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ハルマゲドンの後 ― 正義の新しい世ものみの塔 1963 | 6月1日
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彼を死人の中より甦えらせて保証を万人に与へ給へり」。(使行 17:31)エホバがイエス・キリストを死からよみがえらせた事は,イエスが述べられた『さばきの復活』の際によみがえる人をも含め,新しい世に住むすべての人々が正しく裁かれる事の保証となります。(ヨハネ 5:28,29)神の立てた裁き主にして王なるイエスは,たんに外面にあらわれたものとか,うわさや流言などによって判断するのではなく,エホバから与えられる知恵の霊に従って行動します。その上,イエスはエホバをおそれる事を知っています。それで,預言者イザヤは,エホバによって,義の住む新しい世を治め,かつ裁くように任命された者について次のように描写しています。
「その上にエホバの霊とどまらん,これ知慧聡明の霊,謀略才能の霊,知識の霊エホバをおそるるの霊なり,かれはエホバを畏るるをもてたのしみとし,また目みるところによりて審判をなさず,耳きくところによりて断定をなさず,正義をもて貧しき者をさばき,公平をもて国のうちの卑しき者のために断定をなし,その口の杖をもて国をうち,その口唇の気息をもて悪人をころすべし」。―イザヤ 11:2-4。
イエス・キリストは,エホバに対するおそれの気持を抱きつつ治めるゆえに,申し分ない支配者であり,理想的な裁き主です。従順な人々にとっては大きな祝福となります。この祝福あふれる時について,昔のダビデ王は,自分の最後の言葉の中で言及しています。「イスラエルの神いひ給ふイスラエルの磐われにつげたまふ人を正く治むる者神を畏れて治むる者は日の出の朝の光のごとく雲なき朝のごとく又雨の後の日の光明によりて地にもえいづるわか草のごとし」。(サムエル後 23:3,4)このようにエホバは,神をおそれる支配者を,地の草木を清新にし活気を与えてやわらかに若芽をはえ出させる,雨の後の雲一つない朝の太陽の輝きにくらべています。それで,新し世の雰囲気は清新なものになるでしょう。このようなエホバをおそれる王の下にある新しい世においては,人の生活をそこない,不快にさせるものは一つもありません。それで,詩篇作者は輝かしい新しい世の描写に次のような言葉をもって色どりをそえています。「かれは義をもてなんぢの民をさばき,公平をもて苦しむものをさばかん,彼は刈りとれる牧にふる雨のごとく地をうるほす白雨のごとくのぞまん,かれの世にただしき者はさかえ平和は月のうするまで豊ならん」。―詩 72:2,6,7。
生活する人々は義を守る
新しい世の政府が正義を守り続けるだけでなく,そこに生活する人々も正しい道を守り続けなければなりませんが,実際に生活する人々はそれを守ります。新しい世に生活する人々の中には,真理と正義を愛さぬ人,義の原則を守らぬ人は一人もありません。イザヤ書 26章9節 に予め告げられている通り,生活するすべての人が神の義を守らねばなりません。「わがこゝろ夜なんぢを慕ひたり,わがうちなる霊あしたに汝をもとめん,そは汝のさばき地におこなわるゝとき世に住める者正義をまなぶべし」。(イザヤ 26:9)正義の道を守る事によって,神の新しい世に住む人は豊かな恵みを受け,その救いは確かになります。天ようへより滴らすべし,雲よ義をふらすべし地はひらけて救を生じ義をもともに萌えいだすべし,われエホバ之を創造せり」。―イザヤ 45:8。
義の住む神の新しい世に生活し,完全な健康を保ちつつ永遠の生命を受けるという救いに共にあずかるために,義を学ぶ事をハルマゲドの後まで待つべきではありません。イエス・キリストの言葉に従い,今から始めなければなりません。「まず神の国と神の義とを求めよ」。(マタイ 6:33)それで,私たちは今,神が望まれる生活の仕方を受け入れ,神の義にふさわしく歩まねばなりません,イエスの時代にいた一般の宗教指導者たちのように,たんに,外面的に義をよそおって,神をあざむく事はできません。イエスは,それらの人々の心になにがあるかをはっきり知っていました。「わざわひなるかな,偽善なる学者,パリサイ人よ,汝らは白く塗りたる墓に似たり,外は美しく見ゆれども内は死人の骨とさまざまのけがれとにて満つ,かくのごとく,汝らも外は人に正しく見ゆれども,内は偽善と不法とにて満つるなり」。―マタイ 23:27,28。
それで,外面的な義という上着をつけて,不法な心をおおうわけにはいきません。エホバは私たちが心の内奥においてなにを考えるかを見ておられます。裁き主にして王なるイエス・キリストの上には,知恵聡明の霊,謀略の才能の霊,知識の霊がとどまっている事,すなわち,イエスは心をしらべる方,最高至上者により支援されている事を忘れてはなりません。「エホバはすべての心を探りすべての思想を暁りたまふなり」。「銀を試むる者はるつぼ金を試むる者は炉,人の心をこゝろむるはエホバなり」。(歴代上 28:9。箴言 17:3)この心をしらべる方は,エックス線透視装置のような特別の機械を必要とされません。エホバは,どんな心の人が,内面において何を考えているかを容易に判断されます。エホバは,人の心をさぐり,良い心かどうか,考え方や動機が正しいかどうかを見定められます。ハルマゲドンの際には,いかなる不義も明らかにされその報を受けるのですから,今こそ,義の住む新しい世を目ざして生活し始めるべき時です。
神が人の心をしらべられるという事は,新しい世がいつまでも正義の状態のうちに保たれる事の保証にもなります。エホバは,御自分の被造物が義なる者となり新しい世において永遠の生命を受ける事に関心を払っておられるので,いつでも人間の心の状態を注意しておられます。不正な心を抱く者に永遠の生命の権利が許されたとすれば,いつかなんらかの不正または反逆などがあらわれてくるでしょう。しかし,エホバは,人の心が固く実直に根差しているかどうかを判断されます。そしてエホバは,だれが,永遠の生命という賜物にさわしいかを知っておられます。
正しい事を愛する人々には以上のような希望があります。神が立てられた王,イエス・キリストとその御国に信頼を置きなさい。義の住む新しい世を目ざして生活するために必要なすべての手段を今講じなさい。エホバの証者の新世社会からの助けを受けなさい。エホバの証者は詩篇 85篇10,11節に予め告げられた神からの祝福に,人々が共に与るよう関心を払っています。「あはれみと真実とともにあひ義と平和とたがひにくちつけせりまことは地よりはえ義は天よりみおろせり」。
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クリスチャンとして血を避けるものみの塔 1963 | 6月1日
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クリスチャンとして血を避ける
◇ オーストリアで兄弟の一人は孤立した区域で,ある若い夫婦やその小さな息子と共に書籍研究の集りを開いていました。ある日兄弟が訪問した時,夫婦はブタを殺し,当地の習慣として血入りのソーセージを作ったところでした。血を食べる事を聖書はなんと言っているかについて兄弟が説明すると,妻はすぐに「すてましょう」と言いました。妻の両親もブタを殺すところだったので主人はみんなが血をたべないようにするため自分で殺しに行きました。家の前には大きな十字架が立ててありましたが,偶像崇拝に関する聖句を,学んだ後この若い奥さんはすぐにそれを掘りおこして捨てました。おばあさんは大変腹を立て,怒りが静まるまでにずい分時間がかかりました。次に兄弟が驚いたのは,この夫婦が自分たちは正式に結婚していなかったが,「ものみの塔」の記事を読んだからあした正式な手続をすると言った事でした。牧師はこの夫婦が教会で結婚式をしないで,ただ登記だけですませると聞いて,妻も子供も離縁すべきだと主人に言いました。しかし一番の試練は奥さんが手術を受けねばならず,医者が輸血しなければ命があぶないと言った時でした。その翌日彼女は紙に書いて言いました。「私のこれまでの生涯中で一番きびしい日が来ました。かわいい私の息子を愛さずにはいられません。しかし,私は神をも強く愛しています。それゆえ,私は輸血を受けられません」。医者が間違っていました。彼女は快復しました。浸礼を受けました。そして今喜びのうちに自分の創造者に奉仕しています。主人も兄弟と勉強を続けており,妻と共に夏の地域大会に出席しました。(使徒行伝 15:29)―1963年のエホバの証者の年鑑から。
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