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    ものみの塔 1978 | 9月1日
    • をゆだねられたので歓喜しました。(テモテ第一 1:11)わたしたちは終わりが来る前に「国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝え」るべき,立てられた王国の良いたよりをゆだねられているので,歓喜すべきさらに大きな理由があることは確かです。(マタイ 24:14)もしイエスの誕生が,「民のすべてに大きな喜びとなる良いたより」をみ使いが伝えるにふさわしい時であるならば,天の王としてのイエスの即位ははるかに大きな歓びの時であることは確かです。それは「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼はかぎりなく永久に王として支配するであろう」と述べられているときです。(ルカ 2:10。啓示 11:15)この「良いたより」をふれ告げることは,エホバが今日その民にさせておられる業です。わたしたちがその王国の側にしっかりと立ち,王国のために忠節に働くなら,エホバの心を歓ばせることにさえなります。「賢くあれ,わが子よ。そしてわたしの心を歓ばせよ。わたしをそしっている者にわたしが返答できるためである」― 箴 27:11,新。

      25 わたしたちはなんと大きな特権を与えられているのでしょう! そしてまたこれは,イエス・キリストと共に喜びにあふれてエホバの業を行なうことにあずからせる,なんと大きな励ましでしょう!

  • クリスチャンの「業」― それには何が含まれますか
    ものみの塔 1978 | 9月1日
    • クリスチャンの「業」― それには何が含まれますか

      『業のない信仰は死んだものです』。(ヤコブ 2:26)この言葉を語った弟子ヤコブは,業,つまり活動によって自分の信仰を実証するよう仲間の信者たちを励ましました。では,クリスチャンにふさわしい業とは何でしょうか。

      それらの業は,クリスチャンがそれによって永遠の命の報いを“獲得”できるというようなものではありません。一世紀当時の,命を求める人たちの中には,モーセの律法を守ることによってそれが可能であると考えていた人がいました。しかし,クリスチャンの使徒パウロは,そうした考えを正し,霊感の下にこう書いています。「人が義と宣せられるのは律法の業によるのではなく,ただキリスト・イエスに対する信仰を通して(なのです)」。(ガラテア 2:16)不完全な人間は神の律法を完全に守ることはできないので,律法によって,命ではなく,死に値する罪人であることが明らかにされるのです。聖書は,「律法によって罪に対する正確な知識が生じるのです」と述べています。(ローマ 3:20)ですから,自分自身の功績によって神の前で是認された立場を得ることはできません。そうした立場は,エホバ神が意図された方法によってのみ得られます。すなわち,人間の罪を清めるために犠牲になられた方として,イエス・キリストに信仰を持つことによってです。

      イエス・キリストに信仰を持つとすれば,エホバ神に信仰を持つことも求められます。使徒パウロは次のように書いています。「その『あなたの口の中にあることば』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです」。(ローマ 10:9)このような信仰には,神の存在を単に信じる以上のことが求められます。それには,神のみ言葉,聖書の中に示されている神の約束すべてに対する信仰が含まれます。ヘブライ 11章6節にはこう述べられています。「信仰がなければ神をじゅうぶんに喜ばせることはできません。神に近づく者は,神がおられること,また,ご自分をせつに求める者に報いてくださることを信じなければならないからです」。

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