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輸血に関する見解ものみの塔 1979 | 1月1日
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ました。すると不意に病院のドアがぱっと開き,B博士が上着をはためかせながらロビーを大またで歩いてきました。両腕は頭上に高くあげられ,指にはVサインが示されているではありませんか。博士が一言も言わないうちに,私たちはジルがすっかり良くなったことを察知しました。
「ジルは18日間デューク大学医療センターにとどまりました。ジルの世話をするためにここの職員のみなさんがどれほど協力的で支援してくださったかはいくら強調してもしすぎることはありません。娘は急速に回復しました。融合部位の治ゆを早め,脊柱を支えるため,ジルは六か月間(亀のように)体をおおうギプスを着けなければなりませんでした。
「ジルはもうギプスをはめていません。娘の背中はまっすぐになり,良い状態ですから,実質的にどんな活動にも参加しています。幾年にもわたってエホバは,娘が痛みに耐え,大手術に勇敢に立ち向かえる力を与えてくださいました。私たちは現在娘が歩くのをながめています。そして私たちはけんそんさを学ばされました」。
医療に関するこうした記録を再確認することは,人間の創造者が血について述べておられることを一層熟考する助けになることでしょう。
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より良い世界が間近に迫っている どうしてそれが確信できますかものみの塔 1979 | 1月1日
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より良い世界が間近に迫っている どうしてそれが確信できますか
犯罪の増加,離婚の急増,止めどのないインフレなどに直面しているのに,そのような確信を抱くどんな根拠があるのでしょうか。
「ものみの塔」と「目ざめよ!」の両誌は,今日の世界の出来事を報道するだけでなく,聖書の預言に照らして,楽観的な見方を持つべき理由を示しています。わずか2,600円のご寄付で,両方の雑誌を(毎月合計四冊ずつ)一年間予約購読できます。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 5-138022番)にお申し込みください。
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読者からの質問ものみの塔 1979 | 1月1日
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読者からの質問
● イエスは「これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と言われましたが,これはどの世代のことですか。そしてそれはどれほどの長さでしょうか。
ご自分の臨在と事物の体制の終結についての“しるし”を使徒たちから尋ねられた際,イエスはきたるべき戦争,ききん,地震,終わりの到来する前に王国の良いたよりが宣明されることについての有名な預言を語られました。(マタイ 24,25章。マルコ 13章。ルカ 21章)さらにイエスは「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と述べられました。―マタイ 24:34。
聖書およびその歴史的成就に基づいて,エホバの証人は,キリストの預言が二回適用されるべきことをしばしば指摘してきました。つまり最初は,西暦33年から西暦70年のエルサレムの滅亡に至る期間,二度目のさらに大規模な成就は西暦1914年以来のこの「終わりの時」の期間です。
しかし,ある聖書注釈者たちは,この預言が二重に成就するという点を認識しませんでした。それで彼らはイエスの述べられた「世代」という言葉が,ユダヤ国民ないしは何百年にもわたって存在してきた邪悪な人々の級のような一種族または人々を意味するものと解釈してきました。そうした人々はペテロ第一 2章9節を引き合いに出すかもしれません。その聖句は欽定訳聖書によると,油そそがれたクリスチャンの会衆のことを「選ばれた世代」としています。とはいえ,現在聖書学者たちは,ペテロ第一 2章9節のそのギリシャ語は「種族」と訳されるべきもので,マタイ 24章34節の中にある「世代」と訳される言葉とは異なることを認めています。
イエスは幾百年にもわたって存在してきた人々の一種族やクリスチャンだけのことを語っていたのではありません。まず第一にご自分の聴衆と他のユダヤ人のことを語っておられたのです。そのことを示しているのは,同じ日のその少し前,ユダヤ人の宗教指導者たちを非難した際にイエスが,彼らは預言者たちを殺害したと述べ,「これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう」と語られたことです。(マタイ 23:36)これらの言葉は西暦70年,エルサレムのユダヤ人たちが火のような滅びに直面した時,イエスが語ったその世代にとって現実となりました。(ルカ 3:16,17)その滅びはキリストの預言の最初の成就における,『ユダヤ教の事物の体制の終結』をしるしづけるものともなりました。
このことはマタイ 24章34節の「世代」を理解するのに役立ちます。今日の一般的な英語の用法からすると,「世代<ジェネレーション>」という言葉は,(1)大体同じ時期に生まれ,同じ時期に生活している人すべて,または(2)親の誕生時からその子供が誕生する時までの平均年数,すなわち通常20年から30年の期間をさすものとして用いられているようです。イエスはどちらを意図しておられたのでしょうか。明らかに後者ではありません。その最初の適用において,その「世代」は西暦33年から西暦70年まで,少なくとも37年間に及んでいたからです。
同様に,「世代」という語を用いたイエスは,西暦33年に誕生したユダヤ人の子供たちだけを念頭に置いていたのでないことは明らかです。ルカの記録によると,イエスはパリサイ人たちからいつ王国が来ることになっているかと尋ねられた時,弟子たちに「[人の子は]多くの苦しみを経,この世代から退けられねばなりません」と語りました。(ルカ 17:20-25)生まれたばかりの赤ん坊がイエスを退けることなど確かにありえませんでした。同様に事の成行きが示すところによれば,イエスがマタイ 24章34節で話された「世代」には,西暦33年以後エルサレムの滅亡までの期間にイエスの言葉が成就していることを識別できたイエスの聴衆と他の人々が含まれます。
そういうわけで,わたしたちの時代の適用を考える場合,論理的にいってその「世代」が第一次世界大戦中に生まれた子供たちにあてはまるとは言えません。それは,イエスの挙げられた複合の“しるし”の成就として生じた戦争や他の出来事を観察できた,キリストの追随者及び他の人々に適用されます。そのような人々の中のある人たちは,現在の邪悪な体制の終わりを含め,キリストの預言された事柄すべてが起こるまでは『決して過ぎ去らない』でしょう。
イエスはこの「世代」の正確な長さを計算することを追随者に勧めたりされませんでした。(詩 90:10)長く見積って終わりまでにあと何年あるかと数えるのではなく,クリスチャンはイエスの次の警告の言葉を思い起こすべきです。「ずっと見張っていなさい……あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」― マタイ 24:42-44。
わたしたちは「事物の体制の終結」の時の今,マタイ 24章の預言が成就しつつあることを示すあり余るほどの証拠を見聞きしています。その証拠の一つは,終わりの来る前になされねばならないとイエスが語られた,設立されたメシア王国に関する良いたよりを全世界に宣べ伝える業です。(マタイ 24:14)それで知ることのできないその日付についてあれこれ思いめぐらすよりも,真のクリスチャンは,マタイ 24章34節のイエスの言葉が成就することを確信をもって待ち望みつつ,その重要な宣べ伝える業に熱心にあずかることを願うでしょう。
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