信頼に答えるものになりなさい
約束した人が時間どおりに来るのと,遅れて来るのとどちらがよいですか。たのんだ仕事を忠実に果たす人と,見ていなければなまける人とどちらがよいですか。機械を買う場合に,よく動くのと,いつも故障するのと,どちらを選びますか。
いずれの場合でも,すべての人が前者をとるでしょう。わたしたちは,人が時間どおりに来て働くのを好みます。また,人が仕事を忠実に果たすことを望みます。そして,わたしたちが求めるのはよく動く機械です。
どの場合でも求められているのは信頼性です。すべての人が自分の使う物や接する人に信頼性を求めることは疑いありません。しかし,時にそれ以上にむずかしいのは,自分自身がそのような特性をもつことです。
人に信頼性を求めるなら,自分自身は人の信頼にこたえますか。人が約束の時間に来ることを望むなら,自分も時間どおりに行きますか。仕事をまかせた人に忠実に働くことを求めるなら,他の人のために働く時,自分も忠実に務めを果たすように注意しますか。確かに,信頼性は二つの側から見るべきものです。人に求める性質は自分にも求められています。わたしたちは人に信頼性を求めますが,人もわたしたちに信頼性を求めているのです。
しかし,他の人に信頼性を求める人がみずからそのような特性を持っているとはかぎりません。人に信頼性を求めることは比較的に容易ですが,自らその特性をもつことはそれほど容易ではありません。なぜ? 一つには,必ずしもすべての人が信頼性を備えておらず,他の人々はその悪い手本にとかくならうからです。事実,今日一般の傾向はできるだけ少ない努力でできるだけ多く得ようとすることであり,信頼性ということとはしだいにかけ離れています。こうした傾向は決して人に信頼性をすすめるものではありません。
信頼性が得がたい別の理由は,これが親からゆずり受ける特性ではないことです。これはほかから教えられ,練習し,つちかうように努力してはじめて身につく特性です。小さな子供に信頼性の欠けていることは珍しくありません。時間をかけてしっかり教えられていない子供が,いつも衣服をきれいにし,毎日きちんと歯をみがき,使った物のあとしまつをすると思いますか。正直を教えていないなら,子供に正直さを期待することさえできないでしょう。聖書は箴言 22章15節でその理由をこう述べています。「愚かなことが子供の心の中につながれている,懲らしめのむちは,これを遠く追いだす」。
しかし,信頼性が得がたいものであり,世がそれから離れてゆく傾向にあるなら,わたしたち自身に信頼性を求めるのはなぜですか。それは,ほかの人がどんな道を選ぼうとも,これが正しいことだからであり,またほかの人々にも自分にも益になるからです。これは道徳を守るかどうかの問題と似ています。他の人がどんな生活をしようと,道徳的な生活をするのは正しいことです。そして道徳的な生活態度は身体的にも精神的にも他の人の益となり,またそれを実践する者自身にも益となります。信頼性についても同じことが言えます。
神を恐れ,神を喜ばせようとする者の見地からするならこのことはいよいよ真実です。なぜなら神はご自分の創造物が悪ではなく,善にならうことを望んでおられるからです。そして信頼性は神の特性の一つであり,信頼にこたえるのは正しいことです。それは人にも自分にも益になります。これはこの特性を求める十分な理由です。
神の子イエス・キリストは,信頼性が望ましい特性であり,小さな事においてもそれを発揮すべきことを教えられました。小さな事を行なうにも忠実であるなら,それがやがて大きな事を果たす能力となるからです。イエスは言われました。「小事に忠実な人は,大事にも忠実である。そして,小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」。(ルカ 16:10)あるたとえ話の中でイエスは,ゆだねられたものについて信頼にこたえた忠実な働き人をほめ,そのことをさらに大きな責任をになえるしるしとみなされました。イエスはまた言われました。「主人が帰ってきたとき,そのようにつとめているのを見られる僕は,さいわいである。よく言っておくが,主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう」。(マタイ 24:46,47)小さな仕事であっても忠実に果たして信頼にこたえるなら,その報いとしてさらに大きな責任を授けられるでしょう。
この論理は明白です。小さな仕事も果たさない人にどうして大きな仕事をゆだねることができますか。自分の課の中の同僚とおりあってゆけない人にどうして会社全体の人事をまかせることができますか。足し算や引き算が満足にできないで出納係にもなれない人に,どうして会社の帳簿を管理させることができますか。大きな仕事をゆだねることができるのは,小さな仕事において信頼性を発揮した人だけです。
信頼性のある人にはたくさんの良いことがあります。その人は良い働き人であり,雇い主にいつも喜ばれます。約束は時間どおりによく果たし,仲間の者に愛されます。そして家庭においては,夫としてあるいは妻として互いの信頼にこたえ,家族関係はいよいよ幸福なものになるでしょう。
自らにおよぶほかの益についても考えてごらんなさい。たとえば,ものの始末をいつもきちんとする人は,自分の望むものがどこにあるかをいつも知っています。その人はあちこち探しまわって時間をむだにし,気をいらいらさせることがありません。また,いつも十分の余裕をみて約束の時間を守る人は,めんどうといらいらした気持ちを避けることができます。遅れて来る人はたいてい急いでおり,あわてている場合が多いからです。
信頼性のある人は自分の仕事に喜びを見いだしています。信頼性のない人は,自分の仕事の悪い習慣を雇い主に見つけられはしまいかといつも心配していなければなりません。そしてできの悪い自分の仕事について絶えず言いわけを探さねばなりません。その人はいつも弁解しています。もっと良くすべきことを知りながら,していないからです。このような態度によっては決して仕事に満足することはありません。しかし,いつでも信頼のできる仕事をする習慣をつけるなら,その人には要求を果たし,正しくことを行なったという喜びと心の平安があります。
信頼性という特性を身につけるなら,生活のどんな事柄をも向上させることができるでしょう。仕事,家族生活,交際,そして自分の自尊心にさえ益があるのです。それゆえ,なにごとにおいても信頼にこたえる者になってください。