今日,背教をどのように避けるか
1 偽りとか,歪曲というような非難は,どのようにすれば避けられますか。ここでどんな質問が生じますか。
背教を避ける為には,背教者を避けねばなりません。そして,背教者を避ける為には背教者を見分けることができなければなりません。実際のところ,彼ら自身にその本体をはつきり示させましよう。そうすれば,キリスト教国の正統派宗教の霊的な状態についての私たちの言葉が,偏見であるとか,事実の歪曲であるとか,または偽りであるなどの非難をうけることはないでしよう。これらの制度の宗教指導者たちに,その事柄について語らせ,これらの制度の霊的な価値を評価させなさい。判断の基準を,イエスの示した通りにしましよう,『悪い僕よ,私はあなたの言つたその言葉であなたをさばこう。』とイエスの示した規則に従いましよう,『あなたは,自分の言葉によつて正しいとされ,また自分の言葉によつて罪ありとされる。』彼ら自身の口から出る言葉は,彼らがイスラエルの忠実な少数者に匹敵すると示しますか,それとも模型的な国民内にいて背教した大多数に匹敵すると示しますか。キリスト教国の正統派宗教は,昔のイスラエルのなした予言的な劇の現代における成就において,どちらの役割を果していますか。―ルカ 19:22。マタイ 12:37,新口。
2,3 キリスト教国の霊的な食物について,二人の牧師はどんな欠点を見出していますか。そのような状態は以前に存在しましたか。
2 彼らは滋養分のある霊的な食物を供しますか。ペティンギル博士は,次の言葉を語りました,『いま給せられている宗教的な教えは呪いであつて,祝福ではない。その大部分は,キリストの教えを無視する偽りの宗教だ。』(イ)バージュー司祭は,こう嘆いていました,『正統派のアメリカ宗派の悪しき病害は,非常にはなはだしい不信によるのである。そのため我々の確信はうすくなり,我々の宗教は単なる習慣と言伝えのものになつてしまつた。一方,聖書に対する極めて悪質な高等批評は,ひろく一般化せられたために,我々現代の牧師の多くは,自分の信じているものを殆ど知らないのである。さらに,我々は知識階級の信条や言葉を崇拝する者になつたため,超自然の力をもはや信ずることはできないのである。(ロ)
3 イザヤの時代の宗教家たちは,葡萄酒で象徴されたヱホバの真理に水を加えたために,はげしい非難を受けました。彼らは口先だけで神に近ずき,唇でもつて神を敬いましたが,『その心ははるかに遠いものである。彼らの宗教は偽りのもので,空虚に繰り返して学ぶ言伝えにすぎない。』パウロの時代には,『神の言葉にまぜもの』して,知識者の信条を称揚した人々がいました。それで,パウロはヱホバの次の警告を彼らに想い起させたのです,『私は知者の知恵を亡し,賢い者の賢さをむなしいものにする。』さらにパウロは,『神はこの世の知恵を愚かにされたではないか』と述べました。しかし,今日の牧師はこの世の智恵で神の言葉にまぜものをし,この世の賢者を心配し恐れているため,超自然の勢力についての聖書の立場を擁護しようとしません。ほんとうに,『人を畏るれば罠におちいる。ヱホバを頼む者は守られん。』― イザヤ 29:13,モハット訳。コリント後 4:2。コリント前 1:19,20,新世。シンゲン 29:25。イザヤ 1:22。
4 一牧師は何を認めていますか。そのような状態はどうして生じますか。
4 著名な一牧師は,或る教会で35年間奉仕した後に,こう語りました,『私の教会は堕落して来ている。だが教会員は何一つしようとしない。私の教会の欠点を御存知ですか。人々は私を好みますが,神を愛さない』(ハ)こう言うことができます。もし牧師がヱホバの真の光を反映するなら神への愛がつぎこまれて教会が堕落することはないでしよう。しかし,人間の智恵が反映されるなら,その結果に人間崇拝と称揚が生ずるでしよう。自分自身を喧伝したパリサイ人に対してイエスはこう戒めました,『人々の間で尊ばれるものは,神のみまえでは忌みきらわれる。』またパウロは『神の真理を変えて虚偽とし,創造者の代りに被造物を拝み,これに仕えた』者たちを戒めました。―ルカ 16:5。ロマ 1:25,新口。
5 今日,形式的な正統派の奉仕者訓練は,どのように失敗していますか。イエスの時代には,どんな酷似がありましたか。
5 現代の多数の牧師は,ヱホバへの愛を生ぜしめる滋養豊かな霊的な食物を供給するのに失敗しています。それはなぜですか。クリスチャン・センチュリー(英文)に稿を寄せた一人は,その失敗の責任は訓練にあると非難しています。『熱烈な確信に充ちる人が神学校に入ると,冷やかになつて出るのは,なぜひんぴんと起るのであろうか。大規模で知能程度の高い或る神学校では,びつくりする程の多い数の人(4分の1以上と聞いている)が,全然奉仕活動に行かない。知能的な要求に沿い得ない不適当な人々をふるい落しているのであろうか。それとも,多くは神学校の霊的な失敗に基因するのであろうか。……かくも多数の者に対して神学校が何をするのか,私は心配している。』(ニ)ヱホバの証者が奉仕者としての資格を持つためには,神学校を卒業しなければならないと,多くの人々は言います。だが,なぜ神学校へ行く必要がありますか。ヱホバに対する燃えるような熱心に冷水をかけられてしまうではありませんか。生温いということでも,キリストはその者を奉仕から排斥してしまいます。『私はあなたのわざを知つている。あなたは冷たくもなく,熱くもない。むしろ,冷たいか熱いかであつてほしい。このように,熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう。』キリストも,使徒も,また弟子たちも,当時の形式的な宗教学校に行きませんでした。しかし,非常な成功を収めたのです。律法学者や,パリサイ人や,サドカイ人たちは,宗教学校で研究しました。しかし,奉仕者としては失敗したのです。―黙示 3:15,16,新口。
6 背教している霊的な病気について,どんな告白がなされていますか。
6 現代の牧師たちは,自分の失敗を認め,自分の宗教は真のキリスト教から脱落していることを承認しています。ロバート・ジェー・マッククラッケン博士はこう言明しました。すなわち,クリスチャンたちは『次の事実に面さねばならない。世界にいる6億8000万人のクリスチャンの大多数は,名前の上だけのクリスチャンに過ぎない。或る場合にキリスト教の意味するものが何であるかを知らず,多くの場合に熱意のない無関心となり,その宗教は古物の事柄となつている。』(ホ)広範囲にひろまつている霊的な病気の故に,全スコットランド十字軍の祈禱委員会は,ひろく配布された祈りのカードに次の言葉を述べるにいたりました。『先ず教会が悔い改めるよう祈ろうではないか。我々クリスチャンは,悲しくも神を悪く表わし示して,人々を神の道より引き離し,私たちの子供たちよりそのよろこびを奪いとつたことを,悟り得るように祈ろうではないか。また,神の約束よりもはるか低い程度のところで,我々が生活に甘んじているのを認識し得るよう祈ろうではないか。そして,我々の生活して来た祈りのない,よろこびの欠けた,弱々しい生活から離れ得るように,また我々がしばしば説教してきた活気と気力のない言葉を恥じ入るよう祈ろうではないか。』(ヘ)
7 イエスの時代と現在において,正統派の宗教家たちはどのように聖書を無にしましたか。
7 イエスの時代に,人々の霊的な力は霊的な飢餓の故に弱められていました。彼らの食して来た哲学や言伝えは,力をすこしも与えず,神の言葉を無にしました。イエスの言われた通りです。『あなたがたは自分たちの言伝えによつて,神の言葉を無にしている。偽善者たちよ,イザヤがあなたがたについて,こういう適切な予言をしている。「この民は,口さきでは私を敬うが,その心は私から遠く離れている。人間のいましめを教として教え,無意味に私を拝んでいる。」』また,パウロもこう戒めました。『哲学や空しい欺きであなた方をとりこにしようとする人のいることに注意しなさい。それらは,人の言伝えや,この世の事柄に従うのであつて,キリストに従うものではない。』(マタイ 15:6-9。コロサイ 2:8,新世)昔の時代に教えられていた異教の教理とか,言伝えとか,科学的な哲学のいくらかは,今日でも教えられており,聖書の価値をけなすという同じ結果を生じています。バプテスト派の「見張り ― 調査人」(英文)は,こう述べていました,『クリスチャン教会は,人間に対する神の啓示をしばしば否定して,その代りに進化論や,無感覚な良心や,力のない不適当な聖書を置きかえている。神を忘れて,……多数の聖書排斥者を産み出したのは,クリスチャン教会である。』(ト)
8 現在の宗教復興運動が無価値であると,何が示していますか。
8 しかし,現在の宗教復興運動についてはどうですか。アメリカの長老派教会の一役員は,次のように否定しました。『アメリカにひろまつている所謂宗教復興動運は,真実のものでもなければ,永久のものでもない。大部分の人は,夜に湯タンポを欲するのと同じ具合に神を欲するように見える。―一時的な不快をまぎらすためだ。』こう言葉をつづけていました。『統計によると,国家はますますキリスト教になりつつある。だがニュースによると,国家はますます異教になりつつある。』(チ)イエスの語られた次の言葉は,言われた当時と同じく現在でも適切なものです。『すべて良い木は良い実を結び,悪い木は悪い実を結ぶ。このように,あなたがたはその実によつて彼らを見わけるのである。』キリスト教について考えをめぐらす者は,それに伴う犠牲を考えよと,イエスは告げられました。ところが,今日の一般の風潮は利益を先ず考えることです。私にとつてどんな益があろうか。心と魂の平和が得られて,事業に成功するであろうか。心理学者が牧師の衣服を身に着けるだけでは奉仕者になれないのです。真のクリスチャンは,人々を現在の生活に適合せしめることに忙しくつとめ,次の世の生活,すなわちヱホバの新しい世における真実の生活に人々を適合せしめる時間を無くしてしまうことをしません。―マタイ 7:17,20。テモテ前 6:17-19,新口。
この世的なものに後戻りする
9,10 過去において,この世はどのようにして宗教家に打ち克ちましたか。そして,現在ではどうですか。
9 悪い霊的な食物のために,キリスト教国の宗教は霊的に病気です。そして霊的に病気であるため,彼らはこの世に対して立ち向うことができません。この世的なものに後戻りして,この世と密接な関係を持ち,この世に捕われてしまいます。彼らはこの世の影響に反抗することができません。キリスト以前のユダヤ人たちが真の崇拝から背教して異教の諸国民と係り合いを持つたと同じく,またキリストの時のユダヤ人たちがキリストを排斥して『我々にはカイザル以外に王はいない』と叫んだと同じく,今日の正統派の宗教はこの世と密接な交わりを持つています。宗教指導者たちはそれを認めています。
10 イエスは,世に打ち克つたと言いました。しかし,今イエスに従うと主張する大多数の者は世に打ち負かされました。クリスチャン・センチュリー(英文)は,そのことをこう述べています,『宗教とは,みな慰安をもたらす気持良いものである。との印象が一般にひろまつている。20世紀のキリスト教は,峻厳な調子を失つてしまつた。我々の大部分にとつては,その中に十字架もなく,節制もなく,霊のために肉慾を犠牲にすることもない。人々は教会を見ても,また,キリスト教は英雄に対する信念であつて,キリスト教を受け入れることは「危険な生活をする」意味だという教会の計画を見ても何も感じないようだ。……しかし,それは1世紀のクリスチャンたちの一般的な印象であつた。当時,クリスチャンになることは由々しいことであつて,たいへんな犠牲が必要であつた。西暦30年から313年にいたるまでの間,キリスト教を安易な宗教と考える者は一人もいなかつた。それは英雄に対する信念であつた。』(リ)世に打ち負かされるものが,どうして神からのものであり得ましようか。『すべて神から生れた者は,世に勝つからである。そして,私たちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である』しかし,信仰は聖書の真理を聞くことから来るのですから,聖書の真理に思を養おうとしない霊的に病気な者は,世に打ち克つ信仰を持つことができません。―ヨハネ第一書 5:4。ロマ 10:14,17。ヘブル 11:1,新口。
11 一人の牧師は,正統派宗教が臆病であることと,世を恐れていることをどのように述べましたか。キリストについてのどんな間ちがつた考えに対して,彼は反論しましたか。
11 マッククラッケン博士は,正統派の安易な道に歩んでいる者の臆病さを認め,それらの者が一般風潮を振り落す気持のないことに注意を向けました,『教会内の我々が,慣習に心をかたくなにすることを少しにするなら,言い伝えに結びつけられるのが少しになるなら,革新に対して抱く恐れが少しになるなら,どれ程に良いことであろう! お定まりの道から出て,陳腐と縁を切り,古色蒼然とした二,三の言伝えを打ち破り,そして思いもかけないことをして,人々の御機嫌をとる代りに人々を驚かせるなら,フルートの代りにトランペットを用いるなら,まつたくすばらしいであろう。……今日,風の吹いている向がどちらであるかを知らないなら,我々は注意深く行つて立場を採ろうとはしない。』(ヌ)この牧師は,更に露骨にもこう語りました。『我々の時代の宗教は,さつぱり活気がない。悪感情を起させるなどということは先ずない。一般的に言つて,今日の宗教は極めて臆病であるから,直接の範囲外にその影響を及ぼすことはない。大多数の公共の問題に関しては,今日の宗教は国家や世界一般を宥めて和解させようと極力つとめる。……あらゆる種類の不正,圧迫,そして不道徳がすぐ足下で盛になされているのはそのわけなのだ。大多数の人々は,主をやさしい親切な人そして何処に行つても穏和な祝福を授けた人と考えている。……ところが,これに反して,主はあらゆる種類の人々,あらゆる状態の人々 ― 彼の親族,弟子たち,律法学者たち,パリサイ人たち,そして宮にいた両替人のように投資の利息を持つ人々をして最もはげしく怒らせたのである。』(ル)
12 どんな聖句はこの世的なことが不忠実であることを示しますか。
12 イエスは,『私の国はこの世のものではない』と語られました。弟子のヤコブも,清くて汚れのない崇拝の一つの要求は,『世の汚れに染ま』ないことであると語り,そしてこの世の不正な関係を持つているクリスチャンを露骨にもこう非難しました。『不貞のやからよ。世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ,世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである。』なぜですか。なぜなら,『全世界は悪しき者の配下にある。』そして,その一部になることは,サタンの勢力に属することです。―ヨハネ 18:36。ヤコブ 1:27; 4:4。ヨハネ第一書 5:19,新口。
13 物質主義に対して,どんな聖書の警告が与えられていますか。牧師はそのことに注意を払いましたか。
13 クリスチャン達は,この世の物質主義,心ひきつける眩惑を拒否するよういましめられています。『世と世にあるものとを,愛してはいけない。もし,世を愛する者があれば,父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇は,父から出たものではなく,世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる。』さて,この世の眩惑に屈してしまつたのは多数の自称クリスチャンだけでなく,大ぜいの宗教指導者たちもこの世の眩惑に屈してしまつたのです。ボストン大学の総長ハロルド・シー・ケースは,牧師たちにこう警告しました,『聖書よりも予算の方に多くの注意を払い,良い地位を狙うための競争は,地上における神の御国の条件に協力することや,成就することよりも更に心をひきつけている。……或る場合,牧師たちは俸給,地位,昇進に興味を持ち過ぎているために自分自身の目的を見失つている。』(オ)― ヨハネ第一書 2:15-17,新口。
14 牧師たちのこの物質主義は,イスラエルの歴史によつて予め示されていますか。
14 昔のイスラエルの模型的な宗教指導者となんと良く似ているのでしよう! イザヤの時代では,そのような者はヱホバの見張として奉仕をなし,霊的な弛みから生ずる危険を警告し,良い番犬のごとく吠えるべきでありました。しかし,貪欲な物質主義の故に彼らはそれをするのに失敗したのです。彼らについてイザヤは次のように書きました,『斥候はみな盲いにして知ることなし。みな唖なる犬にして吠ゆることあたわず,みな夢みるもの臥いるもの眠ることをこのむ者なり。この犬はむさぼること甚だしくして飽くことを知らず,彼らは悟ることを得ざる牧者にして皆おのが道に向い行き,いずれにおる者もおのおの己の利を思う。』そして,予言者のミカも彼らを正しく評価してこう述べました。『その首たちは賄賂をとりて裁きをなし,その祭司たちは価を取りて教をなす。又その予言者たちは銀子を取りて占卜を為し,ヱホバに倚り顧みて言う。ヱホバ我らと偕に在すにあらずやされば災われらに降らじと。』そのことは今日でも同じではありませんか。背教した物質主義的な宗教家たちは,自分の罪をことごとく認めていながらも,なおヱホバは偕にいると主張し,ヱホバは彼らを救うと主張しているではありませんか。イエスが『あなた方は,神と富とに兼ね仕えることはできないと言つたとき,『欲の深いパリサイ人たちが,イエスをあざ笑つた。』― イザヤ 56:10,11。ミカ 3:11。ルカ 16:13,14,新口。
『イザヤよ,もしくは聖パウロよ!』
15 キリスト教国には何が不足していますかなぜですか。そして,何時,類似の状態は存在しましたか。
15 ジョン・スーザーランド・ボネル博士は,物質主義に全く落ちこんだことを裏書きして後に,霊的な飢饉を認めて次のように語りました。『神の大いなる息が国中に吹くことを必要とする。』(ワ)ボストン大学のエーレンスパーガー教授は,メソヂスト学生運動の集会に話をなして,この欠如を歎きました。『我々の宗教はこの世の勢力と提携している。我々の亡びを告げ,我々の罪を自覚させ,そして互に亡ぼし合う以前に我々を目覚めさせる真の予言者は一人もいない。』同教授の言葉によると,宗教は『名前だけのもの,習例になつており,生活上の経験になつていない。我々に不足しているものは,予言者である。―予言者は,もはや一人もいない。』(カ)彼らの制度内に,予言者は一人もいないと,彼らは認めているのです。イスラエルやユダの受けた飢饉の状態と類似の状態を彼らは認めています。すなわち,『パンに乏しきに非ず,水に渇くに非ず,ヱホバの言葉を聴くことの飢饉なり。』(アモス 8:11)その飢饉は彼ら自身のつくつたものです。彼らは言伝えや,哲学や,心理学や,進化論や異教の教えに頼つたため神の言葉を無にしました。エレミヤの時代に神の民と称えた者たちに向つて,ヱホバは次の言葉を告げられましたが,その言葉は現代のキリスト教国の宗教にぴつたり合うものです。『わが民は二つの悪しき事をなせり。すなわち活る水の源なる我を棄て,みずから水溜を堀れり。すなわち壊れたる水溜にして水を有たざるものなり。』― エレミヤ 2:13。
16 なぜ,キリスト教国の宗教は聖書を好みませんか。彼らの態度は,イザヤの時代の原型の者の態度と,どのようにぴつたり合いますか。
16 次のようにも予言されていました。『人々が健全な教えに耐えられなくなり,耳ざわりのよい話をしてもらおうとして,自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め……るであろう。』ヱホバの予言の音信は,しばしば災いを宣べ伝えており,『これを聞く者はその耳ふたつながら鳴らん。』しかし,キリスト教国は耳が鳴るのを欲せず,くすぐられるのを欲します。それで,イザヤの時代の原型の者がなしたと同じく,彼らは『見るものに向いて見るなかれと黙示をうる者にむかいて言う。直きこと示すなかれ。滑らかなることをかたれ。いつわりを示せ。なんじら大道を去り,道をはなれ,我らが前にイスラエルの聖者をあらしむるなかれ。』と言います。今日の宗教指導者たちは,正しい言葉で心を乱されるよりは,滑らかな言葉で気持を鎮める方を好みます。彼らはイスラエルの神ヱホバについては全く聞きたくないので,聖書の翻訳からヱホバの御名を削除しています。―テモテ後 4:3,新口。列王紀略下 21:12。イザヤ 30:10,11。
17,18 トルーマンは,何について劇的な叫びを挙げましたか。しかし,なぜこれは必要ではありませんか。
17 トルーマン大統領は,或るときアメリカのカトリック,新教徒そしてユダヤ教の教会は結合して,驚くべき勢力をつくりあげ,そして原子エネルギーによつて生じた諸問題を解決するのに必要な霊的な覚醒を達成しなければならぬと,語りました。その後に次のような劇的な叫びの声を挙げました。『ああ,イザヤよ,もしくは聖パウロよ,病める世をして再び道徳上の責任に目ざめさせるように!』(ヨ)舌先で述べられるこれらの言葉は,快い響きを持つています。しかし,心の中にあつた言葉かどうかは疑わしいものです。或る譬話の中で,イエスは活きている者を警める目的のために死人がよみがえつて来るのは無用であると示しました,『彼らにはモーセと予言者とがある。それに聞くがよかろう。』そして『もし彼らがモーセと予言者とに耳を傾けないなら,死人の中からよみがえつてくる者があつても,彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう。』― ルカ 16:29,31,新口。
18 この世は,聖書に記録されているイザヤとパウロの言葉を持つています。もし彼らが地上に戻つて来たとしても,彼らは音信を変えて耳をくすぐることをしないでしょう。イザヤは,剣を鋤に打ちかえて戦争のことをもはや学ばないようにと提唱しました。またパウロはクリスチャンの戦の武器がこの世的なものでないと強調しました。しかし,トルーマンは二つの都市に原子爆弾を投下するように命じたのです。彼は,聖書に記録されているイザヤやパウロの言葉に注意を払いませんでした。両人がよみがえつてきて,面と向つてその言葉を繰り返し述べるならトルーマンはその言葉に注意を払うでしようか。―イザヤ 2:4。コリント後 10:4。
19 今日,どんな意味で予言者がいますか。そのような奉仕をする者は誰ですか。
19 今日,実際には予言者がいるのです。彼らはヱホバからの警告を告げ知らせ,よろこんで聞く人々の罪を自覚させ,霊的に病気な者たちを,道徳の責任に目ざめさせています。彼らが予言者であるといつても,昔の予言者と同じような者という意味ではありません。彼らは聖書の中に記録されていて今日に関係する予言を宣べ伝えている者たちです。そして,現在生きている者に対してどのような将来があるかを語る者たちです。彼らはまた,昔の予言的な劇がどのように現在成就されているか,例えば背教しているキリスト教国は昔の背教のイスラエルによつて正確に予表されていたと,示しています。今日,このような予言的な言葉を宣べ伝えている者は,ヱホバの証者です。彼らは神の言葉を熱心に指し示し,神の言葉を擁護し,伝道し,現代の生活に適用し,そして他の者にも同様なことをさせようと努めます。彼らは諸国民から集められた忠実な少数の級を形成しており,背教した大衆や宗教的な指導者と共々に旧悪に戻ることを拒絶した昔のイスラエルの忠実な者になぞらえられます。
20 現代の証者に対する取扱いは,どのように昔の状態に類似していますか。
20 そして,昔のイスラエルの場合と同じく,背教している大衆は少数である現代のヱホバの真の証者を迫害します。もちろん,正統派の宗教は彼らを偽りの証者と呼び,そして迫害を受けた昔の予言者たちを真の証者と認めても,彼らを認めようとはしません。いつもこのような具合でした。そして,背教した者は今でもヱホバに仕えていると主張するのです。彼らは自分の時代よりもずつと以前の迫害を受けた者たちを真の証者と認めますが,自分の時代にいる者たちを決して真の証者とは認めません。彼らは,自分たちの背教を曝露する同時代の者を迫害します。彼らは自分以外の背教者たちを曝露した昔の人々を賞讃します。エレミヤが予言した時代の人々は,エレミヤを拒絶しても,モーセを認めていました。イエスを拒絶して殺した者たちは,モーセとエレミヤの両人を認めました。彼らは,自分の時代以前の忠実な人々をいつも予言者と認めました。しかし,同時代に住んでいて,その悪を発く音信で彼らを悩ます者を予言者とは呼びません。しかし,イエスの言葉によると,自分の時代の真の予言者と証者に対する行により,彼らの上には流された義人の血が注がれるのです。今日でも同じです。パリサイ人たちが,自分の時代以前の予言者の墓を飾つても,自分の時代の予言者たちを拒絶したように,キリスト教国は聖書時代の予言者たちに口先では仕えますが,今日のヱホバの証者を迫害します。それはイエスに対して為されたものに見なされると,イエスは言われました。―マタイ 25:40,45。
21 熱心と進歩において誰が先んじていますか。誰が衰微していますか。
21 しかし,或る牧師たちも認めているように,立派な教会や,人々からの高い尊崇や,神学校の訓練を受けた牧師のいる正統派宗教が祝福を受けているのではありません。名声は少くても,ヱホバに熱心であつて,最初の清いキリスト教にはるかに近い者たちこそ,祝福を受けているのです。エルトン・トルーブラッドは,「長老派生命」(英文)の中で,次のように書いていました,『我々がクリスチャン計画に注意を払うとするなら,次の事実を現実的に取り扱わねばならない。すなわち,この特定な比較において見るとき,最少の社会的な立場を楽しみ,一番短い歴史を持ち,いちばん流行外れの区域を占め,そして一番僅かな訓練を受けた宣教に導びかれるクリスチャン制度が,他のものよりも先んじているのである。数だけでなく,熱心においても,行においても,また割に応じた施しにおいても,そうである。……小さいが,しかし活気に溢れているヱホバの証者の群は御国会館と呼ばれるつつましいところで集会する。……まつたく疑をさしはさむ余地はないことであるが,我が国で今や非常に繁栄しているこの活気一杯な,名声のない派は,キリスト教国の慣習的な運動を代表する我々よりも,多くの点において,はるかに原始キリスト教に近いのである。我々は自分の持つものを古い言伝えと言うが,このことは正確でないのかもしれない。多分,彼らはクリスチャン証者に真実に古いものを代表しているのかもしれぬ。……我々はすでに衰微しつつある。』(タ)
22,23 (イ)それぞれの群れは,杙につけられたキリストを,どのように見ますか。(ロ)一般に言つて,ヱホバはどんな級の人々を選びますか。そして,なぜ?
22 使徒パウロの時代に,ユダヤ人たちは特別なしるしを求め,ギリシャ人たちはこの世の知恵を求めました。ユダヤ人にとつては,あがないなるキリストは躓きの石であり,諸国民にとつては,あがないなるキリストを語ることは愚かなことでした。パウロの時代にキリストを受け入れたのはこの世の賢者ではありません。また,高等批評の訓練を身につけた牧師のいるこの世的に名声の高い今日の教会もキリストを受け入れません。彼らは不適当に贖い主にして王なるキリストに挑戦しているのです。パウロの時と同じように,今でも『最少の社会的な立場を楽しむ』級が,この世によつて愚かなるもの,そして弱いものとして棄てられるものを受け入れているのです。
23 『ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を求める。しかし,私たちは杙につけられたキリストを宣べ伝える。ユダヤ人にはつまずきとなり,諸国民には愚かなことであるが,召された者にとつては,ユダヤ人にも,ギリシャ人にもキリストは神の力,神の知恵なのである。神の愚かさは人よりも賢く,神の弱さは人よりも強いからである。神に召されたあなた方,兄弟よ。この世から見れば知恵者は多く召されない。権力ある者は多く召されない。また,身分高く生まれた者も召されない。ところが,神に知恵者をはずかしめるためにこの世の愚かな者を選び,また強い者をはずかしめるためにこの世の弱い者を選ばれたのである。神はまたこの世の身分の低い者や,いやしめられている者を選ばれた。取るに足らぬ者を選ばれた。これは取るに足る者を無力にするためである。そして,これはすべての人間が神の前にあつて誇ることのないためである。あなた方がキリスト・イエスにあるのは,神によるのである。キリストは,私たちにとつては神からの知恵となり,義と潔めとあがないによる救いになられたのである。それは,聖書に「誇る者は,ヱホバにあつて誇れ」と書いてある通りである。』― コリント前 1:22-31,新世。
背教者を避けて生きなさい!
24 背教を避けたいと望む人々は,誰を避けねばなりませんか。
24 『まちがつてはいけない。悪い交わりは,良いならわしをそこなう。』(コリント前 15:33,新口)昔のイスラエルは,悪鬼崇拝をしていたまわりの国々を友にしてはいけないと,警告されていました。しかし,イスラエルはまわりの国々を友にして,汚れを受けました。イスラエルは偽りの教理を採り入れて,罪の沼にすべり込んでしまいました。忠実な残れる者だけが反抗して,しつかりと立つたのです。今日でも同じことです。当時の出来事は,今日を予言的に示しているからです。大多数の人々は,聖書時代に人々を養うことのできなかつた霊的な食物,そしていまでも人々を養うことのできない霊的な食物をとつています。それで,大多数の者たちは霊的に弱まつており,背教しているのです。しかし,わずかな少数者は,しつかりと立場を保つています。背教を避けたいと望む人々は,背教者を避けねばなりません。なぜなら,そのような悪い交わりは,真の崇拝の良い習慣をそこなうからです。悪くみちびかれるようなことがあつてはなりません。
25 あなたは,どんな質問を深く考えねばなりませんか。
25 昔のイスラエルになされた予言的な劇は,いま全き成就をしつつあります。そして,結末にいたるまで成就しつづけるでしよう。そのとき,背教した大多数は亡びを受け,忠実にして決意のかたい少数者は救い守られて永遠の生命を受けます。それは必至のことです。それで,この成就がなされるかどうかというのは問題ではありません。問題は,その成就においてあなたの立場が何処であるか,ということです。あなたは悪しき大多数といつしよに数えられて亡びを受けますか。それとも忠実な少数者とともに数えられて救われますか。あなたは昔の予言的な劇の教訓に注意を払い,キリスト教国の宗教が提出している霊的に弱い食物を避けますか。教義の食物としては不適当なもの,そして以前にも用いられて多くの人々を病気にせしめたものを排斥しますか。あなたは背教者との宗教的な関係を切つて,忠実な者の友になりますか。あなたはヱホバの御言葉の清い真理を採り入れて,ヱホバ神への忠実をしつかりと持ちつづけるのに必要な霊的な力を保ちますか。忘れてはなりません。良きにしても,悪しきにしても,あなたが救われるにしても亡ぼされるにしても,いずれにしても,あなたは昔の予言的な劇の成就にあずかるのです。その予言の成就におけるあなたの果す立場を良いものにしてはいかがですか。
(イ)1949年10月10日,ニューヨーク・タイムズ
(ロ)1950年8月7日,ニューヨーク・タイムズ
(ハ)エフ・ケイ・スタム著『もしこれが宗教であるなら』(英文)内の報告
(ニ)1953年4月29日『クリスチャン・センチュリー』内のサミュエル・シュメーカーの記事
(ホ)1953年7月13日,ニューヨーク・タイムズ紙
(ヘ)1955年2月1日,スコティッシュ・デイリー・メイル
(ト)1951年10月4日,ワッチマン・エグザミナー
(チ)アメリカ長老派教会福音主義者派の秘書チャールス・テンブルトン博士の1955年5月18日「グリーンスポロ・レコード」(英文)内の報告
(リ)1952年2月27日「クリスチャン・センチュリー」
(ヌ)1955年5月30日,ニューヨーク・タイムズ
(ル)1951年7月9日,ニューヨーク・タイムズ
(オ)1954年2月3日,デイリー・タイムズ・ヘラルド
(ワ)1952年5月21日,オレゴン・ジャーナル
(カ)1954年1月3日,ワシントン・ポスト(ディーシー)
(ヨ)1946年3月6日,ミネアポリス・デイリー・タイムズ
(タ)1951年1月20日,プレスビタリアン・ライフ(英文)
[340ページの囲み記事]
悪しき者のはかりごとにあゆま………ぬ者はさいわいなり。かかる人はヱホバの法をよろこびて日も夜もこれを思う。―詩 1:1,2。