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  • 真のキリスト教 ― それを見いだすことができますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 12/1 728–730ページ

真のキリスト教 ― それを見いだすことができますか

非キリスト教国の人々の間にはキリスト教をきらう傾向が広く見られます。そうなった理由のひとつとして,キリスト教国諸宗派の宣教師が,多くの場合にこれらの国々の経済的,政治的な搾取の先鋒になったという事実を挙げることができます。ある島には次のようなことわざがあります。「宣教師はわれわれに食前の祈りを教え,われわれが頭をたれている間に土地を盗んだ」。

いわゆるキリスト教の国々においてさえ,自ら教える事柄を僧職者階級が実践せず,こうして神と聖書に非難をもたらしたゆえに,キリスト教に対する敬意を失った人は少なくありません。また人々は,僧職者の教えることが良識,公正,正義に反することの多いのに気づいています。

その結果,多くの人は真のキリスト教が果たしてあるかどうかを疑っています。真のキリスト教を見いだすことができるだろうか,そうとすれば,どこに,そしてどのように? 人々はこのように尋ねます。

見分けるための基礎

イエス・キリストは地上におられたとき正義を行ない,人々を神の清い崇拝に向けさせました。(ヨハネ 4:23,24)彼は真の崇拝を見分ける方法を指摘し,偽教師の起こることについて語った際にこう言われました。

「あなたがたは,その実によって彼らを見分けるでしょう。いばらからぶどうを,またあざみからいちじくを集めることはないではありませんか。同じように,良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。良い木は無価値な実を結ぶことができず,また腐った木がりっぱな実を生み出すこともできません。りっぱな実を生み出していない木はみな切り倒されて火の中に投げ込まれます。それでほんとうに,あなたがたはその実によってそれらの人びとを見分けるでしょう」― マタイ 7:15-20。

神の裁きは,神の名を汚す偽りを教える偽善者の上にまちがいなく臨むでしょう。しかし良い実を見るならば,その源は良いものであることがわかります。わたしたちは真の崇拝を見分けることができます。

聖書の昔の預言は,わたしたちの生きている,まさにこの時代に大ぜいの人々が真のキリスト教を見分け,神との是認された関係にはいることを示しています。彼らは神の真の民となり,義の政府つまり神の王国の治める地で生きる希望をいだくでしょう。これは少数の残りの者であるユダヤ人およそ五万人がバビロンにおける捕われから帰還してのち,昔のエルサレムの町に関して述べられた預言です。それに先だつ七十年の間エルサレムは荒廃していました。今やその人々は以前と比べて小さなものでしたが,神は次のような力づけることばを言われました。

「萬軍のエホバかく言たまふ国々の民および衆多の邑の居民来り就ん 即ちこの邑の居民往てかの邑の者に向ひ我儕すみやかに往てエホバを和め萬軍のエホバを求めんと言んに我も往べしと答へん 衆多の民強き国民エルサレムに来りて萬軍のエホバを求めエホバを和めん」― ゼカリヤ 8:20-22。

その後五百年以上にわたってエルサレムが栄え,なお重要な町であったことは確かに事実です。しかしこの預言のいっそう重要な成就はわたしたちの時代に見られるのです。なぜなら使徒パウロが述べているように,イスラエルに起きた事は「事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたち」に対する例となっているからです。(コリント第一 10:11)そして同じ使徒はこう述べています,「以前に書かれた事がらはみなわたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」― ローマ 15:4。

そのうえ聖書巻末の本である啓示は,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」が,世の終わりの時である今,現われ,「神の子羊」イエス・キリストを信ずる者として誠実に神を崇拝することが描かれています。―啓示 7:9,10。ヨハネ 1:29。

十人が来てひとりに加わる

ゆえに今日,真のキリスト教に従って生活し,正義,公正,愛,平和という良い実を生み出している人々のいることが期待されます。預言者ゼカリヤは次のようにことばをつづけています。「その日には,もろもろの国ことばの民の中から十人の者が,ひとりのユダヤ人の衣のすそをつかまえて,『あなたがたと一緒に行こう。神があなたがたと共にいますことを聞いたから』と言う」― ゼカリヤ 8:23,口。

「ひとりのユダヤ人」とはだれのことですか。この点に関連して興味深いのは使徒パウロの次のことばです。「外面のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,外面の肉の上での割礼が割礼でもないのです。内面のユダヤ人がユダヤ人なのであり,その人の割礼は霊による心の割礼で(す)」― ローマ 2:28,29。

さて今日わたしたちの周囲を見まわす時,聖書の真理を宣べ伝え,また真のキリスト教の生き方を実践するため実際に努力しているのはだれですか。今いっそう清く,いっそう幸福に生き,神の王国の支配の下では地上に永遠に生きることを可能にする神の備えを理解するように人々を助けて勤勉に働いているのは,どのグループの人ですか。比喩的な「十人の者」が加わったのはだれですか。つまり『神が彼らと共にいますことを見た』ゆえに,共に行く人々が文字どおり十倍にも増えたのはだれですか。明らかにキリスト教世界の既成の諸宗派はこのような十倍の増加を見ていません。キリスト教世界の諸宗派に属してクリスチャンと唱える人々は,今日9億を超えています。その十倍の人々が彼らの仲間に加わるならば,世界人口の倍以上の数になってしまうでしょう。

事実,キリスト教世界の諸宗派は霊的な繁栄を楽しんではいません。しかし霊的ユダヤ人の油そそがれた残りの者を考えてください。彼らはひとりでも多くの人が聖書の真理を学ぶのを助けるために努力を傾けています。彼らと交わっている人々の数よりも重要なのは,これらの人々が生活を清いものに改め,キリスト教の原則に従って生きるために大きな変化を遂げたという事実です。この事実は非常に広く認められています。最近の年月において残りの者の隊伍に加わった人々は,残りの者の数を十倍以上も上回っています。

霊的ユダヤ人の油そそがれた残りの者にむかって「あなたがたと一緒に行こう」と言う人々は,どんな理由でそう言うのですか。それは残りの者にむかって彼らが言うとおり,「神があなたがたと共にいますことを聞いたから」です。(ゼカリヤ 8:23,口)彼らは ― 友人,隣人,職場の同僚から ― 霊的「ユダヤ人」である人々の幸福,彼らと共に行く人々の家族的な一致,生活の諸問題の解決策を含む聖書の知識を彼らが持つことを聞きました。そのうえ彼らがとりわけ見たのは,イエスの追随者を特色づける「実」としてイエスのあげたもののひとつです。イエスはこう言われました,「あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」― ヨハネ 13:35。

この愛は,エホバのクリスチャン証人として長いあいだ奉仕している人々が生まれつき持っていたものではありません。霊的なユダヤ人にしても,いま彼らと交わる「十人の者」と同様,自分よりも古い霊的ユダヤ人からの助けがまず必要でした。それは一世紀のエルサレムであらたに改宗したクリスチャンが『使徒たちの教えに専念した』のと同じです。(使徒 2:42)これら一世紀の油そそがれたクリスチャンは,神にいっそう近づき,神との関係を築きあげるために聖書を学ぶことの必要を悟っていました。彼らは「思いを作り直し」,聖書の述べる「新しい人格を着ける」ことが必要でした。―ローマ 12:2。エフェソス 4:22-24。

それで今日,「もろもろの国ことばの民の中から十人の者」が,神との良い関係にはいることを求めるゆえに,神の霊的な「ユダヤ人」と「一緒に行」くのです。彼らは油そそがれた者たちに心からの支持を与えることによって,その人々と「一緒に行」きます。十倍の数のこのような人々が霊的な残りの者に加えられることに関して,預言は真実に成就しましたか。そうです。1918年,王国の良いたよりを活発に宣明していた,献身した聖書研究者は全世界で数千人でした。そして1974年,「あなたがたと一緒に行こう」と語る「十人の者」に属する人々は,全世界にわたって200万人を超えました。最近のこの十倍の増加は,わずか27年間に起きました。

「神があなたがたと共にいますことを聞いた」

これら比喩的な「十人の者」の態度と,彼らをひきつけて「ひとりの[霊的な]ユダヤ人の衣のすそをつかまえ」させたものが何であるかは,米国バージニア州のある若い婦人の経験に典型的に示されています。

この若い婦人はエホバの証人のひとりとかわした聖書の討議から感銘を受けました。彼女はそのとき自分の追い求めていた間違った生き方のために罪悪感を抱いたものの,学んだ事柄と,また自分が援助を受けた証人のしんぼう強さに動かされて学びつづけました。彼女は同様な不信や罪悪感を過去に経験したことのある他のエホバの証人に紹介されました。彼女は自分が援助を受けた人々の愛と忍耐のゆえに,神がこの人々と共にいますことを確信しました。彼女が生活の上で遂げた変化は,彼女の語る次のことばのように他の人々をひきつけました。

わたしの勤め先の主人は身体障害者ですが,若い時から独立心の強い態度を培ってきた『がん固な人』でした。彼は自分の宗教の偽善に気づいていました。わたしの人となりの変化が彼の目に非常にはっきりしていたため,彼はわたしが仲間の女子従業員に話していた聖書の話に耳を傾けはじめました。わたしは彼の多くの質問に答え,遂に彼は証人の集会に出席しました。彼はたばこの習慣をも含め,よくないと自分の思う事柄を改めようとするほど十分の知識と認識を培いました。彼は柔和な人になりました。いま彼は妻と共に聖書を学び,証人の集会に出席し,家族に一致を取りもどそうと努めています。

これらの人々は,純粋のキリスト教を見いだし得るかどうかがしばしば問われる世の中で,真のキリスト教を見いだし,また見分けました。もしあなたが正義を求め,「今の命ときたるべき命との約束」― 平和な楽園の地での,まさった命 ― を求めておられるのであれば,キリストの弟子を見分けるしるしを求め,彼らを見いだしたならば,「あなたがたと一緒に行こう。神があなたがたと共にいますことを聞いたから」と言ってください。―テモテ第一 4:8。ゼカリヤ 8:23,口。

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