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  • 信仰を持つことには何らかの益がありますか
  • 目ざめよ! 1981
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目ざめよ! 1981
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考えてみたことがありますか ―

信仰を持つことには何らかの益がありますか

わたしたちが現在住んでいる世の中では,「それが自分とどのような関係があるのか」という言葉がよく聞かれます。ですから,信仰を持つことに何らかの益があるかどうかと尋ねる人がいても不思議ではありません。真剣な気持ちで尋ねるのであれば,これは確かに誠実な答えを得るに値する質問です。

あまり益がないと考えている人がいるのはなぜですか

「益」についてうんぬんされる場合,ある人は,物質的な事柄,つまりお金やより良い仕事や社会的な地位の向上といった類の事柄をすぐに思い浮かべます。信仰を持てば,こうしたものすべてが必ず手に入るという意味ではありません。そのためにある人は,信仰を持って歩むという生き方には何の利点もないと決めつけるかもしれません。

言うまでもないことですが,今日の世界でお金は不可欠なものです。しかし多くの場合,良い仕事,社会的に誉れの高い地位,物質的な所有物が多いことなどは,生活を支えるための単なる手段とみなされているわけではありません。そうしたものは成功や幸福の象徴となっています。しかしながら,こうした物質的な利益はいつでも本当の幸福をもたらすものでしょうか。

本当の幸福をもたらすものは何ですか

「こんな生活にはもう耐えられない」。ある青年は意気消沈してこのように語りました。この人は「幾百万もの人から愛され,ばく大なお金をかせぐ,[その]国最大のスターの一人」と評され,人生の盛りにありました。

それに対して青年のマネージャーが次のように答えました。「でもフレディー,こういう頭の痛い問題はもうすぐ一切なくなるさ……ちょっとお金はかかるが……お金で済むことだし,またもっとお金をかせげるよ。今年は君にとって最高の年になるぞ」。このマネージャーの言葉も青年の耳には入りませんでした。青年は以前の妻に電話をかけ,「キャシー,僕はもうだめだ。君も子供も本当に愛しているんだが,僕はどうしても心の安らぎが欲しい」と述べました。それが最後の悲痛な会話でした。青年はそれからこめかみに銃を当て,自殺を遂げました。お金も名声も,失われた心の安らぎを取り戻すことはできなかったのです。

億万長者の息子と結婚したある女性の例も,物質だけでは真の幸福は得られないことを示しています。この婦人はこう語りました。「私の結婚生活は苦しく,意に満たないものでした。いくら沢山のお金があっても,その生活は耐え難いものでした」。

そうです,心の安らぎ,一致した家族生活,清い良心,満ち足りていること,励みの多い友との交わり,これらすべては幸福を得るための要素です。どんなにお金を積み上げてもこれらのものを買うことはできません。しかし聖書はそれらを得る方法を示しており,聖書の中には,そのすべては信仰を持つことと関連があると記されています。

それでも,聖書を信じると唱え,教会に行っていながら幸福ではない人のことをご存じかもしれません。それでこう尋ねられるかもしれません……

宗教を持つと,本当に幸福になりますか

幸福を得るには,単に聖書を信ずると述べたり,教会に属していたりするだけでは不十分です。「神のことばを聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです」とイエス・キリストは説明されました。この言葉は,信仰を持つことの真意を明らかにしています。その中には,聖書を読むか聖書の討議に耳を傾けるかして神の言葉を聞くこと,そして神の言葉の指示に従うことが関係しています。これこそ,本当の幸福をもたらすものなのです。―ルカ 11:28。

エホバの証人の無料の援助を受けて聖書を研究し,実生活への適用の仕方を学んでいる人は少なくありません。聖書から学んだ事柄を誠実に適用する人々の受けてきた益は計り知れないものがあります。例えば,エホバの証人としてバプテスマを受けたばかりの人々が述べた次のような言葉は,それらの益の幾つかを明らかにしています。

「私は死の恐怖から解放されました」― 84歳の男子。

「聖書の真理を約9か月間勉強して,以前には不可能だと考えていた人格上の大きな変化を自分が遂げたことに気付きました」― 元服役囚。

「アルコールのせいで私の手足はほとんどまひしてしまいました。自分が今生きていることすら不思議なくらいです。私はその後の人生を長い間台なしにしてきました。しかしエホバの証人と聖書を勉強したおかげで,やっと人生とはどんなものかが分かりました」― アルコール中毒者だった元非行少年。

「病気とそれに伴う障害にもかかわらず,私は今なお幸福で満足のゆく生活を送ることができます」― ガンに冒されている中年の婦人。

考えてもみてください。精神面でも感情面でも重い病気に対処できるようになり,死の恐れさえも克服できるようになるために,人はどれほどのお金を費やすと思いますか。自分の子供のアルコール中毒をなおし,従順でよく敬意を払う若者に変化させるためにはどれほどのお金をつぎ込むでしょうか。このような益はお金では換算できません。しかし,正しい方法によって信仰を持つ,つまり聖書を真剣に学んで適用するなら,そうした益がもたらされます。

ですから信仰を持つことは確かに現在の幸福をもたらします。しかしテモテ第一 4章8節(新英訳聖書)は,神に対して真実に身を捧げること,つまり「信仰の益」は,「今の命」だけではなく,「来たるべき命」にも及ぶと述べています。このことからすると,将来にはもっと大きな益が得られるのでしようか。

将来に益がもたらされますか

確かにもたらされます。神は『不敬虔な人々を滅ぼすこと』によって地上の悪や腐敗を一掃すると約束しておられるからです。それから神は,地球が,義の宿る全地球的な楽園に変わるように取り計らわれます。愛が社会全体に浸透するため,すべての人が,義にかなった親切で公正な事柄を行ないます。―ペテロ第二 3:7,13。ヨハネ第一 5:3。

啓示 21章4節の次の言葉が成就するときの益を考えてみてください。「また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。

お近くのエホバの証人の援助をお求めになり,聖書とそのすばらしい希望についてもっと詳しいことを調べてご覧になりませんか。エホバの証人の得ている幸福を味わい,正しい方法によって信仰を持つなら確かに益がもたらされることをご自分で確かめてみてください。

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