すくいの日
『彼はこう言われる「受け入れるべき時に,私はあなたに聞き,そして救いの日に,あなたの助けに来た。」見なさい! 今こそ特に受け入れられる時である。見なさい! 今こそ救いの日である。』― コリント後 6:2,新世。
1 救いの日は何ですか? そして何時ですか?
ヱホバの大いなる日は,救いの日であります。その成就は,クリスチャン達が何世紀という間,待ち望み希望した時であります。完全な成就をする此の日は,キリストがその敵の中で支配し始めた西暦1914年の秋に始まり,そしてサタンとその悪しき制度の破滅が完全になされる時まで続くのです。此の支配の始まりは,サタンの制度に対して悲しみの始まりであり,また地上の人々にとつては苦しみの時であります。黙示録 12章に依りますと,この救いの日は,天に於ける戦争と共にどのように始まつたかが示されています。天に戦争が行われ,その結果,サタンとその悪しき霊者の軍勢は天から追い落され,キリストの正義の支配は天を完全に支配しているのであります。―詩 110:1,2。
2 キリストが統治しているのに,サタンは何故生存するのを許されていますか?
2 神の御国は,1914年に設立されましたが,このことから或る人は次のような疑問を持つて居ります。すなわち何故ヱホバ神は,1914年以来長年の間,悪しき事を許し続けさせて置かれるのであろうか? キリストが統治しているのに,何故悪しき者達を許して地上を支配させて置かれるのであろうか? 悪しきサタンを取扱われる方法は,エジプトの悪しき王<パロ>を取扱つた方法によつて,ヱホバは私達に示して居ります。『聖書はパロに,次のように述べている。「この理由のために,私はお前を存在させて来た,それはお前に私の力を見せ,そして私の名を全地に知らしめるためである。」』(ロマ 9:17,新世)そうです,特に1914年以来,ヱホバによつて定められた此の日,若しくは時期に此の行為の原則は行われるのであります。
3 此の『日』には何が起るとイエスは言いましたか?
3 マタイ伝 24章でイエスが予言した事柄は,ヱホバの日に起るに違いありません。御国の良い音信は,証しをするために全地に於いて伝道されねばなりません。宣教に於いて,イエスに従う者達は,全国家より迫害され,憎まれるに違いありません。ヱホバの大いなる力が表われる前に,地上のサタンの隊伍の中には多くの暴力がある筈です。実際に,イエスは,サタンとその世に対する戦争は,一時の間抑止されるであろうと予言しました。『それらの日が短くされねば,助かる肉体は一人も居ないであろう。』(マタイ 24:22,新世)此処で,『肉体』と述べられている者は,ヱホバを崇拝する者達であります。それは,特に定められた時であつて,多くの者がヱホバの助けを受け,そして救いの途を探し歩む時であります。ヱホバの目的は,その御名の民を保護することです。彼等は,全世界に於いて証しを行い,そして破滅が来る以前に,現代の『バビロン』から逃れるよう全国家の人々に警告を与えて居ります。ヱホバは,救いの此の日を許し与えることにとによつて,御親切と忍耐,そして非難に対する我慢を示されて居ります。サタンの組織制度には大いなる困しみの日でありますが,この日に於いて讃美者の大いなる群は出て来て居り,救いを得て居ります。これは,黙示録 7章14節(新世)に予言された通りであります。『此等の者は,大いなる悩みより出て来る者である。』
4 此の日に,ヱホバはどのように人々を助けて救いを得させますか? 人々が今行動を取らなければならないのは何故ですか?
4 これが事実であることは,記録に示されて居ります。1918年には,3868名の人々が,少数の国々で家から家へとヱホバの音信を伝道し,清い崇拝に参与して居りました。1918年以来の短い時の中に,1953年中伝道の時間を報告した人々は,51万228名という最高数に増加し,そして毎月毎百という人々は,ヱホバ讃美の奉仕に対して,その献身を象徴するため洗礼を受けて居ります。ヱホバの助けである神の言葉についての増し加わつた光りによつて,此のことはなされるのです。今は『終りの時』です,そして現在の時に対して聖書は特別に書かれたのです。(コリント前 10:11)特別に現在の時に於いて,ヱホバはその御目的を人々に知らせ,救いの道を開かれて居ります。正義を愛する者で,ヱホバに奉仕しようと欲する者に対して,彼は援助を与えられます。ヱホバは,彼等に正しい路を示されて居ります。救われる為に,彼等はヱホバの御名を呼び求めることに加わらねばなりません。(ロマ 10:10-15)ヱホバの日の大いなる暴風がハルマゲドンで起る前の現在こそ,ヱホバの御名を呼び求める時であります。ハルマゲドンが非常な烈しさを以つて始まる時に,ヱホバへの崇拝を受け入れられる時は終るのです。特に受け入れられる時が終る前に,決定はなされねばなりません。今こそヱホバへの奉仕をする時です。今こそヱホバへの奉仕を行い続けるべき時であります。『彼はこう言われる「受け入れるべき時に,私はあなたに聞き,そして救いの日に,あなたの助けに来た。」見なさい! 今こそ特に受け入れられる時である。見なさい! 今こそ救いの日である。』― コリント後 6:2,新世。
5,6 (イ)ヱホバの言葉と救いの間の関係は何ですか?(ロ)どのように私達は自分自身を強め,他のクリスチャン達を助けることが出来ますか?
5 救いは,ヱホバの御力の中にあります。ヱホバは救いの神であります。此処で用いられている救いという言葉は,単に生命を得ること以上のものを意味して居ります。それは,生命と完全への救助ということを意味して居り,健康を与えるという意味をも含んで居ります。それですから,ヱホバのこの日に於いては,ヱホバの救いは一つの方法以上の多くの方法で来るということを示して居ります。ヱホバは,その僕達を支えられます。僕達を強く保つために,ヱホバは霊的な食物を与えられます。多くの試錬にあつても,地上にある僕の制度を救い助けられる方はヱホバであります。キリスト・イエスは目に見えない支配を始められて居りますが,しかし,ヱホバの僕達は1914年以来多くの苦しい経験を受けて居ります。知識を持つている真のクリスチャン達にとつてこの事は驚くべきことではありません。何故ならば,聖書の記録の中でイエスはそのことを明白に予言されているからです。しかしある時には難しくて苦しい時もあります。聖書の予言の中で,ヱホバはこれ等の経験を予言しました。そして,その記録を保存され,この救いの日に於いて私達が用いる事が出来るようにされました。神の言葉が何と言つているかを私達が調べることは良いことです。そしてそれによつて私達が強められ,ヱホバのこの日の最高潮に近づくにつれて,前もつて何を私達は期待すべきかを知ることは良いことです。
6 ヱホバが何を言われているかを正確に知ることは,私達に力を与え,私達の忍耐を建て増させ,私達の信仰を支え助けるものです。若し私達が賢明ならば,私達はヱホバの言葉を学び,霊的に強くなります。それで,特に困難の時や迫害の時に,私達は耐え忍んで信仰を保ち,他の者に仕える事が出来るのです。『私達強い者は,強くない者の弱いところを担わなければならない,そして自分だけを喜ばすようなことをしてはならない。私達の各自は隣人を喜ばせ,その人の徳を建てるのに良いことをしよう。何故ならば,キリストさえも自分自らをよろこばせるようなことはしなかつたからである。聖書に,次のように書かれている。「あなた方を非難する者の非難は私の上に来た。」以前に書かれたすべての事柄は,私達を教育するために書かれたもので,私達の忍耐とそして聖書から来る慰めによつて,私達が希望を持つためである。』(ロマ 15:1-4,新世)私達は絶えず知識を取り入れ,その知識を用い,私達自身の徳と仲間のクリスチャン達の徳を建てなければなりません。若し私達がヱホバから救いを得ようとするならば,ヱホバのこの日に於いて私達はこのことをなさねばなりません。
予言は豊かに知識を表わし示す
7,8 (イ)私達が今特別に考えるのは,どんな予言ですか?(ロ)その予言の中で,目立つ人々は誰々でしたか? そのことは何を予影しましたか?
7 私達の教育のために以前に書かれた予言の中で,ダニエルの生涯に於ける異常な事柄があります。それはダニエル書 6章に書かれて居り,読者はどうぞその章を読んでください。それは,救いのこの日に於いて,十分深い意味を持つて居ります,何故ならばヱホバの地上にある『奴隷』級の者達に,何が生ずるかを,それは表わしているからです。その予言的劇に於いて,ヱホバはダニエルを用いて彼の『奴隷』すなわち地上に於ける彼の証者達の組織した群を表わされているからです。ダリヨス王は国王の力,又は権威と法律を表わしました。獅子は,神に属する真の公正を表わします。そうです,これは獅子の穴に居たダニエルの記録です。
8 その予言の中で,生ける神ヱホバの崇拝者はダニエルだけであり,ダニエルの名前だけ記されて居ります。他の人達は,誰一人としてヱホバの僕ではありませんでした。それで,ユダヤの遺残者の一人であるダニエルは,今日地上にあるヱホバの『奴隷』級を非常に良く表わす模型的人物でありました。(マタイ 24:45-47)他の人は誰一人として,清い崇拝を固く保ちません。メデアとペルシャの国に於いて,ダニエルは高い地位を持つて居りました。そのことは,何を表わしましたか? 救いのこの日に於いて,ヱホバの油注いだ証者達はどのように目立つ地位を持ち,どのように全世界に知られるかということを表わしました。ヱホバの目の前で,彼等は高い地位を持つて居ります。彼等はヱホバの大使であり,また代表者です。そしてヱホバの御名を担つて居ります。
9,10 (イ)君たちは誰について予表しましたか?(ロ)君たちは何故ダニエルに反対しましたか? ダニエルに対して,彼等は何をしましたか?
9 他の者達,すなわち他の支配者や君たちもその予言の中に含まれて居ます。彼等はヱホバ神を崇拝する者達ではありませんでした。彼等はダニエルの神を尊敬せず,またダニエルのしたように神の正義の原則を維持しようと努めませんでした。真の崇拝に反対する路を彼等は取りました。地上に於けるサタンの腐敗した目に見える代表者達を,彼等はなんと良く表わし示しているのでしよう! 彼等は自分自分の所有とするために地上の国民を完全に支配しようと強く欲しています。しかしそれはヱホバの御意とは逆なことです。その国にいた悪い心を持つた君たちすなわち牧伯達や,他の二人の悪い監督は,集まつた貢または税金に関しての正しい報告を明らかにしたくなかつたようです。そして,神の律法を守つたダニエルは彼等にとつて邪魔な者となりました。王が損失を蒙るのを,ダニエルは欲しませんでした。
10 ダニエルは誠実,正直そして忠実を持つて居りましたので,君達は彼について非難することが出来ませんでした。それで彼等は彼を憎みました。ダニエルを取り除かねばならぬと彼等は結論しました。『是に於いてその監督と州牧等,国事につきてダニエルを訴える理由を探しましたが,何の非難する理由も過失もありませんでした。何故ならば彼は誠実であつて,過失も間違いもなかつたからです。それでこれらの人々は言いました「彼の神の律法に関して理由を見つけなければ,このダニエルに対しては非難する理由が見つからないであろう。」』(ダニエル 6:4,5,ア訳)ダニエルは,悪いことを何もしませんでした。あらゆる面に於いて,彼は律法に従いました。
11,12 (イ)此処で,ヱホバはどんな謀略を予言しましたか?(ロ)ダニエルの生活の方法は,今日地上に於けるヱホバの『奴隷』級を良く表わしましたが,それは何故ですか?
11 ダニエルに対して悪い謀略が悪意と憎しみの中に考え出されました。不正な君主達は,ダニエルと王権に関しての彼の恵まれた地位を妬みました。牧伯達にとつて,ダニエルを処分することが最も重要でありました。それで,ヱホバの御国と彼の地上に於ける『奴隷』級の敵達が,ヱホバの日にどのように行い,正義を行う者達に謀略を企てるかということを,ヱホバは予言されました。別の予言には,次のように書かれています。『視よ,なんじの仇はかしがましき声をあげ,汝を憎む者は首をあげたり。かれらはたくみなる謀略をもてなんじの民にむかい,相共にはかりて汝のかくれたる者に向う。彼等言いたりき,いざかれらを断ち滅ぼしてふたたび国をたつることを得ざらしめ,イスラエルの名をふたたび人にしらざらしめんと。彼等は心を一つにして共にはかる。』― 詩 83:2-5。
12 彼の『奴隷』級に対する謀略を,何と正確にヱホバは予言されたのでしよう。ダニエルの正しい生活は,ヱホバを認めている一つの証言でありました。そして,同様にヱホバは,現在の証者達にも伝道の一部として清く生活するよう要求して居ります。今世界に於いて,ヱホバの証者は,ヱホバをその生活の中で最も大切なものとしている民であります。彼等はダニエルのようであります。彼等は神に対しては誠実であり,彼等になされる信頼に対しては真実を保ちます。サタンの世の腐敗した行いに彼等は決して加わろうとはしません。彼等は,世界中で礼儀ある,正直な,そして忠実を保つ民であります。ヱホバの証者の中には,殺人や盗人や暴徒が居りません,それでそのような人で牢獄を満すことはいたしません。全世界に於いて,ヱホバの証者は法律に最も良く従う群であり,誰をも妨訴抗弁いたしません。ヱホバの書かれた言葉に従いますので,彼等はそのような民となつているのです。
13 何故ヱホバの証者は,世界のすべての国で憎まれますか?
13 それでは,世界のすべての国で,何故彼等が多くの牧師や,政治家や,有力者にそんなにも憎まれているということは,一体どうしたことでしようか? これに対して,イエスは答えを与えて居ります。『若し世があなた方を憎むならば,あなた方を憎むより前に,世は私を憎んだということを知りなさい。若しあなた方が世の一部ならば,世は世に属するものとして,あなた方を好むであろう。あなた方は,この世の一部では無く,私は世からあなた方を選んだのである。この為に世はあなた方を憎むのである。奴隷はその主人よりも大いなる者ではないと私が言つた言葉を心に記憶して置きなさい。若し彼等が私を迫害するならば,あなた方をも迫害するであろう。……私の名の故に,彼等は之等のことをあなた方にするであろう。何故ならば,私を遣わした方を彼等は知らないからである。人々は,あなた方を会衆より追い出すであろう。実際に,あなた方を殺す者は誰でも,神に聖なる奉仕をなしたと想像するような時が来る。』(ヨハネ 15:17-21; 16:2,新世)多くの牧師や政治家達は,神の御国の良い音信の伝道を到底聞くことが出来ません。神の命令に従つて,崇拝する者達を沈黙させようと彼等は欲して居ります。彼等は一つの道,すなわち彼等の言うところの『合法的な道』を探します。その『合法的な道』は,彼等にとつては役立つものであり,ヱホバの証者に対する彼等の行為は,世の見るところでは正しいとされましよう。それは,どのようにされますか?
14 ダニエルに対して,その悪い君たちは所謂どんな合法的な手段を取りましたか?
14 ダニエル書 6章5-8節に於いて,ヱホバが予言されたことを見てごらんなさい。ダニエルはヱホバへの誠実を保ち,ヱホバを怖れているということを,陰謀者達が知つていましたので,彼等はヱホバに対する彼の崇拝に関連して,ダニエルを攻撃する方法を選びました。ダニエルは,神を生活の中で最も大事なものとするということについて彼等は確信して居りました。それで,この点でダニエルを,悪事をなす者と見せかけようとするのが彼等の方法です。彼等は王に近づいて,一つの禁令を提上しました。その禁令によると,国内に居る者は30日の期間の間,王以外の他の如何なる者に対しても祈つてはなりませんでした。その禁令に違反する者達は,獅子の穴に投げ込まれる事になつていました。王はその禁令に署名し,その禁令はメデアとペルシャの変ることのない法律となりました。悪心を持つた陰謀者達は,メデアペルシャ帝国の遠く離れた全地から集まつて居り,ダニエルは彼等の運動の的になりました。『合法的に』ダニエルを処刑し,または滅ぼそうとする計画は,神の清い崇拝に対する攻撃に基いて居りました。彼等の計画を成功させるためには,崇拝の自由を無くさせねばなりませんでした。神の命令に従つて,ダニエルは常にヱホバ神に祈つて居ましたが,もはやダニエルにはその事が許されないでありましよう。
15 今日,ヱホバの証者に対してどんな手段が取られますか?
15 同様に,今日のヱホバの証者達は,世界のあらゆる場所で,悪い目的を持つ人々によつて攻撃されて居ります。ヱホバはこの事を予言されました。『地のもろもろの王は立ちかまえ,群伯はともに議り,ヱホバとその受膏者とにさからいて言う。我等その械をこぼち,その繩をすてんと』『律法をもて害うことをはかる悪の位は,なんじに親しむことを得んや。彼等は相語らいて,義しき人の魂をせめ,罪なき血を罪に定む。』(詩 2:2,3; 94:20)これと調和して,ヱホバの証者に対して,世は激しい手段を取つて居り,神の王の支配についての発表を止めさせようと希望して居ります。この公然の行為を,彼等は『合法の衣服』で被せて隠します,そして疑うことをしない多くの国民をごまかして居ます。
16 ドイツに於いて,ナチスはどのようにヱホバの証者を虐待しましたか?
16 ナチスドイツでどのようにそれが起つたかを示しましよう。熱狂した政治家達は『合法的な』方法を発見しました。1933年に,彼等はヱホバの証者の伝道の業を禁じました。ヱホバの証者の一人であることは,『犯罪』となりました。多くのヱホバの証者は拘束され,刑務所に入れられました。ヱホバの証者(熱心な聖書研究生)の活動は有害であり,「国家の社会的建設を乱した」とナチスは主張しました。ヱホバの証者が,彼等の権利のために戦うと法廷に行つて或る者が自由にされた時に,ライヒの法務省は長い意見書を準備し,ヱホバの証者達を自由に釈放してはならないということを保証しようとしました。結論に於いて,それはこう述べて居ます。『単に表面的な法律の形式の故でもつて,法廷は失敗してはならない。その高い義務を成就するためには,合法的な面で難しいことがあろうとも,それにもかかわらず法廷は,いろいろな方法を探し見つけねばならない。』これは,真の公正はあつてはならないことを意味しました。1万人の人が収容所の天幕で苦しみました。それらの人々は,勝手に自分自身の法律を作り上げて,政府に反抗しようとはしませんでした。忍耐強く彼等はヱホバの救助を待ち,そして彼等の神に対する信仰を破りませんでした。降参することなく,彼等は第二次世界大戦の終りに自由にされ,そして彼等の数は増加しました。
17 ヱホバの証者達に対して,共産主義者は何をしていますか? しかし,それにも拘らず,ヱホバの証者は何をしますか?
17 共産主義者の国々では,ヱホバの証者達は,いわゆる『合法的な』方法で禁止されて居ます。そのような共産主義者のすべての国々では,ヱホバの証者は公正に扱われて居りません。裁判の開かれる前に,裁判官はどんな宣告をするか前もつて命令されています。東部欧州では,何千というヱホバの証者が不当にも刑務所に入れられて居ます。しかし,ヱホバの証者は,ヱホバへの信仰を破ることは出来ません。彼等は崇拝を続け,出来る限り伝道を続けて居ります。そしてヱホバからの救いを待ち,聖書にある彼の貴重な約束から,力を得て居ります。刑務所の外でも中でも,彼等は秘密に聖書の研究を司会します。他の囚徒達はヱホバの証者と共に宣教に加わり,刑務所内でも洗礼を受ける場合は多くあります。それで,すべての共産主義者の国で,ヱホバの証者の数は増加し続けて居ります。そして,共産主義者達の迫害は,明白に次のことを示します。すなわち,ヱホバの証者は人に従つているのではなく,真の『高い権力者』であるヱホバとキリスト・イエスに従つているということです。何故ならば,共産主義者達によつて『指導者』と考えている人々は,何度も多く速捕され,連れ去られますが,ほとんど直ぐに他の者はヱホバの聖霊をもつて,その後に立てられ,そして証言の業を続けるからです。そして拡大はさらに続いています。
18 ヱホバの証者を迫害する別の源は何ですか?
18 ドミニカ共和国には一つの法律の禁令があつて,ヱホバの証者の一人となることは犯罪とされます。そのことの源は,共産主義者からではなく,カトリックです。ドミニカ共和国に居るヱホバの証者は忠実を破りません。法廷で公正に取り扱われませんが,彼等は勇敢に立つて素晴らしい証言をし,ヱホバの御名に誉れを帰して居ります。
19 カナダに居るヱホバの証者の立場は何ですか?
19 カナダのクエベックでは,ローマ,カトリックの宗教家達はヱホバの証者達に対して偽りの非難を申し立てました。暴動という理由で,彼等はヱホバの証者を非難しました。しかし,カナダでは,ヱホバの証者は権利を持つて居ります。彼等は法廷で戦うことが出来ます。ヱホバの証者は,彼等の法律的な権利を利用します。それは,長い辛い戦いでした,しかし1950年12月,暴動というこれ等の偽りの非難は,カナダの最高裁判所により無効とされ廃棄されました。これは,神と彼の御国に敵対して戦う者達が,ヱホバの僕達に汚れをつけて,法律違反者のように見せかけようとした別の例です。カナダに居るヱホバの証者達はカナダの国民とその国民の自由に大きな関心を示して居ります。1947年に,ヱホバの証者は一つの請願書を回しました。その請願書は,カナダの国民の崇拝の自由と,言論の自由を保証する法律案に賛成するものです。50万人以上の署名者が居りましたが,これはカナダで今までなされた中で最も大きな請願書でした。この請願書は,オッタワの国会に提出されましたが,しかし現在のこの時までその法律作製部門は何等の手段も取つて居りません。
20 ヱホバの証者に対する謀略は,オーストラリヤでどのように作り上げられましたか?
20 1941年オーストラリヤ連邦では,ヱホバの証者の制度とものみの塔聖書冊子協会は審査なしに禁止されました。提出された非難は,ヱホバの証者は政府に反対であるという事でした。此処でも又,ヱホバの証者は法廷に行くことが出来,彼等の法律上の権利を行使することが出来ました。それで,1943年6月14日,オーストラリヤの高等裁判所での烈しい戦いの後に,勝利はヱホバの証者のものとなりました。その時に,証者に対する禁止は合法的ではなく,またヱホバの証者は破壊的ではないということを法廷は裁定しました。
21 自由を守る法律の戦いについてどんな記録を,合衆国に居るヱホバの証者は有し持つて居ますか?
21 アメリカ合衆国では,多くの偽りの非難がヱホバの証者に対してなされています。ヱホバの証者に対して,多くの裁判事件が引き起されていますが,それらはヱホバの証者に崇拝の自由と言論の自由の権利を否定しようとするものです。合衆国の法廷で,ヱホバの証者は著名な裁判事件を戦つて居ります。国の法律に従つて,ヱホバの証者は審議を受けました。それで,1938年以来合衆国の最高裁判所で,彼等は46の裁判事件をして来ています。多くの法廷の裁定で,彼等は勝利を得ますので,崇拝と言論の自由は,ヱホバの証者のために保証されて居ります。そしてまたそれは,合衆国の全国民の福利のためであります。しかし,敵は続けて偽りの非難を提出し,合衆国の法廷では戦いが引き続き行われています。
22 ヱホバの証者を攻撃する者は,どんな策略を用いますか?
22 ヱホバの証者に対して,政治家や牧師達が攻撃を加える時,殆ど多くの場合,それはヱホバの証者の崇拝の方法を問題に捲き込んで居ります。支配者達は出来るだけ聖書についての議論を避けます,というのは聖書的な見解では勝てないということを彼等は知つて居るからです。彼等は,むしろヱホバの証者達に汚点を投げつけようとしています。神の言葉に書かれてある真理を攻撃しても,彼等は成功しません。それで,彼等は暴動という告訴をしたり,または偽りの非難で個人を攻撃することによつて,人々の心を外らそうと努めているのです。
23 聖書の示すところによれば迫害を受ける時,クリスチャン達はどんな態度を採るべきですか?
23 ヱホバの証者は戦います! そうです,法律の機関を通して作られる妨害に対して,彼等は戦います。若しも公平な審査がされるならば,ヱホバの証者はいつも無罪であるということが示されます。ヱホバの証者は正しいということが示されます。彼等は,正当な法律の違反者ではないということが示されます。ヱホバの証者は,どんな時でも聖書の高い原則と教えに忠実に従つて居るということが判ります。しかし,公正な裁判がないところでは,神の民は誠実を守つて忍耐をしなければなりません。ヱホバの証者は法律を自分勝手にして作り上げません。それは悪い事でありましよう。設立されている政府に対して,彼等は暴動の活動に従事しません。そのことも又悪いことでありましよう。彼等自身のために,崇拝の自由を守り得ようと戦うその結果がどのようなものであろうと,彼等は神の御国の希望を伝道し続けます。人間の立てた権威が,ペテロとヨハネに対してキリスト・イエスを伝道しに行つてはならないと命令した時でも,彼等は伝道し続けたということをヱホバの証者は知つて居ります。その場合には,神の法律は最高であり,人間の法律は第二次的なものでありました。ペテロとヨハネは神より認められました。現在のクリスチャンである私達は,ペテロとヨハネの如くに神の御命令に是非従い,そしてクリスチャンとして生活し続け,崇拝についての私達の権利を行使し続けなければなりません。そのためには,戦うことがあるかも知れません。ヱホバの証者は,神の示されることに従つて戦い,そして神の命令された事柄を為し続けます。使徒行伝 8章には,迫害をどのように打ち負かすかという記録が記されて居ります。この8章では,偽りの非難を立て,真の崇拝を打ち壊そうとした者によつて初代クリスチャン達は,散らされましたが,しかし敵達は成功しませんでした。敵達は確かに神の僕達を散らしましたが,しかし神の僕達が何処へ行こうと,彼等は御国の良い音信を伝道し続けました。そして彼等が行き伝道するにつれて,多くの新しい人達が真理を聞きました。それですから,敵達は真理の宣明を止めさせようと努力しましたが,それはむしろ真理の宣明を拡げる原因となりました。そのようにして,迫害は打ち負かされました。―使行 5章。
24 新しい法律を聞いた時に,ダニエルは何をしましたか?
24 ダニエル書の予言に戻りますと,ダニエルは,その広い帝国のすべての場所から来た人々の運動の的でありました。ダニエルがヱホバ神に祈ることを彼等は許そうとしませんでした。ダニエルはその政府の規則を知つていました。一度法律がその国で作られるならば,その法律は有効となり,それは実施されねばなりません。それですから,ダニエルは直ちにそして自動的に違反者となるでありましよう。たとえ或る人がダニエルに願い望んだとしても,彼が神を崇拝することを止めるということは,まつたくあり得ないことです。生命を与える神を怒らすなどという危険を彼は冒さないでしよう。それでダニエル書 6章10節と11節にこう書かれています。『ここに,ダニエルはその詔書を認めたることを知りて家に帰りけるが,その二階の窓のエルサレムに向いて開ける処にて,一日に三度ずつ膝をかがめて祈り,その神に向いて感謝せり,是その時の前よりして斯なし居たればなり。かかりしかばその人々馳よりて,ダニエルがその神に向いて祈りかつ求めおるを見あらわせり。』
25 (イ)予言の此の部分で,ヱホバの証者に対するどんな教訓が見出されますか?(ロ)キリスト,イエスは,偽りの訴えをどのように受けましたか?
25 これは予言的なことでした。ヱホバの崇拝に反対して共産主義者の独裁者達や他の者達が作り上げる禁令にも拘らず,今日のヱホバの証者はどのように神の崇拝を続けるかということを,これは予言しました。ヱホバの証者は,イエスの語つた次の言葉を憶えています。『身体を殺しても,魂を殺すことの出来ない者達を恐れてはならない。しかし,魂と身体両方をゲヘナで滅ぼすことの出来る方を恐れなさい。』(マタイ 10:28,新世)ヱホバの証者は,その生活の中でヱホバの崇拝を最も大切なものとすることによつて,正しい敬虔な恐れを表わします。たとえ万一にも悪い独裁者達が彼等を殺すようなことがあつても,この敬虔な恐れを持つかぎり,彼等には永遠の生命が保証されます。一瞬と言えども,ヱホバの力に対して,彼等は信仰を失いません。憎まれるということは,新しい事ではないということを彼等は知つて居ります。何故ならば,主は憎まれ,そして支配者の前に引き出されたからです。イエスは何故殺されねばならぬかについて,反対者達はいわゆる『合法的な』論議を用いました。ルカ伝 23章2,5節(新世)に書かれてある記事を注意して下さい。『それから彼等は彼を告訴し始めて,次のように言つた「この人が国民を惑わし,税金を皇帝<カイザル>に納めることを禁じ,また自分こそ王なるキリストであると言つたのを目撃しました。」しかし彼等はますます言い張りました。「彼は,ガリラヤから始めて此処まで,ユダヤ全地に亘つて教え,民を煽動しているようです。」』彼等は,イエスを滅ぼそうとしていました。少し位の虚言は,彼等にとつて何の問題でもありませんでした。イエスは全く何の悪いこともしませんでしたが,彼は偽りの告訴を受けていたのです。私達は,イエスに何が起つたかを知つて居ります。
26 キリストの初期の追随者達に対して,『愛国主義』はどのように用いられましたか?
26 イエスの追随者達も,同じように偽りの告訴を受けました。使徒行伝 16章20,21節(新世)では,世の悪い指導者達はパウロとシラスをどのように取り扱つたかが記されて居ます。『二人を市の長官達のところに連れて行つて,彼等はこう言つた「この人々はユダヤ人ですが,私達の市を非常に乱して居ります。そして,私達ローマ人が取り上げたり,行つてはならないような風習を弘めて居ります。」』神の僕達を悪く取り扱つている別の記録は,使徒行伝 17章6,7節(新世)に記されて居ます。『二人を見出せなかつたので,彼等はヤソンと或る兄弟達を市の支配者のところに引きずつて行き,叫んで言つた「全地を乱し騒がした者共は,ここにも居ります。ヤソンは,それらの者共を暖く迎え入れていました。これらの者共は,皇帝<カイザル>の命令に反対して行い,イエスという別の王がいると言つて居ります。」』彼等は,愛国的な話しをして,ヱホバの証者を害つけようとしました。しかし,彼等は法律上に違反して居り,また偽りを言うことによつて,彼等自身は全然愛国的ではありませんでした。それで,愛国主義の話しとか,また暴動と不忠という訴えでもつて,神の真の崇拝者であるクリスチャン達に対して悪い謀略を作り上げることは全く新しい事柄ではありません。
27 ヱホバの現代の僕達に対して,ダニエル書 6章16節は何を示しますか?
27 ダニエルの予言の中では,王の権威または支配の権利がダニエルに対して用いられました。神の崇拝に反対する敵達は,法律によつて,悪い謀略を作り上げました。長い顎髯を撫でながら,之等の悪い君主達はせせら笑い,ダニエルは滅ぼされると考えました。その法律は変ることは無いということを,彼等は知つて居ました。この度は,ダニエルは逃れることは出来ないでしよう。ダニエル書 6章16節は次のように述べて居ます。『是に於いて,王,命を下しければ,ダニエルを曳きたりて獅子の穴に投いれたり。』此処で,悪い謀略者達は,ダニエルを処分して仕舞い,そしてダニエルの勝れた生活の仕方や,神への彼の清い崇拝は無くなるということを確信しました。ヱホバへの祈りなどは,もはや聞くことはないでしよう。ダニエルは,飢えた獅子から逃れることは出来ないということを彼等は確信していました。彼等の悪い考えや悪意を示すものとして,そしてまたダニエルが逃れることの出来ないよう更に確めるために,彼等は獅子の穴を公式に封印しました。それでは,予言のこの部分は何を予言しますか? 一般にはヱホバの証者は勢力の無い小さな群であると世は見て居ます。キリスト教国や異教国の大きな制度と比べる時に,ヱホバの証者は小さいものです。この世の人と力を争う時に,ヱホバの証者は勝つことが出来ないでしよう。この予言に依れば,全地に及んでいるヱホバの『奴隷』級は明らかに殆ど滅ぼされるような運命であり,人はそのように考え見るでありましよう。サタンとその制度は,戦いを断念するというようなことはありません。聖書はそのことを明白に示して居ります。黙示録 12章17節(新世)は私達の時代について次のように述べて居ります。『それから龍は,女に怒りを持ち,そして女の裔の残つている人々,すなわち,神の命令を守りイエスについての証しをする業を持つ人々に対し戦いをしようと出掛けて行つた。』終りが来る前に,世界の全地,おそらくはすべての国々で,彼等はヱホバの油注いだ証者のみならず,それらと交る善意者達を攻撃し,その破滅を図ることでしよう。だが,この事でヱホバの証者達は恐れるでしようか?
28 (イ)ヱホバの僕達が恐れる理由が無いのは何故ですか?(ロ)私達は,何を行い続けるべきかを示す聖句を述べなさい。
28 ダニエルが恐れたということを示すものは,記録の中に全然書かれて居りません。ダニエルは,彼の神ヱホバに全き信仰を持つて居りました。彼は,真の公正の前に,実際には立つているということを知つて居り,そして真の公正で量り裁かれるならば,彼は傷を受けないということを知つて居ました。その真の公正は,獅子によつて表わされました。神の清い崇拝者である彼には,非難すべき点がありませんでした。裁きと真の公正は,全能の神ヱホバの御手の中にありました。それですから,ダニエルが獅子の穴に行つた時,彼はヱホバの最高の力に確信を持つて居りました。ダニエルと同じく,現在地上にいるヱホバの証者達も同じです。彼等は恐れません。彼等は,ヱホバを讃美し続けます。(イザヤ 44:8。エゼキエル 2:6,7。使行 18:9,10。ペテロ前 3:14,15)ヱホバの最高の力に,彼等は全き信頼を持ち続けます。人の見方に従えば,彼等の制度は,時には滅びるかのように見えても,彼等の制度は決して滅びることはありません。共産主義者の国に住んでいる或る人達は,今そんな風に考えるかも知れません,ヱホバの証言は絶滅されたと彼等は考えるかも知れません,しかしそれは宣伝の新聞紙の中にだけに書かれてある事柄です。あらゆる試錬にもかかわらず,ヱホバ神はその僕達を常に救われます。ナチスはヱホバの証者を滅ぼすことが出来ませんでしたが,それと同様にサタンの世の組織制度に属する他の如何なる部分もヱホバの証者を滅ぼすことが出来ません。現在,東部ヨーロッパの共産主義者達は試みて居ります。しかし,彼等もまた失敗するでしよう!
29 ヱホバの言葉の教訓的な予言は,私達に正しい見方をどのように与えますか?
29 現在の悪い時代にあつて,ヱホバの証者は,絶対に挫折しない信仰を保ち続けねばなりません。彼等は神の言葉を知つて居ますので,また予言の中で神が語られている事柄に就いて知つて居ますので,彼等はこの強い信仰を,救いの日の時に持つて居ります。何を私達は期待すべきかということを,神は私達に語り,そしてその結果は何であるかを示されて居ります。ヱホバの証者は,神の言葉の中に書かれてある事柄から大きな慰めと力を得て居ります。(シンゲン 2:6,8,21,22; 24:5。ロマ 15:4)私達は,モーセとイスラエルの時代を振り返つて考えることが出来ます。モーセとイスラエルはその時エジプト人に追跡されました。人間の見地から見るならば,彼等には脱出路がありませんでした。彼等の前には紅海がありました。彼等の後ろには,エジプト人が追跡して居りました。彼等は一体何をすることが出来たでしようか? 彼等はどの道を選ぶことが出来たでしようか? 人間の見方から見るならば,彼等は滅亡の運命でありました。しかし,ヱホバに信仰を持つていた者,すなわちイスラエル人達は事柄を別の風に見ました。彼等は前進を続け,そしてヱホバは彼等の信仰を報いました。ヱホバは海を開き,彼等を導いて他の側に連れ出し,追跡者達を減ぼしました。信仰の目は,素晴らしい祝福であります。―出埃 14章。
30-34 ヱホバへの強い信仰を持つ価値と,そして私達の真の立場に関して神権的な見方を持つ価値について示す5つの予言的な縮図を述べなさい。
30 シシ記 4章を読みますと,シセラとその強力な異国の軍勢が,非常に勝れた武装をつけてどのようにイスラエルを攻撃したかを知ります。人間の見方から見ますと,イスラエルは敗北,奴隷,そして死に運命づけられて居りました。しかし神の僕達は,神が何をされるかということに全き信仰を持つて居りました。神はその奇蹟の力によつて彼等を救助されました。
31 レキダイ史略下 20章には,モアブ人と,アンモン人とセイル山の人々,この三つの国民が,ヱホバを崇拝していたユダの民に対して,どのように謀略を作り上げたかということに関しての予言的記録が記されて居ります。ヱホバ神は,ユダの民に忠告を与え,先頭に歌手を立てて出て行くようにとヱホバは彼等に語りました。それで,ユダは歌手を先頭に立てて出掛けて行きました。人間の見方から見れば,何と愚かなことでしよう! しかし,ユダはヱホバの勝利に全き信頼を持つて居りました。彼等は信仰の目を持つて居りました。そして彼等はヱホバの見地から事柄を見ました,戦う兵士は一人も必要ではありませんでした。全能の神は,敵の隊伍の中に混乱を引き起しましたので,彼等は互いに戦い,互に殺し合うのを助けました。ヱホバは,彼を崇拝する者達をまたもや救助されました。
32 ギデオンはミデアン人の大軍に対して,僅か300人の人しか持つて居ませんでした。どのように,彼はその大軍をを打ち負かすことが出来るでしようか? その大軍に対して攻撃に出掛けることは愚かなことであると人は言うでありましよう,しかしシシ記 7章の記録に依れば,ヱホバの僕達は,ヱホバに信仰と信頼を持つて居ました。そしてこの信仰と信頼によつて,ヱホバはギデオンに勝利を得させました。
33 列王紀略下 18章は,当時の世界の指導勢力であつたアッスリヤの大軍勢18万5000人の者達が,どのようにエルサレムの領域に攻め寄せて来たかを述べて居ます。その大軍勢は,エルサレムの町を脅しました。神の民達には,逃げ路は明らかにありませんでした。セナケリブは人を遣してヱホバ神の御名に非難を浴せ,神の民を嘲笑し,脱出路が無いという事を告げました。ヒゼキヤ王は,ヱホバに信仰を持つて居り,ヱホバに祈り,神より離れることなく,神に常に近づいて居ました。人間の見地から見るならば,その力ある軍隊から救助されることは不可能でありました。しかし,信仰の目は事柄を別の光りに当てて見ました。アッスリヤの力ある大軍を,神は一晩の中に滅ぼされました。神は,その民の救いであることを証明されました。
34 ダニエル書の第3章には,3人の忠実なヘブル人の記録が記されて居ります。その3人の忠実なヘブル人達は,神の清い崇拝を固く守り続けました。彼等は妥協せず,崇拝の別な形式に従おうとしませんでした。之等の人々は,その体を熱い火の炉の中に投げ込まれました。人の見方から言うならば,彼等には,生き残る希望が無かつたと言えるでありましよう。しかし,神の僕達は,神に信頼と確信を持つて居りました。彼等の神は誰であるかを,彼等は知つて居りました。またヱホバ神はどれ程の力を持つて居られるかをも知つて居ました。それで,ヱホバ神は彼等に救いを与えられました。ヱホバは彼等を救助されましたので,彼等はその熱い,火の炉から何の害をも受けませんでした。ヱホバへの全き信仰を持つ時にその僕達に与えられる価値について,之等はごく僅かな例に過ぎません。
35 救いの此の日に於いて,ヱホバの組織された僕達の真の立場は何ですか?
35 現在のこの終りの時代にあつて,敵はヱホバの証者を攻撃するであろうと,予言は示して居ります。人間の見方から見るならば,私達の立場は,全く現実的でなければ,実際的でもなく,そして希望の無いものです。サタンとその制度によつて盲目にされている世の人々は,私達には希望が無いと考えるでしよう。(コリント後 4:4)しかし,私達は信仰の目を保ち続け,神の見地から私達の立場を見なければなりません。そしてまたヱホバ神は,天の軍勢の大軍を持つて居られ,その軍勢は,神の民を守るために,攻撃をしようと用意し,身構えているということを私達は認識すべきです。私達を慰めるために,神の軍隊は実際にどれ程大きく力強いものであるかということを,ヱホバは,黙示録 9章16節(新世)で簡単な説明を与えられて居ります。『そして騎兵の軍隊の数は,一万の二万倍であつた。私はその数を聞いた。』神は2億以上の目に見えない戦士を持たれて居り,彼等はヱホバの僕達を守る用意が出来ていることをこれは示します。神はその民に関して一度も失敗したことはありません。そのことについては,誰一人として反対の証明をすることは決して出来ないでしよう。神はその言葉に真であり,その約束に真であり,そして彼を霊と真をもて崇拝する民に真であります。敵の大軍がどんなに圧倒的に見えようと,ヱホバの勝利は確実です。(列王紀略下 6:17)このことは,ダニエル書 6章の予言的劇によつて真に立証されて居ります。
36 (イ)ダニエルは何故害を受けませんでしたか?(ロ)その成就に於いて,そのことは何を意味しますか?
36 一晩の間,獅子の穴に閉じ籠められて居た後に,ダニエルは彼を呼ぶ王の声を聞きました。ダニエルはこのように答えました。『我が神その使をおくりて獅子の口を閉じさせ給いたれば,獅子は我を害せざりき。そは我の罪なき事かれの前に明らかなればなり。王よ我は汝にも悪しき事をなさざりしなり。是に於いて,王大いに喜び,ダニエルを穴の中より出せと命じければ,ダニエルは穴の中より出されけるが,その身に何の害をも受けおらざりき。是は彼おのれの神を頼みたるによりてなり。』(ダニエル 6:22,23)これはヱホバの御名を立証するという事柄でした。立証は,救助することに表わされます。ダニエルは彼の神を信頼し,またヱホバに信仰と確信を持つて居りましたので,そしてまたダニエルはヱホバを崇拝することを恐れていないということをその行為によつて表わしました。ヱホバはダニエルの生命を助け救われました。それで,ハルマゲドンの時に僕級の者達も同様でありましよう。清い崇拝は彼等に力を与えるでしよう。彼等の信仰は,彼等に力を与えるでしよう。彼等が一致してヱホバを崇拝する事は彼等に力を与えるでしよう。ヱホバ神は,彼等に力を与えるでしよう。ヱホバの大いなる力は,彼の僕級を守り助けられるでしよう。それで,真の公正は全うされるでしよう。
公正は全うされる
37 真の公正は,どのように全うされましたか?
37 真の公正はどのように全うされるでしようか? 24節に書かれてある記録に注意してください。『かくて王また命を下し,かのダニエルを讒奏せし者等を曳き来たらせて,之をその妻子とともに獅子の穴に投げいれしめたるに,その穴の底につかざる内に獅子はやくも彼らを摑みてその骨までもことごとく咬砕けり。』(ダニエル 6:24)そうです,謀略者達にとつて,形勢は突如として一変しました。ダニエルは死んでしまつたと彼等は確信して居たのです。ダニエルの影響を受けることなく,また神を崇拝し尊敬するという彼の良い手本も無くなつたと彼等は確信して居りました。しかし,神の正義は公正を要求されます。この予言では,獅子は神の公正を代表し,そして獅子は悪い者等を滅ぼして仕舞いました。
38 パウロのどんな言葉は,予言の此の部分と良く一致して居ますか? また救いの日に於いての真の公正の執行を示して居りますか?
38 使徒パウロが述べたように,ヱホバの日に於いて悪しき者は同じ結果を受けるでありましよう。悪しき者達,すべてのものを組織して,地上にあるヱホバの証者の制度を打ち壊し,そしてヱホバの正義の御国についての伝道などで二度と再び悩まされることはないと考える時に,彼等は突如として滅びるでありましよう。この事はテサロニケ前書 5章3節(新世)でパウロの語つている通りです。『彼等が「平和と安全!」と言うときに,妊婦に産みの苦しみが来るように滅びが突然に彼等に襲いかかつてくる。そして彼は決して逃れることは出来ない。』どうしてこの様になるかについて,ヱホバは私達に示して居りますが,それは私達に希望を与え,私達を慰め,教えるためであります。ヱホバの僕達を苦しめ迫害する者達が,正しい報いの罰を受けることは全く確かなことであります。悪しき者は,神が存在しているということを信じません。彼等は愚か者です。『愚かなる者は,心の中に神なしと言えり。』(詩 14:1)しかし,ヱホバ神はなされるすべての事を見守つて居られ,そして私達を救助されるということを保証して居ります。私達は動揺し悩むべきではありません。テサロニケ後書 1章6-9節(新世)のパウロの言葉を記憶しなさい。『あなた方を苦しめる者達に,苦しみを以つて報い,そして苦しみを受けるあなた方に救助を以つて報われるのは神の正義であられる。その時に,主イエスは能力ある天使達と共に,燃える火の中に天から現われる。そして彼は,神を知らず,また私達の主イエスについての良い音信に従わない者達に当然の罰を加えられる。之等の者共は,主の御前から,主の力の栄光から離れ,永遠の滅びという刑罰を支払うであろう。』ヱホバはその裁きと,裁きの執行を取消すようなことはありません。ヱホバは,彼の能力ある天使達と共にその子キリスト・イエスを遣わされ,そしてその時に報いの罰はなされるでありましよう。彼の僕達に苦しみをもたらし,清い崇拝を妨害しようと試みた者達に対して,その時に,神は報いを与えるでしよう。彼等は,ヱホバの御前から離れて,永遠の破滅という刑罰を払います。
39 悪しき者とヱホバは休戦したり,妥協するでしようか?
39 予言者イザヤを通して,ヱホバは次のように申して居ます。『悪しきものには平安あることなし』(イザヤ 48:22)神の敵共は,滅びを受ける運命です。神がその敵共と取引するようなことはありません。ヱホバは妥協しません。一人の者が全能の力を持つている時に妥協することは必要でありません。ヱホバは,正義を宣明し,そして正義を実施いたします。悪しき者達や悪魔や,そして悪魔の制度に属する者が,何を言おうと,何をしようと試みても,ヱホバは御自分の御意を成し遂げられます。救いのこの日には,最高潮があります。黙示録 16章14節によると,それは全能の神の大いなる日の戦い,すなわちハルマゲドンと示されています。ハルマゲドンは,ヱホバの僕達にとつて救いを意味します。
40 此の厳しい時に於いて,霊的な円熟は何故重要ですか?
40 現在は,サタンの古い世にとつて厳しい時代であります。何処でも,苦しみは増加して居り,そしてサタンの分裂した家の中で苦しみは増加し続けます。苦しみのこの期間では,多くの迫害がヱホバの僕達に来るでありましよう。しかし,私達がヱホバの救助を信頼し続ける限り,私達は安全であります。私達は何を為すべきですか? 耐え忍ぶためには,私達は何を持つべきですか? 私達は,霊的な円熟に進歩しなければなりません。私達は霊的に事柄を見なければなりません。私達は,世の人と同じように物事を見てはなりません。何故ならば,世の人と同じように,私達が事柄を見るならば,私達は彼等と同じようになつて,ヱホバの僕達は死滅して仕舞い,清い崇拝は地上から無くなるであろうと考えるようになるからです。コリント前書 2章14-16節(新世)に書かれてある使徒の言葉を記憶しなさい。『肉体の人は,神の霊の事どもを受け入れない。それらは,彼にとつて愚かなことであり,彼は理解することが出来ない。何故ならば,それらは霊的に調べられるからである。しかし,霊的な人は,すべての事を真に調べる。……私達はキリストの心を持つている。』私達は霊的な人となつてキリストの心を持ち,世の人が見る以上のことを見ます。神の真理の言葉から,ヱホバが今何をなされているかということ,またヱホバの王が統治して居られるということ,そしてまた彼の裁きを執行する時が近づいているということを,私達は見ます。新しい世の社会が運営しているのを私達は見ます。耐え忍ぶためには,私達はこの強い信仰を持たねばなりません。この信仰を固く守つて進み続けなければなりません。丁度ダニエルが,恐れることなく,ヱホバに全き確信をもつて前へ進んでいつたのと同じく,私達も恐れることなく進み続けねばなりません。
41 ルカ伝 18章8節にあるイエスの質問に対して,私達はどのように答えることが出来ますか?
41 ヘブル書 10章38,39節(新世)には次の忠告があり,クリスチャン達はその忠告に従います。『「私の義しい者は,信仰によつて生きるであろう。若し彼が後退して,ひるむならば,私の魂は彼を悦ばない。」私達はひるんで亡びて仕舞う者ではなく,信仰を持つて魂を救う者である。』そして,どんな種類の信仰を私達は持つていますか? ルカ伝 18章8節(新世)で,イエスはこの事を述べて,次のように言いました。『神は彼等に,速やかに公正をなされるであろう。しかし,人の子が来る時に,彼はこの信仰を,地上で真に見出すであろうか?』 公正は確かです。ヱホバ神はすべてのものを監理されて居り,そして悪い者や邪悪な者達が当然の罰を受けるようにされるでしよう。彼の僕達には,永遠の生命を与えることによつて,彼等が正しい公正を受けるようにヱホバはなされます。しかし,神が速やかに公正をなされるということを,固く信じている人は何人居りますか?『人の子が来る時に,彼はこの信仰を,地上で真に見出すであろうか?』とイエスは尋ねます。人の子が来た時に,彼はその信仰を地上で見出されたということをヱホバの証者は確信して居ります。そして私達は,この種類の信仰を最後まで保つ決心で居ります。
42 迫害にもかかわらず,固く立つということは,何を意味しますか?
42 ヱホバ神は,公正を速やかになされるということを,私達は確かに知つて居ります。それですから,私達は恐れを感じません。私達にとつてこれは真の祝福です。これは,敵には理解出来ない不思議なことです。世界的な迫害や,打ちかかる苦しみにもかかわらず,そしてまた非難や,嘲笑あざけりの笑いにも拘らず,ヱホバの僕達は,何故ヱホバの崇拝を保ち続けるのか,彼等には理解出来ません。私達は,ピリピ書 1章27,28節(新世)にある使徒パウロの忠告に従つて居ります。『キリストについての良い音信に相応しいよう振舞いなさい。…一つの霊にあつて固く立ち,良い音信の信仰のために,一つの魂となつて協力して戦い,そしてどのような場合でも反対者を恐れないでいて貰いたい。この事は,彼等にとつて滅びの証拠であるが,あなた方にとつては救いの証拠である。そして,この兆は神からのものである。』実際に,これはヱホバの証者が現在行つている事柄です。私達は,信仰に固く立ち,ヱホバに待ち望んで救いを願つて居ります。そして,私達は救いのこの兆しを神からいただいて居ります。何故ならばヱホバは私達に力を与えて居られるからです。そして私達の敵は,この恐れを知らない態度の中に,神から来る兆すなわち彼等への滅亡の兆を見て居ます。
43 ヱホバを愛することは,恐れを持たないということと,救いにどのように導きますか?
43 ヱホバの僕達が,この恐れを知らぬ態度を取ることが出来るのはどうしてでしよう? それは,彼等がすべての心をもつてヱホバ神を愛するからであります。ヨハネ第一書 4章18節(新世)にこう書かれている通りです。『愛の中に恐れはない。完全な愛は,恐れを取り除く,というのは恐れは拘束を持つからである。全く,恐れを持つ人は,愛の中に完全になつていない。』ヱホバの僕達は恐れを持つて居りませんし,また彼等の崇拝を続けるのに,その恐れで拘束を受けるというようなことをいたしません。彼等はダニエルのように恐れを感ぜず,そして忠実です。人が,その命令や法律によつてどんな悪い謀略を作ろうと,彼等は恐れを持たず忠実を保ち続けます。そして彼等が宣明し続け,ヱホバへの愛を保ち続けることは,彼等の救いを意味します。ヱホバを愛しますので,私達は絶えずヱホバに呼び求め,彼の御名を公けに言い表わします。救いのこの日にあつて,彼の忠実な僕級の述べる言葉を,ヱホバは予言されました。詩篇 18篇1-3節に書かれてあります。『ヱホバわれの力よ,われ切になんじを愛しむ。ヱホバはわが巌,わが城,われを救う者,わがよりたのむ神,わが堅固なるいわお,わが盾,わが救いの角,わがたかき櫓なり。われ讃称うべきヱホバをよびて仇人よりすくわるることをえん。』私達はこの歌に共に加わらねばなりません。そしてヱホバの御名を讃美し続けなければなりません。なぜならば,このことによつて私達は敵から救われることが出来るのです。そうですこのことは救いを意味します。
救い
44 ダニエル書 6章によれば,ヱホバによつて真の公正が執行された後,何が続きますか?
44 ダニエル書 6章の予言に述べられているように,悪い謀略家達が滅ぼされた後に,平和の詔書が国中に出されました。生き残つたすべての人々の目の前に,唯一にして真の神であるヱホバの御名は,高く崇められました。ヱホバは救いの神として称讃されました。また,その正義の支配の下にあつて,ダニエルはその国の中で繁栄しました。それでは,予言としてこれは何を示しますか? この予言は,神の新しい世にある永遠の平和を指し示します。神の新しい世では,生存するすべての善意者は,ヱホバの地位を尊敬するでありましよう。神の新しい世では,ヱホバの御名は正しい地位に,そして息をするものは皆ヱホバを讃美するでしよう。ヱホバの油注がれた証者達は,ダニエルによつて予言されましたが,彼等はキリスト・イエスの正義の支配の下で繁栄するでしよう。神の新しい世で,永遠の生命というヱホバの救いを,彼等は楽しむでありましよう。
45 救いを得るため,私達は今何を待つべきですか?
45 之等の事柄は確かであつて間違いではないということを知つて居りますので,私達はヱホバへの完全な信頼を常に持たなければなりません。どんなに大きな迫害が来ようと,また少しの間,他の兄弟達と孤立するようになつても,私達は我慢強く耐えることが出来ます。私達は,ヱホバが働かれるのを待ちます。私達は,自分勝手に法律を作り上げたり,私達の反対者を暴力の手段で排斥しようとは致しません。私達はゼパニヤ書 3章8節にあるヱホバの言葉を記憶して居ります。『ヱホバ言い給う。是の故に汝ら我が起て獲物をする日いたるまで我を俟て。我もろもろの民を集え,諸の国を集めてわが憤恨とわが烈しき忿怒を,ことごとくその上に注がんと思い定む。全地は,わが嫉妬の火に焼きほろぼさるべし。』サタンの目に見える制度とすべての悪しき者共は,神の烈しい怒りの日に,神の嫉妬の火で焼き滅ぼされるでしよう。そして私達は,ヱホバがこの事をなさるのをよろこんで待ち望みます。何故ならば,彼の大いなる御名の立証のために,ダニエルとモーセの時代に神は,迫害を許されましたが,それと同じ理由で,ヱホバは現在迫害を許されているということを,私達は知つているからです。
46,47 世に居る誠実な人々は,ヱホバの証者を取扱う時に,その態度について何故注意をすべきですか?
46 ゼパニヤ書 1章14,17,18節には,こう書かれています。『ヱホバの大いなる日近づけり,近づきて速かに来る。聴よ是ヱホバの日なるぞ,彼処に勇士のいたく叫ぶあり。……われ人々に患難を蒙らせて盲目の如くに惑いあるかしめん。彼等ヱホバに向いて罪を犯したればなり。彼らの血は流されて,塵のごとくになり,彼らの肉は捨てられて糞土の如くになるべし。彼等も銀も金もヱホバの烈しき怒りの日には彼等を救うこと能わず,全地その嫉妬の火に呑るべし。即ち,ヱホバ地の民をことごとく滅し給わん。その事まことに速かなるべし。』今日,ヱホバの証者を迫害するこの世の人々は,すべての事が彼等の思う通りになると考えて居ます。彼等の側には,すべての能力と力があると彼等は信じます。しかし,ヱホバの証者を初期に迫害した者達に対するガマリエルの言葉に,彼等は注意した方が良いでありましよう。それは使徒行伝 5章38-40節(新世)に書かれてあります。『之等の人々と係り合うな,彼等を放任して置きなさい。(何故ならば,この企てと業が人からのものであるならば,自滅するであろう。しかしそれが神からのものであるならば,あなた方は彼等を滅ぼすことは出来ない)まかり違えば,あなた方は神を敵対して戦うようになるかも知れない。』
47 それで,ヱホバの証者を迫害する者の中に居る心の誠実な人達すべてに,ヱホバの証者はこのように言います。『遅過ぎない前に,その行為を止めなさい,何故ならヱホバは生ける神です。ヱホバを崇拝しなさい。ヱホバは彼の民と共に居ります。そして救いのこの日に於いてヱホバはその裁きを速やかに行うでありましよう。』ヱホバの救いのこの日に於いて,ヱホバの証者を迫害する者達は,ヱホバの僕達を滅ぼすことが出来ないということを知るでありましよう。ガマリエルの言葉は正しいです。この業は神からのものです。敵は大水のように来て,ヱホバの僕達に敵対しようと,敵はヱホバを負かすことは出来ません。彼等の力が最高に達した時,彼等は滅ぼされると,聖書は申して居ります。(詩 37:35-39)地上に居る神の民に敵対して多くの者が戦うとも,私達はそれを見て欺かれてはなりません。神の新しい正義の世で住みたいならば,正しいことをしようと欲する者は,迫害者の側を棄てて,全能のヱホバと彼の神権制度の側に来てヱホバの僕達に今善をしなければなりません。今或る官吏は,ヱホバの証者に親切と公平を示して居ります。之等の人々は,キリスト・イエスの兄弟達に親切を示して居りますので,マタイ伝 25章にある羊と山羊についてのイエスの譬話の言葉から多くの慰めを受けることが出来ます。この譬話しの中で,イエスの兄弟達に対して親切をする者は,裁きがいよいよ行われる時,王の恵みを受けることが出来ると,イエスは示しました。
48 救いの此の日に於いて,私達クリスチャン達は何をしているべきですか?
48 ハルマゲドンが始まるまでの年月の間,清い崇拝を保ち続けるのには,多くの反対が来るということをヱホバの僕である私達は,予期すべきです。しかし,迫害があろうとなかろうと,私達は全き沈着,そして心に秘めた平静とよろこびをもつて,固く立ちましよう。私達は,都合の良い時だけのクリスチャンでは決してありません。良い季節であつても,また苦しみに満ちた季節であつても,私達は神に奉仕しています。(テモテ後 4:2)それで,御名にふさわしいように生活し続けましよう。終りにいたるまでヱホバの証者でありなさい。―その終りとは,迫害者の終り,ヱホバ神の御名を非難する者達の終り,そしてヱホバの大いなる敵対者サタンの終りです。私達の希望は,報復の公正が,執行されるのを見ることです。そしてそれは今近づいて居ります。何故ならば,今は私達の救いの日であるからであります。―アモス 9:1-4,14,15。