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  • いま宣べ伝えるべき福音の特色
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 2/15 113–118ページ

いま宣べ伝えるべき福音の特色

1,2 (イ)イエスと使徒たちの伝道した福音には,いま非常に重要などんな事柄がつけ加えられていますか。(ロ)サタン悪魔の放逐後,天は福音につけ加えられたこの事柄をどのように表現しましたか。

「わたしはほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」。イエス・キリストはある時こう言われ,できる限り多くの町に宣べ伝えることをされました。(ルカ 4:43; 8:1; 16:16)イエス・キリストがかつて中東の地に宣べ伝えたこの「神の福音」は,異邦人の時の終わった1914年以来の現代に重要さを増し加えました。イエスの死と復活ののち,そしてイエスが天で栄光を受けられてのち,使徒をはじめ忠実な弟子たちは来たるべき神の国の福音を宣べ伝えました。(使行 20:24,25; 28:30,31)1900年前にイエス・キリストと使徒たちが熱心に宣べ伝えた神の国の福音には,今どんな重要な事柄がつけ加えられていますか。それはメシヤによる神の国が,異邦人の時の終わった1914年に天に建てられたということです。つづいて起きた見えない天での戦争およびサタン悪魔と悪霊の,天から地への放逐ののち,福音につけ加えられるべき次の事柄が宣言されました。それは黙示録 12章9節から12節にしるされています。

2 「今や,われらの神の救と力と国と,神のキリストの権威とは,現れた。われらの兄弟らを訴える者,夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は,投げ落された……それゆえに,天とその中に住む者たちよ,大いに喜べ。しかし,地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもって,おまえたちのところに下ってきたからである」。

3 (イ)つけ加えられたこのすばらしい知らせは,いつから事実となっていますか。(ロ)それで福音がまず宣べ伝えられるべき「この時代」とはなんですか。

3 いま宣べ伝えるべき福音に加えられ,それを拡張する事柄は,喜びを増し加えます。神の勝利の御国は神のキリストすなわちメシヤの権威とともに到来したのです。サタン悪魔と悪霊について言えば,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日(の)戦い」ののち束縛されて底知れぬ所に閉じ込められるまでわずかの時が与えられているにすぎません。つけ加えられたこのすばらしい事柄は,「諸国民の定められた時」の終わった1914年そして特に第一次世界大戦の終わった1918年以来,真実なのです。「諸国民の定められた時」が1914年の秋に終わらなければ,天に建てられ,あらたに生まれた神とメシヤの国を宣べ伝えることはできません。それでまずすべての国の民に宣べ伝えられるとイエスが預言の中で言われた福音は,この福音に違いありません。(マルコ 13:10)異邦人の時の終わった1914年以来の世界の出来事を目撃し経験した今の世代は,福音がまずすべての国の民に宣べ伝えられることをも含めて,預言されたすべての事が起こるまで過ぎ去ることのない世代また「時代」です。

4 マルコの福音書 13章10節はいつから成就していますか。この事実はいつから理解されはじめましたか。

4 「こうして,福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」。マルコの福音書 13章10節にあるイエスのこの預言は,過去19世紀の間にわたって成就してきたのではありません。この預言が成就しはじめたのは20世紀の最初の20年が過ぎてからです。そして20世紀の最初の20年が過ぎた時に,国際聖書研究生の団体およびものみの塔聖書冊子協会はその事を悟るようになりました。1920年7月1日号「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」は,「『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである』― マタイ 24:14」を基本の聖句とし,「御国の福音」と題する記事をのせています。その最後の六つの節には次のことが述べられていました。

5-7 「ものみの塔」のその号は,マタイの福音書 24章14節のこの新しい理解をどのように述べました。

5 「福音時代の全期間にわたって伝道されてきた福音が宣べ伝えられねばならないという意味ではない。その事に注目すべきである。ではイエスの意味したのはどんな福音であったか。福音は良い音信を意味する。ここで言われている良い音信は,古い秩序の終わりとメシヤの国の建設に関するものである。それは罪と悲哀の暗黒の夜が過ぎ去りつつあることを意味する。サタンの帝国は倒れつつあり,それは決して復興されない。それは正義の太陽が急速に上りつつあり,いやしを与えるその光が暗黒をつらぬき,真理を妨げるものを追いやり,祝福と慰めと力と向上をもたらしつつあることを意味する……。

6 「次のことが注目されるであろう。述べられている順序でこの音信は,世界大戦から大患難の時に至るまでの間に宣べ伝えられねばならない。この大患難はマタイの福音書 24章21,22節において主の述べられたものである。この音信は世界大戦勃発以前に宣べられるはずのないものである。古い秩序は終わりつつあり,まもなく永遠に過ぎ去る。教会がこのことをあかしとして世に告げるべき時のくることを,我々は悟った。それは主の意図されたことである……。

7 「主の御国の大使となり,福音を宣べ伝えることは,いまや教会に与えられた祝福された特権である」― 199,200頁。

8 (イ)御国のその「福音」の真実を,何が証明していますか。(ロ)だれがこのような「福音」を聞くに値しますか。なぜですか。

8 イエスの預言的なことばの最新の理解が明らかにされて以来,世界の出来事と情勢,国際聖書研究生の経験した事柄は,神のメシヤの国が1914年という定めの時に天で誕生したこと,「この御国の福音」は建てられた神の国を告げる全く新しい音信であることがますます証明されてきました。今日この福音にまさる良い音信はありません。その理由で人類の全世界は「この御国の福音」を聞くに値します。(マタイ 24:14)イエス・キリストのことばによれば人類の世のすべてがそれを聞かなければなりません。「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」― マルコ 13:10,新世訳。

「すべての民に」

9,10 (イ)この預言的な命令に従って何が行なわれましたか。(ロ)このわざは第二次世界大戦中からどのように拡大してきましたか

9 イエスの弟子に対するこの預言的な命令に従い,すべての国の人々に宣べ伝えるための努力が熱心になされてきました。

10 (以前に国際聖書研究生と呼ばれた)エホバの証人がものみの塔ギレアデ聖書学校を開設した戦争中の1943年,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は「この御国の福音」の伝道に関する報告を54か国から受け取っていました。世界の国の数はふえ,いま国際連合にはパキスタン,ビルマ,インドネシア,ヨルダン,イスラエル,ザンビア,マラウイなどを含めて119か国が加盟しています。昨1967年の末にエホバの証人は世界各地の197の土地で「この御国の福音」を宣べ伝えていることが報告されています。伝道は鉄のカーテンの背後の共産主義国においても,ファシスト的な独裁主義支配の下においても,あるいは宗教的な迫害やナショナリズム,軍国主義の圧迫の下でも行なわれているのです。

11 (イ)すべての国の人々に「福音」を伝えるために努力するのは,なぜ正しいことですか。(ロ)マルコの福音書 13章10節の成就についてはどうですか。

11 クリスチャンであるエホバの証人は他のすべての国にも「この御国の福音」を伝えることを決意しており,そのために誠実な努力を払っています。建てられた神の国の福音を聞くことから除外されてよい国はありません。イエス・キリストはすべての民にと言われました。ゆえに時間と機会が許すにしたがってますます多くの国そしてすべての国に宣べ伝えるために努力するのは正しく,また当然のことです。しかしエホバの証人がすでに福音を伝道している国また土地の数を考えれば,イエス・キリストの預言がいま成就しており,しかも成就しおわる時が急速に近づいていることはだれも否定できません。事情を知る人ならばそのことを率直に認めるでしょう。

12 (イ)「福音」のこの伝道が多くの国で行なわれていることは,なんの証拠の一部ですか。(ロ)艱難のどの部分にまもなく達するはずですか

12 キリストの忠実な追随者がすでに全世界197の土地で伝道していることは,イエスの預言したすべての事の起きる「終りの時」が臨んでいることを証明する「前兆」の目だつ一部分をなしています。(ダニエル 12:1-4)私たちはすべての国の「終りの時」の終結にむかっていやおうなく進んでいるのです。私たちは「産みの苦しみの初め」となった第一次世界大戦,それにつづいた食糧不足,疫病,地震,第二次世界大戦,不法と暴力の増加などを経験しました。これらの事に始まった世界の艱難は,まもなく「産みの苦しみ」の終わりに達するに違いありません。その時の艱難は人類がかつて経験したことのない,またそののちにも経験することのない大規模で激しいものとなるでしょう。その前に「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」のです。

「まず」― どんなことの前に?

13 「まず」ということばには何がこもっていますか。なぜ今そうですか。

13 「まず」というこのことばには多大の緊迫感がこもっています。なぜですか。異邦人の時の終わりである1914年以来,そして世界の平和と安全のために神の国を平和に受け入れるかわりに国際連盟ののちに国際連合が選ばれて以来,「すべての国の民」はハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日(の)戦い」を目ざして進んでいるからです。―黙示 16:13-17。

14 (イ)国々に何を知らせなければなりませんか。(ロ)このことに期限を設けたのはだれですか。そのかたが行動する前にそれを行なわねばならないのはなぜですか。

14 むかし聖書時代の諸国民に対して神が行なわれたとおりの方法に従って今も世の諸国民に対し,きたるべき戦いを知らせ,神の油そそいだ刑執行者イエス・キリストの手による国々の滅びを知らせなければなりません。ゆえに福音をすべての国で宣べ伝えることが必要です。国々は建てられた神の国すなわち全地を治める正当な政府に直面せざるを得ません。諸国家に対しては来たるべき滅びのみならず,ハルマゲドンにおけるすべての国の永遠の滅びがどこから,また何によってもたらされるかを前もって知らせなければなりません。知らせるための時間は,時を定める偉大な神エホバによって限られています。それで知らせるこのわざは最も緊急なものです。このわざが「まず」行なわれてから全能の神は行動を起こされます。神は敵の虚をついたという非難を受けるようなことをされません。

15 (イ)「福音」がすべての人に対するものかどうかは,どのようにわかりますか。(ロ)ゆえに「福音」がまず宣べ伝えられるのはだれのためですか。

15 メシヤの国の音信は地上のすべての人にとって必ずしも「福音」すなわち「良いたより」ではありません。神の国を拒絶する人にとって,エホバの証人の伝える音信は良い音信ではありません。それで多くの人がそれを真剣に受けとらず,あるいは無視しようと努め,さらには反対したり,悪く言ったりするのもうなずけます。政治権力の座にある者は,聞きたい人がいてもこの音信を聞かせないようにするため,伝道のわざを圧迫します。人間の政府に失望し,世界の道徳,宗教,社会,政治の有様に悲しむ人々にとって,神の建てられたメシヤの国の音信は良いものであり,彼らの望んでいたものです。福音の伝道から益を受けるのはこのような人です。彼らは福音を受け入れ,それに基づいて行動し,御国の反対者に臨む確かな滅びを避けることのできる恵まれた立場に立ちます。御国の音信がまず宣べ伝えられるのは,福音としてそれを受け入れるこのような人の永遠の益のためです。その人々は滅びを避けるためにいま行動することができます。

伝道することと教えること

16 イエスは「福音」に関して何がなされるべきであると言われましたか。しかしどのように考えるべきではありませんか。

16 「福音は……すべての国の民に宣べ伝えられねばならない」とイエス・キリストが言われていることに気づかれましたか。「福音はすべての国の民に教えられねばならない」と言われたのではありません。その違いはなんですか。それはどんな相違をきたしますか。「宣べ伝えられる」ということばから,教会の壇に立って説教する僧服の牧師のことを考える必要はありません。なぜですか。

17 (イ)ギリシャ語原文において「宣べ伝えられる」ということばは,基本的には何を意味していますか。(ロ)伝道者は何を行なうとは限りませんか。

17 「宣べ伝える」と訳されたギリシャ語はケールツサインです。このギリシャ語の動詞は霊感のクリスチャン・ギリシャ語聖書に多く使われており,根本的には「先駆として宣言する,布告者となる,布告者を務める,告知者となる,布告者によって召喚する,(征服者として)宣言する」という意味です。これと関連した名詞ケールクスは「先駆者,公の使者,使節,(告知をし,大会などで秩序の維持にあたった)廷丁」を意味します。もう一つの関連した名詞ケールグマは「先駆者によって宣べられた事柄,宣明,(試合の勝利の)発表,指令,召喚」を意味します。それで1961年の新英訳聖書によってマルコの福音書 13章10節をみると,「しかし終わりの来る前に福音はすべての国の民に宣明されなければならない」と適切に訳されています。(またヤング訳,ロザハム訳)これは宣明者が布告者としての働きをすることを意味しています。それは聖書研究を司会して教えることを必ずしも意味していません。

18 それでマルコの福音書 13章10節においてイエスが預言されたのは,何が行なわれるということですか。

18 それでメシヤの国が建てられてのち,福音は布告され,発表され,宣明され,こうしてすべての国々の民に知られます。イエスはそのことを預言されたのです。福音は少なくとも告げられます。だれでも聞く耳を持つ人は聞いてそれを受け入れ,聞く耳を持たない人はそれを拒絶できます。すべての国の人に対して少なくともあかしがたてられるでしょう。ハルマゲドン前の「終りの時」に「福音」を聞かなかったとはだれも言えません。

19 ゆえにマタイの福音書 24章14節において,イエスは「この御国の福音」がなんのために伝道されると言われましたか。

19 マルコの福音書 13章10節に相当するマタイの福音書 24章14節はこの理由で次のように述べています。「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられる[すなわち布告され,宣明される]であろう。そしてそれから最後が来るのである」。「御国のこの福音はすべての国の民に対するあかしとして全地にわたり宣明されるであろう」。(新英訳)この時代を先見して預言されたイエス・キリストは,すべての国の民に対して御国のこの福音を布告,宣明ないし伝道することが人をキリスト教に改宗させ,すべての国を神の国の側につかせるためであるとは言われませんでした。

20 (イ)聖職者およびエホバの証人の伝道の結果としての世界の改宗について何が言えますか,(ロ)「終り」に関する「前兆」の一部として注目すべきものはなんですか。

20 キリスト教国の聖職者が16世紀以上にわたって行なってきた伝道は世界を改宗させず,また神の国についての正しい理解を人々に与えることもしませんでした。今や建てられた神の国の福音は1919年以来エホバの証人によって伝道されていますが,それも世界を改宗させる結果にはなっていません。クリスチャンであるエホバの証人はそれを期待したわけではないのです。そのうえイエスの預言によれば,「御国のこの福音」の伝道による世界の改宗は,現存する事物の制度の全き終わりがこの世代に臨むことを示す「前兆」ではありません。「終り」のさし迫っていることを示す「前兆」の一部として注目すべきものは,建てられたメシヤの国をあかしするわざです。

21 それが唯一の「福音」であるゆえに,伝道する者は何を望みますか。

21 これは今の時において唯一の福音であるゆえに御国の音信の告知者,宣明者すなわち伝道者は,「すべての国」においてできるだけ大ぜいの人に音信をわかつことを望んでいます。少なくともある人々は「福音」としてそれを受け入れるでしょう。

22,23 (イ)イエスは知識を与える他のどんなわざを預言されましたか。したがってイエスご自身何を行なわれましたか。(ロ)使徒たちを地上に残して去る前に,イエスはこの種のどんなわざを行なうことを命じましたか。

22 公の記録が示すように,クリスチャンのエホバの証人はあかしとして布告し,宣明し,伝道するにとどまらず,御国の音信を福音として受け入れる人すべてを教えます。「事物の制度の終結」に関する預言の中でそれと明白には述べられていませんが,イエスはこの教えるわざをも預言されました。(マタイ 24:3から25:46)この預言をしたすぐのち,「イエスは昼のあいだは宮で教え,夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた」と報ぜられています。(ルカ 21:37)イエスはしばしば先生と呼ばれ,実際に時間の多くを教えることにささげられました。(マタイ 8:19。マルコ 4:38。ルカ 9:38。ヨハネ 13:13,14)イエスは教えることと伝道することの両方をされたのです。(マタイ 4:23)「事物の制度の終結」についての預言をされて2週間かそれ以上のち,イエスはガリラヤのある山で弟子たちに現われ,将来の教えるわざを命じて次のように言われました。

23 「わたしは,天においても地においても,いっさいの権威を授けられた。それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」― マタイ 28:18-20。

24 教える者のわざは告知者のそれとどのように異なりますか。

24 教える(ディダスケイン)者は,告知者とは異なります。後者は発表し,宣明するにすぎません。教える者(ギリシャ語ディダスコロス)は,ギリシャ語ディダスケインの字義どおり,教訓を与え,説明し,論議によって物事を示し,証拠を提出します。それで教えるとは,宣べ伝えられた音信を用いながら,これらの事柄をすることを意味します。この教えるわざは布告者また宣明者の場合と異なり,単にあかしをするのが目的ではなく,弟子を得ること,またそれらイエス・キリストの弟子にバプテスマを施してのち,弟子すなわち学ぶ者としてとどまるように助けるのが目的です。

25 (イ)この教えるわざはいつも行なわれてきたものであると,なぜ言えますか。(ロ)この教えるわざはなぜ続けられるべきですか。

25 イエスおよび使徒たちの時代以来,「事物の制度の終結」を迎えた今に至るまで,人々を弟子にするわざは続けられており,したがってそれは常に行なわれてきたものです。(エルサレムの実体であるキリスト教国をも含めて)宗教的な大いなるバビロンが滅び,またハルマゲドンにおいて「全能の神の大いなる日(の)戦い」が行なわれる前にひきつづき人々を弟子にするため,聖書を用いてのクリスチャンの教えるわざは続けられねばなりません。過ぐる1967奉仕年度にエホバの証人はこの教えるわざにおいて毎週943,108の家庭聖書研究を人々と行ないました。

26 (イ)「この御国の福音」の伝道は,なぜ今日のわざの注目すべき特色となってきましたか。(ロ)マルコの福音書 13章にあるイエスの預言はどのように立証されますか。今日だれが幸いですか。

26 他方,「御国のこの福音」の伝道,告知,宣明また布告は,この20世紀にのみ見られる注目すべき事柄です。メシヤの治める,すでに建てられた神の国は,異邦人の時の終わった1914年以後においてのみ栄光の事実となっているからです。希望を与えるこの福音は「終わりのくる前に」(新英訳,アメリカ訳,モファット訳)「まず」(口語訳)宣べ伝えられねばなりません。それは今に至るまでエホバの証人によって宣べ伝えられ,そのわざは熱意と規模を増し加えられてきました。それは終わりに至るまで彼らによって伝道され,イエスの預言は立証されるでしょう。終わりはまもなく臨むに違いありません。この御国の伝道はその近いことを示す確かなしるしです。その前にこの福音の伝道にあずかる皆さんはほんとうに幸いです。

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