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神の目的における王の婚宴ものみの塔 1975 | 2月15日
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していたイエスの弟子たちに聖霊が注がれ,彼らはエルサレムでユダヤ人およびユダヤ教に帰依して割礼を受けた改宗者たちに,神のメシアの王国の良いたよりを宣べ伝え始めました。当時,地上の各地から何十万人ほどの人々が祭りを祝うためエルサレムに参集していたかについては,霊感のもとに記された記録は何も述べていません。しかし,祭りを祝う何千人もの人々が復活したメシアなるイエスに関する良いたよりを開くことになりました。その後ほどなくして,ユダヤ最高法廷はイエス・キリストの十二使徒に向かって,「見よ,あなたがたはエルサレムをあなたがたの教えで満たしてしまい,しかも,この人の血をわたしたちにもたらそうと決めている」と言いました。(使徒 5:27,28)「招いておいた」者たちで成るその国民に対して今や二度目の知らせが伝えられていたことには疑問の余地がありません。
29 招かれていた人たちは王の二度目の招きにどのように答え応じましたか。どんな記録は,イエスの例えがこの点でも真実であったことを示していますか。
29 その国民の大多数は,今や用意の整った「婚宴」に彼らが招待されていることを思い出させようとした,天の王の二度目の合図にどのように答え応じたでしょうか。王なる神のみ子の婚宴に出席して王に誉れを帰すよりも,物質主義に根ざした自分たちの関心事にいっそうの私的関心を払うことによって,王を侮辱し,婚期に達した王のみ子を軽べつしたのです! 彼らは王の従順な「奴隷たち」つまり神のメシアの王国の良いたよりを宣べ伝えたクリスチャンを殺害するほどの徹底した暴挙にさえ訴えました。使徒たちの活動の書の3章から9章までを読みさえすれば,この点でイエスの預言的な例えがいかに真実であったかを示す歴史的な記録を調べることができます。
30,31 (イ)二度目の知らせを伝えるわざはいつ終わりましたか。(ロ)例えの中では,二度目の知らせが退けられた後,王は何をしましたか。
30 したがって,招かれていた者たちにその二度目の知らせを伝えるわざは,終わる以外にありませんでした。預言によれば,終わらざるを得ませんでした。それはイエス・キリストがエルサレムで殉教の死を遂げて3年半たった西暦36年に終わりました。どのようにしてですか。イエスの例えはその点をも示しています。「招いておいた者たち」で成る国民が彼らの天の王の招きを不誠実にも退けたゆえに被ろうとしていた処罰を指摘して,イエスは次のように言われました。
31 「そこで王は憤り,自分の軍隊を送ってそれら殺人者たちを滅ぼし,彼らの都市を焼きました。それから彼は自分の奴隷たちに言いました,『婚宴はたしかに用意ができているのだが,招いておいた者たちはそれに値しなかった。それゆえ,市外に通ずる道路に行き,だれなりとあなたがたの見つける者を婚宴に招きなさい』。そこで,その奴隷たちは道路に出て行き,邪悪な者も善良な者も,その見つけた者をみな集めました。こうして,婚礼の部屋は食卓の前に横になる者たちでいっぱいになりました」― マタイ 22:7-10。
32 イエスの例えの語順からすれば,王は,「招いておいた」者たちの都市を滅ぼさせるまで,婚宴の取決めをさらに延期させたということになりますか。
32 例えの詳細を述べたイエスの前述の説明の語順から考えて,王は婚宴に対してさらに何らかの注意を向ける前に軍隊に行動を起こすよう命令を出し,感謝の念に欠けた「招いておいた」者たちの住んでいる都市に向かわせて,「それら殺人者たちを滅ぼし,彼らの都市を焼き」払わせたと解してはなりません。さもないと,天の王なるエホバ神は,西暦70年の後期になるまでは,だれかれの差別なく人々を婚宴に集めるべく,ご自分の奴隷たちを遣わさなかったことになってしまうでしょう。というのは,エルサレムがヴェスパシアヌス皇帝の息子であるティツス将軍配下のローマ人により完全に破壊されたのは,同70年の夏のことだったからです。その時,確かにそれら「殺人者たち」は殺されました。フラビウス・ヨセフスが伝えているとおり,エルサレムの攻囲および崩壊にさいして110万人ものユダヤ人が滅ぼされ,また9万7,000人のユダヤ人が捕虜として連れ去られ,奴隷として処分されました。―ルカ 21:20-24; 19:41-44。
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祝宴に連なる代わりの人々を集めるものみの塔 1975 | 2月15日
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祝宴に連なる代わりの人々を集める
1 (イ)婚宴に「招いておいた者たち」は,それに「値しなかった」ことをどのように示しましたか。(ロ)物質主義に根ざす利己的な関心事をあとにするとすれば,それは彼らにとってどうすることを意味したでしょうか。
クリスチャンに反対したそれら「殺人者たち」は,西暦70年における彼らの聖都エルサレムの崩壊にさいして殺され,ユダヤ人の独立国家は壊滅してしまいましたが,どうしてそのようなことが起きたのでしょうか。それはイエスの例えの中に出て来る王が述べているとおり,それら婚宴に招かれた人たちがそれに「値しなかった」ためです。(マタイ 22:8)ユダヤ人は天の王から二度目の知らせを受けた後,無礼で不敬で,不誠実な態度で,しかもしばしば暴力を振るってまで王の招きを拒絶することによって,自分たちがそういう人間であることを示していました。物質主義に根ざす自分たちの利己的な関心事をあとにして,霊的な「婚宴」に臨むとすれば,それは彼らにとって何を意味したでしょうか。それは,モーセの律法契約を守り損ったことだけでなく,神から遣わされたメシアを激しく拒絶したことをも悔いて,自分たちのメシアであるイエスの弟子となって水でバプテスマを受けることを意味していました。しかし,彼らはあまりにも高慢で,あまりにも独善的で,あまりにも自分たちの計画に熱中していたため,そうした要求に応じようとはしませんでした。これがイスラエル国民の一般的な実情でした。
2 (イ)二度目の知らせを伝えるわざが終わった時,婚宴のすべての席が空席のままにされたわけではありません。どうしてですか。(ロ)王はどれほど多くの席を,それに『値する』人たちで満たすことを考えておられましたか。
2 それでは,「婚宴」の座席はすべて空席のままにされてしまったのでしょうか。いいえ,決してそのすべてが空席のままになったのではありません! 聖書の記録の示すところによれば,「招いておいた」ユダヤ人の一部の人々は,最初の知らせが出された時それに答え応じましたし,二度目の知らせが伝えられ始めた西暦33年のペンテコステの日以降,さらに多くのユダヤ人や割礼を受けてユダヤ教に改宗した人々が答え応じました。しかし,それらの人々は,婚宴の設けられる部屋に用意された数多くの席に比べれば実に少数でした。王はどれほど多くの座席を満たすことを考えていたのでしょうか。「食卓」のそばの,横になる座席を占めるに値した人たちは,「天の王国」で王のみ子とともに共同相続者になる人たちを表わしていましたから,天の王であられるエホバは,婚宴に出席するに値する者たちで「婚礼の部屋」を満たすため,14万4,000の座席を満たすことを期待しておられました。聖書巻末の啓示の書の中でイエス・キリストがわたしたちに示しておられる事柄はそのことを証明しています。(啓示 7:4-8; 14:1-3; 20:4-6)その数字は,その婚礼の晩さんに際して数多くの座席が用意されていることを示しています。
3,4 (イ)イエスの例えによれば,14万4,000の席を満たす機会は専らだれだけに与えられていましたか。(ロ)彼らは数の点で,それほど多くの席を満たし得ましたか。
3 イエスの例えによれば,王なるエホバはそれら14万4,000の座席すべてを満たすに足る,それに値する十分の数の者たちを供する機会を,律法契約下のイスラエル国民全体のために開きました。彼らはアブラハムの生来の肉身の「胤」でした。神はそのような「胤」によって地上のすべての族を祝福する契約をアブラハムと結んでおられたのです。(創世 12:3; 22:17,18,新)神は彼らをモーセを通して律法契約に加わらせましたが,
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