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  • 謙遜さ ― きわめて望ましい特質

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  • 謙遜さ ― きわめて望ましい特質
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
塔77 10/15 628–630ページ

謙遜さ ― きわめて望ましい特質

謙遜で,優しく,へりくだった態度よりはむしろ,誇りが多くの場合,不完全な人間の表わす支配的な性向となっています。とはいえ,宇宙の至高の主権者は謙遜な方であられます。そのことは,ご自分の是認と祝福を熱心に求める卑しい罪人を,エホバ神が進んで憐れみ深く扱われることからも明らかです。

エホバの謙遜さは,エレミヤ哀歌 三章の中に美しく描かれています。その章の中で預言者エレミヤは,バビロニア人がイスラエル人に加えたひどい苦悩に関して,自分の強い感情を言い表わしています。一国民として,イスラエルは完全な敗北を喫しました。しかし,エホバはやがて同国民の悔い改めた人々を思い出されます。エレミヤ哀歌 3章19,20節のエレミヤの祈りの言葉の中に,このことに対する確信が言い表わされています。「わたしの苦悩とわたしの郷里のない状態,にがよもぎと有毒な植物を思い出してください。間違いなくあなたの魂は思い出してくださり,わたしの上に屈む」。そうです,全能の神はご自分の無比の謙遜さの表明として,悔い改めた人々に対して好意を向けられ,彼らを卑しめられた状態から引き上げるために,「屈む」つまり,腰をかがめられるのです。

このようにエホバ神は,至高者であり,だれに対しても責めを負っているわけではありませんが,最低の状態に陥った人々にさえ,へりくだって好意を示されます。ですから当然,神はご自分のしもべたちに謙遜という特質を求めます。神は謙遜な人々だけに好意を示し,ご自分の特別な配慮の対象とされます。神の言葉はこう告げています。「エホバは高きにおられます。それでいて謙遜な者たちをご覧になります。しかし高ぶった者はただ遠くからお知りになるだけです」。(詩 138:6,新。ヤコブ 4:6)高ぶる者たちと,最も高い天に住まわれるエホバ神との間には,大きな隔たりがありますが,神は高ぶる者たちの動機をご覧になり,彼らをご自分のしもべとして認めようとはされません。実際のところ,神は高ぶる者を行きずりの人とさえみなされないのです。

謙遜さを培う

しかしながら,エホバに認めてもらいたいと願うなら,古代の神の謙遜なしもべたちの模範を考慮してみると良いでしょう。そうした人々の一人にダビデがいます。ダビデは王として油そそがれていましたが,力ずくでその地位を得ようとせず,サウル王によるはずかしめや迫害を進んで耐え忍びました。ダビデは心の中に,自分自身に関してうぬぼれた考えは持っていませんでした。また,自分よりも優れた地位にある人々をせん望の目で見たり,身分の低い虐げられた人々に,侮べつのまなざしを向けたりすることはありませんでした。ダビデは自分の限界を認め,能力以上の事柄に手を出そうとはしませんでしたから,次のように言うことができました。「[エホバ]よ,わが心はおごらず,わが目は高ぶらず,わたしはわが力の及ばない大いなる事とくすしきわざとに関係いたしません」― 詩 131:1,口,[新]。

こうした謙遜さを培うため,ダビデは努力しなければなりませんでした。彼は霊感の下に次のように認めているからです。「乳離れしたみどりごが,その母のふところに安らかにあるように,わたしはわが魂を静め,かつ安らかにしました」。(詩 131:2,口)ですから明らかに,一時ダビデの魂,つまり彼の全身にみなぎった情熱的な欲望は,彼が真の謙遜さを表わすために,静められる必要がありました。ダビデは,欲望と切なる思いのために,ちょうど赤子が母親の乳房をしきりに求める時のような,どうしようもない気持ちに駆られました。とはいえ,ひとたび乳離れした子供は,間もなく新しい食事の仕方に慣れ,母親の腕の中に安らぎを見いだします。同じように,ダビデは自分の欲望を静めることに成功しました。自分を高めてくださるのはエホバであることを認識したダビデは,忍耐強くエホバを待ち,仲間のイスラエル人たちにもそうするよう励ますことができました。「イスラエルはエホバを待ち望め。今から,そして定めのない時に至るまでも」― 詩 131:3,新。

同様に今日,神の民の会衆の中で,奉仕のしもべや長老として用いられることについて,謙遜な人は辛抱強さを示します。そうした人は,目立ちたいという目的で出しゃばろうとはせず,「すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いこと」を行なうよう,喜んで努力します。(ガラテア 6:10)しばらくはその人の良い特質や業が見過ごされるかもしれませんが,そうした事柄が隠されたままになることはないと確信できます。テモテ第一 5章25節はこう述べているからです。「りっぱな業も公に明らかであり,そうでないものも,隠されたままでいることはありえません」。

謙遜さは平和に役立つ

特定な立場で用いられないことに関して,謙遜な態度を保ち,それを大きな問題としない人は,クリスチャン兄弟たちの間の平和を保つことに貢献しています。たとえ誤った判断がなされたとしても,その誤りを明らかにし,自分自身の正しさを立証しようとすることは,必ずしも賢明ではありません。自分の正しさを証明できるかもしれませんが,その過程において,他の人々を傷つけることがあるからです。事実その人は,任命された長老に対する会衆の人たちの敬意を,知らないうちに損なうということもあり得るのです。もしそうだとすれば,自分が他の人々の前で恥をかかせた長老と共に働くことはその人にとって確かに難しくなります。

ですから,誤った判断がなされたと兄弟が感じるならば,こう自問すると良いでしょう。その誤りは,たとえ逆効果を招くおそれがあっても,明らかにしなければならないほど重大だろうか。それよりもむしろ,後日,事が正されるのを待つことはできないだろうか。それを問題にすることは,会衆の平和を妨げる問題をわざわざ引き起こすことにはならないだろうか。

謙遜な人は,自分も誤ちを犯すことを認めますから,進んで聖書の助言を受け入れ,それを当てはめます。自分が不当な評価を受けたならば,その経験から益を得るように努め,他の人々を扱う際に,自分自身同じ誤ちを犯さないように,一生懸命に努力します。

謙遜さをもって仕える

任命された長老や奉仕のしもべは,他の人々に謙遜に仕えるという点で,使徒パウロの模範に倣うと良いでしょう。パウロは,自分自身と仲間の働き人たちに関して次のように書きました。「また,人間からの栄光を求めたりもしてきませんでした。そうです,あなたがたからも,また他の人びとからもです。キリストの使徒として,費用の面で重荷を負わせてもよかったのですが,そうはしなかったのです。それどころか,乳をふくませる母親が自分の子どもを慈しむときのように,あなたがたの中にあって物柔らかな者となりました。こうして,あなたがたに優しい愛情をいだいたわたしたちは,神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びとしたのです。あなたがたが,わたしたちの愛する者となったからです」。(テサロニケ第一 2:6-8)「栄光」を求める気持ちからではなく,喜んで仕える謙遜な態度や,自己犠牲的な愛の表われとして,自分の時間と精力を与える態度は仲間の人々にとって祝福となります。そうした態度は他の人々に訴えるものであり,その人はエホバのみ手にあってりっぱな働き人となります。

謙遜さは,他の人々に仕える精神を反映するよう人を助けるとともに,仲間の信者に対する感謝の念をも強めます。使徒パウロはフィリピの人たちに,「何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の者が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち」なさい,と勧めました。(フィリピ 2:3)この助言に従う人は,ある面では自分自身のものより優れた資質を他の人々の中に見ることができます。自分を控え目に評価する人は,性急に自分のやり方を主張したり,他の人々の推薦を無視しようとしたりしません。そうした人は,物事を取扱うのに幾通りかの方法があり,自分の判断は必ずしも最善ではないことを認めています。ですから,喜んで他の人々の感情や,見解を考慮に入れ,共に何かを行なう場合には,それを自分一人の手柄としないように注意します。そうした謙遜さによって,その人は望ましい友人となります。

確かに謙遜さは,神や仲間の人間との良い関係を保つ上で大切なものです。ですから,それは献身した神のしもべとして,わたしたちすべてがさらに一層培いたい資質です。

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