあなたのことを気づかっておられますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 神はあなたのことを気づかっておられますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 地球についてはどうか
  • 「世人はいかなるもの」?
  • 神はどれほど顧みられるか
  • 人生には意味が必要
    目ざめよ! 1981
  • 人生にはすばらしい目的があります
    人生の目的は何ですか ― どうすれば見いだせますか
  • 「御心が地に成るように」(その5)
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • 「これが私たちの神」
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
塔79 3/1 3–4ページ

神はあなたのことを気づかっておられますか

「自分が何か非常に偉い者であるかのように感ずる時,わたしはいつも,いわば部屋の隅に行き,“お前はちっぽけなちりだ。何を誇ることがあろうか”と自分に言い聞かせます」。

これは何年か前に,あるクリスチャンの奉仕者が語った言葉ですが,謙そんという,注目すべき特性を反映しています。そしてこの資質は確かに望ましいものです。『謙遜とエホバを畏るる事とのむくいは富と尊貴と生命』だからです。―箴 22:4。

広大な宇宙とそこにある無数の天体を考える時,この地球に住む人間が小さいこと,謙そんになって当然であることを認識できます。人間が宇宙の中にあってほんの一点にしか過ぎないと言われてきたのも,いわれのないことではありません。

しかしこれは至高者があまりにも高い存在であるため,比較的小さなこの惑星上の人間のことなど気にかけてはおられないという事ですか。実際のところ,神はあなたのことを気づかわれていますか。

地球についてはどうか

確かに地球は宇宙空間にあって比較的に小さな天体です。しかしそれは取るに足りない一点ですか。神にとってはそうではありません。なぜなら次のように言われています。『天はわが位 地はわが足台なり』。(イザヤ 66:1)至高者にこのように用いられている比ゆ的な足台が,取るに足りない“一点”に過ぎないということはありません。

事実,エホバはご自身の“足台”である地球に関して雄大な事柄を考えておられます。いつの日か地球は楽園の美を持つ場所となり,従順な人類の住みかとなるでしょう。(イザヤ 45:18。ルカ 23:43)それゆえ,聖書を学ぶ人々は地球の小さいことを認めてはいますが,地球がエホバ神によって創造され,神にとって大切なものであることを認識しています。―創世 1:1。

「世人はいかなるもの」?

ゆえに神の見地からすれば,地球は宇宙空間の,取るに足りない“一点”ではありません。しかし人間についてはどうですか。

霊感を受けた詩篇作者ダビデは神の天のわざに深い感銘を受けて次のように問いかけました。『我なんじの指のわざなる天を見 なんじの設けたまえる月と星とをみるに世人はいかなるものなればこれを聖念にとめたまうや』。(詩 8:3,4)宇宙の中で人間の占める場所を考えてみれば,わたしたちが謙そんになるのは当然です。天使より低く造られた人間は,エホバ神から顧みられるに値しないように見えるかもしれません。それでも詩篇作者の問いは,神が人間のことを確かに顧みてくださることを示しています。

考えてみてください。ダビデは要するに次のように問いかけました。「人間はこのような者であるのに神はどうして人間をみこころに留め,エホバは人間を顧みてくださるのですか」。それで神が確かに人間をみこころに留められていることは明らかです。至高者は確かに人間を顧みてくださっています。神は取るに足りない“微小な存在”として人間を扱うことをせず,善人と悪人両方の上に日を昇らせ,雨を降らせてくださっています。(マタイ 5:45)事実,どの世代の人間も,神が自分たちを忘れてはいないことを神に感謝すべきです。神は「天からの雨と実りの季節」を与えてこられたからです。―使徒 14:16,17。

エホバ神は確かに人類を顧みてくださっています。人間を顧みてくださらない事がどうしてあるでしょうか。聖書は次のように述べています。『神その像のごとくに人を創造たまえり すなわち神の像のごとくにこれを造りこれを男と女に創造たまえり』。(創世 1:27)神は“霊者”であられるゆえに,神が人間と同じ形をしているということはありません。(ヨハネ 4:24)しかし人間は天の造り主の属性を反映する資質すなわち人間を動物から明らかに区別する特性を持っています。例えば,人間は神に似て愛,公正,知恵そして力というおもな属性を持っています。(ヨハネ第一 4:8。申命 32:4。ヨブ 12:13。イザヤ 40:26)それで人類は創造者にとってつまらない存在ではありません。

取るに足りない“微小な存在”のように他の人をみなしてあしらう人がいるなら,その人は実際には人類の創造者にほこ先を向けていることになります。神の言葉はまさしくその事を述べています。『貧しき人をあざける者はその造り主をあなどるなり』。(箴 17:5)また箴言 14章31節に次のように述べられています。『貧しき者を虐ぐる者はその造り主を侮るなり彼』すなわちエホバ神『をうやまう者は貧しき者をあわれむ』。

実際のところ,身分の低い人を欺いたり,軽べつするならば,事実,人間の造り主をあなどっていることになります。全くのところ,他の人々を見下げるならば,わたしたちの崇拝はほとんど無意味なものになります。(ヤコブ 3:17)ゆえにわたしたちはエホバにならい,同じ人間として他の人々を顧みるべきです。しかしひとつの疑問が残ります。

神はどれほど顧みられるか

宇宙的な見地からすれば,地球も人間もたいへん小さいものです。そして人間をその造り主と比較するなら,人間の小さいことは全く明りょうです。その事について言えば,もし神が人間を顧みてくださらなければ,人間は受け継いだ罪と不完全さゆえに全く希望のない状態に置かれたままになっていることでしょう。―ローマ 5:12。

しかしエホバ神は確かに顧みてくださっています。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされた」とイエスは言われました。しかもこの備えはきわめて個人的なものです。使徒ヨハネは次のように書いているからです。「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっているのである」― ヨハネ 3:16,36。

これは罪深い人間を,神が滅ぼしたがっているということですか。決してそうではありません。なぜならクリスチャン使徒ペテロが述べたとおり,エホバは「ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が」ご自身の約束された事物の新しい体制における永遠の命の見込みを伴う「悔い改めに至ることを望まれ」ているからです。(ペテロ第二 3:9,13)同じ使徒はまた神が各人を気づかっておられることを示しています。彼は次のように言明したからです。「わたしは,神が不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきりわかります」― 使徒 10:34,35。

それでエホバは人類 ― そのひとりひとり ― を確かに気づかわれています。親切を愛し,謙そんな心で神と共に歩む人すべてを,エホバは守り,祝福してくださるでしょう。(ミカ 6:8)ですからあなたの造り主との親密で直接の関係を培ってください。神はあなたを顧みてくださるからです。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする