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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 8/1 454–456ページ

処女からの誕生が本当にありましたか

イエス・キリストが処女から生まれたという信条は多くの人にとって伝説です。それは神々が人間の父となったことを述べているギリシャその他の古代神話と何ら異なるところがないと,その人々は考えています。

この考え方には確かな根拠がありますか。このような神話については何が言えますか。ギリシャの神々は女に色情を抱いて,それらの女により“半神半人”をもうけたことが描写されています。それで伝説的な“処女生誕”について論じたのち,解説者の聖書辞典(第4巻791ページ)が次のように結論しているのもうなずけることです。「多神教における乱婚を物語るこれら異教の神話と,イエスの処女生誕という崇高な一神教との間には大きな隔たりがあり,周到な研究をもってしてもそれを越えることは不可能である」。イエスの処女生誕は東洋の伝説に起源があるという説について,宗教と倫理の百科事典(第12巻625ページ)の述べるところによれば,このような伝説の存在を示す「証拠は皆無」です。それでイエスの処女生誕に対する信条を,神話にある超自然の誕生と結びつけることは全くできません。

それにしても聖書はイエスが処女から生まれたことを本当に教えていますか。多くの人の主張するところによればそうではありません。その人々によれば聖書はイエスをヨセフの真実の子として述べています。彼らは次の点を指摘します。ナザレの住民はイエスのことを「あの大工の息子」また「ヨセフの子」と言いました。(マタイ 13:55。ルカ 4:22)フィリポはナタナエルにこう告げました,「わたしたちは,律法の中でモーセが,そして預言者たちが書いたところの者,ヨセフの子で,ナザレから来たイエスを見つけた」。(ヨハネ 1:45)ある時,イエスにつまずいた人々はこう語りました,「これはヨセフの子イエスであり,わたしたちはその父も母も知っているではないか」― ヨハネ 6:42。

聖書からの引用であるこれらの言葉が本当に意味しているのは,イエスが実際にヨセフの子であったということですか。そうではありません。そのいずれの場合にも,語っている人々はひとつの意見あるいは一般的な見方を表明していたに過ぎないのです。イエスはナザレのヨセフとマリアに育てられたので,当然に彼らの息子とみなされました。一般の人々がそう考えたのはしごく当たり前のことでした。イエスが「ヨセフの子」と呼ばれたのは一般の意見に過ぎず,そのことはルカ 3章23節の次の言葉に照らしても明らかです。「イエス自身は,その業を開始された時,およそ三十歳であり,人の意見では,ヨセフの子であった」。

イエスの受胎について聖書の述べるところを調べるならば,マリアが真実に処女であったことは明白です。マリアは自分が息子を産むことを天使ガブリエルに告げられて驚きました。「どうしてそのようなことがあるのでしょうか。わたしは男と交わりを持っていませんのに」と,彼女は尋ねています。その問いに答えてガブリエルはこう説明しました,「聖霊があなたに臨み,至高者の力があなたをおおうのです。そのゆえに,生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます」。これが神の介入つまり奇跡を必要とする誕生であることは明らかです。ガブリエルが次の保証をつけ加えた理由もそこにありました。「神にとっては,どんな布告も不可能なことではないのです」― ルカ 1:34-37。

ガブリエルの言葉からさらに分かるとおり,人間的には不可能なことをエホバ神が起こさせるのは聖霊という手段によります。神が行なわれたのは一体どんなことでしたか。聖書は詳しいことを明らかにしていませんが,それがおよそどんな事であったのかを知り得るだけの事を確かに述べています。

人間として生まれるずっと以前にイエスはみ父と共に天におられたのです。イエスご自身こう言われました,「わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わしたかたのご意志を行なうために天から下って来たからです。それでは,人の子が自分のもといた所に上ってゆくのを見たとすれば,どうなるでしょうか」― ヨハネ 6:38,62。

イエスが天の領域から下って来るためには,霊者としての存在をあきらめることが必要でした。そのことについて聖書は次のように述べています。「自分を無にして奴隷の形を取り,人のようなさまになりました」― フィリピ 2:7。

こうして天の栄光を離れて後,イエスの生命はその特有な人格的個性をそなえたまま,処女マリアの胎内に移されることが必要でした。この事は神の聖霊の働きによって成し遂げられたのです。至高の神にとってこれは少しも難しいことではありません。創造者であられる神は理知を持つ被造物すべての造りをことごとくご存じです。人間の受胎と胎児の成長は創造者にとって少しも神秘ではありません。―ヨブ 31:15。詩 139:16。伝道 11:5。

生命と人格的個性を移すことが聖霊により,目に見えないさまで行なわれ得ること,また実際に成し遂げられたことを理解するのはそんなに難しいことではありません。人間の場合,精子と卵子の結合によって形成される細胞は,この文の終わりにある句点よりも小さなものです。それでもこの細胞のごく微小な一部分には,特有な身体的特徴と個性をそなえた男の子あるいは女の子を生み出すための完全な記号が含まれています。したがって神の完全なみ子をマリアに身ごもらせるのに必要であったのは,顕微鏡的な微分子以上のものではなかったでしょう。

マリアが聖霊によって実際に身ごもった時,婚約者のヨセフはどうしたらよいか思案に暮れていました。それは彼女とまだ性関係を結んでいなかったからです。マリアの妊娠したことで思い悩んでいたヨセフは,エホバの天使から次の言葉を聞いて事実を知った時,安どしました。「ダビデの子ヨセフよ,あなたの妻マリアを家に迎えることを恐れてはならない。彼女のうちに宿されているものは聖霊によるのである」。(マタイ 1:18-21)その後ヨセフとマリアは結婚して結ばれました。「しかし[彼は]彼女が子を産むまでは,彼女と交わりを持たなかった。そして彼は子の名をイエスとした」と聖書は述べています。―マタイ 1:25。

ゆえにどう見てもイエスをヨセフの実際の子と呼ぶことはできません。イエスは確かに処女から生まれたのです。しかしその事はなぜ必要でしたか。

わたしたちは聖書から次の事を知ります。すなわち最初の人間アダムの不従順のゆえに,完全な人間の生命はアダムの子孫すべてにとって失われたということです。こう記されています,「ひとりの人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪を犯したがゆえにすべての人に広がった」。(ローマ 5:12)事実アダムは全人類を罪と死への隷属状態に売り渡したのです。(ローマ 7:14と比べてください。)

それゆえにアダムの子孫を解放するために贖いの価が必要でした。モーセの律法中に明らかにされた完全な正義という神の標準に従えば,その価は失われたものに正確に符合しなければなりませんでした。モーセの律法は「命には命……をもって償わなければならない」と定めていました。(出エジプト 21:23,24,口)イエスは不完全な人間の父親の働きをまたずにマリアの胎に宿ったゆえに,アダムが失ったのと全く等しいもの ― あらゆる弱さと不完全さの全く無い人間の命を持っていました。この理由でイエスは「すべての人のための対応する贖い」としてご自身を与えることができたのです。―テモテ第一 2:6。

このように聖書的な証拠はただ一つの結論を指し示しています。すなわち処女からの誕生は実際にありました。この奇跡によってのみ,神の子として完全な人間,不完全さの跡がみじんもない人の生まれることが可能でした。人間が罪と死から解放される道を開いたこの奇跡に対して神になんと感謝すべきなのでしょう!

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