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  • 国が滅びる時にも生き残る安全な道
    ものみの塔 1965 | 2月15日
    • 事物の制度が,バビロン的な偽りの宗教に影響され,また背いてエホバ神から離れ去ったゆえに滅びることを宣明しています。そのために彼らは,マタイ伝 24章9節に「あなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」とイエスが言われたことを経験しています。その中には獄につながれ,また迫害に会っている人も多くの国に大ぜいいます。しかし油そそがれた証者にとって,エレミヤの経験は,彼らがこの世と共に罪に定められることを免れ,一つの群れとして,現存する事物の制度の滅びを生き残ることの保証となっています。エレミヤがエホバの預言者であることを認めて彼を助けたエベデメレクは,エレミヤと共に生き延びました。今日においても,神のしもべの側に来て行動し,献身を忠実にはたす人々は,エベデメレクと同じく,またイエス・キリストご自身の言われた次の原則に従って,エホバから必ず恵みと保護を与えられます。「預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は,預言者の報いを受け……るであろう。わたしの弟子であるという名のゆえに,この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は,よく言っておくが,決してその報いからもれることはない」― マタイ 10:41,42。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1965 | 2月15日
    • 読者よりの質問

      ● サムエル前書 16章23節の示す通り,ダビデが,すでにサウルの宮廷の琴ひきとなっていたなら,なぜサウルはサムエル前書 17章55節で,ダビデがだれであるかをたずねているのですか。

      「新世界訳聖書」,ならびに「欽定訳聖書」など,多くの聖書翻訳は,サムエル前書 第16章において,ダビデがサウルの目にとまり,琴をひき,武器をとる者とされた事を記しています。次いで,サムエル前書 17章15節は,ダビデが自分の父の羊を飼うために家にもどり,そののち,ゴリアテとの戦いの時,サウルのもとに戻った事を示しています。サムエル前書 17章55-58節に示されるごとく,サウルがダビデについて何も知らなかったかのように思われるのは,このダビデのもどってきた時です。さて,どうしてこのような事があるのかという事が問題です。

      「新世界訳聖書」,また「欽定訳聖書」などに含まれるこの部分は,マソレティック・ヘブル語写本から来ています。これら二つの翻訳は,いずれもその写本を基にしているからです。しかし,マソレティック写本は,古いヘブル語写本をギリシャ語になおした「ギリシャ語七十人訳聖書」に比べれば,かなり新しい写本である事を忘れてはなりません。4世紀のギリシャ語写本バチカン1209号や,シナイ写本などに含まれる,「ギリシャ語七十人訳」の文面は,問題となる語句をのせておらず,論議中の事件については,少しく異なったすがたを提示しています。別のことばで言いましょう。すなわち,「七十人訳聖書」からこの部分を読むならば,ダビデが牧羊のために家に帰った事は出てこず,従って,問題となることは生じません。それゆえ,ゴリアテが最初に高慢な挑戦の言葉をかけた時,ダビデはその場にいたはずであり,その挑戦に応ずる旨,申し出る事ができたはずです。サウルは若者ダビデを知っていましたが,それは戦士としてのダビデではありませんでした。それでダビデは,自分が羊飼であった時に,エホバの力を得て,獅子と熊とを殺した事をサウルに知らせました。次いでダビデは,巨人と戦うために出てゆきますが,この時,サウルはダビデの身元をただす必要はありません。そして,「七十人訳聖書」に,その種の問答は出て来ません。

      前述の事柄は,マソレティック写本にある種の変化の加えられた事を暗示しており,それがここの問題の起こりと言えるでしょう。「新世界訳聖書」初版の脚注は,こうした写本相互の相違を明らかにしています。

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