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山上の垂訓 ― 姦淫と離婚を避けるものみの塔 1978 | 8月15日
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することが必要だったかもしれません。それらの人はまず二人を和解させようとしたことでしょう。
しかし時がたつにつれて,ユダヤ人の夫は,あらゆるささいな根拠で妻を離婚することにより,妻を『裏切る』ようになりました。(マラキ 2:13-16,口)イエスの時代の律法学者の一般的な見解では,「妻が夫の皿をこわした場合でさえ」夫は妻を離婚できました。ストラックとビラーベックによるドイツ語聖書の注釈によれば,古代のユダヤ人の書物に記されている多くの事柄は,「ミシュナ期[イエスの時代をも含む]には,離婚証書を与えて全く合法的な仕方で即座に解消できないような結婚はなかった」ことを示しています。それで,パリサイ人がイエスに,離婚は「どんな根拠による場合でも」合法的なのかどうかを尋ねたことは驚くに当たりません。―マタイ 19:3。
離婚に関するイエスの見方はどのようなものでしたか。イエスはこう続けられました。「わたしはあなたがたに言いますが,妻を離婚する者はみな,それが淫行のゆえでないならば,彼女を姦淫にさらすのであり,離婚された女と結婚する者はだれでも姦淫を犯すことになるのです」。(マタイ 5:32)イエスは,メシア,また神のみ子としての全き権限をもって,聖書に述べられている「恥ずべきこと」のためであっても妻を離婚する人は,ご自分の父に喜ばれないということを示されました。(マタイ 19:8と比較してください。)むしろ,性の不道徳以外の理由で妻を離婚する人は,妻が他の人と性関係を持つ場合に,妻を姦淫の危険にさらすことになります。その結婚関係は神の目には依然として続いているからです。イエスはさらに,「離婚された女」,つまり性の不道徳以外の理由で離婚された女「と結婚する者はだれでも姦淫を犯すことになるのです」と言われました。
イエスのこれらの言葉は確かに有益なものです。イエスが性の不道徳を離婚の唯一の根拠と定められたので,神を喜ばせたいと望む夫婦は他の様々な理由で離婚するのを思いとどまることができるのです。また,イエスが,姦淫に至るような不道徳な思いを罪に定めたことは,離婚をさらに減らすのにも役立ちます。山上の垂訓は,その諭しに留意する人々にとって,姦淫と離婚を避けるための強力な助けとなります。
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「いつも平和」ものみの塔 1978 | 8月15日
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「いつも平和」
● 聖書はクリスチャンに,「平和を追い求め」,「りっぱに行動しなさい」と,強く勧めています。(ヘブライ 12:14。ペテロ第一 2:12)こうした助言に注意を払うことによって,多くの益が得られています。南アフリカにおける最近の経験はそのことを例証しています。
● 国内の不穏な状態のため,アフリカのヨハネスバーグ郊外にあるソウェトの町の当局者は,同地のアンフィ劇場を,エホバの証人の大会に使用する許可を与える点で疑問を抱いていました。しかし以前の大会での証人たちの振舞いを知っている管理人は,こう述べました。「これらの人々に劇場の使用を断わるなどもっての外です。彼らの大会はいつも平和です」。こうして会場を使用する許可が与えられました。
● 同国の不穏な状態にもかかわらず,すばらしい,平和なクリスチャンの大会が開かれました。そこには,エホバ神への献身の象徴としてバプテスマを受けた50名を含め,4,620名が出席しました。集いが終わったとき管理人は,エホバの証人がアンフィ劇場を「今までになかったほど清潔に」して帰った,と述べました。
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