エホバの組織とともに自由を見いだす
「わたしはこれを養う牧者をその上に立てる,彼らは再び恐れることなく」― エレミヤ 23:4。
1,2 地上の人間に対するエホバのお目的はなんですか。
世界旅行に無料で招待されても,寝たきりの病人であればなんの益もありません。最新式のカラーテレビも,視力を失った人には無価値です。地上の永遠の生命という神の賜物も,今の世界の不幸な,恐ろしい状態がつづくならどんな価値がありますか。
2 人間を解放して地上に永遠の生命を得させる神の目的は,詩篇に明記されています。「正しい者は国を継ぎ,とこしえにその中に住むことができる」。(詩 37:29)預言者イザヤはエホバ神について次のように述べ,この約束が神のものであることを確証しています。「すなわち神であってまた地をも造り成し,これを堅くし,いたずらにこれを創造されず,これを人のすみかに造られた」。(イザヤ 45:18)人間を地上に永遠に住まわせるのが神の目的であるということは,奇異に感ぜられますか。主の祈りを知るならば,そのように感じないはずです。「みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」と祈る人は,まさにそのことを願っているのです。―マタイ 6:10。
3 エホバはどのようにして生活を耐え得るものにされますか。
3 しかし地上に見られる不幸な恐ろしい状態はどうなるのですか。そのような状態がつづく限り,終わりのない命も祝福ではありません。「御国がきますように」と祈ることばは,そのような状態からの解放を願っているのです。なぜなら預言者ダニエルは次のことを預言しています。それらの王たちの世に,天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく,その主権は他の民にわたされず,かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです」。(ダニエル 2:44)この永遠の国の大いなる王は,その後に起こる事柄をむかし使徒ヨハネに啓示されました。「見よ,神の幕屋が人と共にあり,神が人と共に住み,人は神の民となり,神自ら人と共にいまして,人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去ったからである」― 黙示 21:3,4。
組織は宇宙の理法
4 (イ)エレミヤ記 23章4節とイザヤ書 32章1節は神の国に関して何を明らかにしていますか。(ロ)イザヤ書 32章2節によれば,神の国による義の支配はいつ始まりますか。
4 神のこのような約束から見て,神の国は具体的かつ現実的なものではありませんか。キリストの治める神の国は,政府の機能という点において,いま支配している人間の政府と同じく現実のものです。神の国の支配が行なわれ,その法が正しく施行されるには,なんらかの取りきめがなければなりません。神の約束はそのことをも意味しています。このような神の目的は,預言者エレミヤの次のことばにあらかじめ示されていました。「わたしはこれを養う牧者をその上に立てる。彼らは再び恐れることなく」。(エレミヤ 23:4)イザヤはこのとりきめの益を次のように述べています。「見よ,ひとりの王が正義をもって統べ治め,君たちは公平をもってつかさどり」。(イザヤ 32:1)イザヤのこの預言がさらに示しているように,神の義を施行することは,現存する事物の制度の諸政府が神の力によって除かれるのを待たずに始められます。預言は次のことばを加えているからです。「おのおの風をさける所,暴風雨をのがれる所のようになり,かわいた所にある水の流れのように,疲れた地にある大きな岩の陰のようになる」。(イザヤ 32:2)このすべてが強調しているのは,秩序正しい人々の配置,目的を達成するために力を合わせ,一致した努力です。それは組織を意味します。
5 ある人はなぜ組織に反対しますか。しかしそのような考え方はなぜ近視眼的ですか。
5 組織の定めや規定に従うことが個性の没却であると感ずる人もいます。また同様な考え方をする人々は,神が各人とかかわりを持ち,個人的に聖書の理解を与えられると言います。しかし霊的な事柄にかかわる神の律法は自然界の法則と同じく私たちにとって必要なものです。たとえば個性の喪失を恐れて,飲食に関する神の定めに従うことを拒絶する人はいません。社会また政治の悪に抗議してハンガーストライキをする人も,食物の必要を免れることはできません。そのうえ,からだが必要とするもの,およびそれを支配する法則は万人に共通です。各人が気まぐれに選択する余地はありません。
6 神権組織はなぜ必要ですか。何がこの事実を強調していますか
6 では霊的な事柄にかかわる法則が同じく万人にあてはまることを認めないのは,理にかなっていますか。理知ある生ける被造物のほうが,魂のない無生の自然界の物体よりも法,秩序,組織をいっそう必要としています。植物の成長や星の運行は自由意志と無関係です。それらは神の定めた自然の法則に支配されており,この法則にさからうことはできません。その結果,自然界には秩序と調和があります。しかし人間には自由意志があり,選択の自由があるゆえに無分別な行動に走ることも可能です。すべての人が自分勝手に行動すれば,無政府状態を現出するでしょう。ゆえに組織が必要ない,あるいは神が各人を直接に導かれると論ずるのは,相互依存的な宇宙の秩序またからだの必要をみたすエホバの共通の備えを否定することです。人間に自由意志があること自体,組織つまり上から神の治める神権組織の必要を明白に物語っています。
聖書は組織の本
7 エホバがイスラエルを神権組織として扱われたことは,何から明らかですか。
7 聖書自体が組織の本です。神の指で書かれた最初のことば十戒は,ヤコブすなわちイスラエルの子孫を選民とし,モーセを仲保者とする一国民の政府の神権的な施政の根本をなすものとして与えられました。(出エジプト 19:3-8; 31:18)イスラエルの民はエジプトの奴隷となっていました。モーセはミデアンにのがれてエジプトのくびきからすでに自分を解放し,そこに40年間住みました。しかしエホバはモーセをエジプトに帰らせ,一致した一民族としてのイスラエル人を代表させました。ついでエホバは彼ら全部に対して共通の備えを設けられました。その益を受けるにはだれでも皆と同じ方法で神の定めに従って行動することが必要でした。すべての人は定められたとおり,当歳の雄の羊または山羊を選び,その血を家の入口の柱にふりかけなければなりません。ついで家族ごとにその肉を焼いて食べ,真夜中ごろ,秩序ある一集団となってエジプトを出るのです。彼らは共通の指示に従い,共通の救いを施されました。(出エジプト 12:1-13,21-39)エホバは,彼らを導いて荒野のシナイ山に至らせ,彼らを神権的な一国民に組織するための律法を授けられました。
8 ヘブル語聖書はどのようにクリスチャンに教訓を与える本となりましたか。
8 エホバがモーセを霊感して書かせた律法すなわちトーラーのすべては,イスラエルの神権的な組織のためのものでした。ある人々が旧約聖書と呼ぶ,今日のヘブル語聖書の他のすべての本も同様です。しかし15世紀以上ものち,みずからもイスラエル人でイエス・キリストの使徒となったパウロは,聖書の4分の3を占めるこれらの本について次のように書きました。「これまでに書かれた事がらは,すべてわたしたちの教のために書かれたのであって,それは聖書の与える忍耐と慰めとによって,望みをいだかせるためである」。(ローマ 15:4)バウロが意味したのは,イスラエルの神権組織に対する教訓の本であった聖書が,いまやクリスチャン会衆の組織に対する教訓の本になったということなのです。
9 聖書はクリスチャン会衆のための組織の本であると,どうして言えますか。
9 神のことばの正典は増し,クリスチャン・ギリシャ語聖書が書き加えられて聖書は完成しました。各本はクリスチャン会衆に直接あてたものか,あるいはクリスチャン会衆にかわってその一成員にあてたものです。それで聖書は組織の本であり,個人にではなく,一組織としてのクリスチャン会衆に属するものです。個人的に聖書を解釈できると,たとえ,誠実に信ずる人がいても,その事実は変わりません。ゆえにエホバの見える組織を度外視して聖書を正しく理解することはできないのです。
組織としてのクリスチャン会衆
10 クリスチャン会衆はいつ,そしてどのように発足しましたか。
10 イエスは地上にいられた時,クリスチャン会衆を発足させませんでした。しかしその時に12使徒が選ばれました。ただイエスを裏切る者となったユダは,イエスが天の父のもとに昇られてのち,別の追随者にとってかわられました。これら「小羊の十二使徒」は会衆が組織されてのち,その礎石また柱としての役目をはたすようになったのです。(黙示 21:14)クリスチャン会衆は西暦33年五旬節に初めて組織されました。一つの目的のために心を合わせて集まっていたイエス・キリストの弟子120人にエホバの霊がそそがれ,以来クリスチャン会衆は使徒たちの生存中,考えの一致を保ちました。―使行 1:12-15; 2:1-4。
11,12 (イ)ある人はクリスチャン会衆に対してどんな見方をしますか。(ロ)パウロとペテロは会衆が一体でなければならないことをどのように示していますか,
11 クリスチャン諸会衆として別々に集まっていても,クリスチャン会衆を構成する人々は,イスラエルが一つの模型的な神権国民であったのと同様,一致した一つの集合体です。パウロはこう書きました,「からだは一つ,御霊も一つである。あなたがたが召されたのは,一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり,すべてのものを貫き,すべてのものの内にいます,すべてのものの父なる神は一つである」。(エペソ 4:3-6。ガラテヤ 6:16。ペテロ第一 2:5)キリスト教国の対立する諸宗派の中に散らばっている人々がそれぞれ独自の考えで聖書を解釈しながら,なおキリストの教会を構成しているという考えは,パウロの述べた事柄と一致していません。互いにつながりのない状態に身をおいていながら,「聖なる祭司となって」一致した目的をはたすことは不可能でしょう。
12 そのうえ先に引用したイザヤ書 32章1,2節のことばどおり,会衆のこれら成員は「風をさける所」となり,自分たちの教える人々を,間違った教理の風から守らねばなりません。しかし神の真理に関して自分たちが一致していなければ,どうしてその事をできますか。パウロはばらばらで一致のない行き方に反対し,コリント会衆に次の助言を与えました。「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって,あなたがたに勧める。みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになって,堅く結び合っていてほしい。わたしの兄弟たちよ。実は,クロエの家の者たちから,あなたがたの間に争いがあると聞かされている。はっきり言うと,あなたがたがそれぞれ,『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケパに』『わたしはリストに』と言い合っていることである。キリストは,いくつにも分けられたのか」― コリント第一 1:10-13。
13 キリスト教国の状態はどんなですか。エホバはだれの責任を問われますか。
13 しかし今日どんな事態が見られますか。1世紀における見える神権組織の時代から19世紀を経る間に,クリスチャン会衆は大きな変化と分裂を経験しました。神の群れは散らされ,パウロがコリント会衆に警告したとおりの分派がキリスト教国に何百も存在しています。これはクリスチャン会衆の神権的な秩序と兄弟関係を高めましたか。それとは反対にキリスト教国の宗教的な混乱は宗教戦争や迫害をひき起こしてきました。キリスト教国の責任ある指導者を預言的に表わすイスエルの背教の祭司は,エホバの次のことばをエレミヤから告げられました。「〔エホバ〕は言われる,『わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである』。それゆえイスラエルの神,〔エホバ〕はわが民を養う牧者についてこう言われる,『あなたがたはわたしの群れを散らし,これを追いやって顧みなかった』」。(エレミヤ 23:1,2,11,12,〔文語〕)エホバはこのような偽りの牧者が罰を免れるのを許されません。
神権的な秩序の回復
14,15 (イ)クリスチャン会衆はどのように神権的秩序を回復しましたか。(ロ)この秩序の回復はどんな結果をもたらしましたか。(ハ)クリスチャンととなえるすべての人は,どんな事を真剣に自問すべきですか。
14 しかし散らされた羊はどうなりますか。クリスチャン会衆に神権的な秩序が回復されるには,使徒の教えに帰ることが必要です。エレミヤの預言にひきつづき述べられている事柄が成就しなければなりません。「わたしの群れの残った者を,追いやったすべての地から集め,再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。わたしはこれを養う牧者をその上に立てる,彼らは再び恐れることなく,またおののくことなく,いなくなることもないと,〔エホバ〕は言われる」。(エレミヤ 23:3,4,〔文語〕)エホバのお目的に従い,エホバの力によってこれは成し遂げられました。ローマ・カトリックの公会議や宗教合同運動によってではなく,人間の言い伝えを破り,宗派の腐敗的な影響から人々を全くひき離すことによってそれは成し遂げられたのです。それは使徒の教えと方法に従う人々を集めることを意味しました。
15 今日エホバの見える神権組織が復興されました。「〔エホバ〕は仰せられる,見よ,わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め,栄えて,公平と正義を世に行う。その日ユダは救を得,イスラエルは安らかにおる」。(エレミヤ 23:5,6,〔文語〕)エホバが位につけられた天の王イエス・キリストの導きの下に,地上のクリスチャン会衆は,現代の必要に応じて調整された点はあるにしても,ふたたび機構と活動方法において使徒的なものになりました。これは真のクリスチャンの間の一致,調和,平和,能率的な活動を促進する結果となっています。あなたが霊的な導きを求めている組織はこの神権的な型にならっていますか。次の問いを慎重に考慮してみてください。
16,17 使徒的な会衆に見られたどんな事柄によって,今日,エホバの見える組織を見わけられますか。
16 組織の中で指導的な人々は,聖書を神のことばとして受け入れ,それが霊感による神の啓示であり,人を正しい道に導く教えの本であることを認めていますか。イエスはそうされただけでなく,そうすることを弟子たちに教えられました。(ヨハネ 8:31,32; 17:17。詩 119:105)その組織は神のことばを学ぶ定期的な集まりを開いていますか。1世紀のクリスチャンはそのようにして助けられました。(ヘブル 10:25。マタイ 18:20。ローマ 16:5)教えと考えの面で会衆内に完全な一致の見られることが要求されていますか。イエスの初期の弟子たちはそれを要求しました。(コリント第一 1:10-13。ヤコブ 3:16,17)奉仕の地位への任命は神権的な手続きによって行われていますか。初期会衆にはそれが見られました。(使行 6:1-6; 14:23; 20:28)組織に交わるすべての人が生活の中で御国を第一にしていますか。イエスは弟子たちにそうすることを教えられました。(マタイ 6:33)彼らは家から家に伝道する特権と責任を認識していますか。初期の使徒的な会衆の人々はそうでした。(マタイ 28:19,20。使行 5:42; 20:20。コリント第一 9:16)彼らは神の国の福音を伝道しますか。イエスは彼らがそうすると言われました。(マタイ 24:14)反対に直面しても彼らは御国の音信を妥協させることを拒絶しますか。初期会衆はそうしました。(使行 4:19,20; 5:29-32)すべての人が統治体から助言を受け,それを受け入れますか。安定させる働きをする統治体のこの責任を,初期クリスチャンは認めていました。(使行 2:42; 16:4,5。ヘブル 13:17)組織の責任を委ねられた者たちは,組織の清い状態を保つことに努めていますか。イエスの使徒はそのことを決しておろそかにしませんでした。(コリント第一 5:1-5,13。テモテ第一 5:19-21)会衆内の人々の間に純粋の愛が見られますか。イエスは,それが真の会衆のしるしであると言われました。―ヨハネ 13:35。
17 今度は別の観点から組織を見てのことですが,あなたの支持する組織には「牧師」と「平信徒」の区別がありますか。このような区別は初期クリスチャンの間に全く見られませんでした。(マタイ 23:8-12; 20:25-28。ペテロ第一 5:2,3)経済面における組織の支持は全く自発的なものですか。初期会衆が寄付を懇願したことはありません。(使行 11:29,30。コリント第二 9:5-7)あなたの組織は世の事柄に活発に従事していますか。イエスと使徒たちはこの世の一部になることを拒絶しました。(ヨハネ 17:16,17。ヤコブ 4:4)組織と交わる人々は政治的な地位を求め,あるいは政治的な改革を目ざしていますか。初期会衆の人々はもっと永続するもの,すなわち神の国に希望をかけていました。(ペテロ第二 3:13,14)国家的また人種的な障壁が組織内にありますか。1世紀の会衆にそれは見られませんでした。(ガラテヤ 3:28。黙示 7:9)人種差別が行なわれていますか。初期クリスチャンは,「神には,かたより見ることがない」そして「神は,すべての人が救われて,真理を悟るに至ることを望んでおられる」という原則に従いました。―ローマ 2:11。テモテ第一 2:4。ヤコブ 2:1-4。
神権組織を見分ける
18 イエスは,真の見える組織を見わけるどんなしるしを明らかにされましたか。
18 使徒的な組織の中の人々は,クリスチャン会衆に対するこれらの要求を形の上でだけはたしたのではありません。彼らはエホバの選ばれた見える経路の中で自分たちの占める立場を神聖なものと見なし,神の御前におる立場を危うくさせることを何一つ許しませんでした。彼らはこの世を恐れなかったのです。(マタイ 10:26-28)その唯一の関心は神の群れの安全と福祉を図ることにありました。イエスはこの終わりの時に関する詳細な預言に関連して,見える真実の組織のこのしるしを指摘してこう言われました。「主人がその家の僕たちの上に立てて,時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は,いったい,だれであろう。主人が帰ってきたとき,そのようにつとめているのを見られる僕は,さいわいである。よく言っておくが,主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう」― マタイ 24:45-47。
19 エホバの見える組織を認める人は何を受け入れなければなりませんか。
19 西暦1914年,イエス・キリストが天で即位し,1918年にはエホバにともなわれてその宮に来られたこと,そしてさばきが神の家で始められたことを示す証拠は,今日全く明白です。a (ペテロ第一 4:17)この家に属する者の中で地上に生きていた者たちを清めてのち,エホバは彼らに霊をそそぎ,唯一の見える経路として働く任務を彼らに委ねられました。彼らをとおしてのみ,霊的な教えが授けられます。ゆえにエホバの見える神権組織を認める人は,「忠実な思慮深い僕」が任命されている事実を受け入れ,この僕に従わなければなりません。
20,21 今日だれがエホバの王を代表する責任を委ねられていますか。彼らをすいせんするどんな記録がありますか。
20 今日この大きな特権と責任を委ねられている人々はエホバの証人と呼ばれています。彼らは1931年以来そのように呼ばれてきました。このグループは1870年代以来,キリスト教国の諸宗派からますます離れてきました。この集合的なグループは真のクリスチャンの「小さい群れ」の人々に霊的な食物を供給するため,1879年以来,ものみの塔誌を用いてきました。(ルカ 12:32)1884年にはシオンのものみの塔冊子協会,現在ペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会と呼ばれる法人が組織されました。第一次世界大戦中の火のような試練に生き延びたこの「忠実な思慮深い僕」に属する人々は,1919年までにはもはや未熟な組織ではありませんでした。使徒たちは生存していませんが,その書きしるした教訓はエホバの偉大な記録の本の一部として今日まで残されています。それに加えて1900年前に発足したクリスチャン会衆の現代の成員は,使徒時代以来,クリスチャンの忠誠と忠実,迫害に長く耐えた忍耐,エホバの貴重なお約束に対する堅い信仰,見ることのできない主また王イエス・キリストの導きに対する信頼,全地に証人となるという,何世紀にもわたる使命に対する従順,これらの豊かな遺産を受け継ぎました。―使行 1:6-8。
21 この霊的に円熟した状態にあって彼らは「養う牧者」の資格を持ち,群れは「再び恐れることなく,またおののくことなく,いなくなることもない」でしょう。「王(が)世を治め,栄えて,公平と正義を世に行う」からです。彼らの中にあって自由と安全を見いだしてください。その方法を知るために次の記事をごらんください。
[脚注]
a ものみの塔聖書冊子協会発行(1955年)「あなたはハルマゲドンを生き残って神の新しい世にはいれる」第6章「アドナイは宮に来られる」を参照してください。